c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2020年10月23日 (金)

むやみに車線変更しない

 

 車の運転では、時間節約ため、むやみに車線変更をしないこと。変化には必ず危険が付いて回る。それが時間をロスする。車線変更という動作は、曲がり、速度変化するため、エネルギーロスと摩擦ロスが生じる。

 

運動の第2法則(運動の法則)

 静止していた物体が動き出したり,一定の速度で動いていた物体の速度が増加や減少した場合、運動の第2法則(運動の法則)で、「加速度の大きさは,力の大きさに比例し,質量に反比例する。」

 F=m・α

 一定の力が働いているときには,等加速度直線運動をする。

 

 車線変更をして追い抜いて狂走しても、今の交通事情では、到達時間は数分しか変わらない。

 私は、前の車がよほどのろま運転以外は、車線変更せず、目的地に車を走らせる。それが運命、ご縁だと思って走る。そのうち、前の車は曲がってどっかに「逝って」しまう。人生一本道である。わき道、寄り道、浮気、車線変更をせず、煩悩に惑わされず、真っすぐに走ろう。

 そんなに急いで何処へ行く。行き先は死しかない。人は必ず死ぬ。死までの運転道中が人生だ。その人生を如何にスピーディに、スムースに、安全に自分が運ぶ「目的物」を届けるかが問われる。それが命を全うすることだ。

 自分が人生で運ぶ「大事なモノ」とは何かを自問しよう。

 

テストドライバーの使命

 自動車会社の試験者運転資格(テストドライバー資格)で要求される能力は、早く走ることではない。いかに車をスピーディに、スムースに、安全に走らせるかである。運転中に異音を感じて、いかに素早くその対応が出来るかである。

 例えれば、テストドライバーの使命は、後部座席に乗せた急病の子供を病院に運ぶ仕事である。早く(スピーディに)早く行かねばならぬ。息子の病状は一刻を争う。乱暴な運転では、後部座席に息子の容態に悪影響が出る。だからスムースに運転である。暴走運転では事故の恐れがある。安全運転最優先である。テストドライバーの検定試験中に急ブレーキをかければ、一発で不合格である。予想運転が出来ていなく、危険運転であるとの評価である。3S運転が、テストドライバーの基本である。人生も同じである。

 

人生道のテストドライバー

 人生道では、己は後部座席に大事な「志」を乗せて疾走している。早くいかねば、命が尽きてしまう。命は日々、尽きていく。傍若無人に走れば、世間と衝突して、志の実現ができない。危機管理をしないと、志が途中で爆発分裂する。

 車の運転の仕方そのものは、己が人生を歩む姿を象徴している。一事が万事で、たかが運転、されど運転である。車の運転の状況を見れば、その人の性格、人生が分かる。車のハンドルを握ると性格が変わる人がいる。そういう人は人生で成功しない。車の運転とは人生である。

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  馬場恵峰書

 

2020-10-23 久志能幾研究所通信 1797  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月19日 (月)

「7人の敵」より手強い「108人の敵」と闘う

 

スランプ、挫折の意味

 人は逆境にならないと、自分を直そうとはしない。スランプや逆境こそ、自分を見つめ直し、自分を成長させる機会なのだ。

 私も左遷、降格、裏切り、試験に落ちる、師との別れ、大病で手術、鬱病症状、交通事故等の挫折があり、それをバネに頑張って、今がある。

 

108人の主人公

 古風な母からは「男は外に出れば7人の敵がいる」と教えられた。しかしもっと恐ろしい敵が、己の内に108人も存在する。その敵が己を殺し、家族を殺す。

 人間は、好調な時は己の内の潜む108人に唆されて、やりたい放題に過ごす。そのお調子者の誘惑者とは、108の煩悩を背負い、己の内に居候する108人の主人公である。その居候は、欲にまみれた餓鬼である。「欲」とは谷底に突き落とされても、欠けないと書く。しかし人間は、欲が無くなれば、命がない。生きたいという欲こそが生命体の核である。

 金も欲しい、女も欲しい、酒も飲みたい、働かず遊びたいでは、まるで飢えた動物だ。畜生は満腹になれば、それ以上の餌は求めない。それなのに強欲な人間は、食べても食べても、金を集めても集めても、満足ということを知らない。飢えた餓鬼タリアンである。

