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2020年8月

2020年8月15日 (土)

英霊に礼なきは亡国の兆し  靖国神社問題

英霊に敬意が愛国心

 

 8月15日の「敗戦の日」が来ると、毎年、靖国神社参拝の有無で騒々しい。「終戦の日」ではなく、「敗戦の日」と書いたのは、全マスコミが、事実を隠蔽する体質が、この言葉でもある。事実は、終戦でなく、敗戦である。

 英霊は、国に残した銃後の親、妻、子供のために戦った。不本意であっても、それで国に命を捧げたのだ。

 なぜ祖国のために戦って命を捧げた英霊に元首がお参りしてはならないのか。中韓から非難を恐れて参拝しないのは、国辱である。国の敵は外ではなく、内なる売国奴である。媚中議員、媚中党である。そいつらが国を亡ぼすのだ。外の敵ではなく、国内の売国奴が、である。国民はそいつらに選挙で投票しなければよい。それに考えが及ばないのは、国を愛していないのだ。

 父ジョージブッシュ大統領が1992年、来日した時、靖国神社に参拝するという話があったが、日本側がそれを中韓に気兼ねをして断ったという。アメリカも英霊には特別の敬意を払っている。戦犯などという意識はない。それなのに、日本政府の対応が情けない。

 

米国アーリントン墓地

 以下は、1994年、私がアーリントン墓地を参拝した時の記録である。

 アーリントン墓地での無名戦士の墓を護る兵士の交代式は、国家としての意思を内外にアピールする素晴らしいパーフォーマンスとして感じられた。

 この交代式は一定時間毎に行われ、厳粛な儀式として執り行われている。一人の衛兵が直立不動で無名戦士の墓を護っている。そこに交代の衛兵ともう一人の士官が登場し、その士官が直立不動で観客に向かい、「只今から交代式を執り行うので、全員起立して、静粛にお願いします。」と張りのある良く届く声で告げるのは、格調が高いオープニングである。その後その士官が交代の衛兵の銃を5分ほど銃の点検の儀式としてこねくり(?)回し、2人の衛兵が交代して儀式は終わる。その動作は、儀式としての各動作として、甲高く靴の合わせる音、敬礼、行進、銃の持ち替え等と見ていて舞踏芸術を見る観がある。たった3人で、100人以上の観客を引きつけるセレモニーは並ではない。

 これを見て、国家として、国に対して尽くしてくれた無名戦没者への力の入れ方の熱意とそれの自己主張、自己PRする旨さを感じる。これは愛国心を高揚させるには良い手段である。これなら安心(?)して、戦地に息子を送れるのかもしれない。別に戦争賛成ではないのだが、日本も、国際社会でもっと自分の立場を主張するには、こう言ったパーフォーマンスが必要だと考えさせられた。日本以外の世界では、控えめな態度や沈黙が何の理解ももたらさない事実を認識すべきである。これもコミュニケーション技術としての私の見方の産物です。

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 無名戦士の墓を護る兵士の交代式   1994年8月

 

ベトナム戦没者の碑

 リンカーン記念館の近くの公園内に、黒い御影石で作られた長さ200~300m、高さ3m程の長細い三角形碑がある。その碑全面に、びっしりと5万8千余の膨大な戦没者名が刻まれた悲哀の壁は、独特の荘厳さがある。

 横に長く広がるこの碑の各所には、花や小さな米国旗が供えられていたり、親族の名を紙に転写している人や、名前をさすっている人がいたりと、その場所を通過すると関係ない私でも、何故か胸が熱くなるのを感ずる。これは各種のガイドブックの文面からはけっして伝わってこない状況だ。

 米国は理想に燃え、間違ったことでも国中で突っ走ってしまう歴史的事実が多いのだがその間違いをこういった形で後世に残すフィードバック体制は、他の先進国には見られないものだ。その点では、アメリカ人は純粋で評価すべきである。米国史博物館にも、この場所の記念碑のパノラマ縮小模型が展示されている。(ただし、ペンタゴンツアーではこの事例は展示ない)

 当時、ベトナム戦役拒否をした大学生だったクリントンを大統領に選んでしまうこの国の包容力の凄さをこの碑を見て感じた。

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 ベトナム戦没者の碑 

 

 この場所は訪問する予定がなかったのだが、リンカーンセンターからスミソニアン博物館郡にわたる公園内を歩いていたら嫌でも目に入ってきてしまった。また私はこういった場所を記念撮影するのは不謹慎だと思っているので、写真を撮るつもりはなかったが、ついその荘厳さに、遠景から写真を撮ることを許してもらった。

 私は墓地とか慰霊碑の前で記念撮影する人の気持ちがわからない・・・。なんと不謹慎な! 私は、マスコミが不幸のあった人々の悲しむ姿を、近距離から執拗に撮影するのを何時も苦々しく感じている。あれは報道の名を借りた暴力以外の何物でもない。普通の人は、肉体的苦痛より、精神的苦痛が心身に響くものだ。せめて遠くから撮る配慮ぐらいできないのかと腹立たしく思う。悲嘆にくれる人達をそっとしておいてあげるのは、人間として最低の心配りである。その点で最近のマスコミ、特にTVワイドショーのエセヒューマン的振る舞いは極悪非道である。TVワイドショーは、現代版川原乞食の見せ物興行(それをワイドショーと横文字を使うから騙される)であるが私の意見です。それを平然として見るのは、もっと非人間的行為である。国民の品格は、こんなところに如実に出てくるものだ。いつから日本はこんなに心の貧しい国になったのだろう。

