2017年8月 9日 (水)

磨墨智 528.いい日旅立ち

 いい日でなくても、まず旅立ちをして「旅立った日」をいい日にしよう思ったったら、すぐに動こう。そうすれば、その日がいい日になる。計画と実行を速やかにする。仏滅、先負等の人が少ない日に旅たちをして、スピードを上げよう。

 

日々是好日

 今いる自分を最大限に生かしていこう。その心が、一日一日をかけがいのないものにする。毎日が大切でよい日。(馬場恵峰)

 

百花香至為唯開

 何の為にという問いを捨てて、いただいた命を無心に生きる。まずそこから始める事。(馬場恵峰)

 『時間創出1001の磨墨智』より

2017-08-09

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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1. 仏心大器に命を懸ける

 先日、松本明慶先生が総白檀の不動明王坐像(八丈大仏・約5m)を制作する過程を記録した『仏心大器』(NHK 2013年再放送)を見て感銘を受けた。その記録は、仕事とは何か、人生とは何か、を考えさせられた内容であった。明慶先生の手による目の彫りの工程で、図面も下書きもなしに、眼をノミで彫りにいく様は神業としか思えない。神業でも人間としての迷いを持ちながらの彫りの工程である。またそこにもドラマがあった「今日の自分は最高の自分ではないかもしれない」と、自分を超える自分に遭うため、日を改め、時を待つ姿がそこにあった。彩色師の長谷川智彩師が、不動明王座像の目に瞳を描き入れる時、不動明王座像を見つめる彼女の眼には凄みがあった。

 今まで不動明王像には、なにか近寄りがたいものを感じていた。しかしその眼差しは、怒りで慈悲を表していることを教えられた。その静かな怒りは上品なのである。その両方を表現するために、全神経を集中させている明慶師と長谷川智彩師の姿に感動である。

『仏心大器』(NHKオンデマンドでご覧ください。著作権の関係で画像が掲載できません。「不動明王座像 広島厳島 大願寺」で画像検索ください。

  大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。(今回のピエタ見学を)絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。人生の中で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、命を賭けられる仕事に出逢えるのは、人生冥利に尽きる。それも生涯現役で働けられれば最高である。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。

 

佛像彫刻の基本

「佛像彫刻をすると、皆さんはすぐお顔を彫りたがる。たとえば佛像彫刻で佛様の鼻を彫ろうと思ったら、まず回りを彫らないといけない。直接鼻を彫って高くしようと思ってもうまくいかない。周りを彫ると自然と、鼻が浮かび上がってくる。耳を彫る場合でも、周りを彫れば耳ができてくる。彫りたい箇所を直接攻めるのではなく、周りから彫っていく。口元を掘る場合も同じだ。これは根回し、段取りの仕事である。

松本工房の佛像は、概略のデザインを師匠が行い、細部は弟子が彫っていく。基本のお顔は師匠がすべて仕上げる。木の材料には、節や傷が必ずあるのでそれを避けて、材料取りのデザインを師匠が行う。これが難しい」(小久保館長)

  仕事でも避けなければならない難所、ポイントがある。それを見極めて、弟子に細部を任せていく。人生も仕事も同じだと納得した。佛様のお計らいで、いい話を聞かせてもらった。求めるモノを直接攻めても相手は逃げていく。周りから、そして自分の内面を充実させて取り組むのが人生の正道である。これからの人生の旅を歩くヒントを得た。

 

芸術に必要な総合力 ―― 仕事も同じ

 「佛像を彫るには彫刻の技量だけでは不十分で、仏教の知識、人体の知識等の総合知識力もないと、人に感動を与える本物は彫れない。なぜなら、佛様や布袋様などは架空の存在である。それを形にするには仏教の知識、人体の知識等の総合力が必要であるからである。時には密教の経典の知識も必要となる。

 高名な某彫刻家がいて、実在する(モデルのある)動物や人物では優れた作品を残している。しかし、架空の存在である大黒天や七福人の彫刻は形がなっていない。それは彼の彫刻の技術は卓越していても、基盤となる総合知識がないからだ。たとえば、彼の作った布袋さんの顔には品と知性がない。これではこの布袋さんに相談しに行く気が起こらない。また座っているこの像は、もし立ったらこの足の太さでは、体を支えきれない不自然な構成となっている」(松本明慶師)

 