 

タイムリミット

 幸いなことに、何時までも狂宴は続かない。いくら続いても20年である。栄華を極めた豊臣秀吉の狂乱も20年は続かなかった。自分で薬まで調合する健康管理オタクの徳川家康でさえ、73歳で死んでいる。

 いくら健康優良児で病気知らずでも、老いと死は避けれない。いくら体が頑強でも、歳を取れば認知症の罹患率が急増する。認知症になれば、脳死も同然である。そこまでして生きたいのか、自問しよう。

 東京都福祉保健局の調査によれば、70代前半では4.3%に過ぎないないが、70代後半になると10.1%に跳ね上がる。80代前半が23.1%、80代後半が43.6%で、90歳を超えると69.2%が認知症になってしまう。(『週刊新潮』 2016.9.9)

 

確実に来る未来  老いと死

 己もいつしか歳を取り、目も悪くなり、頭の回転も鈍くなり、口も早く回らず、アレソレばかりしか言えず、腹も出て醜い肥満体になり、病院通い、薬漬けの日々となる。人並み以上の悪食、過食、過飲という狂った生活が、脳や体を犯し、認知症、癌、心筋梗塞、脳梗塞、脳出血になり、その狂宴が止る。そのため集めた金を使う機会もなく、仏様に呼ばれてしまう。「いくらでも金を出すから助けてくれ」と言っても、仏様は聞く耳を持たぬ。

 だからこそ、足るを知り、利他を知らねばならぬ。生老病死に対して覚悟をしなければならぬ。やるべきことを、やれるうちに済ませねばならぬ。今のうち、生きているうちである。

 別に偉くならなくてもよい。金持ちにならなくてもよい。生まれて、やるべき使命を全うするため、真っ黒になって働いて、世のためになる事をして、人知れず死んでいく。それが人間の生き方だ。

「一隅を照らす、これ則ち国宝なり」(天台宗の開祖・最澄)

 

河村義子先生の死

 河村義子先生は、死を悟って最後の5年間を全力で生きられた。やりたいことを全てやって悔いを残さず旅立たれた。早すぎる死ではあったが、素晴らしい生き方である。

 最後の5年間、1か月間のドイツ演奏旅行から帰られた義子先生が、「やりたいことをやり切ったので、いつ死んでもいい」と言うので、なんと大げさなと呆れた思い出がある。当時、私は先生の病を知らないので呆れたが、今になって先生の心境が理解できる。

 

「明日ありと 思う心の仇桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」親鸞聖人

 

死の準備

 河村義子先生も、大垣の音楽界に尽力して、いつか私の目の前からフェードアウトして、ある日、訃報が飛び込んできた。それで私も自分の死に目覚めた。その直後、私に癌が見つかり生への葛藤が始った。

 私は、自身の葬儀・戒名・遺産相続の段取りをしてから手術に臨んだ。お墓は3年前に再建した。手術後、墓誌に戒名を刻んだ。まだ生きているので、彫った字に朱を入れた。人は生まれ、生き、裸で死んでいく。それに納得して従った。手術での死を怖いとは思わなかった。生死は仏様の管轄だ。

 

108人との闘い

 人生では、優柔不断で強欲な己という主人公が、自分の中に潜む108人の狂気の敵と戦わなければ、人生ゲームに負ける。身を正さねばならぬ。手ごわい敵は、倒しても倒しても入れ替わり立ち代わり襲ってくる。ある時は天女の仮面を被って「そんなに頑張らんでよろしがな。楽しみましょうよ、食べましょうよ、飲みましょうよ」と意志薄弱な己を誘惑する。

 人生ゲームは、最初から自分の思い通りにならないように設定されている。人生ゴールを邪魔する煩悩という敵とは、108の仮面を被った己である。それをどう克服するかが問わる。克服する過程が、自分の成長であり、佛になる(成仏)道なのだ。

 

最強の敵

 しかしその108人の敵を倒しても、もって手ごわい敵が残っている。それが己である。その相手は佛にもなれば鬼にもなる己である。己の感情をコントロールできて初めて、成仏である。

 

物理(佛理)の法則

 その精進を放棄すれば、人間ではない畜生道を歩む。それで認知症になれば、大当たりである。此の世では、本人は天国、家族は地獄である。あの世でどうなるかは、逝ってみないと分からない。

 物理(佛理)の法則では、プラスがあればマイナスが必用だ。此の世でプラスなら、あの世はマイナスである。来世の答えは自明である。

P10600161s  馬場恵峰書

2020-10-19 久志能幾研究所通信 1792  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

 

2020年10月16日 (金)

自分で問題点を見つけて解決しよう 磨墨知837.

