2023年12月20日 (水)

大垣一夜音楽祭、石田市長、♪ダイアナを熱唱 

 

 大垣の冬の行事として、大垣の若手音楽家の育成、大垣の音楽文化の育成を目的に、市会議員(当時)の岡田まさあき氏が音頭を取り、大垣市は23年前から冬の音楽活動を始めた。今年はその第21年目のイベントとして、「21th 大垣ジャストワンナイトコンサート」で、30のコンサートが12月16,17日に大垣市内の11の会場で開催された。そのしんがりとして、The Seniors & Be Youngが演奏した。

 

 私はThe Seniors & Be Youngとご縁があり、その練習風景とコンサートの撮影とビデオ撮影を担当した。当日はSony α7Ⅳ,Sony α9に70~200㎜f2.8レンズ、24~105㎜レンズを装着し、コンパクトデジカメを含め三丁拳銃で撮りまくった。合計の撮影枚数は1000枚弱である。演奏会の撮影は5年ぶりである。

 

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 挨拶をされる岡田まさあき実行委員長

 「大垣音楽祭」という井戸を掘ってくれた大恩人に感謝である。

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バンド紹介

 The Seniorsは松下実さんがリーダ(親分?)で、73歳をトップに60歳代が主力のグループである。The Seniorsは50年から70年代のオールディーズ一筋で6人編成のバンドである。

 Be Youngはそれより10歳くらい若い4人グループである。リーダは同じく松下実さんである。Be Youngは昭和の懐かしい歌謡曲からポップスまでの和洋の音楽を4人で演奏するバンドである。

 

会場準備

 会場は大垣市北地区センターで、用意した196席が満席であった。当日は、中学同級生の私を含め、同じ学年の伊藤秀光県会議員と他同級生が多数来ていて、大盛況であった。

 その会場準備も後片付けも同級生が率先して助けてくれた。ありがたいことだ。

 

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 観客も70歳前後の世代が大半で、嵐の団塊世代が駆け抜けた跡を露払いするのが大変だった。その世代?が元気一杯で会場に溢れていた。嵐の団塊の世代の去ったあとは、ぺんぺん草も生えないようだが、その後を埋めるのが、今の70代前半である。

 

ゲスト出演

 当日は空(そら)市会議員が「ぽんぽこ」を歌った。松下リーダから「そら見たことか!」と言われないように脅迫?されていたので、最大限の熱唱であった。今後、空さんは、「ぽんぽこ」を18番ではなく、16番の歌?にするとのこと。

 コンサートの最後に大物ゲストの石田仁大垣市長が登場し、「ダイアナ」を熱唱した。「ダイアナ」はオールディーズの代表的な歌である。「ダイアナ」は、1957年にポール・アンカが作詞作曲し、自ら歌って有名にした楽曲で、1957年5月にニューヨークのドン・コスタ(英語版)のスタジオで録音された。

 ボーカルの千晴さんから「ハンサムで、歌って踊ってくれる市長さんが来られるのはうれしい」との紹介で、石田市長が登場であった。市長が公的な場でオールディーズの歌を歌うとは、この25年間の大垣市政ではなかった珍事である。バンドと共演して、歌を歌ってくれる市長が登場するとは、嬉しい限りである。以前の堅物の市長たちではありえない事態である。石田市長は、(親分から)とにかく来い、歌わせてやるから来い、と言われて来ました。会場を盛り上げるために来ました」と謙虚に自己紹介?である。リーダの大物ぶりがうかがえる。

 私は、今の大垣市の行政には不満だらけではあるが、今回の市長の情熱と熱演ぶりに少しだけ石田市長を見直した。それで大垣が少しでも活性化すれば嬉しい。前市長の悪政の結果、大垣は芸術の不毛地帯に変貌した。私は、衰退していく大垣市を、どげんきゃせんとあかん、とやきもきしている。

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 空市議会議員の熱唱

 

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 「ダイアナ」を熱唱する石田市長

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 石田市長とBe Young

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  The Seniors

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 Be Young

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 観客は頭が白い昭和の世代が大多数

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歌は力

 歌には讃美歌、お経、念仏、社是と同じ効果がある。それを歌い、唱えれば、みんなと気持ちが一つになる。皆と同じ歌を歌えば、心は一つになれる。反戦の歌を歌って、戦争に反対して世界平和を目指そうとする行動は、大きな力となる。歌は芸術で力を与えてくれる。Be Youngのボーカルの千晴さんが、舞台で反戦の歌の解説をされて、始めて歌の力に気が付いた。言葉は言霊といって、魂が籠っている。

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音楽都市の活性化

 聞けば昔、石田仁市長はバンドをやっていて、それを参考に松下実さんがバンドを結成したという。当時はバンドをやっていると「奴は不良か」と色眼鏡で上の世代からみられた時代である。見方を変えれば、それだけ元気があったのだ。

 当時の私はがり勉一筋で、バンド演奏活動は、私には縁のない世界であった。松下実さんと私の接点は、模型飛行機作りであった。二人とも伊藤模型店に入りびたりであった。今の若い人のゲーム、YouTube時代とは隔別した平和な昭和の時代であった。それが私も老いて、今はその世界にのめり込んでいる。それで今後の音楽都市、文化都市への復活の一助になればと思い活動している。

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2023-12-19  久志能幾研究所通信 2788号  小田泰仙

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2023年12月17日 (日)

命の危険、ナイロン袋お茶、プラ製おしゃもじ、廃棄

 

 簡単にお茶が飲めるティーパックや紅茶パックが便利である。しかし利便性には危険が潜む。高温に晒されるナイロン袋やプラ紙パックから有毒な物質が溶け出すという情報を得て、私はそのお茶パックは全て捨てた。

 今は、普通の茶葉を、普通の金属製の茶こしを使って、お茶を飲むように変更した。

 それから連想して、炊きあがったご飯をよそう時、高温に晒されるプラ製おしゃもじも危険と判断して、廃棄した。プラ製を木製のおしゃもじに変更した。疑わしきは遠ざける、それが危機管理である。

 

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 メーカの炊飯器に付属してたプラ製おしゃもじ

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親の因果が子に報う

 現代は便利で安く永遠に使えそうなものが溢れている。まるで魔法を使って生活しているようなものだ。その魔法には恐ろしい裏の呪いが付いていた。それを生み出したのは、カネに執着した悪魔である。現代人は「便利」と引き換えに、悪魔に「健康と安全」を売り渡した。カネに執着する悪魔は愛嬌のある魔女ではない。

 魔女はプラ製おしゃもじを持たない。空飛ぶほうきもプラ製ではなく、自然物である?

