i-修身 Feed

2021年8月27日 (金)

感染爆発は問題ではない。役人モラル低下が問題(3/3)

日本政府、新型コロナ感染爆発に油を注ぐ

 

被害は身近に迫る

 近所で、この23日に現役の美容師の老女が亡くなられた。弔問に行き、事情を聞けば、末期のがんであったが、このコロナ禍のおり、病院の都合で入院ができず、自宅で亡くなられたと言う。政府の無策ぶりの被害が近所まで及んでいる。安心して病気にもなれない。病気になれば自宅で野垂れ死にである。国民は政府の無策に殺される。

 

 日本政府は、河川の治水を疎かにしたように「治菌」も疎かにして、新型コロナ感染爆発(大火)を起こした。その大火の消し方も、各部門の利権が優先して、全体的にちぐはぐの対応になり、結果として感染爆発に油を注いだ。政府の各政策は、相矛盾した愚策ばかりである。組織や人は、極限状態に置かれると、その本性が露見する。要は、非常事態でも本気にならない無能な指導者たちであった。その対策施策は、感染拡大防止とは真逆の政策であった。政府や地方行政は狂っている。

 

 丸山五輪相は、8月19日の参議院内閣委員会の閉会中審査では、新型コロナウイルスの感染者急増と、五輪開催が関係ないという見解の根拠として、「オリンピックの開会式は56.4%、閉会式が46.7%と、高い視聴率を記録」と、なぜかテレビ視聴率を読み上げた。

 だが、共同通信が8月16日に公表した世論調査では、59.8%が「五輪開催がコロナ感染拡大の一因」と回答。(「女性自身」2021年9月7日号 より)

 現実が見えず、国民の声を無視する議員など、お払い箱にすべきだ。

 

 それは誰の問題か。何が問題かである。それを明確にすれば、解決は簡単である。後は実務部隊に「人モノ金」を十分に与えて対処ばよいのだ。それを曖昧のままに放置するから、対策が対処療法に終始するだけとなる。それで混乱に拍車をかけ感染爆発が起きた。それが今の姿だ。

 

Go Toトラベル、Go Toイート

 人を故意に国内を移動させて感染者を移動させ、会食を進めさせ、感染の確率をあげている。空気感染が原因である新型コロナが、人の移動の増大と密面会の拡大で拡散して当然である。全ては日本旅行協会のドンである二階俊博の利権のためであるようだ。

 

オリンピック強引開催、パラリンピック強引開催

 菅内閣の支持率回復のための姑息な手である。本来、コロナが猛威を振るっている(大雨・台風が来ているのだから、自宅待機である。松下幸之助翁は、雨が降ったら傘をさせ、という。宇宙根源の理に反している)

 結果としてペルーの選手がデルタ菌を持ち込んだが、安易に放置したため、国内に感染が広がり感染爆発が起きた。政府はひた隠しであった。それが露見して官房長官が各部署の連携が悪かったと言い訳である。

 

緊急事態宣言の乱発

 緊急事態宣言を五月雨式で乱発するから、国民は慣れて、効果が少しもでないし、逆効果である。孫子の兵法で、小出しの戦術はもっとも拙い戦法である。強制力、罰則のない規制は効果がない。外国は法律に基づくロックダウンである。そういう状況を踏まえて、法律の整備に手を付けるべきだが、政府は無為無策である。

 

医療体制の崩壊

 政府が非常事態として、全医療機関を国が統括すれば、医療崩壊などしない。英国では、政府の統括でコロナ患者の受け入れを命令して、混乱は起きていない。日本の中小病院が、経営上の理由で、診療拒否、入院拒否をしているにすぎない。一部の悪党病院経営者は、補助金だけ貰って診療拒否である。今の政府には危機状態での統括能力がないのだ。

 

パラリンピックの児童生徒の強制観戦

 政府は無用な外出を避けよと国民を強制させながら、無力な児童生徒を強制観戦させるのは、感染防止の真逆の対応である。生徒は逆らえない。

 

修学旅行の禁止通達

 その状況で、なぜパラリンピックの観戦を生徒に強制するのか。委員も親も反対しているではないか。政府も東京都も狂っている。

 

増税

 アメリカ政府は減税で、景気回復である。日本は真逆の対応で増税である。経済を分かっていない官僚がのさばっているのが原因である。だから景気対策に正しい対策が打てず、失われた30年が過ぎた。

 

ワクチン販売の推進

 ここまで感染が爆発したのだから、その治療に力を入れるべきである。長尾医師会会長もイベルメクチンの推奨をし始めた。政府の対応が遅い。政府からは、利権と縄張り争いで少しも前向きの政策が出てこない。

 そのせいで、病床のひっ迫である。新型コロナは現在エボラ熱と同じ1類に分類されているから、混乱に拍車がかかっている。インフルエンザ並みの5類に変更すれば、一般病院でも治療が出来るので、軽病者の重症化が防げるはずだ。それをしないから、自宅で重症化して死亡する人が絶えない。すべて厚生省のメンツを重んじたための醜態である。

