モノを買うとは、自分を買うこと
そのモノが自分の人生で、自分の分身として力になってくれると信じて「モノ」を買う。意識しなくても、潜在意識が、そうやって己の行動を支配している。浅ましい買い方をするとは、自分の心が浅ましいので、そういう行動を取らせるのだ。良い買い方をすれば、人生が豊かになる。
私がご縁のできた人の家を訪問すると、そこの家にある品物を観察する。そこに、その人の人生観とセンスが観察できて興味深い。
私はいつも自分の家にあるモノを、人に見られて誇れるか、恥ずかしいか自問している。
購入
豊かな気持ちでモノを買えば、感謝でお金を払うことになり、売る方も買う自分も、モノに籠っている精霊も喜ぶ。それだから運命が良くなると私は思う。その逆では、世のためにも、自分のためにもなるまい。
モノを買うとは、自分の時間を使いそのお店に出かけ、自分が稼いだお金(時間)を使い、自分が気に入ったモノを買うのだ。それこそが投資である。
特に本の購入は、自分の時間(命)を捧げて、読まなければならない「モノ」である。その選択が人生を変える。
値切り
私がモノを買う場合は、値切らない方針である。値切るとは、自分をディスカウントすることだ。自分が惨めになる。値切るなら、買わない方がよい(日本国内の場合のみ)。
私は買うお店も店員も決めているので、上得意様として相手が勝手に「負けて」くれる。普通で値切るより、私が買う商品は、他の客よりも値引き率が高い。
購入失敗
2年前に「高級車(二号さん)」を思わず買ってしまった。自分の一部として働いてくれた事も多かったが、それにかかる経費が想定以上に多く、却って自分の付加価値を上げる足かせになってしまった。それで今年の1月に泣く泣く手放した。分不相応のモノを買うと、それに資金が使われて将来の自分の価値を上げられなくなる。人生の「酔い」経験であった。実際に「二号さん」を買って、失敗してみないとその智慧はつかない。たまには失敗も良いものだ。高級車も、一度乗ってみると、ああこういうものかと、納得できて未練がなくなる。経験こそがお宝の購入品である。
イベント購入
モノには、イベント、研修会、講演会、音楽会とかの「こと」も含まれる。自分の時間をその「モノ、コト」に投じるのだ。それの経験が自分の付加価値を上げてくれると思って、お金と時間をかける。その選択に自分の人生観が現われる。
自分が今まで何の「コト」に投資をしたか、それが自分の価値を上げることになったか否かを検証しよう。
私は馬場恵峰先生の「コト(人生の講話塾)」を「買って」人生が豊かになった。私も先生の作品を出版することで、先生に恩返しができた。
無駄遣い
安易にテレビ番組を見るのも、大切な、二度とない時間をその番組に投資をしているのだ。その見返りは皆無に近い。それを考えず、愚劣で下らない番組を見るから、時間がいくらあっても「成果」が出ない。
ご縁を買う
ある人とご縁ができるとは、その人の人生を買っているのだ。用があるからその人とご縁を結ぶのではない。ご縁を作るために、その人のご縁を買うのだ。結果として、その人から、その人の経験を買うことになる。
その人とご縁を結ぶには、時間もお金もかかる。交通費もお土産代もかかる。ご縁を結ぶにも、手ぶらではいけない。自分のお土産(経験、支援、援助、土産話等)も必用だ。それも相手が喜び、相手の成長になるモノを提供しないと、そのご縁も長続きしない。ギブ&テイクであるのが原則であるが、それでは商売である。私はギブ&ギブを心がけている。
ご褒美
何かの記念に自分へのご褒美で、モノを買う場合もあるだろう。それがご褒美である場合は、ついその選定が安易になり勝ちである。自分で自分へのご褒美は、お手盛りとなりがちであるので、なるべく避けるべきだと思う。
赤ちょうちん
飲みに行くのも「こと」を買っている。飲み会は、時間とお金と健康を犠牲にしている。二次会に行くのも同じである。
最近の研究で、酒は微量でも、発癌作用があることが英国の学会の研究で発表された。赤ちょうちんは健康にもよくない。
その飲み会の時間を上司の悪口を言いあって、自分の人生の価値を上げられるだろうか、自問したい。タバコの煙が漂う酒場で、酔った頭で同じことを繰り返して話す二次会の付加価値とは何か、考えたい。
私のサラリーマン時代は(幸い?)、車通勤であったので、赤ちょうちんに行く機会は少なかった。飲酒運転は、勤めた会社が車関係であったので懲戒解雇の対象である。良い環境であったと思う。
2020-02-06 久志能幾研究所通信 1473 小田泰仙
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