o-大垣を良くする階 Feed

2018年3月29日 (木)

祝 大垣市長の呪い成就

 大垣駅前商店街の衰退が頂点に達した。2018310日、大垣駅前商店街で、街の商売上でも、大垣駅前商店街組合活動でも理事として運営をリードしていた大型衣料店「正札堂」が事業を停止した。「正札堂」は大垣駅前商店街の中央部に本店を構えていた。負債総額2億円。1952年創業で、岐阜・滋賀県下に13店舗を構え、一時は28億円の売り上げを誇った。(信用交換所岐阜支社の情報より

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   シャッターを降ろした正札堂  2018‎年‎3‎月‎30‎日(金)‏‎9:40

 大垣駅前商店街

呪いの原点

 状況証拠と憶測だけであるが、大垣市長は本町に紙屋の店舗を持つ実家に育ったため、親族から「金のかかる政治家など言語道断」と大反対され、氏は希望の進路に進めなかったようだ。それで大垣駅前商店街に逆恨みを抱いたと推定される。日本最高学府を卒業後、前職の超一流の商社を辞め、超超零細下請け企業の社長として細々とした仕事しかできなく、鬱積した思いを抱いていたようだ。その鬱積した思いを大垣財界のお遊びとしか思えないサロン活動でうさを晴らしたようだ。大垣財界の正しい見識と方向性の指示の活動があるなら、大垣駅前商店街や大垣市全体は衰退しなかったはずだ。その衰退を防げなかったのだから、大垣財界活動は不要な活動と断定せざるを得ない。しがない辺地の財界でも、日本最高学府卒業はブランドとして光り輝き、チヤホヤされ大垣財界活動の長に祭り上げられて、その後、前市長の死去に伴い、市長選に出場したようだ。

 

大垣市長の呪い

 その結果が「大垣駅前商店街など潰れてしまえ」としか思えないこの17年間の市政である。「お陰様で?」大垣駅前の本町通りは、約70店舗が店を並べるが、休日のかき入れ時に、11店舗しか開いていないまでに落ちぶれた。「祝大垣市長の呪い成就」である。本町通りの他の約60店舗はシャッターが下りたままの人通りが閑散とした幽霊通りである。土日の商店街の稼ぎ時に、歩行者は誰も歩いていない。一部は店舗ビルが消えてマンションや予備校、駐車場にもなっている。新しい店が開店しても夜の店で、昼間は閉店である。大垣市長は、駅裏にアピタと郊外にイオンがあるので、それで買い物の商店街としては十分だと思っているようだ。

 

図1~17  大垣駅前本町通り商店街の惨状

 新大橋から東側商店街を南方向に歩き、守屋多々志美術館から西側に渡り、西側商店街を北方向に新大橋まで歩いて撮影。

2018年3月25日(土)16:29~16:38

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10p1100209 数か月前はここに商業ビルがあったが、駐車場に変った。閑散とした駐車状況。守屋多々志美術館の西側。これ以降、西側商店街の風景

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他市の繁栄と比較して恥さらし

 日曜日は勿論平日でも人通りの多い長浜市商店街(人口11万人)、犬山市商店街(人口7万人)、彦根市キャッスルロード(人口11万人)と比較して大垣駅前商店街の没落ぶりは、異常すぎる。その原因が大垣市長の悪政であることが明白なので、大垣市民として恥ずかしい。大垣市の人口は、16万人である。これだけの惨状は意図して作り出さないと実現できない。

 どの街も商店街がシャッター通り化はしていないのが素晴らしい。

 

18 長浜市商店街 2017‎‎9‎‎10‎日(日)11:41

19 犬山市商店街 ‎2018‎‎3‎‎23‎日(金)15:34

20 彦根市商店街 2017‎‎9‎‎2‎日(土)‏‎12:24

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商店街との意見交換会を拒否

 大垣市長に当選後、市長は1回だけ商店街との意見交換会(タウンミーティング)を開いたが、その後は、商店街がその開催を要請しても「今はその時期ではないと」言い逃れして逃げ回り、それ以降17年間、一回も開いていない。その第一回目の意見交換会も、市長の意向を汲んだサクラだけを準備して、実際の商店街の店主達の意見発表を封殺した。

 

騙しの「大垣元気ハツラツ市」

 大垣市民を活性化のためと騙して開催している「大垣元気ハツラツ市」は、他市の業者は潤うが、地元の商店街には営業妨害の行事である。その証拠に、当日は開いても儲からないので、店を閉めている地元商店が大半である。大垣市民は基幹道路が封鎖され、渋滞で大迷惑である。市の中心地に買い物にも行けない。「大垣元気ハツラツ市」に来る他市の観光客は寂れた大垣市を見て、他に日には絶対に来ない。それでこの7年間に市民税の1億2千万円以上を散財(散罪?)して、会計報告さえない。だれかうまい汁でも吸っているのか。

 

「大垣市未来ビジョン」の滑稽さ

 2018年3月、大垣市が公開した「大垣市未来ビジョン」では前の「大垣市中心市街地活性基本計画」(平成27年~33年)が、失敗に終わっているのに、そのPDCAを回さずに、同じ戦法で、「中心市街地の商店街は、周辺住民の日常的な買い物ニーズを満たす役割を担っていますが、商店数、販売額等が減少を続けており、今後も減少を続けると予想されます」(p56)と無責任な記述ぶりである。誰の原因で商店数、販売額等が減少したのか。大垣市長が意図して商店街を衰退させる為の巧妙な戦術を取ったとしか思えない。反論があるなら、そうでない証拠とデータを示して欲しい。

 143頁もある分厚いだけの計画書「大垣市未来ビジョン」中で、商店街の活性化の記述はたった2頁である。これは分厚いだけで中身はスカスカである。大垣の産業就業者は商業が69%にも及ぶ。いかに大垣市長が、商業を軽視しているかが、その記述量からも推定される。大垣市長は商店街を見たくも書きたくもないのだ。それがこの計画書に露骨に現れている。文書は嘘を言わない。市長の心の本音が現れている。

 大垣市民の第一次産業の従事者は0.4%である。第三次産業従事者は69%である。大垣市は商業の街である。第一次産業の農業に関する記載は、商業と同じ2頁である。大垣市長は、鯛の一匹とジャコ一匹を同列に並べて未来の料理法を語っていると同じである。結婚式の引出物の料理で、同じお魚一匹だから、同じ量でいいでしょうというが如しである。市長には、行政として、何が重要かの状況判断が、全く理解できないようだ。大垣市長には、0.4%の農業も69%の商業も同じに見えるのだ。

 

復讐の挙句

 大垣市長は、大垣駅前商店街に十分に復讐をした。その結果、大垣駅前商店街は潰れたも同然となった。市長の呪いが達成できたと言える。だから「大垣市未来ビジョン」でも、商店街の活性化に関する記述は、お飾りで2頁だけをお情けで書いた、である。大垣市長は自分の呪いが成就して嬉しさのあまり、新市庁舎の建設にうつつを抜かしている。市民の暮らしには目も向けない。

 こんな市長で大垣市の未来はあるのか。

 

2018-03-29

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年3月 7日 (水)

「佐藤一斎の街」に学ぶ

 2018年3月4日、岐阜県恵那市岩村を訪問して、言霊とは、指導者とは、それに率いられた組織の成果とは、について多くの学びがあった。

 私は岩村を明徳塾OB会二日目(4月15日)の学びの旅行先にする計画を進めている。その事前調査として訪問した。当日、11時過ぎまで、大垣市の元気ハツラツ市の状況調査をしてからの出発である。JR恵那駅で明智線に乗り換えて、現地の岩村駅に14:09に到着した。

