c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2023年9月16日 (土)

命無常、動画「魅惑の美少年 Top10発表」、焼香順違反

 

 私は最近、よくYouTubeを観る。特にジャニーズ問題や木原事件の動画が氾濫していてつい見てしまう。その内容をグダグダと解説されていて、いつの間にか1時間が経ってしまう。何時もその後に後悔である。その内容は雑誌の文書なら3分で終わる。

 「魅惑の美少年 Top10」等の過激題名の動画に気もそぞろになる。またその他に「なになにのTOP10」、「人生が終わるやってはいけないTOP5」、「幸せになる最大の手段 TOP10」等の動画が氾濫しており、そのタイトルの誘惑に負けて、つい視聴をしてしまう。見終わって、大体の場合は時間を損した」と大後悔である。

 

 その発表の多くがランキングの10番目の最後からの発表である。まるで喪主の焼香を最後にした焼香順序の発表のようだ。その時は、私はすぐその動画視聴を打ち切る。そのまま見続けるのは時間の無駄である。私の人生時間を強奪されるからだ。なぜ一番大事な1番目の発表が最後なのだ? 

 

時間は命

 命とはこの世で使える時間の総量である。つまり論理思考のない動画は、その時間を強奪する。ある意味、殺時、殺人である。視聴者の時間を大事にしない利己主義の動画を見れば、人生の破綻である。論理思考の無い動画を見ても、自分の命が無駄遣いされるからだ。時間は命である。ビジネス文書では、一番大事な項目からの説明が求められる。そんな動画を見る生活を続けていたら、人生の大事な時間が無くなってしまう。

 魅惑的で華麗な美少年も、いつしか加齢して中年となる。そして醜態な性被害、性加害の裁判に巻き込まれる。さらに歳を取り、「紅顔いずくへか去りにし、尋ねんとするに蹤跡なし」(修証義)の老年期に入り、この世から消える。美少年はそんな人生を望んだのだろうか。それは死生学の正道から外れた外道の道である。

 命は無常である。命は刻一刻と尽きて行く。その動画作成者は、時間など無限にあると思って、視聴者の時間を奪っている。それは犯罪である。ジャニーズの性暴力問題より罪が重いと私は思う。なにせその視聴者の命の数は多い。その時間分で、視聴者が人生の付加価値を生み出せなくなった。日本の損失である。

 

 「道を得る事は根の理鈍によらず。人人皆法を悟るべきなり。精進と懈怠によりて得道の遅滞あり。進怠の不同は志の至ると至らざるとなり。志の至らざるは無常を思わざる故なり。念念に死去する。畢竟してしばらくも留まらず。暫く存ずる間、時光を空しく過ごすことなかれ(『正法眼蔵隋聞記』)

 

 だらだらとYouTubeを見るのは、命の無常を思わないからだ。命は刻一刻と尽きて行く。無為にYouTubeを見続けるのは、自分の命の使命(志)を忘れたためだ。人生の大事を急げ、である。800年前の道元禅師の言葉は今でも心に響く。

 

YouTube動画のタイトル

 動画では最初の5分から10分ほどを見ないとその内容が分からない。YouTube動画のタイトルトルは過激気味で、その内容を正しく表示されていない動画が多い。動画再生の時間稼ぎ、金儲け主義で、視聴者のことを考えていない動画が氾濫している。文書なら一記事を10秒で一覧でき、読むに値するか判断が出来る。それが動画との大きな差である。

 

動画への考え

 私のブログの読者から、YouTubeへの参入を勧められているが、私はどうしても視聴者の時間を奪うような気がして、参入を躊躇している。やはり文書と動画では、情報伝達の時間効率が違う。動画を見ると、どうしても思考が扇情的に支配され、動画作成者の思想が一方的に押し付けられがちである。その分、深い洞察ができないように思う。

 ブログの記事や雑誌の記事なら、考えながら読むことができる。

 ヒトラーの演説も、一方的な主張の押しつけで、一種の洗脳効果がある。あの演説を文書にして読めば、ドイツ国民はあのような扇情された誤った道には行かなかったのではないか。

