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2022年2月

2022年2月28日 (月)

プーチン砲 たった一発で コロナ雲散霧消

 

ニュース激変

 今まで連日連夜、マスコミは新型コロナウイルス騒動で大騒ぎであった。ところがロシアのウクライナ侵攻が起きたら、YouTubeのニュース等で新型コロナウイルス報道が消えてしまった。まだ新型コロナウイルスが消滅したわけではないのに、だ。今はウクライナ報道一色である。マスコミのえげつなさに呆れた。

 

痴呆バラエティー番組狂騒

 いつものことで、マスコミは大騒ぎするだけで、実際の真の対処法に関しては、無知極まりない報道ぶりである。見るからに知性のなさそうなタレントが、したり顔でニュース解説をする。人畜無害なニュースだが、国民の大事な時間を浪費させる番組である。無為に痴呆的にテレビを見ていれば認知症へまっしぐらである。

 

合間に金儲けはしっかりと

 その番組の合間のコマーシャルで、ガンや糖尿病、循環器系の管病の原因になる食品をさりげなく放映する。スポンサーのCMだらけで、健康に害があることが明白でも、ディレクターは止めるわけにはいかない。

 スポンサーの手前、コロナで死んでいる数よりも37倍も多いがん死亡者数のことなど知ったことではないのだ。

 今は、マスコミは騒動になる話題に乞食や餓鬼のように群がりつく。騒動乞食である。マスコミにとってコロナよりも、もっと美味しい餌のウクライナ侵攻が出てきたので、現状のコロナ報道をおっ放り出して、ウクライナ侵攻報道に乗り換えただけである。

 

後日の邂逅

 10年後、自分の人生を俯瞰したら、そのニュース騒動は夢のようなむなしいものと思うのではないか。

 

戦争を知らない先生たち

 その昔、日露戦争があったことを知らなかった大学教授がいた。幕末生まれで物理学者、原子構造研究の先駆者の長岡半太郎である。彼は明治29年に留学先のドイツから帰国後に東京帝国大学(現在の東京大学)の教授になる。当時の物理学はレントゲンによるX線の発見など大変革期であった。

 明治33年、パリで万国物理学会が開かれた。ベクレル、キューリー夫妻、ポアンカレ、ギョームらの一流の物理学者とともに、日本からは長岡が招待された。  明治36年に長岡が発表した原子模型の論文は、現代物理学初期の日本人最初の業績として著名である。彼の研究に邁進する姿から周囲の人々から

 「あいつは研究熱心で研究室に篭もりきりだから日露で戦争が勃発したことも知らないんじゃないか」と噂され、それが世間に広まった。

 そう噂されるとは名誉である。

 

天命

 我々はマスコミや世間のばか騒々しさからすこし離れるべきだ。そのニュースに振り回されて、自分が向上するのかを自問しよう。自分に与えられた天の使命(天命)に目覚めて、その道に邁進すべきだと思う。

 ニュースに振り回されている時期も「人生の本」の一ページである。無駄なペーである。無為に人生の頁がめくられていく。そして最期の時に後悔するのだ。

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039a34461s 馬場恵峰書

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2022-02-28 久志能幾研究所通信 2318号  小田泰仙

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2022年2月27日 (日)

サガミで「食い逃げ犯」扱いされた

 

 「ビジネスは壊れやすい花瓶に似ている。

 無傷であればこそ美しいが、一度割れると二度と元の形には戻らない。」

    Business is like a fragile vase - beautiful in one piece, but once broken,    damn hard to put back together again to its original form.

       “Letters of a businessman to his son" by G.KINGSLEY WARD

 

 昨年の5月ごろ、大垣のサガミ北店で食事の注文した後、財布を自宅に忘れたことに気がついた。慌てて店員のその旨を告げ、財布を取りに帰ろうとしたら、「担保としてスマホを置いていけ」である。まだ料理も出てこず、食べてもいないのにも関わらず、である。当方もその後の予定があり財布が必要であったから、何も考えず、スマホをサガミに預けて、財布を取りに帰宅して、サガミに戻った。運転中に事故であったら、スマホがなく問題になったはずだと気がつき怒りが出た。

 運転しながら、冷静に考えて、なんで千円の昼食代の担保に、スマホを預けないといけないのかと、さらなる怒りが沸いてきた。要は、客を信用せず食い逃げ犯疑いをされたのだ。接客業としたあり得なことだ。お店は街中でなく郊外店で、車でないといけないお店である。車で来ている客が食い逃げをすると思うのか。

 

 店に戻って席についても、料理が準備されているわけではなく、そこから料理を作りだしたようだ。店員はこの顛末に気が付かないのか、謝りも説明もない。

 私は食事の後、店長を呼び出し、苦情を言った。店長は謝りで「お金は不要です」と言ったが、因縁を付けるのつもりはないので、食事代金を払い、「もう二度とサガミには来ない」と宣言して店を後にした。

 

正しいお作法

 私が店員なら、「代金は今度来店された時で結構ですよ」と言う。これは、日本のどの飲食店でも対応する常識的な対応である。客とお店は、お互いに信頼関係である。わずか千円の食事代である。それをサガミの店員は「(お前は信用できないので)担保としてスマホを置いていけ」は異常である。料理はまだ出来てもいないし、私は食べてもいないのだ。

