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2020年9月18日 (金)

原因解明 大垣の没落、日本の停滞、日本人の劣化

経済成長率:

  大垣はマイナス1%、

                日本は  1%、

                欧州は  2%、

               米国は 3%  である。

この原因を解明する。

 

 米国経済の牽引役はGAFA(Google,Apple,Facebook,Amazon)である。それらの企業が躍進している要因は、革新性、多様性、女性パワー、高学歴化、グローバル性、奴隷制開放、である。

 

大垣の没落

 大垣の衰退の原因は、封建制の横行、士農工商の身分制(お役人が一番偉い。商売人は人間扱いされない)、市のインフラ投資を吝嗇、教育への費用を削減(教育を県下一最低のレベルに落とした)、小川敏の19年間の長期無為無策無能政治の横行が、衰退の原因である。

 大垣新市庁舎だけは豪華になった。それは、まるで自宅だけ豪華にして、稼ぐための能力向上に自己投資もせず、パソコンも購入せず、子供にも高等教育を受けさせないような、安サラリーマンに成り下がったのだ。吝嗇で5Sもしないから、家の中(大垣市内)はゴミ屋敷である。それでは出世など、夢の夢である。大垣が没落して、当然である。

 

日本の衰退

 日本の衰退の原因は、政府の経済政策の間違い、行政の革新性の無さ、IT化の遅れ、金儲け主義で海外に工場移転して国内を空洞化、多様性の欠如、女性パワーの活用遅れ、低学歴化、行き過ぎたグローバル経済主義化、中国の奴隷制利用での金儲け、中国の公害無視の生産で不当利益確保、である。

 

日本人の劣化

 日本人劣化の原因は、人間としての教育(修身)が無くなったためである。先祖を敬わず、年長者を敬わず、間違った個人主義の理解で、利他から利己主義の染まったのが原因である。アメリカ占領軍の日本精神破壊工作が効いてきたのが根本原因である。それが日本の衰退につながった。

 

幼稚化、サル化

 日本の指導者の幼稚化が日本の衰退に輪をかけた。政治家や指導者がサル化した。自分だけ良ければ良い、今だけ良ければよい、という利己主義の横行である。

 なぜ国のために命を落とした英霊に敬意を表するのを、中韓に遠慮せねばならぬのか。媚中議員は、中国の猿回しのサルである。媚中議員は、日本の国益を賄賂という餌でサル化して忘れたのだ。

 なぜ最近の日本人はお墓参りに行かなくなったのか。墓参りは先祖の存在を親が背中で教える教育の機会である。私は父の墓参りする背中から、それを教わった。

 

躾教育崩壊

 利己主義の横行とは、人の痛みを感じる躾が無くなったためである。利己主義で、金儲けの為なら、義理や礼を欠いても平気な日本人が増えた。

 

スマホの弊害

 スマホばかりいじって、知性を養うため本を読む人が少なくなった。日本の出版額は、1997年の8兆9280億円をピークに、2016年は5兆2750億円と42%も減少した。現在もその額は下がり続けている。それだけ日本人が本を読まなくなった。読書をして考えることが少なくなったのだ。電車の中では、読書する人は消え、スマホゲームに没頭する輩ばかりである。

 

人格欠如

 人としての教養がないから、人格・人徳で人を引っ張っていくリーダが少なくなった。信用できる人も少なくなった。大企業のトップでも不祥事が絶えない。トップとしての人格がないのだ。魚は頭から腐る。だから日本は衰退した。

 市長の多選が大垣市の衰退の原因なのに、利己主義で6選を目指す東大出の市長・小川敏がいる。19年間の長期独裁政治のど真ん中に居るとその弊害が理解できないのが、東大出の頭である。それこそ日本と大垣の衰退を象徴している。これからの日本の発展のためには、50年前の知識テストだけで選ばれた権利を獲得した者が、物事を決めてはダメなのだ。多くの人は、50年も経つと認知症にもなり、使い物にならなくなるのだ。70歳ともなれば、20%は認知症である。

 

甘やかし

 親が子供を甘やかして育てるから、上司が少し叱るとすぐ折れる人間になってしまう。鬱病等の精神疾患患者の激増である。その元凶は堕落した親である。

 

親子断絶

 年長者を敬う躾をしないから、親殺し、子殺し、孫殺しの悲惨な事件が多発する。私が小学校の頃の1960年頃はそんな話など聞いたことがない。

 その子供も親の体が不自由になると面倒も見ず、親をすぐ施設に放り込む。その子供は施設へは、滅多に面会に行かない。それが日本の現実だ。

 

ゲームの弊害

 親が子供のスマホゲームを放置するから、すぐ切れるゲーム脳の子供に育ってしまう。ゲームが日本の未来に貢献しないのに、ソニー等を筆頭に拝金主義的にそれにたかる企業が増加である。ソニー等は、それが社会に貢献しないのにも関わらず、金儲けさえできればと開発に余念がない。井深さんが草葉の陰で泣いている。

 

 金儲けの為なら、毒相当の食品をテレビコマーシャルで日本人に食べさせる風潮になった。添加剤、防腐剤、酒類も、金さえも儲かれば、やりたい放題である。テレビも食品メーカは大スポンサーなので、批判など一切しない。それが原因で日本人の2人に一人が癌になる時代となった。その原因は、日本人の人格の劣化である。今さえよければ良いという人間が増えたのだ。

 