 動画が氾濫すると、日本人の思考が劣化するように危惧している。今の日本社会の問題は、愚劣なテレビ番組が氾濫したの一因である。テレビに洗脳され、本を読まなくなった日本人の思考レベルはかなり劣化した。その象徴が日本政治の劣化である。政治のレベルは国民のレベルである。下劣な政治家に無知な国民が投票した結果が、今の政治の堕落である。

 

真実の声

 私は文書で何を伝えるか、そのための情報伝達の構成はどうあるべきかを考えて文書を書いている。その作業はいまのYouTube動画のスタイルでは難しいと思う。

 ただしYouTubeは、洗脳機械のテレビよりは権力への忖度が少ないので、真実を報道できて良い。YouTubeがなければ、木原誠二事件もジャニーズ事件も世に出なかっただろう。その点は評価できる。今のマスゴミは腐っていて、腐臭がする。私は6週間前に日本経済新聞の購読を止め、マスコミから遠ざかっている。変な洗脳報道を受けないので、健やかな気分である。

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2023-09-16  久志能幾研究所通信 2741号  小田泰仙

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2023年9月14日 (木)

お墓の断捨離、三度の死、永遠の命

 

 先日(9月11日)、暑さも少し和らいだので墓参りに行ってきた。最近の異常な暑さのため、このお盆の墓参りを控えた。老いて体力の衰えた身には命の危険がある。今回、無事墓参りが出来て安堵である。雨の予想であったが、雨にも降られず良き墓参りであった。帰ってきたら雨になった。ご先祖様のご加護に感謝である。

 

 お寺の墓地を見渡して、お墓(墓石)も生老病死である、とつくづくと実感した。私が2015年に自家のお墓を改建したとき、今まで6基あるお墓を、3基に統合した。古いお墓は正式の手順を踏んで墓じまいをした。今までの複数のご先祖の墓を統合し、先祖代々の供養塔として五輪の塔を建てた。

 今までは6基のお墓にお参りをしなければならず、時間もかかり、お花代も馬鹿にならなかった。それを3基に統合して良かったと思う。お墓だって、整理整頓清潔清掃が必要である。

 

ご先祖の墓を再建

 今回のお墓の改建で、一番古いご先祖様である「北尾道仙」のお墓を再建することにした。「北尾道仙」は1734年に没したご先祖である。その敬称として「黄鶴」が付いていた。私の叔母が長年、その経歴を探していた。それを私が継続して調査して、大変なご先祖であることが分かり、このお墓だけ別に再建することにした。叔母は京都の尼寺の住職であった。

 

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 墓の字は馬場恵峰師に揮毫していただいた。

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墓石の生老病死

 他家のお墓を見ると、同じ場所に古い墓石が積み重ねて置かれている。墓石の字も風化でかすれており、誰の墓石かもわからない状態で、墓石が積み重ねて置かれている。その墓の所有者は、古い墓石を廃棄処分することが、罰当たりとでも思っているのだろう。しかし、それは逆にご先祖に対して失礼だと思う。位牌でも50年経つとお焚き上げするのが正式の手順である。墓石だって、生老病死があり、寿命がある。特に風雪の厳しい土地では、建立後50年も経つと、墓石がぼろぼろになりがちだ。お墓の石だってお役目が済めば丁寧に弔ってあげるべきだと思う。

 

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  所狭しと置かれたご先祖の墓石の例

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  琵琶湖の風雪で風化した墓石
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墓地のゴミ屋敷

 その朽ちた状態で墓石を放置するのは、却ってご先祖様に失礼だと思う。またそれを管理する子孫を苦しめることになる。そんなことをご先祖も望んでいないだろう。その墓石を墓じまいすることが正解である。墓地の整理整頓である。それを放置すると、その墓地がゴミ屋敷のようになる。

 

三度の死

 人は三度死ぬ。一度目は肉体的な死である。二度目は故人を知っている人が此の世からいなくなる時である。三度目は、この世にその痕跡が無くなったときである。

 その時に墓石があっても意味がない。遠い時代の親戚の人はそれに当る。

 

 しかし、孔子、佐藤一斎師、安岡正篤師、渡部昇一師等の方はその著書が何度も再版され、その師はその著書で世に語りかけている。師がまだ生きていると同じである。そういう師のお墓は保存してお参りしても良いだろう。その師は永遠の命がある。

