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2018年11月

2018年11月14日 (水)

浜松国際ピアノコンクール(1/11)チケット騒動

 2018年11月9日(金)~13日(火)、浜松アクトシティで行われた2018年第10回浜松国際ピアノコンクール(浜コン)の第一次予選に行ってきた。ところが現地に着いてチッケトを入手しようとしたら、9日(金)、12日(月)、13日(火)のチケットは入手できたが、土・日は完売でチケットが入手できない事態に直面して慌てた。金曜日の当日も、早めに行って並んで買ったが、暫らくすると完売である。これは事務局でも想定外で、こんなことは初めてだという。ヤマハの社員もチケットが入手できず慌てたという話も聞いた。

 どうも直木賞を取った恩田陸作『蜜蜂と遠雷』(幻冬舎)で前評判の人気が盛り上がり、何時にない切符の売り上げになったようだ。NHKも取材に来ており、このイベントの盛況ぶりが際立っていた。

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空席あり

 ところが座席について一日の状況を見ていると、チケット完売なのに空席が多いのだ。3割くらいが空席である。常識的に朝の10時から夜9時まで、連続でピアノコンクールを聴く酔狂人(私みたいな)は少ないようで、一部の時間帯だけ演奏を聴いたら、退席する人が多いようだ。だから空席が目立つ。ネットで一次予選の通し券を買っても、普通の勤め人では全時間帯、全日は来られまい。しかし券を買えば席が埋まるので、消防法の制限で、それ以上にはチッケットを売れないようだ。

 そこで会場の管理者を見つけ、空席状況を見て、午後からの分だけでも、販売して欲しいとねじ込んだ。その甲斐あってか翌日の表示板に「空席が多くなってきた場合、15時、19時から追加チケットを売ります」と掲示された。やはり言うべきを言ってよかった。それで土日の15時からの入場がかなった。

 それでも土曜日は途中入場の券の発売数が多く、余裕で当日券が入手できた。しかし、日曜日は、チョット油断して販売の25分前の14時35分に並んだが、すでに15名ほどの行列ができていて、販売予定のチケット数は20枚余と少なく、すれすれで入手できた。その後、60名ほどの行列となった。これも良き反省材料の経験であった。

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結果オーライ

 私が入手したのは当日の15時からの入場チケットであるが、それでも夜の9時半までのコンクールである。ちょうどよい時間長であったかもしれない。当日、朝10時30分から夜9時30分までのコンクールのお付き合いは大変である。そのおかげで、浜松城に行けて『徳川家康三方ヶ原戦役画像』(通称『しかみ像』)とご対面のご縁を頂いた。

 

今後の対応策

 今後もこんな状況が続くと予想されるので、入場者数を把握するIT技術を導入すべきだろ。また、予約のネット販売で全て売るのはやめて、一定数は当日券にすべきだと思う。また全日券でなく、午前、午後、夜の部と分けて券を発行するのも手だと思う。

 浜コンが始まった当初は、がらすきで、席を埋めるのが大変だったという当時のボランティアの方の声も聞いた。それだけ関係者の長年の努力の成果が上がったのだ。喜ばしいことではある。浜松の町おこしとして、素晴らしいイベントである。

 

2018-11-14 久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知115. 清水の舞台から飛び下りない

そんなことをしたら大怪我をする。それよりも、日々の小さな決断と場数をきちんと積み上げよう。そうすれば、「清水の舞台」が低い小さな舞台と思える自分に成長できる。だから(自分にとって)「清水の舞台」から飛び降りなければならない事態には陥らない。日頃の積み重ねで大きな決断がさりげなくできる。それが積小偉大。決断とは迷いの時間を断ち切ること。場数を踏むとは、舞台を超えること。

 

人生の舞台

若い子にとって、浜松国際ピアノコンクールの舞台に立つのも、清水の舞台から飛び降りるのと同じ心境だろう。厳密な予備審査を通過した出場予定者でも、4人も出場辞退する人が出るのだ。その重圧を振りのけ14歳で物おじせず大舞台に立ち跳ぶ子もいる。小さな発表会や身内の演奏会等の披露の繰り返しで、大舞台という清水の舞台に立てるのだ。

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2018-11-09  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月13日 (火)

磨墨知151.「~になったら、~をする」を止める

「もし、~だったら」、「もし、~れば」を止める

やるべき事、やりたいことは即実施しよう。逃げ道を作るから、目的が達成できない。やりたいことを先延ばしするから、出来ない羽目になる。今までやってきたことが時間の無駄となる。まず出来ることから一つづつやる。なにか動けば、状況が変わる。

