2017年8月15日 (火)

インプラント 31(謙虚)

3.31 謙虚であるか

研修終了証を誇示

 一流の人は、決して自分のことを誇示しない。一流かどうかは、世間が評価してくれる。しなくても、それとなく分かる。一流の人は謙虚である。それが本当のプロである。それ故、それを誇示する医院は、要注意であるとの信号となる。それが人を見る目、会社経営を見る目の眼の付け所である。この項目は、医院に限らず人や企業の選択の経営判断にしたい。名刺で、多くの名誉職の肩書きが列挙された人は、信用が置けないのが常識である。名刺とはその人物を表す看板である。名刺をみれば人物が分かる。私は名刺占いを趣味としている。

 私が通った歯科医院では、米国大学でのインプラント研修修了書や大学修了書(多分)等を、待合室の壁に8枚も掲示してあった。この行為は見せびらかしである。小さい字なので、遠くからは読めないので、掲示物の内容は推定である。読めない掲示物は無意味である。この種の研修は1日の研修もあれば、100時間に及ぶ研修もある。小さな文字の英文証明書では、少しはなれた場所に掲示されれば、内容は判別不能である。

 他の医院にもいろいろと通っていたが、こんなに多くの修了書を掲示してある医院は見たことがない。修了書はその研修を受講したとの証明であって、一定の技量を保証するが、一流を証明する証明書ではない。お金を出せば誰でも講習は受講できる。

 

他院の状況

 自分が通っている眼科医は他の眼科医が誉めるくらいの名医であるが、「眼科専門医」との名札が診察室の前に掲示されているだけだ。これは国の認定である。世界的名医である三好輝行先生の眼科にもこの種の表示はない。米国白内障学会コンペでの史上初の2度目のグランプリ受賞は掲示があった。これは名誉なことで広報すべきことだ。

 

2017-08-15

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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おみくじは一回で

 私は占い好きで、以前は必ず年2回、お宮さんに初詣に出掛けて、それぞれでおみくじを引いていた。一回目は元旦に実家のある大垣の八幡宮大社で、もう一回は、1月初旬の熱田神宮である。でも最近、おみくじを2回引くとは、ご神託に不信感を抱くことと気がついた。とりもなおさず、おみくじの神様を信じていないことに。最初に大吉なら、もう一回出れば間違いないはずと思い、2回目を引いてしまう。最初が凶なら、今度こそは大吉をとの思いで引く。それでは何のためにおみくじを引くのか? まるでポーカ遊びである。最近は、この世に起こることは全て必然だ、と感じている。大吉が出るのも、大凶が出るのも必然だと。

 

過去果、現在果、未来果

 仏教用語に「過去果、現在果、未来果」という三世の言葉がある。今の結果は過去に幾多の連綿とした選択の結果である。今の行動・決断・考えが、未来の結果になるという意味である。おみくじはその結果の象徴です。その現在の状況をどう判断するかが問われているのだ。要は、その出た卦をどう認識するか、だ。

 

 今が好調でおみくじが「大吉」なら、その有り難さを感謝して、反省はないか、確認して進めとのお告げである。おみくじが「大凶」なら、自身の行動を反省する。このままだと大凶になるぞとのお告げ。

 今が不調でおみくじが「大吉」なら、自身の行動を反省して、自信を持って決断前進せよとのお告げなのだ。おみくじが「大凶」なら、神様はお見通しなので、ご指示に従って行動せよとのお告げだ。

 神様も知恵者でいたずら好きです。最初が「大凶」で、もう一回おみくじを引く不届き者には、「大吉」を提示して安心させるかもしれない。そして本人は油断して、危機に陥る。でもそれは失敗の練習をさせて、成功への階段を一段上がる練習をさせるとの神様の深慮遠謀なのだ。神様株式会社は各出先で、品質保証をした商品「おみくじ」を配付している。2回もおみくじを引くのは、神様に不敬もはなはだしい。一回目で出たご神託を謙虚に受け止め、それに対して、この一年、どうするかが神様から問われている。神様は助けてはくれない。見守るだけだ。助けるのは自分自身なのだ。

 

組織としてのおみくじ

 日頃のリーダーの行動に問われる問題です。1回、2回とある事象が起こり、「凶」との信号が出るのだが、それを「吉」との都合のいいデータが出るまで、その信号を棚上げすることがよくある。都合のいいデータが出て、安心して「凶」のデータを忘れる。リーダーとして悪い情報は信じたくないのだ。そしてしばらくしてから組織が危機状態に陥る。まず謙虚に悪いデータを検討し、過剰でもいいから対策を考える。そうすれば、雪印乳業食中毒事件、三菱リコール隠し、タカタのエアバック事件は起こらなかった。

 

裸の王様

 社長の貴方は、良いデータだけを待っていませんか。それでは裸の王様である。そういうリーダーの元には「吉」のデータだけを報告する部下が集まる。そういう風に、部下を日頃の自分の言動で暗黙の教育したのだから。それこそ因果因縁である。そして、記者会見の場で、「凶」の報告が飛び出し、「その話は本当か?」と部下に聞く失態を見せるのだ。食中毒事件での雪印乳業社長のように。裸の王様を笑える人は幸せである。リーダーになれば、多かれ少なかれ、裸の王様になってしまう。そうならないことがいかに難しいか、それに気づくかどうかである。

 我々は、回りから多くの情報を「おみくじ」として受け取っている。それが己に対する上司、部下、同僚のからのお告げなのだ。自分の行動、部下の行動は正しいのか、間違っているのか、相手の些細な語調、しぐさから、それをおみくじ(情報)として、素直に受け取れる人が真のリーダーなのだ。

 

