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2018年11月

2018年11月11日 (日)

磨墨知4. 過去の時間は取り戻せないが、未来の時間はアイデアで創出できる

時間を創り出すには、自分の意志と智慧が必要だ。時間を創るとは、生きていること。命を後世に残すこと。時間を創らなければ、畜生と同じ。無為に過ごすから、認知症になる。家で粗大ゴミ扱いされる。

 

アイデアとは人生の時間を稼ぐためのものだ

 われわれが薬を飲むのも、ただ単に病気だから飲むというけれども、もっと深刻に考えてみると、坊さんの手に渡るまでの時間を長くしようと思って飲んでいるだけだ。その薬は何かというと、アイデアである。人間の考えたアイデアを飲んでいるということだ。そのアイデアによって、われわれは時間を稼げるという確たる証拠が、ここに一つ出てきているわけだ。アイデアによって我々の生命を延ばしているのだ。アイデアによって時間を稼ぐことで、(それだけ余計に)仕事ができるのである。

  本田宗一郎談郎・他著『本田宗一郎の「人の心を買う術」』(プレジデント社1991

 

2018-11-11  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

銀河鉄道夜行便は冥途行き

 我々が乗車している銀河鉄道の夜行列車は、昼も夜も37兆個の細胞が、我々が寝ているときも、心臓を動かし、血を送り、肺を動かし、命を長らえさせてくれている。しかし、その列車の乗車時間は僅か80年間である。ある人は、65歳で認知症になり、人間としての命を終え、途中下車である。

 ある人は、医師から余命1年と宣告され、「金はいくらでも出すから、助けてくれ」と泣きつく。それを拒否されると、このヤブ医者め、と泣き崩れる。銀河鉄道には強制途中下車もあるのだ。

 

ハードスケジュール

 2018119日、第10回浜松国際ピアノコンクール第一次予選第一日目で、朝の10時半から夜810分まで、ピアノコンクールの演奏を聴き続けた。一人20分間の課題演奏、それが3人続き1時間。その後10分の休憩の後、おなじパターンで夜8時までコンクールが延々と続く。その95名の挑戦者の演奏が5日間も続く。弾く方は、自分の人生がかかった真剣勝負である。聴く方も体力勝負である。演奏会だから狭い椅子から動けず、エゴのme症候群になりそうである。さすがに、私は体力の限界でお昼過ぎ、お腹が膨れて眠たくなった。

 

列車は止まらない

 5分か10分ほど寝てしまったようだ。目が覚めると、そんなことはお構いなく、演奏者の人生をかけた死闘のコンクールは続いていた。自分が寝てしまっても、乗車した銀河鉄道夜行列車は驀進していた。自分が寝ていても、心臓も血液も、肺も動き、一秒一秒ごとに冥途に向かって驀進していた。冥土への到着時間は決まっている。浜松のイベントは何事もなく進行していた。

はこの世で何をしようとしているのか。それを自問してしまった。このコンクールを聴いて、己はどんな付加価値を生み出したのか。その分、己がこの世で活動すべき時間が減ったのだ。

 

到着予定時間

気が付けば、夜行列車の最終地到着時間まで平均であと12年(希望は40年?)しかないではないか。今から何を残して逝くのか。銀河鉄道は冷酷な定時運行で、止まってくれない。振り返れば、この8年ほどの間に、多くの仲間が途中下車していった。みんな想定外での途中下車であった。学生時代の友人は、年賀状で「そろそろゆっくりしたいね」と書いてきて、その3月に途中下車である。残された奥さんと子供が気の毒であった。

 

乗り換え案内

 今、走る電車の中で、新しい行く先を考えている。銀河鉄道は意思さえあれば、行き先も乗り換えも可能である。人生は、いつ新しい線路を思いついて乗り換えても、遅いということはない。意志だけの問題だ。

 途中停車駅が、ゴルフ駅や赤ちょうちん駅なら、それをすっ飛ばす特急列車に乗り換えよう。あの世までの乗り換え時間が僅かなのだ。

「お急ぎください」との仏様の声が聞こえる。優しい車掌さんの声だ。

 

2018-11-11  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月10日 (土)

磨墨知85 . 原理原則から見て判断する

物事は何が正しいのか? 原理原則から、それを判断すること。そのクライテリア(判断基準)は何か?

