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2017年8月 3日 (木)

590.カウントダウン

自分の近くで時限爆弾のチクタクが響く

 人生・仕事の危機管理とは、爆発(信用金庫崩壊)までのカウントダウンの秒読みが聞こえるかどうかだ。危機意識に対する感性の低い人には、この秒読みが聞こえない。仕事を始めれば、自動的に危機状態へのカウントダウンが始まる。また決断を引き延ばしていると、いつの間にか最終カウントダウンの状態に陥る。人生では、いかに早くそのカンウトダウンに気づいて、いつリセットボタンを押すかが問われている。

 そして危機に気づかず、リセットボタンを押せなかった人が、年間32,863人(1998年)も自らの命を絶っている。前年度は24,391人だったのに。今はそんな厳しい時代である。2015年でも24,025人が人生のリセットボタンを押している。

 ◆◆◆カウントダウン3

 上司はやさしい人だ。部下の育成を願い、色々と注意や叱責をしてくれる。そして3回目迄は許してくれる。でも仏の顔も3度まで。1回目の「督促」は要注意なのだ。「残りはあと2回ですよ」と。2回目になるとイライラした怒りなのである。「あと一回で爆発ですよ」と。3回目は爆発して、もう「この件に関してはダメ!」との烙印を押すのだ。仏が鬼に変貌する。そう、もう4回目は無いのだ。仕事が他の人に回るのである。リストラの危機である。上司は何回言っても判らない人、言っても仕方のない人には何も言わない。そうしないと、組織全体が危機に陥りるのだ。

 ◆◆カウントダウン2

 自動車メーカーはもっと厳しい。1回目の品質問題か納入問題を起こして、キチントした再発防止を打たず、2回目の問題を再発させると、自動的に納入停止で、最悪の場合は取引停止である。そうなれば倒産である。なにせ、自動車部品の生産ラインは他には転用がきかない。トヨタへの納品が出来ないから、他のメーカーに納めるなどは出来ないのだ。でもそういう厳しさが有るからこそ、トヨタグループ全体としては、なんとか勝ち組みに入っている。

 その納品も必ず、二社発注体制で、片方の会社が問題を起こせば、自動的にもう一社の方に注文が行く。エアバック問題を起こしたタカタの社長は、このカウントダウンの音を聞く能力がなかった。そしてタカタは2017年6月に経営破綻をして、連結従業員50,530人(単独962人)を路頭に迷わせた。

◆カウントダウン1

 怒鳴るお客様は親切である。きちんと間違いを指摘してくれるから。その店が好きで、なんとか改善してほしいと思っているのからである。文句を言うのが当たり前と思われる米国でも(マーケッテッング調査による)、クレームを言う客はたったの5%である。

 でも真のお客様はもっと厳しい。お客様はお店に来て、一回の不愉快さを感じると、もう来てくれない。95%の客は黙って、何も言わず去って行く。それが一番冷酷である。そういった危機感を持って仕事を遂行しないと、仕事が無くなる。店が潰れる。会社が社会的制裁を受ける。

 ・カウントダウン0/今ここ

 しかし運命の女神はもっともっと冷たく厳しい。あの時、あの状況、あの人達との巡り合わせは2度と来ない。今その時に全力を投入しないと、やり残しで悔いが残る。失った時間,チャンスは二度と帰って来ない。しかし積極的に運命と対面する人には女神は優しいのだ。行動するから新しい局面が展開する。

 決断しない、行動をしない、優柔不断に引き延ばす、こんな行動では、全て悪魔にカウントダウンのスイッチを押させる行為なのである。決断しない、それは決断しなければない項目が目前にあるはず。判っていても、できない。行動しない、頭では行動しなければ思いながらも、動かない、動けない。それこそ悪魔にカウントダウンの時計を弄ばせること。すべて自己の選択の結果である。決断しないという選択をしている。決断をしない人には運命は冷酷なのだ。その件に決断しなくて、結果に対して泣き言を言う人は、子供なのである。自分の決断に責任が取れないのですから。決断をしなかったという、選択をしている。

 しかし、本物の時限爆弾と違い、人生での危機は、その状況に気づきそれをリカバーする気になれば、遅い速いは別にして、リカバーの手段は無限にある。それが唯一の救いである。それさえ気づかない人が絶望して命を絶つのだ。

 一期一会とは危機管理の言葉です。人生に、もう一度の機会などはないとの危機感が必要である。悪魔は黙ってカウントダウンのスタートボタンを押す。心耳を澄ませば、あなたの頭上でカンウトダウンが聞こえるはず。それは何のカウントダウン?

