c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2020年7月28日 (火)

普賢菩薩と文殊菩薩の教え  大垣の末路

 普賢菩薩は文殊菩薩と共に釈迦如来の両脇侍として、尊ばれてきた。仏教を信仰し、精進に努める誓いと行いを求めて努力をし、信仰者を守護してくださる。普賢菩薩は象に座しておられる。象は地上の動物の中で一番大きな生物で、力を象徴している。象は大力を持ち何者にも動じず、菩提(悟り)に運んでくれる徳を持っている。

 文殊菩薩は釈迦如来の両脇侍として、大乗仏教の上頭とされる。三人よれば文殊の智慧というにように、文殊菩薩は智慧を象徴するみほとけである。経軌によると文殊菩薩は清らかな心を持つ童子の姿とすることが記されている。

 また文殊五尊像は、獅子(威厳を象徴)に座した文殊菩薩とその従者たちが、海を渡って飛来する情景を表し、中国山西五台山はその聖地として巡礼者の信仰を集めてきた。

 以上、松本明慶著『慈 大仏師松本明慶作品集』(2004年 小学館)を引用・編集。

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩  文殊菩薩

 

AI

 菩薩界には智慧を象徴する佛はおわしますが、知識を象徴する仏様はいない。知識が欲しければ、コンピューターで検索すればよい。その昔は辞書であった。それがコンピューターになっただけだ。今流行りのAIも、所詮、今までの知識を基に条件分岐と多変量解析、回帰分析で出した答えを応用しただけである。AIも人間の智慧には勝てない。AIには、愛も智慧もない。AIも、知識以上の智慧は出てこない。

 

知恵の象徴

 普賢菩薩も文殊菩薩も智慧の仏様であるが、その表現が興味深い。文殊菩薩は、右手に宝刀、左手に法典の巻物を握っている。それに対して普賢菩薩は合掌をしている。

 

 世の中は陰陽である。仁王さんの名で親しまれている金剛力士は、開口の阿形像と、口を結んだ吽形の二体から構成されている。それは陰陽を表している。

 同じように陰陽を表して、文殊菩薩と普賢菩薩は、片や宝刀、法典巻物を持ち、片や何も持たない。片や右足を組み、片や左足を組む。文殊菩薩を運ぶ獅子は目をカッと明け、普賢菩薩を運ぶ象は目を薄めに明けている。

 これは文殊菩薩が世の中の智慧を表しているのに対して、普賢菩薩は自ら湧き出る知恵を表している。両方があって、初めて真の智慧である。二佛が釈迦如来の脇侍として、左右を固めている。世の智慧と自らの智慧を使って、菩薩行を勤めよとの教えである。自分だけではダメなのだ。他人任せでもダメなのだ。

 

日本経営者の下劣伝

 大垣市長の小川敏のように、自分は東大出で賢いと自惚れて、人の意見を全く聞かないから、前職の伊藤忠商事でも排斥されたのだろう。だから日本の超一流の会社を辞めて、地方の超零細の家業を継がざるを得なくなったのだろう。その会社もいまだ超零細のままである。HPで従業員数や会社規模さえ公開していない状態だ。小川敏はその反省もせず、そんな傲慢な姿勢で大垣市を支配したから、大垣は没落した。小川敏を盲信した罰である。

 ソニーも東大出の社長が増えると、ソニーは創業の精神が薄れ没落していった。だからウォークマンを生んだソニーからは、iPodもiPhoneも生まれなかった。ジョブズはソニーから学んだのだ。ソニーの歴代社長は経営者失格である。ストリンガー元社長は、グローバル経済拝金主義に染まって、アイボの開発を止めさせ、ソニーの独創性の芽を殺した。そしてソニーを没落させた。

 日本産業界は、そんな大企業の社長が跋扈しているので、衰退の一途である。また大企業の不祥事が絶えない。知識に偏重した経営で、失敗したのだ。

 

知識に偏してしないか

 現代の学校教育は、どうしても知識に偏している。そうして、人間の徳といいますか、愛情というものが教えられていない。悪く言えば、“知恵ある動物”をどんどん育てている。だから間違ったら怖い。何をするか分からん。こういうことが一面に言えるのやないかと思う。

 昔はどうかといえば、昔も今もたいして変わらないと思いますけれども、昔は、人間として何が正しいかというとがまず先に教えられた。そうして人間の道といいますか、そういうことが分かってきた。そのうえにいろんな知識が必要である。知識が分かったら、その知識をもって、お互いのためになることを知りあうというようになったんです。

   『松下幸之助発言集4  全41巻』p226   PHP

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   馬場恵峰書

 

2020-07-28 久志能幾研究所通信 1681 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月27日 (月)

今週の推奨銘柄  大垣株は売り

カラ売り推奨銘柄

 憂言放言組織 大垣市株式会社(社長 小川敏(東大卒))  

 

買い推奨銘柄

 有志企業 福岡市株式会社(社長 高島宗一郎)

 福岡市政と大垣市政を比較し、絶望の極み - 久志能幾研究所通信

 http://yukioodaii.blog.enjoy.jp/blog/2019/03/post-7588.html

 

すでに起こった未来

 大垣の現在の没落の状態は、未来の大垣の兆

 それが「大垣未来ビジョン」の末路

 

