豊田章一郎 座有銘 天地人知仁勇
天地人知仁勇
企業にとって 天の時、
地の利、人の和を働かせ、
知恵を働かせ、
社会に対する人徳を持ち、
挑戦する勇気を忘れないことが重要である。
豊田章一郎
喜一郎はよく「天地人知仁」といっていた。企業にとって大切な要素がそれらだということです。タイミングがよくないといけない、場所もよくないといけない、それから人の和ですね。知は「知恵」、仁は「思いやり」。私流の解釈ですが、私はそれに「勇気」の勇をつけて「天地人知仁勇」を座右の銘にしております。
豊田章一郎
豊田章一郞(1925年生まれ):彼は1981年にトヨタ自動車販売株式会社代表取締役社長(第4代)兼トヨタ自動車工業株式会社取締役に就任した。翌1982年、トヨタ自動車工業とトヨタ自動車販売の合併に誕生したトヨタ自動車株式会社の初代代表取締役社長に就任した。
豊田章一郞は、娘婿の藤本進が大蔵省の駐在員として出向していたことから、マニラで奥田碩と知り合う。以後、交流を深め、奥田改革の後ろ盾となり、豊田本家としてグループ全体の求心力の役割も果たした。
この項、Wikipeda[豊田章一郎]より
2000年頃、その奥田改革が昔の動かざるド田舎のトヨタを、世界のトヨタに変えた。その改革の影響が私の前職の会社にも及び、私も業務改革に取り組むことになった。それで自分の人生も変わった。
言葉とのご縁
いい言葉との出会いが、行動に勇気を与え、人生を変える。
私は、自分人生有限会社の社長として、何か決断する時、この言葉を思い出す。
何か小さなご縁があり、小さな決断をせねばならない時、それは天の時か、地の利があるか、人の和を期待できるかを考え、知恵を出せば解決できると見通しがあれば、GOの決断をしている。その決断が社会に対する人徳の行動で、自分を成長させる機会であれば、勇気を持って決断をしてきた。
事務所購入の決断
事務所内の仕事部屋兼応接室
立机、応接机とモニター台は山路先生作(トチの木)
この事務所では、立ったままで、PC作業、事務仕事である。だから椅子が無い。
ドラフターも手に入れた。
.
2年前に別宅を事務所として買った時も、豊田章一郎氏の言葉が背景にあった。2年前の朝、知人と歩いていた時、売り物件をたまたま見つけて、夕方には買う意思を不動産会社に連絡した。これは我が人生で時間当たりの価格が、数百万円になり、私の人生最大の買い物であった。
時間当たり価格=[価格]÷[買う決断までの時間]
その時も、この10年間、土地と家屋をさがしていた時に出会った不動産であった。それも前職の定年延長を拒否して大垣に帰郷しなければ出会えなかったご縁である。この10年間、不動産を探し続けなければ出会えなかったご縁だ。今の自宅からも近く、買う決断にあたり、知人の自治会長からの情報も得られた。
カネは知恵を絞ってかき集めた。年金暮らしの古希では、ローンを組めないので、現金を用意しなければならぬ。泣く泣く「金遣いの荒い?2号さん(レクサスLS)」とも別れた。この物件は事務所として使えるので、社会に対する御恩返しもできる。まさか古希を超えて家を買うとは想定外であった。この歳で家を買うには勇気がいるのだ。
それも今まで少し大きな決断を何回もしてきた「訓練」の成果なのだ。人生経営とは、決断と失敗を繰り返さないと向上しない。だれでも最初から名経営者ではない。多くの失敗をして、人生の名経営者になるのだ。
2022-09-24 久志能幾研究所通信 2500 小田泰仙
「久志能」↖ で検索
著作権の関係で、無断引用を禁止します。
コメント