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2019年3月 2日 (土)

シベリア強制収容所「死への罠」

 シベリア強制収容所では、三度の食事は最低限の量しか供与されない。それで毎日重労働を強いられる。栄養失調になり下痢をして医務室の運ばれる戦友がいたが、薬がなく戻ってこない戦友が多くいた。栄養失調で倒れるのは死への切符をもらうこと。

 

極限状態の食事

 一日の食料は、朝は雑炊で茶碗に半分くらいの量である。昼食はシャビシャビのスープと黒パン350グラムであり、夕食も雑炊である。翌日の昼食のパンは夕食時に配給されるため、夕食時や空腹に耐えかねて夜の間に食べてしまう仲間も多い。そうなると次の夜まで食べるものは何もなく、栄養失調で倒れる者も多く、帰らぬ人となった仲間も多い。残酷なパンの支給方法である。

 

死の罠

 収容所の近くに保存食の塩漬けのニシンを入れた樽が置いてあった。その樽の後ろ側が壊れていてニシンがはみ出していた。飢えた戦友は、それを衛兵の目を盗んで、口に入れて食べるのだが、衛兵も見て見ぬ振りをしていたそうだ。しかし塩漬けのニシンを、そのまま空腹の胃に入るとてきめんに下痢である。下痢になれば、氷点下30度の戸外のトイレで用を足さねばならぬ。それは死を意味する。今川氏は誘惑に負けて斃れた仲間が不憫でならないという。

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2   支給されたパンの分割を殺伐たる目で見つめる

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今川順夫氏の講演会で  (現在91歳)

手にしているのが350グラムのパンの量。これで一食一人分の配給

2014816日 興文地区センター(大垣市)

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遺体埋葬

 戦友のコチンコチン凍った遺体は、有志が大八車で、死体遺棄場所に運ぶ。凍土の埋めるのだが、凍土のため土を掘ることもできず、僅かな苔を顔にかけて、手を合わせるしか手がないのである。今川氏は、亡くなった戦友が不憫でならないという。

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仲間の死

 欧米人にとって、日本人等の有色人種は、人間ではないのだ。人間でないので、死んだら、それはendで、死ではないので、その処理は、捕虜たちに勝手に任せればよいのだ。Deadなら、事後処理が必要だが、日本人はモノ扱いである。その感覚がなければ、10万人の邦人を死に追いやる強制労働はさせられまい。捕虜は、戦争に勝った方が、自由にできる戦利品なのだ。この考え方は、今でも続いている。だから、そのツケが現在の移民問題に発した欧州の混乱である。

 

米国の植民地政策

 米国は、インディアンの土地であったアメリカ大陸を強奪して、当時1000万人いたインディアンを950万人も虐殺した。現在、インディアンは50万人しか残っていない。米国人(英国人が大半)は、入植当時、インディアンからトウモロコシやジャガイモの栽培方法をインディアンから教えてもらって飢えをしのいだ。しかし米国人は、インディアンに恩を仇で返した。西部劇は、あくまで勝者の物語である。米国は、アフリカから強奪してきた奴隷を酷使して国を造った。米国人にとってアフリカ奴隷もモノである。だから、日本を焦土にして、東京大空襲で10万人を焼き殺し、広島と長崎に原爆を落とす皆殺し作戦を平気で行えた。それはナチスと変わらない。戦争犯罪として裁かれなかったのは、戦勝国であったから。

 

英国の植民地政策

 紳士の国・英国も、中国にアヘンを売って、中国人をアヘン漬けにして、因縁をつけてアヘン戦争を仕掛け、中国の領土を割譲させた。まるでヤクザである。英国は、インドを植民地にして、結果として200年間で、インド人を2600万人も餓死させたという。インド人は、英国にとって、人間ではないので、教会も公認である。根本に、キリスト教徒以外の異教徒は人間ではないとの教会の教えがある。それは当時のローマ法王も公認であった。 

 

恒久平和祈念の碑


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 雪の日の「恒久平和祈念の碑」  大垣市  2015年1月2日 