トヨタのおみくじ  前工程は神様  

 トヨタ生産方式の言葉として、「前工程は神様、後工程はお客様」がある。人のことより、自分ができることをお客様(後工程)のために全力を尽くせ、だ。自分の気づかない点を、指摘してくれる方が、神様なのだ。神様に対して、文句をいうのは不遜だ。自分のできることを精一杯する。それがお客様(後工程)に対する貢献となる。貢献に対するご褒美が、会社の利益、個人の給与なのだ。どうせ神様には逆らえない。そうやって、謙虚にカイゼンにカイゼンを重ねて、トヨタは勝ち組みになった。前工程(お客様)の要求が理不尽だ、横暴だ、無理だ、と言っていた会社が、負け組みになっていった。そしてそんな会社は、環境が悪い、時期が悪い、従業員が悪い、いや社長が悪いと、己のことは棚上げして言い訳だけを言う。そして市場から淘汰されていく。

 

天のおみくじ

 ダーウイン曰く「環境変化に対して最も素早く対応できた種だけが生き延びる」。日本にはもっと美しい言葉がある。「落葉一枚天下の秋を知る」。これもおみくじと同じだ。そのように解釈できる人が感性のある人である。環境変化こそが、社会からの「おみくじ」なのだ。神様(前工程)からの一言が「おみくじ」なのである。その一言にビジネスチャンスが埋まっている。その一言やささやきを聞き逃す人に、神様は冷淡である。運命の女神には前髪しかない。「おみくじ」が来ても、運命の女神の前髪を、一回目で掴まないと、通り過ぎた後では遅いのである。女神の後頭部ははげている。

神様代行に昇格

 今年(2003年)から、私は年初のおみくじを1回だけにした。今(2017年)は、おみくじを引かない。その年が「大吉」になるように、何をやるべきか、何を止めるかを年初に決めて、その年を驀進する。神様の代行を務めるつもりで働いている。

 

2017-08-15

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外の常識は内の非常識

 「足るを知る」、「生きとし生きるものを慈しむ」という仏教の教えは、日本国内だけに通用する。日本外の世界は魑魅魍魎、弱肉強食の世界である。それは昔の植民地強奪競争時代ではなく、現代でもまかり通っている。周辺の国は危機に陥ったときを虎視眈々と狙っている。日本国内の常識とは別に、外の世界は別に価値観で回っていると認識しないと、国が滅びる。非武装中立は机上の空論である。武力を持たない仏教国のチベットは、中共に侵略され国体が破壊され、人口の20%(日本の人口に換算すると2,000万人)が虐殺された。ダマイ・ラマ師は亡命を余儀なくされた。過去70年間で、180以上の国が消滅した。話せば分かる衆生が住む日本にいると、道理が通じない金に飢えた野獣が跋扈する世界を忘れてしまう。時に身を炎に包まれながらも、105年間、目の前に展開する事実を見てきた室村町四丁目地蔵菩薩尊のように、冷酷な世界を冷静に見つめたい。助けると見せかけて、将来の侵略の作戦を密かに練っている外敵がいたし、今も虎視眈々と日本を狙っている鬼がいる

 下記の産経ニュース「湯浅博の世界読解」に考えさせられた。関東大震災(1923年)から20年後、米国は救援時に収集したデータから、1944年から本格化した日本本土空襲作戦の焼夷弾使用を立案した。

 

湯浅博の世界読解:

 2011年3月、東日本大震災の際に米軍はいち早く2万人動員の「トモダチ作戦」を展開した。中国は15人の救援隊を送ってきたが、1週間して帰国した。入れ替わりに軍艦を尖閣諸島に送りつけてきた。

 菅直人内閣の動きにロシアは「日本は御しやすい」と判断した。ロシアの空軍機は、「放射能測定」を理由に日本の領空ぎりぎりを飛び、中国の艦載ヘリは尖閣沖の海自艦に異常接近して、復旧の邪魔をした。

 香港の「東方日報」は地震発生の1週間後、尖閣を奪取すべきだと指摘した。「日本が大災害で混乱しているこの機会が絶好の機会である」と本音を吐いた。

 内紛や天災で国が乱れると、そのスキを突いて敵対勢力がなだれ込むのは国際政治の過酷な現実である。腹に一物ある周辺国は、危機に陥った時の日本の危機管理能力をじっと見ている。それが有事にも直結するからだ。

 関東大震災(1923年)の際、救援の外国勢と裏では虚々実々の駆け引きをしていた。日本海軍は地震発生とともに、国内3つの鎮守府から艦艇が急行した。連合艦隊が東京湾に向かった。このとき黄海にいた米太平洋艦隊も震災4日後に8隻が東京湾入りして、その早さに海軍当局者は度肝を抜かれた。

 米軍の救援部隊の中には情報要員が紛れ込んでいた。驚いたことに、この時の震災と火災の関連調査が、後の日本本土空襲作戦の立案の際、焼夷(しょうい)弾使用の参考にされた(防衛研究所ニュース通算86号)。

 上記は産経ニュース【湯浅博の世界読解:震災の弱みにつけ込む国々 国際政治の過酷な現実 2016/4/25】を編集しました。

 

2017-08-15

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お金で智慧を買う

 お金を使って手に入れるのは智慧である。そのお金を使えるのが幸せである。お金を使えるのは、健康であることが前提である。その上で、体力も気力も夢もないと使えない。余命1年と宣告された病身では、お金は使えないし使う気にもなれない。お金を使える幸せを大事にしよう。そのうち使えなくなる日がやってくる。

 単にモノを買うのでは、お金を使ったことにならない。それは単に、お金がモノに変わっただけである。価値あるモノを売れば、同じ金額が返ってくる。安いものではそうは行かない。安もの買いの銭失いである。

