人として成長する
人と生まれた以上は、知識・技量だけではなく、精神面を含め人格の高い人間に育たなければ、人として生きる意味がない。知識・技量の一面だけではダメなのだ。魂の浄化が一生の課題である。
人は動物として生まれ、人になるために学び、人として死ぬために生きる。好き嫌いの感情、飲食・睡眠・交尾だけで生きては、犬畜生の動物と同じである。警察犬だって、匂いで犯人を見付ける技量は持っている。その犬だって訓練で日々成長する。犯人を捕まえる能力も上がる。しかし警察犬が幾ら技を向上させても、精神の成長はない。成長するにつけ、精神面の成長がないと、魂をもった人間の成長とは言えない。人は魂の成長を求めて道を歩む。
しかしその成長で、完全無欠の人間を目指してはならぬ。完全無欠の人間は、人ではなく、神である。神は人ではないから、「人でなし」である。
修身 魂の成長
魂の成長
人間である以上は、成長のためには稚気を捨て、精神の修行が必用である。己は何の為に生まれたのか。己は何の為に今の職業を選んだのか。己の使命は何かを自問せねばならぬ。
市長の使命
小川敏は何の為に大垣市長になったのか。市長になるのが目的で市長になったとしか思えない。彼は19年間も無為無策で過ごし、無能政治で大垣を没落させた。小川敏は、名誉欲だけで、市長の椅子に座りたいだけで、大垣市長になったのではないか。事前選挙買う道として売名行為に走り、市長候補者を蹴落とす策略ばかりに熱上げる市長では、市民が不幸である。長期に市長の座に座るだけが、その目的では、人間としての市長ではない。市長になって何がしたいのか、それが小川敏の行動からは全く分からない。
下品の極み
小川敏は水饅頭のギネス共食いで、大垣市の品性を下げて、ミッキーマウスとのパレードでうつつを抜かした。こんなに税金を無駄遣いする幼稚さでは、とても人格者の市長とはいえない。とても、尊敬できるリーダではありえない。後世の人が見たら歴史の残る税金無駄遣いの愚か者である。時にはバカ騒ぎも許されるが、小川敏は動物の脳に支配された市長として、19年間も人と未来への投資をケチり、大垣財政を締め付ければ、大垣が寂れて当然だ。
人間が成長するためには、稚気を去ることだ。甘える心、人に頼ろうとする心を去り、自分の足で立つことによって、人間は子どもから大人になるのだ。千載に名を残すような人物になるためには、稚気を去らねばならない。
橋本佐内 『啓発録』
馬場恵峰書 2013年
2020-05-17 久志能幾研究所通信 1592 小田泰仙
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