 

イタリアの無名戦士の墓

 第二次世界大戦でムッソリーニのファシズム国家として戦ったイタリアでさえ、国のために戦って命を落とした英霊は儀仗兵に守られて、「ヴ一トリオ・エマヌエーレ2世記念碑」として無名戦死者のMonumento a Vittorio Emanuele II(ヴ一トリオ・エマヌエーレ2世記念碑)に荘厳に埋葬されている。それを私は2010年のローマ旅行で確認した。

 ローマの中心ヴェネツィア広場にそびえる巨大な白いモニュメントは、1961年のイタリア統一50周年記念として建てられた。その建物の真ん中に立つ初代国王ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の騎馬像が、ヴィットリアーノという呼び名の由来である。またの呼び名をAltare della Patria(祖国の祭壇)という。完成が1911年と比較的新しい建物で、兵士が常時警備する第1次世界大戦の無名戦士の墓がある神聖な場所である。その儀仗兵の交代式は荘厳である。

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Img_2121s    儀仗兵の交代式     2010年11月15日

2020-08-15 久志能幾研究所通信 1706  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年8月14日 (金)

河村義子先生のご霊前での出会い

 人は人との出会い以外に、言葉との出会いがある。今日(2020年8月14日)は河村義子先生のご霊前にお参りして、素敵な言葉に出会った。

 「人に心を預けるな。佛に心を預けよ」である。

 他人の心は成長もすれば、堕落もする。己もまたしかりである。その成長速度は、人によって異なる。その変化した心で、他人と相対比較するから腹が立つ。相手の行動を批判・比較して、喜んだり、悲しんだり、怒っても益のない話である。他人の行動をこうあるべきと思うから、腹が立つ。それよりも己の心を絶対的存在の佛に預け、空の状態で世間を見れば、正しい姿が見える。事件に接して、己が佛ならどう思うか、で考えればよい。それで心が落ち着き、心がふらつくことはない。その佛とは、先人達が考えた理想の人間像である。その佛になる修行をしておられるのが菩薩である。

 

人生完全燃焼

 自分の仕事での決断は、自分が信じたことを、佛に問いかけながら邁進すればよい。結果は佛様が一番良いようにしてくれる。だから全力投球した後は、野となれ山となれ、である。その時の結果が意に添わなくても、10年後にはそれでよかったとなる事が多い。私もそんな逆縁の菩薩様に多くで出会ってきた。

 河村義子先生の戒名は、「聖観院教音義愛大姉」である。その名の通り、佛の眼で弟子を見つめ、音楽を愛し、子供を愛し、音楽を教えることで世に尽くして、使命を全うして旅立たれた。新型コロナ騒動の前に旅立たれたのが、せめてもの幸いである。

 今なら音楽家は、音楽活動が制限され、その収入も断たれ、生活が大変である。河村義子先生は、良き時代を全力で駆け抜けた。私もそんな仏様のような先生とご縁ができて感謝である。

 

犬も歩けば

 私の今までの音楽人生は、一歩前進、一歩後退であった。しかし、その一歩を動いて、多くのご縁を頂いただけ、人間的に成長できた。一歩後退しても、決してマイナスではない。人は動かなければ、ご縁に出会えない。それを賢人は「犬も歩けば、棒に当たる」という。止っていてはダメなのだ。止って、家に閉じこもっていれば、認知症への道をまっしぐらである「歩く」とは「止まる」が「少ない」と書く。

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   松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像 

 

2020-08-14 久志能幾研究所通信 1705  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月13日 (木)

「コメント」という名の暴力が人を殺す

発信者の匿名性が人を悪魔にする

 

 ブログやSNSに対するコメント者は、匿名性を武器に、上から視線で言いたい放題である。文体も書きなぐりである。それは暴力ともいえる。

 ブログを書いた方は、コメント来れば、読まなければならぬ。書いたほうだけでなく、ブログやSNSの読者も嫌でもそれを目にする。それで若い子がそれを苦にして自殺に追い込まれた事件がよく新聞紙上に掲載される。最近はプロレスラーの木村さんが自殺に追い込まれた。

 ブログの文書は、公開される文書なので、何度も何度も校正を繰り返して磨かれた文体である。私はそういう手間をかけてブログに上げている。しかし、匿名のコメント者の文は、校正してある形跡はなく、書きなぐった文体がまき散らされている。匿名だから、無責任な低レベルの内容である。

 

殺人行為

 その暴力的なコメントを読むとは、人が一生の間で使える総時間から3分間を奪うこと。それもそのコメントは一人だけでなく多くに人が読む。匿名コメント者は社会の敵で、時間の強盗である。それが日本の生産性を引き下げている。