  芸術作品は、作った作者の人格がそのまま表される。それは全ての創造物に現れる。悪魔が作る創造物は醜い。金儲けが目的の人が作ったモノやシステムは、その心が反映して出来上がる。ナイロン袋のお茶や、添加物満載の食品の氾濫は、その典型である。国民を考えない守銭奴の役人が作る税制は、増税ばかりで、国民を不幸にし、国の発展の足を引っ張る。悪魔の所業である。

 堕落した親からは、ろくでもない子供が育つ、それと同じである。子供は親の後ろ姿を見て育つ。

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  「バイオリンを持つ少女」 渡辺陽子さん作

   心優しい魔女が生み出す人形の眼は、カネに飢えた悪魔とは違う。

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食器の材料

 食器やおしゃもじによく使用されている材料は、プラスチック。プラスチックである。原材料表示には、ポリプロピレン・メラミン・ポリカーボネートなどがある。加工の段階で添加剤として、可塑剤(柔らかくする)・安定剤(熱や紫外線からの劣化を防ぐ)・界面活性剤(静電気を防止したり、曇りを防止する)・難燃剤など、他にも着色剤や充填剤や発泡剤などが使われる。これらのプラスチック製のものは、低温で造られるので熱に弱く、性質上原料が溶け出す恐れもある。

 

洗剤

プラスチックの容器は、食洗器で洗うと、少し高温に晒される。だからプラスチックの御しゃもじを撤去した。

さらに木製のおしゃもじは手洗いである。木製のおしゃもじを、食洗器では洗わない。それは人体に有害な洗剤がしみ込む恐れがあり、それを避けるためである。洗剤も安全性を考えて選択して使っているが、それでも、たかが洗剤、されど洗剤、である。洗剤の中には、有害な成分を含んだ洗剤もある。

 

マイクロプラスチックの害

 有害物質を吸着したマイクロプラスチックを摂食した人間は、有害な化学物質が体内に蓄積され、免疫力低下をはじめとした何らかの健康被害を受ける可能性が指摘されている。

がんや認知症が日本だけで激増している。真因は分からないが、「疑わしきは使わず」しか庶民は身を守れない。

 

君子危うきに近寄らず

自分の城は自分で守れ(トヨタ家の教え)。

 

役人を信用するな

 厚生省や公立の研究所、ましてや企業の研究所はアテにならない。日本の添加物の認可数は欧米の10倍以上である。すべて利権で紐が付いているようだ。役人だって、食品メーカを定年後の天下り先として餌にぶら下げられれば、心が揺れるだろう。国会議員がパーティ券等の裏金作りに励むと同じである。

 日本の衰退の真因は、汚役人の心の劣化である。

 役人を見たら人の健康を盗む泥棒と思え。

 

 

マイクロプラスチックの溶け出し 

 今年9月下旬にはナイロン、不織布PET、ポリプロピレンなどの袋が使用されているティーバッグから、マイクロプラスチックが大量に溶け出していることを「アメリカ化学会」が発表した。

 摂氏95度の抽出でティーバッグ1袋あたり約116億個のマイクロプラスチックが、さらに小さなナノプラスチックが約31億個お湯に溶け出すことが判明したという。

参考記事

ナイロン製のお玉やヘラでの熱調理 「有毒物質の溶け出し」を警告 – Sirabee

https://sirabee.com/2019/11/16/20162197845/

 

2023-12-16  久志能幾研究所通信 2787号  小田泰仙

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2023年12月15日 (金)

「ルシア祭の歌と忘年会」のご縁

 

 12月10日、ご縁がありスウェーデン協会主催の「ルシア祭の歌と忘年会」に参加してきた。私はスウェーデンには、1985年に5か月間程滞在した経験があり、懐かしさが一杯である。私にはルシア祭は初体験で楽しかった。忘年会もアットホーム的でよかった。出された料理も、スウェーデン特産の品が多く、美味しかった。美味しいというホット赤ワインも出されたが、禁酒中の私はパスであった。スウェーデンでの黒歴史を思い出した。

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スウェーデン滞在中の黒歴史

 私はスウェーデンで最初の現地の人との食事会のおり、アルコール度60度?の酒を乾杯として飲まされた。それはマイナス20℃で半ば凍っており、トローっとしていた。彼らは「スコール(乾杯)」と言って小さな杯を上げ一気に飲み干した。私もつられて一気に飲んだ。その酒は少し甘く美味しかった。しかしそれはダイナマイトであった。30分後、それは胃の中で爆発した。私は倒れてしまう醜態をさらした。ホテルの自室に担ぎ込まれたが、しばらく天井が回っていた。そうか!スウェーデンの天井は回るんだ!(笑)

 同席した3人の会社仲間は、海外出張の経験が多く、そういう酒の恐ろしさを知っていて、乾杯でもコップを舐めただけで飲まなかった。そんなことを知らない私はダイナマイトを飲み干した。知らないということは恐ろしい!

 寒い国では強い酒が当たり前のようだ。アル中も多い。だから17時までは、酒類の販売は法律で禁止されている。

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ご縁の来訪

 その忘年会で、渡辺陽子さんの友人から今の日本が抱える「病気」を治すヒントを教えてもらった。

 

 スウェーデンの国土は日本の1.4倍、土地は湖だらけ、人口は日本の10分の一で、資源も乏しく、気候は厳しい、それでいて国は豊かで、一人当たりのGDPは日本の2倍近い。スウェーデンはこの200年間、戦争をしていない。この差は何? 

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黒発言?