 岩村は、幕末の大儒学者で日本の孔子とも言われる佐藤一斎の生まれた村である。佐藤一斎の書『言志四録』は、多くの志士の座右の銘として親しまれ、明治維新を成し遂げる原動力となった。『言志四録』は西郷隆盛が島流しにされたとき、この本を島流しの獄舎で熟読して、西郷の思想と人格を固めたと言われる。

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ひなまつりで街中一致団結

 電車から降りた観光客は少なかったが、着いて見ると観光バスや自家用車でこの地を訪れた人が多く、街中が観光客で賑わっていた。この日は、「いわむらの城下町ひなまつり」として、美術館や町屋の殆どの玄関にお雛様の飾りが設置されて、町中で雛祭を祝っていた。その雛壇の数は53店舗中に約71セットの多さである。殆どのお店がお雛様を飾って、城下町ひなまつりを盛り上げていた。街の古くは江戸時代のひな人形から昭和初期までの作があり、歴史を感じた展示である。観光客をもてなす街の熱意が伝わってきた。

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江戸末期から明治時代までの街並みを保存

 岩村駅から約1キロの道なりが江戸末期から明治時代までの町家や武士屋敷が連なり、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されている。商家や武士屋敷が無料で美術館の記念館として開放されている。当時のかまどや生活の道具、機織り機、蔵内部などが展示されており興味深い。

 街の中央の広場では、若い衆が雛祭として一斗樽で無料の振る舞い酒があった。私が到着した時に、何故かちょうど樽が空になり、「最後の一杯ですよ」と若い衆が声を上げていた。私も手を出したかったが、禁酒中の身のため遠慮したが、なにか損をした気になるのは、卑しい根性なのか?

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『言志四録』の木板に学ぶ

 街中の7割ほど家の軒先に『言志四録』から抜粋した一句を刻んだ木板が掲げられていて、街中で佐藤一斎の遺徳を偲び観光客にその教えを伝えている。『言志四録』の言葉が軒を連ねていると、何か厳かな気分になる。街中で佐藤一斎の言葉を学んで崇めている雰囲気である。毎日、この板を眺める大人も子供も、良き教育環境であると思う。人は言霊から霊感を受け、人格向上の糧となる。

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 街中のあちこちに『言志四録』の句の碑文も建立されている。岩村駅前にも、佐藤一斎の言葉の碑が建立されており、街中で佐藤一斎の業績を顕彰している。

 明徳塾OB会で訪問予定の415日には、今春スタートするNHK朝の連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ状況のパネル展示と花の展示がされる。この岩村は、ヒロインの鈴愛(すずめ)役の永野芽郁さん故郷という舞台設定である。鈴愛(すずめ)役の永野芽郁さんは「岐阜弁は、関西弁や標準語とも違っていてとても難しい。」という。岐阜県人の私としては、岐阜弁は標準語に近いと思っていたのが意外である。大垣弁とは少し違うのかもしれない。

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岩村歴史資料館

 岩村駅から徒歩で1.7kmの坂の上に位置する岩村歴史資料館は、佐藤一斎を顕彰するために建てられた資料館である。この土地には、岩村藩主の館があったが、明治14年に失火により焼失してしまった。その跡地に岩村歴史資料館が建築されている。佐藤一斎に関する展示物は少ないのが残念ではあるが、佐藤一斎の肖像画に直筆の書が書かれた軸、著書等がガラスケース内の一面に展示されている。管内は撮影禁止である。門の前には佐藤一斎の像と顕彰の碑が建立されている。

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伝鴨長明塚

 岩村駅の横に鴨長明の塚が建立されている。何事かと説明看板を見ると、『方丈記』の作者、鴨長明(11551216)は、鎌倉を追われ遠山景簾の好意で岩村の両家に逃れて半年を過ごした後、病を得て入寂したとある。

 この地に、後に岩村藩の家老丹羽瀬清左衛門が石碑を立てたとされる。長明作といわれる木像があり、昔から夜泣き子供に添い寝をさせると丈夫になるとされ、お礼に小さなちゃんこを奉納する慣習が明治時代まで続けられた。(恵那市教育員会作成の看板より)

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空き家の少なさに驚き

 「重要伝統的建造物群保存地区」の53店舗中で、「売物件」の看板がかかった空き家は1件だけあった。大垣市のようにシャッターを降ろした店が192店舗中、117店舗(61%)も連なるのとは、大違いである。同じ観光地で大垣市と岩村は何が違うのか。明智線は単線で、一日に2両連結のジーゼルカーが、15本しか走らない超ローカル線であり、岩村は過疎地の観光地である。それでも観光地として栄えている。

 

観光政策における大垣市と岩村の格差

 岩村は街中で統一した方針で、観光地として街興しをしている。ほぼ全家屋に『言志四録』から抜粋した一句を刻んだ木板が掲げている。ほぼ全家屋が、ひままつりとして玄関に雛壇のおひなさまを飾っている。53店舗中で、その数71セット。村長のビジョンで、村中で一致団結して観光客を招く段取りをしている。

 これと比較して、大垣市の観光政策を情けなく思った。大垣市は、市長のビジョンが曖昧で、元気ハツラツ市で大垣市をどうしたいのかが分からない。観光都市としての明確なビジョンが分からない。だから大垣市の外部団体の大垣観光協会もお役所仕事で熱意がなく、業者に仕事を丸投げをしている。そのため大垣駅前商店街が、元気ハツラツ市にそっぽを向き、当日に敢えて店を閉めている店主が多い。それ自体が恥さらしである。なにせ観光客は露店に行ってしまい、店を開いても儲からないから。大垣市が、市民税を使って大垣駅前商店街の営業妨害をしている。

 元気ハツラツ市で盛り上がっているのは、大垣市の外からきた業者、露店商たちである。それでどうして大垣商店街の活性化ができるのか。儲けのカネは全て市外や県外に行ってしまう。ますます大垣駅前商店街が寂れる。

 

ビジョンなき航海で沈没寸前の大垣市

 大垣市長の観光方針が曖昧のため、大垣駅前商店街を歩いても、芭蕉の句の一つもない。店も何もない水門川沿いに芭蕉の句碑があるだけである。岩村と大違いである。奥の細道を歴史遺産として登録するという大垣市の方針があるが、大垣駅前商店街と市民はそっぽを向いている。この原因は大垣市長に、明確なビジョンと実績がないためである。市長の座に座り続けるのが目的で、市長として何をやるかが全く見えない。だから商店街がそっぽを向き、大垣市は衰退の一途である。

 組織は、一人の優秀な長によって発展もするし、ビジョン無きリーダーで衰退もする。組織の興亡は、すべてリーダーの手腕にかっている。その現実の差を岩村と大垣市で発見した。

 現在、「大垣中心市街地活性化計画書」が提示されているが、これは大垣市がハコモノを作って業者を潤わすためのお役人が書いた「お作文」の言い訳書である。住民不在の計画書である。これに沿って実施しているから大垣は寂れてきた。大垣駅前商店街の店主達は、誰もその内容を知らない。この計画書は、冗長な文体で冗長にデータをこね回し、曲げた結論を出している。これでは読んでくれ訳がない。

 ビジョンには夢と希望と志がなければ意味がない。この計画書にあるのは新市庁舎の建設というハコモノだけである。大垣市長に欠けているのは「志」である。大垣に「平成の維新」が必要である。幕末に大垣藩を建て直した家老小原鉄心の再来が望まれる。

 

2018-03-07

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2018年3月 5日 (月)

天狗行政による大垣市の末路

 元気ハツラツ市の目的は、大垣駅前商店街の活性化である。それが真逆の結果となっている。元気ハツラツ市は、大垣駅前商店街の活性化を目的に2011年から7年間で総額1億2千万円を使って開催されている。実際は商店街を衰退させることに気付いた商店主たちが改善を申し出ても、怨嗟の声を上げても大垣市は、耳を貸さず、運営方式も変えず、会計報告もせず、これが大垣駅前商店街活性化だと、強引に運営を進めてきた。