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201512日、正月早々に雪が降り、大垣市内が雪化粧に覆われた。朝の散歩で「恒久平和の碑」の前に、いつものようにいつもの時間に来て、いつものように手を合わせた。この日は寒さに震えたが、大垣の地よりも遥かに寒いシベリアの地に夏服のままで送り込まれ、強制労働を強いられた皆さんと父を思うと覚悟が新たになる。この碑の裏面の銘板に父の名も刻まれている。父の名が刻まれているのを発見したのは2014年7月のことである。この4年間、毎日この前を通っていたが気づかなかったご縁である。碑の横に立つ木は「いのちの柿の木」である。2000年に「長崎・被爆柿の木2世」の苗木を長崎から迎え、名づけられた。この写真を見てこの頁の原稿を書いている時、この木の名前をこの横に設置してある看板を見て初めて知った。この木の横を4年間通っているが、201531日になって気がついたご縁である。出会いのご縁にみほとけのお導きを感じた。

 

父が生きて帰還できたが故、今の自分の命がある。なぜ人は死鬼衆になるのか。なぜ共産主義は人の命を粗末にするのか。なぜアーリア人は民族皆殺しの死鬼業を平気で犯すのか。何故、日本の食品メーカは、日本人の命を削る食品を販売するのか。己は恒久平和のために何が出来るのか。我々は後世に何を伝えるべきか。この碑を見るたびに考えている。

 

上図は、今川順夫著『夢への挑戦の礎』より

『吾が人生の師天王』p83より

2019-03-02  久志能幾研究所 小田泰仙

 著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月 2日 (土)

河村義子先生の航跡、ピアノが奏でる人生

ピアノの原理

 ピアノはハンマーでピアノ線の弦を叩くことで音を創る。大きく叩けば大きな音が生まれ、小さく叩けば小さく鳴る。弦が叩かれて共鳴板に響いた大きな音も、何時かは闇夜のしじまに消える。大きなエネルギーを持って生まれた音も、何時かは無の空間に引き戻される。音楽として連続した音を出すには、ハンマーで弦を叩き続けなければ、音は静寂の中に消えてゆく。叩いて音を出し続けてこそ、ピアノは音楽を奏でることができる。

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   ヤマハCFX

人が奏でる音楽

 人として生を受けても、いつかは死の世界に引き戻される。生まれた以上は、世を響かせる音を出すことだ。人間として世の中に問いを発し続けてこそ、生きている証である。その問いが消えたとき、静寂な死の世界が広がる。

 世の中に響かない活動は、死の演奏である。動いて、話して、書いて、モノを生み出してこそ、世に問う音が響く。世の中という共鳴板に共鳴してこそ価値がある。己の力で鳴らない隣の弦を共鳴させてこそ生きている証である。ベーゼンドルファーのピアノにあるプラス9本の弦は、弾かれず鳴りはしないが共鳴して音に芳穠さを与える。自分の弦を鳴らしても、単弦が鳴るだけでは、音は死の闇に吸い込まれる。デッドの劇場では成果が闇に吸い込まれる。場と付き合う人を変えて、ライブの世界に身を転じてこそ仕事をする価値が生まれる。出した音に共鳴してくれる聴衆があっての人生である。

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 サマランカホール(岐阜市)

音を作る

 ハンマーは自分、弦は仕事、社会である。ピアノのフレームは自分の体である。まず自分の体がしっかりしていないと良い音は出せない。

 同じ鍵盤を弾いても、ハンマーが叩いて出す音は同じではない。叩く速度や加速度が違えば音も変わる。だから何千回、何万回と弾き込まないと納得できる音は完成しない。練習の励むのは技量を身につけるためだけではない。人間としての変容を目指すのだ。人間が変容してこそ、出す音が変わる。自分の修行(練習)量によって出る音に差があることが分かるには、鍛錬という修行をつんだ後である。職人として同じ製品を作るにしても、名人と呼ばれる人は、日々向上を目指しており、その作品に違いが生まれる。同じ鍵盤を叩いても、回りの状況や指に込める思いの差により、出てくる音は輝きもするし、悲しみを漂わせる音色ともなる。音は回りで自分を支える聴衆とのハーモニーなのだ。

 

 私はいくら指が動いても音に輝きがなかったらピアノ本来の持っている良さは出ないと思うんです。確かに指が動くことも大事ですが、良い音色を出せるか否かは、自分の耳が納得するまでその音を何千回、何万回と繰り返すことでしょうか。(ピアニスト 川上ミネ)  『致知 2014-2 p76』