 2つの写真集で作品を見比べると、その高名な彫刻家の布袋さんのお顔と松本明慶師の彫ったお顔には大きな差がある。その昔、人相学をかじったことがあり、その知識からみれば、その違いはすぐ理解できた。その昔、私はCNC研削盤の開発でNCソフト開発に携わった。その経験から、会計学のソフト開発でも、単にプログラミングの技量だけがあっても、使い物になるソフトはできない。会計学のソフト開発には会計学の知識と実務での総合知識が求めらる。それと同じことが、佛像彫刻の世界を始め、全ての仕事でこの基本は当てはまると、松本明慶師のお話を聞いて再確認した。

 

佛像の知識

・観音様の左手に持った蓮華の花の蕾が一枚だけ開きかかっている。これは悟りを開くこを象徴している。

・台座の上部にある葉形状のお皿は回転方向に波をうち、半径方向でも波を打たせて彫ってある。これには高度な彫刻技量が必要である。

・首の飾り、御頭から腕にふり下がる布を含め本体は一本彫りでできている。

首の飾りを彫るだけでも1週間はかかる。

・胸の飾りは、観音様の胸の上の空間を一本彫りで形作る。

・観音様の手は普通の人間より長い。人を救い包み込みために長いのです。

・西洋の彫刻は8頭身だが、佛像は10頭身である。

・佛像の身丈は白毫から足までの高さをいう。

 

日本の佛像彫刻伝統

 最近は安い労働力を武器に中国、東南アジア製の佛像が出回ってきていて、日本佛像彫刻界の脅威となっている。その大半は部品を別体で作っている。それに対して日本の本物は、本尊一本彫りである。各部の継ぎ足し修正は、佛師の恥である。これは西洋の大理石の彫刻でも言える。全て一体の大理石から彫られている。西洋でも修正のため部分の継ぎ足しをすると軽蔑される。

 観音様の見えない後ろ側の御頭の髪も、一本ずつ髪があるがごとく克明に彫刻してあった。松本明慶師は「松本工房の技術は世界一だ」と自負されていた。実物の技量と仏教の知識に裏づけられた彫像のありかたに納得させられ、心が洗われ、眼の保養になった。800年前の運慶・快慶の技術が、口伝により脈々と伝承されている。欧州の彫刻文化とは、一味もふた味も違う日本の佛像彫刻伝統に誇りを感じた。

 

人間技の素晴らしさ

 私は、前職の近直では情報システム関係、IT関係、三次元CAD関係、NC金型加工関係の開発業務を担当した。その前の工作機械関係のときは通産省の外部団体超先端加工システムプロジェクトの委託研究に従事して、エキシマレーザ用のセラミックミラーを研磨する5次元研削加工機を設計した。それですぐに悟ったのは、5次元加工機でこの佛像をNC加工することは不可能だ、である。展示してある佛像には、手の細かい細工をしても加工が困難な部位が無数にあり、物理的に5次元加工機の刃具を干渉させずに加工はできない。しかし、人の神業にして初めて可能なのだ。英語と日本語を少し学んだ経験から、自動翻訳がコンピュータでは無理(大雑把な訳は可能)なのと合い通じるものを感じた。人間の技と頭脳は、いくらコンピュータや機械が進化しても、次元の違う神秘的な素晴らしさがある。

 

明慶先生の言葉

私は歳のせいで視力が落ちて細かいところはよく見えない。

しかし、彫刻の時は、彫る場所の1点に集中させてそこを見るから見える。

周りまで全て見ようとするから見えないのだ

佛像は人の喜怒哀楽の心を受け止めてくれる器である。

大仏は人の心を受け止めてくれる大きな器である

佛師は美しい佛像を作る責務がある

人の寿命は80年、佛像(大佛)の寿命は1000年

時間に追われて焦るのは、自分が弱いからだ

 「佛像とは何か」を40年間余考えながら彫り続け、千年後まで残る作品を手がけている松本明慶先生の言葉には重みと凄みがある。

 

2017-08-09

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2017年8月 8日 (火)

室村町四丁目地蔵菩薩尊の閉眼法要

 2016年3月24日10時、室村町四丁目地蔵菩薩像(明治43年(1910)建立)の改建のため閉眼法要が行われた。昨年、このお地蔵さんを守っていた大倉さんが亡くなられた。その遺族の大倉家と山田家が、戦火も浴び風雪にも耐えて傷んだお地蔵さんを全面的再建として寄進していただけることになった。

 

室村町四丁目地蔵尊建立の経緯

 明治43年は日韓併合があり、その前年に伊藤博文元首相が暗殺され、世情が不安定で不幸な事件も数多くあった時代である。その年に鐘紡が、社員と地区の平安と幸福を祈願してこの地蔵菩薩像を建立した。当時は地区の公民館(同志館)前の広い境内に、この地蔵菩薩像が安置されていた。

