2018年3月19日 (月)

高松国際ピアノコンクール「ピアノは簡単」5/5

ピアノを弾くのは簡単?

 一次予選参加者の41人のピアノ演奏を会場の最前列席で3日間、17時間も連続で聞いて、ピアノを弾くのは簡単だと悟った(?)。だって若い人たちの41人全員がやすやすと難しい曲を暗譜で弾いているのだ。ピアノを弾くのは一人の特殊な天才だけではなかったのだ。

そのためには、毎日3時間、10年間、1万時間をかければ、世界一にはなれないかもしれないが、コンサートレベルには誰でも弾けるようになる。だから私はそんなには練習をしてこなかったので、弾けないのだ(笑)。それだけである。

 

一万時間の法則

 マルコム・グラッドウェルが著書の中で「一万時間の法則」を紹介している。どんな分野でも、約一万時間を継続してその分野に取り組んだ人は、その分野のエキスパートになるという経験則である。

 ある音楽学校で、コンサートを開けるプロレベルと、レッスンを与えるレベルの人などを比較して、過去の累積練習時間での有意差を調べたら、コンサートのプロレベルでは1万時間だった。

 一万時間は、一日3時間を10年間継続する練習量である。人が通常「才能」と片付けている差異は、実際には継続の練習時間に起因する。

 

玉田裕人氏ピアノリサイタル

 2018年3月18日、名古屋「しらかわホール」にて玉田裕人さんのピアノリサイタルを聴いた。3月3日にヤマハサロンで玉田裕人さんのピアノリサイタルを拝聴と写真撮影をしたので、演奏会後のロビーで彼に挨拶をしようとしたら、彼の前には若い女性達の長蛇の列である。私は挨拶を諦めて帰宅した。ハンサムで若いピアニストはモテるのです。若い女性達にモテたかったら、一万時間のピアノ修行をすればよいのだ。ただし、それはその道の門をくぐっただけで、本物になるには更なる修行が生涯必要だ。多くの人は、その狭き門さえ通れずに、広き門に引き返す。

 玉田裕人さんは、舞台上の終わりの挨拶で「ピアニストの生活は、アスリートのようです」と言った。その言葉が印象に残った。そう、ピアニストに限らず、その道を極める人は、アスリートのように己の生活を律しないと、道は開けない。単にテクニックだけを磨けばよいだけではない。ピアノに限らず、自分の歩く道には、1万時間の練習・修行に取り組み、それを天命として生涯で取り組みたい。

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 若い女性ファンが多い!

 2018318日、名古屋「しらかわホール」にて

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2018-03-19

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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高松国際ピアノコンクール「ピアノ三昧」4/5

 当初、このコンクールに行くことを勧められた理由が、同じ課題曲を違ったピアノで入れ代わり立ち代わりに参加者が弾くので、ピアノの違いが良くわかるとの説明であった。ところが、同じ課題曲でも、巻数、番数が違うと曲の傾向は同じだが、全く同じではないので、素人の私には判別が難しかった。それは想定外であった。3日間、世界レベルの演奏を聴いて、別の意味で大きな学びを得た。

 

課題曲のバラエティさ

 高松国際ピアノコンクールの第一次予選の課題曲は、下記の3つである。

 (A)バッハ平均律Ⅰ、Ⅱ巻より1曲

 (B)ショパン練習曲作品10または作品25より1曲

 (C)1900年以降に作曲された作品

 同じ曲を演奏して、ピアノの音質の比較ができるかと思ったら、バッハ平均律Ⅰ巻だけでも24番もあり、予選参加者が色んな選択をして、同じ曲の演奏でのピアノ音色比較は無理であった。「同じ曲の演奏なら、学芸会になってしまう」と言われて、納得した。

 

各ピアノの音色の違い

 どれが絶対的に正しいピアノの音とは誰にも言えないので、コンクールで一番多く使われているスタンウェイの音を基準に、他のピアノが私の耳にどう響いたかを判定した。

 スタンウェイのピアノは、一次予選で41名中23人(56%)が選択した高い選定率であった。二次予選で50%、三次予選で60%である。圧倒的にコンクールでは、スタンウェイが基準となるようだ。

  カワイの音色は、派手というか、明るい音と感じた。コンクール用の戦闘的な音作りと感じた。そのためか、一次予選で41名中10人(25%)の第二位の選定率であった。二次予選で30%、三次予選で20%である。

  ヤマハCFXの音色は、重厚で深みがあると感じた。おとなしい感じで、押しが強くない感じである。そのせいか、一次予選で41名中3人(7%)の選定率でしかなく驚いた。二次予選で15%、三次予選で20%である。三次予選でカワイと並んだ。

  ベーゼンドルファー280VCの音色は、優しい音である。コンクールでの争いごとには似合わないようだ。満を期して新しい音作りの製品で挑戦したが、一次予選で5%(2人)にしか選定されず、二次予選で一人になり、三次予選で消えた。

