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2020年8月11日 (火)

磨墨知623. 「死にそう~」と言わない

 でも貴方は本当に死ぬわけではない。不治の病で本当に死を目前にした人がいる。そんな人の手前「死にそう~」など甘えの言葉である。甘えの気持ちから時間は創れない。

 

 「人間が霊的に成長するためには,稚気を去ることだ。」橋本佐内『啓発録』

 

 「死にそう」を超越して、「死んだ気でやれ」ば、何でも打破できる。「死にそう」は受動態だが、「死んだ気になって」は能動態である。受け身では運命は好転しない。その言葉は、日ごと使っている言葉を象徴している。それは潜在意識が言わせている。そういう人は、人生が受け身なのだ。言葉の影響を一番受けるのは、己である。甘えの言葉は、麻薬のように脳を堕落させる。

 私は「死にそう」、「死ぬ死ぬ」と言う人で、今だかって死んだ人を見たことがない。是非見てみたいもの。

 

死んでしまえ!

 その昔、私はよく冗談で「死んでしまえ!」と皆に言っていた。皆さんからは顰蹙ものであったが、いま上記を思うと、まんざら冗談ではなく、良いことを言っていたと思う。

 弓の名人は、「この一矢で死ぬ」と自分に言い聞かせて矢を射るという。次の矢があると甘えず、1本の矢に己の命をかけろ、である。一射して死んで、次の矢でまた新しい命を込める。一つのプロジェクトに命を賭けて死ぬ。そうすればそれを糧に新しい自分が生まれる。死んだ気で頑張らず、曖昧に生きるから、新しいものが生まれない。

 

2020-08-11 久志能幾研究所通信 1701  小田泰仙

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