 この忘年会参加のスウェーデンに滞在経験のある女性に、「スウェーデン女性はキレイな人が多いですね」と発言したら叱られてしまった。女性に対して、そういう表現はしてはいけないそうだ。女性に対して、美人かどうかなどの評価をしてはいけないそうだ。それがジェンダーフリーの考え方だそうだ。

 日本はまだまだ男社会のようだ。私みたいなオジサンはスウェーデンでは失格のようだ。

 それを教えてくれた日本女性は、「でも、男の人から美人だと言われる嬉しい」と本音を言ってくれた(笑)。この忘年会で、「日本で暮らして、良かった」と再確認した。世界は変な方向にむかっている。日本のジェンダーフリー法は、その女性が反対している。増税メガネの無節操政治の弊害である。

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 日本が抱えている課題の解決ヒントは、どこに転がっているかはわからない。来たご縁を大事にすると、向こうから新たなご縁が転がってくる。今回は、先月、Gallery Saganで人形展を開催した渡辺さん(私が敬愛する「魔女」さん)から頂いたご縁である。その方は渡辺さんの友人であった。渡辺さんから入手した「バイオリンを持つ少女」人形がご縁を運んでくれた。渡辺さんにお礼を言いたくて、「ルシア祭の歌と忘年会」に参加したのが、今回のご縁である。感謝である。

 来たご縁に遠慮はいらない、縁慮で行こう。

 私の方針は、来る縁は拒まず、去る縁は追わず。

 

久志能幾研究所通信  魔女からの贈物 夢見るバイオリン弾き少女

 

 その日本病の解決ヒントの解析は、別途報告します。今回は忘年会の報告です。

 

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 人形は渡辺さん製作

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 ルシア祭の歌を歌う子供達

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 スウェーデンの伝統の蝋燭

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  会場は名古屋・ダイニングバー フォーシーズンズ


 

聖ルチア聖人祭

 聖ルチア聖人祭は、キリスト教の聖人聖ルチアの聖名祝日を祝う行事で、12月13日に行われる。クリスマスシーズンのアドベント(待誕節)が始まるころに行われる。西方教会では伝統的に重要な聖名祝日で、スカンディナヴィア諸国と南欧が主として伝統的行事としている。

 16世紀にグレゴリオ暦が改訂されるまで、聖ルチア祭は北半球の冬至の日であり、スカンディナヴィア諸国では、12月13日に一家の子供の中で年長の少女が祝祭に参加する。

 

 少女は聖ルチアに扮してロウソクの冠を被り、ロウソクを手に持ち、同じ扮装をした少女たちと一緒に行進する。ロウソクは、生命を奪うことを拒む、火の象徴である。少女たちはナポリ民謡『サンタルチア』のメロディーを歌いながら部屋へ入ってくる。この歌はナポリの美しい港の情景を歌ったものだが、スカンディナヴィア諸国の詩ではルチアが闇の中から光と共に現れたという内容になっていて各地域の言語で歌われている。

 

 ユリウス暦によると、ルチア祭の夜は一年で最も夜が長い。雪が降る前の11月と12月の夜は非常に暗く長いことから、闇から光が現れたという考えが、特に北国で伝統的に支持されてきた。

  

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 ルチアの歌を歌う子供たち。スウェーデン

 

 スウェーデンでのルチア祭は、再生の意味を帯びる。ドイツで女児をもつプロテスタントの一家が、子供に『子供のキリスト』の扮装をさせクリスマス・プレゼントを手渡した、という行事が持ち込まれた。クリスマス・イヴに、子供の頭にロウソクのリースを飾り、飴やケーキを手渡す。白いドレスを着た女性が頭にロウソクを飾り、ルチアの日の朝に現れるという現在の内容と似ており、1700年代後半のヴェーネルン湖周辺の地方からゆっくりと国中に広がり、1800年代には全国で見られるようになった。聖ルチア祭はスウェーデンの休日ではないが、国で親しまれる行事である。

この項、ウィキペディア「聖ルチア聖人祭」を編集

 

2023-12-14  久志能幾研究所通信 2786号  小田泰仙

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2023年12月10日 (日)

『自分史資料と著作』編纂、50年間の振り返り

 

塞翁が馬

 先に50年分のスクラップファイルを再整理した。今度は、今まで項目別に並べていた自分の歴史資料を、時系列(年代順)に並べ直し、見直しながら当時のことを思い出し、あれこれと振り返っている。

 あの時、こうすればよかったとの後悔の念と、あの時に回りから反対されたけど強行してよかったという達成感がある。あの時の失敗があったら、後年の失敗が避けられたというめぐり合わせを感じる。その歴史跡から人生は塞翁が馬であることを古希を過ぎて初めて実感する。

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人生最大の決断

 今思うと、私の最大の決断は母の反対を押し切って、地元を離れて三河地区の企業に就職したこと。それで私の人生が大きく広がった。狭い世界の大垣に居座っていれば、その後の人生は狭い範囲でしか広がらなかっただろう。母は一人息子の私を地元に置きたかったのだが、私はその束縛を嫌い、母の元から飛び出した。障子を開けて外に出てよかったと50年間の結果を見て思う。

 障子を開けてみよ、世界は広いぞ   豊田佐吉翁

 それは私の人生のボタンの正しい掛け方であったようだ。ボタン一つの掛け違いで、人生は暗転する。そのボタンを掛ける位置を巡り、大学の指導教官が母を説得してくれた。そのご縁に感謝である。

 人生は努力だけでなく、最初の選択が最重要なのだ。

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浦島太郎物語

 しかし前職で定年を迎え、大垣に帰郷した時、両親は既にこの世にいなかった。40年ぶりの故郷に住み始めると、回りは様変わりで浦島太郎の心境であった。

 私は若い頃、桃太郎として鬼が島に鬼退治に出かけて、多くの闘いで戦果を挙げた。いつしか40年が経ち、私は浦島太郎になって故郷に帰ってきた。玉手箱を開けたら、自分が老人になっていることを教えられた。それが私の人生の表と裏の世界の旅物語である。

