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2020年2月

2020年2月 8日 (土)

「当ブログへの悪意あるコメント」を検証

 2020年1月23日付けの当ブログ記事「狂った大垣教育行政、働き方改善、児童を犠牲」に対して、匿名(ひまころ)のコメントが寄せられた。内容的に悪意ある妨害コメントである。彼は大垣市のまわしものと推定される。彼は大垣市を良くする運動の敵である。

 

道元禅師の教え

 「しるべし仏家には数の殊列を対論することなく、法の浅深を選ばず。ただ修行の真偽をしるべし」 道元禅師「正法眼蔵・辯道話」

 道元禅師は、教えが優れているかとかいないとか、そんな些細なことを討論するのではなく、その事の真偽、本質を問うべきで、それが正しかどうかだけを問いなさいと述べておられる。そんなことよりも自分が真実を行じ得ているかだけを問え、と教えておられる。

 

「ひまころ」氏は当ブログの主張を曲げて解釈

 この「ひまころ」氏のコメントの結論は、私が主張した「大垣の子供の教育環境が悪い」の論文の主旨を捻じ曲げ、論理を別に変えて論じている。要は著者の主張を妨害しているコメントである。

 「ひまころ」氏は、教員の給与は低いほど良いとの考えのようだ。1972年に総理大臣に就任した田中角栄元総理は、1974年、日本の小学校教育の質を高めるため小学校の教員の「人材確保法」を制定して、一般職員よりも25%も高い給与にする政治を行った。そうやって日本の未来を背負う子供たちのために教員を集めるため金をつぎ込み日本の未来のために「投資」をした。

 今の経済停滞の日本で、最優先課題は教育である。それなのに、教育行政に無能な小川敏は、田中角栄元総理と真逆の政策を執り、大垣市の教員の給与を県下最低レベルに落とし、一般職員の給与を県下一の高さに引き上げた。今は岐阜市のそれより200万円以上の差がある。それでは大垣市の子供の教育は他市に負ける。これでは大垣の子供達は、将来、正社員になれる人の数が減るはずだ。一生、フリータ、派遣社員では、生涯収入で正社員のそれとで2億円の差が発生する。

 「ひまころ氏」は、小川敏の肩を持つようだ。子供を持つ親に対して、恥ずかしくないのだろうか。大垣の未来を破壊する小川敏を擁護して、恥ずかしくないのだろうか。田中角栄が草葉の陰で泣いている。

 

コメント分析

 このコメントの内容を一文ずつ分析すると下記になる。要は、結論がない。思いついたことを書きなぐった。支離滅裂の出鱈目の論理構成である。何が言いたいか、全く分からない。悪意があり、文書の途中で論理をすり替えて、自分の都合の良い結論を出している。つまり当ブログを誹謗して妨害している。要は悪質な妨害メールであると結論付けられる。

 

ひまころ氏のコメント全文の検証

第一文  大垣の教育は低コスト体質でよい。

      (「ひまころ」氏は、大垣市の教員の給与が岐阜市のそれより232万円(ひまころ氏のデータで)も低くても問題とは思わないようだ。)

第二文  大垣市の人件費が一番安いと提示

(「ひまころ」氏は、教育に金をかけないのが素晴らしいと褒めている。要は大垣市の教員の給与や低いほど良いという考えである。それから推定すると、氏は教育行政以外の大垣市の行政関係者のようだ。普通の市民なら、こんな教員の年収データを出してこない。よほど深い関係のある関係者であると推定される。)

第三文  少ない予算で成果を出すのが評価される

      (「ひまころ氏」は、大垣市の教育の低コスト体質を褒めている。田中角栄元総理が知ったら激怒するだろう)

第4文  教職員の給与データ

       このデータの出典が明らかでなく、信憑性にかける。何時のデータで、誰が保証したデータなのだ。ここから分かることは、「ひまころ」氏は、緻密な仕事をしたことがない、仕事の出来ない人である。これでは出世は無理。)

第5文  大垣市職員の給与が一番高いが、微差である。

      (「ひまころ」氏は、だから大した問題ではないとしている。ここで論理が破綻している。だから「ひまころ氏」は、大垣市の行政関係者と推定される。)

第6文  大垣市の財政は県下二位

       (「ひまころ」氏は、だから大垣市職員の給与は高くて当然で、大垣市の教員の給与が低いのは知ったことではないと論理をすり替えた。)

第7文  大垣市職員の給与が高いのは時間外手当が多いだけ。

      (「ひまころ」氏は、だから大垣市職員の給与が県下一高くても知ったことではないと問題をすり替えた)

第8文  だから「久志能幾ブログは間違いだ」

      (「ひまころ」氏は、この一文を言いたいだけで、要は当ブログを妨害したいだけであると断定できた。)

 

 

コメント原文(ひまころ IP 221.45.6.2.)