自己啓発しない日本人

 パーソル総合研究所が昨年、アジア・オセアニア14カ国・地域で実施した調査では、「勤務先以外で行っている学習や自己啓発は?」との問いに対し、「特になにもやっていない」と答えた割合は日本(46%)と突出していた。要は入社後の成長も会社に委ねていたのだ。

(日経ビジネス 2020.09.07号p31)

 その回答で、中国は6%、韓国12%、台湾13%にオーストラリア21%であり、それと比べると異常である。自己成長に取り組まない国が成長するはずがない。

 

人の劣化

 なぜ自分は成長しないのか。ジリ貧になるのか。それは自己投資をしていないからだ。勉強しないからだ。奥さんに財布を握られ、自己投資へ費やす金がないのだ。世間の多様性を認めないから、自己中になっている。勉強していないから、人として昔に得た能力が減価償却して、能力が磨滅している。それで自分の世界に閉じこもって、他の意見の受け入れを拒否しているからだ。

 老人ホームに行くと、寂しい老人が大勢いる。それは頑固に自分の殻を大事にしているからだ。元エライさんは、「私の上席はどこですか」とのたまう。だから誰も寄り付かない。

 40年間、家と会社の間を往復するだけで、家に帰れば、「風呂、メシ、寝る」しか妻と会話がなければ、人間として劣化して当然である。妻は夫が家で勉強をしている姿を見たことがない。そうなれば、後は定年離婚か認知症への道を歩むしかない。

胸に手を当てて、自省しよう。何のために生きてきたのだ?

 

2020-09-19 久志能幾研究所通信 1754  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年8月 4日 (火)

伝承とは祈り

 私が師匠から教わった一番大事なことは、「技術はいらない。精神性と心を磨け。心が伴なわない人に、技術なんてロクなもんにはならない。」。

 私はそう教わって、次に人にそれを少しでも伝えられたらいいと思う。そうやって結果を残すことが、現場を含めて、人づくりもそうですわね。そこが一番の恩返しかなと思います。

   西山 天龍寺 庭師 平木信行氏 談

 2020年7月6日放映NHKBS「京の都を守る霊山 祈りの道」より

 

何のために?

 どんな仕事でも、イベントでも、心が籠っていない仕事は、人に感動を与えない。やっつけ仕事で、いくらイベントを上手くやっても、同窓会幹事だけが自己満足しているようでは、ガキの作業でしかない。

 その仕事は、何のために? 誰のために? 何を残すために? 何を継承するために?を自問したい。その答えは千差万別でも、それをやり遂げる人の心こそが肝要である。

 それを突き詰めると、何のために生きているのだ?

 その答えを求めて生きている人は幸せである。少なくとも、人として生まれて、学んで人間を目指して精神を磨いているからだ。

 魂の浄化こそが、動物で生まれて、人間になるための目的である。

 

 学ばないと宿命的存在、つまり動物的、機械的存在に成り下がる。学ぶことで運命的存在、つまり人間的存在になる。

               安岡正篤

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何のために市長になったのか?

 2017年12月21日、小川敏の母校の忘年会で、集まった同窓生の場で、上座にふんぞり返って小川敏は、翌年の市制100周年記念行事の件を誇らしげにぶち上げた。その忘年会の開催目的は、小川敏が同窓生にその演説をブツための集まりであった。同窓生は卒業すれば、皆同列である。それを小川敏が上座で演説をぶつように段取りした幹事は、仲間の裏切り者である。忖度である。50年前の母校の同窓会としての最初で最後の忘年会を、段取りした幹事は、その目的を忘れて走り回った。多くの同期の仲間を呆れさせた。虚しい幹事作業であったと思う。 P10909022

小川敏は何のために大垣市長になったのだ?

 その市長としての心がけがないから、市政が最低である。小川敏には、市民のためという心も大義名分もないから、大垣市は小川敏が市長になってから、19年間連続で没落し続けた。大垣市の公示地価が冷酷にそれを示している。

 

020-08-04 久志能幾研究所通信 1689小田泰仙

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2020年7月22日 (水)

書評「死という最後の未来」

石原慎太郎・曽根綾子著 玄冬舎 1500円(2020年6月20日初版)

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 死という未知を学ぶ

 私はこの本を読んで、生きる勇気を貰った。死に対して達観できて、勇気を持って人生の収穫期を生きる勇気を得た。死の直前は、人生舞台の幕が下りる寸前のクライマックスである。カーテンコールを期待して最後の頑張りをしよう。良く死ぬために、よく生きる。そういう勇気をこの本からもらった。

 曽根さんは、自然界に身を置くと、その営みに感化されて、春夏秋冬の自然の営みで、人間もそのサイクルで老い、死ぬのが納得できるという。人間は自然界の中の小さな存在だ。今の現代人はそれを忘れている。

 久しぶりに読後感の良い本に出合えた。文中に示唆に富む言葉を多く見付けた。それを下記に記す。

                    2020年7月21日読破

 

 

石原 ホーキング博士は40年前の講演会で「高度な文明を持った星は、自然の循環が狂って、宇宙時間でいうと瞬間的に滅びます」と言った。彼の言う宇宙時間の瞬間的とは、100年である。

 ホーキング博士は永遠性を肯定的に説いた人で、そういうふうに語った哲学者もいない。それと同じことを、お釈迦様も法華経も説いている。(p117)

 

延命治療はやらない

曽根 人生の最期でやってはいけないこと。点滴・胃瘻、気管切開、酸素吸入。(p159)

 

 私の母も脳梗塞で、半年間、意識もなくベッドで延命治療を受けた。自分で呼吸ができないので、酸素吸入である。そばで見ていて残酷だと思った。自分なら早く死なせて欲しいと思う。付き添いの家族が不幸である。