 

 何かにぶつかってから対策を立てるより、平常時に身の回りの問題点を見つけて解決しておこう。大問題になったから対応するより、少時間で対応できる。それをトヨタでは自工程完結という。

 

トヨタのモノづくりの基本

 1 不良品を後工程に絶対に流さない

    異常があればラインを止めて対応する。

 2 納期をベースに着工手順を決めて守る

 3 安く作るために人件費を変動費化する策を講じる。

 4 全社員が役割を明らかにして、自律神経を発揮する。

    若松・近藤著『トヨタ式人づくりモノづくり』

 

以上を自分の人生の置き直すと

 人生で自分の行う仕事で、後工程(世の中)に迷惑をかけない。

 自分に異常があれば、性格、癖、病気を早く治す。

 仕事は納期が絶対。60%の完成度で良いから納期を厳守する。

 無駄な浪費を止める。自分の行動は、1分100円の価値がある。

 問題点は、自分で見つけて、自分で治す。自工程完結。

 

常に問題意識を持って事象を見ていますか?

 人は往々にそれが分かっていても、それを見ないようにしている。自分は意思が弱いと諦めている。「そんなに意思が強ければ、今頃、俺は億万長者だ」と威張っている。人から指摘されれば、惚けたふりで笑ってごまかす。

 それは自分の中には、もう一人の怠惰な主人公がいて、常に問題点から眼を逸らさせるためだ「そんな些細なこと、後でよろしいがな…..」

 そのためには、その怠惰なもう一人の己を退け、常に自分を見つめ、𠮟咤激励する鬼を持つことだ。私の机の横には、「魂(オニ)」が鎮座して、私を常に睨んでいる。感謝。

 「魂」とは、「鬼」が「云う」と書いて魂である。魂の叫びに封をしてはならない。

Dsc09818s  松本明慶大仏師作  

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  馬場恵峰書

 

2020-10-15 久志能幾研究所通信 1789  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月14日 (水)

青い鳥 探し求めて 三千里

 

 私はお宝を求めて、絵や彫刻、仏像、陶芸作品を探し求めてこの30年間で世界の70以上の美術館、博物館を回った。しかし欲しいと思う真のお宝は見つからなかった。

 その昔、欧州に飛んだ時(出張のついで)、隣りの席に座った画商に、名画の値段は人の命の値段と同じであると教えられた。当時、バルブの最盛期で、その画商はパリのオークションに絵を買いに行くところだと言う。

名画とは

 それに対して、私の名画の定義は、捕まってもいいから盗みたくなる絵である。西洋で名画・お宝と認められても、日本では価値観が違うからお宝ではない。西洋で億円単位といわれる絵を只でやると言われても、自宅の和室に飾ろうとは思わない。16世紀の暗いゴテゴテした絵を和室には飾れない。

 そんな盗みたくなるような絵は、西洋の美術館にはなかった。そのお陰(?)で、名画盗みの罪を犯すこともなかった?

 もしお宝として絵に投資するなら、マスターピースと呼ばれる西洋の古典の絵画である。値段も最低1億円以上の絵でないとダメである。それなら確実に値上がりする。その絵画取引の業界では、1億円以下の絵は、ポスター扱いである。

 日本でも日展で特選を受賞した画家が描いた60万円の絵でも、売る時は東京のオークション会場に出して、やった3万円で売れる。それで私は痛い目に会った。

青い鳥 

 この30年間程、世界の美術館をさ迷い続け、還暦を過ぎてから、青い鳥は外国ではなく、自分の家の中、自分自身の中に見つけた。そのお宝とは、自分の健康であった。

 