 私の師であった馬場恵峰先生もその遺作の書画が大量に我が家にある。私はそれを部屋に飾って、先生の遺徳を偲んでいる。その場合も恵峰先生は私の中でまだ生き続けている。わたしはそういう存在に憧れる。

 

2023-09-14  久志能幾研究所通信 2740号  小田泰仙

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2023年9月10日 (日)

「めんどくさい出症」は認知症の前兆

 

 何ごとも、正しくやるのはめんどくさいものだ。昔ながらの細かな決め事がある。なぜこんなことまでやるの?と思うことが多々ある。しかし「めんどくさい」てくるのは認知症の前兆である。

 だからこそ、めんどうなことをやるべきだ。めんどくさいことをやることは、認知症防止の訓練となる。めんどくさいと思ってやらないと、認知症へまっしぐらである。

 脳はその性格上、無意識にさぼる方向に舵を切る。脳も楽をしたいのだ。考えることは重労働である。だから、「さぼろう」という誘惑に負けると認知症へまっしぐらである。脳を堕落させてはならない。

 「めんどくさい」とは「めんどうなこと」が腐臭を帯びて「臭く」なっている状態である。脳は生鮮食品である。放置するとすぐ腐る。生物界の鉄則は、使わない器官は退化する、である。

 だから、「楽な生活ができる介護施設に入ると、認知症の進行が急速に進む」と介護士は証言する。

 日本社会にワープロが普及して、日本人は漢字を使うことが楽になったが、ワープロが無ければ、漢字を正確に自分の手で書けなくなった。それと同じである。それこそ使わない機能は退化する、である。

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   馬場恵峰書  老いの川柳
 

料理

 料理するのがめんどくさいとインスタント食品ばかりを食べると、添加物等の毒で更に認知症が進む。またインスタント食品は植物繊維質が少なく、便秘になりがちだ。便秘症も認知症になりやすい。

 料理こそ、頭をフル活用させる頭の訓練手段である。自炊をすれば、添加物の毒から逃れられるし、お金は貯まる。料理をすることは、今ある食材をどう使うか、どうすれば美味しくなるか、頭はフル回転である。

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噛むのがめんどくさい

 最近は硬い食物を避け、簡単に咀嚼できるものが売れている。噛むことは脳に刺激が行き、ボケ防止の一役を担っている。それが少なくなると、早くボケる。また植物性の繊維質の少ない流動食を食べると、便秘になりがちだ。さらに噛まないからだ液の分泌も少なくなり、腸内環境も悪化し、消化に悪い影響を与える。便秘症の人とそうでない人を比較すると、認知症になる速度が2.7倍も速くなるという(東北大学加齢研究所の中瀬秦然氏の研究で)。

研究テーマ

 私は人を料理して喰うことが趣味である。久志能幾研究所では、人間の生き方、人間の始末の仕方を研究している。それが死生学である。人生最大のテーマは、自分の死にざまである。今それに注力して研究している。近い将来、私も死ぬ。生は偶然だが、死は必然である。

 しかし最近は、煮ても焼いても食えぬヒトが増えて閉口している。人は喰われなくなったら、おしまいである。特に毒親、毒息子、子殺し親、親殺し子、拝金の毒政治屋、死刑になりたいから殺人を犯す鬼、認知症老人が跋扈している。それを喰うと反吐が出る。それに当れば、食中毒である。

 人に美味しく喰われるとは、それは利他行で社会に貢献している証である。

 

現金払い

 今はキャッシュレスが大流行りである。それは消費者が罠にはまった状態である。スマホ決済やペイペイ電子決済等は、頭を悪くし、金遣いを荒くさせる。それがカード会社の付け目である。その悪だくみに乗せられれば、お金は貯まらない。同時進行で、頭の回転が鈍くなる。

 

 私は手持ちの現金額とおつりを考えて、現金払いが多い。必要に応じてクレジットカードや鉄道用カード、特定スーパーの蓄金カードを使う。私はペイペイが嫌いで、いつもニコニコ現金払いである。ローンも組んだことが無い。