 美味いものを食っても限度がある。立って半畳、寝て1畳、死ぬまで飲んでも1升、食べて丼1杯である。人間の体では知れたもの。それではお金を使い切れない。食べ過ぎ飲みすぎれば、病気になり、早死にである。

 

経験を買う

 お金を使うとは、体験への出費である。体験で智慧が湧く。それには時間も体力も必要だ。智慧を得うるための出費が、お金を使う行動である。学ぶ費用、師に会うための交通費、受講料、稀少価値の品の購入に智慧を費やす行動、出費が相当する。その過程で智慧を出す訓練が出来る。お金を賢く使うために、受け入れる器を大きくすることだ。貯めるばかりの人生は、小さな器の人生。入ってきたお金を世間に旅ださせて、そのおこぼれをあずかる気持ちで丁度よい。それを自分の所で止めて、貯めるからお金が腐ってくる。お金は生鮮食品である。気持ちよく旅出させてあげれば、お友達をつれて帰ってくる。目先に囚われて、出し渋りをすれば、相手も嫌気がさして去っていく。損をして得を取れである。

 高いものにはワケがある。高いものには創った人の魂がこもっている。お金を使うとは、自分の夢の実現のための投資行動である。20年後を夢見て、今の自分に投資をする。そのためには学びの器を大きくすること。学びに限度はない。学んで成長すれば、器も自然と大きくなる。不健康な器では、何も入らない。

 

智慧の披露

 学んで一杯になった器は、世間に披露しないといけない。日々、その舞台で自分の学んだ智慧が試される。会社での各場面が能舞台であり、仲間が観客である。果物屋の店頭が人生舞台で、来客がご祝儀である。そこでどんな演技をするのか、そこに自分の器に入れてある智慧が試される。商売では、その演技に失敗すると客は二度と来てはくれない。

 智慧は出し惜しみしてはダメである。どうせ持ってはあの世に行けない。智慧は出せば出すほど、自分にご褒美として帰ってくる。智慧を出す能力が磨かれる。

 

人生舞台で被る仮面

 人生では人が仮面を被って人生劇場の役者を演じている。ある人は教師を、ある人は警察官の仮面を被って演じている。その仮面をペルソナという。ペルソナとはラテン語で仮面と言う意味である。この語源でパーソナリティ(個性)と言う言葉が生まれた。個性とは、人が被る仮面のキャラクターである。人はその仮面を見て、その人の役割を期待する。その仮面を被ったら、その役割を演じなければ人の期待を裏切る「裏切り者」である。師の仮面をかぶったら、人よりも多く精進をして、お役に徹して舞台を演じねばならない。泥棒の仮面をかぶったら、真面目に泥棒をしなくてはなるまい。それが反面教師として、世の中に役立つ。ああいうことをしてはいけないのだと世間に教えるのだ。世の中が全て善人ばかりでは、世間の理に合わない。泥棒にも三分の理があるというように、統計解析的にも3σ(99.7%)外が三分である。その中にあって、危機意識を持って対処する。それでこそ、己の善が映える。

 

人生能舞台

 人生の舞台とは、幕が上がっている間だけが舞台ではない。幕が上がるまでの血みどろな練習時間、舞台の段を上がる時の挙動、舞台を下りるときの挙動も全て人生劇場の演技時間である。観客に見せる舞台での演技は、人生の一コマに過ぎない。一刻たりとも気を抜けない。観客は見ていなくても、神様仏様そして内なる己という仏が見つめている。

 一局を舞い、舞台を下りて初めて「人生織物」での横糸の一本が完成する。人生とはその連綿とした行動の積み重ねである。観客が見ている時だけが、舞台ではない。

 お盆に墓参りに行き、ご先祖様にこの1年間で己が舞った人生舞台の報告をする。それが胸を張ってできるかである。お墓参りもできないようでは、人生も終わりである。誰のお陰でこの世に生を受けたのか。手を合わせて、人生舞台でのお役を頂いたことに感謝をしよう。

 

2017-08-15

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14

2017年8月14日 (月)

原爆投下を見つめた地蔵菩薩尊

 1945年7月29日のB-29爆撃機90機による大垣無差別爆撃で、室村四丁目地蔵菩薩尊が炎に包まれた。5日前の7月24日、東向きに建つ地蔵菩薩尊の目の前640mの場所に、米軍は広島に投下予定の原爆模擬爆弾を投下した。

 私は毎日の散歩の帰路にある大垣の被爆地の慰霊碑に手を合わす。ここに来ると日本の歴史と現代の状況を感じる。犠牲の方のご冥福を祈り「二度と日本がこんな目に遇わせられないように、我が国力を上げるべく貧者の一灯として精進します」と祈っている。この被爆の慰霊碑は、水門川沿いの大垣藩の藩校敬教堂跡に建つ孔子像の南側に、ひっそりと建てられている。昭和20年7月24日、米軍が広島に原爆を落とす前、原爆投下訓練のため、大垣市の県農業会大安支所に模擬原子爆弾を投下した。建屋は一瞬に吹っ飛び、職員は肉飛び骨散して10名が悲惨な最期を遂げた。その慰霊碑の真横に、母校の大垣北高「発祥地の碑」が建っている。その鎮魂の地蔵尊が新町浄園寺に祭られている(昭和51年7月建立)。

 

模擬原爆150回の投下訓練

 模擬原子爆弾は、広島と長崎への原爆投下訓練のため、米軍が作った重量4.5トンの爆弾で、長崎に投下されたプルトニウム原爆と同形で“パンプキン爆弾”である。昭和20年7月20日~8月14日の間、全国各地に約50発が投下され400人以上が犠牲になった。平成3年、愛知県の市民グループが、機密解除された米軍資料からこの事実を発見した。原爆開発のアメリカの現場では、日本で実験する前に、100回もその投下実験を繰り返して、完成に近づけていた。緻密な大量殺戮計画である。ナチス以上に緻密である。