 この種のコンクールに出ると、メーカには膨大な費用負担がかかる。ベーゼンドルファーは零細企業(?)(ヤマハの100分の1の企業規模)では、ショパンコンクールのような国際コンクールに出場は無理と聞いていたので、今回の高松国際ピアノコンクールにベーゼンドルファーが出てきたので、内心驚いた。

 

ベーゼンドルファーimperial

 2018年3月18日、名古屋「しらかわホール」にて玉田裕人さんのピアノリサイタルを聴いた。その機種はベーゼンドルファーimperialである。280VCは箱全体が鳴るベーゼンドルファー独特の構造に、より早い立ち上がりの構造を付加にした新型である。Imperialはベーゼンドルファー本来の音で、優雅な調べで、乱打強打激打が連続のコンクール用課題曲の音には、似合わない趣きである。他社のピアノと比較すると、まるでF1レースのフォーミュラカーと比較勝負をするような趣で、比較すること自体が間違っていると感じた。もともとベーゼンドルファーはサロンで静かに聴くピアノである。

 その昔、仕事でホンダの総アルミ製のスポーツカーNSXをモニターとして試乗したことを思い出した。NSXは、性能は確かに素晴らしいが、街中で乗るには、背は低いため、乗り込みにくいし視線も低いため回りの状況が見にくい。ギアチェンジも難しいし、乗りこなしが難しい。カッコよく高性能なのだが、欲しいとは思わなかった。この車はサーキットや高速道路でなら、映える車である。それと同じことが、コンサート用のピアノにも言えそうだ。コンサート用ピアノにも、演奏する曲にあった最適の機種や演奏会場がありそうである。

8p1100154 2018年3月18日、名古屋「しらかわホール」で

 

音楽は何のため?

 今回のコンクールで一番驚いたのは、ロシアのタチアナ・ドロホヴァが弾いた「戦争ソナタ」の曲で、爆弾が連続的に爆発するような激しい曲で、その弾き方に神業を感じたて、ピアノ技法を誇るには最適かもしれないが、音を楽しむには道を外れていると感じた。しかし、こんな激しいレベルの曲を連続して何人もの競技者達に弾かれたら、ピアノの弦も切れてしまう。私なら間違っても「戦争ソナタ」のCDを買う気にはなれないし、自宅で聞きたいとも思わない。趣味で癒しのために聞く音楽は、闘いのために聞く音ではないのだ。

 

2018-03-19

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2018年3月18日 (日)

高松国際ピアノコンクール「天国と地獄」3/5

演奏者の天国と地獄

 至近距離から演奏者41人のピアノ演奏の姿勢を観察して、興味深かった。悲壮感丸出しで演奏する人、楽しそうに体を揺らして演奏する人、苦難と格闘するが如くピアノを弾き続ける人、様々である。人生の晴れ舞台で、今までの練習を自分で褒めてやりながら演奏する人には、天国であり、練習不足で不安に満ちて弾く人には地獄であったろう。それでも私のような素人から見て、破綻のある演奏をした参加者はいなかった。

 この日のために何千時間もかけて己を成長させてきた強者たちである。世界の中から選ばれた人たちである。この演奏会を天国と思うか、地獄と思うかが、その人の人生観だ。携帯電話の11桁が覚えられない私から見て驚嘆すべきは、一次予選では25分間の暗譜、二次予選では45分間の暗譜でピアノ演奏をやすやすとこなす能力を身に付けた強者たちなのだ。

 

智慧を得るための経験として

 今までの多大な練習を自分に課してきたこと思えば、どんな状況でも自分で試練を切り開いていく自信ができたはずだ。これからの人生で直面する事態はもっとすごい事態があるはず。もっと肩の力を抜いて楽しくニコニコ顔の死に物狂いで頑張って欲しい。

 私も今までの人生を振り返り、コンクールの様な試練や試験でも、もっと力を抜いて、良き経験を積める機会だと思って取り組めばよかったと反省している。競走馬にように、横が見えない遮蔽物を目に付けてピアノ専門バカとして生きるのではなく、回りの人生の風景を楽しみながら、人生を送って欲しい。

 

好々爺の天国と地獄

 初日と2日目に、私の後ろの席に人の好さそうな老人が座っていた。その御仁がこともあろうに、2日目の途中から、演奏中に居眠りを始め、いびきをかき出したのだ。気持ちよい音楽を安い入場料で聞けて、もて余す時間をつぶしには天国の会場であったのだろう。私は筆記具で、膝をつっついたが目を覚まさない。演奏が終わってから幕間に、私と私の隣人が、怒り心頭で、私とその好々爺に噛みついた。その御仁はハトが豆鉄砲を食らったように、茫然としていた。3人の演奏が終わった後の休息時間中に、バツが悪く感じたのか、別の席に消えた。その人は、天国から地獄に落ちたのだ。