 懐かしい思い出

 以前の上司で、トヨタから出向されたO部長には、この件で厳しく指導された。「3回督促して、上司の要求に応えられない時は、もうその件ではダメ!」との烙印を押される、とはその時の指導であった。「これで3回目ですよ。小田さんって、そんな情けない人だったんですか」と言われたことが多々あった。それはなんと辛く情けないことであったことか。言い方は優しいが、心にグサッと突き刺さるような厳しさがあった。でもこの厳しさはトヨタでは当たり前で、私にはかなり甘い指導であったようだ。O部長が受けた指導はそんな生半可なものではない。そういう人財がトヨタを支えている。だからトヨタは生き残っている。

 「リーダーとは厳しく、嫌われてなんぼの世界、それが組織を生き残らせる条件」と割り切れば、人を厳しく教育するのに抵抗はない。なまじっか人に好かれようとするから、人を指導できなくなる。組織とてやるべきことが出来なくなる。自分が甘くては,人を指導できない。組織の業務改革はできない。

 入社以来、数多くの上司が私の前を通り過ぎていった。優しい上司や冷酷な上司は記憶に薄いのだが、厳しく指導をしてくれた上司ほど記憶に残り、厳しさを教えて頂いた熱意にありがたさを感じる。人は、何も言われなくなったら、おしまいなのだ。その状態に早く気づくのが危機管理である。(2003年7月3日初稿)

 『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-03

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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38.時間の戦略

 戦略とは「何をしないか=(略)」を選択すること。全てに手を出していては、時間がいくらあっても足らない。世界の敵には勝てない。テクニカルライティングでは、何を書かないか、何を最初に書くかが問われる。上司にとって、どのメールを見ないかが、一番大事な戦略である。部下は、その中で、上司の上げた書類(報告書、稟議書)を、早い時期に読んでもらう戦略が必要となる。無駄な戦いを略する為に、5年後のあるべき終末を想定して、それに沿って仕事をする。

 

社長になったら、何をするかではなく、何をしないかを考える。

貴方より優秀な部下が、実務は全てをやってくれる。

社長の退任時にどうあるべきか、そのために止めるべきことは何か?

社長の貴方が動けば部下は育たない。部下の成長の機会を奪ってはダメ。

リーダーになったら、何を捨てて、何をしないかである。

組織のベクトルを合わせる為、何をしないか、である。

定年になったら、何をするかではなく、何をしないかを考えること。

時間があるからと、あれもこれもとするから、何もできない。

自己との戦いを止めよ。

自己と話し合い、己の体と協業せよ。

己の体が上げている悲鳴を聴け。悲鳴を無くすために、何をしないかである。

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-03

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2017年8月 2日 (水)

491.部下をピラニアの川へ放り込め

491.生き延びて欲しい部下をピラニアのいる川へ放り込もう

 生物は危機状態になると、アドレナリンが分泌されて、とてつもない力を出す。活きる力が5倍になる。生き延びるとは時間を創ること。

 シラスを水槽に入れての長距離陸送では、約50%のシラスが死ぬ。ところがその水槽にピラニアを入れると、死亡率は10%に減る。シラスはピラニアに食われまいと、死に物狂いで逃げ回る。その時にアドレナリンが多量に分泌される。ピラニアも水槽の全てのシラスを食べるわけではない。食べられるのはせいぜい10%だけ。自然界は共存共栄している。10%のシラスは、ピラニアがいなくても生存競争で負けることになっていた。

 「背水の陣」、「火事場の馬鹿力」も同じ意味である。自分を危機状態に置いて生きるべし。ぬるま湯的な生活からは、生ある価値は創造できない。成功者は全て逆境から立ち上がっている。

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-02

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2017年8月 1日 (火)