推奨理由 

 現在、アメリカの年間成長率は3%、欧州が2%、日本が1%である。大垣市の小川敏市政この20年間の成長率はマイナス1%である。今後、日本は先進国に比較して相対的に衰退すると予想される。大垣は更に暴落すると予想される。

 都市の公示地価がその都市の成長度を神の啓示の如く表している。大垣市は、小川敏が市長に就任して、19年間で半分以下に暴落した。

 日本のこの30年間が、「失われた30年」と言われる原因は、日本と大垣が下記の状態であるからだ。

 市民として、日本国民として、どげんかせなにゃならぬ。

 

ダイバーシティ(多様性)が向上しなかった。

 日本はベンチャー企業を育てなかった。

 新しい取り組みを、政府と既得業者が潰した。

 いまだ親方日の丸の企業が跋扈している。

 大垣は既存企業の既得権が横行して、新しい店が生まれない。

  規制が多くて自由な経済活動ができなかった。

 利権がらみの政策が横行した。

 自分は目を広くしているだろうか?

 

女性の地位が向上しなかった。

 消費の7割は女性が握っている。

 高齢の古い頭の経営者では、市場動向が理解できない。

 だからGAFAやユニコーン企業(尖った企業)が日本に生まれない。

 

教育費をケチった

 日本は教育後進国になった。

 日本は大学、大学院への進学が、OECD中で平均以下(7ポント下)

 政府の教育費がOECD中で最下位。

 子供への教育投資費は、将来の年収に影響する。

 大垣市の児童生徒一人当たりに教育費は県下最低。

  大垣市の教育費は、刈谷市のそれの半分である。

 小川敏はその子供への教育予算を喰った。その金を自分達の給与に回した。

 大垣市役所の年収は県下一高い。大垣市の教職員の年間給与は岐阜市より200万円低い。

 自分は自分の成長のために金をかけているだろうか?

 

少子高齢化が激化

 サラリーマンの給与がこの30年間、下がりっぱなし。

 国民の給与が年々下がっていく国が、栄えた例は歴史にない。

 派遣社員や外人労働者を採用して、新しい雇用を創出しなかった。

 社員は将来が不安で結婚も子供も作れない。

 自分は挑戦を大事にしているか?

  私は47歳で科学工業英語1級に合格した。

  挑戦して3年かかった。

  私は還暦から国家資格試験に挑戦した。

  私は65歳で、久志能幾研究所を立ち上げた。

 

企業は人減らしばかりで、人を大事にしなかった。

 REO重視のグローバル経済主義経営の影響である。

 成果主義重視で、目先の利益ばかり追う経営に終始。

 目先の利益を追求して、未来への投資をしなくなった。

 人こそが10のモノを100にも1000にも創造してくれる。

 自分は人を大事にしているだろうか?

 

組織はその長の人格以上に成長しない

 日本の首相が頻繁に変わり、それも経済音痴ばかりであった。

 政界のクリーン度が下がった。(先進国中で平均以下)

  不正の横行

 社長のレベルが下れでsがった。

 日本企業の社長が利権と名誉欲で社長の座に執着、下品になった。

  東芝、日産、東電、ジェイアール西日本、三菱自動車

  小川敏は市長の座に執着して市政を澱ませた。

 

トップが古い経営に終始

  福岡市の高島市長は古い政治を捨てた。それで高度成長できた。

  日本と大垣は古い政治へ執着して衰退した。

  

新しい投資をしなくなった

 災害の多い日本国土に防災の投資は不可欠。

 それを「仕分け・節約」と称して予算を削るから、洪水等の災害が絶えない。

 大垣の小川敏は防災に金をケチるから、基幹道路が頻繁に水没する。

 自分は危機管理として身の回りに投資をしているだろうか?

  自分の成長のため、本やPCや研修に金を使っているだろうか?

  人生で最大の投資先は、自分自身。

 

挑戦しなくなった

  一番でなければ、ビリも同然。

  一番でなくてもよいと考えると、妥協が生まれる。

  一番を目指さないから、新しいことが生まれない。

  Sonyが没落して、appleが成長する。

  自分は志を高くして生きているだろうか?

 

国民の政治への無関心

 無関心のため、政治に腐敗が横行しても国民が怒らない。汚職議員・利権議員を当選させてしまう。小川敏は小賢しい細工で、無投票当選に持ち込み、5選・19年間の独裁政治を謳歌している。それで大垣は没落した。

 国会議員が、中国と裏でつながり、激安の製品輸入を許し、国内産業を壊滅させた。マスコミがグローバル経済主義・拝金主義の影響を受けて、正しい報道をしなくなった。 

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2020-07-27 久志能幾研究所通信 1680 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月26日 (日)

認知症という脳死。原因と対策

仕事とは、世の中で生かされ、生きるための方便(仏語)

 定年後、やる事もなく無為に日々を過ごし、飽食をしていると認知症になる。人は食べるためにだけに生きると飽食になり、病気、認知症となる。現在、認知症の患者は約800万人である。65歳以上では15%が認知症といわれる。頂いた命の使命を果たさないと、天はその人からその能力を容赦なく奪っていく。

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   日本経済新聞2014/07/09より

 