 この地蔵菩薩像の功徳は、室村町を襲った大垣空襲に顕われた。昭和20年(1945年)7月29日夜半、米軍B-29爆撃機90機による無差別殺戮爆撃で、100ポンド焼夷弾3,000発、4ポンド焼夷弾17,000発が投下され、罹災戸数は市街地の約6割にも及ぶ4,900戸、罹災人口30,000人、死者50人、重軽傷者100余人の惨事となり大垣市街地の大半は焼失した。大垣城(国宝)や(大垣別院)開闡寺なども焼失し、建物等は僅かに大垣駅などが残ったに過ぎない。室村町も火の海の灼熱地獄となり、地蔵菩薩像の土台石垣と御身体が真赤になりながらも(焼夷弾の油を浴びて)、立ち続けてこの地域を見守り続けたという。火災から逃げまどう中で、灼熱の炎で真赤になっても立ち続けるお地蔵様のお姿が眼に写りこみ上げてくるものがあったと元自治会役員(当時9歳)が回想する(歴代自治会役員の証言、『通史編近現代』大垣市編による)。

 その時の炎で焼かれた痕跡が残り、石衣も一部が剥がれ落ちて痛々しい。戦後から今まで、この地蔵菩薩像は、本地域在住者の幸福と安全を祈願し、町内を通学で歩む児童・生徒の健やかな成長と交通安全を願い、優しいお顔で見守っていて頂いていた。

 

地蔵菩薩像の生老病死

 お地蔵さんの像にも命があり生老病死がある。105年が経過し、戦災で傷んだお体を晒したままにするのは忍びない。お体は仮に姿で、そのご精魂は不滅であり、新しいお体にご精魂が移るのが自然である。戦争の証人が消えるのは残念だが、お地蔵様のことを思えばそのほうが良い。それは今回のお墓の改建で認識した智慧で、更に今回の地蔵菩薩像の改建でその思いを新たにした。当初、地蔵尊に屋根を付ける案も見積もったが、建屋としての法規制もあり、借地の件や建築許可等の問題で足踏みとなっていた。今回、お地蔵さんが傷んだ真因を考える機会となった。

 

地蔵尊を再撮影

 今回の閉眼法要を機に、地蔵尊の写真を撮り直した。それを見てこの数年での石の劣化が顕著であることに気がついた。今回、書の撮影のために購入したCCDフルサイズの一眼レフに100~400mmF4.5、70~200mmF2.8望遠レンズを装着して、強い陰影がつかないように天候を見ながら撮影したため、今まであまり気にならなかったひび割れの酷さが、写真上で鮮明に浮かび上がった。お地蔵さんの首の前掛けを取り替えたため、前掛けで隠れていた傷みと変色状況が目に付いた。それは50年前のナパーム弾の痕跡であろう。地蔵尊は戦争の残酷さの証人として存在しておられた。その証を通り過ぎる人たちが気づかないのに、寂しさを感じていたはずだ。

 お地蔵さんの後姿も含めて熟視して、改めて戦争の禍を感じた。戦争になった真因を見極めないと、平和惚けの空論反戦論者になってしまう。EUに押し寄せる難民の問題も、植民地政策、グローバル経済主義の展開で中東・アフリカの人民を搾取した咎が、ブラーメンのように欧州に返ってきているだけである。だれが戦争で儲けているかの真因を見極めないと、問題は解決しない。

  2017年8月7日「磨墨智 435b.ことな親を鞭打て」の最後で記載したお地蔵さんは、上記の地蔵尊のことです。

 図1 2013年6月撮影               

図2 2016年4月3日撮影

図3 背面の衣の傷みがはなはだしい。また焼け焦げた跡が生々しい。

図4 地蔵菩薩尊の横を通学路とする児童達

   雨の日も風の日も児童約200名の通学を見守る(2013年6月)

図5、6 閉眼法要 2016年3月24日10時

 

2017-08-08

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兵どもが夢の跡

 2010年に帰郷した大垣で、遊歩道「ミニ奥の細道(四季の路)」を毎日歩いていると、会社勤め当時のビジネス戦争が思い出される。その記憶が、東北の地で詠んだ芭蕉の句と重なりあう。過去を振り返ると、なんと愚かな戦いをしたことかと。