時間創出1001の磨墨智 435d. 熟年の別れ

435d. 成長しないと40年来の友を失う

  最近、お互い定年を迎え時間ができて、親交を深める時間が増えたが故、40年来の友と別れることになった。原因は相手と話が合わなくなったためである。前は遠方でもあり、たまに会うだけの付き合いであったので問題が露見しなかったが、長時間付き合うようになり、友に違和感を覚えることが増えた。人は年相応に成長する。それは人によって成長度合いが異なるが、そのギャップが大きくなりすぎると、会うのが辛くなる。友とは自分を成長させてくれる時間の塊である。その時間価値がずれると逆に重荷となる。

熟年での別れ

 この事件で最近の熟年離婚問題に思いをはせてしまった。夫は仕事一筋にわき目もふらず定年を迎えて、交友関係で見聞を広めてきた妻から定年離婚を申し出られる事例が増えたという。その状況が理解できたように思う。上智大学名誉教授渡部昇一氏(当時)もその著書で、長年の友でも、使うお金で釣り合いが取れなくなると、付き合うのに障害となると書いている。一緒に食事をするにも、お店の格の選定で意見が微妙に相違して、ずれが生じて誘いづらくなったという。政党も国民の意識の成長と共に歩まないと、2013年参議院選挙での社民党のように消える運命に押し流される。国も成長しないと衰退する。

 人は年相応に、人格、教養、資産を高めないと、長年の友を失うことになる。長年、時間をかけて培った友という人生の資産を失いたくないもの。そのためには人並みに成長しなくてはならない。ちなみに定年退職後の5年間で、二人の40年来の友人と別れた。周りの知人に聞いても、同じような体験をしている。

人生経営は自転車操業

 万物は流転成長している。自分は成長しているだろうか? 時間は自分をどんどん追い抜いていく。成長が止まったとき、自分の時間も止まる。友が、妻が、会社が、時代が、自分に離縁状を突きつける。時代に自分が追い抜い抜かれると、人生の別れ..。人生経営は自転車操業。走り続けないと倒れてしまう。

 

2017-08-01

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時間創出1001の磨墨智 527.赤の女王 

527.赤の女王仮説

 全力で走っていないと取り残される。回りはそれ以上で動いている。取り残されるとは、仲間を失い、自分の時間を失うこと。

 

孫悟空とアリスの戦い  

「私の国では・・・」と、アリスはあえぎながら言いました。「さっきのように長い時間とても早く走れば、普通は別の場所に行けるんですけど・・・」「何というのろまな国じゃ!」と女王は言いました。「この国ではな、同じ場所にとどまりたいと思えば、力の限り走らなければならないのじゃ。もし別の場所に行きたいのなら、少なくともその2倍の速さで走らねばな」(ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』)1865年

現代の技術競争

 技術開発やビジネスの世界は、まるでお釈迦様に力比べを挑んだ孫悟空の物語を再現している。この『鏡の国のアリス』の引用を読んで、孫悟空の物語を思い浮かべた。お釈迦様の掌の外が世界標準で、掌の上が自分たちの技術レベルなのだ。どこにベンチマークを置くかで、世界観が変わる。全力で走っていても(走っているつもりでも)、周りが見えないと所詮は、お釈迦様の掌の上で走り回っている猿と同じで、自己本位の世界での力比べある。「開発が出来た、出来た」とはしゃいでも、それは雲の中に立つ5本の柱(お釈迦様の指)に、孫悟空が「我ここまで来たり」と自慢げに書き付けた愚行と何が違うのか。完成したと思った時に、時間は止まり、周りから置いていかれる。それをガラパゴス化という。全力で走って、やっと現状維持である。智恵を出さないと負ける。それは150年前に『鏡の国のアリス』が寓意で表現している。

経済が停滞ではなく、政府の頭が停滞

 その事象は現在にも当てはまる。添付の資料は、2005年にある海外現地法人の新入社員に,英語の講義をした時に使った資料である。それから12年が経ったが、日本の経済状況は変わっていない。なにせ政府の経済政策が、緊縮財政一本やりである。既述の「天声人誤の竹槍で14万人が殺された」でも述べたように、政策が変わっていないので、12年前の説明資料が今でも通用する。情けないことだ。日本政府には学習能力がない。政府は、お釈迦様の手の上で踊っている。世界は全力で走り去っていく。