 

広島と長崎への原爆投下は爆発実験

 原爆は、日本人が白人なら絶対に落とされなかった。国際法上でも原爆投下はジェノサイド(皆殺し)であり、その後ろめたさが故、米国の戦後の支援がある。ジェノサイドを認めたくないがため、米国内では下手にこの問題を掘り起こすと旧軍人会からヒステリーじみた感情で袋叩きにされる。1997年、エノラゲイ展を企画したスミソニアン博物館長は、辞任に追い込まれた。その経緯を米国スミソニアン博物館で目の当たりにした(1997年夏)。原爆開発は、巨額の政府予算に目が眩んだ拝金主義の鬼子であった。

 原爆の効果を検証するため、戦略爆撃から除外されていた広島と長崎に、米軍は二種類の原爆を投下した。ウラン型とプルトニウム型の原爆を比較するためである。米エネルギー省の出版物中では、広島と長崎への原爆投下は「爆発実験」の項に分類されている。

 

原爆開発の目的は金儲け

 この原爆開発の真の目的は、金儲けである。今のグロ-バル経済主義(拝金主義)を生んだ鬼子の親でもある。モルガン、デュポン、GEがこの原爆開発を担当して、ウラン型原爆は先に完成していた。プルトニウム型原爆の完成を待って、2つの原爆を爆発実験として投下した。万全を期すため、訓練として米国で100発、日本に模擬原子爆弾を50発も投下した。戦争を早期に終結する目的なら、プルトニウム型原爆の完成を待つ必要もなく、2種類もの原爆の爆発実験をする必要もなく、50発もの日本での投下訓練も不要である。当時、日本は戦争続行には資源が枯渇して、遅くとも昭和20年11月には降伏することが明白であり、それは日米両政府の周知の事実であった。原爆投下に反対であったルーズベルト大統領は、巨悪の都合に合わせるが如く、直前に愛人宅で怪死した。その死の状況は不自然である。

 

科学という呪縛

 原爆開発の科学者達は、徹底して情報が管理された。自分の研究以外は、何をしているのか全く分からないように、グローブスは科学者に与える情報を遮断させた。科学者は、自分に与えられたテーマだけを追い求めた。それが全体の中で、どんな意味を持つかは、聞いてはならない事項となった。科学者は自分のテーマに没頭して成果を出した。気が付くと、自分の手が女性子供の殺戮で血まみれになっていたことに、戦後、気が付くのであった。

 科学とは細部にどんどん分類していく学問である。全体像がどうなっているかは、問われない。今の現代の学問が抱える問題である。東洋の思想はそれを統合して考えるスタイルである。

 

出されなかった大統領の原爆投下命令

 そして後任の操り人形であるトルーマン大統領が、原爆投下の直接の原爆投下命令を出さないのに、軍部と政治の葛藤の合間のはざまで、いつの間にか原爆投下が実現した。ルーズベルト大統領の突然の死去で、大統領になったトルーマンは原爆開発の詳細は知らされていなかった。急遽、原爆計画責任者のグローブスから説明を受けたが、具体的な指示は何もしなかった。グローブスはそれで大統領から承認されたして、原爆開発を進めた。「準備が出来次第、順次、日本に原爆を投下せよ」と現場に指示を出した。トルーマン大統領は、ヤルタ会談からの帰路の船上で、広島原爆投下を報告され、自分が決断したとしてラジオ放送をせざるを得なかった。完全なる軍部の操り人形であった。1発目の広島は、軍事都市であるとの虚偽の報告書で、第一目標地にされた。その軍部の機械的なスケジュールに乗って、大統領の命令なしに原爆は広島に投下された。当初の第一目標地は京都であった。知日派の文官が強固に反対して、それが広島に変わった。自ら決断していない8月6日の原爆投下の結果に、狼狽えている間に、3日後の8月9日、2発目の原爆が長崎に落とされた。やっと目が覚めたトルーマン大統領が、以後の原爆投下中止命令を出した。そうでなければ、「準備出来次第、原爆を日本に落とせと」の原爆計画責任者のグローブスの軍事命令で、17発の原爆が投下の用意がされつつあった。トルーマン大統領が、正式に原爆投下を指示した書類は存在しない。それは米国を代表する7名の歴史学者が調査をして証言している。

 

軍部の成果主義

 トルーマンは、「原爆投下は軍事施設に限る」と日記に書いているが、原爆開発責任者のグローブスは、その逆に原爆の効果が最大になる都市を探していた。彼には女性子供が殺戮されることは、眼中になく、あくまで原爆の効果が最大になる場所が選定理由であった。広島は5キロ四方の先に山がそびえ、原爆の効果が最大になるから京都に代わって選ばれた。最初は京都が第一目標地で、軍部は5回も上申をしたが、政府に拒否されて、広島になった経緯がある。それも広島が軍事都市であると報告書をねつ造しての決定である。その頃になって、やっとトルーマン大統領は軍部の暴走に気が付いて、軍部を牽制しはじめたが、動き出したプロジェクトは大統領でも止めれなかった。組織の暴走の恐ろしさである。将来、ナチスを上回る無差別殺戮の責任を問われることを恐れたトルーマン大統領は、原爆が戦争を早期に終わらせ、米国人、日本人の命を救ったという嘘の「神話」を作りだし広報して、自分の道義的責任を放棄した。それを何千回も自分に言い聞かせて、1972年12月26日、27年間の「悪魔の神話」を胸に秘めて生涯を閉じた。自分で自分に洗脳教育をして、その罪を逃れたのだ。そうでもして自分を騙さないと、悪魔の己に慄いて、生きてはおられまい。その最大の被害者は米国人である。それがあるから、戦後、原爆水爆の開発が国民の意図に反して、人類を何度でも皆殺しにできる量の原爆が生産され続けた。産軍複合体に逆らったケネディ大統領は暗殺された。それ以来、歴代大統領は軍にモノが言えなくなった。米国の不幸である。

