ma_時間創出1001の磨墨智 Feed

2017年8月 8日 (火)

410a. 時間を観る目を養え

 時間は観ることができる。時間とは命である。命を持った人間の行動を観察すれば、時間の使い方の真贋が分かる。時間の使い方の真贋を見極めるよき目を持っていても、自分の行動がそのようにできるかどうかは別である。しかし、意識して真贋を見る訓練をしていれば、人様よりも、良き時間の使い方はできるはずだ。骨董屋の小僧は、ご主人から常に本物の骨董品だけを見せられて、真贋の見分けの修行をするという。時間の使い方の本物を探して修行をしよう。いつかは時間の使い方の名人になれるはず。そのサンプルは人の顔である。

 

作品に出る時間の顔

 松本明慶大仏師は、師である野崎宗慶老師から「作品を観る目を養え」と教えられたという。自分の技術よりもほんの少し観る目を進めること、目が少し腕より良いくらいが丁度よいということである。

 自分達は、自分の人生という命(作品)を彫っている仏師である。素材から多くの部分を削り取らないと、作品が仕上らない。削り取る過程で痛みも歓びもあり、人生の創作の苦労を体験する。削り残しが多い人生とは、未完の人生である。自分の人生レベルより少し進んだ目で、自他を観察して、よりよき時間を駆使して人生を完成させるのが、人間に生まれた責務である。自分の後ろにはご先祖様の期待がある。

 

作品としての顔相

 同じ50年を生きて、苦労の有無が顔に出る。苦労をした人の顔が、そうでない人と同じ顔であるはずがない。男の顔は履歴書である。今、ネット上や雑誌、新聞、事業報告書、広告等から、成功者、経営者、政治家、犯罪者の顔写真を収集して顔相の研究をしている。その顔を見比べると、その顔にその人が、その仕事に費やした時間が見える。その経営者も、小さな会社、大きな会社にはそれ相応の顔があり、金融業や電力、ベンチチャー企業、製造業毎に、その仕事が匂う顔がある。そこに人生の時間を感じる。本物の経営をしてきたか、そうでないかは顔が伝えている。詐欺まがいの計画倒産をした経営者には、相応の顔が事業報告書の掲載されていることを発見した。 

 

2017-08-08

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年8月 7日 (月)

磨墨智 73. 勉強とは種まき

 今の勉強の果実は、10年後にしか収穫できない。勉強を続ければ、10年後には、豊かな時間を収穫できる。蒔かぬ種は、芽を出さない。芽が出れば花が咲く。人生とは、坂の上に置かれたボールのような状態である。勉強しなければ、成長しなければ、下落あるのみだ。人生で現状維持はない。現状維持は下落である。一度坂を転がり出したら、地獄に堕ちるまで止まらない。実社会では回りが勤勉に向上しているのから、学ばなければ相対的に下落となる。社会では、落ちぶれた人間は相手にされない。

 

投機と投資

 訓練と学びの関係は、投機と投資に似ている。直ぐに金儲けができるのは投機である。訓練とは、動物を報償や餌で釣って思うようにする投機行為と同じである。それは10年後、消えてなくなる。それに対して投資は教育と同じで、無償の行為である。投資の回収は10年後である。それは一生の宝となる。

 

学びの悩み

 私も仕事上の悩みから、自ら求めて多くの研修を受けてきた。その直接の研修費用の累計金額は500万円ではきかない。しかし多くの研修を受けて、逆に落ち込むことも多かった。研修でコテンパンに酷評されて、目一杯落ち込むのである。その落ち込みからの回復に、数カ月から1年もかかるときもあった。また受けた研修内容が、少しも実務で役立たないのである。仕事の悩みが全く解決しないのである。研修を受けて、テンションが上がれば、部下が引いてしまう。研修で受けた内容を話すと、周りから浮いてしまう。突っ走って、後ろを振り向くと、部下は誰もいない。周りからは変な宗教に入ったかのように、色眼鏡で見られてしまう。ミシガン大学に自費で行っても、回りからは全く無視される。科学工業英語1級に合格しても実務では、全く使う機会がない部署に異動になる。会社が吸収合併されれば、今まで役員会で承認された研修が頭ごなしに否定される。

 