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  河村先生の弾く手  2015年1月23日

人生交響曲

 人生のご縁が並ぶ鍵盤の前で、どのキーを弾くかは自由である。自分と言うハンマーで、ご縁を叩いた結果が自分の命の響きなのだ。「命」とは、「人」を棒(「―」)で「叩」くと書く。人の人格では、ご縁(仕事・人・事件)の叩き方が問われる。一音一音を叮嚀に慎重に心を込めて叩きたいと思う。

 自分が生きた証を音の余韻として、どれだけ永く世に残せるかが、生き様として問われる。人生舞台の幕が開き、自分の仕事(演奏)が人生ホールに響き渡る。幕が開く前の血の滲む訓練が、問われる瞬間である。自分が鍵盤を叩いた練習量に比例して、その音は遠くにまで響いていく。そのエンディングで、どんな曲を奏でるのかを考えたい。死に様まで考えた編曲・演奏をして、人生劇場を飾りたいと思う。幕は下りても演奏の余韻は残る。心地よい余韻を残して人生舞台を去りたいと思う。

 

航跡

 「かすみの会」を運営し、「カナデノワ コンクール」や多くの演奏会を主催し、多くの後進を育てた河村義子先生は、何時までも多くに人の心の中に残る美しい航跡を残してくれた。航跡(wake(behind a sailing ship)とは、船が残す波の跡である。船が行ってしまっても、その航跡が長く続くほど、その方の偉大さがわかる。感謝。

 『師天王が詠う老計・死計』p198より

2019-02-02 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年2月 1日 (金)

第二の人生は自力で飛ぶ

 定年後の第二の人生は大型ジェット旅客機に搭乗ではなく、人力飛行機を飛ばすつもりで旅立ちたい。人力自力と思っていても、その陰で多くの人の援助があって離陸できる。大企業の会社勤めは、定期航路の大型旅客機に乗っていたと同じ。大過なく乗っていれば定年まで目的地まで運んでくれる。定年後の第二の人生は、自力で自由に空を飛びたい。そのための準備や体力維持には人知れぬ精進が必要である。第二の人生の出発時には、健康状態、体力、天候(経済状況)を入念に点検したい。人力飛行機は、漕ぐのを止めれば墜落である。日々、なすべきこともなく無為に過ごせば、認知症や堕落へまっしぐらで地獄に墜落である。死ぬまで継続してペダルを漕いで、現役で「彼岸」に達したい。

 

人力飛行機

 2004年頃、人力飛行機「極楽とんぼ」で日本記録を達成した鈴木正人さん(ヤマハ発動機)とご縁ができて、自動車技術会支部報の記事のため取材をした。その後、彼の開発の取り組み姿勢にほれ込み、一時期、テスト飛行の追っかけをしたことがある。人知れぬ20余年間のチームとしての精進を見て、人力飛行機に人生を感じた。

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 上図: ついに琵琶湖の「彼岸」に到達(1998年)

 出典:『航空情報』 1998年11月号

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「極楽とんぼ」のテスト飛行風景

入念な飛行前チェックをする鈴木正人さん

飛騨エアパークで 2004年5月29日

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入念な体力調整中のエンジン役、中山さん

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自力とは言え、回りの仲間の協力があって飛ぶ立てる

                     (2015年記)『吾が人生の師天王』p219より

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

ポンコツ飛行機整備中

 60余年間も体をこき使えば、あちこちに不具合が出て来るのも当然である。徹夜、長時間残業、暴飲暴食、不節制、上下からのストレス等を37年間も続けてきた。そうしないと宮仕えは出来ない。若い時なら耐えられたが、何時までも青年と同じ体力、健康であるわけが無い。エンジンのピストンは磨耗し、シールは劣化し、エンジンオイルも汚れてきた。コンピュータの記憶媒体も欠損が出てきた。機体のあちこちに綻びも出てきた。エンジン出力も半減である。きちんと整備、点検が必要なのは飛行機の整備に限らない。

 