 私はペイペイの平社員ではない。自分有限会社の社長である。社員は一人で、社長、部長、事務員の掛け持ちである。とんだ部長法?ですいません、である。

 

信用

 そもそも「クレジット」とは「信用」のことである。自分自身では相手は信用してくれないので、その代役としてクレジットカードで信用を得ている。おかしなものだ。

 100年前の日本には、ツケ、顔という先進的な信用システムがあった。自分の顔さえ出せば、ツケでモノが買えた。世界最先端の信用システムであった。大晦日に集金人に来るので、それで払えばよい。大晦日の集金人から逃げられれば、1年後の大晦日まで猶予が貰える? 懐かしい落語の世界である。

 しかしそれが今は、人を信用しないクレジットカード決済である。西洋文化を取り入れて、「カードのない相手は泥棒と思え」というシステムを導入した。それは日本の信用の文化とは隔絶したシステムである。日本は野蛮な世界の軍門に下ったのだ。情けない。

 

 スマホ決済やカード決済などは、カード会社のお金を多く使わせるたくらみである。その手数料は高い。カードを使う時、消費者には、その負担分は見えないが、その分は、隠れて価格に薄く広く上乗せされている。そうしないとお店もやっていけない。だから売上高の小さな個人店舗は現金の方を喜ぶ。支払い時、消費者が楽になっても、その分、しっかりと密かにカード会社に手数料を取られている。

 私はその昔、その仕組みを知っていたので、高額商品を買う時、カード払いで価格交渉して、その後、現金で払うからと手数料分の5%を値引きさせていた。高額商品の5%は結構大きい。

 

おカネの恩返し

 お金を払う時は、お金に感謝を込めて相手に渡す。そうすれば、後日、お金がお友達を連れて帰ってきてくれる。お金はお足である。それがキャッシュレスでは、そうはいかない。お金に足がなければ幽霊だ。だからすぐ消えてしまう?

 

カードの目的

 そもそもクレジットカードは、ユダヤ人が消費者に金遣いを荒くさせるために発明した消費誘惑道具である。クレジットカードを発明したユダヤ人は、決してカードを使わない。カードを使うと、お金を使い過ぎることをユダヤ人が知っているからだ。それがユダヤ人にお金持ちが多い理由である。ユダヤ人は、世界から迫害を受けてきた歴史がある。現金取引はユダヤ人の危機管理である。

 

脳も労働ボイコット

 人は40歳を過ぎると、年に0.5%ずつ脳の容積が減っていく。60歳では40歳の時より脳の容積が10%も減っている。楽をすると更にその減少速度が加速する。「あれ、それ、その」を連発するとは、脳が言語領域の職務を放棄したわけである。脳の劣化防止として、めんどくさくてもキチンとモノが言えるように日々訓練をしよう。それが家族を地獄に落とすことを防ぐ。認知症になると本人は極楽とんぼ状態だが、家族は地獄である。

 

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ピアノ

 ピアノを弾くのはめんどくさいことだ。しかしやり出すと病みつきになる。私はボケ防止として、65歳からピアノを習い始めた。64歳でグランドピアノを買い、河村義子先生の個人レッスンを受け始めた。河村義子先生ががんで亡くなられ、また私にもがんが発見された。今はがん治療の病後が芳しくなく、体力も無く、ピアノ練習を休止している。今は、ピアノ練習を再開しようと体力増強に取り組んでいる。ピアノを弾くことは、両手を使っての運動なので認知症防止に効果が高い。

 

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左手の活用

 認知症防止の目的で、時折、左手で箸を持って食事をしている。時間がかかるが、却ってゆっくりと食べるのでよいようだ。私は、蕎麦でも左手で食べることが出来る。

 

書道

 認知症防止には、手書き、それも毛筆での手紙、写経がよい。馬場恵峰先生への手紙は、相手が書道の達人なので、ワープロ文書と言うわけにいかず、礼状は全て手書き、毛筆であった。毛筆でも毛筆のペンである。さすがに墨を磨ってのことはできない。それは時間がかかり過ぎ、続かない。

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写経

 写経もよい認知症防止である。今は法華経の音読に熱中してお休み中だが、今までは毎日写経をしていた。それは一日に般若心経の2行だけの写経である。そうしないと続かない。2行だけなら、10分程度で済ませられる。約1週間で一枚の写経が完成する。