 一次審査は3曲を20~25分間で弾くので、聴くほうはそんなに飽きない。しかし、二次審査になると45分間の連続演奏なので、睡魔に襲われ、回りで寝ている人が多かったとは、次の日に参加した知人からのお話しであった。

 聞くほうは天国でも、演奏者は自分の人生がかかった大事なコンクールである。相手の身になって演奏を聴いてあげたいもの。

 

スィーツ天国から地獄に堕ちる

 会場は飲食物持ち込み禁止である。初日は、休息時間にロビーで販売していたコーヒーとスィーツを食したが、そのスィーツの全種類が、私が食べてはいけない禁止食材が入った種類ばかりであった。マーガリン、バター、ショートニング、植物油、砂糖の入ったお菓子や菓子パンばかりである。またそのお菓子の一つが300カロリー以上の栄養価があり、肥満への地獄便スィーツである。美味しいものには毒がある。食べれば天国の心地であるが、後年に病気という地獄の縁を頂く。主催者も、そういう面での気配りをして欲しいもの。せめてスィーツには和菓子を用意して欲しい。私は苦しい選択をして200カロリーの焼き菓子を選択して、何とかしのいだ。2日目以降は、戒めを思い出して絶飲食にした。

 2017年4月にウィーン市街を散策したが、音楽の都にはカフェが多くあり、コーヒーとスィーツが溢れていた。ピアノ演奏とスィーツはよく合う。これを見逃すほど聖人でない私は、我慢できず、手を出した。これが美味しいんです。ウィーンに10日間滞在して、帰国後、真島消化器クリニック(久留米市)で血管内部のプラークの厚み検査を受けたら、てきめんに検査結果が悪くなっていた。現地で油分と糖分の取り過ぎが原因であった。

 西洋人は若い時はスマートで美しいが、音楽に酔い痴れて、甘いものを取り過ぎ、肥満の地獄に堕ちる。地獄の最終地は心臓病、心筋梗塞、脳梗塞、ガン、認知症である。ご用心ご用心。

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 ウィーンのカフェにて 2017‎年‎4‎月‎18‎日

 

糖質と甘味は中毒になる

 人間や動物は「快感」を求めることが行動の重要な動機になる。このような快感が生じる仕組みは脳内にあり「脳内報酬系」と呼ばれている。脳内報酬系は、人や動物の脳において欲求が満たされたときや満たされる予想がされたときに活性化する。A10神経系(中脳皮質ドーパミン作動性神経系)と呼ばれる神経系が脳の快楽を誘導する「脳内報酬系」の経路として知られている。

 動物実験などで糖質も甘味も薬物依存と同じ作用があることが判明している。快感を求めて甘味や糖質の摂取を求め、次第に摂取量が増え、摂取しないと禁断症状が出てくる。ラットの実験では、コカインよりも甘味の方がより脳内報酬系を刺激する結果となる。つまり甘味はコカインよりも中毒(依存性)になりやすい。砂糖の多い食品や飲料の過剰摂取は甘味による快感によって引き起こされ、薬物依存との共通性がある。

 ラットやヒトを含めて多くの動物では、甘味に対する味覚受容体は砂糖の少ない太古の時代の環境で進化したため、高濃度の甘味物質に対しては適応できていない。現代社会の砂糖が過剰なスィーツ類で味覚受容体が過剰に刺激されると、脳において過剰な報酬シグナルとなるので、自制のメカニズムを超えてしまい中毒になる。

 銀座東京クリニック 院長の福田 一典氏のHPより編集

 http://www.daiwa-pharm.com/info/fukuda/7388/

2018-03-18

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高松国際ピアノコンクール「天国と地獄」2/5

ピアノの天国と地獄

 課題曲の「火の鳥」、「戦争ソナタ」、ショパンの練習曲などは、ハンマーの乱打激打の様で、ピアノを壊すための曲ではないかと思うくらいの激しい曲だ。あるピアニストは拳で鍵盤を叩いていた。私のピアノの練習での負荷量の千倍も1万倍もピアノをいじめている。ピアノにとっては、地獄の試練である。その為だと思うが、一次審査2日目のお昼前にカワイのピアノの弦が切れたみたいで、お昼の休息中に弦を張り直すのに、小宮山調律師が汗を流していた。流れるような静かで美しい曲をピアノの達人が弾いてくれて、聴衆を魅了する時は天国だが、コンクール用の激しい曲で技を競う時は、天国と地獄の両方をピアノは味わう。

 演奏中にピアノの弦が切れるのは名誉なことだと思う。それくらい激しい弾き方が続く。その激しい弾き方をする人が、一人ではないのだ。多くの演奏者に選ばれて、また演奏者が全体力を使って弾かれないと、弦は切れない。出番の少ないピアノでは、弦は切れないのだ。弦が切れてしまっては地獄であるが、一つの名誉ではある。疲労破壊であり、ある意味、過労死である。弦の戦死、殉職である。