生老病死

 どんなモノでも生老病死である。整備を怠れば、ある日突然エンジン停止で考える間もなく墜落である。人間ドックに行って検査をし、必要なら各部の精密検査も行って、悪いところが見つかれば心の準備も出来る。ポンコツになっても、大事に使えば、昔のように速くも遠くまでも飛べないが、行き先を選別すれば、そこそこには飛べる。悪い箇所を治療しながら飛び続けたいと思う。これから世の中に何が貢献できるかを問いながら生きていきたい。

 

精進せよ

 生きていくのではない。佛様によって生かされている。この世に用のあるうちは、佛様も自分を生かしてくれる。まだまだご恩ご縁の借金が返せていない。佛様も借金を返す意思のある人は、生かしてくれる。銀行だって多額負債者は殺さない。借りた方が強いのだ。胸を張ってご縁の借金をして社会にご恩返しをすればよい。朝起きてまだ息をしていれば、やるべきことは、まだ沢山あるという佛様からの啓示である。

 お釈迦様の弟子たちへの最期の言葉は、「精進せよ」である。人間は死ぬまでが修行なのだ。

 

悪魔の囁き

 若い時には、自分が身を置く製造業の給与と比較して銀行員の給与の高さに羨望の眼差しを向けた記憶がある。2015年2月24日、某都市銀行の支店長以上のOB会事務局長と話す機会があった。彼の話では、そのOB会の平均寿命が69歳であるという。日本男性の平均寿命より10年も短いのに衝撃である。

 銀行の管理職はストレスの多い職業である。銀行マンの生きがいとは何かを人ごとながら考えてしまった。就職時に収入面だけで職業を選ぶと、その落としまえを45年後に払わされる。給与が高いとは、給与が高い分、己の寿命を10年分悪魔に売っているのだ。佛様は命を金で売ったことを閻魔帳に記録をしている。給与が高いのが幸せなのか、何が幸せなのかを考えたい。

 地道な精進をして長寿こそが、人生の宝である。子供にとって、親の早死にほど、子孝行に反する行為はない。自分の長生きこそ子孫の宝である。

   (2015年記)『吾が人生の師天王』p218より

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月31日 (木)

般若心経とは

 般若心経とは、玄奘三蔵が万巻の経を集大成して276文字にまとめた経である。いわば人が生きていくためのエッセンスの言葉である。万巻の経典のトピックセンテンスを集めたと言える。玄奘三蔵が629年に国禁を犯してまでして陸路でインドに向かい、巡礼や仏教研究を行って、16年後の645年に経典657部や仏像などを持って帰還した。その苦難苦行で獲得した真理が般若心経に詰まっている。

 

苦集滅道とはPDCA

 般若心経の中央にかかれた真髄の言葉が「苦集滅道」である。この世に「苦」があるが、それは苦しい思いをして母のお腹の中からこの世に生まれてきたからである。楽をして物事は生まれない。そして生きている間に、いつしか「苦」の因を「集」めてしまう。それを「滅」しようと、神社のお札を貼り、お布施をしたり、祈願しても「滅」しはしない。それではショートカットである。人生でやるべき修行は放棄すべきでない。

 今まで安易な生活で、その「苦」の原因を「集」めてきたのなら、それを無くすには、正しい道(正八道)の修行をして、人が人になる訓練をすべきである。

 苦が起きた原因を明確にしない限り、それが一時的に対処療法で解決しても、また再発する。人生で「苦」が起きるのは世の定めである。それは問題ではない。問題は、それの真因を突き止め、再発防止ができるかどうかである。そのためにトヨタ生産方式の「なぜ何故を5回繰り返せ」を実践すべきなのだ。

 病気になる、火事に出会う、交通事故に逢う、すべてそれが起きた真因がある。それを明確にせずに、対処療法ですませるから、また不幸にであう。その真因を突き止め、それの再発防止をするのが、「道」である。その正しい道を歩む人は少ない。それは狭き道なのだ。

 道を外れた人に教えを与えるには、「時間」を選び、「時(季節)」を選び、「国(場所))を選び、「順序」を選び指導せねばなるまい。

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2019-01-31 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月30日 (水)