 2018年にウィーンに行ったときも、ホテルで写経をした。

 2015年にお墓を作った時は、約110枚の写経をして、お墓に納めた。ご先祖様が認知症になることから守って下さるだろう。

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音読

 本を黙読するよりは、音読した方がめんどくさいが、脳の活性化には効果がある。私は朝のお勤め以外に、法華経を音読している。漢文の読み下しと、石原慎太郎の新解釈現代語訳の法華経を音読である。

 

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  馬場恵峰書 

 

2023-09-10  久志能幾研究所通信 2739号  小田泰仙

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2023年9月 9日 (土)

老年よ 大死を抱け

 

 日本国がまだ若かった頃、クラーク博士は「少年よ 大志を抱け」の言葉を残して、札幌農学校を去った。

 若かった日本国も高齢化社会を迎えた。今、オダ仏教の教祖は、

「老年よ 大死を抱け」と言葉を変えた。

「死ぬまでに実現できないほどの大きな夢を持つこと」それが若さを保つ秘訣である。大きな夢を持つ人は、人生が青春である。青春は齢の過少ではない。精神の若さである。青春は生涯現役でなければ、実現できない。その夢に向かって活動する人は、社会に大きな貢献をする。その死は大勢の人から惜しまれる。それが大死である。

 この世で最大の大死はお釈迦摩様の入滅である。その時は弟子と一緒に動物たちも悲しんで泣いたと言う。私の師であった馬場恵峰先生、馬場三根子先生、河村義子先生の葬儀には1000人近い人が弔問に訪れた。それだけ多くの社会的な貢献をした証しである。

 

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 馬場恵峰書  日中文化資料館蔵 

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六道 

 六道で、自分が人間に生れたことを喜ぼう。六道とは、仏語で衆生が生前に業因により生死を繰り返す六つの迷いの世界。すなわち地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天上をいう。畜生のサルとヒトのDNAの構成を比較すると、98.5%は同じであると言われる。

 それが自分はヒトとして生まれることが出来た。それは一億円の宝くじが連続で百万回も当たる確率と同じである。それもこの日本で、この時代に生れた。戦中に生れれば、学徒動員で特攻を命じられたかもしれぬ。隣国で生まれなかった幸せを喜ぼう。隣国では政府に反対すれば死刑である。ウイグル族に生れれば、強制収容に送られ、生きたまま臓器摘出である。

 また時期が戦争中ならシベリア抑留となり、強制労働に従事されたやも知れぬ。シベリア抑留の初期は、ソ連側も準備不足で、捕虜の死亡率が80%とも言われる。アウシュビッツ強制収容所と同じ死亡率である。私の父と叔父は終戦後、シベリア抑留をさせられた。父は幸い生きて帰国できた。しかし叔父はシベリアの土になった。もう一人の叔父はインパール作戦で戦死した。残った遺品は、一枚の死亡通知書だけである。

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ご先祖供養

 私には、先の戦争は遠く昔の話ではない。このご先祖の為に、8年前の2015年、お墓を改建した。インパール作戦で戦死した英霊に、院号を付けて頂き、その位牌を作り、墓誌にも刻印した。

 よく考えたら、そのお墓は、自分も入るお墓である。がんの手術後、覚悟を決め戒名も頂いた。我が家の墓誌にその戒名を刻んだ。まだ私は生きているので、その戒名に朱墨を入れた。葬儀の段取りもした。死後50年間の法要の段取りもした。そのお金も払った。遺言状も書いた。後は死ぬだけだから、これで雑事に煩わされず安心して、死ぬまで大きな夢に向かって邁進することが出来る。

 

遺品整理

 それで安心して、断捨離はせず、所有品の整理整頓・廃棄を進め、そのうえで欲しいものを買いまくっている 2年前に別宅の事務所も買った。お金は残しても意味がない。お金は記号である。それを使って付加価値を生み出して、なんぼの価値である。そのモノが自分の生活を効率的にして、幸せな時間を生み出す道具になると判断できれば、私は躊躇せず投資として買いまくってる。それは小品の台所用品や事務用品で安い製品ばかりである。