 それだけならまだしも、現実は、プロレスラーの木村さんがSNSの心ない中傷で自殺に追い込まれた。匿名のコメント者は、殺人者である。

 ある人と面会する場合も同じことである。ある人と面会するとは、その人の一生で使える時間の2時間を奪うことだ。命とは一生の間で使える時間のことだ。そう思って、覚悟して相手と面会しているか、胸に手を当てたい。匿名のコメント者は、けっしてそんなことは考えまい。

 私は癌を罹患して、医師から余命宣告を受けた身である。だから私は、無責任な匿名コメントには激怒である。時間は命なのだ。

 

匿名性で高まる攻撃性

 総務省は6月25日、ネット上で誹謗中傷された被害者が投稿者を特定しやすくするための制度改正に向けた有識者会議を開催。投稿者情報の迅速な開示に向けた新たな裁判手続きの創設を検討する方針が示され、高市早苗総務相も「裁判手続きに時間がかかる課題がある。議論を深めてほしい」と要請した。

 国が本腰を入れるきっかけとなったのは、出演したテレビ番組での振る舞いなどについてSNS上で誹謗中傷を受けていたプロレスラーの木村花さん(22)が死去した問題だった。

 

 誹謗中傷の書き込みをした投稿者を特定するためには現在、サイト運営者や接続業者(プロバイダー)に開示請求訴訟を起こさなければならないケースが多い。総務省は、より簡単な手続きで裁判所の決定を受けられる仕組みづくりとともに、裁判なしで事業者から任意の開示を受けやすくする方策も検討。7月にも改正の方向性を取りまとめる方針だ。ネット上で誹謗中傷がはびこる最大の理由は、書き込む側の匿名性にある。

 総務省の15年の調査によると、日本におけるSNSの匿名利用はFacebookの15.2%、Twitterは76.5%、Instagramは68.1%。他国に比べて高い水準といえる。

 木村さんのケースでは、主にInstagramをはじめとしたSNS上での誹謗中傷が激しかったとされる。ヤフーは、掲示板のコメント欄の監視で培った技術を、SNSの運営事業者などに提供すると表明している。

 サンケイ新聞 2020年07月09日 07時00分 公開

https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2007/09/news040.html

 

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2020-08-13 久志能幾研究所通信 1704  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月12日 (水)

私のあるべき姿(人・モノ・金・時間・生き方)

オダ仏教生産システム

 

投資

 金が出来たら、自分の成長のために金を使え。そのために無駄遣いはするな。自分の一部となって、自分を助けてくれるモノに金を使え。能率アップ、時間創造、機会創出のために金を使え。自分という「人」こそが、ものを2倍にも10倍にもできる存在である(ドラッカー)。自分への教育投資で、その能力は100倍にもなる。

 お金を貯めても世間の価値観が変われば紙屑となる。戦争・敗戦になれば、全てが失われる。1952年の新円切替でもそれを示している。祖父はそれで、貯金してあった退職金の全てを失った。どんな時代になっても、お金を稼げる能力を作るために、自己投資をせよ。

 

モノ

 買うなら一番高いモノを買え。買って後悔しないものを買え。一生使えるモノを買え。高いモノには汗と魂が籠っている。金は時間(命)を全うするための道具である。命とは、自分が一生で使える総時間である。その時間を有効に使うために道具は使いこなせ。金を残して死んでも、誰のためにもならない。

 人の批判を恐れるな。人の価値観は、その人の成長により変わる。往々に他人は僻みで批判をする。惑わされるな。自分を信じよ。

 

時間

 時間(命)を生かして使え。時間が命を創造する。命とは、自分が一生で使える時間の総量である。その時間を効率よく使う為、健康に最大の注力をせよ。死んでもいいから、健康第一である。天才でない者は長生きすることだ(坂村真民)。

 時間を無駄にする人とは縁を切れ。此の世で一番大事な存在は自分である。お釈迦様もそれを言っておられる。その自分を大事にしない人は、他人をも大事にしない。だからそんな人とは縁を切れ。

 その最悪の存在が、自爆テロリストである。

 自爆テロリストは中東ではなく、身近にも存在する。ぼやき、自己否定ばかりで暗い話しばかりする人もテロリストである。その人に話を合わせていると、自分も暗くなる。自分の未来が暗い方向に引きずり込まれる。言葉の影響を一番受けるのは、自分である。

 嘘でもいいから、明るい未来を語れ。それが時間創造である。嘘でも100回言えば、本当になる。

 

お金

 お金を生かして使え。そのために活き金を使え。死に金とは、お金を泣かすこと。お金は女性名詞である。女を泣かせて、幸せは掴めない。お金を生かし、お金に喜んでもらうように使え。

 お金にも神仏が宿る。お金の使い方、扱い方で、恩返しがあり、罰当たりがある。お金は目的を持ち、感謝し貯めよ。お金を幽閉すれば、お金の復讐がある。

 お金を感謝の心を込めて旅立たせよ。そうすればお友達を連れて帰ってきてくれる。

 

