2017年10月 3日 (火)

松下家墓所へのお参り

 松下幸之助経営塾のOB会が、高野山開創1200年祭の期間中に高野山で開催されるご縁があった。2015年4月24日、松本明慶先生が造仏された開眼後の四天王像を撮影する目的も兼ねて、泊り込みで高野山にでかけた。

 高野山に行く途中の和歌山市で、松下幸之助翁のお墓に寄り、経営塾の仲間全員でお墓参りをした。松下家のお墓は、広い墓地に上品なたたずまいで建立されていた。この近辺は、松下家の土地で一部を松下公園として市に寄付をされている。その横に松下幸之助翁誕生の碑が立っており、その碑文の主がノーベル賞受賞の湯川秀樹博士であった。

 

松下幸之助翁のお墓

 松下家のお墓は、広い敷地に上品なデザインで簡素なお墓が建立されていた。気品が漂っている素晴らしいお墓である。しかし松下家のお墓は全体のデザインには品があるが、難点が墓石の材質である。墓石はアメリカングレーという石で、高価ではあるが、柔らかい石である。墓石の加工中にそれを見た人が、「なぜ幸之助さんともあろう方の墓石が、あんな石なのか」と業界で話題になったという。この墓地の設計は松下家に出入りをしているゼネコンが取り仕切り、傘下の輸入代理店の関係で、アメリカングレーという石になったようだ。ゼネコンの担当者が、石に対して無知であったようだ。

 

プロの無知が露見

 墓参りをした日が、たまたま雨上がりの翌日で、墓石が水を吸って色が変わっているのが写真から判別できる。硬い石ではこんなことにはならない。その道のプロとして知らないとは恥ずかしいこと。柔らかい石は、雨で水を吸い、冬季で氷点下になると吸い込んだ水が凍結して、石を痛める。

 後日、石屋さんから色々と石の知識を教えてもらい、松下家へのお墓参りをしたご縁に感謝をした。不思議なご縁である。お墓にお参りした日が、雨上がりの日でなければ分からなかったご縁である。

 

後日談

墓所の入り口に名刺入れがあり、そこに自分の名刺を入れた。後日、松下家から丁寧な墓参りのハガキの礼状が届いた。流石である。

 

図1 松下家の墓所

    水を吸っているのが分かる

図2 松下幸之助翁誕生の碑

図3 松下公園

 

2017-10-03

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2017年10月 2日 (月)

魂の会話という演奏会プロジェクト

 2017年9月29日、「世界で一流の音楽を楽しむ会」主催のドイツトップチェリストの「TIMMコンサート」が大垣市音楽堂で開催された。私はスタッフの一人として、写真撮影・ビデオ撮影を担当した。プロの演奏を相手に、本格的な撮影・ビデオ撮影は初めての経験であった。その過程でリハーサル中の演奏家の行動がレンズ越しに垣間見えてよき経験となった。今までの人生でも、なかなかこんな機会はない。

 2年前も同じTIMM親子と河村先生の演奏会であったが、それから場数が増え、私のクラッシックの造詣が少し深くなり、今回のリハーサルの見聞を、レンズを通して見て、いろんな面が観えてきた。

 リハーサルでは、フルサイズCCDの一眼レフに、100~400mmズームレンズを装着して最後列席から約300枚を撮影した。しかし本番では一眼レフのシャッター音が問題になるので、本格的な撮影は遠慮して、無音の小型デジカメで数枚の撮影にとどめた。リハーサルで、しっかりと撮影出来て良かったと思う。現在、無音シャッターのカメラを手配中で、10月10日前後に入荷予定である。次回の演奏会には間に合いそうである。

 

デュエット演奏

 「デュエット演奏とは、二人の音楽家が楽器を媒体として作り上げる魂の会話プロジェクトである」が今回、私が体得した演奏会の定義である。そのプロジェクトは試行錯誤の産物で、一つひとつ、丁寧にお互い音を確認しながら作り上げる芸術作品なのだ。一人の音楽家の出す音は、魂の響きである。魂とは己の内なる「鬼」が「云う」と書く。己の魂の叫びをピアノなりチェロに託した音を響かせる。

 ピアノが「タタタッタ…….ターン(どう? 美しいでしょ?)」と鍵盤をたたくと、チェロが「ビンビン ビーン(そうだね、ぼくも同感だ!)」と会話をするが如くに音が流れるのがデュエット演奏である。交互に魂の会話を交わすのが、美しいハーモニーになってくる。美しくなければ、魂の会話が成立していない。

