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2018年11月10日 (土)

磨墨知85 . 原理原則から見て判断する

物事は何が正しいのか? 原理原則から、それを判断すること。そのクライテリア(判断基準)は何か?

その判断基準を周りの都合に合わせ、自分の都合で毎回、変えるから問題が起こる。基準に従って判断して、問題が出れば社会が間違っているのだ。正しいとの信念があれば、気にすることはない。間違いない判断は時間を節約する。迷いこそが時間の浪費の最たるもの。クライテリアが明確でないから、無駄な金と時間と人手を使う。

 

大垣市制100年記念行事にクライテリアなし

大垣市制100年行事を開催するなら、次の100年につながる有意義な行事にするというクライテリアがなければ、愚劣な行事はしてはいけないのだ。

クライテリアが明快でないから、偽ネス毒水饅頭共食いの愚行が行われた。市民税900万円が2週間で無駄になった。大垣市のギネス記録は、市民税を使わなかった三島高校のコロッケ記録に負けたのだ。ギネスを取るのと金を使うのが目的で市民無視で実施した行事だから、4か月も経った今でも、恥さらしなことに、ギネス達成の祝い横断幕が大垣市庁舎に掲げられたままになっている。市民として恥ずかしいたらありやしない。その予算額の半分が使途不明である。

ドローンによる菓子散布行事も市民憲章で謳うクライテリア「安全」を考えれば、実施はあり得ない。だからドローンが世界初の人身事故で、墜落して見物客にけが人が出たのに、大垣行政の責任者が、業者に全責任を押し付けて、雲隠れするのだ。大垣市の職員に安全と道徳というクライテリアがないからだ。

ミッキーマウスのパレードも大垣市制100年にはなんの関係もないイベントである。このクライテリアは何か? 大垣市TDL の営業宣伝パレードに振り回されただけだ。大垣市制の次の100年に何の意味もないパレードであった。市民税の無駄であった。600万円がパー。

ミッキーマウスのパレードの影響で、翌週の賑やかしだけの大垣祭り山車特別曳そろえも、見物客1万人しか動員できないので、実施しても意味がなかった。子供たちの勉強時間を奪っただけ。山車を曳く学生アルバイト代が市民税で投入された。無駄だ。何のために?のクライテリアがなかったのだ。単に100個のイベントを行うという愚劣な考えだけが先行しただけだ。

「大垣さん大集合」も、市制100年のクライテリアには、頓珍漢な行事である。その大垣姓の100名を交えた大宴会で20名の市の職員がどさくさに紛れてご馳走を盗味した。それが次の100年にどういう貢献をするのか。市民税泥棒である。一人10万円の散財で1000万円が消えた。後世に何の価値も生まない。

朝鮮通信使行列も、「なんのために?」のクライテリアがないから、歴史の事実を捻じ曲げて、大嘘の行列を仕立てるのだ。日本政府は、徴用工裁判の不当性で、韓国との国交断絶さえ考えているのに、小川敏市長が韓国に媚びを売っているのだ。

大垣市制100年行事は、小川敏市長が、目立ち我利の行事をしたいがため、分捕った予算の消化と業者に金をばらまきたいがための行事で、明確なクライテリアがなく、本来の筋から逸脱するから、事故を起こすのだ。大垣市制100年行事予算3億4千万円を浪費して会計報告をマル秘にするから汚職が疑われるのだ。市の財政が杜撰になるのだ。

 

己の人生のクライテリアは明確か?

自分は何のために働いているのか。なんのために金を稼いでいるのか。金ができたら働かないのか。人生は、お金のためにあるのではない。自分は何を目指して生きているのか。人は、何のために書を書き、仏像を彫り、音楽を奏で、写真を撮り、文書を作るのか。

そのクライテリアが明確でないと、道半ばで、人生道に迷う。その価値基準を明確にして仕事に取り組もう。そうでないと、定年後の人生が認知の人生となってしまう。今の日本社会は、65歳以上の15%が認知症である。

 

2018-11-10  久志能幾研究所 小田泰仙

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