ご縁

 命に係わるご縁があるなら、血縁を切ってでも、そちらを選べ。師が人生を左右する。身近な腐れ縁ほど恐ろしいものはない。

 遠くの親戚よりも身近な隣人である。私は癌を患って、痛感した。

 

トラブル

 問題が起きたことを喜べ。それは神仏が何かを直せと啓示している。人生で物事をやって何も起きなければ、それは挑戦ではない作業であったのだ。単純労働者の世界を脱して、新しい付加価値を産む世界を目指せ。

 何も事件が起きない人生とは、行けども行けども、何の風景が変わらない砂丘を旅するようなもの。それを繰り返せば、認知症へまっしぐら。

 問題が起きたら、対処療法でなく、真因を探して解決せよ。そこに人生のお宝が埋まっている。

「五戒の何故なぜ」を5回繰り返せ。計25回考えて真因を探せ。

  動機善なりや。(稲盛和夫氏)

  利他がありや。

  時間、時代に反していないか。

  場所と立場を変えて見たか。

  方法を変えてみたか。

 

神仏

 見えないものを大事にせよ。世の中は、プラスマイナスでゼロの世界。それが宇宙根源の理に合っているか考えよ。松下幸之助翁が信じたものが、宇宙根源様であった。

 見える世界ばかり追い求めても、限界がある。見えない世界を大事にすれば、神仏が助けてくれる。

 私は今、それを癌の治療を通じて実感している。私は神仏、ご先祖様、河村義子先生の霊に助けられて、今を生かされている。

Img_44121s  馬場恵峰書

2020-08-12 久志能幾研究所通信 1703  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月11日 (火)

某大垣市会議員の挫折  次期大垣市長選

 当初、この古参の有力市会議員は、次回の大垣市長選に出るつもりであった。しかし気が付いてみると、大垣財界や各所において、小川敏の根回しが終わっていて、今からは手遅れであることを悟ったという。彼は現職の強みを見直したという。この議員は、次回の市長選に出ることを諦めた。

 特に今回は新型コロナウイルス騒動である。毎回の記者会見や発表が顔を売る絶好の機会となり、対立候補の活躍の幕がなかった。

 小川敏は市長の権限を最大限に活用して、寄付贈呈式をフル演出し、新型コロナウイルスの被害に対して大垣独自の支援政策を発表して、売名行為に余念がなかった。

 大垣独自の支援とは、海津市に比較して、市民一人当たり10分の一以下の支援である。それでも大威張りで新聞発表である。そんな策士の小川敏に某市会議員が勝てるわけがない。

 次回の大垣市長選挙では、小川敏の連続6選、無投票当選となる恐れが濃厚である。これでは24年間の独裁政治である。これで大垣の民主主義は死に絶える。大垣の滅亡である。

 

コロナ対策費比較

            大垣市     海津市

人口          158,832人    33,004人(2020年1月1日)

令和2年度一般予算    603億円     150億円

コロナ対策費       2億円2480万円   5億円

市民一人当たり対策費   1,415円   15,149円

 

子供へ         5千円ギフト券    1万円を補助

市民へ          なし       3000円の買い物券

新生児に        なし        1万円を補助

一人親限定で      2万円

(数が少ない)

市長給与の減額     なし    市長の給与を 20%減

(財源確保)            副市長の給与を15%減

教育長の給与を10%減

        口先、カッコだけの対策  長が痛みを感じる対策

参考

小川敏コロナ対策は大便ごとき、海津市 ... - 久志能幾研究所通信

 

2020-08-11 久志能幾研究所通信 1702  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

磨墨知623. 「死にそう~」と言わない

 でも貴方は本当に死ぬわけではない。不治の病で本当に死を目前にした人がいる。そんな人の手前「死にそう~」など甘えの言葉である。甘えの気持ちから時間は創れない。

 

 「人間が霊的に成長するためには,稚気を去ることだ。」橋本佐内『啓発録』

 

 「死にそう」を超越して、「死んだ気でやれ」ば、何でも打破できる。「死にそう」は受動態だが、「死んだ気になって」は能動態である。受け身では運命は好転しない。その言葉は、日ごと使っている言葉を象徴している。それは潜在意識が言わせている。そういう人は、人生が受け身なのだ。言葉の影響を一番受けるのは、己である。甘えの言葉は、麻薬のように脳を堕落させる。

 私は「死にそう」、「死ぬ死ぬ」と言う人で、今だかって死んだ人を見たことがない。是非見てみたいもの。

 

死んでしまえ!