 

権限無移譲

 それもそんなレベルの事を、わざわざ上司にお伺いを立てて、スマホ預かりの顛末である。実は「携帯の電話番号を聞いとけ」の指示を勘違いしたようだ。問題はわずか千円の決済権も店員にはないのだ。店員が店長から信用されていないお店であることが露見した。

 そのお伺いを立てて、回答が来るまでに10分はかかる。時間コスト一分100円として客に1000円の人生価値を失わせてしまう。だからこんなお店で食事など、今後まっぴらである。

 

日本人の劣化

 このサガミの客の扱いは、日本の飲食業の下記の病気を表している。

 サービス産業の生産性の低さ、それが向上しない原因

  要は権限委譲がされていない

  従業員をロボットとして信用しない体制

  日本人の劣化(自分の頭で考えれなくなった)

  社員が作業員(ロボット)に成り下がる現象

  社員教育の劣化

  金儲け主義の蔓延

 

 今回の事件で、サガミの従業員教育レベルが判明した。マニュアル化されて洗脳された従業員は、客を客として見ていない。客は工場ライン上の仕掛品なのだ。また、サガミは接客業なのに、店員は自分の頭では考えられない状態となっている。どうすればお客に喜んでもらえるかを考えない。これは日本人全体に広がっている業病である。こんな状況だから、失われた30年が生まれて、日本の生産性が停滞しているのだ。特にサービス産業の生産性が伸びない。

 

生老病死

 あれから10か月が経つが、私はサガミには行っていない。もう二度と行くことはない。1991年9月にサガミが名古屋2部に上場したころから、私はサガミが気に入っていて、月に2,3度はサガミに通っていた。当初は、週末のテニススクールの後、食事のため近くのサガミ知立店に毎週通っていた。知立店から始まり、高浜店、橿原店、大垣店の30年間のサガミとの縁はこれで終わった。どんなものも生まれ、成長し、老い、病気になり、死ぬ。それは企業でも同じである。経営者が異変に気が付かなければ、予定より早い死があるのみだ。

 自分でも、人との信用関係を大事にしたいとの思いを新たにした。

 

 

2022-02-27 久志能幾研究所通信 2317号  小田泰仙

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2022年2月26日 (土)

ウクライナ侵攻は他山の石、自分の城は自分で守れ

 

 2022年2月21日、ロシアのプーチンはウクライナに軍事進攻を始めた。そこで今までくすぶっていた問題点が発火した。火事の元は早くから消さないとダメなのよ。自分の城が火事になるまでに、ボヤの状態で消さないと経営者失格である。自分は自分自身の社長、日本国内の自分(自らの分)の社長なのだ。その権限履行は、選挙での投票である。それを思考ゼロで投票するから、日本国が大火になる寸前になった。それをロシアのウクライナ侵攻が明らかにしてくれた。

 

 

米国を信じる愚

 米国は約束を守らない事実が露見。1994年、ハンガリーのブタペストで開催された欧州安全保障協力機構会議での署名された政治協定書で、「ウクライナが攻められたら、米国、ロシア、イギリスの核保有国が軍隊を送って守る」と覚書に署名した。それでウクライナに核兵器を放棄させた。

 しかし米国は、今回のロシアのウクライナ侵攻で、軍隊を送らず、協定書を守らなかった。非常時に米国は守ってくれないのだ。だから日米安保条約で本当に米国が日本のために米国の若者の血を流すかは疑問である。米国議会が反対するだろう。

 

国連を信じる愚

 国連は、戦後77年経ても、いまだ日本は連合国の敵国扱いである。

 国連は守ってくれないのだ。今回のロシア軍事侵攻を国連で非難決議を決めても、ロシアの拒否権発動で、非難決議が通らない。国連は無力である。

 中国は、ロシアと同じく拒否権を持っている。中国が尖閣諸島、沖縄に侵攻しても国連は守ってくれない。非難決議案も中国が拒否権を発動する。

 

平和を信じる愚

 プーチンはヨーロッパの生殺与奪の権を握っている。プーチンは狡猾である。いざとなれば、ロシアがドイツ等への天然ガスパイプラインを止めれば、ドイツや欧州は全土が停電となり、工業生産は止り、国民は凍る。だからEUはロシアに非難声明だけで行動せず、及び腰である。だから軍事行動はとれない。それをプーチンは見越している。天然ガスという「武器」を持った国は強いのだ。

 認知症が進むバイデン大統領は、オオカミ少年のようにウクライナの危機を吠えていたが、軍事侵攻が起きても動かなかった。

 欧州のあほな再生エネルギー政策盲進で、原発はなくなり、石炭石油発電もなくなり、この機を狙ったように猛烈な寒波が襲来して、太陽光発電、風力発電がダウンし、電力不足が欧州を襲っている。それで石油の値段が上がり、資源国のロシアは経済的に復活したのだ。

 

常識と正義が通じると信じる愚

 戦後77年経った平成4年現在、こんな横暴な侵略は起こらないと思う方がノー天気である。独裁者が軍事力をもって他国を軍事力で攻める現実が正しいのだ。中国にはプーチン以上の独裁者がいるのだ。

 