 「夏草や 兵どもが 夢の跡」 芭蕉 (岩手県平泉町)、

 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 芭蕉(山形県・立石寺)

  そんな仕事上でのチャンバラも、今は昔である。蝉が地上に出て、騒々しい鳴き声を響かせるのも1週間である。長い人生を思えば、人の絶頂期の数年などは、蝉が鳴く期間と同じである。どんなに騒々しく働き、栄達を極めても、10年もたてば会社から消える。一緒に一時期を戦い、ゴマすり戦争に敗れ飛ばされ、過労死や病死した戦友を思うと、哀愁を感じる。芭蕉も戦国時代に思いをはせた。

 その戦場であった会社さえ、グローバル経済競争時代に巻き込まれ、同じグループ会社と合併を余儀なくされ消滅した。グローバル競争時代にあっては、年商5千億円の自動車部品メーカは、中小零細企業なのだ。それでは生き延びられないと親会社からの指示で戦略的合併をさせられた。うたい文句は対等合併であったが、実質的に吸収合併で、吸収された方は、悲哀を味わうことになった。会社の寿命も60年である。いくら花形産業としてもてはやされても、それは10年も続かない。いつかは衰退産業となり消えるのが運命である。諸行無常である。会社生活の38年間、私は何と闘ってきたのか、人生道の第4コーナを回りながら考えている。

 これから自分が戦うのは、後から静かに迫ってくる「自分の老い」である。その戦いも何時かは終わる。それも全員が負け戦である。「人生は旅である」と芭蕉は詠う。「四季の路」を6年間に渡り歩き続け、秋の落ち葉を踏みしめながら感じる「老い」の実感である。

 旅に病んで 夢は枯野を駆け巡る  芭蕉

 

図1 「四季の路」の秋  2011年11月6日 日曜日  07:58

 

2017-08-08

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インプラント 26(6S)

3.26 6Sでの判断

 私がかかった歯科医院に限定ではあるが、私の目から見て6Sがなっていない。表面的には綺麗ではあるが、裏は不潔で不衛生である。儲かっているから、立派な建屋が建てられて、見た目は美しいが、掃除がおろそかになっている。その原因は医院経営が儲かるインプラント手術に依存して、慢心で経営が甘くなっているからだと判断した。そんな医院に身を任せてもいいのか、である。友人にこの医院を見せたら「これは美容室の建屋ではないか」との外観の評価であった。つまり見た目は美しい。しかし、見えない内部は汚れている。

 

往診車の汚れ

 医院の前に往診車(8ナンバーの中古車で、市場推定価格100万円)が駐車してあり、その運転席のセンターボックスに、ストローが挿したままのコーヒーカップが、10日以上も置かれていた。往診車の内部を上から覗き観ると、汚れた診察台、汚れた排水口まわり、シミのついたままの床、錆びの浮かんだ機器の台と支柱、床に無造作に放置された固定ベルト等が、目にとまった。普通の視線高さからでは内部が見えないように曇りガラスで防衛されていた。次の日に内部を見ると、運転席の下にコンビニの膨れたゴミ袋、医院の清潔であるべき白いスリッパがひっくり返って放置されていた。1週間以上も運転席ダッシュボードに某大学講師の名刺が置かれていた。清潔であるべき往診車が不潔であった。またその往診車の回りやその駐車場には、タバコの吸殻やコンビのビニール袋が何日も掃除もせず放置されていた。

 

街の掃除活動

 市内の「四季の路」遊歩道沿いの会社、銀行や医院では、毎朝、社員が全員で自分の会社以外の周辺の道路の掃除をしている。自分の街の遊歩道と自社を守ろうとの意識が感じられて、市民として誇りに思う。近くの眼科医院でも、朝は受付の方や看護婦さんが道の周りの掃除をしている。広報を兼ねてか、社名の入った制服で、四季の路の掃除を大勢でしている会社もある。たとえ広報活動としての掃除でも、良い活動である。

 それに対して毎朝、この歯科医院の近くを通るのだが、従業員の掃除の現場を見たことがない。この歯科医院は6Sが全くされていないと断定した。そんな歯科医院に、大事な歯の手術を任せていのか、である。答えは明白である。

 

 6Sとは:「5S」とは企業経営理論の専門用語で、整理・整頓・清掃・清潔・躾の頭文字である。「6S」とはトヨタグループの用語で、整理・整頓・清掃・清潔・躾・シッカリの頭文字である「整理整頓は仕事ではないが、責務である」(神戸健二著『キャノン式稼ぐ社員の仕事術』成美堂出版)