 その昔、私はよく冗談で「死んでしまえ!」と皆に言っていた。皆さんからは顰蹙ものであったが、いま上記を思うと、まんざら冗談ではなく、良いことを言っていたと思う。

 弓の名人は、「この一矢で死ぬ」と自分に言い聞かせて矢を射るという。次の矢があると甘えず、1本の矢に己の命をかけろ、である。一射して死んで、次の矢でまた新しい命を込める。一つのプロジェクトに命を賭けて死ぬ。そうすればそれを糧に新しい自分が生まれる。死んだ気で頑張らず、曖昧に生きるから、新しいものが生まれない。

 

2020-08-11 久志能幾研究所通信 1701  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月10日 (月)

書評『病気になりたくともなれない話』

宇田成徳著『病気になりたくともなれない話』致知出版社

 

木鶏クラブでの講演会 致知出版 2005416

講師  宇田成徳博士

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所感1

 医師ではない宇田博士が説く健康法(開運法、仕事術)は、実例のデータを多く示してくれるので納得してしまった。経営者ではなく、同じ開発者研究者(当時)で工学博士(元松下電器)であり、特許も多数持ち、R&D100アワード賞には輝いた方の体験談は、人生の師の言葉と合い通じる重みがある。心も頭も体も、そして運命も真理は同じである。

 日本の最近の社会がおかしくなったのではなく、自分達が食生活を悪い方向に変えてきた。それが病気の原因である。またこの50年で「心」の食べ物も悪くなった。社会がおかしくなるはずである。

 日本がおかしくなったのは、「狂った食事」、狂った生活」、「狂った教育」が原因である。だから狂った政治家が生まれた。

 

 

所感2 日本の政治

 日本がおかしくなったのは、政治家の悪政が原因である。日本は病気である。

 日本は30年来、不景気が続くのに、減税ではなく、なぜ増税なのか。狂っている。欧米が年間1500時間労働で、2~3%成長なのに、なぜ日本は2000時間労働で、成長率が1%なのか。日本の経営が狂っている。経営者が拝金主義に染まって、頭が固くなってしまったのだ。欧米は拝金主義ではあるが、頭が柔軟である。だからGAFAが成長している。

 大垣市がおかしくなったのは、小川敏が原因である。小川敏は大垣市をこれだけ衰退させた元凶なのに、その責任も感ぜず、6選を目指すのとは狂っている。日本の経済成長率が1%で、大垣市の成長率がマイナス1%である。小川敏の経済政策が狂っている。

 

宇田先生の健康と人生のキーワード

健全な精神は、健全な肉体に宿る。

人生は最高のことしか起こらない。

賢者は先人に学び、愚者は体験に学ぶ。素直な人は自然に学ぶ。

一は全て通じる。

親孝行をすれば実力は4倍になる。

客観性を磨くと、自分が見えてくる。

どうしたら喜んで貰えるか、どう見られているかを考えれば実力は4倍になる。

144k8a10931s 馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」

 

 

私(宇田)の方針

 一は全て通じる。3年挑戦して、師を越えなかったらおかしいと思え。

 私は、企業として相手の会社と共同研究をしている時、その会社に出張で入るとき、「どうぞ○○の発展をお祈りします」と言って入る。会議でも相手のことを祈りながら発言する。

 友人にニッコリ笑ってもらう、喜んでもらおうと思えば、いくらでもアイデアが出てくる。

 私は、毎朝、なりたい自分をノートに書き出している。人は一番多く見たり聞いたりしたことが実現する。ならば自分でなりたい自分を毎日書き出さばよい。

 

就職試験論文に落ちたくても落ちない答案作成方針

(人生の生き様を書く)

論点

 ただひたすら生きる(60点)、

  社会の役に立つために働く (30点)

  知識の過多 (10点)

以上の合計点で合否が決まる。

1978~2003年で、宇田先生が指導した学生で落ちたのは一人だけ。

 

学び方

 賢者は他人の失敗に学ぶ、愚者は体験に学ぶ。

 素直な人は自然に学ぶ

 

病気は疲れた時に出る。疲れなければ寿命は125歳である。

1)水分をたっぷりとると病気は1/2になる

 オシッコは毒である。水が足りないとオシッコが薄い、濃縮されない。

 腎臓が150L/日の浄化をしている。腎臓は0時から休む、だから夜更しは腎臓に負荷をかける。それは疲れの元である。

 

2)ミネラルをたっぷりとれば1/5に減るはず

 昔(50年前)、アトピーはなかった。つまり食生活の変化が原因である。

 本に書いてあることは90%のみで、後の10%の大事なことは書いてない。それを探すのが真の読書である。

 

3) 冷たいものを避ければ1/4減る

 胃中の酵素が、食物を消化・溶かす働きをする。

 冷えると酵素の働きが弱くなる。だから冷たいものは避けること。

 

 私は(小田)は、朝起きると白湯を一杯飲む。決してコーヒではない。

 

4) 快便

 動物の排便は瞬間である。野生動物は便秘で悩まない。

 排便時間の長い人は食事を改善すること。「狂った食事」をしている。

 そんな生活では何時か、大腸がんになる。

 

5) 食べ過ぎは疲れの元

 食べ過ぎると消化不良となり、それが体に毒となり、この毒で体が疲れる。

 二十日ねずみの実験

 A  満腹ねずみ    6ヶ月の寿命

 B  Aの60%ねずみ  18ヶ月の寿命

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6) 怒ると疲れる

 怒りとは何か。ハリネズミは威嚇するとき針を立てる。動物の威嚇の名残が人間の怒りである。怒りは瞬間にエネルギーを燃焼させ、瞬時に老廃物が発生する。瞬時には体内で老廃物を処理できないので、尿毒ができ、自分で作った毒で疲れる。