 

2017-08-01

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2017年7月26日 (水)

時間創出1001の磨墨智 688(金に糸目はつけず)

688.「金はいくらでも出すから治して欲しい症候群」に罹らない

  嘱託で働いている70歳の人が、末期ガンを宣告され、「まさか、何で私が」と絶句した。それで医師に「金に糸目はつけないから治して欲しい」と懇願したが、医師は拒絶した。それで治せるならノーベル賞である。絶望した患者は「それでもお前は医師か。藪医者だ」と罵詈雑言を医師に浴びせて泣き崩れた。何所にでもあるドラマである。70歳といえば人生の酸いも甘いも味わいつくしたはずである。緊急事態に遭遇すると、それが破綻して今までの生き様が露見する。他山の石としたい事例である。

ガンは幸せな病気である

 国民の5割がガンで死ぬ時代である。ガンが発症するまで長生きできるようになった証である。その幸せを忘れて、じたばたするのは、わがままである。ガンは死ぬまでにかなりの時間的余裕を与えてくれる。2011年3月11日、突然、東日本大震災の津波に流されながら、なす術もなく死を迎えた方に比べれば幸せである。死の前にやるべき後片付けの仕事は多い。それをできず亡くなられた方の無念がしのばれる。

 世界一の企業価値に成長させたアップルの創業者ジョブズ氏のすい臓がん、日本の名医が治療を担当した昭和天皇の腺癌、どれをとってもお金でガンが治った例はない。それを知っていても、「金に糸目はつけないから治して欲しい」というのが人間の性である。生あるものは必ず死を迎える。それを意識して70年をどう生きたかが問われる。急に決まったわけではない。生まれたときから、死は必然である。それから逃れた人はいない。

死んでもいいから健康管理

 人の時間価値は(残りの人生価値)÷(残り時間)で表される。残り時間が沢山あるうちに、健康に留意した時間を過ごせば、終末段階で悔いがない。人生の最期で焦っても、手遅れである。そうならないように、日ごろの健康管理と精進が時間節約となる。人生を過ごすのに必要な設備は、体と頭脳と魂の健康管理である。体の健康管理を怠っては、頭脳の明晰化も魂の浄化も始まらない。死んでもいいから健康であるべきだ。死は人間には司れないが、健康管理は自分の手で管理できる。この世は因果応報。原因のない事象はない。その人の生活が、ガンを患うような生活習慣を長年続けて来たに過ぎない。金に糸目をつけない気持ちがあるなら、なぜ、金に糸目をつけず健康管理に投資をしてこなかったのか。病気やガンに100%ならない保証はないが、その確率は減らせたはず。

仏さまが呆れる

 酒は飲む、タバコは吸う、夜遊びはする、飽食はする、運動はしない、ストレスは溜める、医師は罵倒する、これで病気にならないのがおかしい。仏様もそこまでは面度を見られないよと仰せです。自分の生き様の間違いに1日早く気づけば、1日の儲けである。間違いに気づく前に、ガンが発見されたに過ぎない。ガンは身内の正常な細胞が細胞分裂で暴走を始めることで発症する。不規則な生活のツケが細胞に回され、弱い細胞が悲鳴を上げて、細胞分裂の暴走が始まる。身内の細胞をいじめた咎である。全ての原因は自分である。

エピソード  追悼の書

 東日本大震災の被害に遭われた朋友の齋藤明彦社長(盛岡・㈱電創総合サービス)が、東北の皆さんに元気になってもらうため、書の師である馬場恵峰先生(当時84歳)宅を訪問して(2011年4月2日)、哀悼の書の揮毫を依頼された。そのとき、まだ亡くなられた方の精霊が三陸海岸宮古「浄土が浜」の海水に漂っているとして、その「浄土が浜」の海水を持参して、それを使っての書の依頼である。震災後のかたづけの多忙の時期で、家族や社員の方からは白い目で見られての長崎訪問である。当時、齋藤社長の会社も甚大な被害を受け、てんてこ舞いの状態であった。従業員の方に死亡者がいなかったのがせめてもの救いである。恵峰師は海水を使っての磨墨は、そのままではかなり書きにくいとのことで、水で薄めて書かれた。考えるまもなく津波に押し流された方の無念が偲ばれる。明日はわが身と思い、時間の有限性を認識しよう。縁があって私も、その当日に恵峰先生宅を訪問した。馬場恵峰書「奥の細道全集」の写真撮影のためである。