次のステージ

 今、自分が立っている階段に、次のステージの幾(きざし)が現れる。人間も人生の第4コーナを回る高齢になると、天上界、人間界、畜生界、地獄界に選別をされる。現在を見れば来世でのポジションは分かる。

 

天上界は、生涯現役で天寿を全うする人達で、およそ5%である。あと15%の人が頭もそこそこにしっかりしたまま、世に迷惑をかけず死を迎える。

人間界は普通に老化し、普通に病気になって亡くなる人達で、約60%である。

畜生界は約1割で、己の不摂生の限りを尽くし、余命1年と医師から宣告されてから、焦って「金はいくらでもだすから助けてくれ」と医師に泣きつく人達である。かのアップルの創業者で世界一の大金持ちのジョブズ氏でさえもガンには勝てなかったのに。いまだ、死病からお金で助かった人はいない。

地獄界は認知症の患者で、約10%である。自分のことが分からなくなり、肉親を不幸のどん底に落とす。すべて2・6・2の法則に分類される。

 

因果応報

 自分が第二の人生に向うとき、今までの因果応報で選別されて入る「界」が決まる。天の采配は非情で正確である。せめて最悪の地獄界(認知症)には罹患しないように、今からでも遅くないので精進すべきである。病気は発病すべくして、その原因を己が作っている。

 

原因(私の推定)

 認知症の原因は、単純明快である。認知症の現象は脳が正常に働かなくなった。だからその原因は、己の過去の行動で脳細胞を殺すような因子を与え続けて、一部の脳細胞が死滅したため。そのため脳が正常に働かなくなった。それが認知症である。使わない器官は退化する。生物の基本的機能の基本である。

 肉体面では、過度な酒・タバコの飲用、食べすぎ、太りすぎ、過度な偏食、毒がある添加物を過剰継続的摂取等である。

 精神面では、過度の名誉欲、金銭欲の使いすぎである。また過度な不安要素を受けすぎたのだ。生物の持つ自己防衛機能で、その機能を停止したためである。

 また頭脳面では、頭を使わないという過度の怠慢習慣である。使わない器官は退化する。単純明快である。

 原因がわかれば対応は可能である。あとは己の意思の問題である。

 

私の高血圧症治療と認知症の関係

 私は長年高血圧症に苦しめられ、降圧剤を20年間程服用していた。降圧剤は対処療法の薬である。それで高血圧が治るわけではない。当時はそんなことは考えず、医師の勧めるまま飲んでいた。還暦後、国家試験に挑戦したが、その受験勉強の過程で記憶力の低下に我ながら愕然とした。また網膜静脈閉塞症を患い、その原因も模索していた。

 そもそも高血圧とは、血管に問題があり、血圧を上げないと全身に血が回らないので、自律神経の機能で、血圧を上げているのだ。その血圧を下げれば、必要な血が全身に回らなくなる。頭の血のめぐりも悪くなる。惚けて当然である。

 また血液中には白血球のように癌等の外敵を殺す免疫力がある。降圧剤で血圧を下げれば、その免疫力要素も全身に回らなくなる。後年、私が癌になったのも納得される。

 

真因追及のため久留米に飛ぶ

 それで本とネットを調べて、その真因が、脳細胞の血管が詰まっているためとの結論に達して、久留米市の真島消化器クリニックの門を叩いた。そこでの診察は、全身8か所の血管内のプラークの蓄積状態を超音波で測定する診察であった。その結果は、私の予想通り血管内にプラークが蓄積していて、そのままでは脳梗塞、心筋梗塞の危険性が高いレベルであることが判明した。それから推論すると、もっと細い毛細血管が集まった脳細胞にもプラークが蓄積して、記憶力が低下したと推定した。同じく細い毛細血管の集まった網膜にもその影響が及び、網膜静脈閉塞症になったと判断した。

 

高血圧症完治

 それから真島院長の指導で、食事療法に取り組み約2年間で、血管内のプラークの厚みが減り、完治までは行かないが、血圧を正常値に戻すことができた。もしそのまま生活をしていれば、脳梗塞、心筋梗塞、失明、認知症になっていたはずである。

 

肉体面への負荷

 過度な酒・タバコの飲用、食べすぎ、甘いものや油分の摂り過ぎ、太りすぎは、血管を傷め、肥満になり、脳細胞にダメージを与えると推定される。過度な偏食、毒がある添加物や防腐剤を継続的に摂取すれば脳細胞にダメージを与えることが明確に推定される。

 

精神面の負荷

 精神面では、過度の名誉欲、金銭欲の使いすぎは、脳の機能を司る部分に過剰な疲労を与えると推定される。また家庭内の不和等で不安要素やストレスを受けすぎると、生物の持つ自己防衛機能で、その機能を停止する。それが認知症である。

 

頭脳面の負荷

 また頭脳面では、頭を使わないという過度の怠慢習慣が、使わない器官は退化するという原則で、認知症になったと推定される。気ばかり使って、頭を使わなかった警察署長や校長先生が、退官後認知症になりやすいという。

 