 

成果主義の強迫観念

 原爆計画責任者のグローブスが上司の許可を得ないまま原爆投下を急いだのは、単に22億ドルもの巨額の費用をかけたのに、その効果を実証しないと、戦後、その責任が問われると恐れたためである。だからその効果が最大になる都市を狙い、女性子供がいようが、彼にはそんなことは眼中になかった。その理由だけで、原爆投下の昭和20年だけでも、21万人が死亡した。成果主義による効果の金メダルである。(2017年放映 NHK広島製作 「原爆投下 知られざる作戦を追う」より作成)

 

だれが儲けたか

 原爆や原子力関係の商売は儲かる。それは福島第一原発事故の報道で明らかになった。原爆開発には日本の国家予算の3倍の金が使われた。その金は何所につぎ込まれ、誰が潤ったのか。金に目が眩むと人は死鬼衆になるのか。金儲けのためには、民族抹殺などは厭わないアーリア人のDNA が脈々と続いていた。彼らにとって、非白人は人間ではないと認識し、残虐の限りを尽くすることは歴史が示している。民族皆殺しなどの業は日本人には無縁の世界であるが、そんな鬼が身近に存在することを認識しないのでは身の破滅である。歴史に学ばない民族は滅ぶ。それを認識して人生を歩むべきである。きれいごとばかりでは殺される。日本の外側は鬼の住む世界である。

 

血のりのついたコンピュータ

 スミソニアン航空宇宙博物館にあるFAT MANのパネル説明は、素っ気無い。

「“My God,it worked. この開発が政府、大学、科学者、民間企業の総合力で遂行され、この開発のために膨大な計算がされ、その必要からコンピュータが開発された。そしてこの原爆はメキシコで実験され、長崎に投下され7万人の犠牲者を出した。第2次世界大戦はこの原爆とコンピュータの2つのブレークスルーを生み出した」

コンピュータとは原爆開発のために開発された血糊がついた武器でもある。

 

米軍の無差別空襲

 米軍による無差別空襲は、戦争法違反であり、死鬼衆としての非戦闘員皆殺し作戦である。日本人が非白人であるがゆえ、米軍が行った非道である。米軍による日本本土空襲は、1944年(昭和19年)末頃から熾烈となり、最終的には無差別爆撃(絨毯爆撃)として行われた。空襲は1945年(昭和20年)8月15日の終戦当日まで続き、全国(内地)で200以上の都市が被災し、死傷者数は各説あり100万とするものもある。被災人口は970万人に及んだ。被災面積は約1億9,100万坪(約6万4,000ヘクタール)で、内地全戸数の約2割にあたる約223万戸が被災した。その他、多くの国宝・重要文化財が焼失した。

 都市部に対しては3月10日の東京大空襲を初めに夜間に低高度(高度2000m程度)から焼夷弾を集中投下する無差別爆撃を開始した。焼夷弾空襲は耐火性の低い日本の家屋に対して高い威力を発揮し、なかでも東京大空襲では市民10万人が殺された。それも周辺を火の海にして逃げ道を塞いでから、中心部に焼夷弾を落とした死鬼衆である。

 

人殺しに勲一等旭日大綬章

 カーチス・ルメイは、原爆投下(広島・長崎)などは戦争犯罪ではないかと主張されるが、米国が戦勝国であるため裁かれたことはない。無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイ自身が「もし米国が戦争に負けていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう」と語っているとも言われる。1964年12月7日、彼は日本の航空自衛隊育成の功として勲一等旭日大綬章を浦茂航空幕僚長から授与された。勲一等は天皇が直接手渡す親綬が通例であるが、昭和天皇は親綬を拒否された。

 

パナマ文書を見届けて

 室村町四丁目地蔵菩薩尊の閉眼法要の10日後の2015年4月3日、パナマ文書が報道され149件の文書とともに発表された。パナマ文書で富裕層の租税回避が公開され世界中の政治問題となってきた。これの問題点は、全世界のGDP総額5,000兆円のなかで、富裕層の脱税行為として2,400兆円ものお金が租税回避地に隠匿されたことである。武器の死の商人の金集め、グローバル経済教の名目で、特権階級が集めたカネは世界GDP総額の半分近くに達する。富裕層が払うべき税金も払わないため、貧富の差が拡大していく。グローバル経済教とは、以前の植民地政策が金儲けを前面に出して、金儲けは良いことだと経典に刷り込んだ新興宗教である。このグローバル経済教は、仏教の「利他の心」とは対極の「利己主義」の教えである。グローバル経済教の布教の結果、貧困の拡大、貧富の格差拡大、金儲けだけの不健康な添加物まみれの食物の氾濫、戦争の拡大、難民問題が頻出している。心眼を開いて事実を観つめたい。何が真因なのかと。

 その事実が公表されたことに安堵するが如く、翌々日の4月5日、室村町四丁目地蔵菩薩尊は静かに室村町を去っていった。天網恢恢疎にして漏らさず。室村四丁目地蔵菩薩尊や「被爆地の碑」は、人間の強欲に起因する禍の歴史を教えてくれた。その証人のお役目は、大垣大悲禅院の谷汲観音菩薩に引き継がれた。

 

図1 被爆の碑と大垣北校発祥の地記念碑、向うに敬教堂跡と孔子像

図2、3 被爆の碑

図4 エノラ・ゲイ号展(スミソニアン博物館 1997年筆者撮影)