 

図1 追悼書 加古川山荘にて(2011年4月16日 撮影 小田)

図2 馬場恵峰師と齋藤明彦社長(右) 日中文化資料館付属図書館2階   2011年4月2日

2017-07-26

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2017年7月25日 (火)

時間創出1001の磨墨智 1(改定)

1.時間の有限性に気づくのが最大の時間創出

 人生は、総合力の問われる死活ゲームである。その敵の一つは自身の優柔不断さである。己が司令官として駒を動かし相手と戦うのだが、その真の対戦相手は「時間」である。もし、己がためらっていたら、相手はどんどん先に進んでしまう。己の対戦相手は決して優柔不断でない。息をしている間に、どれだけのことを為すかである。全員の行き先が死である。そこから人生を考えること。

 

四季は、なお、定まれる序あり。死期は序を待たず。死は、前より来らず、かねて後ろに迫れり。人みな死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来たる。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満つるが如し。

        (吉田兼行『徒然草』第155段  1331年)

 

成年重ねて来たらず。一日再び晨(あした)なり難し。時に及んで当に勉励すべし。歳月は人を待たず。(陶淵明(365~427年)『雑詩十二首』)

 

時間の浪費   p 35

その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。 (セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳))

 

 セネカの言葉には死の影が付きまとう。セネカは暴君の第5代ローマ皇帝ネロロの幼年期の家庭教師として有名な哲学者・政治家である。ネロが皇帝に即位後は有能な家臣として手腕を発揮したが、不興を買い遠い異国の僻地に飛ばされたり、またローマに呼び戻されるというネロに人生の運命を弄ばされる。ネロの暴政に嫌気が指し引退を申し出でたが許されず、悶々と政治に携わることになる。最後は、ネロの気まぐれで自殺を強いられることになる。その前兆を感じているが故に、文章に死を意識した言葉が匂う。セネカは死に際し、「ネロの残忍な性格であれば、弟を殺し、母を殺し、妻を自殺に追い込めば、あとは師を殺害する以外に何も残っていない」 (タキトゥス「年代記」15.62)を残したと言われる。

 師を殺すのは、自分の過去を殺すのと同じである。時間との対戦相手は、自分を殺す教え子かも知れない。歴史書とは、運命の冷酷さを教えてくれる教科書である。

 

2017-07-25

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2017年7月24日 (月)

時間創出1001の磨墨智 647(風が吹くまで昼寝)

647.風が吹くまで昼寝をしよう

 「風車 風が吹くまで 昼寝かな」 (広田弘毅)

 不遇の時には、あがいても無駄なエネルギーを使うだけ。風が吹かない時は自分を充電する時間にしよう。風が吹いた時、充電したエネルギーが時間を圧倒する。首相を務める能力のある広田弘毅が左遷で、閑職のオランダ公使に飛ばされた。彼は、1926年(大正15年)11月から1930年(昭和5年)9月までオランダに滞在した。その時期は辛かったはずだ。彼はそのオランダ公使赴任中の雌伏期間に、本を読みまくっていた。その後、大風が吹き、外務大臣(第49・50・51・55代)、内閣総理大臣(第32代)、貴族院議員などを歴任した。第二次世界大戦後の極東軍事裁判で文官としては唯一のA級戦犯として有罪判決を受け死刑となった。その生涯は城山三郎著『落日燃ゆ』に詳しい。

長い休止符

 舟越圭「長い休止符」は、バイオリン(仕事)を奪われた演奏家が、弾きたくても楽器がなく、呆然と手を動かす様を表している。長い自身の影の横に、奪われたバイオリンが、影として地面をさ迷っている。この作品をメナード美術館(小牧市)で見て衝撃を受けた。ある時期、私も閑職に飛ばされて仕事のない悲哀を体験させられた。鬱症状もでて自殺も考えたこともある。でも意思を持って病気を治し、復帰をした。それで今の自分がある。負けていたら今はない。(著作権の関係で「長い休止符」の写真が掲載できないので、「舟越桂  長い休止符」で画像を検索して見てください。)