 

命を使い切る

 この日本でこの時代に生れたこの僥倖を使って、大きな夢に向かって命を全うしたい。生は偶然だが、死は必然である。嫌だといっても、時期が来れば彼岸からお迎えに来てくれる。それまで命を使い切りたい。

 

若さ維持

 人は意欲を失うと、急速に老化が進む。大きな夢を持ち、それの実現のため頭を絞り知恵をだすことは、老化防止には最適だ。自分で自分を駆り立てなければ、老いて朽ちるだけである。

 夢の実現に向けて、その途中で死んでも構わない。夢が実現できなくても構わない。その夢が未来の光である。その光に向かって歩き続ける過程が生きている証なのだ。その過程で多くの学びとご縁がある。それが人生のお宝で、生きた証である。

 

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 老年期が、生き永らえるだけの期間ではあってはならない。それでは「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」である。それは死んだ人生だ。それこそボケの促進剤だ。私は最期まで社会に付加価値を与え続ける人間でありたいと精進している。94歳で亡くなられた馬場恵峰先生がそうであったように。

 

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 馬場恵峰書

2023-09-09  久志能幾研究所通信 2738号  小田泰仙

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2023年9月 2日 (土)

72歳は健康人生の終焉、「死路」の未知を学ぶ

 

 日本人男性の平均寿命は81歳だが、平均健康寿命は72歳である。多くの場合、72歳以降の9年間は病院通いか寝たきりかの人生となる。72歳とは健康人生の終焉である。最近、体の不調でそれを痛感する。

 

 60歳の筋肉量は、若い頃の半分になっている。筋肉は成人以降、年1%ずつ減っていく。これは自然界の原則である。

 同じように40歳を超えると脳の容積は、年0.5%ずつ減っていく。これは平均値で、意識しないとその速度は増える。平均値からの単純計算でも、70歳ともなれば、40歳時に比べて15%も脳の容積が減っている。記憶力が衰えて当たり前である。要は物忘れが良くなったのだ。都合の悪いこともすぐ忘れる。喜ばしい?

 

 それに伴い免疫力は若い頃の半分になっている。だから60歳を過ぎるとがんの罹患率が急速に上がってくる。自然界の法則である。私も69歳でガンになった。

 がん研究振興財団の統計(2015年)によると、一生涯のうちに何らかのがんになる割合は、男性で60.0%、女性で44.9%とされる。

 劣化した日本社会ががんを量産している。意識しないと、拝金主義者たちの金儲けのために癌にされ、その餌食にされる。がん治療でさえ利権産業である。

 

 65歳を過ぎると15%の人は認知症になる。75歳ともなると25%が認知症である。

 人生は生老病死である。それを痛感する期間が、72歳から死までの9年間である。

 

 健康寿命の72歳となれば、健康人生は終わりを迎える。その後は、自分は病人であると割り切って過ごせば気が楽である。無理をするから老年が辛くなる。老人は、無理をする必要はない。

 

 散歩はリハビリテーションと割り切って治療として歩けばよい。そうすれば自分の体を治そうと頑張れる。若い頃の様に、運動して体力をつけねばとの義務感も不要だ。散歩をすることが義務ではなく、気分転換も兼ねた必要な治療として前向きに取り組めばよい。

 

 食事も病身の自分の体の治療のための病院食と思って、体に良いものを食べればよい。いままで散々美味しいものを食べてきたので、その治療が必要である。美味しいものには毒がある。美しいバラには、トゲあると同じだ。そのため病院食として制限があるのは当たり前。そう思えば気が楽だ。

 加齢により免疫力が低下しているから、添加物等の毒物は避けたい。弱った体をいたわろう。若い時に比べて、毒物に対して抵抗力が半分に減っているのだ。

 

「死」という名のプロジェクト

 死は人生最後の最大のイベントである。「死」の路は、未知の路である。その路で失敗するわけにはいかない。今までの人生の生き方が問わる路でもある。準備には9年もあるはずなので、ゆっくり緻密に進めればよい。

 元気いっぱいの時に死ぬのは生木を裂かれるように辛いが、少しずつ全身の細胞が衰えて行き、老衰で死ぬのは自然である。そうなれば枯れるように倒れるので、苦しみも少ないという。