 

ピアノメーカの天国と地獄

 ピアノメーカとしてフラグシップのピアノを持ち込んでコンクールに臨んでも、演奏者に選定してもらえないと、舞台上で、蓋をして鎮座しているだけになる。窓際族に落ちぶれる。世界一のピアノメーカの自負があっても、出番が少ないと、惨めである。コンクールでのピアノの出番数が、評価で天国と地獄を分ける。ピアノメーカにとっては、針の筵に座らされている趣である。ちなみにヤマハさんのピアノの生産量はスタンウェイの10倍である。ベーゼンドルファーはスタンウェイの10分の1である。ベーゼンドルファーが満を期して持ち込んだ280VCは、一次審査で2人にしか選定してもらえなかった。二次審査では1人になってしまった。ショパンコンクールでは、実質的にスタンウェイを凌駕したヤマハであるが、今回の高松でのコンクールでは、スタンウェイとカワイさんに惨敗である。

 

 一次予選41人中でのピアノの選定数は、スタンウェイ23、カワイ12、ヤマハ3、ベーゼンドルファー2である。 

 二次予選20人中でのピアノの選定数は、スタンウェイ10、カワイ6、ヤマハ3、ベーゼンドルファー1である。 

 

調律師の天国と地獄

 激しい課題曲の連続で、ピアノの調律が狂い、その対応で調律師は大変である。各メーカが控えているので、調律の時間も制限がある。昼間はその時間内で調律を終えねばならぬ。2日目にカワイのピアノの弦が切れたようで、小宮山さんが弦を張り直すのに汗だくになっていた。お陰で(?)私もそれを見ていて昼飯を食いそこなった。それは良きご縁との出会いでした。しかし調律師には地獄である。それでも自分が調律したピアノを多くの演奏者に弾いてもらえるのは天国に昇る気分であろう。仕事の報酬は仕事である。選定されないと地獄に落ちる思いであろう。

 3日目のお昼の調律時間にスタンウェイの調律師が、制限時間25分を15秒だけ超過して調律を終えた。素晴らしい時間管理体制である。その後、すぐスタンウェイのピアノが移動され、今度はカワイのピアノが舞台中央に出されて、小宮山調律師が調律に取っかった。お昼のコンクールが終わって観客がいなくなってから、また各メーカの調律師の仕事が深夜まで続くので大変である。海外のコンクールでは、調律師にさらに多くの負荷がかかる。

 

調律師の美学

 調律が終わった後、各メーカの調律師たちは2人、3人かかりで何度も何度もピアノを布で愛おしむように磨いていた。それはカワイもスタンウェイのピアノ調律師も同じである。本番の晴れ舞台で頑張れと励ましているようであった。

 弦を張り直し、調律を終えてから、小宮山調律師は、ピアノの下にもぐり総重量500キロのピアノを背中で支え、少し持ち上げてピアノキャスタの向きを角度で3度ほど修正した。ピアノの前脚のキャスタは45度方向の「ハの字」型に向けるのが正規のようだ。それを角度にしてたった3°ほど変えたのだ。されど3度の角度修正である。それで音が変るのだろうか。調律師のこだわりと美学である。良きものを見させて頂いた。

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 2018‎年‎3‎月‎15‎日、‏‎13:58 お昼の休憩時間中の調律

 

2018-03-18

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2018年3月17日 (土)

高松国際ピアノコンクール「天国と地獄」1/5

「第4回高松国際ピアノコンクール」とのご縁

 201833日、名古屋ヤマハのサロンでの玉田裕人さんのピアノコンサートに出かけたら、自宅のピアノの調律をしてもらっている調律師から、「第4回高松国際ピアノコンクール」を紹介された。この種のコンクールでは、同じ課題曲で、演奏者によってピアノを取り換え引っかえ演奏するので、各メーカのピアノの音色や音質を実際に比較確認するには、絶好の機会だという。この種のコンクールは、浜松と仙台でも国際コンクールがあるが、たまたま10日後に、香川県高松市で開催の「第4回高松国際ピアノコンクール」のパンフレットがヤマハの会場に置いてあった。高松市は4年ごとの開催、浜松市と仙台市のコンクールは3年毎である。これを逃すと4年後なので、これもご縁だと思って即、行くことを決めた。大垣から高松は、日帰りでは無理なので、313日に前泊して、14日から16日までの3日間の一次予選を全て鑑賞する計画とした。

1p1100125  サンポートホール高松。  のっぽのビルの右横がホール棟

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当日の地獄と極楽

 会場は、高松駅の目の前にあるサンポートホール高松である。高松は新幹線岡山駅で乗り換えてから、予讃線の快速電車で瀬戸大橋を渡って1時間である。サンポートホール高松は、収容人員1500名の立派で快適なホールである。コンクールの予選は46名がノミネート、当日5名が辞退である。一人2025分間、3曲の課題曲を演奏して、連続で3人が演奏して、20分の休憩のパターンである。それが朝10時開場、1030からコンクールが開始され、それが夜7時まで続く。