 その経験があるから仕事をする意味が理解できる。社員として保証されても、お金があっても、仕事がない状態は地獄である。人は失ってみて始めてその価値に気づくもの。仕事のない死んだ時間を、次のチャンスのための準備時間にしょう。それは神様が与えてくれた黄金の時間である。勉強し放題である。不遇の時期、自己充実を図っていると、組織の方からにじり寄ってくる。

図1 オランダの風車の横で 1997年

 当時、上司の不興を買って、花形の主力製品の開発業務から日の当たらない部署であるお国のプロジェクトの仕事に飛ばされた。そのプロジェクトの成果発表会を英仏蘭独の大学、研究所へ海外出張して行った。写真はオランダの国立研究所で発表をした後、市内観光で立ち寄った風車の館。本来、部長が出張するはずであったが、部長がドクターストップで海外出張できず、その代理としてお鉢が私に回ってきた。神様からのご褒美のような美味しい海外出張であった。栄光も地獄も長くは続かない。その仕事も2年後には終わり、私は超多忙の部署の異動となった。風が吹かない時期はせいぜい2年間である。長い人生中では一瞬である。

 

2017-07-24

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2017年7月23日 (日)

時間創出1001の磨墨智 18(自由の女神)

18.自由の女神を見つめよう

 導きの灯火が未来の時間を創る。ニューヨークの入り江に立つ自由の女神が、移民の人々を勇気づけて、未来の時間と希望を与え、今のアメリカの繁栄と時間を創った。

 

アメリカンドリーム  自由の女神からのメッセージ 

 フェリーから眺める自由の女神像と摩天楼の林立するウォール街の光景は、アメリカンドリームを人の心に喚起させる力を持っている。ニューヨークのベットタウンであるスタッテン島からウォール街への通勤フェリーは、この百年間に、数多くの人の夢と希望をマッハンタン島に運んできた。このフェリーから見る、海上に忽然と浮かび上がり近づいてくる女神像と摩天楼は、蜃気楼の中に浮んでくるように見え、ある種の感動をもたらす。はからずも米映画『WORKING GIRL』でメラニー・グリフィスの演じた、下積みから這い上がろうと必死の模索をするキャリアウーマン・テスの気持ちが実感として伝わってくる。この感情の高ぶりは、映画だけでは体感できなかった。この感動と気持ちの高ぶりは、日本おろか世界の他の都市や名所の訪問でも経験したことはなく、歳のせいか感動の薄くなった私にとって、初めての経験であった。日本の高層ビルを見ても、バス中からNYの摩天楼を見てもこんな気分にはならなかった。しかし、自由の女神が沖合から見守るウォール街の摩天楼の林立は、努力と才能しだいで自分がこれらのビルのひとつくらい持てる身分になれる雰囲気と、一旗上げようとする意欲を与えてくれから不思議である。

 こういう夢と意識をいつまでも持ち続けサムエル・ウルマンの言う「青春」でありたいものだ。映画の『ゴッドファーザ パートⅡ』の冒頭でも、この自由の女神の姿はアメリカへの移民の眼を通したで形で登場するが、実際に自分の眼で見ないとその実感動は体験できない。これは映画では得られなかった感動である。きっと夢を抱いてアメリカの土を踏んだ移民達は、この自由の女神の姿にどれだけ、勇気づけられたことかと思う。これが現在のアメリカを、世界一の国にした原動力の一つだと感じた。私も一旗揚げようという気になった。NYは、他の都市にはない目に見えない、何かを霊感させる力を持っている。これはNYが米国の一都市ではなく、NYとしての別の国の雰囲気を持っているせいかも知れない。(1994-05-11記)

 