 

人間の完成

 ヒトは動物して生まれて、最終目標の人間となるべく、学び続けて生きる。動物として生まれて、学ばずに生き、動物のままで死んでは、犬畜生と同じである。それは避けたい。自分の人間としての未完成部分を見付けて、死ぬまでそれを修正すべく学び続けたい。

 

着陸、死のアプローチ

 私は人生を飛行プロジェクトとみなしている。人は朝の離陸時、希望を持ち大空に飛び立つ。昼は精一杯の努力で頑張り目的地を目指してひたすらに飛ぶ。目的地の空港上空に到達すれば、着陸の準備をする。死のアプローチである。

 着陸準備では、今までの飛行の安全に感謝して、飛行最後の仕事をする。着地前に不要な燃料(資産やしがらみ)を捨て、身軽になって着地である。そうでないと機体が重すぎて地面に激突である。着陸前に、チェックリストに従い、人間として最後の仕上げの確認をする。それが人生最後の9年間の仕事である。自分は人生飛行機の機長なのだ。

 

着陸時の逆噴射、人は飛行の最期で間違える

 1982年2月9日、日本航空の DC-8機350便が羽田空港沖に墜落した。350便は福岡空港発・東京国際空港行の定期便で、乗員乗客174人中24人が死亡し149人が負傷した。

 この墜落は、機長が着陸進入時、錯乱してエンジンを逆噴射したのが原因であった。機長は精神を病んでいた。

 

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 着陸は美しく決めたい   セントレアにて

 機長の精神が正常であれば、美しい着陸となるが、機長が錯乱すれば、大惨事である。

 人ごとではない。誰でも人生飛行の最期は着陸である。

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人は最期に間違える-1

 人も往々に死の直前に錯乱して、死の準備を間違える。知人の叔母(約80歳)は、乗り合わせたタクシーの運ちゃんの困窮ぶりに同情して、彼を家に引き入れて自分の面倒を見させるようになった。その男はアパートの家賃が払えないほど困窮しており、老女の家に転がり込んだのだ。それでその男の身上が分かる。死の半年前に、老女はそのどこの馬の骨ともわからない男を正式の養子にしてしまった。

 知人はその錯乱状態の老女から、養子の手続きの手助けを泣いて懇願されたと言う。知人は異常さを感じて身を引いたと言う。

 その結果、その老女の愚行のため、ご先祖が汗水たらして蓄えた財産の3分の一が、この男に遺産分与として行ってしまった。その額、約1億円である。つまり惚けた金持ち老女を誘惑するのは簡単だ。老女を1年程介護して、遺産の1億円をゲットである。詐欺に近い。法律的に正式に養子縁組をしているので、2人の実子は為す術がなかったという。

 生前の生活の如何と育てられ方如何で、愚かな人は死の直前に大きな間違えをするのだ。彼女は金持ちの家で蝶よ花よと育てられ、世間の厳しさを学ばなかったようだ。それで、人生の着陸時の逆噴射である。そしてご先祖の顔に泥を塗った。その遠因はその老女と実子の嫁との確執もあったようだ。結果として、実子を悲しませた昨年の事例である。なぜ老女がそんな行動に出たか、なぜそう追い詰められたか、相応の理由があるはずだ。遺族はその真因を考えて反省すべきであろう。遺族の今の考えが、今後の人生に影響するだろう。この件は、他山の石としたい。

 

人は最期に間違える-2

 1980年代のバブル末期には、「自分が死んだら、買い集めた絵(数億円の価値)を自分の棺に入れて、一緒に火葬して欲しい」という成金まで現れた。世も末である。完全に死の準備を間違えている。芸術作品は社会の財産である。いくら金を出しても、あの世に持って行く権利はない。守銭奴の醜態である。そのバブルも1991年にはじけた。経済活動で生まれたバルブも生老病死の一過程である。

 

死の床での感謝

 お釈迦様は80歳で入滅された。日本人男性の平均寿命が81歳なので、2000年かけて、日本人も寿命だけの面だけで見れば、やっとお釈迦様レベルにまで成長したのだろう。自分もその歳までは生きるべく精進をしている。