 

7) 喜ぶと元気になる

 喜びの典型は犬が喜ぶとき。一番の喜びとはエサをもらったとき。パブロフの条件反射で唾液,胃液が出て、体中活発する。それが、喜びの原点である。人間も喜びが体を活性化させる。

 

8) SEXはなぜ快感なのか

 自然界に不必要なことは残らない。それは快感ではないからである。自然界での典型的なSEXはカマキリの交尾である。交尾のあとオスはメスに喰われるが、痛くはないはずである。自然界の麻酔が脳内に出てくるからだ。

 

2020-08-10 久志能幾研究所通信 1700  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

危機管理16 『チーズはどこへ消えた?』(2/2)

エピソード1

 当時(2000年頃)の勤務先のU社長も係長会への訓示や基幹職招集時のお話で、基幹職はこの『チーズはどこに消えた?』を全員読むようにとの指示をされた。私の英語の師匠である後藤悦夫先生から,米国の有名企業の多くが教育テキストとして活用しているし、この原書は易しい英語で書かれた薄い小冊子(全96頁)なので、英語の教材としてもお勧め、との情報を頂いた。そこで遅ればせながら本屋に買いにいったら、刈谷市、知立市では売り切れ状態であった。目的ある本を捜しに行って、売り切れであったのは久々である。慌てて,丸善に和書と原書をセットで注文した。

 

エピソード2

 この後藤先生には中学生になる孫娘さんがいて、毎週 1回、後藤先生の自宅に英語の個人指導で通いに来ている。先生がこの『チーズはどこへ消えた?』を話されたら、「面白そう」と、本を借りていった。その時、原書も見せたら「これも面白そう」と言って、「おじいちゃん、これも貸して」と持って帰った。私の回りの人にこの原書を見せて紹介しても、拒否反応ばかり。柔軟な姿勢の中学生のお嬢さんにも負けてはなるまい。リーダーは迷路に入って行く勇気を持ちたいもの。

 

エピソード3 『風とともに去りぬ Gone with The Wind』

 私は一世を風靡したベストセラーのマーガレット・ミッチェル著『風とともに去りぬ』を思い出した。この小説が、『チーズはどこへ消えた?』と同じ趣旨で、ラブロマンス風、大歴史小説風に仕立ててあるのに気がついた。つまり『チーズはどこへ消えた?』を文学的に訳すると、Gone with The Windとなるわけである。

 開拓者たちにより、理想に燃えて建国された米国合衆国が、黒人奴隷開放の議論で国を二分する南北戦争に発展した。その戦争が南軍の敗北で終わった時、今までの良き時代の風習、慣習、文化そしてそんな人達が、風とともに去っていった。題名の『風とともに去りぬ』はそういった時代を表わしている。そういった殺伐たる状況のアトランタは、まさに日本の敗戦後の焼け野原状態と同じであった。

その状況で、古き良き時代をいつまでも懐かしく思い、いつかはそれが帰ってくると信じて、なす術もなくただ無気力に待つだけの人(ヘム)、混乱に満ちた都会で一旗揚げようと自分の才覚を信じ逞しく生きる人達(スニッフとスカリー)、おっかなびっくりで新しい新天地の向かう人達(ホー)、そんな人達をスペクトラ的、ロマンス的に描き、そこにホーとスニッフとスカリーを凌駕して逞しく生きるスカーレット・オハラがいる。ただし、彼女とて変化を予測して生きてきたわけではないが、変化があっても生きる術を模索して、迷路に勇敢に突入していく逞しい女性であった。それ故、アメリカ開拓精神を持つ米国民が彼女を愛したのであろう。

 ドラマのフィナーレでスカーットは泣きながら叫ぶ、

 I'll think of it tomorrow, at Tara. I can stand it then.

 Tomorrow, I'll think of some way to get him back, After all.

 Tomorrow is another day.

 過ぎたことは悔やんでも時間は戻ってこない。

 明日は明日の風が吹く。

 明日からでなく今から精一杯チーズを見つけるために生きよう、と。

 

 ここに過去に囚われず未来を生きようとする人間がいる。過去に生きる人には現実は冷酷である。今に生きる人には活力があり、未来に生きる人には希望がある。

 本とは出会いである。いろんな気づきや自分の成長で、今まで観えなかったドラマが見えてきて、昔読んだ本にも新しい出会いがあるのを発見した。

 

エピソード4  失われた30年

 日本経済は、戦後の焼け野原から、奇跡の高度成長期を経て、1991年にバルブが崩壊し、それ以来デフレの時代が30年間も続き、いまだに失われた30年と言われる時代が続いている。

 今の管理職の世代は過去の栄光が忘れられず、相変わらず多時間労働、滅私ご奉公の精神で働いている。GAFAで代表されるアメリカの企業達は、価値観を変えて企業の変革に取り組んでいる。日本は相変わらず、過去の延長線上で働いているから、失われた30年が生まれた。いつになったら気が付くのか。

 