 

リハーサル

 リハーサルでは、TIMM息子がピアノの位置を観客席側に50センチ前に出すように指示をした。最初の位置では、舞台が広すぎて、客席から見て奥過ぎると言う。そこまで気を使ってのリハーサルである。

 TIMMパパは、TIMM息子と河村先生のデュエット演奏を観客席から聴いて、アドバイスをしている。それも観客席の場所を2回変えての助言である。

 リハーサルでは、3人が会話をしながら、演奏の微調整を繰り返し、それがすぐどう演奏に反映されて、変化したかが、わかるので興味深かった。3人が、「ここはもう少しテンポよく、もう少し強く、アレグロで、この間を強調しよう」とかの会話をしているようである。2人が小フレーズを演奏後に話し合いをして、すぐそれが演奏に反映される。それも目で合図をしたり、直接相手の所に行き、楽譜で示しての微調整である。

 

本番演奏

 「本番では、完成された演奏であり、その苦労のプロセスは見えない」と素人の私は思っていたが、実際は上手くいくかどうかは賭けで、上手く行く場合もだめな場合もありと河村先生から教えられた。人生と同じで、本番で練習通り、理屈通りにはいかないようです。それが人生の面白さでもあるのだ。今回、河村先生の本音を聞かせて頂いたのも大きな学びであった。今回、そのリハーサルの一部始終を見聞できたのは幸いであった。どんな人生のプロジェクトでも、一人では完成しない。共に戦う仲間との会話と魂のぶつかり合いがあって、素晴らしいプロジェクトが完成する。人生演奏は、いつも本番の演奏なのだ。主役は己である。ダメでもともと、チャレンジを続けていきたい。

 

図1 TIMM親子 Juernjakob Timm、Juernjakob Timm

図2 Juernjakob Timm と河村義子先生

図3 ピアノの位置を変更

図4 Juernjakob Timm と河村義子先生

図5 Andreas Timm と河村義子先生

図6 Juernjakob Timm と河村義子先生

図7 Andreas Timm と河村義子先生の極秘会談

図8 TIMMパパのアドバイス

図9 客席で二人を見守るTIMMパパ

図10 Andreas Timm から河村義子先生へ極秘指令

図11 席を変えた場所で聴き入るTIMMパパ

図12 開幕での河村義子先生の挨拶

図13 本番でのJuernjakob Timm と河村義子先生

図14 本番でのTIMM親子と河村義子先生 

 

2017-10-02

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学ぶとは自分探し

 学ぶために記憶するとは、単に個別の項目を覚えるのではない。個々の項目と他の項目の関連を学ぶことなのだ。本を読んで新しい知識を得るのは、今まで学んで構築した脳内のネットワークを強固なベースにする手段である。単なる一項目を覚えても、人生では何も役立たない。それが自分の人生とどういう関係があるかまで、掘り下げて学ぶことが学問である。単に覚えることは受験勉強の抹消の技でしかない。学ぶ以上は、自分自身の癖や性格までを直さねば、本当の学問ではない。受験勉強はその入り口での練習なのだ。

 

科学

 科学の「科」とは、「禾」偏に「斗」と書く。稲を収穫して、それを秤で計測することを意味する。科学は幹を枝に分解して、枝を葉と花に分解し、花を花びらと雌しべに分解し、細かく細分化して本質を究明する学問である。現代は、余りに細分化しすぎてがため本質を見失いがちになっている。病気になり西洋医学がその病名を探求し治療法を開発するのだが、病気は治りました、病人は死にましたということも起こりがちである。

 経済を究極に細分化した果てがグローバル経済主義で、理論的には正しく、個別には成功するが、社会全体は不幸になる理論である。個人主義の欧米では、経済万能主義に行き着き、これに邁進中である。ねずみが集団となり、狂ったように暴走していき、海に突っ込んで行き全部が滅亡する様を思い描いてしまう。

 

哲学

 哲学や宗教、そして東洋思想は、その末端からその根源に向ってその源を探る学問である。木を見ず森を見て、その本質を究明する。東洋医学は西洋医学と違い、その病気のもとになった原因を探し、元から治していく治療方法である。

 歴史を学ぶとは、人間の営みを学ぶことである。2000年前の人間の行動と現代人の行動に、差などはない。史記、十八史略、三国史、ローマ史を読むと、人間の行動は変わっていないことが良く分かる。

 