健康がお宝

 健康でないと、仕事ができないし、仕事も頼まれない。

 だから金も貯まらない。

 健康でないと、仕事を通して世の中に貢献できない。

 何のために生れたのか。人を喜ばせるためだ。

 病気では税金を利己的に使いすぎる。

 日本の医療費43兆円(2019年)。増える一方だ。

 健康でないと、人生も楽しめない。

 世界一の金持ちになっても、56歳で死んでは人生の意味がない。

 天才でない凡人の我々は健康で長生きすることだ。

 仕事の依頼は、お金を貯めた人でなく、お金を使った人に来る。

 仕事は能力ではなく、喜んで多く仕事をする健康な人にやってくる。

 私だって、頼みに行くと嫌な顔をする病弱な相手などに頼まない。

 大金を持っていても、使わないと世間では相手にされない。

 吝嗇なヤツの所に誰も頼みに行かない。吝嗇は精神の病気である。

 精神が不健康で吝嗇な市長が居座ると、その都市は没落する。

 大垣市のように。

 お金があっても、健康でないと使えない。

 大きな事業は健康でないと取り組めない。その気力も出ない。

 何かを学ぼうにも、健康でないと、学び、記憶する気力が起きない。

 

 ♪ オレはカネも女もいらぬ ♪ もそっと健康が欲しい ♪

 ついでに、もう少し髪の毛が欲しい ♪

 

 健康でないと、皮膚細胞の増毛機能も活発にならない。病気では、外見の髪の毛に気を使う気にもなれない。貧乏でも健康であれば、肌もきれいだし、元気でお金を稼ぐことが出来る。お金持ちにもなれば、やりたいことも出来る。

 これは大病を経験しないと分からない。仏様はそれを教えるために、私に大病を授けた。健康は失って初めてその価値に気が付く。人間は愚かである。今の私は超健康オタクである。私は死んでもいいから、健康管理最優先で生活している。

 

警告

 仏様は親切である。体の異常を体の変化で、いつも教えてくれている。その啓示を無視するから、不幸になる。

 お腹の出っぱりの増加、体重増、ズボンが太って履けなくなった、高血圧、物忘れ、「あれそれ」を多発が目につく、喉の渇き、疲れやすさ、こむら返りの頻発、薬の増加等、全て仏様からの異常通知のお手紙なのだ。

 私は高血圧の異常警告を受け、大垣から久留米市まで飛んで行った。遠い近いの問題ではない。仏様からのリース物件に事故が起きたのだ。お陰で脳梗塞、心筋梗塞になる寸前で、それの正しい治療を始めることが出来た。速やかに久留米に飛んだ自分を褒めてあげたい。

 

 腹回り 1センチ増えて 秋を知る。

 あれそれを 頻繁に言い ボケを知る

 

誰よりも誰よりも自分の体を愛せよ。

 下記は馬場恵峰師の89歳の時の揮毫。この色紙は2015年の墓再建での開眼法要の時、先生から頂いた色紙である。この時のご縁で、今までの病気では、ご先祖が私を助けてくれたと信じている。合掌。

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2020-10-14 久志能幾研究所通信 1787  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

精神構造体の基本

 

 建物は中の構造が一番大事だ。外側の形式など、後からいくらでも直せる。

 私の親が40年前に立てた家は、構造がしっかりしているから、リフォーム工事が出来た。もっとも新築以上の費用がかかった。家族との想い出があったから後悔はしていない。

 近所の同時代に建てたプレハブ住宅は、リフォームが出来ず、全面建て替えとなっている。

 

人間の構造

 人間では、その精神構造が一番大事だ。その精神が腐っていると、いくら体裁を整えても、人生の途中で破綻する。その基本は、心の健全性と、若さ、柔軟性である。

 若い頃にシッカリした精神構造を作っておけば、後は微調整で人生の荒波を乗り越えられる。だから精神だけは、青春であるようにすべきだ。

 その精神構造も若くなければ、人生を乗り切れない。太くても枯れた枝に体重をかけて乗ると、ポキッと折れる。ところが細くても末端に葉が生えている枝に乗っても簡単には折れない。同じことが人間の精神にも言える。

 心に柔軟性があれば、コンプライアンスという心の復元力で、人生の荒波にも耐えられる。それがないと横波を受けて人生で沈没する。

 

心の形成

 自分作りの基本は、価値観の形成である。幼い時は躾教育である。親を敬い、世間の常識を學ぶ。実社会では、これがいいこと、これが大切ということを現地現物で体験する。

 今は教える側の親が堕落しているから、手の施しようがない。

 親が子供を猫可愛がりで甘やかすから、子供が成長しない。「教」育とは、「老」人が「子」供を鞭で打つ姿の象形文字である。子供は動物で生まれて、躾で人間になる。今の子供は動物のまま成長した小人が多い。