エピソード5  失われた健康

 私は2019年2月に癌の手術をして、健康であった生活が一変した。病後の後遺症で、食べるものも食べられず、まともに歩けない。以前の食べ放題やよく食べよく遊びの生活が出来なくなった。あって当たり前の生活(チーズ)が消えたのだ。癌は、今までの生活が間違っていたことを教えてくれた。今は、「狂った食事」、「狂った生活」から、正しい食生活に変えることで、楽しく安心して暮らしている。

 変わろう。前進しよう。変化を楽しもう。新しい冒険を味わい、新しい生活の味を楽しもう。進んですばやく変わり、再びそれを楽しもう。

 何時までもあると思うな、親と健康。

 チーズは偶然、死は必然。

                      

2020-08-10 久志能幾研究所通信 1699   小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 9日 (日)

危機管理16 『チーズはどこへ消えた?』(1/2)

 スペンサー・ジョンソン博士著『チーズはどこへ消えた?』(2000年 扶桑社880 円)がベストセラーになった。話はたわいない内容であるが、現実には深刻な人間の性を寓話的に描いた作品である。ある迷路に 2匹のねずみと 2人の小人が住んでいた。そこに美味しいチーズがあり、満ち足りた生活をしていた。ある日、そのチーズがなくなる時が来た。その時の4者(匹?)の対応ぶりのお話である。ここで登場する「チーズ」とは、我々が人生で求める仕事、家族、財産、精神的な対象の象徴である。「迷路」とは我々の幸せを求める場所、仕事場、家庭の象徴である。登場する2匹のねずみと2人の小人は我々の性格を象徴している。チーズが消えた時、自分ならどうするかを自問自答して読む哲学書でもある。

 

この物語の教訓

 変化は起きる   チーズはつねに持っていかれ、消える

 変化を予期せよ  チーズが消えることに備えよ

 変化を探知せよ

   常にチーズの匂いをかいでいれば、古くなったのに気がつく

 変化に素早く適用せよ

  古いチーズを早く諦めれば、それだけ早く新しいチーズを楽しめる

 変わろう     チーズと一緒に前進しよう

 変化を楽しもう

   冒険を十分に味わい、新しいチーズの味を楽しもう!

 進んですばやく変わり再びそれを楽しもう

          チーズはつねに持っていかれる

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 スペンサー・ジョンソン博士著『チーズはどこへ消えた?』(2000年 扶桑社880 円)

 

警告の書として

 会社は放置すると死んでしまう。そんな厳しい現実を、形を変え、たわいもない寓話にしてのが『チーズはどへえ消えた?』である。今、企業は生き残るため、従業員の意識改革と教育に必死である。必死でない企業が倒産している。そんな背景もあり、この書は米国の多くの有名企業(*) の教育用テキストとして使われてベストセラーになったようだ。今ある状態が永遠には続かない、今の本業がいつかは成り立たなくなるときが来る。その時にどうするか、その時の各人の生きざまがこのお話しの中でたとえで語られ、そこに登場する4者(ねずみと小人)のどれに自分は当てはまるかを自問自答させられる厳しい物語でもある。

 赤字の会社・事業部・部門・個人(赤字の人生)は、変化が来るとは思わず、変化を一時的なものとしてしか認めず,変化を怖がり、安全な場所で今までどおり働きたいと思い、変化をしようとする人の足を引っ張る人や体制が多いし、体質がそうなっている。少なくとも黒字の会社と比較するとそういう傾向が多い。だから、この書を警告の書として世界の企業のトップは読めと勧めている。たぶん変わらない部下にイライラしながら。なにせ大前研一氏は「35歳から50歳までの社員は企業内の不良債券だ」とまで極言している。そんな意見がでるのもそれなりの根拠があるはずだ。本当に著者が伝えたかったのは「変化を恐れるな、変化を楽しみなさい」である。それが出来ない人が不良債権となり、会社を危機状態に陥らせるのです。

 

*:シティーバンク、エクソン、イートストマンコダック,ジェネラルモータース、グットイヤー、マリオット、モービル、オハイオ州立大学、ゼロックス、教会と病院、政府機関、米軍等で活用(他15社名が記載)

   (この情報は邦訳本には記載されていない。原書のみの情報)

 

経営者の本音

 この物語は、かっての高校のクラスメートの一人マイケルが自分の会社の仲間に配ったお話として語り、その後に、この話の聞かされた元クラスメート達による静かな熱い議論がある。ここからが経営者の本音の部分である。そこで私が注目した重要な現実(変化しない自分)とシリアスな発言(変化しない人は解雇)があった。

 

変化しない自分

 ビシネスウーマンのローラが疑問を投げかけた。「変化を恐れている人はどれくらいいるの?」と、その場のかつてのクラスメートに挙手してもらった。しかし、たった一人しか挙手しなかった。で、「自分以外の人は変化を恐れていると思っている人は?」との質問に変えたら、全員が挙手した。つまり自分では気づいていない。認めたくないという現実がある。この種の教訓は品を変え形を変え我々に教訓という苦い薬を提供してきた。それはいかに人間が変われないかの証明でもある。また、変わったつもりでも、回りからは変化してとは見えないという事実でもある。その格差に気づいてほしいのである。

