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2018年3月16日 (金)

225円の決断

危機管理27  
               
 ◆ 即決できずが半数 
  ビジネス文書能力向上のため、2000年6月24日(土)に、篠田義明早稲田大学教授による科学工業英語(テクニカルライティング)セミナーを前職の開発センターで開催した。参加者は役員6名、基幹職16名、担当員17名、一般12名、合計50名である。開催地が陸の孤島であるため、セミナー参加者向けに、5月31日19:07 に昼食申し込みの案内を電子メールでした。この事務処理でなかなか返事が集まらないのに、いらだち、ふと疑問を抱きデータを解析してみた。その結果が下記。

      メールを開いて即返信     48%
  当日もしくは翌日に返信    10%
  3日~7日間で返信      20%   

      回答なし           22%   (n=44)

 これに我々の日頃の仕事ぶりやコミュニケーションのやり方が、全て出ているのに気がついた。人生はけっして偶然ではない。すべて必然で、一つの行動が全てを象徴している。たった225 円の昼食費の決断でも、日頃の決断の仕方がそのまま物語っている。今回の50人の対象者は休日の1日を費やし、テキスト代を払ってまでして科学工業英語の自己啓発をしようという意欲ある人達にもかかわらず、この有り様である。そうでない人達だったらどうなったことやら。

 結果として、約半数の方がその場で決断できなかった。わずか225 円の話である。メールを見てすぐ2行の返事を書くだけの事務処理に対して、後から処理するとなると、まずメール暗証番号を打ち込み、メールが開くのを待ち、目的のメールを探して返信する。これで最低2分はかかる。その分だけ自分の仕事が遅れる。その分だけ部下の書類の決裁が遅れる。その分だけ組織の業績が悪くなる。そしてそういう人に限って幹事の役を煩わして全体の時間をロスすることになります。

◆ 積小為大
 22%の方は「不食の場合も連絡を頂きたい」とお願いしたのにも関わらず返事のない方でした。篠田教授は当日の講義で、「文法には学校文法、生成文法,伝達文法がある」と解説されました。実社会ではこの「伝達文法」が理解できないと仕事が出来ない。この場合は、「学校文法」として返信を要求したメール文になっていないが、「伝達文法」として返信が要求されている。返信をしなかった人はそういう概念が無い人だと言える。返信のない人は食事をしない人と割り切って、事務的に処理をすれば良いのだが、今回は意図して文面に返信を要求した。

  そして返信が無い場合は、幹事は督促の電話かメールを打つ。つまり組織として余分の時間を奪う事態になる。つまり返事を出さない人は、組織としてのコミュニケーション意識がないのである。大きな仕事とは、ホームランの集まりではない。小さい作業の確実な積み重ねや、当たり前のことの積み重ねが仕事なのだ(積小為大)。

◆ 決断
 責任者の仕事の大半は決断である。責任者が決断を下さないと組織の作業は進まない。書類が机の上に停滞している間、作業は止まっており、死の時間が流れている。今の時代、企業の業績格差を生むものはスピードと行動力である。テクニカルコミュニケーションの目的は、文書での情報伝達と決裁のスピードアップで、225 円の決済に1週間もかかる人は、稟議100万円の決済はできない。たった225 円の決断を延ばす人は、決断を遅くする練習をしているのだ。

 我々が日常やっていることには「仕事」と「作業」がある。責任者は作業でなく仕事をしなくてはならない。作業とは時間コストです。それに対して、「仕事」とはその作業(=時間コスト)をなくすことを考え実行する付加価値を生む頭脳労働である。単に時の流れるままに作業をしているのは仕事ではない。責任者は選択をして、成果の出る方向にやるかやらないかを決断するのが仕事である。それを延ばすのは業務怠慢だ。

 私の時間節約法の一手法は、会議通知、宴会等の案内をもらったら即、返事をします。まず返事をして、都合が悪くなったら変更すればよい。それを後からするから、肝心の案内書が何処に行ったかわからなくなり、結果として幹事に迷惑をかけるのです。幹事はあなたの後工程です。後工程とはお客様です。お客様を泣かせてはいけません。
 どんな雑用にも学びはある。要はどう考え、何が問題かを意識するかである。最近の私の趣味は人間ウォッチングです。人は一つの情報にどう反応し行動するか? そこに日頃の人間性が全て出てきます。だだし、そこに正解はありません。それに対して自分なら、どう考えどう行動したであろうか、これから何を学んだかが問われる。上記はその私の一答例です。目の前にある事象は事実ではありません。ただ、その人の解釈の違いがあるだけです。
  There are no facts, only interpretation.      ニーチェ

(初稿2003年8月8日)

20018年3月16日

久志能幾研究所    小田泰仙


                                     

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