「もし、~」など、他人任せの棚ぼたはあり得ない。自分の道を脇目も振らず歩いていると、佛様が「もし~」と思った状況にしてくださる。

 

死んだ子

死んだ時間を振り返る事なかれ。大切なのは今からの時間。死んだ子の歳を数えても時間は戻ってこない。過去がどんなに悲惨でも、悪くてもそれは解釈の問題である。その逆境を、自分を育ててくれた肥やしとして解釈すれば、どんなことも素晴らしい体験となる。未来は変えられないが、過去は考え方次第で、過去の見方を変えられる。固定観念を変えないと、今のままの人生が未来も続く。

 

2018-11-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知86. 禁句:「きちんとする時間がないから出来ない」

「きちんとする時間がないから出来ない」と言う人は、時間など永遠に作れない

 「忙しいからできない」などは言い訳以下だ。きちんとやる時間なんて一生訪れない。明日の命も保証されない人生だ。しかし重要なことをやるためには、いつでも十分な時間がある。

 できないのは、やる気がないから。行動力がないから。言い訳がうまいから。命より金儲けが忙しいから。時間を大事にしないから。人生で何が大事かわかっていないから。

 「絶対的な時間」は「行動力」に比例する。その行動力は命の認識からはじまる。みんな忙しいけれど、やっている人はやっている、やらない人がやっていない。

 

自動車部品開発の死闘

 自動車部品の開発で、やるべきことをやらず、問題が起これば、忙しいなど言っていられない。速やかに対応しないと、トヨタの品質保証部が乗り込んでくる。トヨタからの仕事が減らされる。トヨタは保安上で二社発注なのだ。マスコミに叩かれる。30万人のグループ企業のラインが止まる。30万人が遊んでしまう。速やかに対策を打たないと人の命に影響する。死亡事故を起こせば、殺人罪で訴えられる。

 だから、自動車部品の開発は、自社で取り決めた開発手順に従って、きちんとしたことが着実に進められる。想定される全ての条件下で耐久試験・性能試験が行われる。部品の加工精度も影響する場合、規格値の上下限品で耐久試験が行われる。寒冷地試験も行われる。そこまで安全に気を使って開発がされる。

 特定の自動車会社で、品質問題が多発しているのは、やるべきことをやるという習慣がないだけだ。だから、そんな会社の車には乗るべきではない。自分の命に影響する。そんな会社は、きちんとするなど、永遠にできない。フォルクスワーゲンや三菱自動車のように。そういう会社は、ユーザーの命より、社長の鶴の一声が大事なのだ。プロとしてやるべきことを放棄している。それは『フォルクスワーゲンの闇 世界制覇の野望が招いた自動車帝国の陥穽』(日経BP社刊)に詳しい。

 

日本の家電産業との対比

 日本の家電産業が衰退したのは、製品の開発で、多少の故障では、人の命に影響しないという安易な開発思想が心の隅にあったためではないか。開発に命をかけていなかったのだ。だから、ソニーのように、己の基本ソフトの開発ミスの修理で、顧客から金をとる恥行為をするのだ。ソニーが没落したのにはワケがある。

 

2018-11-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知104. レストランへは何を注文するか決めてから入ろう

料理注文までの時間を短くしよう。席に座ったらメニューを見ずに注文しよう。料理が出てくるまでの時間は、次回食べる料理を選ぶためにメニューを見よう。

たかが1000円の1料理で3分間も悩むのですか? それで300円の時間ロス。それは決断する時間を遅くする訓練をすること。人生でもっと大事なことがあるだろう。1000円の料理の選択を即決できない人に、1000万円の稟議は決済できない。

 

補足情報 

 20181112日深夜、本ブログの累積閲覧数が48,000を超えました。感謝。

 

2018-11-13  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月12日 (月)

「おおがきの歌」は経済的音痴

 小川敏市長は、大垣市制100周年記念事業で「おおがきの歌」を作らせたが、内容が私の目から見てお粗末である。「おおがきの歌」を作るより、大垣市民憲章の見直しが急務である。

 

結論

歌にも、詩にも、憲章にもメッセージがある。この「おおがきの歌」には、こうしたい、こうありたい、という希望の声が聞こえない。これは単なる時間つぶし、税金の無駄遣いの歌謡曲である。

この歌詞を作った人は経済が全く分かっていない。大垣の現状が分かっていない。大垣の現在の教育の状況が分かっていない。今、大垣は次の100年に向かって衰退か繁栄かの帰路に立っている。だから大垣市民を鼓舞して次の100年を全員の力で創りあげる気力を唄う歌であるべきなのだ。昔を懐かしがって極楽とんぼごときに歌っている場合ではない。ピント外れである。作詞者は小川市長とグルになって市民を経済衰退から目を逸らすため、ボケに促す歌を作っている。

 

新しい「おおがきの歌」の歌詞を要約すると、下記である。

起  大垣はど真ん中

承  大垣は東西を結ぶ道

転  水が人を潤し

結 (昔は繁栄、今衰退。昔が懐かしい)おおがき万歳

こんなレベルの歌でいいのか?