認知症の対策

 対策の大前提は、薬は毒、医食同源、使わない器官は退化、である。

 食べ過ぎを避け、暴飲暴食、お酒の自制、薬を飲まなくてもよい「正しい食生活」、「正しい生活」を過ごす、である。病気になるのは、狂った食生活、狂った生活習慣が原因である。

 多方面に興味を持ち、社会との接点を持ち、社会奉仕の精神で、生涯現役で仕事を続けるのが、脳に刺激を与えて認知症防止となる。

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2020-07-26 久志能幾研究所通信 1679 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月23日 (木)

智慧が人を賢くし、知識が人を堕落させる

 知識とは議論において、相手をねじ伏せるための武器である。時としてその知識が己の行動を縛る。知識で相手を説得できても、納得させることはできない。敵は説得されても、納得しないと動かない。

 要は、「君の論法は正しい。しかし私の感性がそれを拒否してしまうので、賛同できない」である。私はこれで会社の仕事を進めるのに苦労した。親会社からの指示のIT化方針は正しかった。しかし、その大義名分だけでは子会社の組織は動かなかった。

 

佛智見

 智慧とは議論をしなくても問題を解決する佛智見である。知識で論理的に戦うことは、力任せの戦いしかできない偏った戦力である。智慧とは理知をもって俯瞰的に物事を導く佛力である。お釈迦様はこの佛智見を衆生に教示するため現れた。

 理性とは、合理的にしか考えることができない、偏った思想である。理性では人は動かないが、感性で人は感動して動く。だから感動はあっても、理動はない。

 

知識の敗北

 世の中にはよい大学を出た社長が経営する企業が多くあるが、情けない会社が多い。超エリートがトヨタより多く集まった日産が外国企業に身売りをし、ゴーンに骨までしゃぶられた。半官半民の潰れるはずがない日航が倒産した。東大卒のホリエモンが知識を悪用してライブドア事件に狂騒した。頭が良くて知識があっても智慧がないから、会社を自滅に追い込む。その知識を利他でなく利己に使うから、会社が衰退する。知識を人より多く抱え込むと、己の知識に固執して社内闘争に明け暮れ、金に目が眩みマネーゲームに走り、己を育ててくれた母なる組織を殺す顛末になる。

 大垣市の小川敏は東大を出て、自分が行政で一番頭がいいと思いあがっているから、人の意見を聞かない。それに従うのは利権に目のくらんだ輩ばかりである。だから大垣市は没落した。小川敏市政19年間で、大垣市の公示地価は半分以下になり、人口密度は半減した。大垣駅前商店街の8割が店を閉めた。

 前市長の小倉満氏は東大を出ていないが、人情があり智慧があり、人望で政治を動かしていた。だから当時の大垣市は栄えていた。

 

浄土と穢土

 浄土とは智慧で悟る世界である。穢土とは知識に振り回される煩悩が溢れる世界である。普賢菩薩と文殊菩薩は浄土から穢土に理知を運ばれる。

 どんなモノでも過剰にあると毒になる。モノが過剰にあると探す時間と保管の時間を取られ、人生の時間(命)が蝕まれる。人生経営指標の無形資産回転率が低下する。モノには精霊が籠もっていて、使われない悲しみの表われである。知識もありすぎるとどれが有用なのかが分からなくなる。1テラの知識量よりも一つの智慧が勝る。

 

ディベートは知識の洪水

 ディベートとは、知識を武器に戦う言論戦争である。しかしそれで勝っても相手を動かすことはできない。2000年ころ、私は中小企業の社長が対象の研修で、ディベート研修を受講したことがある。私はテクニカルライティングの論理性を駆使して、200人の中で、自分のチームを優勝に導いた。そこで私に付けられれた称号が、「エビデンス王」である。

 そこでの学びは、あるテーマに関して、如何ようにも論理が展開できる能力をリーダとして持て、である。その試合は、交互に立場を変えて、相手を議論で打ち負かすまで続ける。今まで自分が「白が正しい」と言っていたことを、次の試合では、今度は「黒が正しい」という議論を展開せねばならぬ。リーダとして、テーマの議論は、どのようにでも論理展開ができねばならぬ。しかしディベートに勝っても組織は動かない。

 

百の議論より一つの実行

 そこで学んだ結論は、議論の虚しさであった。知識やデータを武器に相手を論破する百の議論よりも、黙々と下に根を伸ばす精進で智慧を育む実績が大事であることだ。不毛な議論は時間の無駄で、議論の正誤は神仏のみぞ知ることである。多くの人が嫌がることは正しいことではない。人に喜ばれてこそ功徳である。不毛の議論は犬も食わぬ。

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   馬場恵峰書『人生訓80恵峰選』(2005年)

 

2020-07-23 久志能幾研究所通信 1676 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月22日 (水)

書評「死という最後の未来」

石原慎太郎・曽根綾子著 玄冬舎 1500円(2020年6月20日初版)

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 死という未知を学ぶ

 私はこの本を読んで、生きる勇気を貰った。死に対して達観できて、勇気を持って人生の収穫期を生きる勇気を得た。死の直前は、人生舞台の幕が下りる寸前のクライマックスである。カーテンコールを期待して最後の頑張りをしよう。良く死ぬために、よく生きる。そういう勇気をこの本からもらった。