その判断基準を周りの都合に合わせ、自分の都合で毎回、変えるから問題が起こる。基準に従って判断して、問題が出れば社会が間違っているのだ。正しいとの信念があれば、気にすることはない。間違いない判断は時間を節約する。迷いこそが時間の浪費の最たるもの。クライテリアが明確でないから、無駄な金と時間と人手を使う。

 

大垣市制100年記念行事にクライテリアなし

大垣市制100年行事を開催するなら、次の100年につながる有意義な行事にするというクライテリアがなければ、愚劣な行事はしてはいけないのだ。

クライテリアが明快でないから、偽ネス毒水饅頭共食いの愚行が行われた。市民税900万円が2週間で無駄になった。大垣市のギネス記録は、市民税を使わなかった三島高校のコロッケ記録に負けたのだ。ギネスを取るのと金を使うのが目的で市民無視で実施した行事だから、4か月も経った今でも、恥さらしなことに、ギネス達成の祝い横断幕が大垣市庁舎に掲げられたままになっている。市民として恥ずかしいたらありやしない。その予算額の半分が使途不明である。

ドローンによる菓子散布行事も市民憲章で謳うクライテリア「安全」を考えれば、実施はあり得ない。だからドローンが世界初の人身事故で、墜落して見物客にけが人が出たのに、大垣行政の責任者が、業者に全責任を押し付けて、雲隠れするのだ。大垣市の職員に安全と道徳というクライテリアがないからだ。

ミッキーマウスのパレードも大垣市制100年にはなんの関係もないイベントである。このクライテリアは何か? 大垣市TDL の営業宣伝パレードに振り回されただけだ。大垣市制の次の100年に何の意味もないパレードであった。市民税の無駄であった。600万円がパー。

ミッキーマウスのパレードの影響で、翌週の賑やかしだけの大垣祭り山車特別曳そろえも、見物客1万人しか動員できないので、実施しても意味がなかった。子供たちの勉強時間を奪っただけ。山車を曳く学生アルバイト代が市民税で投入された。無駄だ。何のために?のクライテリアがなかったのだ。単に100個のイベントを行うという愚劣な考えだけが先行しただけだ。

「大垣さん大集合」も、市制100年のクライテリアには、頓珍漢な行事である。その大垣姓の100名を交えた大宴会で20名の市の職員がどさくさに紛れてご馳走を盗味した。それが次の100年にどういう貢献をするのか。市民税泥棒である。一人10万円の散財で1000万円が消えた。後世に何の価値も生まない。

朝鮮通信使行列も、「なんのために?」のクライテリアがないから、歴史の事実を捻じ曲げて、大嘘の行列を仕立てるのだ。日本政府は、徴用工裁判の不当性で、韓国との国交断絶さえ考えているのに、小川敏市長が韓国に媚びを売っているのだ。

大垣市制100年行事は、小川敏市長が、目立ち我利の行事をしたいがため、分捕った予算の消化と業者に金をばらまきたいがための行事で、明確なクライテリアがなく、本来の筋から逸脱するから、事故を起こすのだ。大垣市制100年行事予算3億4千万円を浪費して会計報告をマル秘にするから汚職が疑われるのだ。市の財政が杜撰になるのだ。

 

己の人生のクライテリアは明確か?

自分は何のために働いているのか。なんのために金を稼いでいるのか。金ができたら働かないのか。人生は、お金のためにあるのではない。自分は何を目指して生きているのか。人は、何のために書を書き、仏像を彫り、音楽を奏で、写真を撮り、文書を作るのか。

そのクライテリアが明確でないと、道半ばで、人生道に迷う。その価値基準を明確にして仕事に取り組もう。そうでないと、定年後の人生が認知の人生となってしまう。今の日本社会は、65歳以上の15%が認知症である。

 

2018-11-10  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知133. 思い上がろう

物事を短時間に達成するとは時間を創ること。人間、思い上がらずして物事は成しえない。思いがあって時間を創ろう。才ある者は思いがあってこそその力を十二分に発揮できる。膂力ある者は、わが力優れり思えばこそ、胆の底から力が沸き上がってくる。

 美人コンテストのモデルは自分が美しいと思えばこそ、カメラの前で美しく振る舞い、美くしさが増し、美人としての価値が輝く。

演奏家が、己の演奏力が世界一だと思いあがるから、世界一の演奏で聴衆を魅了する。思いあがるだけの胆力がなければ、国際ピアノコンクールで勝ち残れない。敵との差は僅差なのだ。思い上がり、自信をもって、持てる力を最大限に出して戦おう。自信とは自分自身を信ずること。そのハレの舞台に立てだけでも素晴らしい。

人生の知力・体力・人徳の総合力が問われる人生コンクールで、思いあがって謙虚に臆せず戦おう。「私なんか」というイジケタ考えでは、人生は戦えない。己の力が世に通用しなければ、世間が教えてくれる。鼻をへし折られるまで挑戦しよう。