 もとはと言えば、日本政府がワクチン開発へ金を出すのを出し渋ったための結果である。

 

水際作戦のルーズ化

 なぜ外人の入国の水際作戦でルーズな対応をするのか。それが感染爆発の原因だ。欧米は都市封鎖のロックダウンの厳しい対応である。日本は、せめて入国時の水際作戦を徹底すべきだ。しかし特例とかで、中韓の慮両者をルーズに入国管理をしている。

強行したオリンピックで、感染していたペルー関係者の入国管理がずさんだった。ばっか会長に銀座漫遊を許した政治体制は最たる悪行だ。

 

真因

 こんな悲惨な状況に追い込まれた原因は、政治家のモラルの低下、道徳の欠如である。なにせ世界汚職度(クリーン度)では、日本は18位で、先進国中で最下位である。いくら対策を出しても、役人の根性が腐っていて、保身と利権に惑わされて取り組みが本気でないので、効果が出るわけがない。だから失われた30年が過ぎ、年々、国民の年収が下がっている。我々が出来ることは、声を上げ、選挙でそういう議員に投票しないことしかない。棄権が一番よくない。棄権率が下がって、横浜市長選挙では、結果が出た。具体的に動けば、何からの具体的な答えが出るのだ。

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 馬場恵峰書 2006年

2021-08-27   久志能幾研究所通信 2133  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年8月25日 (水)

78年前は学徒出陣、今はコロナ戦線に生徒出陣、政治屋の犠牲に

 

 現在の新型コロナ戦争で、政治屋はオリンピック開催の正当化のため、「学校連携観戦プログラム」の虚名錦旗を掲げ、参加拒否の抵抗できない児童生徒をパラリンピックに集団観戦に強要している。新型コロナ戦争の最前線に生徒出陣である。感染爆発が起きている時の集団観戦は、コロナ戦場で集団感染への危険性がある。東京都を始め各地に非常事態宣言を出し、不要不急の外出を控えろと叫んでいるくせに、パラリンピックへ児童生徒の強制観戦である。何時からこんなに政治は劣化したのだ。

 オリンピックは無観客と決定したのに、なぜ児童生徒を動員するのか。なぜ韓国みたいにゴールポストを動かすのだ。ダブルスタンダードである。

 小池知事も菅総理も狂っている。危機管理とは、非常事態を想定して、行動を変えること。それを無視して猪突猛進とは、墓穴への道だ。

 子供は民族の宝なのだ。それを自分の人気取りの道具に使い、子供の命を危険に晒すとは、政治家の風上にも置けない。亡国の輩である。

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2021-08-25   久志能幾研究所通信 2131  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

感染爆発は問題ではない。課題は何か? 道徳崩壊(2/3)

 

 今の問題は、日本の衛生であるべき姿が描けないのが大問題だ。感染爆発の問題は、人モノ金を正しく投入すれば、解決する。それをケチり、不正を放置するから問題(事象)の鎮静化ができないだけだ。

 

矛盾だらけの日本医療体制

 日本では医師と病院が余っているのに、医療崩壊や診療拒否などが起きるとは、何かが狂っている。それは制度と政策が狂っているからだ。それに付け込んで、モラルなき医療関係者が金儲けのため、入院拒否、診療拒否の事態が起きている。

 2021年8月23日には、厚生労働省と東京都が、都内の全医療機関に新型コロナウイルス患者の受け入れを要請した。この非常事態宣言下で、何を今更!である。なにかが狂っている。今まで中小の病院の経営者の多くは、新型コロナウイルス患者の受け入れで経営悪化を恐れて、受け入れ拒否をしてきたのだ。これは医療の問題ではなく、医療関係者のモラルの問題だ。

 

日本の最重要課題

 それよりも重要な日本の課題とは、疫病が広がらない社会づくりである。そのために何をやるか、そのために政府機関で、防疫戦略を立てる部署や人が必要だ。今、それがない。それが問題なのに、政府は誰も口に出さない、議論もしない。

 

使命感なき為政者たち

 その最大の原因は、官僚が自分の仕事に使命感を抱いていない事だ。利権への誘惑、天下り先への気兼ね、製薬会社との癒着、医療機関との関係で、本来あるべき政策を打たなかった。だから役人に修身教育が必要なのだ。役人は拝金主義に犯されて、利己主義の塊になっている。

 日本は世界汚職度ランキングで、全世界183カ国中で18位(2019年1月現在)で、先進国中では下位である。情けない国になったものだ。それは家庭と学校で人格教育がなされていないためだ。だから金儲けだけの人間が育ってきた。

 