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 出場者達のパネル(ホール内で)

 

 第一日目は、20分間の休憩中にコーヒーとスィーツを取ってのんびりと構えていた。しかしコーヒーには利尿作用があり、どうしても1時間30分間の連続競技演奏中の我慢が辛くなったので、2日目以降は、絶飲食にした。競技演奏中は途中退室厳禁である。

 一日目は、昼食もとって余裕をもって臨んでいたが、2日目の昼食休憩中に、河合楽器の調律師小宮山淳氏の姿を発見し、彼が調律を始めたので、思わず見入ってしまい、昼食を食べ損なった。小宮山淳氏の姿は、NHKビデオ『ショパンコンクール もう一つの闘い』で何度も見ていて、私にとっては超有名人で、他人とは思えなかったからだ。ちょっとの合間を見つけて名刺交換をさせて頂いた。

 それに味をしめて(?)、3日目も昼食休憩時間中の調律を観察したので、残り2日間は、会場では9時間の絶飲食の状態であった。これは、地獄である。

 私が会場で陣取った席は、最前列席のピアノから45度右後ろ方向約5mの位置である。最前列席に陣取ったのは私を含めて2名のみ。この場所からは、演奏者の顔の表情と演奏中の手の動きが良く見え、ピアノの音もダイレクトに観客席に伝わってくる。この状態で、一次予選出場者41名の演奏の全て、計17時間(25分×41人)+調律の2時間(30分×2回×2日)を3日間連続で聴いた。各予選出場者は、この日のために何千時間も練習を積んできた猛者ばかりである。演奏が素晴らしくないはずがない。その素晴らしいピアノ演奏を目の前からシャワーのように浴びるのは極楽である。それも3日間通しチケットで、2,000円の安さである。交通費と宿泊費が別に必要でそれがお高い。また体力と忍耐力が必要だ。

5p1100098 席から見上げると5m先にピアノが鎮座

 

2018-03-17

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2018年3月16日 (金)

225円の決断

危機管理27  
               
 ◆ 即決できずが半数 
  ビジネス文書能力向上のため、2000年6月24日(土)に、篠田義明早稲田大学教授による科学工業英語(テクニカルライティング)セミナーを前職の開発センターで開催した。参加者は役員6名、基幹職16名、担当員17名、一般12名、合計50名である。開催地が陸の孤島であるため、セミナー参加者向けに、5月31日19:07 に昼食申し込みの案内を電子メールでした。この事務処理でなかなか返事が集まらないのに、いらだち、ふと疑問を抱きデータを解析してみた。その結果が下記。

      メールを開いて即返信     48%
  当日もしくは翌日に返信    10%
  3日~7日間で返信      20%   

      回答なし           22%   (n=44)

 これに我々の日頃の仕事ぶりやコミュニケーションのやり方が、全て出ているのに気がついた。人生はけっして偶然ではない。すべて必然で、一つの行動が全てを象徴している。たった225 円の昼食費の決断でも、日頃の決断の仕方がそのまま物語っている。今回の50人の対象者は休日の1日を費やし、テキスト代を払ってまでして科学工業英語の自己啓発をしようという意欲ある人達にもかかわらず、この有り様である。そうでない人達だったらどうなったことやら。

 結果として、約半数の方がその場で決断できなかった。わずか225 円の話である。メールを見てすぐ2行の返事を書くだけの事務処理に対して、後から処理するとなると、まずメール暗証番号を打ち込み、メールが開くのを待ち、目的のメールを探して返信する。これで最低2分はかかる。その分だけ自分の仕事が遅れる。その分だけ部下の書類の決裁が遅れる。その分だけ組織の業績が悪くなる。そしてそういう人に限って幹事の役を煩わして全体の時間をロスすることになります。

◆ 積小為大
 22%の方は「不食の場合も連絡を頂きたい」とお願いしたのにも関わらず返事のない方でした。篠田教授は当日の講義で、「文法には学校文法、生成文法,伝達文法がある」と解説されました。実社会ではこの「伝達文法」が理解できないと仕事が出来ない。この場合は、「学校文法」として返信を要求したメール文になっていないが、「伝達文法」として返信が要求されている。返信をしなかった人はそういう概念が無い人だと言える。返信のない人は食事をしない人と割り切って、事務的に処理をすれば良いのだが、今回は意図して文面に返信を要求した。

  そして返信が無い場合は、幹事は督促の電話かメールを打つ。つまり組織として余分の時間を奪う事態になる。つまり返事を出さない人は、組織としてのコミュニケーション意識がないのである。大きな仕事とは、ホームランの集まりではない。小さい作業の確実な積み重ねや、当たり前のことの積み重ねが仕事なのだ(積小為大)。