生涯現役・生涯青春

人間として生きているだけでも素晴らしい。五体満足で生きているだけでも有難い。己も歳をとり、思いあがって戦えない分野が増えると、つくづくと思いあがれた青春の時代が懐かしいと思う。思いあがれる時、若いくせに、年寄りのくせにと、言われる風圧を押しのけ、気持ちだけでも青春でありたい。生涯現役と思いあがって生きよう。

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挑戦者95名の中から勝ち抜くは大変

10回浜松国際ピアノコンクール 2018119

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浜松国際ピアノコンクールの休息時間中に、舞台上で黙々と調律をして舞台を裏で支える調律師がいる。調律師も他社のピアノとの戦いだ。

アクトシティ浜松 中ホール   2018119

2018-11-10  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知89. 決断は自分でしよう(浜コン)

決断とは、その人の生き方そのもの。それは誰の問題ですか?

二つの選択肢のうち、選択できるのは一つだけ。一つを選択したら、もう一つは捨てるのだ。それを曖昧にするから、人生が甘くなる。その決断の判断を人に任せると、その件の時間は他人に支配される。大事な自分の時間を人に支配されるのは、時間をどぶに捨てるようなもの。

人に参考意見で色んな見方があることを知るのは良いが、最終決断は人生の責任者である自分がする。人に参考意見を求めるのは、ものの見方の視点が、自分とは違うことがあることを知るためだ。それを踏まえて、自分で判断する。それを参考意見以上に求めるから無為な時間が過ぎる。

貴方は自分の人生の主人公。自分で決断をせよ。

 

エピソード

2018119日、「磨墨知84. 成果の出る方に選択の決断をしたら、1秒でも早く行動を」とブログにアップした。ところが、第10回浜松国際ピアノコンクールの第一次予選を聴こうと、119日、現地に着いたら、11月10日、11日の土日のチケットが完売で入場できない事態に直面した。

知人からは、浜松の第一次予選はガラ透きで、予約は不要と聞いて安心をしていた。20183月の高松国際ピアノコンクールでも、第一次予選の会場はガラ透きであって、油断をしていた。主催者も一次予選でチケットが予約で完売などは初めてだという。ネットでその情報は掴んでいたが、現地に行けば何とかなると思っていた。しかし、何ともならなかった。何事も善は急げである。

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10回浜松国際ピアノコンクール 2018119

 

2018-11-10  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

磨墨知121. 真剣が真面目に勝つ

 真面目にやるだけでは時間は創れない。真面目なんか、誰でもやっている。真面目は真剣に負ける。真剣な取り組みからのみ時間は創造される。努力したというのは自己美化の表現である。真剣に智慧を出さなければ、努力は花咲かない。新入社員は努力というプロセスで評価されるが、プロは成果でのみで評価される。

明日でも昨日でもない、今この時点でのあなたの目標は何? 今を真剣に生きれば時間は生まれる。

 

語源

「真」とは戦いのあと、戦死した頭のない敵の胴体を表した象形文字である。戦って討ち取った敵の人数を数えるため、「真」の数を調べるとの意味である。真とは命である。

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 馬場恵峰書

   

2018-11-10  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2018年11月 9日 (金)

大垣市民憲章は論理的に恥さらし

現在の大垣市民憲章の論理構成がおかしい。大垣市民憲章で宣言している内容がお粗末である。だから大垣市は迷走している。

(大垣)市民の誓い:「私たちは水を生かし 緑を広げ 安全に務め 心を育て 助け合います」

 

論理の問題点

この市民憲章では、人よりも、水、緑が大事にせよと、市民の誓いで強要している。ついでに、人の教育より、先人の伝統より、安全と心を育てるのが大事と血迷って宣言している。なにかおかしくないか。大垣市を支え、発展させるのは、人である。水も緑も自然の恩恵で市民が作ってきたものではない。今の大垣市民憲章には、人の育成、歴史の恩人の話がない。恥さらしな市民憲章である。

テクニカルライティングの基本は、一番大事なことを、一番最初に記述する。その論法で言えば、大垣の市民憲章で、人よりも水が大事なのだ、と宣言しているのだ。言葉とは裏腹に、天与の水をいい加減に扱う(治水をせず)から、水害のしっぺ返しを受けるのだ。頻繁に市内の基幹道路が水没するお粗末さを招いている。市民憲章から笑われている。全てを生む源は、人である。人を育成せず、先人の恩を忘れれば市と日本の発展はない。