 

曽根 人間の一生は「永遠の前の一瞬」。(p162)

曽根 本当の友情というのは、相手の健康や幸せを望むこと。(P169)

曽根 私の場合は何も残したくはないですけれど、棺に入った時に、誰か胸元に「ミッション・コンプリート」と書いた紙をおいてくれないかしら、と思いますね。(P178)

石原 織田信長が桶狭間の戦いに出かける前に、一差し舞ったのは「敦盛」。「人間五十年、下天の内を比べれば、夢まぼろしの如くなり。一度性を受け、滅せぬ者のあるべきか。これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種ならむ。死のは一定、しのぶ草には何をしようぞ、一定かたりをこすよの」

 人は、誰か死んだ後、なんだかんだと勝手なことを言うけど、全くおこがましい、ちゃんちゃらおかしいと信長は軽蔑しているんです。(P171)

 

曽根 寿命は、聖書の中で「ヘリキア」という言葉で出てくる。ギリシア語で、意味は3つある。それは寿命、その職業に適した年齢、背丈である。どれも自分の自由にならない。命の長さは神様が決めること。(P183)

石原 大自然の中では、誰も頼れない。そいう環境に身を置かないと脳幹を鍛えられない。今の若者は、辛いことを避けて経験しないから、脳幹が鍛えられいない。今の若者は、スマホに氾濫している情報を過剰に摂取しているから、本能が衰える。頭にはどっさり実がなっているが、支えなければ肝心の幹がやせているから、なにかあると簡単にポキンと折れてしまう。(P199)

 

曽根 やはり食が大事ですから。あとはリンパマッサージ。これは定期的にやって、血流をよくしています。目を使う仕事ですし、頭皮も全部揉んでもらうんです。気持ちがいいですよ。頭蓋骨の中の血流をよくすることも重要ですから。(P203)

曽根 私は50歳になった時から、寝る前に「3秒の感謝」というものを始めた。「今日までありがとうございました」と言うんです。もしその夜中に死んだとしても、けじめをつけたことになるでしょう。死ぬことは良い制度だと思います。

 だって、「あなた自由にやりなさい」とずっと生きていたら、どこでやめたらいいかわからないじゃないですか(笑)。(P205)

 私は寝る前に、仏壇の前で仏様とご先祖に感謝をしてから眠りにつく。私は曽根さんと同じことをしている。それがけじめになっていることを教えて頂いた。

 私は馬場恵峰師の教えに従って、朝は希望を抱いて起き、夜は感謝で眠りにつく。

曽根 人は、社会貢献することが大切。年老いて、誰しも外見がどんどん衰えていきます。その人を輝かせるのは「徳」だけなんです。社会にほんの少しの奉仕もしようと思わない人は、「徳」がないのです。

 古代ギリシア語の「徳」という言葉には、卓越という意味もある。奉仕に興味がない人は、卓越もしていない。

 「受けるよりは与えるほうが幸いである」(P207)

 現代の日本社会は、貰うことばかりに狂騒している。利他の心が失われてしまった。今の日本人は心の修養が出来ていないのだ。修身の教育が必要だ。

曽根 人の役に立てるということは、自分自身の希望になる。自分にも光を与えられるということなんでしょう。(P213)

曽根 私たちは、こと中年以降は、弱っている人たちや助けを必要とする人たちの存在を、絶えず意識して生きることが必要だと思いますよ。運命を嘆いてみたり、文句ばかり言っているような人は、誰かに与えるとか差し出すとか、心に寄り添うということがまったくないように見受けられますね。(P130)

 私は嘆きばかりしていたり、未来の話をしない人とは縁を遠ざけるように心がけている。その言葉の影響を一番多く受けるのは、本人自身なのに、その人はそれに気が付いていない。そんな人と付き合っては、自分の人生のフィナーレを穢すことになる。私は少しでも、皆さんのためになる情報を提供しようと取り組んでいる。

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2020-07-22 久志能幾研究所通信 1675 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年7月17日 (金)

「コロリ菌詐欺師」の手口はファストフード以上

 私は癌の再発が怖しく、命が惜しいので、ファストフードは食べない。その昔は、牛丼、ハンバーガー、ポテトチップス、ピザ等をよく食べていた。昨年、癌の手術をしてから、南雲吉則先生の指導を受けて、ファストフードは全く食べなくなった。

 

ファストフード

 ファストフードの多くは、安価と加工しやすさを求めるため、香辛料による味付けが強い。中でも化学調味料が使われていることが多い。化学調味料は「グルタミン酸ナトリウム」(アミノ酸をタップり含んだ調味料)である。これで簡単に“うま味”が出て、美味しい料理が作れるのです。

 しかし化学調味料には「興奮性」と「依存性」があり、グルタミン酸ナトリウムは、興奮剤の神経伝達物質です。脳細胞を刺激して「報酬系ホルモン」と呼ばれるドーパミンやエンドルフィンを分泌させる性質がある。

 だから、食べるたびに、「もっと食べたい、もっと食べたい」という気になる。「もっと気持ちよくなりたい」と興奮してくるのです。

 それが過ぎると、食べないと禁断症状が出るほどになる。まさに麻薬やアルコールと同じような依存症になるわけです。(p127)

    南雲吉則著『老けない人になるもう一つの習慣』

 