 人生を生きていくための拠り所は、自分自身だけだ。それが長い旅から得た教訓である。それは私の両親からの教え(家の教え=宗教)である。

 「全ての出来事は、自分に意味があり」、「人生は因果応報」、「人智を超えた冥資、冥助あり」が人生の結論である。

     冥資:知らない間に受ける仏の加護

     冥助:目に見えない助け

 「浦島太郎物語」とは我が人生物語 - 久志能幾研究所通信

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自分の歴史資料とは、

学校卒業アルバム   卒業アルバムは全て保存している

表彰記録       小学校時の絵画の表彰状がある

セミナー参加の記録  業務だけでなく、自費で受けた研修も多い

趣味の記録      飛行機、美術品取集である。

雑誌への投稿記録   1960年代『かたえくぼ』に投稿を始めた

当時の写真アルバム  高校生の時からカメラを始めた

受験失敗の記録    受験の失敗があり、今の私がいる

大学の卒論      卒論の学友の一人は既に他界した

入院記録       1976年の入院記録から保存  

両親の資料      両親の苦労が資料に残っている。

           だから贅沢はできない。

失恋の記録、

相続関係資料、

親戚の資料      親戚の不祥事は、他山の石である。

家系図        1734年没のご先祖から約150名の歴史を記載。

お墓造りの記録    6つのお墓を3つに統合した記録である。

高額商品の購入記録  最初の高額商品は500万円のパソコン

師の記録       師と水先案内人を混同したことが懐かし

旅行の記録、

海外出張の記録    スウェーデンに5か月の出張滞在が初体験、

出版資料等である。

 

30年目の反省

 今ままでは日々の失敗の反省はする。それまでである。しかし、30年前の反省はあまりしてこなかった。今、この資料を見ながら当時の行動を振り返っている。それも第三者の目(上司の眼、同僚の眼、部下の眼)で、自分の黒歴史を振り返っている。そういう観点でその事件を俯瞰すると新たな発見がある。さらに佛の目でならと、見方を追加している。佛の目は時間と社会的通念を超えた眼である。

久志能幾研究所通信   人生の大地を耕す

 

人生の部品・縁

 文章や小説、論文は推敲した回数だけ、良い作品に成長する。自分の人生も同じである。自分事件の振り返りは、より良い人生を構築するための鍛錬工程である。人生はやっつけ仕事ではダメである。出会いのご縁を何度も振り返り、次の縁をより良くするためには、起縁の元を調べることが必要だ。この振り返りを経て、今後の人生が改善される。これは良き反省の機会である。それらの自分史資料を見直していると、自分の成長具合も分かる。

 

 自分人生と言う建物は、小さな自分事件(部品、縁)の積み重ねである。その小さな事件を再度見直して、強固な部品に磨き上げ、強化すれば、自分人生という建物は強靭な構造物になる。そのためにはその事件を何度も見直して鍛える工程(分析、反省、振り返り、鍛錬)が必要だ。

 どんな建物も土台がしっかりしていないと、砂上の楼閣となる。その土台は両親の働く後姿から学んだ。両親に感謝である。

 

 その人生でのご縁は、自分の人格に見合った縁にしか出会えない。俳聖芭蕉は、門人につねづね次の言葉を語っていた。

「句になるとするとあり。内をつねに勤めて物に応ずれば、その心の色、句となる。内をつねに勤めざるものは、ならざるが故に、私意にかけてするなり」

 毎日の生き方は、自分の人格の成長具合で、生まれる俳句(出会える縁、事件)が変わる。だから自分を成長させないと、よい人生は作れない。

 

物理的な分量

 その資料の総重量は約1,800㎏である。別のスクラップファイルは84冊で約840㎏である。残りの図書の総重量は、推定2.4トンで、これら蔵書の総重量は約5トンである。この2年間で、書棚を12個買い入れた甲斐があった。

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 上図は書庫の左半分部。この裏側の右半分部には約2.5 トン分の蔵書。

 天井の波板(音響上の対策)は、ここが元ピアノ室であったためである。

 元いた「猫足のピアノ」は出世して、別のピアノ室に異動となった。

 ピアノが異動したからこそ、この場所が空いて、書棚が6個も置けた。

 部屋だって、生老病死である。

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  「自分史ライブラリ」の総重量は約1,800㎏

  50年分の『航空情報』誌も並ぶ

  久志能幾研究所通信  『航空情報』誌の歴史に人生を重ねる

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 スクラップファイル

 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

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2023-12-09  久志能幾研究所通信 2785号  小田泰仙

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2023年12月 8日 (金)

伊勢神宮参拝、国の安泰を祈願、無 china

 

 2023年12月7日、伊勢神宮へ参拝に行ってきた。私はいつも12月の大安に参拝をしている。私は、年末年始の大混雑時には参拝しない。

 神様だって年末年始は忙しい。神様の事を思い、混雑を避けてのお参りである。たまには、神様の忙しさに配慮してあげよう。

 神様の下には、神宮の運営を支える人たちが多くいる。その人達のためである。

 言い換えれば、仕事の平準化である。トヨタ生産方式である。

 

中国人団体が消えた

 今回は、初めての仏滅の日で参拝であった。今回、例年と違うと気が付いたことは、いつもは目障りで、大声で騒ぐ中国の団体客がいなかったこと。そのため気持ちよく静かに参拝ができた。中国の経済状態停滞している影響のようで、中国人が来日してこないようだ。

 以前に北陸の永平寺に参拝した時も、境内の立ち入り入り禁止区域まで、中国人が傍若無人に立ち入っていた様を目撃して苦々しく思った。

 

 今回は中国人団体の代わり韓国人の家族連れや仲間とのグループが、大きな声で話していたこと。神聖で静寂な場所であることをわきまえて欲しいと、苦々しく思った。まあ中国人の団体客よりは、人数が少なく目立たないので、何とか許容範囲である。

 

仏滅と神事は関係なし

 またお日柄が仏滅のためか、いつもの参拝者よりも人出が少ないようだが、それでもそこそこの人出である。お陰で、内宮の垂れ幕内への参拝も、待ち人は私一人でゆったりと行えた。

 70にして、やっと「伊勢神宮参拝は大安の日」という呪縛から解脱できた。70にして69の非を知る、である。

 伊勢神宮の境内で見た現実を、日本人としてその伝統を守れと言う神の声として聴いた。 

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 宇治橋を渡って、大通りへ    ‎2023‎年‎12‎月‎7‎日、‏‎11:17

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 私は大通りに並行する庭園内小道を歩く

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 五十鈴川の手洗い場   これだけ少ない人出は初めて見た