国内の敵をのさばらせる愚

 日本国内で、一部の外国住民が、住民の意思だと日本から独立を宣言して、ロシアや中国が北海道や放れ小島で軍事侵略をすれば、今のウクライナと同じと状態になる。米国が軍事行動をしなければ、日本の一部は、ウクライナのようにロシア、中国に占領される。

 戦後77年経つが、戦争中と状況は変わらない。のんきに非武装中立、軍備拡大反対というのは、敵国の回し者と同じである。獅子身中の虫である。その非常時には憲法9条など何の役にも立たない。日米安保条約も、その時に通用するかどうか保証の限りではない。今のウクライナ情勢が正しいのだ。が今は、認知症と噂されるバイデン大統領が政権を握っているのだ。

 いくら正論を国際社会で掲げても、敵の実行支配には国際機関も動かない。それは韓国に強奪された竹島の例を見れば歴然としている。

 

我々に出来ることは、国賊の議員に投票しないことだけだ。

 立憲民主党、国民民主党、共産党、公明党と自民党内の媚中議員は、中国の横暴を非難しない。彼らは媚中派の議員達である。裏でハニートラップされたか、金をもらって言いたいことが言えないとしか思えない。国賊議員達である。国の危機を増長させる議員達だ。

 毎日、尖閣諸島の近辺に中国共産党の武装漁船がうろうろし、戦闘機が領空侵犯をするのは、毎日、強盗する気の男が刃物をもって自宅の回りをうろうろしていると同じである。それに立憲民主党、国民民主党、共産党、公明党は何も言わない。媚中派の議員は、ウイグル族のジェノサイド非難決議も潰してしまった。北京オリンピックのボイコットも妨害した。国防の増強には媚中議員は大反対である。一体どこの利益を守りたい議員なのだ。

中国の民衆殺戮

 20世紀の民衆殺戮の中では中国共産党による民衆殺戮3,870万2千人はソビエト連邦による6,191万1千人に次ぐものであり、ナチスの2,200万人より多い。中国国民党による民衆殺戮1,021万4千人がこれに続き、日本の軍国主義者による第二次大戦中の民衆殺戮(中国以外の地域での民衆殺戮を含む)は589万人である[2]。

  [2] :a b ラムル 2008, p. 31

 原題: China's Bloody Century: Genocide and Mass Murder Since 1900)は、1900年の義和団の乱(義和団事変)以降、1989年の天安門事件まで、中国で起きた政治暴力を網羅的に記述し、犠牲者数の推計を行ったアメリカ合衆国ハワイ大学教授R・J・ラムル(Rudolph Rummel)の研究書。

 原著はアメリカで1991年に出版され、日本語版が2008年4月に出版されている。

 中国の民衆殺戮 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 共産党の最終目的は、天皇陛下の首を切ることである。私有財産の制限と共有化である。言論統制である。共産党幹部の独裁である。それは中国の現状を見れば、一目瞭然である。先進国で、共産党が認められているのは、日本だけである。他国は、共産党の存在が法律違反である。そんなことを党是とする党に投票する人の気がしれない。今の日本の危機状態は、我々の認識不足である。我が国を滅ぼすのは、国外の敵ではなく、そんな党に投票する身内が敵なのだ。

 

前職の会社の危機

 その昔、当時起きた世界的経済危機が発生し、当社が経営的に苦しくなり、社長が親会社のトヨタに泣きついたら、最高の援助をもらった。それは「自分の城は自分で守れ」との助言だけであった。下手に援助だけをすれば、相手に自助力がつかない。流石にトヨタである。金をかけない素晴らしいアドバイスである。まず身を正そう。

 

自分の街の危機

 自分の都市の政治に無関心だから、独裁長期政権の市長は、増税、無策の施策にやりたい放題になるのだ。議員の発言、市民を苦しめる法案へに賛否投票を観察して、次に選挙では落とすべき議員に投票しないようにしないと、都市の政治が良くならない。それを放置したから、大垣市は没落した。異常な政治家を放置した大垣市民にも責任がある。

 

自分有限会社の危機

 今の自分の危機は、自分の体に対してのサイレントインジェクション(静かなる侵略)である。甘い宣伝言語で、美味しいものをこれでもかこれでもかとテレビコマーシャルで放映される。洗脳教育である。甘いもの(糖分、添加物、防腐剤)、毒としての酒、たばこ、過剰な医薬品、無駄なワクチンが氾濫している。自制心をなくせば、飽食になり、病気になるのは、自然の理である。自分の体を守るのは、自分である。ウクライナより、自分の体の危機を見つめよう。

 

2022-02-26 久志能幾研究所通信 2316号  小田泰仙

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2022年2月25日 (金)

人生訓「先入れ先出し」で若くして高台に上らず

 

 「先入れ先出し」(トヨタ語録)は、生産の原則でもあるし、人生の大原則でもある。それを逆らうと、人生の逆境に見舞われる。それは先に入庫した材料から順番に使うと言うだけの法則である。そうすれば賞味期限切れなどは起こらない。品質管理も容易である。それが人生の品質管理ともなる。良き人生品質を保って生きるべし。

 

「年と共に人間の佳境に入るのが本当である。」安岡正篤師

 人は人生の山谷を歳に応じて上り下りして一人前になってくる。若くして高台に上るから、人生の登山道を誤る。

 