青春              サムエル・ウルマン

青春とは、人生のある期間ではなく、心の持ちかたのを言う。

青春とは、薔薇の頬、紅の唇、しなやかな肢体ではなく、強靱な意志、豊潤な創造力、炎える情熱をさす。 

青春とは、人生の淵泉の清新さと、心の状態を言う。

青春とは、怯懦を退ける勇気、安易を振り捨てる冒険心を意味する。ときには、20歳の青春よりも60歳の人に青春がある。年を重ねただけでは人は老いない。理想・夢を失うときに初めて人は老いる。

歳月は皮膚にしわを増すが、情熱を失えば心もしぼむ。苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い、精神は芥となる。

60歳であろうと16歳であろうと人の胸には、驚異に魅かれる心、おさな児のような未知への探究心、人生への興味の歓喜がある。君にも吾にも見えざる駅逓が心にある。人から神から、美・希望・喜悦・勇気・力の霊感を受けるかぎり君は若い。

霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ、悲歎の氷に閉される時、20歳であろうと人は老いる。頭を高く上げ、希望の波を捉えるかぎり、80歳であろう人は青春として生きる。

     宇野収・作山宗久著 『青春』より (産業能率大学出版部刊)

 

Youth  『青春』                    Samuel Ullman

Youth is not a time of life; it is a state of mind; it is not a matter of rosy cheeks, red lips and suppleknees; it is a matter of the will, a quality of the imagination, a vigor of the emotions; it is the freshness of the deep springs of life.

Youth means a temperamental predominance of courage over timidity of the appetites, for adventure over the love of ease. This often exists in a man of sixty more than a boy of twenty. Nobody grows old merely by a number of years. We grow old by desering our ideals.

Years may wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, fear, self-distrust bows the heart and turns the spirit back to dust.

Whether sixty or sixteen, there is in every human being's heart the lure of wonder, the unfailing child-like appetite of what's next, and the joy of game of living. In the center of your heart and my heart there is a wireless station; so long as it receives messages of beauty, hope, cheer, courage and power from men and from the Infinite, so long are you young.

When the aerials are down, and your spirit is convered with snows of cynicism and the ice of pessimism, then you are grown old, even at twenty, but as long as your aerials are up, to catch the waves of optimism, there is hope you may die young at eighty.

 

 この詩は夢を与えてくれる。私もこの詩を座右銘にしている。かのケンタッキーフライドチキンのおじさんが、あの事業を50歳の半ばから始めたことを思うと、肉体的年齢で青年や老人の区別などで頓着していられまい。私は死ぬまで青春として生きていきたい。マッカーサーはこの詩を東京のGHQ執務室に掲げていた。松下幸之助翁もこの詩をアレンジして、自分の座右銘にしていた。この詩を愛読した世の著名人は多い。かのマッカーサー司令官も解任されて帰国後、議会で「老兵は死なず。ただ消えさるのみ・・ 」と演説したが、この詩が頭にあればもっと違った表現をしたと思う。なんと元気のない表現であろうかと残念に思う。私は彼が軍人としての役目を終え、次の自分の青春として役目を模索していたと私は信じている。そうでなければ、この演説は、「青春」を座右銘にしてきた人の言葉ではない。

挑戦という自己投資

 青春を続けるためには、自分への設備投資が不可欠であると思う。個人でも企業でも設備投資なくして発展はない。不況だからこそ、この投資が必要と考える。不況のとき、大多数の他社が投資できない時に設備投資した会社が、景気の回復時に勝利者になる。特に人への投資は成果が出るまで、最低10年の期間がかかる。移民たちが成し遂げた投資は、「己が新大陸へ渡るという挑戦」であった。1994年春、私にアメリカンドリームを見せてくれた国際貿易センタービル106階の「場」は、2001年9月11日、同時多発テロで消滅した。しかし自由の女神が掲げる燈火は消えなかった。

 

図1 フェリー上から見た自由の女神とウォール街ビル群

右手一番高いビルが国際貿易センタービル     1994年5月3日

図2 国際貿易センタービル106階からの展望   1994年5月5日

図3 国際貿易センタービル106階からの展望   1994年5月5日

図4 国際貿易センタービル106階からの展望  1994年5月5日

    手前の昔の移民局と自由の女神の位置関係が良くわかる

 

2017-07-23

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

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時間創出1001の磨墨智 411(磨墨修行)