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 内宮の階段下   これより上は撮影禁止


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    馬場恵峰書  小田の蔵軸

 これと同じ書を、2018年10月20日、馬場恵峰師は伊勢神宮に奉納された。

 私にも贈って頂いた。

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赤福の値上がり

 少し驚いたのは赤福のお店で、いつものように赤福ぜんざいを食べたら700円であったこと。以前は確か500円前後であったのに、700円への値上がりである。物価高騰の影響がここにも出ていた。700円ならランチが食べれるのにと思ってしまった。たかが、ぜんざい、されどぜんざい、である。庶民のささやかな楽しみである。値上げは痛い。

 

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神の啓示

 この件でも増税クソメガネを連想してしまった。腐敗した政党には、国民がノーを突き付けないと、目が覚めないようだ。唯々諾々と学会のいうまま投票する洗脳された人々に対抗するには、我々がしっかりと目を覚まさないと、日本は滅びる。

 

郷に入れば郷に従わず

 移民に私は大反対である。日本に来る移民の問題は、日本文化になれ従わず、彼ら独自の村を形成し、日本社会と断絶した社会を作ってしまうこと。川口市のクルド人問題でもその弊害が明らかだ。まるで治外法権の社会が日本国内に出来てしまうようだ。

 移民推進で、大混乱やテロを招いている欧州の二の舞を招いてはならない。欧州の混乱は他山の石である。

 そういう外国の輩は、神聖な伊勢神宮でも大騒ぎをする。日本古来の伝統など知ったことではないのだろう。本来、郷に入っては郷に従う、が人間として基本の行動である。日本人はそうしてきて、周りとの軋轢を避けてきた。海外からの移民にはそんな感覚はないだろう。同じ日本人でも、土地や育ちが違うと軋轢が生じるのは、周知のことだ。ましてや人種が違えば、その軋轢は巨大だ。

 

日本企業の強欲

 日本企業もその戦犯である。企業は、移民を安い賃金でこきつかうのを目的に、移民政策を賛成している。結果として日本人の平均賃金が下がってしまい、いつまでも日本経済がデフレ経済から脱却できず、日本人が貧しくなってしまう。

 日本企業は自分で自分の首を絞めている。日本には失業者が175万人もいる。それなのに、(実質)移民の外人労働者が10月現在182万人も働いている

失われた30年

 要は、政府の経済政策が失敗であったことが判明したのに、今いる失業者を無視して、その穴埋めの外人労働者を入れるという愚策に走った。それは派遣業者の利権の為である。国内企業は、安い労働者を使いたいだけ、目先のことしか考えていない。30年前に、外国の安い労働力を求めて海外に工場を移したと同じ行動である。それが自分自身の首を絞めてきた。だから失われた30年が生まれた。

 政府は国民の生活を無視して、利権に走り、国を滅亡に導いてきた。政府は狂っている。

 

 だからその対策は、移民に賛成する議員、増税を推進する政党には投票しないことだ。竹中平蔵の様にその利権を狙って移民産業を推進している。海外で有名経済学者は国の発展には移民が必要と言っているが(日経新聞はその記事を掲載して暗に移民政策を後押ししている)、いまだかって移民で栄えた国は歴史上に存在しない。国民として移民に反対しよう。

 1000年続いたローマ帝国も、国民が国を守る気概がなくなり、政治家は堕落して、軍事には外国の傭兵を使い、国民は飽食に明け暮れ、その結果としてローマ帝国は滅んだ。

 自民党政治家のパーティ券疑惑の堕落を見ると、人ごととは思えない。

 

2023-12-08  久志能幾研究所通信 2784号  小田泰仙

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2023年12月 6日 (水)

『航空情報』誌の歴史に人生を重ねる

 

 雑誌も生老病死である。54年間、購読してきた雑誌『航空情報』(せきれい社)がこの12月号を最後に休刊となってしまった。この雑誌を、私は中学生の時から購読してきた。感無量である。飛行機の発達史は、私の成長と共にあった。

 

黒歴史

 途中、2001年、父が亡くなった時のドタバタと、定期購読をお願いしていた本屋の不誠実が重なり、2か月分が欠落している。しかし1969年4月号(2549号)から最終号2023年12月号(963号)までは、全て揃っている。2冊分の欠落分を後でバックナンバーとして取り寄せようとしたが、入手が叶わなかった。その号がないことは私の黒歴史である。

 1961年7月号から1969年3月号までは欠落はあるが、バックナンバーとして50冊を揃えた。約4年分である。

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 書棚になら58年分の『航空情報』誌
 

 定期購読していて、欠品の不手際を出した本屋はすぐ解約して、別の本屋で定期購読を始めた。その数年後、先の本屋から定期購読を再開して欲しいとの連絡がきた。私は36年間もその本屋で『航空情報』を定期購読していたのに、父が亡くなった時の不誠実な対応に怒り心頭で、私は再開を拒否した。その後、その本屋は大垣市から消えた。本屋として、商売道を間違えていたと思う。

 

 休刊は残念だが、購読を68年と10か月間も続けてきたことを、自分で自分を褒めてやりたい。当初は、両親がくれたお小遣いからの出費である。それを許してくれた両親に感謝である。

 継続は力なり。2冊欠本があることで、私が神ではなかった証?である。すこし安心である? 

 神とは完全無欠で「人ではない」存在である。要は「人でなし」である。人は神を目指してはならない。ちなみに「佛」の漢字も、「人」偏に、「非」を組み合わせた象形文字である。人に非ずと書いて「佛」である。

 人は、人間的な成長をして人間になることを目指すべきだ。人は動物として生まれて人間になる。人として欠点を持ったまま、長所をさらに良くして、人間としての円熟味を出す。そうすれば、欠点が人間味となる。

 

10年、偉大なり。

20年、畏るべし。

30年、歴史なり。

50年、神の如し。

 (中国の格言)

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 人生飛行の着陸

 飛行機は飛び立てば、何時かは必ず着陸せねばならぬ。そのとき美しい姿勢で着陸したい。生物も飛行機も生老病死である。

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 1965年3月号 この号から購読を始めた。当時 定価250円

 今、事故で話題のオスプレイと同じタイプである。

 垂直離陸技術はもう70年近く前からの技術である。

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 2023年12月号 この号で最終号 定価 1400円

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 1961年7月号 バックナンバーで集めたうちで一番古い号

 