 曽根さんは、自然界に身を置くと、その営みに感化されて、春夏秋冬の自然の営みで、人間もそのサイクルで老い、死ぬのが納得できるという。人間は自然界の中の小さな存在だ。今の現代人はそれを忘れている。

 久しぶりに読後感の良い本に出合えた。文中に示唆に富む言葉を多く見付けた。それを下記に記す。

                    2020年7月21日読破

 

 

石原 ホーキング博士は40年前の講演会で「高度な文明を持った星は、自然の循環が狂って、宇宙時間でいうと瞬間的に滅びます」と言った。彼の言う宇宙時間の瞬間的とは、100年である。

 ホーキング博士は永遠性を肯定的に説いた人で、そういうふうに語った哲学者もいない。それと同じことを、お釈迦様も法華経も説いている。(p117)

 

延命治療はやらない

曽根 人生の最期でやってはいけないこと。点滴・胃瘻、気管切開、酸素吸入。(p159)

 

 私の母も脳梗塞で、半年間、意識もなくベッドで延命治療を受けた。自分で呼吸ができないので、酸素吸入である。そばで見ていて残酷だと思った。自分なら早く死なせて欲しいと思う。付き添いの家族が不幸である。

 

曽根 人間の一生は「永遠の前の一瞬」。(p162)

曽根 本当の友情というのは、相手の健康や幸せを望むこと。(P169)

曽根 私の場合は何も残したくはないですけれど、棺に入った時に、誰か胸元に「ミッション・コンプリート」と書いた紙をおいてくれないかしら、と思いますね。(P178)

石原 織田信長が桶狭間の戦いに出かける前に、一差し舞ったのは「敦盛」。「人間五十年、下天の内を比べれば、夢まぼろしの如くなり。一度性を受け、滅せぬ者のあるべきか。これぞ菩薩の種ならむ、これぞ菩薩の種ならむ。死のは一定、しのぶ草には何をしようぞ、一定かたりをこすよの」

 人は、誰か死んだ後、なんだかんだと勝手なことを言うけど、全くおこがましい、ちゃんちゃらおかしいと信長は軽蔑しているんです。(P171)

 

曽根 寿命は、聖書の中で「ヘリキア」という言葉で出てくる。ギリシア語で、意味は3つある。それは寿命、その職業に適した年齢、背丈である。どれも自分の自由にならない。命の長さは神様が決めること。(P183)

石原 大自然の中では、誰も頼れない。そいう環境に身を置かないと脳幹を鍛えられない。今の若者は、辛いことを避けて経験しないから、脳幹が鍛えられいない。今の若者は、スマホに氾濫している情報を過剰に摂取しているから、本能が衰える。頭にはどっさり実がなっているが、支えなければ肝心の幹がやせているから、なにかあると簡単にポキンと折れてしまう。(P199)

 

曽根 やはり食が大事ですから。あとはリンパマッサージ。これは定期的にやって、血流をよくしています。目を使う仕事ですし、頭皮も全部揉んでもらうんです。気持ちがいいですよ。頭蓋骨の中の血流をよくすることも重要ですから。(P203)

曽根 私は50歳になった時から、寝る前に「3秒の感謝」というものを始めた。「今日までありがとうございました」と言うんです。もしその夜中に死んだとしても、けじめをつけたことになるでしょう。死ぬことは良い制度だと思います。

 だって、「あなた自由にやりなさい」とずっと生きていたら、どこでやめたらいいかわからないじゃないですか(笑)。(P205)

 私は寝る前に、仏壇の前で仏様とご先祖に感謝をしてから眠りにつく。私は曽根さんと同じことをしている。それがけじめになっていることを教えて頂いた。

 私は馬場恵峰師の教えに従って、朝は希望を抱いて起き、夜は感謝で眠りにつく。

曽根 人は、社会貢献することが大切。年老いて、誰しも外見がどんどん衰えていきます。その人を輝かせるのは「徳」だけなんです。社会にほんの少しの奉仕もしようと思わない人は、「徳」がないのです。

 古代ギリシア語の「徳」という言葉には、卓越という意味もある。奉仕に興味がない人は、卓越もしていない。

 「受けるよりは与えるほうが幸いである」(P207)

 現代の日本社会は、貰うことばかりに狂騒している。利他の心が失われてしまった。今の日本人は心の修養が出来ていないのだ。修身の教育が必要だ。

曽根 人の役に立てるということは、自分自身の希望になる。自分にも光を与えられるということなんでしょう。(P213)

曽根 私たちは、こと中年以降は、弱っている人たちや助けを必要とする人たちの存在を、絶えず意識して生きることが必要だと思いますよ。運命を嘆いてみたり、文句ばかり言っているような人は、誰かに与えるとか差し出すとか、心に寄り添うということがまったくないように見受けられますね。(P130)

 私は嘆きばかりしていたり、未来の話をしない人とは縁を遠ざけるように心がけている。その言葉の影響を一番多く受けるのは、本人自身なのに、その人はそれに気が付いていない。そんな人と付き合っては、自分の人生のフィナーレを穢すことになる。私は少しでも、皆さんのためになる情報を提供しようと取り組んでいる。

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2020-07-22 久志能幾研究所通信 1675 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年7月21日 (火)