 

内容分析

「おおがきの歌」で「真ん中、真ん中、おへそ」と喚いているが、どこが、真ん中でいいのか。地理上の真ん中なんか、何の意味もない。教育界の真ん中、文化の世界で真ん中、芸術の真ん中になるような取り組みをしていないから、大垣は衰退の一途である。

 この詩の作者は、有名な先生の作だが、私は感動しない。夢がないのだ。理想がないのだ。大垣経済の緊急の話題を逸らして、とぼけた歌となっている。

この歌は大垣の現状の本質を歌っていないのだ。だから、大垣の少年少女に韓国民族衣装を着せ、おおがきの歌 「これまでからこれからへ」を歌わせるような国賊まがいの真似をさせて、悦にいる小川敏氏のようなお粗末な市長が生まれるのだ。

「真ん中」がどうしたというのだ。大垣市民の歴史の努力の跡が何もない。「私の背の高さは、日本人のど真ん中の寸法です」というようなものだ。天から与えられた自然現象を誇ってどうするのか。アホかいなである。ど真ん中でない他市を侮蔑した歌である。

ど真ん中に位置して、大垣の水が大垣の100年を作ったのではない。370年前のお殿様の指導があり、人々の地道な人づくりがあって、今の大垣ができた。それがこの歌には表現されていない。

天才のピカソ作には傑作が多いが、駄作もそれ以上に多い。有名な先生だから、全てが素晴らしい詩であるわけではない。のどかを唄う目的なら許されるが、今はそんな状況ではない。市民の視線でその歌の価値を評価すべきだ。有名だからと作詞者の名前で胡麻化されてはダメである。有名企業の不祥事が多すぎる日本である。

 

芸術に疎い人がクレーム

そんな状況下で、大垣市長が、当初の原案の歌にクレームをつけて、41日に発表すべき歌の披露が、7月に延びた醜態がある(伝聞)。芸術に疎い市長が、プロの作詞者にクレームを付けたこと自体、異常である。大垣市の恥である。だから歌詞に感動を呼ばない。本来は、歌詞を市民公募にして、作曲をプロに任せればよかったのだ。今からでも遅くない。

 

作詞者のコメント

 作詞者のコメントを見ると単なるノスタルジアで、歌詞を作ったようだ。過去ばかり見て、現在と未来に目を背けた歌である。

  「子どもだった私にとって、 旅と言えば東海道線に乗って行く京都でした。そこが母の郷里で、私はよく旅の 終わりに近い大垣で、柿羊羹を母にねだって買ってもらったものでした。そんな縁が あったおかげで、歌詞を考えるにも心のどこかに、暖かい懐かしさのようなものがありました。

  昔と今、東と西、異なる時間と空間を、水の流れのように絶え間なく動き続けなが ら結ぶイメージが浮かんだとき、幼いころから知っていた大垣が、私の心に新しくよみがえりました。 <のびのび> <わくわく>のような子どもの声に ふさわしい言葉も、自然に私の心と身体のうち に浮かんできたのです。」 大垣市のHPより

 

大垣市制100周年記念

おおがきの歌「これまでからこれからへ」

日本の真ん中 おおがきの

大地の下から 湧く水は

昔を今に むすぶ水

清らかに 人を うるおし

これまでから これからへ

これまでから これからへ

いのち いのち

のびのび 大垣!

日本のおへそ おおがきに

終わり始まる この道は

東と西を つなぐ道

生き生きと 人は行き交い

これまでから これからへ

これまでから これからへ

未來 未來 わくわく 大垣!

これまでから これからへ これまでから これからへ

いのち いのち のびのび 大垣!