2023-12-05  久志能幾研究所通信 2783号  小田泰仙

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2023年12月 4日 (月)

看取り士の資格を取得、死の定義

 

 2023年12月3日、私は看取り学講座の上級講座を修了し、看取り士の資格を取得した。それで職業として働くためではない。死という生の現場知識を得るためである。自分自身のためにも、家族の為にも良かったと思う。

看取り士は観音菩薩、死をプロデュースする

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2023/07/post-bbed.html

 

紹介「看取り士養成講座」 - 久志能幾研究所通信

http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2023/07/post-3fff.html

 

人生の最重要で最期のセレモニー

 今回、看取り士の資格を受講して、必ず訪れる「死」への準備として、看取り士の知識を得られた。それは人にも薦められる講座である。

 何事もリハーサルが必要である。死は人生で最大で最後のセレモニーである。いわば人生の卒業式である。それを自分の目で確認し、模擬体験として行い、その内容を体で完全に理解する。それこそが現地現物である(トヨタ生産システム)。

 

ご縁の賜物

 今回はたまたまご縁があり、私の飛行機好きを知る看取り士の方から、岐阜自衛隊飛行場祭の前日リハーサルへのご招待があった。その「餌」?に釣られての受講であった(笑)。ご縁として結果オーライで、良かったと思う。

 そのきっかけは私の大垣市政への不満であり、そのご縁で市会議員選挙のお手伝いをすることになり、そこで看取り士さんと巡り合ったというご縁である。私は「来たご縁は拒まず」「気になることはやってみよう」という人生哲学である。

 

医学的な死 

 今回の最大の収穫は、死の定義である。我々が知らされる「死」は医学的な死であって、本当の死ではない。

 生物としての死の定義は、時代、地域により異なる。看取り学講座の知識からではなく、今までの通俗的、経験的な事例から明らかになっている。

 

 医学的、社会的に人間の死を何処かで線引きしないと、社会の運営が成立しない。今の死の定義は、あくまで人間の勝手な取り決めである。それは臓器移植、終末医療の停止の線引き、金儲けに関係している。あくまで心肺停止、瞳の反応ゼロで死と判定しているだけである。

 しかし組織の50.01%が死んで、医師が死を判定しても、まだ組織の49.99%は生きている。体が生体反応をしないだけで、半分近くの組織はまだ生きている。それを死としてよいのか。聴覚は医学的な死後、数時間はまだ聞こえているという。

 

生物としての死

 終末医療を調べて分かったことは、人の死の直前の1年程は、段々と食が細くなり、痩せていくということだ(東京有明医療大学の川上嘉明教授の研究で)。そしてBMIが12を切ると急激に衰弱して死に向かう。

 その時は、いくら食べさせても、栄養素も水も受け付けなくなる。食欲もなくなる。その時に無理やり栄養剤を注入し、水を補給しても、体が受け付けない。老化して機能が低下した腎臓は、処理能力以上に体内に入ってきたの水を処理できなくなり、肺や血管等の臓器に水があふれ肺水腫等になる。

 このように無理やり水分を入れると、体重増加による、むくみ・呼吸困難・血圧上昇などの症状が現れ、心不全や肺水腫などの原因になる。その医療行為は死にゆく人には拷問のようになる。

 だから自然に任せて、枯れ木が自然に倒れるようにすることが宇宙根源の理にかなっている。枯れるように死ぬときは、神経も老化して鈍くなっているから苦しくない。それがあるべき穏やかな死である。それが生命を終える時の理想のソフトランディングである。その時に寄り添って、魂に安心を与え、安らか逝けるようお手伝いするのが、看取り士である。

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注) BMI=[体重]÷(身長)^2         身長はメートル単位

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  晩年の栄養量と体格指数(BMI)の関係

          (C)日刊ゲンダイ より引用

「老衰死」は数年前に予測できる?|日刊ゲンダイヘルスケア (nikkan-gendai.com)

https://hc.nikkan-gendai.com/articles/201981

 

日本古来の死の定義

 医学的な死は、我々が先祖代々で感じている死とは別である。我々日本人が先祖代々、伝えてきた伝統では、死後7日間はまだ生きているとして、自宅に寝かせて生前と同じように接する。どうもそれが正しいようだ。

 

人間としてのお別れ

 死後24時間は、まだ体は温かい。聴覚はまだ生きているようだ。故人の体に触れて、その温もりを感じ、故人との最後のお別れをするのが看取り学の作法である。だから看取り学では、死後24時間は、ドライアイスを入れないように葬儀屋に依頼する。遠方でも日本国内なら、24時間以内ならどこからでも、現地にたどり着けて、故人の温かい体に触れてお別れが出来る。

 

 ところが病院で死の場合、医師が死亡判定すると、家族との最後のお別れが慌ただしくさせられ、すぐ霊安室に運ばれドライアイスが入れられる。それで体が急速に冷たくなる。それで不可逆的な状態になり、本当の死となる。それでは臨終の場に間に合わない人は、遺体に触れてのお別れが出来ない。

 

大事な人とのお別れ

 大事な人とのお別れが、正しく、悔い無く、感謝して出来るような知識を得られた。もっと早く知っていれば、両親や多くの師の臨終に、正しく立ち会えたと思うとすこし悔いがある。しかしそれもご縁である。人間的な成長で、やっとこの歳でそれが分かるご縁を頂いたのだ、と思う。70にして69の非を知る、である。

 

馬場恵峰先生の事例

 馬場恵峰先生が2021年1月1日に亡くなられた。新潟の水谷社長は、その知らせを受けて、新潟から長崎まで(鉄路で1,600㎞)、高速道路を車で飛ばして、弔問に行かれた。所要時間約16時間以上と推定。当日は近来まれにみる大雪で、日本海側の高速道路を走れず、東京経由の高速道路を走ったという。

 水谷社長氏は、死後の先生の顔を見て、体に触り、声をかけて最後のお別れをされたようだ。そしてそのまま新潟にトンボ帰りをした。氏によれば「医師が死亡宣告をしても、まだ24時間は生きていると同じ」と言っておられた。それを思い出した。改めてM氏に畏敬の念を抱いた。

 それなら私も岐阜から長崎に飛んでいけばよかったと今にして思う。それもご縁である。そういう「縁が無かったと言う縁」である。まだまだ当時の私は人間的に未熟だったのだろう。