 管総理も、目先に支持率狙いで、やってはならないオリンピック開催を強行した。菅総理に国民の命を護るという使命感がないのだ。為政者として国民の命を考えていない。頭にあるのは支持率向上だけのようだ。リーダ失格である。

 

一手先さえ読めない政治家

 対新型コロナ戦でもワクチン戦法一本やりで、それで失敗したらどうするかまで考えていない体制である。あまりの単細胞的思考で考えが浅い。戦争で最大の戦略は、孫子の戦わずして勝つ兵法である。それは疫病が蔓延しない体制を作ればよいのだ。

 現在の役人は、ことなかれ主義・前例至上主義・責任回避主義で現在のことだけ考えて、100年後の姿など描けないから、未来のために研究開発費(ワクチンを筆頭に)をケチる。だからジリ貧となり、今になってボディブローのように感染爆発としてダメージを受ける。それは経済活動でも同じ結果である。だから失われた30年が生まれた。

 

対策

 国の為、世の為に働くことの意味を教える教育体制(修身教育)が必要だ。小手先の手だけでは、何時まで経っても問題は解決しない。それは単なる対処療法である。人が育てば、人が正しい対策をする。今は、目先のことに迷わされ、利己主義に狂っているから、後手後手の手しか打てない。

 医療体制を作る前に人を作れ。 

 

2021-08-24   久志能幾研究所通信 2130  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月30日 (金)

「自分合衆国(我集国)」建国の父を目指して

 

 自分とは、利他的な我、利己的な我、佛のような我、鬼のような我が集って、一人の人間としての自分がいる。各「自我」の要素の大小の比率で、人の性格、人格が決まる。自分は、その集合体である自分合衆国(我集国)の大統領として君臨している。やりたい放題である。その自我をどう律するかで、自分という国の成長が変わる。

 

フランクリン

 ベンジャミン・フランクリン(1706年 - 1790年)は、アメリカ合衆国の政治家、著述家、物理学者である。印刷業で成功を収めた後、政界に進出しアメリカ独立に多大な貢献をした。現在の米100ドル紙幣に肖像が描かれている。

 彼は勤勉性、真理の追究性、合理性、奉仕活動という18世紀における近代的人間像を象徴する人物である。己を含めて権力の集中を嫌った人間性は、個人崇拝を敬遠するアメリカの国民性を超え、アメリカ合衆国建国の父の一人として讃えられる。

 

建国の父

 1728年ごろ、彼は道徳的な人間に成長する計画を思いつき、その実現のため、自らの信念を13の徳目にまとめた。彼は毎週、一週間を徳目の一つに捧げて、年に4回この過程を繰り返した。それが彼をアメリカ合衆国建国の父を呼ばれるまでに成長させた。

 その内容は、仏教の戒律や豊田綱領、5S、トヨタ生産方式にも相通じる禁欲性があるが、非常に建設的な徳でもある。東西の偉人の目指すところは同じである。

 フランクリンは、彼は毎週、一週間を徳目の一つに捧げた。トヨタでは毎日、豊田綱領を唱えて社業に邁進している。私は毎日、読経をして、戒律を唱えている。同じことである。

 残念なことに、今のアメリカは拝金主義、グローバル経済主義、アメリカファースト、と建国の父の精神が衰退している。それが我が国も影響を与えている。日米の健全な精神の復活は、フランクリンの13の徳が必要だ。まず自分が、自分我集国の父になることを目指して、精進すべしである。

 

フランクリンの十三徳

節制  飽くほど食うなかれ。酔うまで飲むなかれ。

沈黙  自他に益なきことを語るなかれ。駄弁を弄するなかれ。

規律  物はすべて所を定めて置くべし。仕事はすべて時を定めてなすべし。

決断  なすべきをなさんと決心すべし。決心したることは必ず実行すべし。

節約  自他に益なきことに金銭を費やすなかれ。すなわち、浪費するなかれ。

勤勉  時間を空費するなかれ。つねに何か益あることに従うべし。無用の行いはすべて断つべし。

誠実  詐りを用いて人を害するなかれ。心事は無邪気に公正に保つべし。口に出すこともまた然るべし。

正義  他人の利益を傷つけ、あるいは与うべきを与えずして人に損害を及ぼすべからず。

中庸  極端を避くべし。たとえ不法を受け、憤りに値すと思うとも、激怒を慎むべし。

清潔  身体、衣服、住居に不潔を黙認すべからず。

平静  小事、日常茶飯事、または避けがたき出来事に平静を失うなかれ。

純潔  性交はもっぱら健康ないし子孫のためにのみ行い、これにふけりて頭脳を鈍らせ、身体を弱め、または自他の平安ないし信用を傷つけるがごときことあるべからず。

謙譲  イエスおよびソクラテスに見習うべし。

 

 馬場恵峰先生は「心に残しおく古訓言と恵峰折々の漢詩、詞文集26」でこのフランクリンの13徳から12項を挙げて揮毫された。わざと「純潔」の項を省かれたのは愛嬌である?