◆ 決断
 責任者の仕事の大半は決断である。責任者が決断を下さないと組織の作業は進まない。書類が机の上に停滞している間、作業は止まっており、死の時間が流れている。今の時代、企業の業績格差を生むものはスピードと行動力である。テクニカルコミュニケーションの目的は、文書での情報伝達と決裁のスピードアップで、225 円の決済に1週間もかかる人は、稟議100万円の決済はできない。たった225 円の決断を延ばす人は、決断を遅くする練習をしているのだ。

 我々が日常やっていることには「仕事」と「作業」がある。責任者は作業でなく仕事をしなくてはならない。作業とは時間コストです。それに対して、「仕事」とはその作業(=時間コスト)をなくすことを考え実行する付加価値を生む頭脳労働である。単に時の流れるままに作業をしているのは仕事ではない。責任者は選択をして、成果の出る方向にやるかやらないかを決断するのが仕事である。それを延ばすのは業務怠慢だ。

 私の時間節約法の一手法は、会議通知、宴会等の案内をもらったら即、返事をします。まず返事をして、都合が悪くなったら変更すればよい。それを後からするから、肝心の案内書が何処に行ったかわからなくなり、結果として幹事に迷惑をかけるのです。幹事はあなたの後工程です。後工程とはお客様です。お客様を泣かせてはいけません。
 どんな雑用にも学びはある。要はどう考え、何が問題かを意識するかである。最近の私の趣味は人間ウォッチングです。人は一つの情報にどう反応し行動するか? そこに日頃の人間性が全て出てきます。だだし、そこに正解はありません。それに対して自分なら、どう考えどう行動したであろうか、これから何を学んだかが問われる。上記はその私の一答例です。目の前にある事象は事実ではありません。ただ、その人の解釈の違いがあるだけです。
  There are no facts, only interpretation.      ニーチェ

(初稿2003年8月8日)

20018年3月16日

久志能幾研究所    小田泰仙


                                     

「心の汗」をかいてますか?

危機管理23 

  人がかく汗には「体の汗」、「頭の汗」、「心の汗」の3つがある。仕事が中途半端なのは本気でないため。身体の汗をかいていないのだ。仕事で時間がかかるのは頭の汗をかいていなため。いい仕事ができないのは心を働かせず気配りがないため。

 動いて「体の汗」をかいて仕事をするのは当たり前。なにせお客様からお金を頂いているのだから。汗をかかなければ月給泥棒。本気で仕事をすれば自然と汗がでる。

 でも、もう少し「頭の汗」をかいて仕事をすると、体力のいる作業が減り、仕事が効率的になり、より高品位な商品をお客さまに提供できる。頭の汗をかかなければ、それは仕事ではなくルーチンワーク(作業)をしただけ。それは作業であって仕事ではない。それでは新しい付加価値は出せない。今までと同じやり方では後退を意味する。
   なにせ世界は、すごいスピードで変貌している。海外の若者の明晰さは日本人の大卒と同じである。それなら、作業は外国人に任せればよい。

 その仕事に「心の汗」をにじませると、お客さまに感動を伝える仕事(商品)ができる。その汗とは、その仕事に対する思いと誠意から滲み出るものだ。そう、「心の汗」は滲み出てくるもので、流れ出るものではない。管理間接部門のお客様は姿が見えにくいのだが、トヨタ生産方式から言えば後工程がお客さまである。お客さまが感動しない商品を売っていては、このデフレ時代、グルーバル化の時代には、いつか淘汰される。それは企業でも、組織(含む家庭)でも、個人にもあてはまる冷酷な事実なのだ。結果として会社、組織、個人、最後は家族が不幸になる。その責任は汗をかかなかった当人にある。心の汗を滲み出させるのにお金は不要です。

   今、マスコミを賑わしているリストラ、倒産、不祥事等はすべてこの3つの汗をかくのをさぼったためなのだ。そしてこの3つの汗をかかなかった人が、記者会見の場で、冷や汗と油汗をかいて、雛壇から世間様に対して謝罪の頭を下げている。
   汗をかかなかった人は往々に、社会や人のせいにする。そして、自分はかわいそうな存在です、と同情をもらうのである。慰めてもらうのは気持ちがいいもの。また、人に責任転化するのは楽なのだ。でも、それは被害者の人生で、敗残者の人生である。原因を自分に求めないと事態は何も解決しない。責任者なら、リーダーなら、この3つの汗をかき、危機管理の予防処置で3つの汗を流す行動が必要だ。(初稿2003年7月22日)