問題と課題

 人生で起こる問題は、お金と時間で解決できる。人間が起こした問題は、人間が解決できる。問題とは、直面する単なる不具合である。

 トヨタ生産方式では、なぜその問題が起きたかを「5回の何故なぜ」で考え、真因を見つけ二度と起きないようにする。そういう取り組みで、トヨタは田舎のトヨタから、世界のトヨタになった。

 どうせ何時かは死ぬ身である。それを思うと、此の世で起きることは大したことではない。終活が終われば、後は野となれ山となれ、でやりたい放題に人生を謳歌しよう。やりたい放題にできるように、問題と課題を分けて処理しよう。時間節約ができる。

 

私の課題

 私は終活として、お墓も作った、戒名も決めた、墓誌に戒名も彫った、葬式の段取りも終わった、没後50年間の法事の段取りも終わった。後はこの世で、やり残しがないようにやるだけである。私の課題は「死ぬまでにやりたい108の夢」を、どれだけ少なくするかである。

 

「問」とは

【解字】門が音を表し、聞の転音である。人の言うことを自分から聞き出すこと。

 

「課」とは

【解字】果が音を表し、考える語源から来ている。言葉を考える、試験するの意味。 

 

「題」とは

【解字】是の転音が音を表し、頁(かしら)がしるしの意の語源(識)からきている。古代では奴隷の額(ひたい)に印をつけたので、ひたい、目印の意味を表す。

 

 問題とは、人から突き付けられた事象である。それに対して、課題とは、自分が考える「あるべき姿と現状との乖離」である。その乖離を埋める取り組みが課題である。それは自分で考えなければ、解決しない。

 「それは誰の問題ですか」と問おう。それが自分の問題なら、課題として取り組もう。

 人生の課題の達成は、目標が高いほど得がたい。未来にどんな姿を思い描いて生きていくのか、その乖離に気づき、それを埋める生き方が、付加価値ある人生を創る。その成長のモデルの一つが仕事である。

 問題が起きると、目の前の現象ばかりに囚われて、その乖離を無くすために、対処療法でやるから、何時まで経っても課題が解決しない。火事になったら火を消すだけで済ませるから、火事が再発する。

 今の現代病に対する治療もその典型である。高血圧症に、降圧剤を使ってその場しのぎをするから、真の原因がなくならず、後年に癌や認知症の病気になってしまう。医者だけが儲かる罠に堕ちてしまう。自分で考えなかった罰である。

 

仕事の意味

 仕事とは、自分が世の中で生かされて、生きるための方便(仏語)である。人に役立って喜ばれてこそ、仕事である。そう思わない人が、定年後、やる事もなく無為に日々を過ごしていると認知症になりやすい。現在、認知症の患者は約800万人である。65歳以上では15%が認知症といわれる。頂いた命を最大限に使うという使命を果たさないと、天はその人からその能力を容赦なく奪ってしまう。

 

 世の中で必要がなくなれば、死が訪れる。社員を辞めさせるのに刃物はいらぬ。仕事を与えなければ、勝手に辞めていく。人生で、やることが無くなれば、死ぬしかない。朝起きて、息をしていれば、まだこの世でやるべきことがある。それなのに、「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では、死は近い。

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      馬場恵峰書

2020-07-21 久志能幾研究所通信 1673 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年7月15日 (水)

親が詐欺師に騙される事件の真因

 最近、老人が詐欺師に騙される事件が頻発してる。時に1985年、豊田商事事件が起こり、全国で2000億円の被害が出た事件があった。その会長の永田一雄が報道陣の目の前で刺殺された。衝撃の事件であった。今でも、品を変え手を変えてその種の詐欺事件が頻発している。

 

真因

 皆さんも、その被害者が自分の親だとして、家族として、何故そうなったかの真の原因を考えて欲しい。騙されたのは表面的な事象である。

 真の原因は、騙された老人が寂しかったため、それに詐欺師に付け込まれた、である。騙されても、親身に話を聞いてくれたというだけで、老人は幸せであったのだ。

 老いた親の子供なら、親として自分の子供に「おばあちゃん、大丈夫?」「お変わりはないですか」と言うように躾がなければなるまい。それがないと、老親は情けないと怒るものだ。その不満がつり積もって、息子には財産をやりたくないと思うようにもなる。詐欺師が付け込むスキを与えるのだ。

 だれがそう追い込んだのか。家族として考えてみるべきだ。被害者の老人を責めても、無意味である。お互い不幸になるだけだ。肉親の憎しみは普通より激しくなる。地獄の争いになるだけだ。

 どんな理不尽なことがあっても、子供にとって親は大事な人なのだ。そう思って接しないと、憎しみだけが増長する。親は無償の愛を子供に注いでくれていた。世界の何処にもいない大事な人である。老いた親の幸せを考えるのが子供の責務である。

 

私の母

 私も厳しい母が煙たくて、就職は三河の企業にして大垣の母の元から逃げ出した。それでも1週間に一度は、刈谷から大垣の実家に帰って顔を見せていた。

 30年前、母が倒れて大垣市民病院に入院した。私は休日以外に、平日の日は週に2,3回は仕事が終わってから大垣市民病院に顔を見るために通った。深夜の走行で片道80キロ、2時間、往復で4時間の距離である。病院に見舞いに行っても、脳梗塞で倒れた意識にない母の顔を見るのは辛いことだ。