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 馬場恵峰書『心に残しおく古訓言と恵峰折々の漢詩、詞文集26』より

   久志能幾研究所 発行予定

2021-07-30   久志能幾研究所通信 2105  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月26日 (月)

人生とお墓の耐震対策(2/2)

 

 人が暮らすとは、日の光(日)の上で過ごすこと。お墓とは、過ごす場面が「土」の上になる。「暮」らすと「墓」は漢字下部の「日」「土」の違いで、生死が違うだけある。両方とも同じ意味である。漢字はよくできている。お墓の耐震対策も人生の耐震対策も同じである。

 

人生経営の地震対策

 会社経営では、経済環境の激変で経営基盤が揺さぶられることが多々ある。それで倒産する場合は、トップと中間管理職と一般社員とが一体感がないため、事件という激震が襲った場合、会社全体が烏合の衆になり、会社が崩れて倒産に至る。トップから一般社員まで一体となって守りの体制で取り組めば、どんな衝撃でも耐えられるはずだ。

 

 自身の人間構造でも、頭と心と体が一体となり、困難に立向かえば、人生で崩れることはない。心と体がバラバラで、肝が据わっていないから、小さな事故ですぐ挫折する。要は人生の覚悟ができていないのだ。人間が出来ていないのだ。己の戒がないのだ。危機管理ができていないのだ。

 

人生の仕事

 人生で最大の仕事は人間になることである。人は動物で生まれて、最低でも人間にならねばならぬ。しかし人は動物で生まれて、人間にまで成長できず、金だけを握りしめ、餓鬼もまま死ぬ人がなんと多いことか。

 人間として最高の出世とは、生きたまま佛になることだ。その手順がお経「修証義」に書いてある。曹洞宗道元禅師著「修証義」第三章「授戒入位」には、お葬式の手順が書かれている。それは亡くなった人が、戒名を授かり、授戒して佛になるための手順である。佛になるためにやってはならないこと、やるべきことが書かれている。死んだ人にその手順を読経で教えている。生きている人は、それに沿い、佛になる修行(事前練習)をすることだ。

 その件は、馬場恵峰先生のふた七日の法要(2021年1月14日)で、鏡園寺の住職様がお勤めの読経をして、参列者に説法をされた。それで私はふた七日の法要に参加して、初めてその内容を知った。70迄生きてきて、毎日「修証義」を読経しているのに、今までそれを知らなかったのは情けない。人生知らないことばかりである。

Dsc09930s   馬場恵峰先生のふた七日の法要  鏡園寺の住職様     2021年1月14日

 

「修証義」第三章 授戒入位

  授戒入位とは、お葬式で、来世で佛として戒(戒名)を授かり(授戒)、佛としての位を授かる儀式である。

 来世で仏道を歩むための戒めの名前が戒名である。

 佛としての第一歩は、佛・法・僧の三宝に帰依しなさい、である。

 (馬場恵峰先生の雅号が、「三寶齋恵峰」である。三寶とはこの佛・法・僧である。これは原田観峰師の名命である。凄い名前だと思う。)

 次が摂律儀戒 一切の悪不善を行わない。

 摂善儀戒 すすんで一切の善行を行う。

 十重禁戒 重要な十種の最も重い戒。

 第一 不殺生戒 生きとし生けるものの生命を大事にしなければならぬ。

 第二 不倫盗戒 盗みや不正を行ってはならない。

 第三 不邪淫戒 夫婦の道を乱してはならない。

 第四 不妄語戒 うそ偽りを言ってはならない。

 第五 不酤酒戒 迷いの酒や思想に溺れてはならない。

 第六 不説過戒 他人の過ちを言いふらしてはならない。

 第七 不自讃毀他戒 己の自慢、人の悪口を言ってはならない。

 第八 不慳法財戒 物でも心でも与えることを惜しんではならない。

 第九 不慎恚戒 激しい怒りで自分を失ってはならない。

 第十 不謗三宝戒 佛陀の教えをそしってはないない。

  以上の戒を受けることが仏門に入ることである。衆生が仏戒を受ければ、諸仏の位に入る。

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人の道

 現世でこの戒を守れれば「生き佛」様である。そうなれば、どんな人生の大災害や激震が起きても、動ぜず倒れることはない。この内容は、どの宗教でも言っている当たり前の戒律ばかりである。この教えは、本来、人が守るべき指針である。多くの人がそれに反して、欲にまみれ、道を外して歩いている。人は人の道、佛の道を目指して修行をすべきなのだ。そうすれば人生のどんな試練にも耐えられる。

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馬場恵峰書    「修証義」第三章 授戒入位

 

2021-07-26   久志能幾研究所通信 2101  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月 5日 (月)

何のために生きているのか?