 

図1 新大橋近くの某金融機関前  2011年6月14日 08:13

図2 四季の路沿いの某電気会社前  2012年11月5日 07:30

 

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410a. 時間を観る目を養え

 時間は観ることができる。時間とは命である。命を持った人間の行動を観察すれば、時間の使い方の真贋が分かる。時間の使い方の真贋を見極めるよき目を持っていても、自分の行動がそのようにできるかどうかは別である。しかし、意識して真贋を見る訓練をしていれば、人様よりも、良き時間の使い方はできるはずだ。骨董屋の小僧は、ご主人から常に本物の骨董品だけを見せられて、真贋の見分けの修行をするという。時間の使い方の本物を探して修行をしよう。いつかは時間の使い方の名人になれるはず。そのサンプルは人の顔である。

 

作品に出る時間の顔

 松本明慶大仏師は、師である野崎宗慶老師から「作品を観る目を養え」と教えられたという。自分の技術よりもほんの少し観る目を進めること、目が少し腕より良いくらいが丁度よいということである。

 自分達は、自分の人生という命(作品)を彫っている仏師である。素材から多くの部分を削り取らないと、作品が仕上らない。削り取る過程で痛みも歓びもあり、人生の創作の苦労を体験する。削り残しが多い人生とは、未完の人生である。自分の人生レベルより少し進んだ目で、自他を観察して、よりよき時間を駆使して人生を完成させるのが、人間に生まれた責務である。自分の後ろにはご先祖様の期待がある。

 

作品としての顔相

 同じ50年を生きて、苦労の有無が顔に出る。苦労をした人の顔が、そうでない人と同じ顔であるはずがない。男の顔は履歴書である。今、ネット上や雑誌、新聞、事業報告書、広告等から、成功者、経営者、政治家、犯罪者の顔写真を収集して顔相の研究をしている。その顔を見比べると、その顔にその人が、その仕事に費やした時間が見える。その経営者も、小さな会社、大きな会社にはそれ相応の顔があり、金融業や電力、ベンチチャー企業、製造業毎に、その仕事が匂う顔がある。そこに人生の時間を感じる。本物の経営をしてきたか、そうでないかは顔が伝えている。詐欺まがいの計画倒産をした経営者には、相応の顔が事業報告書の掲載されていることを発見した。 

 

2017-08-08

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「桜田門外ノ変」の検証 (8/25)最新技術

(6)最新技術、情報の収集

 最初のたった一発の銃弾が井伊直弼の腰を貫き、致命傷に近い傷を与えた。そのため、彼はなんの抵抗もできず、駕籠から引きずり出され首を落とされる。彼は埋木舎で、世に出る前の期間、武芸に励み居合術で免許皆伝である。彼は並の大名とは違い、文武兼備の才人である。いざとなれば、彼自身も防戦に戦えば、護衛の数や彦根藩士の護衛の精鋭ぶりから言っても、簡単には暗殺は成功するはずが無い。そんな安易な考えがあったのであろう。

 当日は大雪であった。そのため、刀の錆防止で、護衛側の藩士の刀は刀袋で封印されていた。それも防御側の反撃に、時間遅れが出た原因の一つである。直接の襲撃の警告がなくても、その備えをするのが、危機管理である。襲撃の危険は十分に分かっていた。

 

「武田家の赤備え」から「井伊家の赤備え」へ

 最初に日本で鉄砲を使って戦いをしたのは、織田軍と武田軍の長篠の戦い(天正3年、1575年)である。勇猛で鳴る武田軍団は、織田軍のハイテクの鉄砲隊の前に惨敗する。井伊藩の初代井伊長政は、関ヶ原の戦いで多大の軍功を上げる。徳川家康は、井伊長政に武田家の軍色である赤の使用を許し、甲冑、指し物、倉に至るまで全部赤い色を使用した。井伊藩は「井伊家の赤備え」として恐れられた。ハイテクの鉄砲に破れた武田軍団の軍カラーの赤が、歴史の皮肉でもある。赤備えの井伊家は、鉄砲の前では、武田軍と同じ運命をたどった。