経営

 経営とは、人間の歴史を学ぶことである。「経」とは、縦糸と横糸の関係を象形文字として現している。いままで連綿として営まれた歴史を、現代という流行の横糸で織りなした状況を、盛んに火を燃やして陣屋のなかで活動している様を表現した字が「営」である。今起こっている事象は、過去の事象の流れのなかで、今の事象はどういう関係にあるかを解明するのが、学びである。今の事象だけに振り回されていると、本質が分からず、間違った対応をすることになる。そのために、その関連を学ぶことが、歴史と経営を学ぶことなのだ。オックスフォード大学には経営の学問はない。経営は歴史を学べば、不要であるという考えである。

 

自分探し

 学びを怠った民族は、滅亡するしかない。その事例は歴史の上に死屍累々と山積する。今の中韓の歴史の対応をみていると、考えさせられる。歴史は繰り返すので、歴史を学ばない愚かな国に振り回されることはない。

 組織の長が自分探しを怠ると、組織の崩壊になる。己に与えられた才能は、何のために神仏から与えられたのか。組織の中の長という「分際」で、自分の役割は何かを忘れると、組織は悲惨な状態になる。自分探しの自覚がなく、組織の長として長期政権で君臨すると、回りのヒラメがイエスマンばかりになり、自分は偉いのだとの「自己洗脳教育」を17年間も受けることになる。行政経営のPDCAも回らず、反省もなく、業者との癒着にも不感症になってしまう。己の思い込みの政策が、良かれと信じ込んでいる故に、それが逆に民に苦しみを与えていても、回りの取り巻きの誰も本当のことを言わない。まるで裸の王様である。大垣市政を反面教師としたい。 

 個人的に自分探しを怠ると、己を見失い自虐的にも、攻撃的にもなる。挙句にうつ病に罹り、幽霊となり、認知症にもなる。学問をするとは、自分を見失わないための手段である。人として、当たり前のことをして、頂いた命を全うしたい。

 

2017-10-02

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2017年10月 1日 (日)

子供たちを食い物にする大垣市長

 日本の未来を背負う子供たちには、正しい教育を与えなければならない。営利企業の金儲けの道具に使われてはならない。その子供たちを役人の自己満足で取った予算の間違いを誤魔化すために、こき使われてはならない。子供たちは勉強にその時間を使って欲しい。

 2017年10月1日の大垣元気ハツラツ市は、中川幼稚園の園児達、興文小学校の児童たちが、大人の金儲けと市長の行政の失敗の尻ぬぐいのために駆り出された。それも参加校は違うが、毎回のことである。大垣元気ハツラツ市は、私企業の営利団体である大垣駅前商店街の活性化のために、市民税で行っている月1の行事である。幼稚園、小学校の職員は、大垣市に人事権と補助金で縛られている。大垣市長名の行政の要請があれば、断ることができるわけがない。  

 各商店街がイベントで高校や中学、小学校に、その種の要請をして、いまだかって受諾されたことはない。知人の元校長先生に意見を聞いても、そんな要請をすること自体、言語道断であるという。これが大垣まつりや十万石まつりの公式行事なら別である。元気ハツラツ市は、あくまでも一部の営利企業の団体の行事である。

 

ハツラツ市の実態

 2017年10月1日の大垣元気ハツラツ市でも、大垣駅前商店街のお店がある歩道はシャッターが目立ち、人通りもガラガラである。それも毎回である。中央の大通りに店を構えた露天商と商店街の飲食店で、多くの来客は、飲み食いをしていて、見た目は盛況ではある。しかし物販店で買い物をする人はごく少ない。なにせ買い物品を抱えて、アピタまでの遠い道を歩くのは苦痛である。商店街で1,000円の買い物をすると抽選で当たる500円の買い物券を商店街が出しているが、あるお店では、本日はその利用は1枚だけであったと言う。つまりお客の大多数は駅前商店街で買い物をしていない。

 

当日の当てつけ休業

 市役所からの開店の要請があっても、16店舗は、元気ハツラツ市の当日にお店を休業している。どうせ元気ハツラツ市の当日は商売にならないからだ。それは抗議の意味もあるだろう。現在、大規模小売店が閉店して、跡地がマンションになったタマコシやヤナゲンB館を含めて、50のテナントがあったと推定して計算すると、駅前商店街の192店舗中、117店舗が店を閉めた。それは60.9%になる。現在、75店舗しか残っていない。そのうちの21%のお店が、元気ハツラツ市の当日に休業である。閉店になるお店は現在も増加中である。この数値は、あくまでもメインの駅前通りだけでの集計である。横道に存在する商店街を含めると、もっと数が多くなる。