人生の三大不幸の一つは、「若くして高台に上る」である。年功序列の意味は重い。

 当時の私の若い部下は、エリート校を出たためエライさんにちやほやされていた。私が係長であった時、10歳も若い彼は依怙贔屓でパリ見本市の海外視察団に選別されて、得意げになっていた。従来の慣習では、その年に私がパリでの見本市視察団に選ばれることになっていた。しかし私は除外され、10歳も若い部下がその視察団に選ばれた。私は有名大学出ではなかったので、私より上司のひいきの大学を出た部下が可愛いようで、人事の辻褄を合わせるため、その選別後、私は他部に異動になった。私の心の痛みを上司は関知しない。エリートと呼ばれる輩は利己主義者で、そんな心の機微はない。

 ところが仏さまの絶妙な計らいで、私が会社の創立〇〇年記念論文募集で最優秀を獲得し、その副賞でその海外視察団と一緒に出張できることになった。それは上司には想定外であったようだ。

 その後の、依怙贔屓された若造の20年後の末路は窓際族であった。依怙贔屓してくれる役員がいなくなると、彼は冷遇された。彼は、頭は良かったが、人間性に欠ける冷たい人だった。彼は精神を病み、エリートコースから外された。

 そんな「若くして高台に上る」人事を優先した会社は、決断力のない経営者が選ばれていた。そんな経営者では、大事な経営決断ができず、時代の変化に対応できないため、衰退していった。そして市場からその名前が消えた。

 私も当時は悲哀を味わい目いっぱい落ち込んだ。今は、人生の辛酸を数多く舐めて、「若くして高台に上る」の意味を噛みしめている。安岡正篤師の言葉に感服している。

 

「来たもの順で処理」 出口治明氏(立命館アジア太平洋大学学長)

 仕事の優先順位を付けるより、来たものをその場で処理するのが一番の方策である。要は、「先着順」である。それを変に構えるから、宇宙根源の理に反して、軋轢が起こり、事故が発生する。

 

 の運行は一瞬も休まず、止まることがない。月日の運行も春夏秋冬の巡りも、人の生老病死も、ただひたすら粛々と運行する。だからこそ休みことなく精進せねばならぬ。目の前に死が迫っている。日暮れて途遠し。やり残したことを完成させよう。

 大病を経験し、老いて死が見えてきて、初めてわかる心境である。人生は走馬灯のような映像の連続である。順番にその場面、場面が変わり、その舞台で主人公として、また脇役として最大限の力で演じ、次の場面に移っていく。それを拒否し、勝手に退場することは許されない。送り込まれた場面で、最大限の演技をして、次の舞台に移る。それが人生の春夏秋冬である。最後の舞台で幕が下りるまで、生涯現役として演技をしたい。

 

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  馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊 より

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2022-02-25 久志能幾研究所通信 2315号  小田泰仙

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2022年2月24日 (木)

大垣駅強盗事件 激安ITで汚職? 大垣は天下退弊

 

強盗傷害事件

 2022年14日13:05ごろ、養老鉄道大垣駅で、職員休憩室に男が潜んでいて(入室した)職員が突然、刃物で切り付けられ、犯人は逃走した。男性職員(32)が左腕に軽いけがを負った。男は徒歩で南方向に逃げたとみられ、大垣署が男の行方を追っている。

 大垣署によると、男は身長165センチほどでやせ型。黒い目出し帽をかぶり、上下とも黒色の服を着ていた。駅構内や周辺で刃物は発見されず、男が刃物を持ったまま逃げているようだ。

 職員休憩室は駅の改札を入ってすぐの構内にある。休憩室は駅員ら職員の出入りが頻繁にあるため普段は非施錠である。

 男性職員は同日午後0時50分ごろ、清掃作業のために職員休憩室に一人で入り被害に遭った。盗まれた物はない。養老鉄道のダイヤへの影響はなかった。

 当時は、大垣市内を白バイ、パトカーが走り回り、騒然としていた。

 2月25日現在、10日も経つのに犯人は見つかっていない。

  養老鉄道大垣駅の1日の平均乗降客数は7687人、昼間は一時間に1本の列車と超ローカルの第三セクターの路線である。そこで事件など想定外である。

 

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 養老線大垣駅 

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 養老線大垣駅の目に前に交番がある。犯人は大胆だ。

 

疑問点、問題点

 なぜ、金のない場所に強盗がはいったのか。私は、どう考えてもやらせではないかと、一瞬思ったほどだ。強盗殺人事件の最高刑は、死刑である。そんな罪を犯す価値がある場所でも内容でもない。この事件の1時間ほど後に、駅近くのお店で事件を聞かされた時、私が思いついたことである。警察の防犯訓練にはよい訓練であったと私は推察した。それで多くの問題点が露見した。

 

問題点

1 なぜ大垣商店街に事件の通報がなかったか。犯人は南方向に徒歩で逃走したようだ。商店街の店主達は、この事件をテレビや親戚知人から知らされて、自治会の通報網では連絡がなかったという。警察も商店街に通報も聞き込みにも来なかったという。

 

2 なぜ白バイ、パトカーが多数走り回ったのか。私がこの事件の1時間ほど後に、駅近くのお店で事件を聞かされた時、目の前の道路を白バイ、パトカーが多数走り回っていた。徒歩で逃走した犯人を白バイ、パトカーで捕まえられるのか。

 