 せめて、駕籠に防弾の備えがあれば、状況は大きく変わったであろうが、人の手で担ぐ籠では、物理的に無理である。長篠の戦いで織田信長が鉄砲を使ったのは、桜田門外の変の286年前の話である。敵にハイテクで攻めて来るなら、防ぐ方も当然その備えが必要である。しかし公人である幕府のトップで、武道の達人として、臆病な姿勢も見せられず、そこに運命の皮肉を感じる。精神論的な戦いに対する姿勢が、この事件の根本にある。それは徳川幕府の開祖の徳川家康が戦乱の世の再来を嫌い、前例の無いことは認めないという幕府基本方針からして、物事の進歩を禁ずる方針が根底にある以上は、いたしかたないのかもしれない。いわば組織の疲労破壊である。幕府は倒れるべくして倒れた。それは自己会改革を怠ったためである。それを家康が暗黙に禁止をした。

 

己の敵は己

 しかし、どんなに固く守って、外からも内からも危機は忍び寄る。守りの天才の徳川家康もそこまでは思い至らなかった。昨日の勝者は今日の敗者になる。守るためには変わらなければならない。トヨタ自動車の奥田碩会長(1995~1999年社長、1999~2006年会長)は業界トップの座に安住せず、「トヨタの敵はトヨタである。打倒トヨタをスローガンに社内に檄を飛ばしている。現在好調のトヨタは、「たまたま今がよいだけで、10年後は分からない」として、危機感をもって業務改革を進めていた。

 

会社の業務改革

 トヨタの方針に影響されて、前職の会社でも業務改革が進められた。私も担当責任者として、業務のIT化がなかなか進まない現状に悩み、役員会に「IT業務改革点検」を提案して認められた。事務局として事業部全部署の点検を事務局として回る機会を得た。私は事務局として各部を点検に回って、現状を変えることへの抵抗は、非常に大きいのを再確認した。敵は外ではなく、身内である。総論賛成、各論賛成で悩まされた。「敵」の部長曰く「その改革案は素晴らしい、まず他の部署からやって欲しい」である。(2003年頃)

 

私の業務改革

 当時の私の最大の悩みは、図面の三次元化推進であった。技術管理部門の課長として、その推進を任されたが、技術部門やその後工程は、従来の二次元図面に固執して三次元化がなかなか進まなかった。親会社の方針で、三次元化を進めないと仕事がなくなるとの「脅迫」でなんとか進めていた。17年が経った目で検証すると、当時の技術レベルでは、自動車会社での三次元化と、部品メーカの三次元化には、個別に対応するの正しいと思う。部品メーカとして全部一律に、図面を三次元化していては儲からない。その工程ごとに最適な図面のあり方がある。強引に三次元化を進めて儲かるのは、自動車メーカとCADメーカである。

 技術部の部長は、「二次元図面から三次元形状が頭の中に描けられないのでは、設計者ではない」との持論があり、設計部門での展開が障害となっていた。それは20年間、図面を引いてきた設計者として、私も思っている持論であった。立場上、三次元化を推進させねばならぬ立場で、それも言えず苦しかった。そんな悩みの中、山本周五郎著『ながい坂』の言葉が励みとなった。

 「人はときによって」と宗厳寺の老師が穏やかに云った、「――いつも自分の好むようには生きられない、ときには自分の望ましくないことにも全力を尽くさなければならないことがあるもんだ」(1-p130)

 

17年後の姿

 現在は、CADの性能も上がり、操作性も向上し、後工程にも三次元化の認識が広り、生産準備工程のツールとして一般化してきたようだ。当時の伝教者としての三次元化推進隊長としての当時の苦労が夢の様である。当時の部下から「当時の小田課長さんの頑張りがあったからこそ、今の三次元化の展開ができた」と言ってもらえて嬉しかった。一般的に伝教者の運命は悲惨である。当時も同業他社のIT部門の責任者が、心労で倒れていた。自分がそうでなかっただけ、幸せと思わねばなるまい。

 

井伊直弼公の先見性

 私の悩みは些細なものであったが、日本の政治のトップとして幕府業務改革に取り組んだ井伊直弼大老の悩みは、そんなレベルではなかったはずだ。ご心労を御察し申し上げます。時に、外交面(条約締結、開国)、内政(後任将軍選定、安政の大獄)で大筋の仕事も終わり、桜田門外の変での井伊直弼公の対応を見ると、直弼公は死に場所を求めていたのかもしれない。井伊直弼公の命をかけた伝教者としてのお役目を全うしたがために、今の日本の繁栄がある。頑強に鎖国を続けた隣国が、国の滅亡の憂き目にあったのは、歴史の冷酷さの証しである。国の改革を避けた清国は、桜田門外の変の34年後、日本に日清戦争(1894)で負けた。そして欧米列強による半植民地化が進み、清王朝は1912年に滅んだ。そして動乱の時代を迎えた。

 