2018年3月16日

久志能幾研究所    小田泰仙

そんなこと言われったって、ワシ困る

  あるプロジェクトで、私がリーダーにある人のことでかみついたら、「そんなことわれったって、ワシ困る.....   であった。私はもっと困るである。その組織は最大に困るのだ。
  そのリーダーが、その問題ある人に声をかけてプロジェクトの一員にして、最初の会合で問題を起こしている。リーダーは鈍いのか、それが問題になっているとは意識がない。その御仁は会議中に勝手に関係ない電話をしまくるし、皆を乗せた車で運転中に携帯電話を平気で応対している。肝心のそのプロジェクトには、忙しいとかでメインの行事は欠席である。それでは幹事を頼んだら意味がない。

リーダーの責任
  リーダーには分かっているはずだ。見たくない現実から目をそらしているに過ぎない。それと同じ類の事例がごまんとあり、リーダーが見て見ぬ振りをして組織を危機状態に追い込む。そうなのだ、問題があってもそれを指摘してもらっては、「ワシ困るのだ」である。ノー天気で無責任なリーダーには、何事も、なあなあにしてもらわないと困るのだ。その問題から逃げるから大きな事件になる。初期消火をしなっかった罰である。

  それが、東電の津波対策であり、無資格者の検査体制であり、業者との癒着であり、業者への丸投げの無責任体制の放置、無償残業の放置であり、ブラック企業の体質の放置であり、食品偽造の横行であり、二重国籍の放置であり、野党のブラーメン政治のお粗末なのだ。
  リーダーなら、見たくもないものも直視して、触りたくない事柄にも、対処せねば組織が不幸になる。不幸な事故の原因は危機管理へのリーダーの姿勢にある。

2018年3月16日

久志能幾研究所     小田泰仙

2018年3月15日 (木)

そんな話しは聞いていない

危機管理37 
                  
そんな話し聞いていない症候群
 「そんな話は聞いていない」とは、よく責任者が発する言葉である。ひどい上司になると「小田君、私はその話を聞いてないことになっているからな!」と私にクギをさして、唖然とさせられる事例もよく経験した。しかし、責任者がそれを言ってはおわりである。そんな人が経営していた会社も今はない。
 「そんな話は聞いていない!」?
 「でも、今聞いたではないですか?」
 聞かなかったのはタイミングの問題で、不可抗力もあるかもしれない。でも、今聞いたでしょ。責任者として、その時点でどう判断し、どう処置するか、が問われている。聞いた時点で、責任者として適切な手を打てば大火にはならないのだ。ところが多くの責任者は、「そんな話は聞いていない」と逃げるのである。そう言って逃げる人は、どうせ前から聞いてもまともな手を打てない人なのだ。だからこんな言葉を発する。
 「そんな話は聞いていない」を禁句にする人は、部下をきちんと上司に報告させるし、そのように部下を指導教育している。だからそんな事件は起こらない。その前に手を打っている。「そんな話は聞いていない」と言う人は、部下をそのように無責任体質に汚染させている。だから必然的に問題が起こる。情報を本人に伝えないような状況を作りだしているのは、当の上司なのだ。

そんな話しの顛末

  2000年夏の雪印乳業食中毒事件で、当時の社長が記者団に囲まれて、思わず「私は寝てないんだ!」と発した状況は、社長自身が作りだした。しかし、今回の悲劇は当の社長がその原因を分かっていないこと。なぜそんな事故や事象が起きたのか、それは責任者が分かっていても、その正しい処置を取らなかったことに起因します。「そんな話は聞いていない」ではなく、そのような状況を当の責任者が作りだしている。結果として、責任者(リーダー)が間違った判断をすると、組織の全員が不幸になるのです。それ故、責任者を選定するとは企業にとって重い決断です。貴方はだれを後継者にして、どのように指導育成するか、どんな価値判断で選ぶか、それが問われた事件だと私は観察した。その結果、2011年4月1日に雪印は消滅し、2016年10月20日、三菱自動車はゴーン社長への貢物となった。

 「そんな話」は感性を高めていれば、自然と耳に目に入ってくる。その業務に人並みの責任感さえあれば、気づく類なのである。聞いてないとは言いながら、実は責任者も薄々は知っていた話が多いはず。特に大きな問題になるような事象は、それを示唆する事前現象があったはず。雪印食中毒事件も三菱自動車リコール隠しも前の東海村の臨界事故も同じだ。その話を聞いた時点で正しい判断と行動を取れば、一時的なロスは生じても最悪の事態はさけられたはず。的確な処置さえとれば、却って信用が増す場合もある。それを「聞いてない」と責任転化する体質が悲劇を生む。無責任から引き起こされる損失は、雪印や三菱自動車のように企業の存続問題に発展する(初稿2003年10月30日)

2018年3月15日

久志能幾研究所    小田泰仙

2018年3月14日 (水)