写経とのご縁

 2012年夏、恵峰先生が写経書を明徳塾で紹介された。先生のお弟子さんが仏壇のご先祖に供えるため依頼された写経書の写しである。私も自宅仏壇に供えるには良いなと思って手を出そうとしたら、それを手にして見ていたT代表が、その写経書を抱えたまま手放さなかった。明徳塾運営上の職権乱用ではないかと思ったが、口先の佛が鬼になる事例を見ることもよき勉強ではある。ああしてはいけないと教えてくれている。T代表はさすが教育関係会社の代表である。

 欲しいと決断しても、入手が出来ないときもある。それが人生である。それでも、ずっと思っていれば、何時かは何とかなるものと最近は達観できるようになった。これも歳の功かなと思う。

 恵峰先生に話したら別に書いて上げるとの事で、後日、手に入れることができた。

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写経の撮影

 その後、恵峰先生より中国で先生の書を出版するので、先生の書かれた軸の写真を撮って欲しいとのお話があり喜んでお受けした。丸順の今川順夫最高顧問からの写真集作成のご依頼のご縁も重なり、構えてカメラを新調した。当時、CCDがフルサイズの一眼レフのCANON 5DⅢで最高級品である。それを買えるのもご縁である。そうでないとこのカメラは買う気にもならなかった。なにせデカイし重たいし高価だし、持ち歩くには構えてしまう代物である。

 2014年12月10日、恵峰先生宅で約60本の経軸の写真撮影をした。福田琢磨氏に手伝って頂き、約6時間をかけて撮影をした。今回は構えて行ったので、不思議と失敗の写真は一枚も無かったのに驚いた。やはり高いものにはワケがある。それが後年の『馬場恵峰書 報恩道書写行集』の出版につながった。

 

絹本への写経

 次頁の軸は、馬場恵峰先生が書かかれた写経軸60本中でも圧巻の軸である。下地は絹のため、ゆっくり書いては墨が滲んでしまう。一定の速度で心を整えて書かなければならない。梵字もヘラのような筆で書くという。

 写経は一日に1行で良いからその意味を考えながら、書くと良いと恵峰先生は説かれる。写経とは人生を考えること。心静かに自分を見つめること。またそれがご先祖への一番の供養になるという。恵峰先生は今までに15,000字の経を書かれた。

 それを教えてもらったご縁で、2015年に自家のお墓を改建したおり、110枚ほどの為写経を毎朝、斎戒沐浴して書き上げ、お墓の納骨室に収めた。良き供養ができたと思う。

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2019-01-30 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月25日 (金)

爬虫類の氾濫(小欲)

 現代社会の問題は、全て小欲に犯された輩が大手を振って歩いていること。それを認める社会の矩が問題である。人としての基礎が出来ていない。なぜか? そういう躾、教育を放棄しているためである。師天王は、己の心に問いかける。

 

・形式主義――法律さえ犯さなければ何をやってもよいのか?

・効率主義――小さな努力で大きな成果を、が立派なのか?

・利己主義――自分さえ、今さえよければ良いのか?

         自分の回りに壁を造り、部分最適を目指すのか?

・拝金主義――お金が全てを超越するのか?

         犯罪を犯しても、お金で解決すればよいのか?

 

強欲主義の果て

 ホリエモンに代表される拝金主義の横行。グローバル経済主義(成果主義)の今さえ成績が上がればよいと、将来の飯の種蒔きを放棄し、人材育成を軽視している現代経営の横行がある。その代表的な事例が、日産のゴーンCEOの10億円の年収である。本人はまだ不足と思っている強欲さがある。日産の資産を切り売りして見かけの利益を上げ、魅力ある商品開発を怠り、10年後の今日、他社が増益増収となる中、日産だけの一人負けである。その原因は、まだ先の車である電気自動車に力を入れすぎて、目標未達になったためである。ゴーンCEO自身の経営判断のミスであるが、その責任を部下に押し付け、ナンバーツウのクビを切って、ゴーンCEOは責任を取らない。成果主義の反面教師である。

 ルノーの拝金主義経営に染まった日産からは、情熱は消え、魅力的な車が生まれなくなった。それでいて日産のゴーンCEOの年俸は10億円に迫り、平均役員報酬は1億円を超え、トヨタのそれの数倍もある。それに対して一般社員の平均給与は、トヨタよりも低い。ゴーンCEOはそれを「恥じることはない」と恥さらしな言葉を豪語する。何かおかしい。(2015年記)