児童一人当り教育予算が高いと一見良いように見えますが、逆に言えば高コスト体質ということなんですよね。

主な各市の教職員の平均年収を比較したら、大垣市が一番人件費が低いわけです。教育予算って大部分が先生の人件費ですから。大事なのは予算をたくさん使うことより、少ない予算でどれだけ成果を出せているかではないでしょうか。

 

■教職員の平均年収

 

大垣市 545万円

多治見市 585万円

岐阜市 787万円

可児市 667万円

各務原市 804万円

 

あと大垣市職員の年収が岐阜市より高いと言っても僅かな差ですし、内訳を見れば時間外手当てが多いだけですからね。

大垣市役所は岐阜市役所より労働の拘束時間が長いだけなのです。それがいいか悪いかはその人次第です。

 

あと財政力指数番付でいえば、大垣市は岐南町に次いで県内2位ですからね。岐阜市より全然いいわけです。

 

この記事は、都合のいいデータだけを持ってきて、都合のいい主張をしているだけだなと思いました。

 

投稿: ひまころ | 2020年1月27日 (月) 20時42分

 

コメント・メールの迷惑

 どんなメールでもコメントでも、それが掲示され、当方にメールで来ると、読まないといけない。それが妨害メールでも、である。その論理が出鱈目なら、それは仕事の妨害で時間泥棒である。それが今回の「ひまころ氏」のコメントに当てはまる。

 コメントを読むのは私だけではない。累計140,000回余を読んでくださった読者の時間を無駄にしているのだ。時間コスト一分100円で計算すると膨大な時間ロスである。いわば犯罪である。

 

IPアドレスは全世界で唯一

 IPアドレスは、各パソコンに付けられた全世界で唯一の名前である。だから、いくら匿名だとしてもその個人を特定することは技術的に可能である。ネット上に、そのアドレスで、各種のHP登録、アンケート投稿、商品購入、いいね」等のクリックで、そのアドレスの履歴が残り、それからその人の性格分析まで可能である。我々はIT技術の進化で、プライバシーが裸にされた世界に住んでいるのだ。「ひまころ氏」は、それさえ知らないIT音痴と推定される。文体も幼稚、論理構成もダメ、文書スタイルも幼稚なスタイルである。これでコメントをブログに流すと社会に害毒を流すことになる。こんな文書では、組織で出世もできまい。私が上司なら、左遷対象とする。

 なにより怒りが沸き起こるのは、大垣市と大垣市の教育、大垣市の未来を良く良くしようとしている活動を妨害したことである。要は「ひまころ氏」は大垣市の敵である。

 

2020-02-08 久志能幾研究所通信 1475  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

「ながい坂」で出会う仏様

 何ごとにも人に抜きん出ようとすることは良い。けれどもな阿部、人の一生はながいものだ。一足跳びに山の頂点に上がるより、一歩、一歩としっかり登ってゆくのも、結局はおなじことになるんだ。一足跳びにあがるより、一歩ずつ登るほうが途中の草木や泉や、いろんな風物をみることができるし、それよりも一歩、一歩をたしかめてきた、という自信をつかむことのほうが強い力になるものだ、わかるかな。 

山本周五郎著『ながい坂』上巻 新潮社版 p21

     2006年8月15日 カードに書き抜き

 

 以上は、仕事で成果を上げようと焦っていた時、愛読書の『ながい坂』を読み返して、目に飛び込んできた一節である。会社の仕事で早く成果を上げようとするのは、愚かなことだ。自分に実力がないから、人よりも目立って、早く成果を上げたくなるのが人情である。そういう時に限って落とし穴にはまる。神仏がもっと落ち着けと啓示を示しているのだ。

 

人の幸せとは

 現代のグローバル経済主義の会社では、成果主義で毎年の成果で責め立てられる。中間管理職は、自分を自分で責め立てられるように仕事を進めざるを得ない。山の頂点を目指して必死に登っていくと、人生の途中の風景を眺める余裕はない。必死に登っていると、何時しか一緒に上っていた仲間が24人も遭難して帰らぬ人となっていた。

 前職では、人は幸せになるために仕事をしているはずなのに、深夜まで働かされ、家族の会話も無くなり、過労死や病気になり、己も家族も不幸にする人が多かった。中間管理職には組合の保護もない。部下は残業規制で早く帰宅させないといけない。そのしわ寄せは、中間管理職に来て、部下の仕事までもこなさねばならぬ。中間管理職は上と下からの突き上げで、ストレスも一杯である。休日は疲労困憊で寝ているだけ。家族を幸せにするために働いているのに、何か本末転倒の人生である。会社を離れた今から、10数年前の当時を振り返ると、なんと異常な世界であったことかと思う。

 

長い坂

 長い人生の長い坂を、焦って上るから短い人生になってしまう。人生の終着駅は「死」である。焦っても焦らなくても、終着駅は同じである。ゆっくりと登れば長い坂の道中で、風景を楽しみながら登ることが出来る。現代の若者は、中間管理職の激務をみているので、出世したいという若者は激減した。日本人の働くモチベーションが下がってきたので、経済成長がアジア諸国に負けても当然である。日本の教育と仕組みが、何かおかしい。

 人生道で焦れば、遭難する。ゆっくり登る道中で、世のため、後世の為に残る作品(遺産)を創ればよいのだ。人間は定年までの仕事が、社会への義務である。またそれは定年後のための充電期間でもある。定年後の人生が、個人として後世に作品を残すための実際の仕事期間である。

 

余命39年?