 

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 春風のようないい人に出会えたな、よい風が吹いたなと思ったら、もう秋がきて、別れの雨が降り、美しい花が散っていく。人生は春夏秋冬、春風秋雨である。


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 馬場恵峰書

  馬場恵峰先生は、最期まで現役であった。生前も全てを受け入れ、命を全うし、穏やかな死であった。94歳の天寿を全うされた。

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2023-12-04  久志能幾研究所通信 2782号  小田泰仙

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2023年12月 2日 (土)

志を持て!龍になれ 孤龍興雨 in Sagan

 

 岐阜市川原町 Gallery Sagan で辰を特集した「辰づくし展」が開催されている(12月1日~12月26日)。その龍たちを見て、下記の感想を持った。

 龍は架空の動物である。その架空の動物をいかに本物の生きもののように表現するかで、芸術家の力量が問われる。各作品をそういう目で見ると、興味深い。

 龍は縁起物である。来年は辰年である。この展示を見て、龍になる勇気をもらった。

 公開

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志は龍になる 

 高い志を持って行動すれば、同志は自然に集まってくる。最初は一人で始めた行動でも、強い信念と強烈な熱意があれば、それが起爆剤となり、人を動かし、世の中を動かし、世間に恵みの雨を興す。

 龍が空で高く吟ずると雲が起こり、霧が湧いてきて雨を降らす。龍は水の神様である。

 力量のある人物がものを言えば、この無心な自然界も自ずからそれに沿って動き始める。そんな人には龍が宿っている。

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東洋のドラゴン観

 だから弁財天の頭には、宇賀神様の龍が彫られている。弁財天の起源は古代インドの聖河サラスバティーを神格化した女神である。水の神であり、豊穣をつかさどる神として、信仰をあつめた。弁財天の頭上には農耕の神・宇賀神(髭を生やした老人で、体は白蛇体)を頂くお姿として祀られるようになった。日本人は一木一草にまで神仏が宿るとして、自然を崇拝してきた。龍もそんな信仰から生まれた架空の神様である。日本人は自然を畏敬の念で接している。それが龍の存在で象徴されている。

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西洋のドラゴン観

 それに対して西洋では、人に理解できない様な生物を恐怖の対象として 「ドラゴン」と称していた。キリスト教が世界で実権を握るようになると、 キリスト教に逆らうモノ・・・悪魔や異教の神を ドラゴンと称して「悪しきもの」とする様になった。自然とは、征服するものという観念で見ている西洋人と日本人の差は、「ドラゴン」の扱いでも明確に差が出ている。

 最近は西洋の拝金主義者が唱えるグローバル経済主義に汚染されて、世界と日本社会がおかしくなった。戦争が起こり、行き過ぎた脱炭素運動が展開されている。

 日本の元からある自然との共生、社会との共生を元にした人生観自然観を大事にしたい。その象徴が龍である。世界の中で日本一国だけでも、その志を大事にして世界に恵みの雨を降らせよう。

 

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 吉川充作  青白磁辰 香合

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吉川充作  青白磁辰 香合

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 下田心一 作

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  下田心一 作

 

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池田彩恵 作

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池田彩恵 作   手が可愛い

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池田彩恵 作

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池田彩恵 作   香炉

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池田彩恵 作   香炉


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 池田彩恵 作   香炉

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池田彩恵 作 ドラゴンとお線香立て

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 樋口ナオミ 作

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 樋口ナオミ 作

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 樋口ナオミ 作  昇龍

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 樋口ナオミ 作

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  田中暁子 作

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  田中暁子 作

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  田中暁子 作

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 長田けい子 画

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中島法晃作

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  中島法晃 画   部分

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  中島法晃 画  部分



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 中島法晃作

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 中島法晃作

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 中島法晃作

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鈴木信子 作

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 鈴木信子 作

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 鈴木信子 作

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  田中暁子 作   土鈴


 

2023-12-02  久志能幾研究所通信 2781号  小田泰仙

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2023年12月 1日 (金)

人生の大地を耕す

 

 工場は、社長がその工場の現場に足を運んだ回数分だけ良くなる。それでその工場の生産性がよくなる。それは、社長が現場で第三者の目で問題点を見付けて、指摘し改善をさせるから、生産性が上るからだ。トヨタ生産方式では現地現物が基本である。

 農地は、農民が数多く鍬を入れて耕した土地が豊かな実りを得る。耕せば、土地の内部の微生物が活性化して、土地が肥沃になるからだ。

 恋愛という大地だって、数多く会えば、自ずと相互理解と愛情が耕され、お互いが豊かになれる。

 

文化

 英語「culture」の訳語は「文化」である。その語源はラテン語の「colore」である。「colore」は、「耕す」、「住む」、「崇拝する」などの意味がある。この「耕す」という意味が、現在の「文化」と深い関連がある。耕すという行動によって、人間は自然に手を加え、自分たちに都合のよい土地に作り変えてきた。

 

 人生という大地は、その大地を自分の鍬(体験)で、耕してこそ、よい人生を創ることができる。その大地も、何度も何度も耕してこそ、よき人生経験を得て、人格が豊かになる。たった一度だけ鍬を入れただけでは収穫物は少ない。何度も耕してこそ豊かな収穫物が得られる。

 人が経験したことを、何度も振り返り、それでは、その時、どうすればよかったかと、何度も考えることが、人生経験を耕すことなのだ。それで思考が深まり、その後の人生で同じような経験に出会った時、良き行動がとれる。それだけ人生経験が豊富になり、人格が上がるのだ。そのめぐり合わせのご縁は、盲亀流木のご縁である。

 

70にして69の非を知る

 そのご縁を当時の資料を見て、思い出し、自分の行動を疑似体験して反省する。そうやって私は過去50年分のスクラップ資料(再整理して現在、総計115個のボックスファイル。重量約1.1トン)を日々見直している。そうやって「70にして69の非を知る」を体感している。

 

 人間だもの、最初の出会い(経験)では失敗もあるだろう。次の出会いで、それを修正すればよいだけだ。私の人生は失敗だらけである。そのための過去の体験資料の見直しである。私は失敗の資料を大事に保管している。

 

久志能幾研究所通信  人生の譜面 振り返り

 

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 これで84個のボックスファイル。総重量は約840㎏。

 

2023-11-30  久志能幾研究所通信 2780号  小田泰仙

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2023年11月29日 (水)

死の気配 死活の演出 死後の法要

 

 私は最近、生と死を真剣に考えるようになり、自分の死後の段取りを見直すことにした。「終活」ではなく、その後の「死活」である。

 死後の段取りを再検討すると、死後50年間の法要が明確に決まっていなかった。それで11月28日に、菩提寺に行って、住職さんと打ち合わせをした。

 私が5年前にがんになり、手術後、死後の各種段取りをしたが、約5年が経ったので、その見直しである。幸い、まだ死の気配がない?