ラ ラ ラララララ ララララ ラ ラ ラララララ ル ル ル ル

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2018-11-12  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知102. 選択に悩んだら高い方を買う

悩んでいる時間のアワーレートを計算しよう。10分悩んだら1,000円高くなると自覚しよう。その10分を自分に投資(勉強)しよう。悩む時間がモッタイない。高いものを買って、いい物を長く使う習慣をつけよう。

 

安いものを買うとは、

安いものを買うとは自分を安くすること。安いものを手にして眺めていると、「自分はこれしか買えなかった貧乏人」と自己暗示にかけることになる。ますます貧乏になる。それではお金持ちにはなれない。

 

貧乏への脱皮

高いものを買ったら、その分のお金を、自分の生活を見直して無駄を排除しよう。きっと多くの無駄が見つかる。それが生活VA、時間創出だ。せめて美味しいケーキかお饅頭を一つ我慢しよう。つまり毒を食べるのを止めるご褒美である。それで肥満も防げ、スマートになれるしるし、脱皮しなくても済む。お腹が出てきてスーツやスカートが着られなくなるのを脱皮という。それでお金も節約できる。

 

稼ぐ能力を上げる

高いものを買って、それに見合う稼ぎを目指そう。稼げる能力をつけよう。その方が、夢を見られてよい。いいものの性能を活かし、コスト差をペイしよう。きっと時間が節約できる。高いのにはワケがある。

 

2018-11-12  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知74. シーケンスで仕事をしない

社長に説明しなければならないプロジェクトテーマで、4カ月も時間があったのに、それを考える8時間が取れなかったのですか? 何故、仕掛ける前に、1時間の考える時間が取れないの? なぜ時間のかかる他部署への依頼業務を、先に出しておかないのですか?  (前職の時、トヨタから来た部長によく叱られたこと)

 

来たるべきもの

デイサービスの「お迎え」は予告ありだが、本物の「お迎え」は予告なし。来ることが必然だから、その備えをしよう。定年後、20年間も時間があるだ。還暦を過ぎたら、突然お迎えが来る前提で準備をしよう。

 還暦になり、定年まで5年も時間があるのに、定年後の計画がないのですか?

 新しい職位に就任したら、3年後にその職位を去る準備をしよう。

 考えない仕事は、周りに振り回される。110分間を計画の再考に使おう。

 

浜コンの失敗

 数か月前に浜松国際ピアノコンクールがあることがわっかっていて、私はチケットの予約ができなかった。何時までもあると思うな、当日券。今回の土日のチッケト入手失敗での反省である。まだまだ未熟者である。

 

振り回せ

P1030813-1他から振り回されるくらいなら、周りを振り回そう。計画のない人生は、計画をする人の支配下に置かれる。それは奴隷の人生だ。計画して、仕掛けて、待つ。それが知者の人生。智者が時間を創る。

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馬場恵峰書

2018-11-12  久志能幾研究所 小田泰仙

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2018年11月11日 (日)

美食の罠、飽食のツケ

ガン治療の話題が新聞、テレビに取り上げられない日はない。しかし、本当に必要なことは、治療ではなく、ガンにならない生活の方法の追及である。マスコミも病院も己を守ってくれない。自分で自分の体を守るしかない。

 

問題と課題

ガンになるのは問題である。問題は対処療法で直せばよい。ガンにならない生活を目指すのが課題である。あるべき姿と現状の差が課題である。その課題を無くすために、私は、今は食事に最大限の注意を払っている。私は、自分の体の病気の履歴から、食生活がガンや目の病気、生活習慣病を誘発したと確信した。

私の病歴:胆石症、大腸ポリープ、白内障、緑内障、網膜静脈閉塞症、網膜剥離、高血圧、記憶力低下、肥満、

(腹黒? 最近は食えん人が多すぎて食い過ぎたため?)

 

私は、真島消化器クリニックの真島先生の指導で食事療法により、油、脂肪、砂糖、合成調味料、酒、を断つ食事を続けている。美味しいものには毒がある。だからドクターストップで、食べない。ウナギやノドグロなど涎が出そうだが、ドクターストップで食べられない。それでも病気になるより、はるかに幸せである。

真島消化器クリニックHP     majimaclinic22.webmedipr.jp

 

マスコミの裏切り

ガンを誘発する食料品の宣伝にマスコミは忙しい。マスコミは決してスポンサーの都合の悪い報道はしない。マスコミは美味しいファーストフードの宣伝をする金もうけが忙しい。飽食の番組や料理番組が氾濫である。体に悪いことが分かっているのに、それの原因追及もせず、体に悪い食材のCMを垂れ流している。

40年前の日本の医療費総額は10兆円である。それが今では40兆円を超える。それでいて、ガン患者は増える一方である。なにかおかしくないか。それはガンの根本療法でなく、対処療養をしているからだと思う。