 それでも母は私には大事な人なので、車を飛ばして頻繁に通った。制限速度40キロの堤防上の道を120キロで飛ばすのだ。堤防の上の道だから見通しが良く、信号がないから飛ばせた。取り締まりが強化された現在なら則、捕まって免停や免許取り消しである。もう30年も前のことだから時効として白状する。

202007122   今は取り締まりが厳しい 中日新聞 2020年7月12日

この世の地獄

 時に俺は何をやっているのか、このまま少しハンドルを切って橋のコンクリートの壁に激突すれば、死んで楽になれるのにと思ったことが、何回もあった。地獄はあの世にはない。今の現実に負けるのが地獄なのだ。しかし、母を看護している父を思うとそれもできなかった。

 結局、母は8月初旬に入院して、すぐ意識がなくなり、半年後の12月初旬に眠るように息を引き取った。父が泣いた姿を見たのは初めてであった。母が死んだのに、泣けない己が情けなかった。

 30年経って、当時、意識のない母は分からなかったかもしれないが、母を思って刈谷から大垣まで車を飛ばして見舞いに行って良かったと思う。そうでないと、今頃後悔しているだろう。

 今、親が健在で、その面倒を見ている友を見ると羨ましい。親がいるだけで、どれだけ幸せかは、親が死んでやっとわかることだ。親が死んだ後では遅いのだ。

 

Img_64111s   馬場恵峰書 2006年

2020-07-15 久志能幾研究所通信 1666 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月14日 (火)

私は占い師

 一番確実な未来予知の方法は、未来自体を造りだしてしまうことである。  (ピーター・ドラッカー)

 

 未来を予測するとは、暗夜の田舎の道を無灯灯で、バックミラーを見ながら一人で走るようなものだ。一番確実な未来予知の方法は、未来自体を造りだしてしまうことである。

 Trying to predict the future is like trying to drive alone a country road at night with no lights while looking out the back window. The best way to predict the future is to create it.

  スティーブ・モリヤマ著『ユダヤ人 成功者たちに密かに伝わる魔法の言葉』

 

占いの遍歴

 一時期(40年ほど前)、私は人生に悩み、占いに凝ったこともあった。それで数十万円を散財した。世には腐るほど多くの占いの種類がある。どれを信じていいか、占う必要がある?

 オウム真理教の麻原教祖がその拡販手口を真似した雛形が、阿含宗である。その中部地区の支部に出向き、桐山教祖の説法も聞いたことがある。その教団の占い書も読み漁った。途中でそのいかさまに気が付き、引き返した。

 天中殺にもハマり、東京まで行き、時の和泉宗章にも占ってもらったことがある。占い料が当時半年待ちの30分間で2万円である。天中殺は四柱推命の変形であり、相応には当たった。

 それより当たる占いは人相占い、手相占いである。だから私は人間ウォッチが趣味である。事件がありその犯人や当事者の顔写真が新聞に載ると、それを検証してデータとして保管している。顔はその人の全てを表している。

 その後、仕事が死ぬほど忙しくなり、占いのことなど忘れてしまった。要は、仕事に真剣に向かってなかったので、占いの道に嵌ってしまったのだ。

 

占いとは

 本来、占いとは、人生の裏道に咲く仇花である。お釈迦様は占いなどされなかった。お釈迦様は、あの世が有るともないとも言われなかった。地獄や極楽などの話しは後世の創作である。

 名君といわれた中国の王様は、専属の占い師を高給で雇っていたが、ついぞその占いを使ったことがなかったという。その治世は平穏太平であった。

 もともと仏教では信徒の勧誘は禁止されている。それはキリスト教でも同じである。新興宗教団体が信徒獲得で血なまこになっているが、本来は禁止である。信徒を勧誘する教団はいかさまである。その信徒獲得の拡販材料が「占い」である。相手を占いで不安にさせて教団に引きずり込む手口である。

 

馬場恵峰先生との出逢い

 占いでは人生問題は解決せず、仕事に没頭して解決した。ところが職場で昇格して部下ができ、今度は指導力の問題で悩むことになる「行くぞ!」と全力で突っ走っていて、ふと後ろを振り返ると、誰も付いて来てないのだ。それから各種のセミナーや講演会を回った。その過程で、2006年に馬場恵峰先生に出会い、しばらくして本物の師に巡り合ったと分かった。本物の師に出会えたのは、人生に悩み本物を求めてさまよい歩いたからだ。求めなければ、何事も手に入らない。

 そこで教えられたのは、自分の人生は自分で切り開くことである。人生で降りかかる事件や苦難は、自分を育ててくれるために仏様が段取りしたことだと、最近になって悟った。占いのレベルではないのだ。

 仏様の真意を悟り、自分の人生を切り開き、新しい人生を創ればよいのだ。人に占ってもらう必要はない。

 

「天之機緘不測」(菜根譚)

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。

Dsc022081s   馬場恵峰書

2020-07-14 久志能幾研究所通信 1665 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年7月13日 (月)