 私も、最終目的地に到達するまでに、あと39年間(?)も期間があると、自己暗示をかけて、人に冗談で広言して、毎日仕事をしている。松下幸之助翁は、若い時に医師から「24歳までしか生きられまい」と言われた虚弱体質であった。しかし松下幸之助翁は、自分は運がいいと信じて、120歳まで生きるのだと公言して、仕事をした。結果は94歳まで生きた。自己暗示の力は素晴らしい。長生きも、芸の一つである。私も長生きの芸を磨きたいもの。

 

2020-02-07 久志能幾研究所通信 1474  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 6日 (木)

モノを買うとは、自分を買うこと

 そのモノが自分の人生で、自分の分身として力になってくれると信じて「モノ」を買う。意識しなくても、潜在意識が、そうやって己の行動を支配している。浅ましい買い方をするとは、自分の心が浅ましいので、そういう行動を取らせるのだ。良い買い方をすれば、人生が豊かになる。

 私がご縁のできた人の家を訪問すると、そこの家にある品物を観察する。そこに、その人の人生観とセンスが観察できて興味深い。

 私はいつも自分の家にあるモノを、人に見られて誇れるか、恥ずかしいか自問している。

 

購入

 豊かな気持ちでモノを買えば、感謝でお金を払うことになり、売る方も買う自分も、モノに籠っている精霊も喜ぶ。それだから運命が良くなると私は思う。その逆では、世のためにも、自分のためにもなるまい。

 モノを買うとは、自分の時間を使いそのお店に出かけ、自分が稼いだお金(時間)を使い、自分が気に入ったモノを買うのだ。それこそが投資である。

 特に本の購入は、自分の時間(命)を捧げて、読まなければならない「モノ」である。その選択が人生を変える。

 

値切り

 私がモノを買う場合は、値切らない方針である。値切るとは、自分をディスカウントすることだ。自分が惨めになる。値切るなら、買わない方がよい(日本国内の場合のみ)。

 私は買うお店も店員も決めているので、上得意様として相手が勝手に「負けて」くれる。普通で値切るより、私が買う商品は、他の客よりも値引き率が高い。

 

購入失敗

 2年前に「高級車(二号さん)」を思わず買ってしまった。自分の一部として働いてくれた事も多かったが、それにかかる経費が想定以上に多く、却って自分の付加価値を上げる足かせになってしまった。それで今年の1月に泣く泣く手放した。分不相応のモノを買うと、それに資金が使われて将来の自分の価値を上げられなくなる。人生の「酔い」経験であった。実際に「二号さん」を買って、失敗してみないとその智慧はつかない。たまには失敗も良いものだ。高級車も、一度乗ってみると、ああこういうものかと、納得できて未練がなくなる。経験こそがお宝の購入品である。

 

イベント購入

 モノには、イベント、研修会、講演会、音楽会とかの「こと」も含まれる。自分の時間をその「モノ、コト」に投じるのだ。それの経験が自分の付加価値を上げてくれると思って、お金と時間をかける。その選択に自分の人生観が現われる。

 自分が今まで何の「コト」に投資をしたか、それが自分の価値を上げることになったか否かを検証しよう。

 私は馬場恵峰先生の「コト(人生の講話塾)」を「買って」人生が豊かになった。私も先生の作品を出版することで、先生に恩返しができた。

 

無駄遣い

 安易にテレビ番組を見るのも、大切な、二度とない時間をその番組に投資をしているのだ。その見返りは皆無に近い。それを考えず、愚劣で下らない番組を見るから、時間がいくらあっても「成果」が出ない。

 

ご縁を買う

 ある人とご縁ができるとは、その人の人生を買っているのだ。用があるからその人とご縁を結ぶのではない。ご縁を作るために、その人のご縁を買うのだ。結果として、その人から、その人の経験を買うことになる。

 その人とご縁を結ぶには、時間もお金もかかる。交通費もお土産代もかかる。ご縁を結ぶにも、手ぶらではいけない。自分のお土産(経験、支援、援助、土産話等)も必用だ。それも相手が喜び、相手の成長になるモノを提供しないと、そのご縁も長続きしない。ギブ&テイクであるのが原則であるが、それでは商売である。私はギブ&ギブを心がけている。

 

ご褒美

 何かの記念に自分へのご褒美で、モノを買う場合もあるだろう。それがご褒美である場合は、ついその選定が安易になり勝ちである。自分で自分へのご褒美は、お手盛りとなりがちであるので、なるべく避けるべきだと思う。

 

赤ちょうちん

 飲みに行くのも「こと」を買っている。飲み会は、時間とお金と健康を犠牲にしている。二次会に行くのも同じである。

最近の研究で、酒は微量でも、発癌作用があることが英国の学会の研究で発表された。赤ちょうちんは健康にもよくない。

その飲み会の時間を上司の悪口を言いあって、自分の人生の価値を上げられるだろうか、自問したい。タバコの煙が漂う酒場で、酔った頭で同じことを繰り返して話す二次会の付加価値とは何か、考えたい。

 私のサラリーマン時代は(幸い?)、車通勤であったので、赤ちょうちんに行く機会は少なかった。飲酒運転は、勤めた会社が車関係であったので懲戒解雇の対象である。良い環境であったと思う。