費用

 研修にかけた上記の費用は、直接費用だけであるが、学習に費やした時間をお金に換算すると膨大になる。企業として考えると、人件費として1時間1万円の費用がかかる。そう計算しないと、企業として成り立たない。1日8時間、365日を資格取得の受験勉強に当てると、時間コスト1万円の計算で、1年間で2,920万円の己に対する投資となる。それを数年続けたのなら、合否は別にして、学んだことが自負となる。それが学びの財産である。

 

資格とは単なる入門証

 たとえ資格を取っても、それはその分野の入門許可証をもらったに過ぎない。その道で、資格を取らずに数十年も修行をしているプロから見れば、ヒヨコである。その資格がなくても、実務で資格者以上に稼いでいる人も多い。資格を取ればそれで終わりと思っている輩が多い。若造が記憶力だけを頼りに資格を取っても、実務者には勝てまい。その資格試験も、多すぎる受験者を落とすための試験であることが多い。落とすために、ひっかけ問題が多い。そうしないと、落とすのが目的の試験問題作成官が、上司から怒られてしまう、失業してしまう。受験生が増えるにつけて、そんなひっかけ試験問題が多くせざるを得ないようだ。そうなると段々とその学問の本質から離れていく。学問は実務を多くこなさないと、本質はつかめまい。資格は飾りである。

 

悩みからの解脱

 その悩みから解脱したのは還暦後である。多くの研修を受けてきて良かった、その効果があったと思えたのは、10年後であった。学んだ当初は、何か掴みどころが感じられないが、10年も飽きずに続けると、それが血となり肉となっているのを実感する。どんな学びも、その効果が出るのは10年後と覚悟して学ばないと、挫折をしてしまう。挫折では、やったことが無駄になる。それが還暦を迎えて悟ったことだ。それを無駄にせず、学び続けてよかったと、今にして思う。私は団塊の世代の最後の年代である。多くいた同期の仲間が、いつの間にか回りから消えていた。多くの仲間は、不本意な仕事に回されたり、辞めたり、出向させられていった。私は最後まで会社に残れて、意図通りの仕事が出来て幸せであった。それは学び続けたためだと思う。

10年前の種が花咲いている今

10年後に花咲く種を植える今

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-07

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磨墨智 620. 神様は上から見ている

 天知る、地知る、汝知る。自分が何をしているかは、天は観ている、己も知っている、地獄の閻魔大王も閻魔帳をつけながら見ておられる。見ている人は観ている。自分の行動を一番、よく知っているのは自分である。その努力の結果は、自ずと決まる。自分を助けるのは自分である。ん年後に閻魔大王様の前で恥ずかしくないようにしよう。

 ん年後の薄れ逝く意識のなかで、95年間の出来事が、走馬灯のように走り逝く。そこに後悔の念を起こすまい。満足した出来事が浮かべば、良い人生だったと満足できる。素晴らしい人生ではなかったかも知れないが、素晴らしい生き方をした、と自分を褒めてあげられるようにしよう。

観字学生菩薩

 図1は2013年9月28日8:55、大垣市立図書館開館前(9時開館) に玄関の前で、時間を惜しんで参考書を広げる中学生の姿である。学期末試験の直前の先週土日は大勢の学生(約50名)が開館前の玄関前で行列を作っていた。160席の学習室が満席であった。しかし今日の28日は3名の学生が待っているだけで、試験が終ったので現金なものである。先週の大混雑が嘘のような1週間後の土曜日朝の風景である。

 この方を「観字学 生菩薩」という。菩薩とは涅槃・真理を求めて修行中の仏の姿である。私は神様になって、菩薩様を上から眺めた気分である。いい姿を見せてもらった。この子達が将来、私の年金の原資である税金を多く納めてくれるはずである。年金菩薩様である。感謝。私も生涯現役で頑張らなくては。

 

図1 図書館開館前 に玄関で参考書を広げる中学生

 

2017-08-07

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磨墨智 435b.ことな親を鞭打て

 バブル期の育った今の親は、ゆとり教育の弊害もあり大人になっていない。叱られたことがない親を真剣に叱ろう。それが世の為、人の為、日本の将来のためになる。大人になっていない親を小人(ことな)という。大垣市立図書館の学習室でそんな親を、2013年の夏に3名ほど見た。