 

2019年の現実

 以上を2015年初稿の『吾が人生の師天王』の一節に書いて、2018年末にゴーンの不正が発覚した。誰が見てもおかしいことが、18年間も横行したことが、日本社会の情けなさを象徴している。日本の精神文化の衰退である。

 一部の人だけが富を独占して幸せになり(本当に幸せかどうかは別にして)、99%の人が不幸になる社会を、我々は本当に目指してきたのだろうか。この構図は共産中国の党幹部だけが、富を独占している姿に似ている。グローバル経済主義=拝金主義社会である。

 

福沢諭吉の醒眼

 文明開化(グローバル化)で西洋の本質に気がついた福沢諭吉翁は、「学問のすすめ」で「数百年の久しき、おのおのその国土に行われたる習慣は、仮令い利害の明らかなるものと雖も、頓にこれを彼に取りてこれに移すべからず・・・・これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、漸くその性質を明かにして取捨を判断せざるべからず」と記述する。諭吉翁は狩猟民族の持つ動物的本能に疑惑の眼を向けている。

 

西洋思想と東洋思想の差

 西洋の思想は論理的、比較的、現実的、刹那的である。それに対して東洋思想は内面的、感性的、永世的である。西洋の思想は、現世の利益追求で小欲の権化である。一生の間に使え切りもしない金を集めてもまだ足りないと守銭奴のごとき行動を取る。それはゴーン被告の罪状を見ると明らかだ。それは他人と比較するから、まだ足りない、まだ足りないと餓鬼の世界に堕ちていく。

 それに対して東洋思想は、少欲、利他、足るを知る、という大欲のレベルの行動を目指す。東洋の目指すところは宇宙である。即ち自分の心である。人間としての尊厳として大欲で生きるのが本筋である。

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   馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊より

2019-01-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月24日 (木)

「小欲・中欲・大欲」の選択

 欲があるから人間なのだ。欲が無くなったときは人間を止める時である。「谷」に蹴落とされても「欠」けないものが「欲」である。四天王や天女が住む世界が欲界六天である。だから佛である四天王や天女にも欲がある。迷える人間を救いたいという欲である。大日如来を支えたいという欲である。無機質な物質には欲は無いが、生命には生き延びたいという本性の欲がある。だからそれを殺めるのは罪である。

 己を形作る37兆個の細胞は、己を生き延びさせたいと必死に働いている。それが佛性である。産業革命が起きて200年以上が経つが、いまだ人類は細胞一つ作れない。それは生き物が佛性を持つが故のことと思う。

 人として欲を持つ以上、できるなら大きな欲を持ちたいもの。飲む打つ買うは、動物界で爬虫類の持つ小欲である。人間なら自分を高めたいという中欲や、他人の魂を歓ばせる佛性ある大欲を持ちたいもの。

 

下記は「大楽金剛不空真実三摩経」末尾の恵峰先生の言葉

 大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅密多理趣品が、正式名称で般若心経とも云い真言密教の根本経典である。元は金剛頂経の中の第六会でその中の教と功徳を説いている部分を一つの品にまとめたものである。理趣は条理という意味で般若という真実の智恵をたよりにして解脱に到着すること意味しています。人間を含めてすべての自然は、その本性において清浄であるから、人間も修法によってはその本性が清浄になり、宇宙の原理と合一して佛になることが出来ると説いている。理趣経は欲の聖典とも云われる即ち我々人間の生命そのものが欲で、その欲に対してどのように生きていくかを解いたものであるから也。大楽は食べ遊び飲むの小楽に満足するのではなく、真の楽しみ人間の生命を支配している宇宙と一緒になり、永恒の生命を生きる楽しみであり、仏の境地に立って大意欲を持って生きよと説く。空海は三密動作、言葉思惟を表し、実際に宇宙の篤息の中に自分を同一化して身口意修行強調せり。百字の偈の読誦が一般的である。(南無大師遍照金剛 齋沐敬書二千字 霜月21日 恵峰馬場英男)

 

 本写経は絹本の軸に揮毫されているので、ゆっくり書くと滲んでしまう。早く書くと掠れてしまう。一定の速度で精神を統一して書かないと、常人には書けない代物である。本写経は原紙に直接揮毫されている。書いてから表装したのではない。