 

 私が受けた某経営者セミナー(2000年頃)で、我々はリーダーとして、また経営者として変わるつもりで、参加したのだが、実際は少しも変わっていない自分との出会いがあった。その出会いに気づいただけでも自分を褒めてあげたい。普通の人はそれさえ気づかない。

 

変化しない人は解雇

 変わらなかった人に対しては、どうしたのだという質問が飛び、「辞めてもらうしかなかった。全員働いてもらいたかったが、我が社が急激に変わらなければならない状況で、そうしないと全員が困る状況に陥るからだ」と、マイケルは苦渋に満ちて告白した。米国企業のトップがこの書を勧める本音がここにあるような発言である。我々がリーダーや経営者の意識で、これらの4者の人達を俯瞰的に観て、組織を運営していかねばならない。しかし危機状態でも変われない人達がいる、その現実を知ることである。ここに組織の縮図がある。あなたが4者の上に立つリーダーなら、どういう運営をするかの命題としても読める「楽しい」大人のファンタージーである。これが楽しく読めなければ、あなたはヘムである。リストラを覚悟するか、意識改革をしなくてはなるまい。

 

10年間で8割が倒産

 日本には約3,000 万社の中小企業が存在するが、10年間で8割が倒産する現実がある。残るのはたった2割である。これが50年間となると、存続するだけ奇跡と言われる。単純に確率計算をすると,0.2 の5乗は0.00032 である。確率的に3,000 社に1社しか生き残れない。

 大企業でも、普通は企業の寿命は30年といわれる(2000年頃)。花形産業でもその寿命は30年である。今の技術革新の激しい時代(2020年)は、その寿命は18年と言われる。

 私の前職の会社も創業65年で、市場から名が消えた。その会社を吸収合併した会社も、以前に倒産寸前になって別の大会社の資本が入った。

 兵庫県明石市の人麻呂神社には、50年前に当時の地元の企業100 社が寄進して社の修復をおこなった。坂の石段にその時に寄進した企業名が刻まれている。しかし、当時の企業で現在も存続している企業はたった1社しかない。それもその企業名は確かに残っているのだが、その企業の業態は変わっている。上記の確率から計算と現実をみると、現実の厳しさを実感できる。現在は、倒産しないという神話のある業界や大企業の破綻の噂が目白押しである。

 そもそも寄進とは隠徳である。寄進を行為を石に名前を刻ませるとは売名行為である。名前を刻む作業にも費用が発生して、寄進したお金が目減りしている。トップのそんな傲慢な姿勢が、50年後に企業が消滅する因果を招いたのではと思う。売名行為をする、それは企業が成長の頂点を極め、後は衰退するとの暗示である。

 数百年続いた伝統あるお菓子屋さんがある。そこが生き延びた理由を店主に聞くと、伝統を絶えず時代に合わせて変え来たので、今の伝統が守られているという。伝統を守るには変わらないと守れないのである。それが守破離である。

 

私のチーズが消えた---過去を抹殺して

 私は、前職の事業部の看板商品の開発に、入社以来20年間、開発一筋に携わってきた。ところが人事異動で生技開発室を担当することになり、今までやっていた自分の経歴を否定する技術開発に取り組みを命じられた。自分の過去を抹殺する業務である。今、自動車部品開発で、新工法技術が価格競争とグローバル競争で、求められる技術の一つであるからだ。いつまでも過去の技術にこだわっていると部品事業部の製品が売れない結果となる。私自身、目の前からチーズが消えた現実に置かれた。

 

 当社の看板商品のもう一つが自動車部品事業部の油圧部品である。当時、時代は地球環境保護、省エネ、の流れを受け、電気化のニーズが高まっている。当社の油圧部品は、世界市場シァアで15%の世界第2位であるが、5年後に今の製品の(チーズ)の市場は激減している恐れがある。少なくとも電気化のニーズが高まるのは各種の予想で警告されている。油圧部品市場が激減した時になって、「チーズはどこに消えた?」と狼狽してはなるまい。

 現在、美味しいチーズがいくら大量にあっても、日々どんどん古くなり、減っていく。「ホー」が「新しいチーズは今までの場所ではなく、外にあるのではないか」と考える瞬間がある。それこそ著者が一番言いたかったことなのだ。

 

 この書の著者スペンサー・ジョンソン博士は心理学者である。20世紀は頭の時代で、21世紀は心と魂の時代と言われる。頭だけで考えているだけでは登場人物のヘムとホーのように変化に対応できない。まず行動が必要だ。変化は起きるものとして、変化を予期し、素早い対応が求められる。そうできない企業は破産し、人は破綻する。変化する、変化に機敏に対応する、そうした倒産への防御が危機管理である。そのためには企業は変化し続けなければならない。企業を構成するのは人間である。その人間が変わらないと企業も変わらない。

 

2020-08-09 久志能幾研究所通信 1698   小田泰仙

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2020-08-09 久志能幾研究所通信 1697   小田泰仙

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