 その結果が、商店街の衰退(61%が閉店)と大垣市外の露店商の跋扈である。下図は2018年3月4日の元気ハツラツ市で、商店街の中心の新大橋から南方向を見た東西側の商店街の衰退の惨状と道路中央で繰り広げられる露店商の繁盛ぶりである。道路中央の露天には散歩客が多いが、商店街はシャッターを降ろした店ばかりで、人通りもまばらである。

 露店商からモノを買うと、問題が起きても保証が不明確だし、地面に並べた不衛生な商品を買うとは、自分が不衛生になること。モノを買うとは自分を買うこと。モノを売るとは、大垣市を売ること。大垣市が大垣市の品性を落としている。

1dsc01395  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より東側を南方向に見る

2dsc01390  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より中央部を南方向に見る

3dsc01392  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より中央部を南方向に見る

4dsc01393  2018年3月4日10:55 元気ハツラツ市 新大橋より西側を南方向に見る

芸の達人とは

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6dsc01373 2018年3月4日10:22 元気ハツラツ市で

 上記集団は、元気ハツラツ市で市政百年の宴に酔い痴れて暢気に謡っている。この人たちは、生活の足場である大垣舞台が背面のようにシャッターを降ろして滅亡寸前なのに、大垣市民として何も感じないのか。問題意識を持たないのか。自分達が大垣市の衰退に手を貸していることに気が付かないのか。芸は人の心に訴えるモノでないと本物ではない。観客数と舞台がそのレベルを示している。芸の修行とはその心と感性を培うものだ。芸の達人なら、物事の兆が見えるものだ。年長者のこの人たちは、何を修行してきたのか。

 

経営の失敗事例

 以上が、愚政としか言えない『大垣中心市街地活性化計画』の目玉政策の結果である。7年間で1億2千万円もの市民税を使って、一度もPDCAを回さなかった大垣市経営の失敗事例である。大垣駅前商店街活性化計画書では、かくれ空き店舗数を無視して大垣市の惨状をデータで誤魔化して成功を謳っている。大垣市長は、この祭りをダシに豪華な大垣市庁舎の建設を進めている。

 大垣市長は、ほぼ毎回顔を出して鼻高々に演説をぶっているが、大垣駅前商店街の惨状は見ないようにしているようだ。大垣市という組織体の経営者として、現実から目をそらすのは経営者失格である。

「視る目を以てすれば即ち暗く 視るに心を以てすれば即ち明らかなり」佐藤一斎 『言志四録』 138(2018年3月4日 恵那市岩村で発見した言葉)

 

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8dsc013772 2018年3月4日10:32 元気ハツラツ市の雛壇で

 「つまらん行事だな」と思っている顔のように見える。顔は嘘を言わない。

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 2018年3月4日16:14 恵那市岩村の商店の軒先で

うまい汁を吸う者たちの跋扈

 この愚かな行政が展開される中、天狗に隠れて誰がうまい汁を吸っているのだろうか。印刷業者、芸能プロダクション、タレント、露天商の斡旋業者、露天商、警備会社、大垣駅前商店街組合の店舗無し幹部達………かも。大垣駅前商店街の葬礼行進曲が流れる中、その者たちの高笑いが聞こえるようだ。

 

大垣市の末路

 声を上げるべき市会議員達も、何か利権でもあるのか何も言わない。御用新聞のような地元二紙も大垣市の批判記事は全く書かない。毎日の記事内容が、まるでお花畑の学校新聞の壁新聞である。商店街店主達は理事から意見を封殺されてモノが言えない。商店街店の青年達は、祭りに目が眩み、真実が見えず踊らされている。周辺の自治会の会長も市や組合から丸め込まれて、自治会員の声を封鎖している。子供たちが、元気ハツラツ市に日曜日に金儲けで駆り出されても、校長は予算と人事権を大垣市に握られているので、何も言わない。元気ハツラツ市の球技や水遊びで、子供たちの命が危険に晒されていても、大垣教育委員会は知らんふり。ヒラメの役人は市長の顔色を見るのに汲々としている。

 大垣駅前商店街がシャッター通り化して、駅前にマンション、予備校が林立している。駅前一等地に居酒屋の開店(昼間は閉店)が続き、もうじきピンクサロンが開店するだろう。大垣市政は稼ぎのネタを潰し、結果として金のかかる老人・介護の街になろうとしている。市税の収入が減り、地価が下がり、失業者が増え、出費が増える。大垣は終わりである。これが大垣市の末路である。市民が声を上げないと、大垣市は滅びる。

 

2018-03-05

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2018年2月28日 (水)

佛様の顔に泥を塗らない

自分の佛とは

 自分のとっての佛様とは誰か。その佛様の顔に己の我儘で泥を塗って、幸せになれるわけがない。今まで、佛様が段取りをしてくれたご縁の多くを、自分は蹴とばしてこなかったのかを、還暦を超えてから遅まきながら反省している。

 己にとって佛様とは、両親であり、恩師であり、上司、部下であった。意図せず、己に降りかかる種々のご縁が、佛様である。過去に若気の至りで、愚かなことをして、佛様の顔を汚していたことに、今になって気が付くのだ。その仏様は何も言わず黙って見守っていてくれた。気が付いた時には、両親も恩師も上司もこの世にいない。降りかかってきたご縁も今は、浦島太郎の玉手箱の煙のように消えた。いつか「親孝行したいとき親はなし」が訪れるのだ。

 巡り逢った仕事にも佛が宿る。その佛様の顔に泥を塗らないような仕事をせねばならぬ。その仕事に己の魂を宿すのだ。仕事に泥を塗るとは、己の魂に泥を塗ること。名誉欲と権力欲だけで、市長の座の長くいることは、その職と市民の顔に泥を塗ることだ。仕事の佛の顔が汚れたかどうかは、仕事の出来栄えを見れば良い。大垣市のように経済、人口が衰退していれば、大垣市長としてやるべきことを放棄して、仏様の市民の顔に泥を塗ったのだ。

 佛様が巡らすご縁は、その時は逆縁のように見える場合も多い。それが後年に、幸いの華として咲くのだが、その時は、自分の身を嘆き、神仏を恨むこともあろう。しかし、その逆境こそが自分を成長させてくれるご縁であった。それを恨むとは、佛様の顔に泥を塗る行為なのだ。冬の時は、自分に与えられた修行として行に励めばよいのだ。

 己の心には佛も住めば鬼も住む。鬼の心が悪事に手を染める。鬼の心が支配する心で、己の佛の手を黒く汚してはなるまい。佛の手を汚すのは餓鬼道である。

 

何故、佛の顔に泥を塗るか

 佛の顔に泥を塗るのは、心身が餓鬼道に落ちているからだ。自分の我儘、強欲、身勝手でモノと見るから、佛の心が分からないのだ。餓鬼は畜生にも劣る存在である。畜生は自然界に生きている。中立である。だから畜生は自然に合わせて生きている。だから畜生には飽食もなく、権力欲もなく名誉欲もない。それに対して餓鬼は、食べても食べても飽き足らず、集めても集めても飽き足らず、権力を持てば17年経ってもその座を離さず、それでいて名誉欲も限りない。自分で自分の欲を制御できないのだ。だから、己のために身を捧げてくれる仏様の顔に泥を塗るのだ。他山の石としたい。

 

和文の般若心経と佛法僧

 2018年2月22日、馬場恵峰先生宅を写真撮影のため訪問したとき、和文の般若心経の写経軸が目に留まった。和文の般若心経の写経は初めて見た。恵峰師の和訳の般若心経で、その上に、お釈迦様の顔が金色で印刷されていた。その周りに「佛法僧」の文字が揮毫されていた。その3文字は、お釈迦様の顔と手に墨が付かないように揮毫されていて、思わず見とれてしまった。馬場恵峰師の雅号「三寶齋恵峰」の三寶とは、「佛法僧」を意味する。