 

アインシュタインの言葉

 1922年、アインシュタインが来日して京都大学の学生たちと対談したとき、一人の学生が、「人間は何のために生きているのですか?」と質問した。

 アインシュタインはびっくりしたような顔をして、

「他人を喜ばせるためです。そんなこともわからないんですか」と答えた。

 

どうすれば人を喜ばせることが出来るか?

 仕事で人に喜んでもらうのが最高である。それを人に命令されてやっているだけなら、また生きる為だけなら、動物と同じ次元である。それは生きているのでなく、生きながらえていると同じだ。

 人を喜ばすために、どう人生経営をすればよいか? 人生経営は会社経営と同じである。人生経営では、会社経営と同じ手法で成果を出せばよい。会社経営で社長は楽である。なんとか潰れないようにつなげて、次に社長に社業を渡せばよいからだ。不祥事が起きても、引責辞任すれば済んでしまう。

 しかし人生経営では、バトンタッチする相手がいない。絶望したからと沖縄の海にドボンでは済まされない。それは貴方が勝手に自分の人生に絶望したのであって、貴方の人生は貴方に絶望はしない。あんたの人生の後ろには、貴方をこの世に遣わしたご先祖様たちがいるのだ。

 

第1事項 死の意識

 人生経営有限会社の社長として、心せねばならぬ第1事項は、人は必ず死ぬという哲理である。人生目標があれば、いつも日暮れて道遠し、である。目標に向かってひたすら歩むしかない。千里の道も一歩からである。それでも後ろからひたひたと死が追いかけてくる。

 会社経営で失敗すれば、会社人生の破綻である。しかし借金や倒産は、娑婆の些細な出来事だから大した話ではない。人の世界で起きたことは、人の世界で修復できる。またゼロからやり直せばよいのだ。

 人生での失敗は、3歩進んで3歩下ると同じだが、成果はゼロではない。経験という大きな財産が手に入ったのだ。それで目標に一歩近づいたのだ。

 エリートは失敗しないように、しないようにと物事を進めるから、老いてから大失敗をして人生を失うことが多い。挫折を知らないエリートは脆いのだ。それは死を意識せず安穏と生きてきたため、それで晩節を汚す。

 エリートや強欲の金持ちは、人生観、死生観のない人が多いようだ。人生観がないから、死を忘れ、使いきれないほどの金を溜め込み、権力にしがみ付き、もっとよい女が欲しいと人生驀進である。その先は死である。

 

第2事項 ご縁の取り扱い

人生経営で死は必然だから計画できる。だからこそ、一日一生として生きるべし。

人生は、机上の計画だけでは成立しない。人生一寸先は闇。計画された人生は、机上の空論になる場合が多い。人生経営では、ご縁こそが運命を左右する。だからこそ出会いを大事にすべきだ。

 縁ありて花開き 恩有りて 実を結ぶ

 

第3事項 強みは何か

 人生で成果を出すためには、自分の強みを知るべきだ。人は万能の神ではない。自分が人よりも優れた才能で勝負をすべきである。レッドオーシャンでは天才の戦場である。凡才が勝てるわけがない。凡才はブルーオーシャンで戦えばよい。

 

第4事項 顧客は誰か

 誰のためにやるのかを明確にする。人生経営で、最大の顧客は誰だ?

 最大の顧客とは自分自身である。それを「どうせ自分なんか」と思っていては、決して成果は上がらない。大義名分の立つ社会に役立つ事を目指せ。そうすれば五右衛門風呂の定理で、その恩恵が自分に回ってくる。

 

第5事項 人生の大事とは

 自分にとって「人生の大事」は何なのか。言い換えるとそれが「使命」である。

 人生のクライテリア(基準)を明確にすべきだ。それはテクニカルライティングの基本姿勢と同じ。何に基づいて人生を歩むのだ?

 それを枝葉末節の目的を追うから、人生経営で失敗をする。

 

 されば一生のうち、むねをあらましきから事の中に、いずれかまさるともよく思い比べて、第一の事を案じ定めて、其の外は思い捨てて一事にはげむべし。(徒然草188段-3)

 

第6事項 成果の指標

 成果は何によって計るのか

 「人を喜ばせる」が成果なら、その指標を考えて行動しよう。

 成果を数値目標に落とし込まないと、人生で曖昧さが出る。

 

第7事項 使える資源の活用

 自分が使える資源を明確にする。それを使って効率的に成果を出せ。猫の手、孫の手も借りよ。なにかようかい?と言ってきた妖怪の手さえも借りよ。全てご縁である。ワケあって出会ったご縁である。仏様の手配なのだ。

 

 ROA(総資産利益率)=(利益)÷総資産(負債+純資産)

 

 すべての資産は、他人から借りた資本(負債)と自分の資本(純資産、自己資本)に分けられる。総資産利益率(ROA)は、総資産(負債+純資産)に対する利益の割合である。ROAは総資産を使ってどれだけ利益を生み出したかを表す指標となっている。