コロリ菌詐欺師の手口

 コロリ菌詐欺師は、苦労をせず安易に人を騙して金を稼ぐ。独特の味付けされた手口で、金を持った老人を引き寄せ、騙して金を奪う。その手口の中でも、親切に面倒を見て、老人の話しを親身に聞いてあげて信用させ、それで財産を奪う手口が、一番効果が高い。老人は寂しいのだ。

 化覚蝶魅料の「ズル堕眠産納得利有無」には、老人がコロリと騙される魔力がある。詐欺師は汗水垂らさず、ズルをして老人を催眠術にかける様に騙せるのだ。愛に飢えた寂しい老人には、その手口がたまらく嬉しく感じる。

 実の息子は仕事で忙しく、老いた親には、滅多に会いに来ない。嫁も次男の嫁なら、親の面倒は長男がみるものとして、親の面倒など見ない。

 詐欺師は24時間、金持ち老人の財産を奪うことを考えている。詐欺師は必死なのだ。詐欺師には生活がかかっているのだ。そんな詐欺師に、老人や実の息子が勝てるわけがない。

 オレオレ詐欺や豊田商事事件の被害者のように、老人は寂しく、騙されていることが分かっていても、詐欺師のような営業マンの話を聞いてしまうのだ。

 しかしその「化覚蝶魅料」には「興奮性」と「依存性」がある。老人は、嘘でもいいから、優しくしてもらいたいのだ。優しくされれば、興奮剤の神経伝達物質と同じ機能を果たす。それは脳細胞を刺激して「報酬系ホルモン」と呼ばれるドーパミンやエンドルフィンを分泌させる性質がある。

 だから、優しくされるたびに、「もっと優しくして欲しい、もっと話を聞いて欲しい」という気になる。「もっと気持ちよくなりたい」と興奮してくるのだ。

 それが過ぎると、優しく接せてくれる「詐欺師」に会わないと禁断症状が出るほどになる。まさに麻薬やアルコールと同じような依存症になる。詐欺師はそのツボを熟知している。だからいつまでたっても、オレオレ詐欺がなくならない。

 

コロリ詐欺師の罠に負けた痴人の愛

ん億円詐欺の実例

 私の知人の80代の叔母が、この種の詐欺に巻き込まれ、ん億円の財産を奪われる寸前であった。この老女は財産があるが、息子達が家に寄り付かず、寂しい思いをしていた。

 彼女がタクシーで病院に通うとき、たまたま乗り合わせた運転手が親切にしてくれたので、いろいろと話をして、相手を気の毒になったようだ。その運転手がアパート代の支払いにも困り、この老女に泣きついてその家に転がり込んだという。その男(48歳)は、老女に多大な財産があることを知ったので、それを奪う算段を24時間、考えて実行したようだ。

 要は、自分のタクシーの仕事はおっぽり出して、80代の老女の世話を始めたのだ。つきっきりで世話をされれば、自然と情が移る。それが1年間にもなると、彼女は実の息子のように思ってしまった。何処の世界に、48歳の働き盛りの男が、80代の老女の世話をするものか。介護の資格もなく、下の世話までせねばならないのに。下心がなければ、できるはずがない。

 この6月に彼女が緊急入院をして、手術でステンを入れられて、弱気になったようだ。それで彼女は知人に、「この子を養子にしたい。実の息子には財産をやりたくない。それで手続きで手助けして欲しい」と泣きついたという。

 知人はその叔母に恩が有るので、親身に相談に乗り、遺産相続の段取りを始めたが、その途中で、おかしいことに気が付き、事実関係を調査して、詐欺だと確信したという。

 この48歳の男は、彼女の住む家、土地、株券リスト、預金の全てを把握していた。その家屋敷を売却して、土地を分割して売り、残りの土地に小さな家を建てる見積書まで取っていた。その不動産屋との契約書が2020年7月11日にその男に送られていた。知人はそれを7月13日に病院で見せられて、腰を抜かした。

 翌日7月14日、知人が実の息子と会って、それを確認すると、彼は母の入院の件も知らないし、母の財産総額も知らないという。しかし48歳の男はその財産の全貌を知っていた。所有株券リストは、7月2日付けで証券会社から発行されていた。状況から判断して、どう考えても詐欺としか考えられない。

 その息子は弁護士か警察と相談するという。詐欺師に全てを奪われる前に、なんとか間に合ったようだ。

 

再発防止

 どんな場合でも、親は子供がかわいいのだ。それが息子から無視されると、最大の悲劇を生むのだ。愛の反対は憎悪でなく、無視である。憎むのは愛があるから憎むのだ。

 親子の絆を大事にしないから、こういう事件が絶えない。修身の教育がなくなり、親を大事にする躾がなくなってしまった。それが最大の原因だと思う。

 皆さんも老人がコロリと騙される「コロリ菌詐欺師」にご用心を! その事件が起こる真因は、子供が親を見捨てているのが原因である。子供が親に会いに行っていないのだ。親は寂しいのだ。それを詐欺師に付け込まれたのだ。

 

自分の存在

 自分がこの世に存在するために2人の親がいる。その2代前には4人の親がいる。3代前には16人である。10代前には1024人の親がいる。その一人が欠けても、自分はこの世に生を受けられなかったのだ。その親を大事にしないから、子供が親を殺す凄惨な事件まで起きるようになったのだ。

 10代前には1024名のご先祖がいて、私が生を受けた。だから私はご先祖をないがしろにはできない。知人の叔母と息子に、ご先祖の繋がりの知識があればこんな詐欺に巻き込まれることもなかったのに、と思う。

 