 2011年10月の明徳塾で恵峰師が、亡くなられたお弟子さんためにお棺に納めた書と同じ書(控えとして揮毫)を持参され、披露されたことがあった。お弟子さんはその書をまとって旅立たれた。その書には、お釈迦様のお顔が3面印刷されており、恵峰師が「南無阿弥陀仏」と、お釈迦様のお顔を汚さないように揮毫されていた。私はその書のことを思い出して、即、この軸の入手を決めた。

1img_6348  2011年10月8日撮影

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 2018年2月22日撮影

 

2018-02-28

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2018年2月25日 (日)

「大垣市民のために、」だから衰退した

 大垣市は大垣市民のために、税金と人を使って行事を開催し、施設を造っている。だから大垣市は衰退した。それは上から視線で、市長と役人が思い込みで、間違った政策を執り続け、「見直し」をしないために起きた失敗である。行事の運営で経営の基本のPDCAも回せず、大垣市の経営が上手くいくはずがない。

 

市民の立場に立って

 お役人達が立案した「大垣市民のために」の己の計画に目が眩み、自分の実績を作るために、また予算を消化するために、「市民の立場でなく、自分達の都合で、業者の立場に立って、イベントや建設を業者に丸投げして、金をばらまき行事を開催するから、大垣市と大垣駅前商店街が衰退した。大垣市は行事の見直しもせず、PDCAも回さない。

 元気ハツラツ市を、7年間も見直しもせず下請け業者と大垣駅前商店街組合理事の利権確保のために開催を続けている。だから天罰で、2017年ロボフェス大垣のドローン墜落人身事故が起きた。業者に丸投げだから、ドローン墜落人身事故を起こしても、大垣市役所はその責任を業者に押し付けて逃げた。大垣市が主催する行事や市が作る施設は、大垣市民や大垣駅前商店街のためにはなっていない。その施設の維持管理費がやがて市民に肩に重くのしかかる。大垣市はハコモノの作り過ぎのワースト204位の都市なのだ。

 大垣市長は、誰のために大垣市を経営しているのか?

 

「企業経営というものに唯一絶対の答えはない。「見直し」が必要である。」ドラッカー著『企業とは何か』1946年

 本書はドラッカーの第3作目の著作である。第二次大戦の末期、GMの経営を内部から企業経営の観点で調査した。その分析をもとに、企業とは何か、組織とはどうあるべきか、という根源的な問題に焦点を当てた。当のGM関係者からは、反GM、反企業の「禁書」扱いとなったが、本書を契機として、「現代経営」は学問領域として認められていった。本書は現代経営論の金字塔である。

 そのGMは1950年代から1960年代には世界最大の自動車メーカーとして繁栄した。しかし1970年代以降は輸入車との競争に苦しみ経営が低迷した。GMはその原因を日本車の輸出のせいにしたが、GMの経営自体は改善はされず、GMの経営陣はドラッカーの諫言には馬耳東風であった。GM は2009年6月に倒産して、国有化された。自業自得である。その後、2013年にアメリカ合衆国財務省が保有するGMの株式全ての売却が完了し、国有化が解消された。

 大垣市もGMや2007年に倒産した夕張市のようにならないことを祈る。

 

デフレの時代の経営

 モノが売れないデフレの時代、経営の要点は「顧客の立場に立って」である。「顧客の立場になって」は、セブン&アイ・ホールディングス元会長の伊藤敏文氏の言葉である。それを「売ってやる」との上から視線で「お客様のために」と驕った考えで商売をするから売れない。自分の思考エリアで戦うから、売れない。自分の固定観念を捨て、顧客の立場で考えないから、勝てない。商売とは、経営とは、創造なのだ。大垣市民のために」と行事を開催するから大垣市が衰退する。顧客の立場に立って商品開発、商品の販売をしないから、よい製品が作れないし、売れない。使いもしない機能のテンコ盛りの電子機器を作るから、近隣アジア諸国が作った携帯、スマホ、パソコンで、日本メーカーが負ける。顧客は、そんな高機能の製品は求めていない。私の携帯はガラケーである。それでも機能が多く過ぎて使いこなせない。

 

自分の人生経営は誰のため?

 人生経営も、自分のために人生を歩くから、上手くいかない。自分が今あるのは、ご先祖があってのこと。自分に課せられた使命は何かを考えて、「己をこの世に生んでくれたご先祖の立場に立って、」自分の道を歩めば、ご先祖のご加護があるのだ。もうじきご先祖と対面する時がくる。その時、胸を張って、「只今帰りました」と言えるのかが問われる。その時は万人に訪れる。早いか遅いかの違いだけである。

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2018-02-25

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2018年2月20日 (火)

大垣市のメタボ化にご熱心な大垣市長

 大垣市はハコモノ作りに貪欲で肥満体になった。それが街の時限爆弾となって大垣市を潰す危険性がある。現在でも公共施設の維持管理に手が回らない状況である。近い将来、破綻寸前に追い込まれるかも。

 大垣市はハコモノの作り過ぎで、全国の702都市中でワースト205位の上位にランクされるハコモノ作り過ぎの都市である。『週刊ダイヤモンド』2013年3月2日号の試算では、余剰ハコモノ削減目標値は43.8%の過剰ぶりである。5年後の今はもっと順位が上がっているはずだ。岐阜市は702都市中ワースト465位で、余剰ハコモノ削減目標34.2%の過剰であるが、全国平均に近く良い方でである。大垣市が異常である。

 それでいて更に、岐阜市よりも5割も豪華な(単位人口当たりの費用で)新市庁舎の建設に余念がない。大垣市長は、ハコモノには金をばらまくが、大垣市は寂れる一方である。このままでは乱造した公共施設の維持管理に金がかかり破綻寸前の追い込まれる恐れがあると、『週刊ダイヤモンド』誌は、全国の自治体の過剰ハコモノに警告をしている。その警告の予言通り、大垣市は既設のインフラの維持管理の保全整備が追い付かず、ちょっと雨が降るだけで大垣経済がマヒする事態が頻発である。大垣市の衰退が始まった象徴である。それでいて、「節約、節約」と言いながら、新しいハコモノの新設ラッシュである。大垣市は学習能力がない、危機管理能力がないとしか言いようがない。大垣市長は、ハコモノ作りという至福の境地を味わっている。その間に、大垣市はメタボ化して瀕死状態に陥っている。メタボは緩慢なる自殺である。

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 『週刊ダイヤモンド』2013年3月2日号

   「ハコモノがあなたの街の時限爆弾。地方を潰す。」より

文化に金を出さない大垣市長

 おバカ芸人ギャラの1/5しか著名歴史学者に謝礼を払わない

 大垣市長は、肝心のソフトである文化事業には金をケチり大垣を文化的に退廃させた。「おバカタレント」の代表格としてバラエティ番組への出演が多い某タレント(wikipediaの表現)を大垣市のお祭りのトークショウに呼び、大垣市は50万円程の金を払った(伝聞)。

 それと同時期に、大垣文化事業団が文化ホールで主催した歴史講演会に静岡の著名な歴史学者を呼んでも、講演料は10万円しか出さなかった。正式に依頼すれば講演料50万円が必要だろう。テレビに高頻度に出演している日本一の知識人講師である。この先生は口には出さないが、心の中で大垣市を軽蔑しているだろう。私でも大垣市民のためになら、安い講演料でも講演は引き受けるが、文化が分からない大垣市だねと、何時かそのことを言いふらすだろう。その先生は高徳者なので、そんなことはされまいが、何かの折に口が滑るかもしれない。それは大垣が文化都市として恥さらしである。大垣市民として赤面の至りである。