 師から教えてもらったことは、人生経営の負債である。借金は返さねばならぬ。利子を付けて世の中に返すべきなのだ。

 株主の立場から見ると、総資本利益率が高い会社は「自分が投資したお金を使って効率よく稼いでいる会社」である判断される。逆に、総資本利益率が低い会社は「経営効率の悪い会社」である判断され、投資家からのお金も集まりにくい。

 「経営効率の悪い人生会社」では、自分人生有限会社の株主である仏様やご先祖様から、援助が受けにくい。目に見えない財産こそ、大事なのだ。

 

自己資本

 自分の資本とは、時間、人、能力、金(財産)である(人、モノ、カネ、時間、情報)。それは人が「誰に会い、何に金を使い、何に時間を投じたか」で、持てる人生資源の増減が決まる。それで投下資本が決まる。

 

時間という資源

 時間一つをとっても、健康に留意して長生きした人と、体力に任せて馬車馬のように驀進した人とは、使える残時間(生きる長さ)が違い、その成果が違う。体力に任せて馬車馬のように驀進しても、長くは続かない。死んでもいいから健康管理である。人生工場のフォークリフトは自分の体である。

 貝原益軒も言う「人の命は、もとより天にうけてうまれ付けたれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短し。然れば長命ならむも、短命ならむも、我心のままなり」

P10700601s 馬場恵峰書

2021-07-05   久志能幾研究所通信 2080  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年7月 2日 (金)

脳という器の発達

 

 子供の脳は3歳までに65%、6歳までに80%が完成する。その間に親の教育(躾)ができていないと、動物同然の生き物に育つ。その昔、インドで狼に育てられた狼少女が発見されたが、程度問題の差で、同じである。躾がないと自制心も自立心もない。食べたいものは食べ放題、躾や清掃清潔等の価値観が形成されない。親は子供を人間に躾をする義務を持つ。躾をしない親は、子供の将来を抹殺していると同じで、殺人者である。Photo

 技術教育テキスト 2005年

 

エピソード

 2013年8月12日、大垣市文化センター内のレストランで食事をしていたら、真後ろの大きな体格の子供がイスをバタンと倒した。こちらに被害はないが、謝りもしないので、躾として注意をしたら、泣きながら、お祖母さんと思われる女性に抱きつきに行った。普通の口調で注意しただけだが、お祖母が子供をあやしながら「この子はこれでも小学2年生なのです。親が甘やかして叱らないから、いつもこんな風なんです」と申し訳なさそうに謝る。子供に謝るように諭すのだが、子供は泣いて祖母に抱きついているだけ。

 その子は小学6年生並みの体格で、肥満体である。外見から判断すると、甘いもの、清涼飲料水、ポテトチップス等のファーストフードを食べたいだけ食べているようである。頭は正直に小学2年生である。これではこの子の将来は終っている。これが現代の子供の姿なのだと愕然とした。この子達が成長して私の年金の基礎となる税金を納めるはず。それが危ない!

 

そんな子が成長すると

 最近もアピタ大垣店の生鮮食品売り場で、マスクをしているが、展示食品に顔を近づけ息を吹きかけるが如く、スマホで家族と相談しながら品定めをしている若い女性がいた。このコロナ禍の非常事態宣言下に非常識である。マスクをしても息の20%は漏れるのだ。思い余って注意をしたら、ぷいと横を向いて行ってしまった。それでも決してスマホの会話は止めなかった。この女は先の小学校2年生とオツムのレベルは変わらないと感じた。この女は、我が子にどんな躾をしていることやら。情けない日本になったものだ。すべて親の躾が悪いのが元凶だ。

 

日本の衰退の元凶

 日本は今、失われた30年でかっての経済大国が失意のどん底である。その不景気に中、うまい汁を吸って人生を謳歌している国賊者がいる。利己主義、拝金主義にまみれて野獣のような汚職、職権乱用、脱税、人権蹂躙、情報漏洩、危機管理無視で金を稼いでいる輩たちである。幼少の頃から利他の躾を受けなかったのだろう。弱肉強食の世界を親に躾けられたのだろう。それが今の日本の衰退の元凶である。

 

   『命の器で創る夢の道』 p172

 2021-07-02   久志能幾研究所通信 2077  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月14日 (月)

良く死ぬために、断縁捨利離業(4/7)

 

悪縁が人生を狂わせる

 朱に交われば赤くなる。悪縁を断つべし。

 良き師につけば、薫習でよき習慣が身につく。習慣は第二の性格である。

 

 悪縁の中にあっても、泥沼の蓮のような存在をめざせ。

 高貴な蓮の花は、泥沼で清らかな花を咲かす。

 だからお釈迦様は蓮の花の上に乗っておられる。

 それに対してワサビは清流の中でしか咲かない。

 人間はワサビの人生であってはならない。

 人間は清濁があってこそ、人間である。

 