お墓建立の経緯

 私は2015年に自家のお墓を再建した。その前にご先祖を探していて、偶然お寺から過去帳が見つかり、それから私の10代前のご先祖が見つかった。1734年没のご先祖である。それで家系図を修正したが、それでも150名ほどのご先祖までしか探せなかった。そのご先祖の戒名が、「本浄院了廓道仙居士」である。私の雅号と戒名に同じ「仙」の字があり、因縁を感じた。私に雅号「泰仙」を授けて頂いた馬場恵峰先生は、このご先祖のことは知らない。不思議なご縁である。

 私は毎朝、仏壇に生を受けたご恩のお礼を述べている。己が生を受けるとはなんと有難いことか。己は10代さかのぼれば、1024人もいるご先祖達の代表として現代を生きているのだ。恥さらしなことはできない。浄土に還ったら、ご先祖に「只今還りました」と胸を張りたい。

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  自家の家系図    2015年作成

 

2020-07-17 久志能幾研究所通信 1668 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月13日 (月)

なぜ偉くならねばならないか

 職位が上がるとより大きな仕事ができるから。

 世のために働くなら、より大きな仕事をした方が社会に貢献できる。

 偉くなると、それにつれて付き合う人もレベルが上がり、自ずと自分の人格も上がるから。

 大きな仕事をこなせば、それを肥やしに、より成長できるから。

 成長せず、現状維持でいいとは衰退していることだ。周りはハングリー精神で急成長をしている。現状維持は、相対的に没落である。自分は良いが、日本全体が、成長著しいアジア諸国から置いてきぼりを食らう。子孫が貧乏になってしまう。それを避ける為、偉くなる努力をしなければならない。

 

 今の若者は偉くなりたいという欲がない。現代は、上司の働き方の辛さを見て、管理職にはなりたくないという若者が増えた。それは親の教育が間違っていたのだ。それは上の人が、仕事の意味を正しく教えていないからだ。後ろ姿で、その意味を教えていないからだ。拝金主義の経営の為、今の管理職が、奴隷精神の管理監督者に成り下がっているためだ。だから日本の失われた30年が、いまだに続く。

 若者よ、IT武器で戦え。老人よ、魂の弾を覇気なき若者に撃て。戦わない国は、亡びる。最大の敵は、自分の怠け心。

 

我を亡ぼす者は我  安岡正篤

 「我を亡ぼす者は我なり。人、自ら亡ぼさずんば、誰か能く之を亡ぼさん。」(呻吟語)

  偉くなるとは、自己革新である。自分が変わらなければ、世の中を変えられない。変わらなければ、自滅への道を進むこと。

 自己革新も自己没落も、我の責任である。原因も結果も、自分自身にある。ローマを亡ぼしたのはローマである。日本の高度成長を生んだのも、失われた30年を生んだのも日本自身である。

 健康で戦える人生を送れるかどうかは、自分の健康管理にかかっている。自分が病気になったのも、自分の怠惰心である。

 

Img_57271s    馬場恵峰書  

 2011年4月2日、東日本大震災の後、馬場恵峰先生宅を初めて訪問して、本書をお土産として頂いた。思い出の書である。

 この時に、齋藤明彦社長が、浄土ヶ浜の海水で、恵峰先生に追悼の書を揮毫して頂くため、訪問された。偶然私は、その場に同席した。浄土ヶ浜の海水には、津波で犠牲になられた精霊がまだ漂っていた。

2020-07-13 久志能幾研究所通信 1664 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月11日 (土)

7. 学心立器

 自ら学ばない者は、30年後に認知症の運命が襲いかかる。その前にリストラの嵐に巻き込まれる。

 学ぶ気のない者を、無理に学ばせることは出来ない。立っていない器は、価値の無い器である。水を飲みたくない馬を川辺に連れて行っても水を飲まない。学ばない者は、宿命的な存在(動物)に成り下がる。

 何のために学ぶのか。自分の成長のためである。何のために成長するのか。人生航路を行く船体(自分)の性能向上である。性能を高めて、人生を闘うためである。学んで知識、能力を高めれば、より遠くに速く行くことができる。それで智慧が付けば、荒波でも難破せずに航海できる。

 

サラリーマンの偏差値

 今のデフレの時代、自分のみを自分で守らないと、明日が危ない。会社も明日が分からない。学ぶ意思のない社員は、格好のリストラ対象である。そうしないと会社自体が危ない。世界の学生は、そのために必死に学んでいる。遊んでいるのは日本の学生だけだ。その延長で、サラリーマンが自己啓発をしていない。だから日本のホワイトカラーの生産性が先進国で最低なのだ。

 

学生の質の低下

 今の学生の学力は、40年前、20年前の学生の学力と比較すると各段に落ちている。私は管理課で新入社員教育に携わったので、その現実は身をもって感じた。

 私が就職し時は、大学院卒は1割であった。ところが私が新入社員教育に携わったころは6割が大学院卒である。その大学院卒のレベルが昔の大卒レベルなのだ。

 当時学力で偏差値60くらいの能力の子が、現代では偏差値69くらいになっている。偏差値とは平均からの乖離値なので、学力が上がったのではなく、平均がそれだけ下がっている。つまり学力が低下したのだ。特に証明問題等の能力ではガタ落ちである。つまりネット等で答えだけを覚えて、途中経過の学びをしなくなったので、学生の質が落ちたのだ。だからそういう学生を受け入れた産業界で、生産性が上がるわけがない。結論は、学ばない学生が増加したのだ。