墨を磨ること病婦の如く、字を書くこと壮士の如し

 

◆恵峰師の体験

 馬場恵峰師の小学生の頃のお話。馬場先生は先生の師匠から、実習で連続8時間、墨を磨らされた。一日墨を硯で磨っても磨っても、結局、墨がすれなかった。先生に、「全然磨れません」と言うと、「そうか」と言うだけでその日は終わった。その硯は、表面がツルツルで、墨が下りない硯であった。恵峰師は今にして、当時、8時間も墨を磨らされた意味が理解できたという。

◆硯の構造

 硯の表面を細かく見ると、ボンドといわれる結合材の粘土ベースの中に、ヤスリの役目をする石英が点在している。通常はその石英の尖った面が埋まっているので、柔らかい砥石でその結合部を削り取って、石英の尖った面を掘り起こしてから硯として使う。その処理がしてないと、いくら墨を磨っても、表面を滑るだけで墨が下りない。

◆墨と硯は人生の象徴

 墨を磨る行為は人生修行に象徴される。硯は世間を象徴し、尖った石英は自分への批判者、指導員である。墨は自分自身を象徴し、水は仕事を象徴する。世間という硯の面で、仕事を通して自分の至らぬ点を磨り減らして、自分の付加価値を出していく。その自分から磨り減らして出した墨で、世間様に対して、形ある貢献をする(字を書く)。人が持つ付加価値は、様々である。しかし、その付加価値を世間に問わないまま、墨の形のままで人生を終える人もいる。自分の至らぬ点を世間という尖った面が、批判、指導、援助をして、修正してくれる。人というダイヤモンドは、人を介してしか磨かれない。

 いくら力任せに墨を磨っても、世間が自分を磨く手段と考えないと、硯はツルツルしていて、墨は下りない。力任せに磨れば、机が揺れ(世間を揺さぶり、騒がせ)て、軋轢を生じなから墨が下りる。それは良い墨汁ではない。片側だけに偏向して墨を磨っても、自分の姿が片減りするだけ。形が美しくない。両側で均等に減るようにバランス良く磨る。人生修行そのものである。真っ直ぐに立てて磨れば力がいる。それは直球の人生で、効率が悪く、スマートではない。墨を45度、寝かせて、病婦の如く磨れば、力もいらない。軋轢も生じない。自分の修行として、黙々と静かに、自分を見つめ、時間をかけて墨(自分)を下ろす。それが磨墨修行である。修行と思えば、全ての事象を自分の成長の糧にできる。それが最大の時間活用です。ツルツルしているとは、世間との摩擦を回避し、自分の行為が上滑りしていること。修行として磨れば、当然、摩擦が生じるし、そこから多くの学びがある。摩擦なしに世間は渡れないし、自分の成長もない。

◆墨のキャパシティ

 書道も墨汁ですませば、一見、有効な時間は得られるように思える。しかし、墨と硯を自身の人生に置き換えると、それは借り物の人生である。墨でも数百円の墨から、昭和天皇が使われた墨(現在価格80万円)のように、その天性としてもてる能力、キャパシティは大きな差がある。そのもてる分を100%発揮して、その人の使命であり人生である。自分のもって生まれた才能を世間に問う、それが修行である。

 墨にも人にもキャパシティがある。その分を使い終わった時、人生が終わる。その墨で後世に何を残せるかが問われる。無駄にエネルギーを放射して、その墨を使うのも人生。しかし、それでは磨った墨が無駄になる。必要な時に必要なだけの墨を下ろして、そのとき求められている仕事をする。それが人生の使命である。

◆墨を磨る時間価値

 書道で、墨を磨るという無駄と思われる時間が、結局は自分を磨き、修行としての重要な時間になる。人は動物として生まれ、躾けと教育によって人間になり、世間の波に磨かれて、大人(おとな)になる。人間になっても、その世間での修行がないと、小人(ことな)のままなのだ。磨墨修行とは、自分の至らなさを実感する時間と言える。

 

図1 昭和天皇が使われたと同じ墨(馬場恵峰師蔵)

図2 墨の下りかた(45度が理想)

 

2017-07-23

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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