利己主義は畜生界への道

 利己を捨て、利他で生きよ。死ぬ時は、何も持って逝けない。

 人生では与えたものが、倍返しで返ってくる。時として時間を置いて、子孫に返ってくる。それでよいではないか。

 

死とは人生で最大のプロジェクト

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。人は必ず死ぬ。人は必ず老いる。

 いくら金があっても、体力的に使えない時がくる。

 私もがんの手術をしてから、金があっても沢山食べられないし、旅行したくても動けないし、モノも買えない。モノを買うにも体力がいる。神仏にすがるにも体力がいる。死んでもいいから健康が大事である。死ぬにも体力、気力、知力が必要だ。死とは人生で最大のプロジェクトである。立派に死にたい。認知症で死にたくはない。

 

責任をもって使え

 それを前提に稼いだ金は、責任をもって使いきって死ね(生きよ)。老後のために爪に火を点す生活は愚かである。そんな人に老後はやって来ない。直ぐ病気で死んで、残った金を遺族が散財する。

 お金はお足なのだ。足止めすると、お足に復讐される。

 

人生はバイキング料理店

 バイキング料理店では、食べても食べなくても料金は同じである。人生もまたバイキング料理店と同じで、やっても、やらなくて、時間は同じように過ぎていく。その終着点は死である。

 人生の取り皿に入れた物件で稼ぎ、その稼いだ金を使わないと、何のために時間(命)をかけて稼いだか無意味になる。死後、無駄飯食いの役人が、税金として没収して無駄遣いしてしまう。それでは自分の人生が徒労になる。稼いだカネを使わないなら、人生で無駄な時間を使ったのだ。その時間を使ってもっと楽しめたはず。

 

高級レストラン

 若い時は体力に任せてバイキング料理店でもよいが、熟年ともなれば、高級レストランを目指して、自分の品格を研ぎ澄ますべきだ。オリンピック選手でもないのだから、体力ではなく、人は人格で勝負をするべきだ。その人格以上の人生は作れない。人格を高めれば、お金は自ずと寄ってくる。

 

金を稼ぐのは簡単

 金を稼ぐのは簡単だ。真剣に仕事に精力をかければ、大抵成功する。しかし稼いだ金を有意義に使うのが難しい。下手に金を残すと子孫が不幸になる。

 稼いだ金が少なかったら、真剣さが足りなかったのだ。今にして、今までの真剣さが足りないと自覚するなら、今から真剣になればよい。人生で決断が遅すぎることはない。死ぬ1日前でも、心を変えれば、1日の進歩がある。

 人は集めた金ではなく、使ったもので評価される。天界に行く人と、地獄界、畜生界に行く人の差は、カネの使い方である。人間と生まれたのなら、天界を目指せ。畜生界に堕ちてはならない。

 今の世界の混乱はグローバル経済主義が放つ利己主義・拝金主義が原因で畜生界のような様になっている。グローバル経済主義が進展して、人間の格もその格差が拡大している。

 

身に付いた業を消すには、悪縁を断ち、利他で生きよ

 人生の最終目的は、佛になること。

 人間は神を目指してはならない。神とは完全無欠な存在。

 神は人ではないので、「ひと で なし」である。

 だから人は神を目指してはならない。

 佛とは、人間味溢れた「ほとけさま」のこと。

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煩悩を消す必要はないが、少なくせよ

 生物として、生きたいという欲まで消せば、殺されてしまう。

 欲があってこそ、人間である。レベルの高い欲を持て。

 色欲まで消せば、人という種が滅んでしまう。色も必要だ。

 程よい色欲で、こんがりと人生を焦がせ。

 

積善の家には必ず余慶あり

 積善は、子孫のためにすること。自分がその恩恵を受けようと思っては罰が当たる。ご先祖の積善があって、今の自分がある。徳の循環である。

 自分が孤児であったら、今の(昔の人の生活に比べれば)贅沢な生活はできていないはず。両親、ご先祖に感謝である。

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  馬場恵峰書

2021-06-14   久志能幾研究所通信 2059  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2021年6月 9日 (水)

欧米型の食事で乳がんになる

 

乳がんリスク

 欧米型に偏り過ぎると  リスク1.3倍

 喫煙          リスク1.9倍

 (夫の喫煙で      リスク1.4倍)(別資料で)

 (夫・息子の喫煙で   リスク2.0倍)(別資料で)

 大量飲酒        リスク1.8倍 (飲まない女性に対して)

 肥満          リスク上昇

 

 国立がん研究センターの研究グループは、1995~1998年の間に食生生活のアンケート調査をした。それに回答した45~74歳の女性49,552人を2012年まで追跡調査して、期間中に718人が乳がんと診断された。

 調査では、食生活を下記の3つに分類して、134品目の食品や飲料の摂取量を点数化して比較した。

 1 健康型  野菜・いも・大豆製品

 2 欧米型  肉類、パン、乳製品

 3 伝統型  ごはん、味噌汁

 