 誰の為のハツラツ市なのか。市民の税金の無駄使いである。結果として、商店街の声を無視して、実態も調査せず、お店がつぶれるのを助長したのだから行政の背任行為である。

 元気ハツラツ市の当日(10月1日)、どれだけのお店が休業しているかは、写真に撮って自分の目で確認した。前日の9月30日(土)、全商店の開閉店状況を写真に撮って、それとの比較で算出した数値である。

 

来訪者の行動

 多くの来訪者は大垣駅北側の大規模小売店のアピタの無料駐車場に車をおき、元気ハツラツ市を楽しんで、最後にアピタで買い物をして帰る。元気ハツラツ市スタンプラリーのスタートがアピタなのだ。その客の多くは市外からの客である。市外から来る客と市外から金儲けにくる露天商と外部資本のアピタを喜ばせ、市内の駅前商店街の商店を閉店に追い込むために、大垣市民税が使われている。それが7年間も続いている。会計報告もなく、売り上げが増えたとの嘘の「大本営発表」があるだけ。

 

利権?

 なんとかして欲しいと商店街の店主達の多くは訴えるが、利権があるかよほど美味しいものがあるとしか思えない商店街組合のボス達は、その声を握りつぶしている。商店街組合の幹部のポストは、ボス達だけで持ち回りで、その座を手放さない。ハツラツ市を開始して7年間が過ぎた。それで活性化ができれば、まだしも、この3年間だけでも約40店舗が店を閉めた。現在で、駅前商店街の表通りだけでも61%のお店がシャッターを下ろした。今さらに閉店する店が加速している。市長やヒラメの取り巻きも、聞く耳を持たない。大垣市長は商店街街からの話し合いの場の申し出を「今はその時期ではない」と拒否である。市民税1,200万円、県民税100万円、商店街組合費500万円の合計1,800万円を、毎年投じて市役所と商店街の幹部だけが取り仕切って行っている行事である。7年間で1億2千600万円が消えた。企業経営の基本のPDCAは回らず、その会計報告は誰も知らない。

 

図1 中川幼稚園の園児の演技(2017/10/1 10:05)

図2 興文小学校の児童の合唱 (2017/10/1 10:35)

   これを練習するのに、勉強時間を割いてのことである。それも日曜日の休日の出演である。付き添いの先生たちの人件費は市民税である。

図3 繁盛する露店(大通り中央部)(2017/10/1 12:35)

   露店のほとんどは大垣市以外の業者

図4 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 12:54)

図5 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:12)

図6 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:13)

図7 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:19)

図8 繁盛する露店とガラガラの商店街(2017/10/1 14:41)

図9 観客がいないパーフォマンス(2017/10/1 10:33)

   これで商店街が活性化するのか。司会や伴奏音楽のアンプの操作の数人の人件費も税金

図10 観客がいないパーフォマンス(2017/10/1 12:51)

         タレントの人件費にも税金が投入されている。   関係者数人の人件費もかかる。

図11 この場に政治は持ち込まないで欲しい(2017/10/1 12:29)

   これでは商店街は活性化しない。

 

2017-10-01

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2017年9月30日 (土)

「桜田門外ノ変」の検証 (28)極楽とんぼ

 自動車技術会中部支部報『宙舞』の挑戦というコーナで、2003 年に人力飛行機で日本記録更新の人力飛行機開発者ヤマハ発動機(株)エンジン開発室の鈴木正人さん(当時)に、インタビューをした。鈴木さんは1979年からほぼ毎年、20年に渡り彦根市の琵琶湖で鳥人間コンテストにチャレンジしている(2005年現在)。彦根とのご縁である。

 その時のご縁で、技術者として記録に挑戦する真摯な姿にほれ込み、しばらく鈴木さんのチーム「エアロセプシー」の「極楽とんぼ」追っかけをしたことがある。長野県の農業飛行場や東京の日本航空学園の飛行場まで足を伸ばした。前の勤務先の会社では、技術部門の教育担当責任者として鈴木さんの講演会を企画し、講演をして頂いた。

 

創造とは

 この鈴木さんとのインタビューを通して、ヤマハ発動機の感動・創造・挑戦という社風に興味を抱いた。その縁でヤマハ発動機前社長の長谷川武彦著『感動創造経営』を読み感銘した言葉が、創造の「創」の字の解説である。