貴方の近くで時限爆弾のチクタクが聞こえる

危機管理11 
カウントダウンの意味


 人生・仕事の危機管理とは、爆発(信用金庫破綻)までのカウントダウンの秒読みが聞こえるかどうかである。危機意識に対する感性の低い人には、この秒読みが聞こえない。仕事を始めれば、自動的に危機状態へのカウントダウンが始まる。また決断を引き延ばしていると、いつの間にか最終カウントダウンの状態に陥る。人生では、いかに早くそのカンウトダウンに気づいて、リセットボタンを押せるかの能力と意欲、およびその訓練の姿勢が問われている。そして危機に気づかず、リセットボタンを押せなかった人が、毎年30,000人ほどが自らの命を絶っている。今はそんな厳しい時代である。

==カウントダウン3==
 上司はやさしい人だ。部下の育成を願い、色々と注意や叱責をしてくれまる。そして3回目迄は許してくれる。でも仏の顔も3度まで。1回目の「督促」は要注意なのだ。「残りはあと2回ですよ」と。2回目になるとイライラした怒りなのだ。「あと一回で爆発ですよ」と。3回目は爆発して、もう「この件に関してはダメ!」との烙印を押すのであり。仏が鬼に変貌する。もう4回目は無いのだ。仕事が他の人に回るのである。まさにリストラの危機である。上司は何回言っても判らない人、言っても仕方のない人には何も言わない。そうしないと、組織全体が危機に陥る。

==カウントダウン2==
 自動車メーカーはもう少し厳しい。1回目の品質問題か納入問題を起こして、キチントした再発防止を打たず、2回目の問題を再発させると、自動的に納入停止である。最悪の場合は取引停止である。そうなれば倒産です。でもそういう厳しさが有るからこそ、トヨタグループ全体としてはなんとか勝ち組みに入っている。

==カウントダウン1==
 怒鳴るお客様は親切です。きちんと間違いを指摘してくれるのですから。なんとか改善してほしいと思っているのですから。
 でも真のお客様はもっと厳しいのです。お客様はお店に来て、一回の不愉快さを感じると、もう来てくれません。なおかつ、何も言わず去って行きます。それが一番冷酷です。そういった危機感を持って仕事を運営しないと、仕事が無くなります。店が潰れます。

==今ここ/カウントダウン0==
 しかし運命の女神様はもっともっと冷たく厳しい方なのです。あの時、あの状況、あの人達との巡り合わせは2度と来ません。今その時に全力を投入しないと、やり残しで悔いが残るのです。失った時間,チャンスは二度と帰って来ないのです。でも積極的に運命に直面する人には女神様は優しいのです。
 決断しない、行動をしない、優柔不断に引き延ばす、こんな行動では、全て悪魔にカウントダウンのスイッチを押させる行為なのです。決断しない、それは決断しなければない項目が目前にあるはず。判っていても、できない。行動しない、頭では行動しなければと思いながらも、動かない、動けない。それこそ悪魔にカウントダウンの時計を弄ばせること。すべて自己の選択の結果です。決断しないという選択をしている。決断・行動をしない人には運命は冷酷なのだ。
 しかし、本物の時限爆弾と違い、人生での危機は、その状況に気づき、それをリカバーする気になれば、遅い速いは別にして、リカバーの手段は無限にある。それが唯一の救いだ。それさえ気づかない人が絶望して命を絶つのだ。

 一期一会とは危機管理の言葉である。人生に、もう一度の機会などはないとの危機感が必用である。悪魔は黙ってカウントダウンのスタートボタンを押す。心耳を澄ませば、あなたの頭上で音もないカンウトダウンが聞こえるはず。それは何のカウントダウン?


==懐かしい思いで==
 私の前の部署の上司で、トヨタから出向されていたO部長には、この件で厳しく指導された。「3回督促して、上司の要求に応えられない時は、もうその件ではダメ!」との烙印を押されるとはその時の指導であった。「これで3回目ですよ。小田さんって、そんな情けない人だったんですか」と言われたことが多々あった。それはなんと辛く情けないことであったか。言い方は優しいが、心にグサッと突き刺さるような厳しさがあった。でもこの厳しさはトヨタ自動車では当たり前で、思えば私にはかなり甘い指導であったようだ。O部長が受けた指導はそんな生半可なものではないようだ。だからトヨタは生き残っている。「リーダーとは厳しく、嫌われてなんぼの世界、それが組織が生き残る条件」と割り切れば、人を厳しくするのに抵抗はない。なまじっか人に好かれようとするから、人を指導できなくなる。自分に甘くては人を指導できない。多くの上司が私の前を通りすぎていった。優しい上司や冷酷な上司は記憶に薄いのだが、厳しく指導をしてくれた上司ほど記憶に残り、厳しさを教えていただいたありがたさを今つくづくと感じる。

  会社を退職してから今の時点で周りの付き合っている人達を見ると、なんと極楽とんぼのような人ばかりかと心配になる。ご縁ある人達のため、敢えて鬼の諫言を伝えている。(初稿 2001年3月16日)

2018年3月14日

久志能幾研究所     小田泰仙