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 馬場恵峰書『報恩道書写行集』(久志能幾研究所刊)より

   「吾が人生の師天王」p114

2019-01-24 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2019年1月18日 (金)

眉唾の「電気事業連合会のPR資料」

 ニューヨークタイムズの記事(Medical Scans Lead Some Hidden Lisks “The New York Times” SEPTEMBER 9,2012 )ではCTの危険性を警告しているが、電気事業連合会が出している「放射線を受ける量の比較」のPR資料(2011年)では、「100ミリシーベルト以下の放射線量では臨床症状が確認されていません」と説明がある。これはあくまで原子力発電を積極的に推進している団体の資料である。「臨床症状が確認されていない」とは一時的な臨床症状であって、長期間にわたる検証ではない。“The New York Times”の記事内容と異なる。電気事業連合会は原発に対して都合の悪いことは言えない団体であるし、放射能の危険を少しでもオブラートの包んで過小に説明したい団体である。同じデータでも、立場や見方が変わると、こうも解釈が変わる。

 この資料は、自分の価値観で広報データを正しく解釈する重要性を、教えてくれた。本多文洋先生とCTの話をしていたら、本データを教えていただいた。持つべきは師である。

 

電気事業連合会のPR資料(下図)

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「放射線Q&A」 電気事業連合会 2011.4 刊より

 電気事業連合会とは、電力会社9社と日本原子力発電、日本原燃、電源開発からなる組合である。発行は、2011年の福島第一原発事故の直後である。

 

偏向ニュース

 どんな資料も、自分の眼で資料を考えるべきだと教えてくれた。その後の原発事業でえげつない金儲けの実態が明らかになった。世にはフェイクニュースが氾濫している。新聞社、マスコミでさえも信用できないのに、天下り先の団体が作った資料など、色眼鏡で見ないと痛い目にあう。

 

師天王の護り

 自分の体という城は、自分で守らねばならぬ。世には外に出れば7人の敵がいる。回りは守銭奴、拝金主義の敵ばかり。佛の世界の高野山でも、大門には仁王様、中門には四天王が、高野山のご本尊を護っている。自分は、己が師天王になって己と家族を護れ。

 

2019-01-18 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月17日 (木)

医学的検査に潜む危険性

Medical Scans Lead Some Hidden Lisks

 

第6段落部

   Some of the newest uses of radiological imaging, including CT scans of coronary arteries to look for calcium buildup, have not yet undergone clinical trials. Experts have estimated that widespread use of coronary artery scans, which deliver 600 times the radiation of chest X-ray, could results in 42 cases of cancer for every 100,000 men, and 62 cases for every 100,000 women.

By JANE.BRONDY  “The New York Times” SEPTEMBER 9,2012

 

要約「CTは胸部レントゲンの600倍の放射能を放射して、男性10万人に対して42人、女性10万人に62人の割合でガン患者を発生させる」

 

 2014年12月25日、私は大垣市民病院で心臓のCT検査を受けた。検査機械はドイツ シーメンス製であった。検査後に担当医師に聞いてみると1億円以上もする高価な機器である。この業界は東芝、GE、シーメンスがしのぎを削って売り込んでいるという。操作性と性能の点でシーメンス製にしたとの事であるが、減価償却費が大変なようである。その分、患者を回してその費用回収しなければならないので、病院経営的に、医師はつい安易にCT検査を勧めるようだと、合点がいった。

 

CTの性能の限界

 CT検査はエコー検査の1/200くらいしか性能がないという。CT機器は価格もエコー検査器(1500万円程)の10倍である。しかしエコー検査は医師に経験と技術が必要のため、若い医師はエコー検査を避け、CT検査に走りがちである。(石井光著『医師の嘘』幻冬舎)

 

 自分の体を検査する機器の知識を持つことは、生きることには大事である。敵を知り己を知れば百戦危うからず(孫子)。己を知るための機器の知識は、人生を戦う上での基礎情報である。

 今回のCT検査を最後にして、いっそうの健康管理に努めたい。それがご先祖様へのご恩返しである。

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By JANE.BRONDY

“The New York Times” SEPTEMBER 9,2012

 

2019-01-17    久志能幾研究所 小田泰仙

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