 

主語の使い方が不適切

「私」とは、禾編で稲の意味を表している。「ム」は、腕で稲を抱え、自分のモノにしていることを表す象形文字である。つまり第一人称で、利己主義的な意味を含む単語である。だから市民憲章の主語として不適である。主語を書くなら、皆、全員、大垣市民を主語にすべきである。

 

戸田公の功績

今の大垣市の基礎を築いたのは、370年前の初代藩主戸田公が、教育に力を入れ、代々、大垣は教育の町、文化の町、博士の町に築き上げた。明治初期には、博士の出現率が、全国他市の50倍という驚異的な値であった。江戸時代に培った教育への取り組みが明治時代に花開いたのだ。

今でも、岐阜県の学問・教育に関しては、「西の大垣、東の岩村」と言われている。二つの街はお互いに似通っている。岩村は日本の孔子といわれた佐藤一斎を生んだ街である。2018113日、岩村を訪れた時、茶屋のお店の人からそう言われて大垣を見直した。

一般家庭でも毎朝のお勤めで、仏壇に手を合わせて、ご先祖にお礼を口上するのが日本人だ。その心がないから、大垣市長が戸田公を祀る神事で居眠りをする失態を晒すのだ。

 

お粗末な市民憲章の罪

今のお粗末な市民憲章が、今の大垣の衰退を招いている。それを放置しているのが、大垣行政の責任だ。市民の教育より、水が大事なのか。緑が大事なのか。安全が市民の教育より大事なのか。教育をきちんとして人を育てれば、おのずと市民は安全最優先で心豊かな高い意識となり助け合うのだ。説明の順序が逆である。論理構成が出鱈目だ。

 

因果応報

こんな低落だから、だから安全を無視した因果で、201711月に大垣ドローン墜落人身事故を起こして、真の犯人の大垣市行政の責任者が、全責任を業者に押し付け、雲隠れする不祥事を犯した。大垣市行政の信用がドローンと地に落ちた。その総責任者は小川敏市長である。小川市長自身が己の心が育っていないのだ。

 

改定案(仮)

大垣市民は皆で、人を愛し、人を育成し、先人の偉業を受け継ぎます。大垣市の発展のため、大垣の産業と文化を育てます。

(人と文化を育てれば、おのずと大垣市も発展し、産業も発達する。)

 

皆さんも、自分の住まいする市の市民憲章を上記の目で見直してください。

 

2018-11-09  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知130. スカーレット・オハラを演じよう

  I’ll think of it all tomorrow, at Tara. I can stand it then.

  Tomorrow, I’ll think of some way to get him back, After all.

  Tomorrow is another day.

  過ぎた事を悔やんでも時間はもどってこない。

 Gone with The   Wind

 明日は明日の風が吹く。だからこそ、明日からではなく、今から精一杯生きて、明日からの種を植えよう。そうすれば、明日の風が変わる。自分がエネルギーとなって風を起こそう。

 貴方のタラは何処? 故郷が貴方に癒しの時間をくれる。

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2018-11-09  久志能幾研究所 小田泰仙

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磨墨知84. 成果の出る方に選択の決断をしたら、1秒でも早く行動を

今の己の姿や状況は3年前にした決断、努力の成果である。今決断し、頑張ってもその成果は3年後でしかない。だから早く決断して、早く実行しないと成果は手に入らない。考えている間に時間だけが、無為に過ぎてゆく。己の敵の時間は、待ってくれない。

 

2018-11-09  久志能幾研究所 小田泰仙

  著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2018年11月 8日 (木)

磨墨知340-2. 家の玄関に骸骨をぶら下げない

 笑顔がご縁を呼ぶ。ご縁とは時間の缶詰である。笑顔で皆さんと接しよう。私でも、しかめっ面の人とは話などしたくない。その分、しかめっ面の人は、ご縁と出会う機会の確率が少なくなる。時間の喪失である。

 

 「顔色や容貌を、いきいきと明るく見せることは、人間としての基本的なモラルである。なぜなら人の顔色は、 家の門口のようなものだからである。広く人と交際して、自由に付き合うには、 門をひらき入口を清潔にし、客が入りやすくすることが大事である。

 ところが、本心は人と交際を深めたいのに、顔色に意を用いず、孔子の格言を信じて、ことさら渋い顔つきを示すのは、入口にガイコツをぶら下げ、門前に棺桶を置いているようなものである。これでは誰も近づかなくなる。」(福沢諭吉)

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2018-11-08 久志能幾研究所 小田泰仙

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