2017-08-08

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2017年8月 7日 (月)

磨墨智 73. 勉強とは種まき

 今の勉強の果実は、10年後にしか収穫できない。勉強を続ければ、10年後には、豊かな時間を収穫できる。蒔かぬ種は、芽を出さない。芽が出れば花が咲く。人生とは、坂の上に置かれたボールのような状態である。勉強しなければ、成長しなければ、下落あるのみだ。人生で現状維持はない。現状維持は下落である。一度坂を転がり出したら、地獄に堕ちるまで止まらない。実社会では回りが勤勉に向上しているのから、学ばなければ相対的に下落となる。社会では、落ちぶれた人間は相手にされない。

 

投機と投資

 訓練と学びの関係は、投機と投資に似ている。直ぐに金儲けができるのは投機である。訓練とは、動物を報償や餌で釣って思うようにする投機行為と同じである。それは10年後、消えてなくなる。それに対して投資は教育と同じで、無償の行為である。投資の回収は10年後である。それは一生の宝となる。

 

学びの悩み

 私も仕事上の悩みから、自ら求めて多くの研修を受けてきた。その直接の研修費用の累計金額は500万円ではきかない。しかし多くの研修を受けて、逆に落ち込むことも多かった。研修でコテンパンに酷評されて、目一杯落ち込むのである。その落ち込みからの回復に、数カ月から1年もかかるときもあった。また受けた研修内容が、少しも実務で役立たないのである。仕事の悩みが全く解決しないのである。研修を受けて、テンションが上がれば、部下が引いてしまう。研修で受けた内容を話すと、周りから浮いてしまう。突っ走って、後ろを振り向くと、部下は誰もいない。周りからは変な宗教に入ったかのように、色眼鏡で見られてしまう。ミシガン大学に自費で行っても、回りからは全く無視される。科学工業英語1級に合格しても実務では、全く使う機会がない部署に異動になる。会社が吸収合併されれば、今まで役員会で承認された研修が頭ごなしに否定される。

 

費用

 研修にかけた上記の費用は、直接費用だけであるが、学習に費やした時間をお金に換算すると膨大になる。企業として考えると、人件費として1時間1万円の費用がかかる。そう計算しないと、企業として成り立たない。1日8時間、365日を資格取得の受験勉強に当てると、時間コスト1万円の計算で、1年間で2,920万円の己に対する投資となる。それを数年続けたのなら、合否は別にして、学んだことが自負となる。それが学びの財産である。

 

資格とは単なる入門証

 たとえ資格を取っても、それはその分野の入門許可証をもらったに過ぎない。その道で、資格を取らずに数十年も修行をしているプロから見れば、ヒヨコである。その資格がなくても、実務で資格者以上に稼いでいる人も多い。資格を取ればそれで終わりと思っている輩が多い。若造が記憶力だけを頼りに資格を取っても、実務者には勝てまい。その資格試験も、多すぎる受験者を落とすための試験であることが多い。落とすために、ひっかけ問題が多い。そうしないと、落とすのが目的の試験問題作成官が、上司から怒られてしまう、失業してしまう。受験生が増えるにつけて、そんなひっかけ試験問題が多くせざるを得ないようだ。そうなると段々とその学問の本質から離れていく。学問は実務を多くこなさないと、本質はつかめまい。資格は飾りである。

 

悩みからの解脱

 その悩みから解脱したのは還暦後である。多くの研修を受けてきて良かった、その効果があったと思えたのは、10年後であった。学んだ当初は、何か掴みどころが感じられないが、10年も飽きずに続けると、それが血となり肉となっているのを実感する。どんな学びも、その効果が出るのは10年後と覚悟して学ばないと、挫折をしてしまう。挫折では、やったことが無駄になる。それが還暦を迎えて悟ったことだ。それを無駄にせず、学び続けてよかったと、今にして思う。私は団塊の世代の最後の年代である。多くいた同期の仲間が、いつの間にか回りから消えていた。多くの仲間は、不本意な仕事に回されたり、辞めたり、出向させられていった。私は最後まで会社に残れて、意図通りの仕事が出来て幸せであった。それは学び続けたためだと思う。

10年前の種が花咲いている今

10年後に花咲く種を植える今

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-07

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磨墨智 620. 神様は上から見ている

 天知る、地知る、汝知る。自分が何をしているかは、天は観ている、己も知っている、地獄の閻魔大王も閻魔帳をつけながら見ておられる。見ている人は観ている。自分の行動を一番、よく知っているのは自分である。その努力の結果は、自ずと決まる。自分を助けるのは自分である。ん年後に閻魔大王様の前で恥ずかしくないようにしよう。