図5 リトルボーイ 広島に投下した原爆

図6 ファトマン 長崎に投下した原爆  1994年筆者撮影

 

2017-08-14

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大垣空襲の生き証佛

 105年間、地域を見守って頂いた室村町四丁目地蔵菩薩尊像は、石寅の初代藤井寅吉氏が彫り上げた。当時45歳である。図1の写真は地蔵尊が彫られた明治43年の前年の情景を現している。右後方に国宝の大垣城が写っている。貴重な写真である。米軍の無差別空襲がなければ、国宝の大垣城も燃えることはなかった。戦争は人間を死鬼衆に変える。戦争の原因は、全て人間の欲から生まれる。

 当時はまだ若かった石寅の叔母さんが、「大垣空襲当時、お堀(当時はまだお堀があった)の壁から首を出して、目の前で自分の家が燃えていくのをなす術もなく見ていて、情けなかった」と回想されていた。非戦闘員や庶民の家屋に焼夷弾を落とし、非戦闘員を殺し、家屋を焼き尽くすのは戦争犯罪である。戦勝国のアメリカが、その罪の問われることはなかった。戦争になれば、戦争犯罪の区別などの綺麗ごとなどは知ったことではない状況に陥る。そういう歴史を見据えて、今後の日本の歩むべき道を考えたい。サヨクの妄言に迷わされては国が滅ぶ。

 

谷汲山観世音菩薩像

 室村町四丁目地蔵菩薩像が「引退」されて、大垣空襲の生き証人(生き佛?)は、大垣市内では、大悲禅寺の谷汲山観世音菩薩像だけになってしまった。あとは常盤神社の神殿前の狛犬と獅子だけである。寂しい限りである。歴史の証拠は我々人類の戒めとして保存せねばならないと思う。大悲禅寺は大垣城の鬼門の方角の護り寺である。

 2017年8月14日、改めて谷汲山観世音菩薩像を撮影した。谷汲山観世音様のお顔を望遠レンズで、遠方より水平に近い角度で撮影して詳細に見てみた。いつもの下から見上げて拝顔する時とは、印象の違う優しい素朴なお顔が現れた。初代藤井寅吉氏の心が表れているようだ。室村町四丁目地蔵菩薩尊のお顔と相通ずる趣がある。お体に焼夷弾の跡が残り痛々しい。大正15年建立で、御歳91歳、寅年生れである。石寅の初代藤井寅吉氏(寅年生)の製作である。

 

図1 明治42年当時の石寅

  左から2人目、初代藤井寅吉(慶応2年生(1866))、

  右から5人目、二代目藤井寅吉(藤井惣兵衛 明治35年生)

  右後ろに国宝の大垣城(昭和20年の大垣空襲で焼失)が写っている貴重な写真。

  その横は濃飛護国神社

図2 106年後の石寅で図1の写真と同じ方向から撮影

図3 大悲禅院(大垣市寺内町)

図4 大悲禅院の谷汲山観世音像 (下から見上げて)

図5 大悲禅院の谷汲山観世音像 (望遠レンズで)

  CANON 100-400mm f4.5 IS Ⅱ

  お体に焼夷弾の跡が残り痛々しい。

  大正15年建立石寅の初代藤井寅吉氏(寅年生)の製作。

  2017年8月14日撮影

 

2017-08-14

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2017年8月13日 (日)

インプラント 30(逃げる)

3.30 三十六計逃げるにしかず

  経営判断としてダメだと断定したら、速やかに撤退するのが鉄則である。織田信長は逃げ足の速いこと神風の如しであった。それができたからこそ、命を永らえ天下を統一できた。それを決断できなかった戦国の武将(国の経営者)は、国を失い、命のなくしている。松下幸之助翁はコンピュータ創成期に、大型コンピュータの市場から撤退をした。日立も富士通もその後、多くの企業が敗退した市場である。当時散々に非難されたが、後からは正しい決断であったと賞賛をされた。現代の経営者は、正しい撤退決断ができず、被害を増やし、赤字を増やしている例が多い。最近の日本には、中国からの撤退ができない経営者が多い。学習能力がないのか、金儲けに血迷っているのか。市場への参入や、企業の規模を大きくするのは容易である。しかし、撤退や規模の縮小には、難しさが伴う。それを決断できる経営者は少ない。

 インプラント手術の危険性を認知し、手術2時間前にキャンセルして、早々に、死神が住むインプラント総本山から遁走した。逃げること脱兎の如し。決断が間違っていたかもしれないが、直前に決断した自分を自分が誉めてあげたい。

 

エピソード

 関ヶ原の戦い(1600年)のとき、大垣城が石田三成の西軍本拠地であったため、徳川家康が率いる東軍に包囲された。その時大垣城内にいた石田三成の家来山田去暦の娘「おあむ」(当時16歳前後)が、落城寸前に、城の堀をたらいに乗って密かに大垣城を脱出して戦火を逃れた。その歴史伝承に由来する「たらい舟川下り」行事が、2003年から行われている。

 この伝承にあやかり、自分もたらい舟に乗舟してその脱出の感触を体験した。去年は単なるもの珍しさで乗舟しただけであった。昨年は学生アルバイトが舟頭であったが、今年の舟頭さんは、朝日電気の取締役会長さん(75歳)であった。お宮の氏子代表や高校のOB会の総幹事も勤めてみえるとか、東京で執り行われた守屋多々志画伯(大垣出身の文化勲章受賞画家)の葬儀にも地元から参列した4人のうちの一人であるとの話しまで舟上でしていただき、ご縁の不思議さを感じた。将来、社会奉仕でたらい舟舟頭になるのも一興である。

 