 その原因は政府の教育方針が間違っているからだ。大垣市でも小川敏が教育費をケチり、自分達の給与にお手盛りをしてしまった。これでは日本も大垣市も没落である。

 人間として、佛からの利益(りやく)として直面する現世の現実である。それは仏が人間に示す施し(利益)である。自業自得である。

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人の成長

 人間が成長をして目指す先は万能の神ではない。人間が神を目指してしまっては、「人ではない」状態になり「人でなし」になってしまう。あくまで人間として欠点を抱えたまま、成長するのを角熟という。欠点があっても得意分野があれば、欠点が人間味となる。

 みほとけは、人間が完全無欠の存在になるのを求めてはいない。持てる才能を最大限に活かす生き方を求めておられるだけである。

 単に知識の量を増やすのが人間の成長ではない。覚えていることならコンピュータに負ける。人間が成長するとは、智慧をつけること。

 正しいことだけを受け入れる器になることが人間の成長ではない。清濁併せ受け入れる度量の大きな器になることが求められる。

 修証義に曰く「侘をして自をして侘に同せしむる道理あるべし、自侘は時に随うて無窮なり、海の水を辞せざるは同事なり、是故に能く水聚りて海となるなり」

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2020-07-11 久志能幾研究所通信 1662 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年7月 9日 (木)

自分の成長戦略を立てる

何のために成長戦略を立てるのか。

 

 自分の成長が嬉しいから、成長戦略を立てる。

 学んで人になるために。

  人は動物で生まれて、学んで人になる。

  人は学ばないと、宿命的な存在(畜生)に堕ちる。 

 世のために尽くせる人間になるため。そうでない人は畜生である。

   人間とは人と人の間で生かされる存在。

 成長のための無駄な戦いを無くす(略する)ために。

  師の選択、戦友の選択に情熱をこめよ。

  師の選択が人生の戦いの天王山。3年かけて師を探せ。

 

目的達成のため

 何を得るか利益(りやく)を明確にするため。

  利益とは仏が人々に与える恵み。

  利益とは仏の教えに従うことによって得る幸福。

  いくらお金を稼いでも、あの世には持って行けない。

 人生の五福を得るため。

   五福とは、長寿、富む、健康、道徳を好む、天寿を全う、である。

 人生で一番多く時間をかけるのが仕事である。その仕事を回すため。

   その仕事がうまく行かなかったら、人生は不幸せである。

 

危機管理として

 人生航路を行く船(己の体)を安全に運ぶため。

 未来への道には危険がいっぱい。それを避けるため。

  志を高くして、慎重に暗夜を進む。そのために戦略が必用だ。

  無駄な航路に迷わないために、選択と果断が必用。

 戦いで自分を助けてくれるモノ(武器)を選別するため。

  欲しいモノが、将来自分を助けてくれるか、慎重に考えよう。

  私はそれでレクサスを手放す決断をした。

 人生の修羅場で弾を撃つ場合、どの方面に弾(金・労力)を撃つか撃たないかを決めるのが戦略である。自分の持つ弾が無尽蔵にあるわけではない。命も、日々一刻一刻と尽きていく。だから私は「時間創出1001の磨僕智」を創った。時間は命なのだ。

  人として使える日は精々21,900日(20歳から80歳までで)しかない。

  睡眠等の生活必用時間を除けば、使える時間は実質7,300日分しかない。

  目標に向かって進む時、後ろからヒタヒタと死が追いかけてくる。

  死を前提にしないから、計画が挫折する。

  いまだかって死ななかった人はいない。

 

良く死ぬため

 死に臨んで、後悔しないため。

 人生のやるべきことを明確にするため。

  よく生きた人生は、よく働いた一日のように安らかな眠りを誘う。

 何のために生きるかを明確にするため。

 生きている間に全力投球。後は野となれ山となれ。

 

4k8a9380s   馬場恵峰書   2017年

2020-07-09 久志能幾研究所通信 1660 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月25日 (木)

ピロリ菌退治で、拝金コロリ菌感染者と大喧嘩

 2020年6月24日10時、愛知県がんセンターで先日のピロリ菌駆除治療の検査結果を聞いたら、失敗とのこと。それでピロリ菌二次駆除の薬を処方してもらった。その薬を入手する祭、4つの薬局でトラブルがあり、怒り心頭である。この一連の過程で、現在の医療業界の問題点が浮き彫りになった。現代医学は仁術を忘れ、算術しかしていない。修身の教育が必要である。

 

がんセンターでの治療費に呆れ

 がんセンターの担当医師より、ピロリ菌退治の検査結果と血液検査の結果の説明を受け、今後の生活方法の指導を受けた。

 問題は、その診察費が、たった340円であったこと。医師は持てるノウハウを使い、20分間の診察をしても僅か1000円(保険の3割負担として)の報酬である。だから日本医学界は、医師が、投薬、手術で稼ぐ手段に走らざるを得ない体制となっている。このため日本が医師の診療報酬を正しく評価せず、対処療法医療を野放しにしたため、日本の医療費が膨張した。

 

日本の財政を家庭に当てはめると

 40年前の日本の医療費総額は10兆円であった。それが現在40兆円超えに増え、患者も増えた。何かおかしい。

 これを一般家庭に例えると、年収600万円の家庭が400万円の医療費を払い、1000万円の生活を維持するため、毎年400万円の借金をしている。それが積もり積もって累積借金が1億円あるようなものだ。

 現在、日本国の年間予算は100兆円、税収60兆円、医療費総額が40兆円である。累積の借金が1000兆円である。その大金に群がっているのが薬剤業界である。どんな仕事でも使命感を失い、拝金主義に染まると堕落する。