 以上は2016年6月2日、6月20日の日本経済新聞記事の要約である。国立がん研究センターは「欧米型の食事が乳がんを誘発する危険が高い」と警告している。その予防策として推奨しているのは、バランスの良い食事、禁煙、禁酒、運動、体形、感染防止の6項目である。周知の当たり前の対策である。それが現代人は守れない。

 

 それから5年経った現在で、状況はまるで変っていない。癌患者は増える一方である。がんは生活習慣病であることが明白である。

 その間に河村義子先生が亡くなり、私にがんが発見された。自分の狂った生活を振り返り、がんは生活習慣病である事実を認識した。

 食品業界もマスコミも、がん撲滅の取り組みを全く無視である。そんな品行方正な生活をされては、会社が儲からないからだ。マスコミはスポンサーの食品業界さま様である。迎合することはあっても批判は絶対にしない。マスコミは健康に悪い食品のCM放映、グルメ番組制作に狂騒している。日本経済新聞でさえ、酒やスィーツ等の宣伝や特集記事を頻繁に掲載している。日本人はここまで精神的に劣化した。日本のがんの激増の原因は、日本人の道徳心の衰退にある。

 自分の城(体)は自分で守れ。それしかない。

 

2021-06-09   久志能幾研究所通信 2054 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2021年5月22日 (土)

自分は仕事以外に何が出来るのか?

 

 会社を定年になり、会社を離れて自分は仕事以外に何が出来るのかを、自身に問うべきである。だから第二の人生で何が出来るのかを、会社に勤めている間に道を探すべきなのだ。会社に勤めている間に、その道を歩く準備に一日の時間の1割を割いて学ぶべきだ。そうしないと、定年後、やることがなく認知症になり、早く死ぬ。

 仕事は生活の糧である。それを卒業した後が、本当の人生なのだ。家のローンも終わり、子育ても終り、これからが人生の収穫期である。それなのに、やることがないなんて、惨めすぎる。それは社畜の人生だ。

 第二の人生でやることが、魂の糧となる。己は会社生活38年間で、何をするために生まれてきたかを、悟るべきだ。

 

利己主義

 下手でもいい、何かを取り組むべき。最初は下手で当たり前。字書き恥かきというように、恥をかかないから、何事もうまくいかない。

 身の回りで問題があっても「言わぬが花」と黙っている人は、保身主義者である。自分が可愛いのだ。自分が傷つきたくないのだ。それは今まで世間様から育ててもらった御恩を忘れた畜生の行為である。

 「学びしことを人に教えざるは、借金をして返さざる如し」と福沢諭吉は説いた。今まで多くのことを人から学んできた。そのお陰で智慧ある年長者に成長したのだから、それを人に教えないと、知識泥棒になってしまう。教えないから、認知症になる。「俺には関係ない」と利己主義を出すから、認知症になる。日本では、65歳以上の15%は認知症である。グローバル経済主義の氾濫で利己主義者が増えたのも原因の一つである。

 

人に教える

 「情報」とは情けの知らせである。それを自分の頭の中で、その流れを止めるから、頭の中で腐ってくる。溜めずに、人に話してその考えを流すから新しい発想や別の情報が入り、生まれてくる。

 それはお金も同じである。お金は財産ではない。経験を得るための回数券である。それを溜めるから、有効期限切れになって腐ってしまう。若い時に使うべき経験のチャンスは、年老いてからでは有効期限切れで使えない。私も若いときにやっておくべきことが出来ず、後悔してことが多々ある。

 お金を世間に流せば、利子をつけて帰ってくる。その利子とは経験から生まれる智慧である。馬場恵峰先生は、自費で260回以上も中国に旅された。その経費は約8千万円で、お金は消えたが、それから得た智慧とご縁は消えない。得たご縁は限りない。2019年12月13日から、馬場恵峰先生は最後の中国旅行をされた。それは人生最後のお別れの挨拶回りという。実際にそうなってしまった。何ごとも永遠に続くわけではない。

 

宗教の教え

 会社生活でしみ込んだ自己中心主義を止めないと、定年後の第二の人生は寂しいものになる。仏教もキリスト教も「自己中心主義を止めなさい」が基本の教えである。欧米の企業が害毒を振りまいたグローバル経済主義、拝金主義、利己主義が日本人の心を破壊している。宗教はそれとは反対の教えである。

 己の第二の人生で、人を祈る気持ちがないと、神仏の加護はない。今の成果主義、利己主義の権現のままでは、社会に受け入れてもらえない。

 

学び

 何のために学ぶかというと、己の感性を高めるためである。感性とは教養の事。それは学習しないと身に付かない。そのために「温故知新」、「温故創新」が必用だ。

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             「修身」2004年

2021-05-22 久志能幾研究所 2028   小田泰仙

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