図1 たらい舟川下り   2012年11月4日 09:16

図2 上の石垣は築城当時のままの大垣城の石垣

   上の建物は大垣市役所

 

2017-08-13

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己を支え、人を支えてこそ人の道

 重き荷を背負おわされるのは、佛様からの慈しみである。重いからこそ人生を歩く力が付く。受験勉強もスポーツも、頭の筋肉、足腰の筋肉をつけるには負荷をかけないと、筋肉は強くならない。自分を甘やかした生き方では、弛んだ人生しか歩めない。人生力とは、重き荷を背負ってこそ向上する。その重き荷を遠くに長く運んでこそ人の道である。

 

己を支えるのは自分

 背負う荷が重いのではない。背負う力が弱いのだ。軽くする智慧がないのだ。遠くに運ぶ知識が欠けているのだ。己の人徳がないから回りから助けてもらえないのだ。頭の汗をかいて、智慧を出す能力を鍛えてこそ、人生を力強く歩める。負荷をかけないと、極楽トンボの生活に陥り、認知症への道をまっしぐらである。持国天は国を支えている。総理大臣は国を動かしている。己は自分を支えている。天はあなたに総理大臣の仕事をしろとは言っていない。それに比べれば、凡人の持つ荷など軽いもの。己を支えるのは自分である。天は自ら助けるものを助ける。東西の教えは同じ事を言っている。

 

智慧ある仕事

 μとは仕事と大地(世間)との滑り摩擦係数。仕事量ロスを減らすには、摩擦係数を小さくすれば良い。摩擦係数を小さくする技が、知識であり、智慧である。人と人との間の摩擦を減らす潤滑剤は笑顔である。苦渋に満ちた顔つきで力任せに運んでも、笑顔の智慧を使った仕事には及ばない。己が非力ならば、みんなの力を借りて智慧を出せば、大きな仕事ができる。

 一人で運ぶから大変なのだ。一人で荷を持つから、遠くには運べない。重い荷はみんなで運べば、遠くに少しは楽に運べる。笑顔があれば皆が協力してくれる。みんなで協力して運べば、重い荷も軽くなる。

 

組織の力

 松本明慶先生が、一人で悩んでいた岩田明彩師に言った言葉、「何を一人でもがいているんや、みんなそばにいるぞ。みんなを信じてもっと頼りなさい」。仲間は人生の宝である。身の回りには宝が一杯ある。宝が目の前にあるのに助けてもらわないのは、米蔵の前で餓死するようなもの。己の心を開き、人生の門を開けば、みんなの笑顔が出迎えてくれる。赤信号、みんなで渡れば怖くない。重い荷物、みんなで持てば軽いもの。それが組織の力である。

 人は及ばないから、少しでも良くなろうと努力をする。金も力も有り余ってあれば、努力などしまい。そうなれば堕落の道しか無い。及ばないから、みんなで足りないところを補い合ってこそ、人間社会である。人に頼むのに躊躇するのは、己の我があるからであるだ。我を無くせばうまく行く。

 

仕事量Jは下記の式で表される。

  J=μ×W×L

     μは摩擦係数

   Wは仕事の重さ

     Lは運ぶ距離

 

楷の木とは

 「皆」とは「比」+「白」からなり、「比」とは人が並んでいる様を表し、「白」は、モノを言う意味と、人が声をそろえて言うの意味から、みな、ならぶ、とも、の意味を表す。「偕」とは、「人」+「「皆」で共にするから、「つよい」である。一人の人間は弱いが、皆が集まれば強い組織となる。力ある人は我を張らない。我があると揃わない。「喈」は「口」+「皆」で、人が声を揃えて言うで、気心が揃って和らぐの意味を表す。「楷」とは「木」+「皆」で、枝や幹が正しく並ぶ木の名を表す。転じて整った手本の意味を表す。曲阜(山東省)の孔子廟に子貢がみずから植えたといわれる木の名である。

 「楷の木」が大垣市スイトピアセンター内の図書館横に植えられている。学名「トネリコバハゼ」、和名「久志能幾」と言う。中国山東省曲阜の聖廟に、孔子の高弟子貢の手植えの「楷の木」二世が、今も鬱然と繁り紅葉するところから黄連樹とも呼ばれる。この公園に植えられた樹は、曲阜聖林から採取発芽させた東京湯島聖堂内苑の樹から取り木された唯一の木で、学問文化に深い由緒をつなぐ名木である。

 

楷の木とのご縁

 この樹は戸田公入城350年(昭和60年・1985年)を記念して、大垣文化連盟が、スイトピアセンター内の公園に植樹した。封建時代の藩主を称えて植樹されるのは、戸田公が大垣の学問文化の発展に多大の貢献をされ、その威徳が未だに輝いている証である。1985年は、私が初めての海外体験としてスウェーデンに4ヶ月間の出張をした年である。

 この樹は春には緑豊かな葉を飾り、夏は蝉の抜け殻を抱き、秋には紅葉が鬱然と繁る。冬は全ての葉が落ち、まる裸となる。それは次の春に向けて内部蓄積をする姿でもある。人生の春夏秋冬を表している姿は、一つの教えである。

 

図1 摩擦係数と力

図2~5 楷の木の春夏秋冬

 

017-08-13

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2017年8月12日 (土)

インプラント 29(人食い種族)