 

大垣市長は芸術・文化に無理解

 世界的に著名なドイツの音楽家TIMMとドレスデントリオの演奏会を、有志が大垣で開催するプロジェクトを2017年末と2018年初頭に、2回も計画・実行しても、それには大垣市はビタ一文ださない。本来、大垣市政百年記念行事で行うべき演奏会である。私が文化事業の支援にお願いに行っても教育長は「大垣市は金がないんですよ。貴方もよくわかるでしょう。稟議書を書くのが大変なんですよ」の一点張りであった。ない金を作るのが長の仕事である。ある金でやるならバカでも出来る。そんなレベルのヒラメが教育長に居座っている。大垣が良くなるワケがない。

新市庁舎の建設時期の愚

 東京オリンピックで建設資材が高騰している折、大垣市は新市庁舎を建てるカネは岐阜市よりも多く出すという非常識さである。2年ほど、その建設時期をずらせば、かなりの節約となるはずだ。「この時期でも同じ費用だ」と大垣市長は議会で強弁するが、業者はどこかで手を抜くはずだ。私が建設会社の経営者ならそうする。なにせ購入資材が高騰しているのだ。原価が上がっていて、販売価格が同じでは経営がやっていけない。どこかで手を抜かないと、建設業者が赤字になり、従業員に給与が払えず、従業員が路頭に迷う。子供でも分かる話である。それで何故、文化都市、子育て日本一を豪語するのか。

 

都市の発展は、指導者の器次第

 「結局一つの団体、組織の運営がうまくいくかいかないかは、ある意味ではその指導者一人にかかっていると言えましょう。その責任は全て指導者一人にあるといってもいいと思うのです」(松下幸之助著『指導者の条件』)

 

 大垣市を発展させようと思ったら、指導者自身が成長し、ハードだけではなくソフト面にも注力しないと市の発展は無理である。図体ばかり大きくなっても、頭が空っぽの人間には、組織を大きく成長をさせることはできない。大垣市は過疎地の上石津町との合併で二倍の面積の都市となったが、人口密度は半減した。つまり過疎化したのだ。

 それでいて大垣市は、将来の人口減を見越してコンパクトシティ化を目指すという都市計画を立ている。それなら岐阜市よりも5割も金のかかる新市庁舎は不要である。行政の頭が支離滅裂である。訳が分からない大垣行政である。

 昔の優等生で昔の固定観念でカチンカチンの頭では、今の価値観の多様化した社会には通用しない。現に大垣市は衰退し続けている。まずその現実を直視しないと、いくら市庁舎が立派になっても、そのハコモノの維持管理費用が膨大となって、市民の税金負担を増やし、大垣の衰退の速度が速まるだけだ。「広報おおがき」で、「大垣市は発展している」と豪語するようでは、自分の無知と不見識を晒しているようなものだ。金勘定だけ分かって、文化に理解のないリーダーでは、組織はカルタゴのように自滅するしかない。リーダー交代が必要である。市民の目覚めが必要だ。

 

カルタゴ消滅の教訓

 カルタゴは紀元前250年頃、地中海貿易で栄え、地中海地方でローマと張り合い、覇を唱えていた大国である。しかし、金勘定ばかりが熱心で、市民の教育、文化の育成には全く目を向けなかった。その国の指導者のレベルと国民の意識が低かったので、結局、ローマに滅ぼされて消滅した。

 カルタゴはローマと戦争をして、たった3年で敗戦を迎えた。生き残ったカルタゴ市民は約5万人で、その全てが奴隷にされた。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれた。

 滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者であるハンニバル将軍は、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしなかった。逆に「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえ出た。最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれた。

 平和ぼけした市民は、ローマから過酷な要求を次々に突き付けられてから、やっとハンニバルの警告の意味を悟るが、時すでに遅く、徹底抗戦でもカルタゴの陥落を防げなかった。この間、たった3年の出来事であった。

 詳細は塩野七生著『ローマ人の物語』第二巻(全15巻)新潮社刊を参照。

 

大垣市が他山の石になる?

 大垣市と同じような商業都市・商業国家で、カルタゴが、完膚なきまでに滅ぼされた例を他山の石として、我々は大垣行政を見直す必要がある。これは大垣市だけでなく、他市も同じある。日本国の防衛自体も同じ問題である。米国に頼って、有事の際に本当に守ってくれるのか?

 

カルタゴ消滅の理由 = 大垣衰退の理由

1.カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だった。自国の防衛は全て傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくことはなかった。

 大垣市民が大垣市の衰退を防ぐことに無関心であることによく似ている。大垣市が、行事を業者に丸投げするのによく似ている。2017年の台風22号で室村町アンダーパスが水没して基幹道路が麻痺しても、現場での交通整理の仕事を槌谷組に丸投げで、市役所の職員が誰も現地にいない。現場の作業者に聞いても、「私は大垣市から依頼されて立っているだけで、私は何も分かりません」という情けない姿が実態であった。市民に状況説明もできない業者に交通整理をさせている。大垣市の担当者は、机の上でふんぞり返っていて汗をかかない。

 市民が市政の無関心だと、大垣行政はやりたい放題、大垣経済が麻痺する有事が発生しても、市の役人は業者に丸投げ放題、無責任の極みである。この事態は大垣市長が、金をケチり治水行政を放置した結果なのに「広報おおがき」で防災視察をしましたと大威張りである。笑止である。長期政権に胡坐をかくと、人はここまで劣化するのか。

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 2017‎年‎10‎月‎23‎日、‏‎9:54 室村町アンダーパス水没現場

 大垣市の職員は誰もいない。槌谷組の作業員が交通整理(下写真は上の拡大図) 

 

大垣駅前歩行者用地下道の不祥事

 昨年の10月22日の台風21号での被害なのに、大垣駅前の歩行者用の地下道が、5か月経ったこの2018年2月20日現在でも、いまだ水没の影響で封鎖中である。最近になって3月20日修復予定と表示された。水没事故から半年である。年度末になったので、予算消化のため、しぶしぶ工事をするようだ。これが大垣駅前の大垣市の看板交差点で、大垣の恥を晒している。大垣市は、市民の生活を防衛する意識が全くない。ハコモノの維持管理という保全の意識がない。それでいて、すぐ横の不要不急の「亀の池」の新設工事と大垣新市庁舎の工事は、業者も儲かるから熱を上げてピッチを上げて進めている。順序が逆である。とても正気の沙汰とは思えない。大垣が衰退するのもワケがある。これはカルタゴより酷い。大垣市議会は、大垣 行政の怠慢を議会で追及しないのか。職務怠慢である。

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 地下道がこの状態で、5か月間も放置である。向う側の「亀の池」と大垣新市庁舎は、急ピッチで建設が進む。「工事する 気配も見せず 半年間 (百舌鳥)」

 

2.カルタゴ市民が金儲けに熱心で、教育や文化の育成には無関心。市民の意識も指導者の意識も低いままで、都市としてのあるべき姿がなかった。

 大垣市民は文化的に高いレベルだが、その指導者のレベルが文化的に低い。大垣市民が、行政に声を上げないから、大垣市長はやりたい放題である。市民の代弁者は市議会議員である。市議会議員は何をしているのか。

 

3.国内の組織が分裂状態。挙国一致して対応せねば、有事を乗り切れない。しかしカルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は無関心であった。そして、ハンニバルをローマに売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達であった。自らの手で愛国者を切り捨てた。カルタゴは「滅ぶべくして」滅んだ。