 という文字の偏である「倉」には、傷という意味がある。つくりの「リ」(りっとう)は、文字通り刀のことである。つまり「創」という字は、刀傷を表しているということだ。私は「創造」という文字をみたときに、刀で切られた傷を思い描いてしまう。

 刀傷というのは、自分を刀で斬る人はいないから戦闘状態のときに他人に切られるのが自然である。もちろん刀傷だから、深く切られれば死ぬことになるが浅く切られたキズは、時代劇の一場面のように、焼酎を吹き掛け、晒をまいて「死んでたまるか!」と気合を入れれば傷跡に肉が噴き、治っていく。そしてその新しい肉と皮膚は、以前に増して強固なものになってくる。これこそが人間の生命力であり、創造の「創」につながる。(長谷川武彦著『感動創造経営』PHP研究所刊 より)

 

井伊直弼の決断の結末

 井伊直弼公が新しい日本国の創造のため、「千古を洞観し、古今を一視する」として断固たる決意でとった行動は、結果として日本国として、傷だらけ、血みどろの闘争になり、多くの犠牲者の中から後を継ぐ新しい芽を噴きださせ、幕末の争乱を経て明治維新となり、工業国家を目指す近代国家が成立する。

 井伊直弼公が斃れた後150年余を経て、世界の冠たる工業国家となった今日、彦根の空を人力飛行機で世界一を目指して挑戦している自動車技術者の夢が舞っている。井伊直弼公は文武兼備の才人であった。時代が彼を要求しなければ、市政の一文化人として名を残しただけであろう。文化人としての彼は茶道の書も著している。その井伊直弼公の眠る地(菩提寺の清涼寺の門は琵琶湖の方向を向いている)で、人力飛行機の技術の花と20年に渡る若人の技術者の志の華が、鳥人間コンテストとして、琵琶湖の上空で舞っている。感慨深いものがある。

 

現代の黒船来襲

 若人が平和な琵琶湖上空で技術を競う中、それに海の外では、北朝鮮問題、尖閣問題、韓国の反日運動と問題が押し寄せている。その折、国内では、反日思想の新聞、テレビ、雑誌のマスコミ、政党が日本を跋扈している。幕末の騒乱の折は、幕府と討幕の対立はあったが、反日の動きはなかった。幕末の騒乱に乗じて、日本での利権を確保しようとした英国、フランスの画策はあったが、それを退けて明治政府への政権交代が実現した。

 しかし、現代は身内の虫が獅子を食らい「日本打倒! 安倍政権打倒! なんでも反対!」と叫んで蠢いている。それも代案を出さずに反対だけを叫ぶ。私は安倍政策に全面賛成ではないが、サヨクの日本打倒には賛成しかねる。それを異常と考えないで見過ごしている日本人が情けない。アサヒ等の反日の新聞を購入し、反日のテレビ番組の反日報道をなんとなく見ているのは、敵に塩を送っているのと同じである。今は第二の国難の時である。座していれば日本は亡ぶ。日本を亡ぼすのは、日本国内の害虫である。

 

図1 「極楽とんぼ」の飛騨エアパークでのテスト飛行

    2004年5月29日

図2 鈴木正人さんとパイロットの中山さん

   鳥人間コンテスト会場で  2004年8月1日

  この日は、台風接近の強風のため、飛行機を無駄に壊すだけになる飛行を取りやめの決断をする。やめるというのも、1年かけて作った大事な飛行機を無駄に壊さないための未来に対する大きな決断である。猪突猛進は愚かである。その決断の経緯をまじかで観察できた。同席していた長谷川武彦ヤマハ発動機前社長も賛成であった。多くのチームがメンツの為、飛行を強行して強風にあおられて墜落していった。

図3 長谷川武彦ヤマハ発動機前社長と

   鳥人間コンテスト会場で  2004年8月1日

   チームのシャツを贈呈されてご機嫌な私

図4 琵琶湖での鳥人間コンテスト風景  2005年7月17日

 

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墓改建開眼法要の色紙

 2015年11月29日、自家の墓改建での開眼法要で、馬場恵峰先生をお招きした。その後の宴席のため恵峰先生が色紙を準備され、開眼法要の宴席で参列者に好きな色紙を選んでいただき進呈した。皆さんに喜んで頂けてよかった。

 