3 なぜ多数ある監視カメラが機能しなかったのか。大垣駅前商店街には100台程の監視カメラが設置されている。県と国から補助金をもらい大垣商店街協同組合が設置した。

 この設置計画が出されると、店主達は「私の店に前にも」と声を上げ、結局この小さな商店街エリアに100台近い防犯カメラが設置された。総予算は限られているから、防犯カメラの性能を落として、劣悪な安価な防犯カメラに変更したようだ。

 なぜ僅か1キロ長ほどの大垣駅前商店街で多くの商店が「私の店に前にも」と声を上げたのか。嘘だろう。なにも、大垣駅前商店街の8割が店をシャッターを下ろしている状態で、なぜ100台の監視カメラが必要なのか。故意に数を水増ししたとしか思えない。

 その意図は補助金の水増しで、総額が大きくなれば、手配する側がピンハネの余地も増える、であると私は推定した。

 事件が起きるまで、その性能が露見することはない。事件や事故が起きなければ、闇のなかだ。ピンハネした方は完全犯罪である。

 

 この強盗傷害事件の非常時に、性能の悪いカメラでは、犯人の特定も困難だったようで、10日経った今でも、犯人が捕まらない。

 

 安物買いの銭失いである。しかしリベートは多いのだろう。そんなお粗末な根性で、危機管理能力もなく、大垣商店街組合を運営するから、駅前商店街が衰退・消滅寸前になるのだ。自業自得である。大垣商店街組合の前理事長の小倉利之が無能さで利権に溺れて長年居座るから、商店街が消滅した。そんな場所に100台も設置したのは、汚職がらみを疑われても致し方あるまい。なにせその防犯カメラのメーカは聞いたことのない三流メーカであったのだ。

 それを連想すれば、2017年11月4日に起きたドローン墜落傷害事件でも、事件を起こした業者は、名も知られない超零細業者であった。大垣市役所に責任があるのに、うやむやにされて幕引きをされてしまった。何か裏取引でもあるのかと勘ぐってしまう。

 東京でこんな事件が起きれば、防犯カメラですぐ犯人が検挙される。ところが性能の悪いカメラでは、画像の質が悪く、犯人の特定が難しいのだ。画素数がお粗末であるからだ。ドライブレコーダーでも安い製品ではナンバープレートの番号を判別できないが、普通以上の製品ならそのナンバープレートの番号が判別できる。それと同じである。

 その防犯カメラの仕様や価格、価格交渉経過を公開すべきである。もとはと言えば、我々の税金での補助金である。当時の調達責任者には説明責任がある。

 大垣駅前商店街は天下退弊である。今回の事件は、それを明らかにするためのお芝居ではないかと、私は勘ぐっている。

 天網恢恢疎にして漏らさず

 

P1130675s 大垣駅前商店街の防犯カメラ  2020年4月7日撮影

 如何にも安物といったカメラの外観

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2022-02-24 久志能幾研究所通信 2314号  小田泰仙

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2022年2月23日 (水)

お茶のカテキンは避妊薬? 私は毒を飲まない

 

 全ての種は種族を守るため、子孫を残すため、その身に毒を持っている。人間に食べられたいと思っている植物や動物はいない。その防止策としての毒である。

 酒は蓄積毒、発癌性物質である。「酒は百薬の長」は嘘である。少量でも毒である。お茶も毒である。空腹時、緑茶だけを飲むと吸引障害、低血糖を起こす恐れがある。

 ブロッコリースプラウトなどの「植物の芽」だけを毎日食べ続けていると痛風なる恐れが高い。

 同じようにキャビア、明太子等の卵を、毎日、多量に食べると痛風になる恐れがある。卵を多量に食べられてしまっては、種が滅んでしまう。それを防ぐための毒が、卵に仕込まれている。鶏卵は大きく食べる数が少ないので、その恐れは少ない。

 同じように植物の成分は、その種の保存、子孫繁栄のために、「毒」の成分が備えられている。

 

天敵対策

 ハマキガの幼虫は大食漢で、発育も旺盛、大好物がお茶の葉である。お茶にとっては、種の保存の危機的問題である。だから天は、お茶の葉にハマキガの幼虫が消化吸収障害を起こさせる「毒」を備えさせた。その毒はタンニンである。お茶の渋みのもととなるのは、ポリフェノールである。タンニンを取得するとハマキガの幼虫は発育できなくなってしまう。

 

人間も天敵

 お茶っ葉を摘む人間もお茶にとって天敵である。その葉に含まれるタンニンを空腹時に摂取すると、同じように消化吸収障害が起きる。満腹時にタンニンを摂取すると、血糖値が下がってすっきりする。それが過食に溺れた人には、肥満防止、痩身作用となる。不自然な形で肥満防止の効果を出している。しかし宇宙根源の理には合っていない。どこかで体を痛めている。

 だから濃いお茶を飲む場合は、必ず食事と一緒に摂る事。育ち盛りの子供や病人は、濃いお茶を避けるべきだ。

 

 この項、南雲吉則著『実年齢より20歳若返る』PHP文庫を参考に記載

 

 濃いお茶を摂ると、どうしても甘いものが食べたくなる。それを防ぐため、お茶を飲まなければよい。お水が一番である。

 