 

何回忌まで、法事をするのか

 誰の葬儀でも、何回まで法事をするのか、決めておいたほうが、当人も遺族にも良いだろう。生前にその意思を確認しておいた方が良い。

 最近は7回忌で終りという家も増えている。通常は33回忌までが一般的である。50回忌まで勤める家は少ないようだ。当家では50回忌まできちんと執り行っているので、自分も50回忌までの手配をした。

 2年前に祖父の100回忌が回ってきたので、ご縁と思い執り行った。今年は祖母の50回忌を執り行った。

 

法事のレベル決め

 法事と言っても、親戚に集まってもらうわけではなく、お寺さんが私のためにお経を読んでくれるだけである。だからお花も特別な飾りもいらない。そう思って法要を簡素にしてもらうようにした。それで50年間で、約50万円の節約である。

 その法事の目的は、自分に対してお経を上げてもらうだけではない。その時の法事と同時に、当家のご先祖代々の諸精霊にもお経をあげてもらうことになる。それが主目的である。

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置いて逝く遺産

 この法事も自分がこの世に置いてゆく遺産である。それで安心して逝けるなら、幸せである。手を合わす対象があるということは、幸せである。カネと女と欲望だけの人生では空しい。それは畜生の人生だ。自分が此の世に生を受け、生きてこられたことに感謝することが人間としての務めである。病に倒れ、戦争で命を奪われたご先祖を思えば、自分は幸せである。手を合わす対象があると意識することが霊長類の資格だと思う。動物は、先祖に手を合わせない。

 知人に私の33回忌に参列してくれませんかと(冗談で)お願いしたら、拒否された? そこまでは生きていないとか?(笑)

 死後では自分では何もできない。しかし生前で、かつ元気であれば、そのプロジュースをすることが出来る。

 今回の打ち合わせで、自分の存在が死後50年間の法要に値するか、今後の生き方を考えるよい機会となった。今から後世に何を遺すのか、課題が見つかった。

 

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葬儀

 葬儀やり方も戒名も事前に決めた。墓誌に戒名も彫った。葬儀と戒名のお金も払った。看取りをされる段取りもした。看取り士の資格を取得中である。死亡の病名も決めた。老衰である(希望?)。

 

死に場所

 死に場所も決めた。自宅である(希望?)。数多くのチューブに繋がれて、身動きできず、苦しみながら病院で死にたくはない。病院にとって死は敗北であるようだ。だから患者が苦しもうが、拒否しようが、家族の希望が有れば、延命治療を強行する。それは患者を苦しめるだけだ。どうせ死ぬのだから、安らかに逝かせて欲しい。

 

位牌を手配

 来年、自分の位牌を手配することにした。そうすれば自分が納得出来る位牌になる。位牌の戒名で「○○院○○◎◎居士」と記された◎部を朱で書けばよい。没後、朱の部分を金箔で覆えばよい。それを仏壇の中ではなく、仏壇の横に置いておけばよい。

 お墓は8年前に改建すみである。改建当時、自分も入ることは全く頭になかった。人は必ず死ぬのだ。それに思い足らず、自分でも愚かであったと思う。

 戒名は既に頂いていて、墓誌にも刻字すみである。私はまだ生きているので、墓誌の戒名には朱を入れている。

 

遺影を準備

 5年前の手術前に、覚悟して写真館で遺影の写真は撮った。CDに記録はしたが、それを正式の写真として印画することを忘れていた。うかうかすると、何処にしまったのか忘れてしまう。だから、印画を実施することにした。

 

家系図

 お寺さんと打ち合わせをして、良かったことは、ご本尊様の扱いを決めたこと。位牌堂に入れる品を再確認できたこと。その中に家系図を入れることを住職さんから提案され、決めたこと。

 その家系図は、お墓を改建する時、ふとしたご縁から1734年前の最古参のご先祖の記録が菩提寺の奥の蔵から出てきた。それから後の家系図を完成させたことができた。それで約150名のご先祖の家系図を作成した。その調査のため東奔西走で大変であった。今の体力ではとてもできない。お墓造りも同じである。今では中国の経済状態が激変して、今では当時のお墓を作れない。お墓の石の加工は中国でおこなった。まさにめぐり合わせを感じるこの頃である。

 何ごとも、出来る時にやっておかないと、出来ない。だから死の準備は早い方がよい。だれにでも死は必然である。それもある日突然である。

 

死の気配

 住職さんの話で興味深かったのは、最近の檀家さんの動向のお話しである。最近、立て続けにお別れに来られた檀家が数名いたという。自分で死期を悟り、お別れに菩提寺を訪れたという。実際、その後しばらくして、亡くなられたという。住職さんも、その気配をその人から感じたという。

 ちなみに住職さんは私の顔色を見て、そんな気配はないという。それは今回、菩提寺を訪問して得た最大のご褒美である。

 しかし油断大敵である。人の明日は分からない。なにせどんな人でも、70歳になれば、30歳台に比べ、筋力量、免疫力は半分に減っている。脳の体積も40歳台に比べれば、15%も減っている。脳の体積は40歳以降、年に0.5%ずつ減っていく。

 80歳にもなれば、全員ががんを体内に持っている(老人医療の専門家・和田秀樹医師の話)。

どんな生物でも生老病死である。

何時までもあると思うな親と金、そして自分の命。

人生の日暮れは近い。人生の大事を急ごう。

死を意識することは、今を全力で悔いなく生きる事。

 

 

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 馬場恵峰書

 

2023-11-29  久志能幾研究所通信 2779号  小田泰仙

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