 大垣駅前商店街組合がまとまっていないのに酷似している。大垣市議会がまとまっていないのにも似ている。目覚めた人が正論を述べても、利権にしがみ付いているボス達が、それを邪魔して排除する。ボス達と大垣市役所担当者が、大垣を衰退に導く元気ハツラツ市で、専横を極め利権を守り、お祭り騒ぎに興じているのによく似ている。そのボス達は、大垣駅前商店街にお店を持っていないのだ。店を持たない御仁が大垣駅前商店街組合の理事に就任し、1年交代の規約にも関わらず、その座を長年手離さない。よほど美味しいものがあるのだろう。

 大垣市役所の担当者が、大垣駅前商店街が寂れるように、保身に汲々としてその加勢をしている。大垣駅前が寂れたのは、寂れるべくして寂れたのだ。その引導者は大垣市長の顔色を窺っているヒラメ役人達である。なにせ17年間の長期政権である。腐敗も癒着もなれ合いもゴマすりも発生しないほうが稀である。

 大垣市議会も利己主義の団体で、市の不手際を追及しても自分達の利権の取引材料に使って、利権が得られれば追及がウヤムヤになるという伝聞がある。これでは市議会議員は、大垣市民の事を考えている市民の代表ではない。

 地元の新聞紙でその西濃版を見ると、お花畑の学校新聞のような、どうでもいい記事ばかりである。本来、広告欄に載せるべき特定店の菓子やラーメンの宣伝まで、大きく記事として扱っている。大垣市の抱える問題点は、西濃支局長が大垣市に遠慮して(結託?)、全く書かせないようにしているようだ。岐阜支局長は柳瀬の問題点を追及している。それに対して西濃支局長は、見ざる言わざる書かざるに徹している。大垣市と癒着があるとしか思えない。ドローン墜落事故でも、奥歯にモノが挟まったような記事であった。現在の日本のマスコミが、書くべき記事を書かずに、不要不急の記事ばかりで紙面を埋めている状況と全く同じである。マスコミがその責任を果たしていない。だから新聞の購読数は減少を続けている。2016年は2.2%、2015年は2.5%、2014年は3.5%の減少である。減少にはワケがある。読者はバカではない。新聞社は、自分達で自分の首を絞めているのだ。

 私は中日新聞の購読を中止した。それしか意思表示の方法がない。

 

カルタゴ大垣市の炎上

 その間に、大垣駅前商店街のお店の61%がシャターを下した。小川敏市政になって、人口も実質的に10%近くが減った。商業もこの5年で5%の衰退である。大垣市は投資価値がないと見切りをつけた商人たちが、大垣市から逃げ出したのだ。他の市は、アベノミッックスの恩恵で景気が良いのに。

 大垣市をカルタゴの二の舞にしてはなるまい。それを防ぐのには市民が声を上げることである。

 

2018-02-20

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2018年2月17日 (土)

衰退を「発展」と詭弁する大垣市

人口推移データで衰退を発展と詭弁

 2018年2月15日付「広報おおがき」は、人口推移グラフに騙し絵のような技法で大垣の衰退の現象を「統計でみるまちの発展」と誇示していた。これは詐欺的な表現で、市民に誤解を与える図である。小川敏氏になってから大垣市の人口は、上石津町が編入されて増えたにも関わらず減少し、人口密度が半減(過疎化率が倍増)した。大垣は、小川敏氏が大垣市長に就任してから衰退が始まった。

 

  大垣市という船が沈没しつつあるのに、「大丈夫、船は快調です(人口が増えて発展中)。客室で安眠していてください。今年は出航100年の大宴会を開催します」と真実の事(衰退)は乗客に告げず、船を脱出した韓国セウォル号の船長如きではないか。大雨が降れば基幹道路が頻繁に水没する。その治水行政を放棄をして、朝夕の道路渋滞の解消の道路行政の政策も立案せず、大垣市長は、間もなく多大な退職金をもらって船長の座を去る。大垣市が衰退したのは、大垣現市長が、船が沈没する方向に舵を急旋回(投資をせず節約ばかり、トンチンカンな政策)したために起きた事故である。市民や商店主は、大垣市の悪政に壁壁して大垣市から逃げ出したので、人口が減少したのだ。墨俣町、上石津町(約11,000人)を合併したのにも関わらず、人口減少である。

 下記は人口と単位面積当たりの人口密度の推移データである。国政調査のない年は、補完法で推定した。墨俣町、上石津町(約11,000人)の人口を除けば、大垣市の基幹部分は、2015年の国勢調査で、約12,000人(約10%)の人口減である。これを発展といえるか。

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グラフで発展していると見せかける細工

 大垣市が作成した下図のグラフでは、横の目盛り幅が途中で変えられている。大正7年から昭和60年迄が10年単位、それ以降が5年単位の目盛りで作図されて、この細工で、この百年でいかにも急成長しているように見せている。

 上石津町と墨俣町の編入を無視して統計されている。

 大正7年から平成7年迄の高度成長の有様が大きく図示され、小川市長が市政を担当した平成12年から平成27年迄が、印象が薄くなるように図示されている。現実は、小川敏市長になって人口増加に急ブレーキである。

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  2018年2月15日付「広報おおがき」より

 

大垣市長のモルヒネ的な経済政策

 大垣市長は、この人口減が分かっているから駅前商店街を潰してマンション建設、工場跡地を住宅地にして人口増の政策を推進しているのだ。人口を増やすためだけのため、周りの弱者連合でもよいから、町村の合併を推進している。農業が主体の過疎地の町村のエリアを増やしても、大垣の経済発展への寄与は少ない。これは麻薬のようなもので、一時的には人口が増えるが、商店街にマンションが侵入して、長期的には経済都市としての大垣の体力を衰退させる。市として金をつかう人だけ増やして、金を稼ぐ人を減らす政策なのだ。

 

主要産業の推移話題で肝心な話を逸らす

 大垣経済は、この5年で商業・工業に従事する人口は減少している(年率1%の減少)。それを主要産業の変貌の解説で真実を隠して、繊維産業から電子産業に変貌しましたと誤魔化している。どれだけ全体が衰退したかは、記述を避けている。

 この5年で大垣市の就業者で、介護・医療の従業員は40%の急増である。現実は、工業に対するインフラ(道路整備、駐車場整備、治水行政)の整備を怠っているので、工業も衰退しているのだ。

 

大垣市の未来

 このままでは、大垣の未来は年金生活者の要介護人ばかりになってしまう。人口が増えても、産業は衰退し、名古屋のベットタウンに成り下がってしまう。街の賑わいが消え活性化がなくなる。

 

デフレ時代はトップの頭が勝負 

 高度成長期はどの街も成長したのだ。大垣市だけが成長したのではない。平成になりデフレ経済になって、市長の経営手腕の差で、伸びる市と衰退する市に差が大きくなった。他の市は、アベノミッックスで経済が活性化しているが、大垣市は不況の嵐が舞っている。市長の頭の使い方の差が原因である。

 大垣市は周辺の町村を合併して、いかにも成長しているようだが、単位面積当たりの成長で言えば、衰退している。弱者の企業を吸収して図体ばかり大きくなった企業に似ている。売り上げは伸びても、一人当たりの収益性が落ちた衰退企業と同じである。収益体質が益々落ちている。

 デフレ経済でも才覚ある市長を頂く都市は成長し、必死に努力する市や企業がやっと現状維持で、並みにしか努力しない企業や才覚が無い企業が衰退していった。問題は、デフレ期にどれだけ成長したかである。知識はあっても智慧の無い市長が舵をとると都市は衰退する。大垣市がその例である。

 

大垣経済衰退の象徴

 つい最近、大垣駅前商店街に新しいお店が2店開店したが、両方とも飲み屋で、夜しか営業しないのだ。昼間のシャター通り化が益々促進された。飲み屋なら、メイン通りの表に店を構えなくても、一本裏の通りにすればよい。駅前の表通りの一等地に飲み屋が相次いで出来るようでは、その街は終わっている。次に開店するのはピンクサロンである。これが街の衰退の定石である。大垣経済衰退の象徴の現象である。