 

リモート学習

 ところがテレビ会議やリモート学習では心の教育ができにくい。講演でもテープで聞けば、同じ話でもパッション(講師の情熱)が伝わらない。

 新型コロナ対策でリモート学習が大流行である。前職の会社でも後年、新人教育がテレビ会議方式の講義になってしまったが、その効果を私は疑問視している。私は、それは手抜き教育だと思う。リモート指導では、教師のパッションが伝わらない。教師も投げやりな機械的な講義となってしまう。そんなことでいいのだろうか。

 世間の流行に惑わされず、良き師を探して人生を航海しよう。

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  馬場恵峰書

2020-10-13 久志能幾研究所通信 1785  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月13日 (火)

自分が変われない18の理由

 

 みんな変わらなくちゃ、変わろうと叫んでいる。しかし変われない。何故なら、その前になぜそうなったかを考えないからだ。そうなってしまった原因を見付け、それを潰さないと自分は変われない。

 

1 変わろうという気が薄いから

 変える気がないだろう。変えたいという気が薄いだろう。変わって大金持ちになりたい気がないだろう。

 人間は、何もせず変わらないのが一番楽なのだ。変われば周りと軋轢を生じて、己が傷つくのが怖いのだ。楽をしては変われない。何ごとも「気」が大事だ。本気、やる気が人生を創る。人生は気力の勝負である。そのためには健康が第一。

 変わるには、金も時間もかかる。覚悟をして取り組まないから変われない。自己変革プロジェクトを立ち上げよう。

 

2 生存的生き方をしているから

 今の状態がいつまでも続くと安易に考えているから変われない。生存的生き方をすれば、死から目を背け、それに蓋をして、金儲けや虚楽的に生きることになる。死を考えないから、もっと金をもっと金をという生き方になる。

 生命的生き方をすれば、死を意識して生きざるを得ない。何時死に直面するかもしれないと思うと、生き方を変えざるを得ない。生とは死を含めた生命体である。

 

 天地終始なく、人生生死あり

    頼山陽 立志の詩

 

3 問題が起きても対処療法ですませるから

 真因を見付けて、対策を打たないから、何時までも同じことが続く。

 何故なぜを5回繰り返せ

 

4 10年後、20年後の夢、志がないから

 夢がないから、今のままに安住する。それでは変わろうというモチベーションが出ない。そのためには、一生実現できないような夢を持つこと。

 

 偉大な仕事は夢で始まり、情熱で維持され、責任感で成就される

      堺屋太一訓語

 

5 学び、変革のために身銭を切らないから

 会社や組織から与えられた教材で済ませるから、他と差別化できない。

 身銭を切らないと、真剣になれない。

 自己投資こそ、最大の財テクである。

 

6 縁を求めないから

 人生の変革は師が運んでくれる。縁を求めて、多くの人に会わないと、人は変われない。

 ド田舎の剣の道場の名人は、江戸の名もない道場主に負ける。江戸の道場主は、多くの剣の達人と他流試合をしているからだ。

 

7 動かないから

 変わるための機会があれば、ニューヨークにでも飛んでいけ。

 近い、遠いの問題ではない。動けば、何らかの具体的な答えが得られる。動かないから、ニュートンの第一法則により、何時までも動かないものは永遠に止まっている。変わらない。

 

8 道具で変わろうとするから

 トヨタでは問題解決とは2割がツールで、8割が考えることだと言われる。自己変革セミナーというツールを受講しても、自分の考え方を変えないと変わらない。いくらITツールでもAIでも、それは所詮道具でしかない。

 

9 荷物を降ろさないから

 50年も生きていると、多くのしがらみのお荷物を背負い込む。それを捨てないと変われない。その95%を捨てても、生きていくうえで何の問題もない。

 過去の栄光など、些細な雑事である。己も過去の習慣に縛られているから変われない。

 大垣市長の小川敏も、過去の母親のしがらみに縛られているから変われない。母から吝嗇という教えのお荷物を背負うから、大垣の未来に投資ができない。だから大垣市の児童生徒一人当たりの教育費を最低にしても平気なのだ。それでは大垣市は変われない。小川敏は過去の知識だけに縛られて行政を牛耳るから、大垣市政は変わらない。だから大垣は没落した。