 

2020-02-06 久志能幾研究所通信 1473  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 5日 (水)

磨墨智621 「神も仏も無いのか....」と嘆かない

 そう、貴方に強くなって欲しいがため、「神も仏もないのか」と嘆く状態を神様が与えている。それは神仏の深慮遠謀である。艱難辛苦が人を強くする。人は強くなければ時間を作れない、強くても男は優しくなければならない。それを仁義礼智信という。

 南方のラワンの木は、環境抜群の熱帯ですくすくと大きく育つが、大きくなると自分の体重を支え切れず倒れてしまう。そんなラワンの木のような人間になってはならない。

 それに対して寒冷地の木は、成長は遅いが緻密な年輪を重ねて強靭な材木に育つ。

 

自転車道とは転ぶこと

 今まで70年近く生きてきて分かったことは、人間が作り出したトラブルは人間が解決できるのだ。神仏は自分に見合った課題しか与えない。そうなった因果を己が作ったのだ。自分で解決できるのだ。だれも貴方に総理大臣をやって欲しいと頼まない。その昔、私も仕事の上で塗炭の苦しみを味わっても、今思うとなんと愚かなことで悩んでいたことかと思うことが多い。それの経験があるから、今の成長した自分がある。

 自転車の習得でも、転んで痛い目を会ってうまく乗れるようになるのだ。人生の車の運転も同じである。

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  馬場恵峰書 2006年

 

鬱病の蔓延

 そういう苦労のない人が、些細なトラブルで引き籠り、鬱病の仮面を被ってしまう。鬱病は病院に行っても治らない。薬で、益々鬱病が酷くなってしまう。薬物依存になる。その副作用が大きい。薬では、心は強くならない。現代の鬱病治療とは、まるで高血圧症に降圧剤を投与するような対処療法である。根本治療ではない。病院にとっては金儲けのネタなのだ。

 私も会社の陰鬱な仕打ちと仕事の葛藤で鬱寸前になったことがあるが、病院に行けば、間違いなく鬱病と診断されたはずだ。私は、病院の鬱病治療では、薬漬けになる事を本で知っていたので、病院に行かず、自分で治した。

 それも当時、私の担当である管理部署には、精神的にダウンした社員を異動でどんどん送り込んできて、その対応策で学んだ成果である。開発部隊は仕事がきついが、管理部署は楽だろうと、相手先の管理職がダウンした部下を私の部署に送り込んできたのだ。当時のある部署の役員は、過剰な成果を求めて部下の管理職を責めて、数多くダウンさせた。役員は倒した部下の数が多いほど、出世したのが現実であった。まるでブラック企業のようであった。若い人は、その部署に異動になるのを恐れていた。

 だから隣の部署にいた私も鬱病関係の本を10冊弱買い込んで研究をして、その発生原因と対策・治療法を自分で学んだ。

 

鬱病の現状

 今は鬱病になったもの勝ちである。上司が部下を育てようと叱ってもパワハラだとして病院に駆け込めば、全員、鬱病の診断書を頂ける。会社も腫れモノを触るように、一歩引いてしまう。医師も本人の申告病状を否定できないので、鬱病と診断するしかない。病院もその方が儲かるのだ。医師も患者保護で、会社には患者の情報を流さないし、担当上司は医師とも話も出来ない。何かおかしな社会となった。それだけ人間が精神的に虚弱になったようだ。その根本原因は、人間としての感謝を忘れ、仁義礼智信の教育を放棄して、拝金主義・成果主義の技術だけを教える教育体制にあると思う。

 

プラスマイナスゼロ

 宇宙根源の法則の理は単純である。人生のプラスマイナスはトータルはゼロである。逆境でのマイナスが大きければ、人生が好転した時のプラスが大きい。そうでないとバランスが取れない。だからその逆境の時、どれだけ自己充実をするかにかかっている。

 いい思いだけして借金踏み倒しで来世に旅立っても、子孫がそのツケを払わされる。長~い時間のスパンで観れば、人生は公平である。

 

先楽、後楽 

 人は絶好調の時は学ばない。世間の冷たい風に吹かれ、罵られ、嘲られ、叩かれた時こそ、大きな学びがある。人生の前半では、天分の才で能力の高い人は絶好調である。しかしそれを鼻にかけ学校を出てから学ばないと、老いてから痴呆的醜態を晒す人は多い。他山の石としたい。

 人生は、今日が始まりなのだ。何事も始めるのに、遅すぎることはない。

 

来世で生まれ変わった時のために

 人生レ―スの第4コーナを回って、老齢期に学ぶ勉強は、どんな道(書道、絵画、外国語等)でも、輪廻転生で生まれ変わってからこの世で使える技である。現世の生まれながらの天才は、前世でそのご先祖が努力をしたのだ。だからそのために生前に練習するのだ。

 だから人生、死ぬまでが勉強である。己のDNAを受け継ぐ子孫のために勉強をしよう。きっと3世代後にそれが花開く。人は学びながら歳を頂くのだ。学ばないと年甲斐もなく老いる。醜態である。

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  馬場恵峰書

 

2020-02-05 久志能幾研究所通信 1472  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨智622 死ぬな、殺すな、生きて時間を創れ