40年前は認知症など話題にも上らなかった。これもガンの原因と同根だと私は信じる。

 

がん患者最多86万7千人 大腸がんが胃がんを抜き1位に

 国立がん研究センターは14日、平成26年に新たにがんと診断された人は867千人で、過去最多を更新したと発表した。高齢化に伴って増加し、30年は1014千人になると予測している。部位別で最も多かったのは大腸がんの134千人で、25年に1位だった胃がんを抜いた。(中略)

 大腸がんは、食の欧米化が要因の一つとされ、増加傾向にある。(中略)部位別では、男性は胃が最も多く87千人、次いで肺、大腸、前立腺、肝臓。女性は乳房が最多で76千人、大腸、胃、肺、子宮が続いた。(2018.9.15 産経ニュースより)

 

2018-11-11  久志能幾研究所 小田泰仙

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出版予告「金子みすゞ 詩の世界 55恵峰選集」

 上記の馬場恵峰書による写真集の編集が完成して、現在、試し刷り中です。最終校正を経て、12月上旬に出版予定です。A4版、全60頁、予価2600円。

 馬場恵峰師による仮名の美しい毛筆の巻物の写真集は、連綿体のお手本となります。

 本書は10m巻物に書かれた55の詩を一作品ずつ一頁に収めました。

 表紙、裏表紙、前書き、後書きはカラー、本文は白黒印刷です。

 本書は20181031日に撮影しました。

 

馬場恵峰師の前書き

 金子みすゞは、昭和539日、三通の遺書残して、睡眠薬を飲んで10日、26歳の短い生涯を閉じた。私にとって考える時36歳で弟(亡毅)を生んで二日後亡くなった。その事と重ねて見て、私が三歳の時の出来事。「今夜の月のように私の心も静かです。」遺書を残している。

生誕100年記念に出版の本の中から「人と人」「人と自然」「人と自然」「人と宇宙」金子みすゞの詩の世界選55首、この巻物に走り書きした。昭和初期に(昭和2年生まれの私)みすゞは消えた。幻の童謡詩人、私達の心にみすゞの詩が今もこだまのように筆を走らせる度に私の心に響いてならなかった。

「大漁」朝焼小焼だ。大漁だ、大羽鰮の大漁だ。浜は祭りのようだけど、海の中では何万の鰮のとむらいするだろうという詞がある。人の一生、人生の中で、生老病死、諸行無常、生活のあらゆる場面で多くの心の色どり向い合い「怒喜愛楽」人事でない、自己の人生の歩みの中で、チョット立ち止まって、此詞文の心を味わって見たらどうだろう。平成の終らんとする今、静かに回想して見ては。

童謡は大正の半ばから昭和の初めにかけて、錚々たる詩人、歌人達がさまざまな試みをなして大きなうねりを見せる。「創作童謡」は、子供から大人まで幅広く熱い読者をファンを得て、我が国の近代詩史にあっても類を見ない輝く詩歌の黄金時代を形成する。大正期の理想自由教育の流れを共に明治期の文部省唱歌に対置する新しい子供の歌として芸術性の香りを放つ童謡が教育の現場にあっても急速に広まっていった。

が、私の人生で軍国主義時代に入り、歌そのものも厳しく制限、限定され、軍歌なるもの流行、柔軟なる心の表現、統制厳しく制限された。戦後は想像を絶する歌と踊りの世界が展開されている現代。みすゞの詩情等、全く今時ナンセンスかも知れないが、人の活きる日々、お互いが自らの人間の心の動きに反省と勇気、己を大切に延命長寿念じたい。恵峰

 

馬場恵峰師の後書き

 この巻物に想いを込めて書き残して置く。

 金子みすゞの詩は私の人生、一生の中で、時、所は異なれど今92歳翁の身で筆を執り、自分の人生の歩みに少なからず相似たる思いあり。こうして一巻に代表的な詩まとめて見た。相似たるとは、私の母は昭和2年私を生み、三歳の時他界した。母の顔知らず、三歳の時、みすゞは26歳で死んでいる。私の一生、ここに書いたみすゞの詩の心が童心の私昔のいろいろの事につながって、今こうして執筆活動・書道の歩みが、母、祖父等々の血脈の中で活き続いている事は、私丈の魂の世界ここに述べられた。それぞれの詩文の中に働いているような気がしてならない・・・・こうした己の主観がついつい此巻物にこうした筆跡となったと思う。

 平成30316日午後3時結 恵峰

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2018-11-11  久志能幾研究所 小田泰仙

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