« 70年前のタイムカプセル(2)モノつくりの兆し | メイン | 70年前のタイムカプセル(4)日本消滅? 狂産腐臭 »

2023年7月14日 (金)

70年前のタイムカプセル(3)色香の青春

 

 下記は押入れのタイムカプセルから出てきた芸術関係のお宝である。

 

カレンダー「ミロのビーナス」1971年、三菱銀行発行

 

 当時、このカレンダーが週刊誌上でも話題になり、その素晴らしさを絶賛していた。私はこれが欲しくて、名古屋まで出かけて、三菱銀行に口座を開設した。三菱銀行の支店が大垣には無かったからだ。口座を開くのが、このポスターを手に入れる条件であった。こだわりがある私は、ご丁寧に2つ入手した。

 今見ると、当時の印刷技術のレベルの低さが分かる。それは仕方ない。50年前の印刷技術だ。当時はそれでも三菱銀行が力を入れて作ったポスターであった。写真撮影は女性写真で超有名な秋山正太郎氏、印刷は当時の最高レベルの技術をもった凸版印刷株式会社が担当した。このカレンダーのデザインと担当したグラフィックデザイナーの記事も出てきた。それで三菱銀行の力の入れ方が分かる。

 当時、私はこのカレンダーに大満足であった。しかし50年も経つと、流石にあちこち紙が劣化して欠落している。ポスターだって生老病死である。

 50年前の私が何故こだわったかを今、考えている。この作品は2000年前のギリシャ時代に作られた。しかしその美しさは現代でも風化していない。つまり本物の美であるからだ。それを分った昔の自分の感性が嬉しい。

 実際にルーブル美術館でミロのビーナスに出会えたのは、それから20年後であった。見たいと長く思っているといつかは実現する。それも自分の力で実現できたのは、良き想い出である。会社創立60周年の記念論文募集で最優秀賞を勝ち取り、そのご褒美でフランスに行けたのだ。

 

 その三菱銀行も東海銀行、東京銀行を吸収合併して、三菱東京UFJ銀行となり、その後、三菱UFJ銀行に名前を変えた。名前の変遷から、銀行内部の権力闘争が垣間見えて、当事者の苦労が偲ばれる。私の勤めた会社も合併となり、その軋轢で苦労したからだ。

 

Dsc01191s

 オフセット12色刷 凸版印刷株式会社

1

00010010s1

 ルーブル美術館にて  1991年6月6日

.

ポスター「巨匠ピカソ88歳の青春」 昭和46年(1971年)ごろ

 このポスターは大学の製図実習で書いた図面束に挟まっていた。この展示会で見たピカソの作品は250点余もあり、多すぎてあまり記憶にない。ピカソの線画での卑猥な女性裸体像の乱舞であった。88歳の老体でも性をモチーフにするピカソのバイタリティーは素晴らしいと思う。

 しかし、その50年後の今にして「88歳の青春」というキャッチコピーに痺れた。今にして50年前のキャッチコピーに痺れるとは、私もまだ若い? 私は、その「青春」という詩に痺れている。

 この展示会の会場の丸善ビルは数年前に取り壊されて、今はない。本の売れなくなった時代の象徴である。いくら「88歳の青春」でも、全てのものは生老病死である。ピカソは1973年に91歳で世を去った。私の大学卒業年である。ピカソは88歳の1970年、アヴィニョン教皇庁で140点の新作油絵展を開催している。ピカソは生涯青春と言ってもよいほど精力的に作品を生み出した。見習いたい生き方だ。

 

Scan0216_s

 ポスター(部分)

.

青春                    サムエル・ウルマン

 

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、夢およびそれを実現させる計画を抱だいた心の状態を言う。

 

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

 

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

 

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

 

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。

              宇野収・作山宗久著 『青春』より

                   (産業能率大学出版部刊)

                  94.05.23一部修正追記 小田

Youth  『青春』             Samuel Ullman

 

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and suppleknees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

 

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetites, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by desering our ideals.

 

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

 

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

 

When the aerials are down, and your spirit is convered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

 

 

2023-07-13  久志能幾研究所通信 2718号  小田泰仙

「久志能」↖ で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

コメント

コメントを投稿