目標を持たないから早く死ぬ。

生きる信念・理念を持たないから、早く死ぬ。

到達点を見極めないから路半ばで死ぬ。

生きたいという願望がないから死ぬ。

強い願望があれば神様が生かしておいてくれる。

生かされていることを感謝して働いて時間をつくろう。

 

生あるもの必ず死あり

 世は無常である。どんな生き物にも死があり、どんなモノにも寿命がある。それを意識せず、命を永らえたいという意思がないから、早く死ぬ。早くモノを死なす。早く死ぬ人は、人生を丁寧に生きないし、モノを丁寧に扱わない。一番大事な自分の体を大事にしないからだ。だから天からしっぺ返しを受ける。

 死を意識しないから安易な生き方になる。倒産を考えないから、会社を私物化して、杜撰な経営となる。

 

会社の寿命

 会社だって命がある。昔は会社の寿命は60年と言っていたが、今は30年と言われる。大企業でも知識だけの頭でっかちの経営者が、大船に乗った気で安易に経営するから、破綻する。

 中小企業では、会社創立1年後の生存率は40%、5年後は15%、10年後は6%、20年後は0.3%、30年後は0.02%である。

 それは社長が、創業当初の志を忘れ、会社の利益を交際費や妾や高級車、別荘に身を入れ込むから、会社を維持できなくなるからだ。要は天罰である。会社を私物化した咎である。

 

大垣市の寿命

 20年間弱も、小川敏が大垣市を無能政治で支配したから、大垣市は没落して、滅亡寸前である。大垣駅前は、昭和20年7月にB29の空襲で焼け野原になった。今、大垣駅前が、大垣市が衰退したのでビルが無くなり焼け野原のような閑散とした風景になった。小川敏が無能政治爆弾を大垣市に投下したのだ。大垣市の敗戦である。

 大垣市の顔である大垣駅前商店街は80%が店を閉めた。近隣都市間では、大垣市だけが公示地価が、小川敏が市長になって連続19年間、下落の一途である。

 それでいて小川敏は、市の職員の給与だけは県下一の高給にした。しかし、大垣の未来を作る子供を教える教員の給与は県下最低レベルに落とした。大垣市の児童生徒の教育環境は県下最低である。

 小川敏は、己の自慢話として大垣市制100周年記念行事で3億5千万円を浪費しても、後世に何も残せなかった。その使用用途の会計報告もマル秘にして公開しない。結果は翌年も地価の下落である。

 小川敏は大垣市経営を私物化しているとしか思えない。今は6選に向けて事前選挙運動に熱を上げているとしか思えない。

 

私の勤めた会社の寿命

 私が命を捧げた前職の会社は創立後65年で市場から消えた。その間に一緒に仕事をした仲間が24名も亡くなった。経営層が学閥に支配され、決断ができず、先見の明のない経営者がのさばったから、市場から淘汰された。あのJALでも、あのGМでも、潰れる時代である。JALの株を持っていれば、大金が紙くずになった。   

 

プロジェクトの寿命

 どんなプロジェクトだって命がある。いい加減な気持ちや、杜撰な計画や決意のない実行をするから、途中で死亡(挫折)である。どんな夢を抱いても、プロジェクトを育てようという意思がないと、育たない。「偉大な仕事は夢で始まり、情熱で維持され、責任感で成就される(堺屋太一の言葉)」。その一つでも欠けるプロジェクトは頓死である。

 自分も今まで、毎年の年初に目標を立てて頑張るが、情熱か責任感かが足りなくて、多くの夢が頓挫した。忸怩たる思いである。

 今は、「死ぬまでにやりたい108の夢」が死なないように、大事に育てている。

039a34401s  馬場恵峰書

 

仏像の寿命

 仏師の命は精々100年、しかし仏師は1,000年間も人々の祈りの受け皿となる仏像造りに命を掛ける。1000年間も拝まれる仏像を創れれば、仕事冥利に尽きる。

 松本明慶大仏師が高野山中門に納めた四天王像は、今後、1000年間は皆さんに拝まれる仏像である。

 

私の余命は1年?

 私は昨年、癌が発見され手術をした。医師からは、「5年後生存率は53%」と説明された。五年後には私と同じ症状の人の半分が、死ぬ。統計データからの値は冷酷である。単純計算すると5年×0.53=2年である。今が術後1年目であるので、余命は1年ということになる。それは医師の言う通りに標準治療を受けた場合である。

 私はそんなことで死んでたまるかと、自分で病気を調べ、免疫力の文献を当たり、抗がん剤を調べ、代替治療を調べて、今までの生活習慣、食生活を変えた。主治医の勧める抗がん剤治療を拒否して、別病院で代替治療を選択して今を過ごしている。

 私は、2年で死んでたまるかという意思で生きている。まだまだやり残したことが山積みである。

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 高野山中門 増長天  松本明慶先生作 2015425日撮影

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 高野山中門 広目天  松本明慶先生作 2015年4月25日撮影

 

2020-02-04 久志能幾研究所通信 1471  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年2月 4日 (火)

磨墨知455 臓器移植の拒否を

臓器移植用の心臓を輸送中のヘリが墜落

 2020年2月1日朝、福島・郡山市で、福島県警のヘリコプターが臓器移植手術のための心臓を運ぶ途中で墜落した。乗っていた7人がけがをした。心臓移植手術は断念された。日本臓器移植ネットワークによると、ヘリは、東大病院で臓器移植手術を待つ男性に、福島県内で脳死判定を受けた男性の心臓を運ぶ途中であった。

 一人の命を助けるため、まかり間違うと、7名の命が失われるところであった。この事故で、臓器移植の是非を再度考える機会を得た。

 

臓器移植 

 臓器移植は自然界の原理原則からみて正しいのだろうか?