選ぶ言葉には人生への思いがある

 色紙を選ぶのに、その人の人生観や考え方、想いが伝わってくる。「一時一心」の色紙をKさんが選ばれた。Kさんはその書が欲しいなと思っておられたが、私の親戚に遠慮して手を控えていたら、この色紙が残ってKさんの手に渡った。この言葉は仕事に思いをかけた念がある。選ぶべくして、行くべく人に選ばれた色紙である。

選んだ色紙を見るとその人の考え方が透けて見える。若い人は時間を大事にすべきで、「寸陰応惜」の色紙を選んだ。「笑門福来」は、本当に笑っているような「笑」の字が素晴らしい。「光明」の色紙は、姉妹の夫がシベリア抑留で戦死してその姉妹と残された子供を見守った親戚が入手した。

 「迷わずあせらず胸張って」は、以前に、先生の講話に感銘を受けて、私が恵峰先生に揮毫していただいていたもの。今回の色紙とは別だが、気に入っているので掲載する。

 これらの色紙の中には30年前の材料で、現在は入手不能の色紙もある。当日の色紙の一部を掲載します。

 

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「ティムコンサート」第一報

 昨日、2017年9月29日、大垣スイトピアセンター音楽堂で開催されたドイツのトップチェリストの「ティムコンサート」に、スタッフとして参加した。そのコンサートのリハーサルから本番までと、打ち上げ会をビデオ撮影3時間分、写真300枚余を撮影した。その後、深夜までかかって、その編集とビデオのBD化をした。

 睡眠4時間半で起きて、翌日(9月30日)の朝食会場でティムさん親子に写真データのUSBメモリとビデオで撮ったBDをプレゼントした。その写真内容をiPadで見せると、二人は朝食そっちのけで見入っていた。そんなリハーサル中の写真を大量にとった撮った酔狂な人は過去にいないみたいで、大変喜ばれて嬉しかった。私は、普通のプロは撮らない写真を、人生の観点と芸術の視点で撮影した。それもCCDフルサイズの一眼レフに100~400mmのズームレンズを付けての撮影である。ビデオも16時から20時30分までの収録である。普通はそんなリハーサル中の状況をビデオに撮らないだろう。なにせプロに頼めば、交通費、宿泊費、日当と高額の金を請求されるはず。ティム親子もそんな自分たちの大量の演奏会中の写真を見たことがないようで、大変喜んでいただけた。

 

サービスとは

 スピードが相手を喜ばす。そこまでやってくれるのかとの感激が相手の心を打つ。これがドイツに帰国後、1ヵ月経ってから見ても、感激は半減するだろう。サービスとは、相手の予想を超えたものを提供しないと感激はない。現代は、それがIT技術の進化で可能になったのは幸せである。これを商売に使わない手はない。これからの生き残りには、相手の心を揺さぶるビジネスの戦略が必要である。それと対極にあるのがお役所のサービスである。そのサービス姿勢には、怒りさえ覚える。

「ティムコンサート」の経緯は、別途、ブログで掲載します。

 

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2017年9月29日 (金)

書聖 日下部鳴鶴の生き方

 日下部鳴鶴(1838~1922)は数奇な運命に弄ばれた。しかし逆境に負けなかった偉人である。普の人間なら、その境遇に絶望して道を誤ったかもしれない。彼は安政6年(1859)、22歳のとき彦根藩士・日下部三郎右衛門の養子になり、その長女・琴子と結婚して日下部家を継いだ。万延元年(1860)桜田門外の変で義父・日下部三郎右衛門は闘死する。日下部家の当主が非業に死を遂げたので俸禄が激減して、生活に困窮することになる。明治になり政府に仕える身となり、才能を認められて大久保利通の側近として太政官書記官にまで出世して日本の国づくりに尽力した。大久保利通を父のように慕うが、明治11年(1877)に大久保利通が暗殺された。その暗殺を誰よりも早く目撃したのが鳴鶴自身であった。大久保利通の非業の死の翌年、彼は突如官を辞し一介の浪人として書を志すことになる。

 

馬場恵峰師のご縁

 それは鳴鶴が42歳の決断であった。馬場恵峰師(11代)が窯元を廃業し、書の道に転じたのは43歳の時で、鳴鶴とほぼ同じなのは偶然ではない。論語に曰く「四十而不惑(40歳にして惑わず)」。恵峰先生に窯元廃業の引導を渡したのが鳴鶴の書を手本とした原田観峰師(1911~1995)である。原田観峰師は日本習字の創立者である。

 