 2013年8月12日、学習室で子供二人連れの母親が、自分は真ん中に座り、両脇に子供を座らせて勉強をさせていた。母親はその合間に、家業の伝票処理をしている。小声で子供を教えるが、熱心であるが故に、その声は静寂な学習室では遠くからでも聞こえて迷惑行為になっていた。伝票処理で領収書のカーボン紙をビリッと破る甲高い音が、断続的に部屋の隅まで響く。己のやっている迷惑行為には無頓着である。己の子が走って学習室から出入りをするが、己の伝票処理に忙しく注意もしない。夏休みで、席が逼迫している状態であるが、母親が勉強ではなく、金儲けをしている。その占領した分、高校生の座る席が無くなる。母親はそんなことには気が回らない。4時間ほどこれが続いたので、さすがに堪忍袋の緒が切れて、私は、母親が学習室の外に出たときを見計らって叱りつけた。さすがに驚いて謝りはして退席することになった。

 

図書館員と大喧嘩

 数週間前のときも同じような母親がいて、回りに迷惑をかけていたので、警備員に注意をお願いしたが、動いてくれないので、やむなく私が注意をした。その経緯があり、今回は警備員を通さずに私が動いた。ところがそれを見て若い太った図書館職員が飛んできて、私に噛み付いてきた。「母親が涙声になっているではないですか、子供が怯えているではないですか」と。

 問題は、図書館職員が問題の本質を見ず、自分の務めも果たさず、問題を起こさないように(自分に火の粉が被らないように)、事象を押さえ込む姿勢である。ここに行政の退廃がある。問題は何か。私が叱ったのには訳がある。「母親が身勝手なことをして、学習室で静かに勉強している約50名の学生達に迷惑をかけた。母親が子供に、己の為なら公共の場でも身勝手なことをしてもいいと、背中で教えた」である。その真因を追究せず、無責任な肥満体の職員は、母親を泣かせたと私を責める。話が噛み合わないので、大喧嘩のような議論になった。私は副館長を呼んでもらったが、その副館長も来ただけで黙って見ているだけであった。市民の貴重な時間を盗む税金泥棒達である。肥満体とは、自己管理ができていない表示である。本来の図書館学習室の管理ができていない。無責任である。

 そもそも「子供が怯えている」という言葉使いが拙い。人殺しでもあれば、そんな言葉を使うのも許される。言葉使い一つでその人の教養がわかる。なぜ泣くのか、自分が悪いことが分かっているので、ずるい女は泣いて防衛する。すると私が加害者に立場が逆転する。女は弱いが、母親は強いはずである。またいかに日頃子供が叱られていないかである。我儘放題の躾をされている証しである。今の親は、叱られた経験が少ないのが原因である。それが現代の若者の悲惨な事件の頻発の原因である。現代は、生意気だからという理由だけで、女子高校生が同級生をみんなで殺してしまう時代である。その真因は、躾教育を放棄した親の責任である。

 この話をある社長に話したら、「中年女は、自分が悪いことが分かっていると泣いてごまかす。それがうまくいかないと、次は色仕掛けで来るので要注意だよ」と教えてくれた。館内レストランの方に話したら、「今の母親は、我々のような苦労をしてないので、教育がなっていない。小田さん、もっと叱ってよ」と励まされてしまった。以前に、泣いて職務をごまかした恥知らずな外務大臣がいた。小泉首相も「女には涙という武器がある」と閉口していたのを思い出した。

 

当日談

 本原稿を2013年8月15日の朝、何故か4時に目が覚めて、2時間ほどで書き上がってしまった。その後、何時もの散歩コースを回り、濃飛護国神社を回って常盤神社(大垣藩の教育の基礎を築かれた戸田公を祀る)と大垣大神宮に参拝した。その前広場で軍手をはめた掃除の身なりの人から「ありがとうございます」と言われた。この3年間、欠かさず神社の参拝を続けているが、お礼を言われたことがないので、驚いてどちら様ですかと伺ったら、「私はこの神社の宮司です」とのこと。ご縁を感じて色々とお話を伺った。この宮司は、いつもは濃飛護国神社の社におられる。この大垣大神宮は、明治天皇の直々の御下命で建立されたとか。この3年間、参拝をしているが初めて聞くお話であり、当日が終戦記念日でもあり不思議なご縁を感じた。