 

S薬局での怒り

 前回はピロリ菌駆除薬の入手で、がんセンターに一番近いT薬局で、不快な目に会ったので、今回はがんセンターから一番遠い、地下鉄自由が丘駅の近くの薬局で入手することにした。私は問題があれば、すぐ再発防止をする。

 入店すると店員が直ぐ、パソコンで在庫を調べて奥に行った。ところが10分間も待たされてから、言われたことは「当店では在庫がありません。がんセンターの近くの薬局にあると思いますので、そちらに行って下さい」である。

 何のためにパソコンで在庫を調べたのだと、内心怒りである。小さな薬局なので、その薬があるかどうかくらいは頭に入れろと言いたかった。パソコンで在庫を調べたのは、そういう風にして別のネットを見て遊んでいたのかとも勘ぐってしまった。

 

SS薬局での怒り

 仕方がないので、体力が落ちていて疲れた体に鞭を打ち、また来た道を戻り、自由が丘駅からの長い坂道を登り、がんセンター近くのSS薬局にたどり着いた。

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  愛知県がんセンターへの長い坂

  そこの薬局では、先客が古参の店員とやり取りをしていた。その高齢の客は認知症があるような話しぶりで、同じ話を何度も店員とやり取りをしている。私は諦めて10分ほどそれが終わるのを待っていた。

 途中で別の店員が顔を出して対応してくれた。何故、別の店員がいるなら、その古参の店員が客の来たことをその店員に告げないのか。それで10分間も無駄にした。

 その店員に欲しい薬を告げたら、彼女は「在庫を調べます」と奥に行った。次に出てきて、問診票を書いて欲しいと用紙を突き出した。

 私も疲れと今までの経緯で切れてしまい「何故、医師でもなく、治療もしない薬剤師の貴方に、こんな問診票の記載をしなければならないのか。癌患者は残り時間がないのだ。それを無視してこんな問診票を書かせるとは何事か」と凄い剣幕で噛みついたら、彼女はほうほうの体で奥に引っ込んでしまった。

 その薬局の問診票の管理からは、何も付加価値を生まない。時間の無駄である。その分、人件費と管理費がかかり薬価が高くなっているはずだ。

 その10分後、「当店にはこの薬の在庫はありません。取り寄せて、宅急便で送ります」と来た。たったそれだけで何で20分も(往復の時間を入れると30分)も無駄にしなければならぬのか。それなら大垣の地元で買えば済む話なので、時間の無駄に怒りを覚えて、注文を断り、その店を後にした。

 

M病院で落胆

 翌朝(木曜日、6月25日)、以前かかったことのある胃腸科病院に行ったら、専属薬局を紹介された。その店は木曜日が定休日で、また空振りである。

 

C薬局でキョトン

 それで以前通院した循環器系病院の専属薬局に、注文をするため行ったら、そこの在庫があるという。拍子抜けである。代価1620円を払って入手できた。

 何故、地方の小さな循環器系病院の専属薬局に在庫があって、愛知県がんセンター近辺の薬局にその癌関係の薬が置いてないのか。疑問が沸いてきた。 

P1070618s    ピロリ菌二次駆除の薬(一週間分)

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C病院での呆れと怒り

 愛知県がんセンターの用事を終え、6月24日13時、名古屋のC病院に、緊急入院した叔母を見舞いに行った。叔母は脈数が毎分30迄低下して、救急車で病院に運ばれた。この日の午前中、腕にステンを入れる手術を施したばかりである。

 お見舞いで病室にいると、主治医が来て手術とその経過についての話があった。今後、落ち着いたら、腎臓透析をするしか手がないという。若ければ腎臓移植の選択肢もあるが、高齢のため腎臓移植は法律で禁止である。今から10年後に新薬が開発されるそうだが、超高額の薬となるはずという。だから現時点では、腎臓透析しか方法が残っていない。何故そこまで担当医が病状を放置したか、怒りである。

 聞けば、叔母は腎臓が悪く、薬を15種類も飲んでいるという。それも一人の医師からの処方である。狂気の沙汰である。薬投与は対処療法で、それで病気が治るわけではない。薬は基本的に毒である。薬は患部には効くが、他の正常な組織には毒として作用する。投薬だけの治療は、医師と薬剤関係者が儲かるだけなのだ。叔母に、C病院の主治医に話して、薬を統合してもらうようにと助言をした。

 私はサプリメントは飲んでいるが、薬は飲んでいない。

 

結論

 今までを俯瞰すると、現代医学は治療をして金を稼ぐが、病気を治すわけではない。むしろ薬漬けにして患者を病気にするという現実が見えてきた。これは医療関係者が使命感を忘れて、拝金コロリ菌に侵されたためと悟った。現代医学は対処療法に邁進している。堕落である。

 予防医学では医師に正当な報酬が渡らない現在の日本の医療制度が問題である。病気を治すより、病気にならない予防医学こそが大事である。それが病気の危機管理である。

 病気とは、仏様からの警告なのだ。病気になってもすぐ死ぬわけではない。自分の生活習慣を見直せとの仏様からの助言なのだ。それを無視するから、罰があたるのだ。

 

2020-06-25 久志能幾研究所通信 1644 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年6月 6日 (土)

コロナ禍から足を洗う

 今まで私は、新型コロナウイルス対策として、外出から帰宅すると、手を15秒間、水道水で洗い、顔を洗っていた。本来、全身をシャワーで浴びると良いのだが、そこまではしていなかった。

