時間創出1001の磨墨智 527.赤の女王
527.赤の女王仮説
全力で走っていないと取り残される。回りはそれ以上で動いている。取り残されるとは、仲間を失い、自分の時間を失うこと。
孫悟空とアリスの戦い
「私の国では・・・」と、アリスはあえぎながら言いました。「さっきのように長い時間とても早く走れば、普通は別の場所に行けるんですけど・・・」「何というのろまな国じゃ!」と女王は言いました。「この国ではな、同じ場所にとどまりたいと思えば、力の限り走らなければならないのじゃ。もし別の場所に行きたいのなら、少なくともその2倍の速さで走らねばな」(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)1865年
現代の技術競争
技術開発やビジネスの世界は、まるでお釈迦様に力比べを挑んだ孫悟空の物語を再現している。この『鏡の国のアリス』の引用を読んで、孫悟空の物語を思い浮かべた。お釈迦様の掌の外が世界標準で、掌の上が自分たちの技術レベルなのだ。どこにベンチマークを置くかで、世界観が変わる。全力で走っていても(走っているつもりでも)、周りが見えないと所詮は、お釈迦様の掌の上で走り回っている猿と同じで、自己本位の世界での力比べある。「開発が出来た、出来た」とはしゃいでも、それは雲の中に立つ5本の柱(お釈迦様の指)に、孫悟空が「我ここまで来たり」と自慢げに書き付けた愚行と何が違うのか。完成したと思った時に、時間は止まり、周りから置いていかれる。それをガラパゴス化という。全力で走って、やっと現状維持である。智恵を出さないと負ける。それは150年前に『鏡の国のアリス』が寓意で表現している。
経済が停滞ではなく、政府の頭が停滞
その事象は現在にも当てはまる。添付の資料は、2005年にある海外現地法人の新入社員に,英語の講義をした時に使った資料である。それから12年が経ったが、日本の経済状況は変わっていない。なにせ政府の経済政策が、緊縮財政一本やりである。既述の「天声人誤の竹槍で14万人が殺された」でも述べたように、政策が変わっていないので、12年前の説明資料が今でも通用する。情けないことだ。日本政府には学習能力がない。政府は、お釈迦様の手の上で踊っている。世界は全力で走り去っていく。
2017-08-01
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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