政治から芸術の世界へ

 実の父のように慕う二人の非業の死に巡りあう数奇が運命に、鳴鶴はどんなにか嘆いたことか。ドロドロした政治の世界から身を引き、芸術の道に入り、その哀しみを書に昇華した。その結果、日本の三大書家の一人として名を残すことになる。恵峰先生も日本書道界のどろどろした人間模様に嫌気がさし活路を中国に求め、今の業績がある。佛様の人智を超えた差配で、二人の非業の死がなければ、鳴鶴も偉大な書家にはなれなかったのかもしれない。偉大なる仕事をする人間には、それに相応した苦難が、彼を試すために襲いかかる。それなくして、人間の内なるダイヤモンドは磨かれない。

 陰があるから陽がある。陽ばかりの人生はありえない。全てバランスの問題である。そう思うとき、不運に出会ったのは、今までの悪縁の業が消え、新しい運命が開くときと感謝するべきである。そう思い、運命に従えば、佛様が一番良いようにしていただける。

 

お金の舞う世界

 現在の書の世界は、変に崩して読めない字を、これが芸術だとして持て囃されている。日展や他の展覧会も賞を取るのが目的のような「競争」の場と化して、裏でお金が動く世界となっているようだ。芸術に競争という言葉は不似合いである。しかし審査員の気に入られなければ、入選は難しいので、相応のことが裏でドロドロした人間模様が起こりがちである。最近、その裏話の事件が新聞を賑わしたのは記憶に新しい。以前、デパートの画商から叙勲書家の先生の作品だといって、1本の軸を見せられたが、すこしも感動もなく何処がいいのかも分からないが、叙勲の先生の作品だからと百万円だという。これは書道界が作る上げた換金できる手形である。芸術作品ではないと思う。

 恵峰師は、そんな世界を離れ、何時でも何処でも誰にでも分かる美しい字を書くことを心がけてみえる。師は崩して読めない字を芸術だとしては認めない。また金で動く競争社会の日展などには応募されない。賞を取るのが目的で、書を書いて見えるのではない。後世にお手本として残す作品を書いてみれる。その書体は、日下部鳴鶴の書とそっくりである。

 

日下部鳴鶴と原田観峰の写真、経歴等は下記をご覧ください。

日下部鳴鶴(1) http://www.shodo.co.jp/blog/souseki2/2017/05/25/post-125/

原田観峰  https://www.nihon-shuji.or.jp/about/profile.html

 

図1 本来面目 馬場恵峰先生書 2015年 本書のために書いて頂いた

 

2017-09-29

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2017年9月28日 (木)

ご縁の破れ窓理論

 惚けの始まりか、認知症の始まりか、単なる運動神経の老化のせいか、2015年11月初旬にバック時に壁にぶつけて自車のバンパーを傷つけてしまった。半年前に悪戯でボディに傷をつけられたため、全面塗装をしたばかりである(警察に被害届を提出)。車歴15年でも全面塗装後は、気持ちよく乗ることができていた矢先のことである。このまま放置しておいても、大した問題ではないが、何か引っかかるものがあり、修理することにした。修理費用で4万円余がかかったが、そのまま放置するより、懐に痛い思いをすることで、今後、細心の注意をすることができると考えての修理であった。

 

運命の家

 その修理が、2015年11月14日に終り、11月15日(日)に納車された。恵峰先生の墓石の字を確認した翌日のことである。たった一つの傷を放置すると、全体が崩壊するという「蟻の一穴」の格言と「破れ窓理論」を思い出して、修理をして正解であったと思う。

 これから思い起こしたのが、ご先祖や周りのご縁の展開での歴史の流れに俯瞰すると、ご縁の風が入ってくる運命の窓が破れていると、家が傾く事象に思い至った。小さな縁を大事にしない人たち、ご先祖のご縁を大事にしない人たちは、破れ窓の「運命の家」に住んでいると思う。破れ窓の在る家には「破れご縁」が入ってくる。悪縁が悪縁を呼ぶ悪魔のサイクルに陥るようだ。逆も真なりで、よきご縁と付き合うと、良きご縁が循環するようで、それを今回のお墓つくりで体感した。

 

ご縁の割れ窓理論

 私の親戚にも両親の23回忌の法事をやらない家があった。七回忌以降の法事はやっていないようだ。そんな考え方だから、その家とやり取りをしても不愉快になったので、付き合いをやめてしまった。それが当方にとってはよき展開であった。「君子悪縁に近寄らず」である。今回のお墓作りで体得した人生の智慧を理論で説明したのが「割れ窓理論」ある。それを私なりに解釈したのが「ご縁の割れ窓理論」である。