 日本政府も、中国との利権のしがらみがあるから、経済停滞が続く。

 日本も過去の高度成長の成功体験があるから、体旧態依然たる経済政策に縛られて、米国のGAFAに負けている。

 

10 内なる108人の自分に振り回されるから

 108の煩悩を打ち捨てないと自分は変われない。内なるもう一人の己を切り捨てないと変わらない。変わらないのは、アクセルとブレーキを同時に踏むが如くの行動を取っているからだ。10年一日の同じ過ちをしているから変われない。

 

11 群れるから

 目的もなく群れるとその影響を受けて、変われない。群れの仲間は貴方が変わって去って行かないように呪文をかけて縛り付ける。群れて仲間と飲んで、自分はどれだけ成長したか、変われたかを自問しよう。

 愚痴を言い合うだけでは変われない。黙って自分を成長させる「変革」を実行しなければ、変れない。

 

12 薬物を飲むから

 酒は肝臓で薬物と同じ過程を踏まないと無毒化されない。だからWHОでは酒は薬物と分類している。薬物である酒によって酩酊された頭で、いくら議論しても自分は変われない。

 

13 安いものを買うから

 人生の価値判断が安さだけとなるから、より高いレベルを目指す志が薄れる。それでは変われない。下方に変わるのは簡単にできる。それは人間ではない。

 高いモノは職人の魂に触れる。だから自分も変わろうという気になる。

 

14 世間体を気にするから

 どうせあと50年は生きられない。後は野となれ山となれ、で覚悟を決めれば、何でも出来る。そういう人間に変わろう。人間はちっぽけな存在だ。何を気にするのか。

 

15 健康管理をしないから

 変わるためには意思と体力が必用だ。そのベースは健康である。死んでもいいら健康管理である。その基本は食である。医食同源である。美味しいモノには毒がある。その毒を、食べたいだけ食べれば、病気になる。病身では変われるはずがない。

 

16 挫折を人生の糧としないから

 事故が起きても、真因を探して再発防止をしないから変われない。挫折こそ、自分が変わるチャンスなのだ。仏様が変われと言っている。そうなった真因を明確にして自分が変わる燃料としよう。

 

17 畜生界で生きているから

 欲望に身を任せて動物として生きれば、変わる必要を感じない。畜生が畜生を狩る、畜生が魚を釣る。それでは魂の浄化はできない。霊長類の人間として生れた以上、魂の浄化をして精神の向上を目指さないと変われない。

 

18 祈らないから

 変わるためには、変わりたいと真剣に祈って、神仏の力を借りよう。使えるものは、神仏の助けも借りよう。人を超えた世界の力は、人知を超える。

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2020-10-13 久志能幾研究所通信 1785  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月12日 (月)

運動方程式第2に従う  磨墨知526.

    

 F=mα

 同じ力でも質量が小さくなれば加速度がつく。人生の荷物を降ろして身軽になろう。老いれば持つもの(質量)が小さくなる。身軽になって飛び回ろう。加速度を上げれば、大きな力となる。加速度を感じる生き方をしよう。日々変化、日々挑戦、それが加速度のある人生だ。毎日が大切な日、焦らず、迷わず、前進して留まらなければ、加速度のある人生だ。自分の持つ資源を再発見して活用こそ、人生の加速度を上げる。

 

鎧を脱ぐ

 自己が身に着けた鎧が動きを鈍くする。難波時には、全てを捨てた人が助かる。生きようとする欲さえ捨ててしまえ。生きるか死ぬかは天の差配である。生死に人は無力である。どん底まで沈めば、おのずと浮かび上がる。

 身に沁みついたしがらみを捨てよう。ちっぽけのなプライドが身を沈没させる。非常時は恥も外聞もなく助けを求めよう。そこで真の味方が明白になる。昨年、癌になってそれを痛感した。遠くの親戚よりも、近くの知人である。

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 馬場恵峰書

 

2020-10-12 久志能幾研究所通信 1784  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月 8日 (木)

相対性原理を使おう バブルの学び 磨墨知524

 