 

リーダーの使命

 リーダーは未来に種を蒔くのが使命である。大垣市の現リーダーは未来に負の種を蒔き続け、現在の衰退が始まった。それなのに、リーダーは百年の宴に酔い痴れている。

 

2018-02-17

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2018年2月15日 (木)

今からでも遅くない

 2015年11月29日、堂島の「大村藩蔵屋敷跡の碑」と「雙松岡塾の碑」を見学した後、馬場恵峰先生ご夫妻を川添様の車で伊丹空港までお送りした。恵峰先生が19時10発の飛行機への出発ゲートと通られたのを見送って、新幹線で20時40分ごろ、自車を駐車してある彦根のお寺に戻り、大垣に22時頃帰宅をした。

 しかし最後の場面でミスをしてしまった。お寺に置いた車を出すとき、境内が暗かったためと疲れのためか、境内にある大きな石に後部バンパーをぶつけてしまった。翌日確認をすると、結構大きな傷であり、気持ちがよくないし何かの啓示だと思い、修理することにした。その費用42,000円。僅か1ヶ月に2度のバンパー修理である。

 

バックカメラを追加装備

 その原因は過労もあるが、運動神経の劣化と注意力に低下が大きな原因である。老化すればその補助として老眼鏡が必要なように、車の後ろにも目が必要であると判断して、バックカメラを追加することにした。約33,000円。

 最近の車ならバックカメラは当たり前であるが、車歴15年の老兵にも「新しい目」を導入して、若返えらせた。今からでも遅くない。気がついたときに、打てる手を打つのが私の信条である。

 

佛様からの啓示

 この物損事故を佛様からの啓示と受け止めた。すべては因果応報である。車の設備更新をして、今後の事故防止に備えることが出来るなら安いものかも知れない。バンパーをぶつけるというご縁から、新しい「目」が手に入ったと解釈した。世の中の出来事は、全て解釈のしかたで人生が変わる。

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今からでも遅くない

 2015年9月11日、墓面の字を揮毫してもらった日、恵峰先生宅で「今からでも遅くない」という題名の色紙(下書き)を見つけて写真を撮らせてもらった。2016年9月に先生宅を訪問したら、この文面の書が軸と色紙に正式に揮毫されていて、気に入り直ぐ両方とも入手した。人生で、何事でも遅すぎることはない、気が付いた時が、それを始めるのに一番よい時期なのだ。

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人生の最大の過ちとは

 何事もその第一歩を踏み出さないことが、人生最大の過ちである。まず一歩を踏み出さないと、何事も始まらない。やってダメなら引き返せばよい。己の背後に死期がせまる。明日は分からないのが、人間の人生だ。やって失敗する後悔よりも、やらないで死期を迎える方が、後悔は大きい。失敗の後悔は、人生の知恵となるが、やらない後悔は、死の床で己を鞭うつことになる。

 問題が見つかれば、まず一声上げないと、何も改善されない。声を上げるのに遅すぎることはない。行政は、市民のことではなく、自分達に都合で物事を運ぶ。声なき声では、現市政に、現状のやり方を認めていると勘違いをさせることになる。それは現状の大垣行政を見て、悟った。それでも、言えば何かが変わる。

 政治の世界でも、先の太平洋戦争の発生は、市民が疑問の声を上げるに躊躇している間に、新聞社が戦争をあおり、突撃ラッパを鳴らしたのだ。戦争の方が新聞社は儲かるからだ。

 私も64歳でグランドピアノを買い、ピアノを習い始めた。67歳で出版の事業を始めた。後悔は、もう少し早く始めればよかったという思いだけである。わが師の馬場恵峰師は現役の92歳。日々、深夜まで書を書きまくり、お呼びがかかれば、中国、ベトナム、ハワイ、日本中を駆け巡っている。中国には240回余も行かれている。それから見れば、私は、鼻たれ小僧。

 少年よ、大志を抱け。老年よ、大始を抱け。その小さな始まりの一歩が、大きな人生の始まりだ。その一歩は小さいが、我が人生には大きな一歩だ。アームストロング船長の気分で)

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2018-02-15

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2018年2月13日 (火)

累積閲覧回数 20,000回 突破

本日の16時25分、本ブログの累積閲覧回数が20,000回を超えました。

記事総数は551件です。

閲覧ありがとうございます。執筆者には一番の励みです。

 添付ファイルにて、記事検索用にカテゴリー『大垣を良くする階』記事一覧表を添付します。

このカテゴリーの記事は91件で、A4(40文字、40行)換算で約270頁分の記事となります。

添付ファイル 『大垣を良くする階』記事一覧表 _20180213.pdfをダウンロード

2018-02-13

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「雙松岡塾の碑」に歴史を学ぶ

 2015年11月29日、大村高等学校関西同窓会の皆さんの案内で、「大村藩蔵屋敷跡」碑を見学後、100mほど離れた大阪検察局の敷地内にある「雙松岡塾の碑」を見学した。この碑は大村藩蔵屋敷跡の碑と同じく、大村高等学校関西同窓会の皆さんが「雙松岡碑と大村藩蔵屋敷跡碑を保存する会」として再建した。雙松岡塾は、文久元(1861)年に創立された漢学塾で、尊王攘夷を鼓舞して、後の明治維新の原動力の一つになった。尊王攘夷を鼓舞した塾であったので、幕府に睨まれ僅か半年で閉鎖の憂き目を見た。

 この碑は、大阪市教育委員会より大阪市顕彰史跡第194号に指定されている。史跡の紹介は大阪市のホームページ www.city.osaka.lg.jpで閲覧できる。

 

雙松岡塾の碑の文字

(正 面)雙松岡

(背 面)下記が現代語訳。原文は漢文読み下しで紙面の都合で省略

「雙松岡は松林飯山、松本奎堂、岡鹿門の塾である。三人は皆 昌平黌の秀才であった。文久元年(1861年)11月、玉江橋と田蓑橋の二橋の間にあって堂島川の川面に面して建っていた一軒家でこの塾を開き、尊王攘夷を鼓吹し名声が大いに上がった。しかし最後は幕府の役人から危険視され、圧迫を受けたため翌年五月解散し大坂の地を去った。その後模写して碑表に刻み、併せてこの文を碑裏に記すこととする。」(大村高等学校関西同窓会で現代語訳)

 

 松林飯山(22歳)は、井伊直弼大老が1860年3月3日、桜田門外で討たれたことを急脚便で知り、3月20日付の岡鹿門宛の手紙で快哉を叫び、「井伊大老の十の大罪」を列挙して糾弾している。和親条約を朝廷、列藩と議することなく結んだこと、徳川将軍家後継で多くは一橋公を望んだのに13歳の紀州公を迎えたこと、水戸老公は忠義の人なのに蟄居、幽閉したこと、などなどを挙げている。飯山は大村藩に帰り藩校の五教館で教授(校長)として正論(勤王思想・藩政改革)を説いていたが、大村上小路の自宅近くで凶刃に倒れた。享年29才。

 

 松林飯山は幕末の大村藩士、儒学者、勤王志士である。天保10年2月(1839)生れ、慶応3年1月(1867)暗殺された。29歳。父は医者で松林杏哲。飯山は筑前早良郡羽根戸村に生れ、幼名は駒次郎、後に漸之進、更に廉之助と改めた。飯山は号。

 幼少のころから神童の誉れ高く、3歳で字を書き、唐詩百首を暗誦し、4歳で『大学』を、5歳で『論語』を、6歳で『孟子』を、7歳で『詩経』を読み終えた。その原本も残されている。4歳のときの書「松梅」もあり、5歳で松、菊、桃の漢詩を詠んでいる。