 だから私は、お茶を飲まない。私が飲むのは水か白湯かブラックコーヒである。私は健康管理として、起床したら必ず白湯を一杯である。コーヒではない。熟睡のため、18時以降はコーヒを取らず、白湯だけである。

 

天敵より怖い拝金主義者

 生物や動物の持つ毒は、種の防衛のためで可愛いものだ。ところが金儲け、自己の利権拡大のため、毒になる添加物や防腐剤、砂糖、脂分を多量に入った嗜好食品を販売している食費品業界、宣伝マスコミ、それの認可官僚は悪質である。そのために癌で年間約37万人が死んでいる。40年前の4倍に激増しているのに、マスコミも役所も騒がない。その死者は、新型コロナウイルスでの犠牲者数どころではない。毎年、インフルエンザで1万人が死んでいる。新型コロナウイルスではそれ以下の死者数である。医療費が43兆円も使われれば、国が成長できなくて当然だ。それらを食いつぶしている毒虫が政府やマスコミ、食料産業に巣くっている。奴らは口裏を合わせて、癌死の多さを新型コロナウイルス騒動で隠している。

 

自分の城は自分で守れ

 自分の身を守るため、「毒」の食品を食べないことだ。毒の医療を受けないことだ。その知識を持つことだ。洗脳教育のテレビを見ないことだ。政府を信じないことだ。毒議員に投票しないことだ。自分の城は自分で守れ。

 

2022-02-23 久志能幾研究所通信 2313号  小田泰仙

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2022年2月22日 (火)

夢の挑戦 ヤマハCF6からCFXへ目標変更

 

 「夢は大きく」が私の主義である。夢を抱いて行動していれば、いつかは実現する。大きな夢を抱かない限り、自分の成長はない。夢も永遠に実現しない。夢を見るとは、潜在意識が実現可能だからと判断したから、夢を見させてくれるのだ。実現不可能なことは思いも付かない。私だって中国の皇帝になるという夢(悪夢?)などは見ない。

 

一生青春

 一生かけても実現できない夢を持ち、それに挑戦することは、人生を前向きにしてくれる。そのためには、人生経営の業務改革が求められる。一生挑戦の人生だ。それが一生青春である。現状との目標との乖離を埋めるために、智慧を出し続けねばならぬ。

 

業務改革

 ビジネスや人生で求められるのは、従来の延長線上の努力ではなく、発想の転換なのだ。業務改革なのだ。百年前の馬車の改革で必要であったのは、馬を力強くすることではなく、エンジンの発明であった。フォードはそれで業界に革命を起こし、世界最大の自動車メーカになった。

 大きな夢を実現するには、神仏は何かを変えろと言っている。だから夢は大きくすることが、人生を変えるのだ。

 

トヨタ式 夢の実現

 トヨタでは、目標数字を1桁変えろ、半分にしろ、ゼロを1つ取れ、が業務改革のキーワードである。そうやってド田舎の泥くさい会社が、50年かけて世界一の自動車会社に変身した。絶え間ない継続的改善が50年間で革命を起こした。

 50年前は、日産は超エリート集団であった。しかし名門の日産は没落し外国に買われた。当時の御料車は日産製であった。ところが、日産が外国のルノーに吸収されたので、御料車はトヨタ車に変わった。そのご縁で、私がその御料車の開発の一端に携われたのは行慶であった。

 50年間で、日産は没落したが、トヨタは発展した。当時の東大出のエリートは、ド田舎の豊田市などに、都落ちなどしたくもなく、東京の華々しい日産に就職した。しかし日産に就職したエリート達は、派閥争いと労働組合の天皇支配に降り回されて、本来の活躍ができなかった。当時、そもそも日産東京本社の駐車場には、トヨタ車が多く駐車していた。日産社員がトヨタ車を愛用していたのだ。しかし当時、豊田市のトヨタ本社の駐車場には、トヨタ社員は日産車を乗ってくることはなかった。愛社精神の違いである。それが50年後に明暗を分けた。夢の実現には、自分を育ててくれるベース(会社)を、大事にするか、しないかは神様の問題だ。神様はよく見ている。

 

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 天皇皇后両陛下が乗っておられるセンチュリー 

 2012年‎12‎月‎5‎日  大垣スイトピアセンター前にて 

  当時、天皇陛下皇后陛下が大垣に行幸された折、撮影。

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私の夢

 現在の私の夢は、ミニホールの建設である。そこに設置するピアノは、今までヤマハCF6を計画していた。しかしそれをコンサート用ピアノのCFXに変更した。良きものは、良きご縁を招く。よき楽器は、よきご縁を導く。最高のモノでは、付き合う人も変わってくる。最高品を目指せば、最高のご縁が得られる。並みの製品ではワクワクしないのだ。最高を目指してワクワクすれば、魂が踊る。それが命に力を与える。

 

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 トヨタの考えでは、「何でも悪いことに使うお金でなければ、あとからそいつは何んとでもかなる。金のことでトヤカク考えていて、やらねばならぬことの時期を失するなぞ、おおよそ馬鹿げている(児玉一造氏)(石田退三著『トヨタ語録』WAC p175)

 イチロー選手の助言は、「うまくなるためには、よい道具を使う」である。

 一番良いものには、製作者の魂が籠っている。一番良いものを手に入れれば、自分の一部となって人生を助けてくれる。

 