 人の2倍のスピードで動けば、他人の時間は止まって見える。おカネを道具として使え。そうすれば動く速度が倍になる。

 新幹線に乗れば、在来線は止って見える。

 

 ボーイング747ジャンボで飛べば、成田からニューヨークまでたった2時間だ。14時に成田を離陸すれば、16時にはNYに着陸である。しかし、帰国時は時差の関係で2日かかる。これが日米経済摩擦(1994年当時)の原因である。(このジョークはミシガン大学のパーティで受けました。)

 

 主観的に世を眺めれば、相対的原理で、時間は早く流れる。欲に駆られた目で見るから、時間感覚を誤まり、判断を誤まる。しかし客観的に、相対的に眺めれば、時間は止って見える。長い目で、現代を眺めよう。歴史は繰り返している。人類は同じ過ちをこの2000年間繰り返している。科学技術は進歩しても人間は進歩していないのだ。

 

バブル崩壊の相対歴史

 人が金儲けに盲目になると、熱狂してバルブになる。バブルは必ず破裂する。オランダ1622年のチューリップバブル、2019年のニューヨークでのブラックマンデー、日本の1980年代の土地バブル、1991年の株バルブ崩壊、2000年のITバブル崩壊、2007年サブプライムバルブ崩壊、2010年の資源国バブル崩壊、である。今はEVバブル、テスラバブルである。また政府のコロナ対策でカネをジャブジャブと市場に放出していうので、バルブである。それが株に向かって株が乱高下している。コロナバブルである。

 

 チューリップバブルでは1622年3月当時、熟練した職人の10倍以上の価格で、チューリップ球根1個が売買された。

 2019年のブラックマンデーで、ニューヨークでの株の暴落で、世界不況が始まった。当時の靴磨き少年まで株の話しを客の富豪にした。それで富豪がバブルだと感じて、持ち株の全てを売り払って、その禍を逃れ、逆に大儲けしたという。

 常識で考えれば、まだ黒字にもなっていないテスラの電気自動車メーカの時価総額が、トヨタを含めて自動車メーカ上位3社の総額より大きくなったなど、異常である。異常とはバブルである。テスラバブルは中国崩壊とともに、弾けると私は予想している。

 

私のバブル

 1990年のバブル崩壊では、私も痛い目にあった。痛い目に会って学習したので、それ以降、多少は賢くなってバブルに対応できるようになった。

 私の定年退職時、退職金を大垣共立銀行に預けに行ったら、ファイナンシャルプランナーと称する小娘がすり寄ってきて、小部屋に引きずり込まれた。そこで財テクで、資産運用としてファンドや株式投資を勧められた。それが2010年ごろ資源国バブルで湧いていた新興国ファンドであった。

 私はそれがバブルであると認識していたし、銀行はファンド購入で手数料さえ入れば、顧客の損など知ったことではないと知っていたので、それを拒否して、もっと儲かる話があるよ」と誘いかけた。相手が「それは何?」と身を乗り出してきたので、

 「自分自身に教育投資するのが最大の財テクだ。銀行を信用しないことが最大の投資だ」とうっちゃり投げである。

 もし小娘の言うがままに、ブラジルやオーストラリアの資源国ファンドを買っていれば、後年の暴落で大損であっただろう。そんなファンド購入を大垣共立銀行は勧めたのだ。

  同じ時期、滋賀銀行も三菱東京UFJ銀行もそんなあこぎな財テクの押し売りはなかった。

 アパート財テクでも、先が見えていたので、眺めて過ごした。

 今回の新型コロナウイルスの金余りジャブジャブ騒動でも静観である。

 最近のバブル崩壊で大損したのは、小川敏大垣市バブルで、両親が買って私の残してくれた自宅土地の地価が半分以下に暴落したこと。

 

新しい餌食の人

 人類は同じ過ちを繰り返している。歴史をひも解き、相対的に現在を眺めれば、世間に踊らされることはない。踊らされたら、自分の時間とお金が喪失する。

 人ごとではない。貴方は何回、同じ過ちを繰り返せば目が覚めるのか。

 今のバブルは何? バブルの仕掛け人は、新しい犠牲者の餌食を求めて、バブルを作る。そんな生贄の子羊になってはならない。

 バブルの踊らされないため、見聞を広めて知恵を増やして、運を拓くべし。

 欲望に駆られて暴走するもう一人の自分と相対的に距離を置いて人生道を歩むべし。

Dsc09806s  馬場恵峰書

 