 

割れ窓理論

割れ窓理論(英: Broken Windows Theory)とは、軽微な犯罪も徹底的に取り締まることで、凶悪犯罪を含めた犯罪を抑止できるとする環境犯罪学上の理論。アメリカの犯罪学者ジョージ・ケリング(英語版)が考案した。「建物の窓が壊れているのを放置すると、誰も注意を払っていないという象徴になり、やがて他の窓もまもなく全て壊される」との考え方からこの名がある。

 

割れ窓理論では、治安が悪化するまでに次の経過をたどる。

1.建物の窓の破れを放置すると、それが「誰もここを関心を払っていない」というサインとなり、犯罪を起こしやすい環境を作り出す。

2.ゴミのポイ捨てなどの軽犯罪が起きるようになる。

3.住民のモラルが低下して、地域の振興、安全確保に協力しなくなり、環境を悪化させる。

4.凶悪犯罪を含めた犯罪が多発するようになる。

したがって、治安を回復させるには、一見無害であったり、軽微な秩序違反行為でも取り締まる。警察職員による徒歩パトロールや交通違反の取り締まりを強化する。地域社会は警察職員に協力し、秩序の維持に努力する、などを行う。

        Wikipediaより 2015年11月18日(再編集)

 

2017-09-28

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日下部鳴鶴とのご縁

 2015年7月、松居石材商店の松居さんと話をしていたら、彦根出身の有名な書家がみえて、その特集の小冊子(図2)を見せて頂いた。見れば日本の三大書家の一人とある。彼の義父は、桜田門外の変で闘死をした日下部三郎右衛門である。日下部は井伊直弼公の籠のすぐ側で護衛をしていて、襲撃された時、闘って力尽きて斃れた。日下部は護衛武士の組頭である。桜田門外の変の後、他の彦根藩士と同じく日下部鳴鶴は俸禄が激減し、生活に困窮したという。それでも義父は闘死であるので、日下部鳴鶴は家名を継ぐことができた。(図1)

 今までご先祖の「黄鶴」を探していたご縁で、松居さんが「鳴鶴」という名の書家を教えてくれた。これも縁でしょう。

 

日下部鳴鶴と恵峰師とのご縁

 2015年8月24日、自家の墓石の揮毫をして頂くため先生宅を訪問した時、恵峰先生に鳴鶴の小冊子を進呈した。そうしたら日下部鳴鶴は恵峰先生の師である原田観峰師がお手本とされた方だと恵峰先生はいう。その冊子をお贈りできたご縁のめぐり合わせに驚いた。父の長兄の小田礼一は原田観峰師から書道教授の免許を授かっている。それは恵峰先生が観峰師に師事した時より少し前の時であるので、恵峰先生と小田礼一とは面識がない。礼一の甥の私は恵峰先生に師事している。不思議なご縁である。

 

お盆の萬燈供養

 2015年8月15日、長松院でお盆の萬燈供養の法要があり、初めて参加をした。お盆には、8月13日にお墓にお参りをして、ご先祖の霊を自宅にお連れする。お盆の間、自宅で過ごしていただき15日にお墓に帰る。その時の道案内として古い瓦を使った燈篭でお送りする。それが萬燈供養会である。この歳になって初めて知った作法である。

 萬燈供養会の後の小宴で、隣に座った真下良祐氏(千葉県)が書家で、日下部鳴鶴の話題で話が盛り上がった。そこで長松院の床の間に掛けてある井伊直政公の軸に書かれた書が日下部鳴鶴書であることを教えてもらい驚きである。この20数年、何回も見ているが、そんな意識が無いので全く気がつかなかった。もっとも新任の住職様も知らなかった事実ではある。書のサインである「日下東作」は日下部鳴鶴の若いときの雅号である。

 

図1 「桜田門外の変」時の供揃図 『彦根市市史』より

図2 『日下部鳴鶴コレクション』国宝・彦根城築城400年祭実行委員会発行

2007年3月21日発行 全61頁

図3 長松院 正門

図4 長松院 境内

図5 長松院 萬燈供養 

図6 長松院 萬燈供養 古い瓦を使った燈籠

図7 長松院 座敷 井伊直政公の騎乗姿の書画

図8 井伊直政公の軸の日下部鳴鶴(日下東作)署名

 

2017-09-28

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