3.29 人食い種族の儀式 

 インプラント手術の正式キャンセルを電話で院長に通告したら、「そんな大事な話しは電話ではできないので、来院されたとき話し合いましょう」と言われて、イヤイヤ歯科医院に「出頭」した。しかし、その場でキャンセルの件の詳細な話し合いはなく、ただキャンセル料金の話しだけであった。「ではブリッジにしますか」との問いかけに、「しばらく考えさせて欲しい」とその場は取り繕った。院長が、「これが完成したサージガイド(手術ドリル用のガイド)ですよ」とその封を切って取り出し、「こうやって歯にかぶせるのですよ」と残念そうに(?)(金を生むカモに逃げられたから?)、私の口の中に押し込んだ。私はインプラントを止める決断をして、来院しているのだから、そんなものは見たくもなかった。それを無理やり口の中に押し込まれて、鳥肌が立ち極度の不快感を味わった。治療椅子に座らされているので、拒否もできない。

 

少年雑誌の記憶

 その時、自分が小学生の頃(55年程前)、当時の少年雑誌『週刊少年サンデー』か『週刊少年マガジン』の記事で読んだ記憶が急に蘇ってきた。その記憶は、人食い種族が獲物の人間を杭に縛り付け、そのご馳走の周りで踊り狂っている情景である。そして人食い種族たちが、食べたい部分に印をつけて舌なずりをしている。歯科医の行動は正にその儀式のようだと思った。そういう情景を思い出させる行為であった。人の気持ちを慮ることのできない歯科医である。

 

鳥肌が立った不要な行為

 その前回の検診時には、部下の歯科医が「サージガイドができました」と、私の口にサージガイドを挿入して、「こうやってドリルで穴を開けるのですよ」と嬉しそうに穴を開ける仕草をした。単に型が合うことを確認さえすればよいのに、不要な言動である。嫌な思いを味わったが、その同じ行為を院長は再現したので鳥肌が立った。部下が確認していることを、かつ手術を取止めたのであるから、全く不要の行為である。手術取止めの患者にこうした行為を行うのは、異常である。歯科医としてインプラント手術をやりたくて、やりたくて仕方がない、キャンセルはとても残念だとの感触が伝わってきた。患者にそんなことを行えば、患者はどう思うかなどには考えが及ばない。普通の患者は手術に恐怖心を持っている。患者はできれば全身麻酔で、意識のない状態でやって欲しいと願っている。開腹手術を受ける前、「こんな風にお腹にメスを入れるのですよ」と手術前デモを患者に行うようなものだ。その異常さが明らかだ。そのサージガイドを「記念に」どうぞ、と渡された。「記念に」か、と複雑な心境で受け取って帰宅した。その歯科医院へは二度と行かない。

 

正財と偏財

 職業は四柱推命学的に、正財と偏財に分類される。正財とはものを作り出す農民や職人の職業である。偏財は、学問、医学、政治、兵士たちの職業である。正財の仕事は、世の中に対する生産である。偏財の職業は、正財をサポートして、その対象がマイナスにならないように、マイナスになった対象をもとの戻す仕事である。あえてマイナス分を、力を込めて掻き回すのはやり過ぎである。そこにインプラントの異様さを感じた。偏財は、本来、自らから管理して、律するするもので、それが出来なくなると限度無く暴走する。今回のインプラント騒動のように。

 

図1 私のインプラント手術用のサージガイド

 

2017-08-12

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人生深山の峠を降る

 芭蕉の「奥の細道」の旅は、最上川の急流を舟で下り、霊山巡礼登山で旅の峠を迎えた。芭蕉は、山岳信仰の霊山で知られる出羽三山の一つである月山に登った。元禄2年(1689年)6月6日、頭を白木綿の宝冠で包み、浄衣に着替えて、会覚阿闍梨と共に、宿泊地の羽黒山南谷の別院から山頂までの8里(約32km)の山道を登り、弥陀ヶ原を経て頂上に達した。時は既に日は暮れ、月が出ていた。山頂の山小屋で一夜を明かし、湯殿山に詣でた。他言を禁ずとの掟に従い、湯殿山については記述がない。唯一、阿闍梨の求めに応じた句として、「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」で秘境の感銘を詠んでいる。現代でも、湯殿山での撮影は禁止されている。

 

行尊僧正の歌の哀れも爰に思い出て猶まさりて党ゆ惣て此山中の微細行者の法式として他言する事を禁ず。よって筆をとどめて記さず。坊に帰れば、阿闍梨の求めによりて三山巡礼の句々短冊に書く。(松尾芭蕉『奥の細道』)

 

 『奥の細道』の作風は、この峠を境に雰囲気が大きく変わる。芭蕉三百年恩忌(1994年)で『奥の細道全集』(上下巻)を揮毫された馬場恵峰師も、この峠の記述を境に巻を分けて構成された。

 

吾が人生の深山

 小さな人生にもドラマがあり人生の峠がある。しかし、その峠にもたどりつけず鬼門に入った仲間が身近で10名余にも及ぶ。私も還暦を迎えて、無事に人生の峠に辿り着けた有難さを強く感じる。還暦を迎えてからも仕事仲間の5名の訃報に接した。還暦は人生の峠である。

 人には、語れぬ人生の深山がある。人生で、いつかは足を踏み入れねばならぬ深山である。芭蕉は死者としての白木綿の宝冠で包み浄衣に着替えて、山に入った。人は経帷子に身を包み、人には見せられぬ醜い自分を見るために、山を登る。人生で一度は越えねばならぬ峠である。その峠で、過去の自分の臨終を見送る。

 死者として深山を上り、新しく生まれた赤子になって、上ってきた山道を下る。「他言を禁ず」の戒律は、人には語れぬ醜い己の臨終への佛の経なのだ。峠を下れるだけ幸せである。峠を下れずに、山腹で骨を埋める仲間も数多い。自然が唱える不易流行の経の声を聴き、己が神仏に生かされていることに感謝を捧げる。

 

 

図1 馬場恵峰師と『奥の細道全集』 2011年4月2日撮影

  『奥の細道全集』の撮影のため、初めて先生宅を訪問した。

 

2017-08-12

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