2020-10-08 久志能幾研究所通信 1777  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年10月 7日 (水)

アインシュタインの相対性理論を使う 磨墨知522

  

E=mC^2 

  E:エネルギー

  m:質量

  C:質量の速度

 

 たとえ質量が小さくても、速度が大きいとそのエネルーギは極めて大きい。時間がエネルギーを制御する。質量を速度でカバーしよう。自分の能力が小さければ、スピードを上げて補おう。それを妨げるのは、優柔不断である。優柔不断では、人生速度を上げられない。

 

格物致知

 速度を2倍にすれば、エネルギーは4倍になり、目の前の障害を打破して、人間として達成すべき境地に、半分の時間で到達する。

 エネルギーが溢れていれば、鬼神さえも退く。織田信長は、神仏さえ焼き討ちした。比叡山を守る僧侶武士さえ敵ではなかった。

 人は多くの失敗をして、やってはいけないことをやってみて、やってはいけないと理解する。それが智慧であり、格物致知である。私は自分が人並みの能力しかないと自覚して、とにかく多くのことを早く経験(失敗)しようと走り回った。嫌われもしたが、エリートではないので、それしか手がないのだ。抵抗があるから、揚力が出る。それで痛い目に多く会ったが、それは智慧を得るための税金で必要悪ある。

 

税金

 会社でも多くの利益を得れば、税金を多く納める。それは社会のインフラの使用料金である。だから多く稼いで、多く税金を納めるほうが幸せなのだ。それを脱税するから、仏様から罰が当たる。

 

人の成長

 人は動物として生まれて、霊長類の人間に成長して死ぬ。躾、学習、精神の修養がなければ、動物のまま老いて、動物として死ぬ。今の世は、あまりに幼いまま大きくなった老人が多い。

 

生存的境遇

 それは単に生きるための方策、知識しか学ばなかったからだ。より豊かに、より楽に、より贅沢に生きる術しか学ばなかったからだ。それは生存的境遇で生きてきたためである。だから人間的には成長しない。ある意味、守銭奴で終わる。死を想定せず、生存的に生きるから、死の間際で慌てるのだ。

 

生命的境遇

 それに対して生命的境遇で生きれば、何のために生まれたのか、使命は何かを考え、人間の命を輝かせて生きることが出来る。その境遇に達するには、人の倍のスピードで経験を積むことだ。生命とは、生と死がセットで生命である。死を前提に生きるから、限られた命を精一杯生きようとする。それが時間の創造である。

 やることをやり切れば、従容として死を迎えることが出来る。よく働いた一日が、安らかな眠りを誘うように、よく働いた人生は、安らかな死が与えられる。それが天命を全うすることだ。

 

4k8a93781s  馬場恵峰書

2020-10-07 久志能幾研究所通信 1776 小田泰仙

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2020年10月 6日 (火)

読経とは、願掛けの呪文ではない

 

 お経とは願い事を仏様に伝える呪文ではない。呪文ではないので、お経は暗唱して、唱えてはならない。読経とは、経典の文言を声に出して「読む」ことである。

 お経の一語、一語の文言を毎回、読んで確認しながら、自分の今の言動に照らして、反省する所は無いかを問うことが読経である。自分の生き方を求めて読むことである。だから10年も20年も同じ経典を読んでいても、毎回、新しい発見がある。

 法事で導師が読経する姿を見れば、必ず、経典を見ながら読んでおられる。経典を見ずに暗唱して読経はしない。昨日の33回忌の法事の読経でもそうであった。

 それを法事の後に住職とお話をして、初めてそのことを知った。70にして69の非を知るである。

 私はこの30年間、毎朝、般若心経、修証義を読経しているが、確かに毎回、自分の行動を振り返るきっかけとなっていた。佛はあの世にはいない。自分の内におわします。

 この日の法要では、般若心経と修証義の第1章、第2章、第3章を導師と共に読経した。導師の読み方を聞きながら経を読むと新たな思いが湧いてくる。

 

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馬場恵峰卒寿記念写経書展写真集 「報恩道書写行集」(久志能幾研究所刊)より

2020-10-06 久志能幾研究所通信 1775  小田泰仙

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