 夢が実現しなくてもよい。背伸びしてでも、高い目標にそれに向かって取り組むことが、生きる力を与えてくれる。棒ほど願って針ほど叶う。それでよいではないか。願わなければ、何も手に入らない。実現しないのは、まだ智慧を出し切っていないのだ。神仏はそう啓示する。

 

 武智先生に受けた薫陶の中で、「一番いいものを見て、一番いいもの中に育っていないと芸が貧しくなる」とよくおしゃっていた。

   中村鴈次郎「私の履歴書⑨」日経新聞2005.1.10

 人生を生きる芸を磨こう。

 

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 馬場恵峰書

 

039a12112s 馬場恵峰書

2022-02-22 久志能幾研究所通信 2312号  小田泰仙

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2022年2月21日 (月)

日本人として恥 歴史が恥を記録する

 

 自分の城は自分で守る。自分達の誇りや恥を忘れると、日本という城も消滅する。恥を忘れた日本人は、日本人ではない。日本人は卑しくなってしまった。日本人として誇りを胸に心して、世の動向を観察したい。

 

企業の恥、日本人の恥、悪魔のサイクル

 ユニクロも無印良品も新疆ウイグル自治区の新疆綿の使用に対して、ノーコメントで通している。要は、彼らは人権よりも金儲け最優先なのだ。日本の経営者は金儲けの才覚は一流だが、倫理観は最低レベルである。ユニクロや無印良品の経営者を名経営者として褒め称えるビジネス雑誌は下劣である。

 多くの日本人はそれを知っていながら、製品ボイコットもせず、その製品を使い続けている。恥である。

 安い製品は、日本人の雇用を減少させて、日本人を貧しくしている。この30年間、日本人の給与は上がっていない。他の先進諸国は2倍にもなっている。我々は知らないうちに我々は悪魔のサイクルのスパイラル降下である。我々が何故そうなったかを考えないからである。そういう政治を許し、そういう政治家を選んできたのだ。

 

静かなる侵略

 C国の安い外国製品は、日本を没落させるサイレントインベーション(静かなる侵略)である。それが日本の繊維産業が消滅したことで、明確である。私を育ててくれた父が勤めていた会社(繊維産業)が消滅させられた。私が小さい頃の昭和40年頃、大垣市の基幹産業は繊維産業であった。しかし現在、消滅して影も形もない。あるのは跡地に建った新興住宅地だけである。

 

マスコミの恥

 マスコミは、東京オリンピックでは事前に大反対のキャンペーンを張っていたが、オリンピックが始ると、賛美報道一色になった。今回の冬季オリンピックでは、C国への気兼ねか、反対報道はなくなり、冬季オリンピックが始ると、前回の東京オリンピック同様に賛美一色となった。マスコミは人権無視で、金儲けに忙しいのだ。本来のオリンピック開催の趣旨からかけ離れた現実である。

 

政府の恥

 冬季オリンピックに対しても、橋本聖子は元閣僚の一人として、冬季オリンピックに政府代表として出席して、ボイコットは実現しなかった。彼女はボイコット運動の真っ最中、C国からの接待ゴルフの興じていて、篠原常一郎氏から「彼女の脳味噌は筋肉」とまで酷評されている。彼女の倫理観のなさで、同じ日本人として恥ずかしい。

 そういう政府を選んで、抗議の声を上げない我々は恥である。我々が媚中派の議員に投票するのは、国賊行為である。

 

スポーツマンシップの恥

 オリンピック選手が技能優秀で、人格も優秀とは考えるのは間違いである。これは誹謗中傷ではない。世界の多くの先進国が、C国のジェノサイドに声を上げているのに、媚中派の日本政府が、ジェノサイド国を後押ししている。橋本聖子は、その非難の嵐の中での冬季オリンピックの政府代表である。

 我々日本人は、後世の歴史から非難されない態度を取りたい。それに反した政府や企業が出現したら、抗議表明をすべきだ。それが人間としての尊厳である。

 

GAFAの恥

 最近のYouTubeでは、ある禁止ワードと特定人物の発言で、AI判定されて、その動画が頻繁にブラックアウトされるという。いつからこの世は、戦前の恐怖政治、検閲社会になったのか。だれも止めることが出来ない恐怖社会になったのだ。

 LINEでは、そのデータはK国やC国に筒抜けになっているとか。

 最近はコロナ対策で、各施設で体温を自動で測定する装置が設置されている。それも必ず、顔を撮影して自動表示である。体温測定だけなのに、なぜ顔写真を撮るのか。その顔写真データがAI判定されて、データ蓄積され、個人情報として某国に流れているという。最先端の技術が人を不幸にすることに悪用されている。

 

人類への罪

 1945年11月20日にニュルンベルク裁判(ナチスのユダヤ人虐殺への裁判)が始まり、ジャクソンは検察を代表して論告を行った。

 我々が批准し、罰しようとしている悪行は、極めて計画的であり、文明世界はこれを見逃すことはできません。もしその悪行が繰り返されれば、文明世界が存続し得ないからであります。

   ロバート・ジャクソン (法律家)

 

 ロバート・ホウアウト・ジャクソン(Robert Houghwout Jackson, 1892年2月13日 - 1954年10月9日)は、アメリカ合衆国の法律家。訴務長官(1938-1940)、司法長官(1940-1941)、最高裁判所判事(1941-1954)を歴任。ニュルンベルク裁判の主任検事も務めた。

