何のために生きているのか?
アインシュタインの言葉
1922年、アインシュタインが来日して京都大学の学生たちと対談したとき、一人の学生が、「人間は何のために生きているのですか?」と質問した。
アインシュタインはびっくりしたような顔をして、
「他人を喜ばせるためです。そんなこともわからないんですか」と答えた。
どうすれば人を喜ばせることが出来るか?
仕事で人に喜んでもらうのが最高である。それを人に命令されてやっているだけなら、また生きる為だけなら、動物と同じ次元である。それは生きているのでなく、生きながらえていると同じだ。
人を喜ばすために、どう人生経営をすればよいか? 人生経営は会社経営と同じである。人生経営では、会社経営と同じ手法で成果を出せばよい。会社経営で社長は楽である。なんとか潰れないようにつなげて、次に社長に社業を渡せばよいからだ。不祥事が起きても、引責辞任すれば済んでしまう。
しかし人生経営では、バトンタッチする相手がいない。絶望したからと沖縄の海にドボンでは済まされない。それは貴方が勝手に自分の人生に絶望したのであって、貴方の人生は貴方に絶望はしない。あんたの人生の後ろには、貴方をこの世に遣わしたご先祖様たちがいるのだ。
第1事項 死の意識
人生経営有限会社の社長として、心せねばならぬ第1事項は、人は必ず死ぬという哲理である。人生目標があれば、いつも日暮れて道遠し、である。目標に向かってひたすら歩むしかない。千里の道も一歩からである。それでも後ろからひたひたと死が追いかけてくる。
会社経営で失敗すれば、会社人生の破綻である。しかし借金や倒産は、娑婆の些細な出来事だから大した話ではない。人の世界で起きたことは、人の世界で修復できる。またゼロからやり直せばよいのだ。
人生での失敗は、3歩進んで3歩下ると同じだが、成果はゼロではない。経験という大きな財産が手に入ったのだ。それで目標に一歩近づいたのだ。
エリートは失敗しないように、しないようにと物事を進めるから、老いてから大失敗をして人生を失うことが多い。挫折を知らないエリートは脆いのだ。それは死を意識せず安穏と生きてきたため、それで晩節を汚す。
エリートや強欲の金持ちは、人生観、死生観のない人が多いようだ。人生観がないから、死を忘れ、使いきれないほどの金を溜め込み、権力にしがみ付き、もっとよい女が欲しいと人生驀進である。その先は死である。
第2事項 ご縁の取り扱い
人生経営で死は必然だから計画できる。だからこそ、一日一生として生きるべし。
人生は、机上の計画だけでは成立しない。人生一寸先は闇。計画された人生は、机上の空論になる場合が多い。人生経営では、ご縁こそが運命を左右する。だからこそ出会いを大事にすべきだ。
縁ありて花開き 恩有りて 実を結ぶ
第3事項 強みは何か
人生で成果を出すためには、自分の強みを知るべきだ。人は万能の神ではない。自分が人よりも優れた才能で勝負をすべきである。レッドオーシャンでは天才の戦場である。凡才が勝てるわけがない。凡才はブルーオーシャンで戦えばよい。
第4事項 顧客は誰か
誰のためにやるのかを明確にする。人生経営で、最大の顧客は誰だ?
最大の顧客とは自分自身である。それを「どうせ自分なんか」と思っていては、決して成果は上がらない。大義名分の立つ社会に役立つ事を目指せ。そうすれば五右衛門風呂の定理で、その恩恵が自分に回ってくる。
第5事項 人生の大事とは
自分にとって「人生の大事」は何なのか。言い換えるとそれが「使命」である。
人生のクライテリア(基準)を明確にすべきだ。それはテクニカルライティングの基本姿勢と同じ。何に基づいて人生を歩むのだ?
それを枝葉末節の目的を追うから、人生経営で失敗をする。
されば一生のうち、むねをあらましきから事の中に、いずれかまさるともよく思い比べて、第一の事を案じ定めて、其の外は思い捨てて一事にはげむべし。(徒然草188段-3)
第6事項 成果の指標
成果は何によって計るのか
「人を喜ばせる」が成果なら、その指標を考えて行動しよう。
成果を数値目標に落とし込まないと、人生で曖昧さが出る。
第7事項 使える資源の活用
自分が使える資源を明確にする。それを使って効率的に成果を出せ。猫の手、孫の手も借りよ。なにかようかい?と言ってきた妖怪の手さえも借りよ。全てご縁である。ワケあって出会ったご縁である。仏様の手配なのだ。
ROA(総資産利益率)=(利益)÷総資産(負債+純資産)
すべての資産は、他人から借りた資本(負債)と自分の資本(純資産、自己資本)に分けられる。総資産利益率(ROA)は、総資産(負債+純資産)に対する利益の割合である。ROAは総資産を使ってどれだけ利益を生み出したかを表す指標となっている。
師から教えてもらったことは、人生経営の負債である。借金は返さねばならぬ。利子を付けて世の中に返すべきなのだ。
株主の立場から見ると、総資本利益率が高い会社は「自分が投資したお金を使って効率よく稼いでいる会社」である判断される。逆に、総資本利益率が低い会社は「経営効率の悪い会社」である判断され、投資家からのお金も集まりにくい。
「経営効率の悪い人生会社」では、自分人生有限会社の株主である仏様やご先祖様から、援助が受けにくい。目に見えない財産こそ、大事なのだ。
自己資本
自分の資本とは、時間、人、能力、金(財産)である(人、モノ、カネ、時間、情報)。それは人が「誰に会い、何に金を使い、何に時間を投じたか」で、持てる人生資源の増減が決まる。それで投下資本が決まる。
時間という資源
時間一つをとっても、健康に留意して長生きした人と、体力に任せて馬車馬のように驀進した人とは、使える残時間(生きる長さ)が違い、その成果が違う。体力に任せて馬車馬のように驀進しても、長くは続かない。死んでもいいから健康管理である。人生工場のフォークリフトは自分の体である。
貝原益軒も言う「人の命は、もとより天にうけてうまれ付けたれども、養生よくすれば長し。養生せざれば短し。然れば長命ならむも、短命ならむも、我心のままなり」。
2021-07-05 久志能幾研究所通信 2080 小田泰仙
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