 それによって多くの人の時間がロスしてないだろうか?

 人類の時間を、綜合的にはロスしていのだろうか?

 一つの臓器が悪くなるというのは、他の臓器も寿命が短くなっているはずである。それを無理に、その悪くなった臓器だけを臓器移植をしても、他の臓器とのバランスが崩れてしまう。また臓器拒否反応の抑制薬、感染予防の抗生物質を多量に投入される。それが体に良いわけがない。それの影響で亡くなる人も多い。だから、臓器移植は宇宙根源の自然の理に反していると思う。倫理的にも問題である。私は反対である。

 

運命を受け入れ

 臓器移植で、人の命を「殺めて」までして、私なら長生きしたいと思わない。私が臓器移植しか治療の手段のない病気になったら、私は臓器移植を拒否し、それを運命として受けれたい。私が死んだ場合、私は臓器提供拒否である。

 

運命とは

 運命とは、ご先祖の生活習慣の長年の蓄積、その土地の生活習慣の歴史、その社会の健康への取り組み等、それが己の体に影響して、健康な臓器かそうでないか、教育がよいか、生活が豊かか等を決める「その家の経営」だと思う。それを運命と私は思う。だから私はその改善のため、食生活の改善、考え方の変革等に取り組んでいる。その啓蒙活動に力を入れている。

 ご先祖やそのご縁者の考え、生活習慣の集大成版が己の体である。今の己の生活習慣が、子孫の健康に影響する。一番の影響者は両親である。卑近な例では、親がタバコを吸えば、子供も煙草を吸う確率が高い。悪い食生活を送れば、遺伝子に傷がつくだろう。37兆個の細胞がその影響を受けて、癌になる確率も他の人よりも高くなるだろう。それが運命である。それを意識して、己の生活習慣を正しくしているか、自問したい。

 

自然界からの逆襲

 自然界の理に反した金儲け至上主義の食品生産体制が、今回の新型コロナウイルス、先のSARS、牛海綿状脳症(BSE)の発生ではないかと思う。それが自然界からの逆襲だと感じる。狭い牛舎での飼育、砕骨肉での飼育、抗生物質を多量に投与された状態の飼育、それらが異常な病気の遠因と私は思う。

 

日本最初の心臓移植

 日本で最初に心臓移植手術をしたケースでも、患者は臓器拒否反応で死亡した。心臓移植手術をした和田医師は、後日殺人罪で起訴された。心臓を摘出された若者は、医師団の発表では、脳死と説明されたが、助かるべき治療を受けられず、心臓を摘出された可能性もあった。

 

中国での臓器移植

 現代では、カネがあれば中国に行って、強制収容所に入れられたウイグル族、チベット族の人間から臓器摘出をして、己だけの命を永らえることができる。しかし往々にして術後の併発症で亡くなる人が多いようだ。それは自然に理に反しているからではないか。 

 中国に行けば、数日でドナーが見つかるという。それは上記のカラクリである。それを薄々知って中国に行って臓器移植をする人は、人間として正しい道を歩んでいるのだろうか。金持ちは命が助かるが、貧乏人は助からない。無実で強制収容所に入れられ、臓器摘出をされる民族は悲惨である。

中国の臓器提供数と移植数 アジアで1位、世界2位に

CNS】中国・国家衛生健康委員会は1126日の記者会見で、中国は臓器の提供・移植に関する仕組みを基本的に完成させたことを発表した。現在、年間に提供・移植される臓器の数はアジアで1位、世界で2位となり、移植者の生存率指標は世界でも先進的レベルに達したとしている。

 2019年上半期に中国全土で行われた臓器提供は2757例で、前年同期比で9.5%増、提供臓器は7186個、前年同期比で3.6%増となっている。

(以上、下記の記事を一部抜粋)

https://www.msn.com/ja-jp/news/world/

日本の末路

 日本が中国に占領されて、中国領日本自治区になれば、日本人が臓器提供の対象となるだろう。新型コロナウイルスが猛威を振るっても、尖閣諸島への中国船の領海侵犯は連日である。

アメリカの怒り

 だからトランプ大統領を始め米国議会は中国と全面戦争をする気になった。米国では人権無視はご法度なのだ。なぜ日本のマスコミはそれを報道しないのかが、問題である。中国との商売優先が頭にあるマスコミは、それをタブー視して、スポンサーに気兼ねをして記事にはしない。それも神への冒涜ではないか。そんな体質だから新聞購読数の減少が止まらない。

 新聞のスポンサーの日本企業は、拝金主義に犯されて、金儲け一本道である。だから景気が回復しない。天罰である。お天道様に顔向けできない恥ずかしい行いである。

 