 

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 馬場恵峰書 

2022-02-21 久志能幾研究所通信 2311号  小田泰仙

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2022年2月20日 (日)

壁にぶち当たったら 小休止

自分が変わらない限り、何も変わらない。

 2006年5月28日 明徳塾で 馬場恵峰師談

 

 郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ。自分が東大に行けず、郵政次官になれず、赤を変える政策を取れなかったのが、原因なのよ。上級国民になれる勉強をしなかった自分が悪いのよ。

 しかし人間界で起きた事象は、人間界で解決できる。解決でないのは、自分が変わらなかったためだ。成長しなかったためだ。その突破口を見付ける能力を付けなかっためだ。知恵を出す努力をしなかったためだ。

 この激変する社会で生き延びられるのは、最適な能力を付けた種である。けっして学校の試験で良い点数を取った人間ではない。古典的エリート種は絶滅危惧種である。上級国民でない我々は、新世界を生きるために、変わろう。

 

 問題の壁から一歩下がって、全体を見渡して、壁を通り抜ける道を見付ければよいのだ。壁を壊す必要はない。その壁を避ける道を見付ければよいだけだ。その道が利己的でなく、利他的であったら、世の人が応援してくれる。

 

 夏の日に、家の中に飛び込んできた虫が、窓ガラスに何度も突撃して、そのたびに窓から墜落する様を頻繁に見る。その窓はその横が少し開いている。そこに行けば、すぐ外に出られるのに、その虫は何回も閉じた窓ガラスに突撃である。

 我々も同じようなことをしていないか、反省しよう。自然は我々に、多くに事を教えてくれている。自然は声なき経を唱えている。それに気が付かないだけである。

 

 宇宙根源の理に従おう。素直な目で、事象を観よう。「観る」とは一段高い位置から観測することを言う。一段高い観点から観れば、地平線が見える。遠くまで見える。精進して人格を上げ、観音菩薩の眼を持とう。今見えているのは、自分の低い人格の世界での映像である。

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 馬場恵峰書

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

2022-02-20 久志能幾研究所通信 2310号  小田泰仙

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2022年2月19日 (土)

智慧を使って青春を謳歌

 

 人生の品質向上のために必要なのは、智慧である。智慧を出さないから、ドジな人生を送るのだ。知恵でスマートな人生を謳歌するべきだ。人生では、最低一人を幸せにする義務がある。その一人とは自分である。

 

 そのためには、物事の切り替えを早くすることだ。それが人生の智慧である。いつまでも過去に囚われ、愚痴っていても人生は拓かない。それは智慧がない。愚痴とは、愚かにも「知」が病気になった状態である。

 

 そのために無理な考えを持たない事。心豊かな人は無理をしない。無理とは宇宙根源の「理」に反すること。成功者は無理をしなくても幸せになれる。人として、やるべきことをきちんとこなしていれば、愚痴になることは起こらない。当たり前を当たり前にこなす。それが人生の智慧である。やるべきことをショートカットするから問題が起こる。

 

 ジックリと余裕をもってモノを見ていく心が、「情」けである。心が若ければ、人は青年のように青いのだ。「情」とは、心と青で構成される。青年のような熱い情熱が無くなるから、心の熱さも消える。情熱を失わなければ、何時までも青年で、青春である。心の持ち方が青年か老年かをきめる。

 

 人生は、赤(赤ん坊)→青(青年)→紅(壮年)→白(老年)→黒(死)と色で表現される。

 

煩悩と経典

 心の老化を促進させるのが、108個の煩悩である。多くの煩悩を断ち切るためには宝刀が必要だ。宝刀で煩悩を断ち切れば、人間の心が豊かになる。今、悩んでいる悩みなどは、実体のない妄想である。色即是空である。その煩悩を断ち切る宝刀を右手に持ち、その知恵の集約した巻物を左手に持って、文殊菩薩は我々を見守っている。

巻物には経典やお経が書かれている。今風に言えば、万巻の内容を集約した電子辞書である。しかし、この巻物には今風の電子辞書には書かれていない人生哲学が書かれている。

経典とは、

 

 釈迦が人生の中で実践し考え抜いた末の認識を弟子たちが書物にまとめたのがお経、仏典です。その中でも法華経には実に多くの学ぶべき知恵が詰まっていると感じ、私自身の行動や思考の指針としています。

 哲学とは存在と時間を考える学問です。そうした本来の意味の哲学を説いた宗教があるかというと、仏教以外にはないだろうと思います。

 たとえばキリスト教は、つまりはイエス・キリストの一代記です。人間の愛について、虐げられたユダヤの民への共感をベースに説いている教えですが、そこに哲学はありません。あとからギリシャ哲学を援用してきて、神学というものが出来上がったにすぎません。

 これに対して仏教は、たとえば時間の推移が存在の形を変えていくという認識を世界で初めて説きました。それを端的に表した言葉が「色即是空 空即是色」です。

 石原慎太郎著『老いてこそ生き甲斐』幻冬舎文庫

 

Dsc065732s 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

Img_57321s 馬場恵峰書

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2022-02-19 久志能幾研究所通信 2309号  小田泰仙

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