なぜ偉くならねばならないか

 職位が上がるとより大きな仕事ができるから。

 世のために働くなら、より大きな仕事をした方が社会に貢献できる。

 偉くなると、それにつれて付き合う人もレベルが上がり、自ずと自分の人格も上がるから。

 大きな仕事をこなせば、それを肥やしに、より成長できるから。

 成長せず、現状維持でいいとは衰退していることだ。周りはハングリー精神で急成長をしている。現状維持は、相対的に没落である。自分は良いが、日本全体が、成長著しいアジア諸国から置いてきぼりを食らう。子孫が貧乏になってしまう。それを避ける為、偉くなる努力をしなければならない。

 

 今の若者は偉くなりたいという欲がない。現代は、上司の働き方の辛さを見て、管理職にはなりたくないという若者が増えた。それは親の教育が間違っていたのだ。それは上の人が、仕事の意味を正しく教えていないからだ。後ろ姿で、その意味を教えていないからだ。拝金主義の経営の為、今の管理職が、奴隷精神の管理監督者に成り下がっているためだ。だから日本の失われた30年が、いまだに続く。

 若者よ、IT武器で戦え。老人よ、魂の弾を覇気なき若者に撃て。戦わない国は、亡びる。最大の敵は、自分の怠け心。

 

我を亡ぼす者は我  安岡正篤

 「我を亡ぼす者は我なり。人、自ら亡ぼさずんば、誰か能く之を亡ぼさん。」(呻吟語)

  偉くなるとは、自己革新である。自分が変わらなければ、世の中を変えられない。変わらなければ、自滅への道を進むこと。

 自己革新も自己没落も、我の責任である。原因も結果も、自分自身にある。ローマを亡ぼしたのはローマである。日本の高度成長を生んだのも、失われた30年を生んだのも日本自身である。

 健康で戦える人生を送れるかどうかは、自分の健康管理にかかっている。自分が病気になったのも、自分の怠惰心である。

 

Img_57271s    馬場恵峰書  

 2011年4月2日、東日本大震災の後、馬場恵峰先生宅を初めて訪問して、本書をお土産として頂いた。思い出の書である。

 この時に、齋藤明彦社長が、浄土ヶ浜の海水で、恵峰先生に追悼の書を揮毫して頂くため、訪問された。偶然私は、その場に同席した。浄土ヶ浜の海水には、津波で犠牲になられた精霊がまだ漂っていた。

2020-07-13 久志能幾研究所通信 1664 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年7月10日 (金)

何のために書くのか?

 冷静に自分の書いた内容を見れば、人間的成長レベルが分かる。私は本ブログで日々、多方面にわたり記述するが、まるで自分の心を全方向からX線を照射して、心の状態を投影するがごときである。元気であれば、元気な書き方になり、悲しければ悲しい文体になる。

 あるモノについて書こうと思って筆を執っても、知識や思いがないので筆が進まず、それに対して無知であったことが露見する。

 

思考の発露

 新入社員にあるテーマでモノを書かせれば、その能力のレベルが一目瞭然である。日頃、考えていないと何も書けない。私が新入社員教育で講座を持つと、必ず受講生にレポートを書かせていた。それを見れば、その人の能力が丸見えである。考えていなければ、文章にはならない。

 書くことで、自分の表現力が分かり、他人との比較で自分というものが見えてくる。書くとは、己の精神と魂の伝達ある。魂の叫びがないと、心を打つ文章は書けない。肉体は滅びても、書いたものは残る。

 

過去の自分の死

 書くとは、死を意識すること。ある時期の考えがその文章に現れる。時がすぎれば、当時の自分は死んで、新しい今の自分がいる。当時の死んだ自分の考えが、その文章に残っている。過去の文書を見れば、それと比較して自分の成長が分かる。

 死んだらおしまいと殺人を犯し、盗みをする輩は、欲望に踊らされた畜生なのだ。自分の生と死を見れば、そんなことができるはずがないのだ。

 

他との対比

 文章を書くとは、オーディエンス(テクニカルライティング上の表現で「読者」)を決めないと、筆も進まない。文書を書くとは社会との対話なのだ。

 無差別殺人事件で、殆どの犯人が「被害者はだれでもよかった」という。犯人は、己とそれ以外の社会しか見ていない。しかし自分は社会の多くの人の繋がりとその反映として生かされている。自分は他の人の存在なしにはあり得ない存在である。「自分」とは禅語で、「全体の中の自らの分」を意味する。無差別殺人の犯人は、その関係を無視して生きてきたのだ。だからそんな大罪を平気で犯す。

 

錯乱した頭脳の整理整頓清掃清潔

 人は「貴方(私)の文書は論理的で、結論が明確でわかりやすい」と褒めてくれるが、その褒めた人から、「貴方のお話しは情報が多すぎ、話題が飛びすぎ、結論が分かりにくい」と呆れられ、笑われている。それが現実の姿なのだ。その錯綜した考えを整理整頓して、結論を明確にするには、書いて視える化しないと文章の整理整頓ができない。書くうちに、無駄な情報が見つかりゴミ箱に放り込み清掃し、結論に整理することができる。だから話しただけではダメなのだ。文書にすれば、その言葉をお化粧(推敲、清潔)することもできる。

039a34431s   馬場恵峰書

2020-07-10 久志能幾研究所通信 1661 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。