 ん年後の薄れ逝く意識のなかで、95年間の出来事が、走馬灯のように走り逝く。そこに後悔の念を起こすまい。満足した出来事が浮かべば、良い人生だったと満足できる。素晴らしい人生ではなかったかも知れないが、素晴らしい生き方をした、と自分を褒めてあげられるようにしよう。

観字学生菩薩

 図1は2013年9月28日8:55、大垣市立図書館開館前(9時開館) に玄関の前で、時間を惜しんで参考書を広げる中学生の姿である。学期末試験の直前の先週土日は大勢の学生(約50名)が開館前の玄関前で行列を作っていた。160席の学習室が満席であった。しかし今日の28日は3名の学生が待っているだけで、試験が終ったので現金なものである。先週の大混雑が嘘のような1週間後の土曜日朝の風景である。

 この方を「観字学 生菩薩」という。菩薩とは涅槃・真理を求めて修行中の仏の姿である。私は神様になって、菩薩様を上から眺めた気分である。いい姿を見せてもらった。この子達が将来、私の年金の原資である税金を多く納めてくれるはずである。年金菩薩様である。感謝。私も生涯現役で頑張らなくては。

 

図1 図書館開館前 に玄関で参考書を広げる中学生

 

2017-08-07

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「桜田門外ノ変」の検証 (7/25)護衛

(5)護衛のリーダーの位置 ――

 襲撃隊が計画どおり、単筒の発砲を合図に列の先頭に切り込むと列は乱れ、予想通り井伊直弼の駕籠の周りに大多数の護衛はいなくなった。これは護衛隊のリーダーに、危機管理意識が薄かったことを示している。この場合の護衛のリーダーの役目は、常に全体に目をやって、どこが問題かを観察しなければならない。

 これは示唆に富んだリーダーのノウハウである。戦闘機の編隊の隊長(リーダー)は組織の全員の状態が、常に見渡せる状態に位置する。戦闘機での編成でも、最初に先頭を切って敵に突っ込んでいくのはリーダーの役目ではない。それは単なる突撃隊の軍曹の役目である。戦闘編隊での真のリーダーは、全機が見渡せる編隊の斜め上に位置して、全機の状態を見ている。それでこそ何かあれば、自らが助けに突っ込んでいける。

 

私の失敗

 昔は私も勘違いをしていて、先頭に立つことがリーダーの役目だと思っていた。あるプロジェクトで、信念をもって先頭に立って突き進んでいくのだが、ふと後を振り返ると、部下達は誰もついて来ていないことを発見して愕然とすることが多々あった。それでは組織はうまく統率できない。リーダーの役目は常に冷静に全体を見渡し、状況の変化に合わせて的確な指示、対応をすることにある。そういう意味で、課長職は難しい立場だ。実務者であり、統率者でもある。

 トヨタ系の某会社の管理職から弁理士事務所として独立した人から聞いた話である。「元の職場(その某会社)では、課長職は実務は全くしない。じっと部下の観察をして、その悪いところを指導する」という。「だから貴方の会社(私の前職)は発展しないのだ」と言われた。一理はある指摘であった。リーダーの位置づけは、会社の規模と考え方で変わるが、リーダーの位置づけの認識が異なっていた。当時の課長職の私は、実務者としても走り回っていた。50年前は、その会社は私の前職の会社よりも格下と見なされていたが、現在ははるか格上の会社に変貌している。その会社を格下と見なしていた己の会社は消滅した。

 

大雪への備え

 また当日は、数十年ぶりの大雪であった。そのため、護衛の武士たちは刀に雪がかかるの防ぐ束袋を付けいた。その束袋を取りはずす一瞬の間に、護衛の武士たちは切られてしまった。接近戦での刀での勝負は一瞬で決まる。大老への種劇など今だかってなかったので、危機意識が希薄になっていた。それを襲撃側は突いてきた。

 季節外れの突然の大雪で、極寒の中、護衛の武士たちは、襲撃にあっても体がすぐには動かなかった。それに対して、大雪でも予め体を温めて、待ち伏せをしていた襲撃側には、万全の体制で襲い掛かることができた。護衛のリーダーが、その役目を全うしても、井伊直弼公の死は避けられなかった。仏さまがそう仕組んだとしか思えない状況である。

 図1 「桜田門外の変」時の供揃図 『彦根市市史』より

 

2017-08-07

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