 ここで思いついたのは、前述の情けない親や子供の教育の件である。先の大戦で命を御国に捧げた英霊が見れば、「俺たちはこんな情けない国にするために、命を捧げたのではない」との声が聞こえたような気がする。それが宮司様の陰のお声である。その足で、予約をしておいた献花を求め(私は今月が町内のお地蔵様の月当番)、お地蔵菩薩様を何時ものようにお世話をさせて頂いた。別項の資料は、ご縁でお地蔵菩薩様の説明パネルの文面作成を依頼されて、作成した原案である。ご縁が繋がっている。

 

図1~3 濃飛護国神社

図4 大垣大神宮

 

2017-08-07

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2017年8月 6日 (日)

磨墨智 435a.子供を鞭打とう

子供を甘やかし育てるとは、わが子を死に追いやる

 教育とは無償の行為である。訓練は餌で釣る経済行為である。愛を込めて育成する心が、その子の将来の時間を輝かせる。豊かな未来の時間を創造してくれる。甘やかされて育った今の親と子供が、今の日本をダメにしている。甘やかされて叱られない子供は、我儘一杯に育つ。子供のときはそれでも良いが、大人になったとき、厳しいしっぺい返しを社会から受ける。甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べて育つと肥満体になる。当然、糖尿病等の成人病も併発する。また自制心も育たない。そんな学生を大企業が採用するはずがない。外見を見ればその人の人格や能力はわかる。そんな子は正規社員にもなれない。性格虚弱・病気持ちの若者が現代社会を生き抜くには、あまりに厳しい世の中である。行き先はフリーターか犯罪か自殺である。全ては親が甘やかした責任である。子供の未来の時間が抹殺される。それを蜂蜜殺人という。子供が間違った道に進まないように性格を躾するのが、親の責任である。それを放棄した責任は重い。

 

脳の発達

 子供の脳は3歳までに65%、6歳までに80%が完成する。その間に親の教育(躾)ができていないと、動物同然の生き物に育つ。その昔、インドで狼に育てられた狼少女が発見されたが、程度問題の差で、同じである。躾がないと自制心も自立心もない。食べたいものは食べ放題、躾や清掃清潔等の価値観が形成されない。親は子供を人間に躾をする義務を持つ。躾をしない親は、子供の将来を抹殺していると同じで、殺人者である。

 

エピソード

 2013年8月12日、大垣市学習館内のレストランで食事をしていたら、真後ろでイスをバタンと倒した子供がいた。こちらに被害はないのだが謝りもしないので、躾として注意をしたら、お祖母さんと思われる女性に、泣きながら抱きつきにいった。普通の口調で注意しただけだが、お祖母が子供をあやしながら「この子はこれでも小学2年生なのです。親が甘やかして叱らないから、いつもこんな風なんです」と申し訳なさそうに謝る。子供に謝るように諭すのだが、子供は泣いて祖母に抱きついているだけ。体格は小学6年生並みの肥満体である。外見から判断すると、甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べているようである。頭は正直に小学2年生である。これではこの子の将来は終っている。これが現代の子供の姿なのだと愕然とした。この子達が成長して私の年金の基礎となる税金を納めるはず。それが危ないのだ!

 図1 教育とは

図2 価値観教育とは

 

2017-08-06

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磨墨智 324.自分の評価価値を知ろう

約束時間への遅刻は自分への評価の逆数指数

人は潜在意識で行動し、それが約束時間に現れる。

  自分の時間を大事にする以上、他人との約束時間、特に待ち合わせ時間を守るのも、間接的に大きな節約であろう。人さまの時間を尊重しない人間に、自分の時間の大切さが分かるはずがない。曰く「遅刻は最大の拒否表現」。私は、人の評価にこの待ち合わせ時間の正確さで、判断している。その人の持つ人格、人生思想、自分への評価(自分がどの程度大事に思われているか)等なかなかに、相関係数の高い指標である。