 武漢市で新型コロナウイルスに罹患しなかった人は、外出帰宅後に、全身をシャワーで洗浄していたという。

 先日、岐阜県も非常事態宣言が解除された。今回を機に私は、「千里の道も999里を持って半ばとする」としてウィルス対策を再徹底した。

 

靴からの感染

 新たに追加した対策事項は「家に入る前に、靴裏を水で洗う」である。コロナ菌は地表に落ちても、生きている。それが靴の裏に付着して自宅内に入り込む恐れがある。我々が履いている靴も大きな感染源の一つである。私は自宅の玄関前にある水道水で靴裏を洗うことにした。

 武漢ウィルスは、段ボールの表面には最低24時間、ステンレスで最低48時間、プラスチックだと最低72時間は感染力が保っているそうだ。だから飛沫感染よりも、靴に着いたウィルスが家の中に侵入することが怖しい。

 

汚泥の世界を歩く

 我々は人生道を歩いていると、多くの汚泥の水たまりを超えねばならぬ。下手にその飛沫を受けると心まで汚れる。一回くらいならと賭けマージャンを繰り返すと、罪悪感が麻痺をする。前検事総長さえその罠に堕ちた。その悪縁から逃れるには、悪縁から足を洗うに限る。知らず知らずのうちに汚れた心を洗うように心掛けたい。

 

心を洗う

 手を洗い顔を洗っても、足を洗う人は少ない。まして心を洗う人は稀である。知らず知らずに汚れた心を放置するのを罪という。

 表の世界を豊かにしようとするなら、裏の世界も豊かにしないと、宇宙根源の法則から言って、バランスが取れない。プラスがあればマイナスがある。それで宇宙根源の理が適う。基本的な物理の法則である。華々しい栄光があれば、その裏で血みどろな修練の日があったはずだ。まず見えないものに敬意を払い、その心霊の世界を大事にして、心を清らかにしなくてはならない。

 

汚染の露見

 ある日、突然、マスコミに報道されて御用となったのが、前検事総長である。官僚の世界には、そんな例がごまんとある。知らず知らずのうちに、利己主義の垢で心が汚れていたのだ。

 大垣市は汚川の汚染飛沫が少しずつ大垣市全体を汚し、19年経って気が付いた時は、大垣駅前商店街のお店の80%が感染して死を迎えた。公示地価は暴落した。新型コロナウイルスで非常事態宣言を受けた都市と同じで、大垣市は、人通りが絶え、死の街となった。ウィルスがまき散らされたと同じ被害である。日本がデフレから脱却できないのは、心が汚れた官僚が、利己主義でのさばったためである。日本の再建は、心の再建からである。心が人生も日本の未来も支配する。

 今の日本には心の教育である「修身」の教育が必用だ。

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 馬場恵峰書  2012年

 

2020-06-06 久志能幾研究所通信 1620 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年5月17日 (日)

人として成長する

 

 人と生まれた以上は、知識・技量だけではなく、精神面を含め人格の高い人間に育たなければ、人として生きる意味がない。知識・技量の一面だけではダメなのだ。魂の浄化が一生の課題である。

 人は動物として生まれ、人になるために学び、人として死ぬために生きる。好き嫌いの感情、飲食・睡眠・交尾だけで生きては、犬畜生の動物と同じである。警察犬だって、匂いで犯人を見付ける技量は持っている。その犬だって訓練で日々成長する。犯人を捕まえる能力も上がる。しかし警察犬が幾ら技を向上させても、精神の成長はない。成長するにつけ、精神面の成長がないと、魂をもった人間の成長とは言えない。人は魂の成長を求めて道を歩む。

 しかしその成長で、完全無欠の人間を目指してはならぬ。完全無欠の人間は、人ではなく、神である。神は人ではないから「人でなし」である。

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  修身 魂の成長

 

魂の成長

 人間である以上は、成長のためには稚気を捨て、精神の修行が必用である。己は何の為に生まれたのか。己は何の為に今の職業を選んだのか。己の使命は何かを自問せねばならぬ。

 

市長の使命

 小川敏は何の為に大垣市長になったのか。市長になるのが目的で市長になったとしか思えない。彼は19年間も無為無策で過ごし、無能政治で大垣を没落させた。小川敏は、名誉欲だけで、市長の椅子に座りたいだけで、大垣市長になったのではないか。事前選挙買う道として売名行為に走り、市長候補者を蹴落とす策略ばかりに熱上げる市長では、市民が不幸である。長期に市長の座に座るだけが、その目的では、人間としての市長ではない。市長になって何がしたいのか、それが小川敏の行動からは全く分からない。

 

下品の極み

 小川敏は水饅頭のギネス共食いで、大垣市の品性を下げて、ミッキーマウスとのパレードでうつつを抜かした。こんなに税金を無駄遣いする幼稚さでは、とても人格者の市長とはいえない。とても、尊敬できるリーダではありえない。後世の人が見たら歴史の残る税金無駄遣いの愚か者である。時にはバカ騒ぎも許されるが、小川敏は動物の脳に支配された市長として、19年間も人と未来への投資をケチり、大垣財政を締め付ければ、大垣が寂れて当然だ。

 

 人間が成長するためには、稚気を去ることだ。甘える心、人に頼ろうとする心を去り、自分の足で立つことによって、人間は子どもから大人になるのだ。千載に名を残すような人物になるためには、稚気を去らねばならない。

      橋本佐内 『啓発録』

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   馬場恵峰書 2013年

 

2020-05-17 久志能幾研究所通信 1592  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。