母のケース

 私の母は脳溢血で倒れ、一時的には奇跡的に回復したが、その後、脳梗塞になり、意識がなくなり、人口呼吸機と点滴だけで5か月間、植物人間として命を永らえた。年末の寒い日に眠るように息を引き取った。私は死に目にも会えなかった。

 私が見舞いに行っても、意識もなくベッドに横たわる母を見るのは辛い状況である。母は自分の力では呼吸も出来ない。今、意識が戻っても、筋肉が削げ落ちた肉体で、起き上がることもできまいと見える。それでも現代医学は、植物人間のような母を生かし続ける。なにか神への冒涜ではないかとも感じた。

 欧米では、植物人間の治療はごく少ないと聞く。自分がその立場なら、家族を苦しめてまでして、生き永らえたくはない。それでは社会に貢献できない。しかしは母、意識がないので、その意志表示をできなかった。地獄はあの世にはない。それが地獄であった。

 どんなものにも寿命がある。それを天が寿命だと言っているのに、無理に延命治療で命を引き延ばすのは、神仏への冒涜ではないか。それで家族が地獄の苦しみを味わう。死を素直に受け入れるのが、宇宙根源の理に従った生き方ではないのか。 

2020-02-03 久志能幾研究所通信 1470  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知452 調和=弱肉強食

 滅びゆくものを無理に「保護」しない。保護する時間が無駄である。弱者の滅びは自然界が調和している証拠で、自然界の原理原則である。弱いものを保護するとますます弱くなる。滅びるものが滅びず、全てが栄えるとはすべての種が絶滅する事になる。一種だけ繁栄しすぎるのは、生態系が崩れて全てが滅ぶのです。その場合の保護は見せ掛けの援助となる。宇宙全体の時間経過に棹さすもの。

 グローバル経済主義の跋扈で、世界が衰退寸前になってきた。自然の調和が取れなくなったためである。1%の種族が、99%を独り占めする社会は、弱肉強食が行き過ぎた現象である。

 無理に保護して、アメリカの自動車産業は、政府保護に頼って、市場での闘う厳しさを捨て、結果として、国際競争力をなくして衰退した。

 無理に補助金政策で保護しても、日本の繊維産業業は無くなった。人件費が高くなりすぎて、日本では採算がとれなくなったのだ。

 保護された産業は全て衰退している。世界の産業の生成衰退の自然の理に叶った現象である。保護政策は、宇宙根源の自然の理に反しているからだ。

 

自給自足が力

 国民が生きるための農業の保護は別である。それは国の自己防衛機能である。自給自足ができなくなったら、今の中国のようにアメリカから食料を武器に攻め立てられる。カネがあっても、相手が食糧を武器として使うと、我々が生きるための食い物が手に入らない。兵糧攻めである。食料は武器となる。だから安易に外国の食料に頼っては駄目である。国内食料生産は保護しなければならない。

 

2020-02-03 久志能幾研究所通信 1469  小田泰仙

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2020年2月 2日 (日)

磨墨智620 神仏を尊べどこれを頼まず

 表記は武芸の達人である宮本武蔵著『五輪書』の言葉である。苦しいときの神頼みでは物事は達成できない。神仏に頼んでいると、気が緩み無駄な時間が流れる。

 神様にいくら祈っても、見守ってくれるだけで、助けてはくれない。心に安心感を与えてくれるだけだ。自分を助けるのは、自分である。

 

 神に頼るとは、なんたることか。自分で自分を助けよ。

    ベートーベン

 

鍛錬

 千日の稽古が鍛で、それを万日繰り返すのを錬という。千日とは約3年、万日とは約30年になる。それがあって初めて物事が習得できる。そうすれば神仏に頼ることもない。

 『五輪書』に「千日の稽古(けいこ)を鍛とし、万日の稽古を練とす」とある。「鍛練」は「鍛錬」とも書き、もともと金属を打ってきたえる意味で、そこから転じて「厳しい訓練や修行を積んで、技芸や心身を強くきたえる」の意味である。「鍛」という字は「金」+「段(音符)」からなり、音符の「段」には、徹底して加工を重ねるの意味がある。

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 馬場恵峰書

 

水先案内人

 当時、ある人を「人生の師・経営の神様」と私は信じていた。会社で困難に直面して、その人に相談に行ったら、「今忙しい」と相談に乗ってもらえなかった。話も聞いてもらえなかった。

 それ以来、私は神様や「経営の神様」と言われる人に頼むことを止めた。それ以来、自分で考えて決断をすることにしている。

 その「経営の神様」には、研修を通して人生の師を信じて、5年間程で、数百万円のカネを使った。要はその人は金儲けのため、講師として経営・人生の話をしていただけであった。その時わかったことは、彼は間違ったことを言っていたのでなく、単なる経営の話しを「水先案内人」として解説していただけであった。口では何とでもいえるのだ。それ以来、私はその人と距離を置いた。

 己が危急存亡の時、助けてくれなかったなら、それは味方ではない。「国との戦争の時、助けてくれなかったら、その国は敵である」と渡部昇一師が語っていた。

 