  あと40年しか生きられない?残り少ない人生で 、付き合う人物を選別することは、己の人生密度を高めてくれる。時間にルーズな人からは、将来大きな時間泥棒的な被害を受けるはずだ。またこのことの、自分へのけじめとして、待ち合わせでは、時間に遅れない段取りをする。電車で行く場合は必ず、1本早い電車にする。そうすれば一つ乗り遅れても慌てなくて済む。現地で時間があれば、することはいくらでもある。私は待ち合わせ場所を、なるべく本屋ですることにしている。ここは早く行っても、待ちぼうけを食っても、時間を有効に使える場所だ。また人を待たせると、どうしても受け身になりがちだ。人生では自分の主体性が大事。私は、人を待たせるより、待つほうが性にあっている。

 

出入り禁止

 ある知人が会いたいというので、時間を指定した。相手の都合により指定時間より1時間早い時間で約束時間が決った。そのため図書館から帰宅する時間を1時間早めて帰宅した。ところがその約束時間になって、相手から電話がかかってきて、「今から1時間後に行っていいですか」という。当日は大した用事でもない話であった。そつなく話をして別れた。その知人とは交際を絶った。

 

--- 15分前の余裕 ---

「私の生涯の成功のすべては、他人より15分早く行動したことにある。」

 19世紀初頭、ナポレオンのフランス艦隊をトラファルガー沖で壊滅させたイギリスの名将ネルソン提督の言葉

 

2017-08-06

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2017年8月 5日 (土)

722.「鰻掴み理論」の結論は禁酒

お酒は時間と命を削る鉋

 食べ物は胃、腸で消化されるが、酒は薬物を分解する工程の肝臓でしか、分解できないので、世界保健機構(WHO)は薬物として定義している。だから宴会とは薬物パーティである。私は原則、禁酒をしています。「薬物」としてのお酒は、頭の回転を乱し、時間を削る鉋である。そんな薬物に対して、いかに自制するかが時間創造である。そもそも肝臓は、アルコールを9~12mℓ/H時しか処理できない。大人の適量は、日にビール大瓶1本(633 mℓ).日本酒で1~2本、ウイスキーで1~2杯というが、この分量では3時間も「薬物酩酊状態」に陥る。薬物酩酊状態では時間創造は不可能である。

 だから、お酒の適量はせいぜいワイン一杯(アルコール度12%)、ビール350 mℓ ( 同5%)、日本酒(同15%)半合である。宴会で禁酒をする場合は、「私は酒が飲めません」と言うか、「私は酒を飲みません(will)」と宣言するかで、意味は違う。あくまでも自分の意志(will)を明確に宣言すべきである。

「時間は最もユニークにして、かつ乏しい資源である。これをうまく活用できないものは、他のどの資源も活用することはできない。」ピーター・ドラッガー

 

鰻掴みの理論

 胃の内面の壁は、ウナギの外皮の状態に似ている。胃は自分の消化液で自身の胃壁の消化を防ぐため,表面にぬるぬるした保護膜で覆われている。それはウナギの外皮に酷似している。手では掴みにくいウナギを扱うため,手に塩を付けるか、アルコールでウナギの外皮を拭くと、容易にウナギを掴める。これと同じ状況が、塩けの多い食品を食べたり,つまみ無しに酒だけ飲んでいる時に、胃の壁に起きている。塩けの多い食品やアルコール単品で胃に入ると、胃の保護粘膜が除去され、自身の胃液で胃が傷められる。この刺激が長年続くと、胃ガンとなる。従来日本人のガンで胃ガンがトップであったのは、濃い味噌汁や漬物に代表される塩辛い食品が原因であった。試験として、純粋アルコールを細胞に注射すると、細胞が萎縮するのが観察される。アルコールを飲む場合は、事前にコーンポコタージュや牛乳を飲んで、胃壁を保護するのが欧米の家庭の知恵である。

 2001年初春,父が胃ガンの初期と診断され,その縁で上記「鰻の外皮理論」を後藤悦夫先生から教えられた。知恵は人生の危機に対して予防の杖を与えてくれる。無知は人生に壁を作り、破滅の道に導く。

 

赤ワインの勧め

 中国首都医科大学名誉教授の佐藤富雄氏は、そのお酒の中でも、赤ワインを別格として勧めている。これはあくまで薬としての話である。

 酒は「毒にも薬にも」なると評されるが、どんな理由であれお酒は体にとって「薬物」である。薬物を分解するプロセスでしか、お酒は分解できないという宿命をもっているので、世界保健機構(WHO)ではあくまでも薬物として定義づけている。それゆえ肝臓には薬物代謝として確実に負担をかけることになる。  