 弘化4年(1847)9歳の時に父に従い大村藩領の蠣の浦に移った。

 嘉永3年(1850)12歳の時に藩の役人にその才能を見いだされ、藩主大村純煕の前で唐詩選の購読を命じられ、一字も誤りなく進講したので、一座のものは驚いた。これにより藩士に取り立てられ、俸一口を賜り、藩校・五教館で学ぶことを命じられた。

 この五教館では一年年長の渡辺昇も学んでいて、飯山に何としても追いつき、追い越そうと「一十百千」と大きく書いて勉学に励んだが叶わなかったという話が残っている。

 嘉永5年(1852)14歳になると、江戸に出て勉学することを命じられ、安積艮斎の塾に入門した。やがて頭角を現し塾生の首席となった。

 安政3年(1856)18歳で幕府の学問所、昌平坂学問所(昌平黌)に入った。ここでもその才能を認められ、20歳にして異例の若さで助教(詩文掛)に任じられた。

 安政6年(1859)21歳で昌平黌を退黌、7年間の江戸での学問修行を終え、3月に大村に帰った。藩主は飯山を上士 (馬廻)に列し、祿60石を給した。更に藩校五教館の祭酒(教授、校長)に任じようとしたが、これは固辞して次席の学頭(助教授)となった。

 万延元年(1860)8月22歳の時、暇乞いをして、大阪への遊学を許された。このあと文久元年(1861)23歳、文久2年(1862)24歳の6月までは京阪の儒学者、勤王志士たちとの交流を密にした。文久元年11月から2年5月までは堂島に塾を開いた。昌平黌の時の親友、三河の松本奎堂、仙台の岡鹿門と3人の共同塾である。塾名を雙松岡(そうしょうこう)とした。3人の名字を一字ずつとって名付けたもの。この塾には多くの若者が集まり学んでいたが、勤王思想の拠点として危険視され、奉行所から閉鎖を命じられ6ヶ月で閉じて文久2年7月に飯山は大村に帰った。同年8月五教館学頭を任じられた。

 文久3年(1863)25歳、1月大阪への出張を命じられた京都の政情探索のためである。6月大村に帰った。10月には五教館祭酒(教授、校長)に任じられた。この頃から学問だけでなく、藩政へも参画するようになった。藩を勤王側にもっていこうと同志を集め勤王三十七士同盟を結成し、その中心人物となった。

 元治元年(1864)26歳、10月藩政改革のため建白書を藩主に上書。賞罰を厳にすること、賄賂を禁ずること、奢侈を禁ずること、礼節を重んずることを進言。11月 用人に。

 慶応元年(1865)27歳、鹿島藩、佐賀藩、島原藩に特使として赴き勤王を説く

 慶応2年(1866)28歳、五教館では「正気百首」「照顔録」等で勤王思想を鼓舞。

 慶応3年(1867)29歳、1月3日 夜 城での謡初式からの帰路自宅前で佐幕派の一味に襲われ暗殺された。家老も重傷を負った。藩主は激怒し、大掛かりな犯人捜索が行われ、佐幕派数十名が捕らえられ、26人が斬首された。この大事件のあと大村藩は勤王倒幕派として纏まり、戊辰戦争では官軍として大津、江戸、会津、秋田まで転戦し、新体制樹立に貢献した。大村藩は明治2年の論功行賞で薩長土に次ぐ3万石を賜った。(松林飯山の項、吉本信之氏著 2015年12月4日)

 

 松本奎堂は、彼は尊皇攘夷の強烈な信奉者であった。彼は頼三樹三郎や梅田雲浜らと親しく、安政の大獄の時、彼らと共に要注意人物に挙げられていた。彼はそれを生き延び、次第に勤皇志士の中で重きをなすようになっていった。

 松本の出身地三河国刈谷は、徳川家にゆかりの地で、藩主土井氏は譜代大名であり、幕府創業の功を誇る藩風であった。しかし松本は早くから尊王の志に目覚め、徳川家を称賛することを恥とし、久能山東照宮廟を訪れたときに徳川家康の狡猾さを憎み、「志を得た暁には墓を暴き、骨を鞭打ってやる」と罵ったという話が伝わる。彼は譜代藩出身で昌平坂学問所の舎長(塾頭)まで勤めたエリートであり、体制側に身をおけば将来は安泰であった。それが他の志士の経歴と比べて異質である。当時もっとも過激な志士の一人であった。

 松本は文久3(1863)年、天誅組の挙兵をして弾を受け戦死した。享年33。辞世の句は「君が為め みまかりにきと 世の人に 語りつきてよ 峰の松風」。法名は天誅院殿忠誉義烈奎堂居士。明治24年(1891年)、従四位が追贈された。(この項、wikipediaより編集)

 岡鹿門は、仙台に帰り、鹿門だけが天寿を全うした。享年82才。

 

明治維新を成就させた小さな波

 勝てば官軍で、明治になり松本奎堂は名誉を回復した。人柄を彷彿とさせる院殿まで付いた立派な戒名である。多くの志士達の血が、明治維新の後ろ盾になった。一つのエネルギーは小さいが、そのエネルギーが集り徳川幕府に無言の圧力をかけ、徳川慶喜の大政奉還になった。一人の力は小さく、幕府により粉砕されてしまったが、繰り返し繰り返し押し寄せる波の如く、幕府に圧力をかけたのだ。雙松岡塾の存在は決して無駄ではなかった。

 今、大垣市も愚政のため衰退の危機に直面している。手遅れになる前に、市民一人一人が、目覚めて行動を起こすべきなのだ。小さな声が集れば、政治を動かせるのだ。大垣市に平成の維新が必要である。

 

佛様の智慧

 松本奎堂の佛になった墓を暴き骨に鞭打つという思想は中国や韓国の思想である。日本の和と寛容を尊び佛の前では全て平等との思想とは相容れないがゆえ、非業の死になったようだ。中国や韓国の死んでも恨みを忘れないという思想には辟易である。彼の国とは距離を置いたほうが争いごとは避けられる。日本人同士でも、非常識な縁なき人と無理につきあうと、身に害が及ぶのを身近に見てきて、今回でその感を強くした。加齢を重ね多少は智慧がついたようだ。

 もし時代の歯車が同調すれば、松本奎堂も吉田松陰神社で吉田松陰の墓の隣に、頼三樹三郎と並んでお墓が建てられたかもしれない。そして大村藩も長州藩のように井伊直弼公を親の敵として憎んだかもしれにない。

 

十念寺を訪問

 彼は刈谷藩の出身で、刈谷市十念寺に墓があり、市内に彼の碑も建立されている。刈谷市は私も前職の会社のときに32年間も過ごした街であるが、今日までこのご縁には気がつかなかった。今回のお墓作りから展開されるご縁のつながりの広がりに驚いている。

 2017年12月7日、刈谷市通学路の調査に行った時、この十念寺を訊ねたが、名鉄刈谷市駅前の案内看板地図にこの十念寺が表示されておらず、迷ってしまって、墓参が叶わなかった。後でお寺さんに聞けば、案内看板地図に載せるにはお金がかかるので表示していないとのこと。十念寺は刈谷藩主の菩提寺である。そんなご恩あるお寺の場所を、刈谷市駅前の観光案内看板地図に載せないことに、最近の歴史を大事にしない風潮に情けない思いがした。刈谷市の教育委員会は何をしているのか。職務怠慢である。私は、この2018年2月末に再度、訪問する予定である。

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 碑の前で雙松岡塾跡の碑を見る馬場恵峰先生

 説明者は保存会代表の川添純雄氏(左側)、吉本信之氏(右側)

      2015年11月29日

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2018-02-13

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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