格物致知

 人生で降りかかる試練や苦難は、人生経営での「一つの」訓練なのだ。後から今振り返ってみれば、大したことはない問題であることが殆どである。それを「己を鍛える訓練」として、自分で取り組めばよいのだ。それが「神仏を尊べどこれを頼まず」である。実際に体験して、初めて身に付き智慧となる。それを格物致知という。

 

2020-02-02 久志能幾研究所通信 1468  小田泰仙

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2020年2月 1日 (土)

磨墨智450 足るを知る

 際限ない欲望が時間を浪費する。タイムパーフォーマンスを追求しよう。社会では、一人勝ちは許されない。全ては調和の世界である。

 

足るを知らない癌細胞

 人間の体という宇宙で、一つの細胞の独り勝ちを許すと、癌が発生する。食べても食べても、満腹感を得られない餓鬼の状態になると、自己防衛機能の働きで、細胞の増殖が止まらなくなる。それが癌である。癌は自分の体を守ろうとして発生した細胞である。

 飲んでも飲んでも酒を止めないから、肝臓がんになる。

 吸っても吸っても禁煙しないから、肺がんになる。

 過剰なストレスが癌を誘発する。自己防衛機能が働き癌になる。

 食べても食べても満足しないから肥満になり、それが癌の遠因となる。

 食べ足りなくて死んだ人は、現代社会では稀有である。食べ過ぎで、多くの人が病気になる。

 

自然の理、病気の痴

 例えれば、機械の処理能力以上の負荷をかければ、機械は負荷オーバで止まる。しかし人の体は許容能力があるので、受け入れてしまう。しかしそれは一時的で、長期になれば、体が破綻する。それが病気であり、癌である。認知症も同じである。

 認知症は、使うべき機能を使わないという負荷を脳の長期間与えたのだ。それに脳が耐えきれず、認知症になった。認知症は、体の自己防衛本能の表れであるし、「使わない器官は退化する」という自然界の理である。

 近年中に、日本人は癌で死ぬ人が50%、認知症になる人が25%になるという。自分はどの死に方を選ぶだろうか。自問したい。

 認知症は、本人は極楽である。家族が地獄に突き落とされる。要は「知」が劣化して病気になったのだ。雁垂れの中に「知」を書いて「痴」である。

 

生活習慣病

 癌も糖尿病も認知症も高血圧症(これは病気ではないが)、肥満症は生活習慣病である。生活習慣病だから、薬では治らない。治すには、自分の生活習慣を変えないと治らない。それを医師は生活習慣の改善の指導より、薬物投与に血道を上げる。医療処置はするが、治療はしない。だから病気が治らない。

 だから、40年前は10兆円であった日本の総医療費が42兆円を超えるまでになった。日本の税収は60兆円である。

 今や日本人の2人の一人が癌になるのは、自然界からの警告である。癌や認知症が増えたのは、「足るを知る」を忘れて、極楽三昧の食生活に落ちぶれ、安易な生き方に堕ちた日本人への天罰である。

 

餓鬼修羅道

 カルロス・ゴーンのように、金を集めても集めても餓鬼修羅地獄のように、金に飢えた状態に堕ちてしまう。今のゴーンの歳で、使いきれないカネを集めても、彼はあの世には金を持って行けない。カネがあっても寿命を延ばし、病気を治せるわけではない。世界一の金持ちであったスチーブ・ジョブスでさえ、癌に勝てずに、56歳で亡くなった。お金の意味は何か。世界一の金持ちの意味とは何か。考えさせられる。

 

自然の理

 万物は流転している。食べ物でも、人の消化能力を超えて多量に食べるから、体内に滞留して、腸で腐敗する。だから病気になる。

 政治も長期政権で滞留するから、政治が腐敗する。自然界の理である。大垣市の政治の理性が無くなり、腐敗が進行すると、世界初のドローン墜落人身事故、久瀬川氾濫、室村町アンダーパス水没事故、大垣市小中学校エアコン設備率2.1%の露見、大垣市教職員給与が岐阜市より208万円も低い事実の露見、大垣市の公示地価暴落、大垣駅前商店街の消滅、大垣の衰退等で、天が怒りの事象を表す。

 

大垣の癌細胞

 4期も5期も大垣市長職をやると、その美味につられて、辞められなくなるようだ。それは大垣の癌細胞のようである。6選を目指すと言うのが如何に異常かも、その毒素のため認知できなくなる。その癌の毒素のため大垣市の衰退が激しい。

 5期も大垣市長職を勤めることになっても、まだまだ市長職にしがみ付くのも餓鬼地獄に堕ちた症状である。現職として、後進を育て、席を譲ることが出来ないのは餓鬼である。大人ではない。

 市長として後進を育てると、己の立場を脅かす脅威として、現職の強みを生かして出馬予定者の人材を蹴落とすまでの浅ましい行動を取ろうとしている。阿修羅地獄の極みである。

 人間の体でも、癌が大きくなると、その体自体が衰退して死ぬが、発生した癌も同時に死ぬ。大垣が駄目になる前に、神仏が支配する天地が、その癌を殺すだろう。それが天地、自然、歴史の営みである。栄枯盛衰は自然界の理である。

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  馬場恵峰書 

2020-02-01 久志能幾研究所通信 1467  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。