 だだし、そのお酒のなかでも、赤ワインだけは薬理効果がある。赤ワインの原料となるブドウの木は、直下型で地下十数メートルまで根を張っていて、その根は地下水を汲み上げている。一方、日本酒やビールの原料となる米や麦の根は、わずかの長さしかない。それでも表土のところからミネラルをはじめとする栄養分を吸収し、穀物としての成分を作っている。しかしブドウの木は10年くらいかけて途中の奥深く根を延ばし、地下水を汲み上げているのだから、果実に蓄積されるミネラルは米麦の比ではない。

 ワインは、地下水から吸収する栄養分で育てた果汁だけで、発酵させていく。しかし、日本酒はお米を蒸してそれを麹にして、さらに水を加えて発酵させている。ビールも原料が違うだけで、基本的製法は似たりよったり。こうしてワイン以外のほとんどのお酒は原料である穀物に水を加えて醸造している。だから加水せず、脱皮をしない赤ワインはまさに「純天然」である。

    (佐藤富雄著『「積極人間」は早死にする』中経出版(1997))

 赤ワインは、鉄分が多く、昔は貧血の薬として使われたくらい血液を補う働きがあり、血行を良くする働きがある。赤ワインは日本薬局方(医薬品の品質に関する国の法令)に収録されている薬です。「血液中の善玉コレステロールLDLに、活性酸素が結びつくと、善玉コレステロールの酸化LDLに変化する。赤ワインはこのLDLが酸化しにくくする作用がある(国立健康・栄養研究所 板倉弘重部長が1995年5月の日本栄養・食料学会で発表)。白ワインはブドウの実だけを搾って作られるが、赤ワインは、ブドウの皮も一緒につぶして作られる。この皮の渋みの成分はポリフェノール類の化学物質で、これが熟成して活性酸素を取り除く薬効が出ると推定される。(『壮快』1995年8月号)

 

J型曲線のピットフォール(落とし穴)

 お酒は脳を不健康にする。そんな研究結果が最近英国のオックスフォード大学から出ました。適量でも長期間継続的に飲酒していた人は、全く飲まない人やほぼ飲まない人に比べて、脳に異常が出てくることがわかったのです。記憶を司る海馬という脳の大切な部位が、お酒を飲むとその飲酒量に相関して萎縮していたのです。すなわち、お酒を飲めば飲むほど記憶力が低下するリスクが高くなるのです。

飲酒と健康についての昔の疫学研究はJ型曲線を示していました。アルコールの消費量を横軸にし、健康アウトカムを縦軸にしたグラフでの結果です。健康アウトカムとして心筋梗塞と脳梗塞をとると、全く飲まない人に比べて、適量の飲酒者は、それらの病気になりにくいという結果を示していました。そのグラフの形がJ型だったのです。

しかしながらこれらの疫学研究にはピットフォールがありました。原因と結果が逆転していたのです。体力が弱って病気の人はお酒も飲めなくなりますね。そのような人々も含めてグラフにするともともと病気の人が非飲酒者群に含まれてしまうことになります。

このような原因と結果が逆転してしまうような現象を取り除いて分析してみるとJ型の形は消失し、正の相関を示す直線となったのです。すなわち少量の飲酒でも心筋梗塞や脳梗塞になりやすくなるということが判明しました。お酒はまた、クモ膜下出血や脳出血のリスクでもあります。

メルマガ『ドクター徳田安春の最新健康医学』より

http://www.mag2.com/m/0001657727.html?l=aqy09907be

 

 私は医師でないので、正誤は論じられません。私が得た情報を公開します。判断は各自にお任せします。

酒は人類の敵である。聖者曰く「汝の敵を愛せよ」

 

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-05

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643.死にたい人を止めない

 死にたいと言ってきた人には、臓器提供をしてもらおう。できれば活きのいい状態での生体臓器提供を勧めて、その場でドナーカードにサインをもらう。そういえば(残念ながら)大抵の人は死ぬのを思い止まってくれる。そんな泣き言を言ってくる人に、まともにつきあう時間が無駄だ。冷たく突き放すのが本人の為である。心理学的に言って、泣き言を聞いてもらいたいがために、死にたいといっているだけ。それを深刻に受け止めると、相手も当方のうなずきに落ち込んでしまい、本当に死んでしまう。

 本当に死ぬ人は黙って死んでしまう。だれにも止められない。

 死ぬ死ぬと言う人で、本当に死んだ人を私はまだ見た事がない。ぜひ見ていたいもの。

 「私にその生命を下さい!」と悲痛な叫びを上げている難病に罹った人が、世にごまんといる現実を直視しよう。死にたいと言う時間があれば、1秒でも長く生きる術を考えるべし。ご先祖から頂いた命を全うすべし。

 誤って自死の道に舵を切っても、己の37兆個もの細胞は一秒でも長く生きてくれようと、心臓を動かし、血液を送り、肺を動かし、息が絶えるまで働き続ける。それこそが佛の存在である。佛はあの世ではなく、己の体の中におわします。己の37兆個の細胞の期待を裏切ってはなるまい。

 『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-05

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2017年8月 4日 (金)

340a. お世話になったら倍返し

 自分では何もできない。自分でそれをやろうとすると、その何倍もの時間とお金がかかる。それを助けてくれた、お世話になった、そのお礼を惜しんでは、バチがあたる。犬でも飼い主の恩は忘れない。それを感じないのは犬畜生にも劣る。ご恩に報いるとは、相手がかけた時間に敬意を表すること。自分の商売上の顧客の心を掴む練習をすること。中途半端にお礼をするから、お礼の成果が出ない。相手が感激すれば、そのお返しが10年後に4倍になって仏様が返してくれる。10年後でなければ、息子の代に返ってくる。ご縁を下さる人は、皆福の神。感謝の念を込めて合掌して、その人の平安をお祈りしよう。人生で一番多く恩を受けた方は、両親。せめて仏前に手を合わそう。

 

貧乏神の選別

 忘恩の人とは、己のために投入してくれた時間に、考えが及ばない思慮の浅い人だ。それに気が回らないようでは、仕事上でお客様の心を掴めるはずがない。そんな人は商売上で貧乏神である。そんな目で回りをみれば、貧乏神が見つかる。そんな貧乏神とは縁切りをしよう。授けた恩は忘れよう。それは投資である。投資とは1000人に出して、3人が返してくれればオンの字である。それで付き合いう人の本性が分かれば安いもの。その分、人を見る眼が養われた。自分の眼を養うにも、お金がかかるのです。はした金で、貧乏神が見つかり、縁切りが出来きれば、今後の人生の無駄な投資コストが削減できる。私はそうやって、多くの忘恩の輩を切ってきた。それで今の私がある。よき人に囲まれてこそ、人生の花が咲く。人はいつも仏さまから試されている。人からお世話を受けたら、それは貴方への縁切り評価試験かもしれない。

 

仇の討ちかた

 受けた仇は忘れよう。その悪縁から離れよう。仇を取るのにもお金と時間がかかる。時間の無駄の最たるもの。仇を取ってあだ花は咲かせても、実は取れない。その時間を己の成長のために時間を投入して、相手を見返そう。仇討ちは神様にお任せしよう。天網恢恢疎にして漏らさず。それが神様のお仕事だ。神様のお仕事に越権行為はいけません。

 『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-04

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90. You make it happen.

 米映画『WORKING GIRL』でメラニーグリフィスが演じた、下積みから這い上がろうと必死の模索をするキャリアウーマンのテスに、やり手の上司キャサリン(Sigourney Weaver)が下記の助言をする。「自分が時間を作るんだ」という意識づけに、私が大事にしている言葉です。個人主義社会、成果主義社会、アングロサクソン系社会(アリメカ)では自分で行動を起こさないと、誰も助けてくれない。待っていている間に時間は無為に過ぎていく。

 You don't get anywhere in this world by waiting for what you want to come to you. You make it happen. Only then... do we get what we deserve.

KATHARINE (acted by Sigourney Weaver) from Working Girl"

 女優のSigourney Weaverは、NBCの重役の娘さんである。彼女は映画『エイリアン』シリーズの主人公で有名である。私は彼女の『エイリアンⅡ』の戦う母親像に魅了された。

『時間創出1001の磨墨智』より

 

2017-08-04

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