 一緒に仕事をした仲間の20余人が、天寿を全うせず60歳までに世を去った。自分は過酷な労働環境下でも、古希まで生かされたことに感謝したい。あと少しの間、少しでもお釈迦様の精神面レベルに近づくべく、死まで精進をしたい。死後、佛を目指して仏道を励む方を菩薩と言う。死ぬまで佛を目指して精進する人を、生き菩薩という。別名、生涯現役の人である。

 私は死の直前まで普く賢く生きたいと願っている。

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 普賢菩薩像 大仏師松本明慶作

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  馬場恵峰書

 

2023-09-02  久志能幾研究所通信 2735号  小田泰仙

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2023年9月 1日 (金)

株式相場、人生相場、勝負の世界での儲け方

 

 どんな相場でも、勝つためには、健康が最重要である。

 自分の株を上げる最高の投資先は、自分の体と頭である。

 

詐欺寸前、ハニートラップもどき

 2010年、前職を定年退職して大垣に帰郷したとき、年金の受け取り口座開設のため大垣共立銀行に出向いた。そうしたら妙齢の美女が迎撃戦闘機のように突進してきて、私を別室に引きずり込んだ。私は彼女から退職金の運用の勧誘を受ける羽目になった。彼女は名刺を差し出した。そこにファイナンシャルプランナーの肩書が書かれていた。彼女は、私の資産状況を聞き、退職金のブラジルやオーストラリアの資源国ファンドの運用を勧めてきた。

 私は、銀行マンがファンドの販売でノルマある事を知っていたので、軽く受け流して、「もっと儲かる投資先があるよ」と誘い水を流した。彼女は私より頭が悪そうで、相場経験も少ないはずで、財務の勉強もなさそうだったので、反撃した。

 彼女は「エッ! それは何?」

 そこで私は、「自分に投資すること。銀行員を信用しないこと」と彼女を撃墜した。

 その数年後、資源国ファンドは暴落した。銀行から勧められるまま買っていれば、大損するところであった。銀行は、ファンドを売って、その手数料さえ入れば、客が死んでも知ったことではない。大垣共立銀行はその汚れ役を妙齢の美女に任せている。まるでハニートラップである。

 

健康とは

 どんな投資先でも、その選定に自分の頭で考えなくては、絶対に儲からない。そんなに儲かる話なら、人に勧めず何故自分でやらないのか。それを考えれば、自ずと答えは出る。

 それを考える時、自分が健康でないと正しい答えが得られない。健康とは、体と心の健やかさである。

 

死んでもいいが、病気になってはならない

 株式投資でも人生投資でも、一番避けねばならない事項は、死である。どんな儲かる話でも高配当の会社でも、倒産してしまっては、元も子もない。欲に駆られると、目先が見えなくなる。会社の寿命は、その遺伝子で決まる。あぶない会社には近づかないことだ。

 どんなモノでも生老病死である。それは会社でも当てはまる。永遠に成長する会社など存在しない。

 人生で一番大事なことは、健康を維持して頂いた命を全うすることだ。今、生きていることは、1億円の宝くじが連続で百万回も当たると同じくらいの大儲けである。それを大事にしよう。そのために第一歩が、自身の健康管理である。死ぬことは、滅多にないが、病気は簡単になってしまう。そうすれば命を全うせず、早く寿命を迎える。

 

健康でないと

 健康でないとは、未病の状態である。例えば、高血圧症とは、健康な状態ではない。高血圧とは、血管内に糖分の粥のような塊(プラーク)がへばりつき、そのせいで必要な血液が脳内の毛細血管に酸素がいかなくなる。それで自律神経が血圧を上げている。それを降圧剤で血圧を下げるから、脳に必要な血液が回らず、正しい判断が出来なくなる。健康でないと、考え方が後ろ向きになりがちだ。

 

 肥満とは前がん状態である。肉好き、脂っこいもの好き、甘いもの好き、暴飲暴食の繰り返しで人は肥満になる。そうすると動脈の血管内部にプラークと呼ばれる脂肪の塊がへばりつき血管内部が狭くなる。それで血液がうまく流れないので、自律神経は血圧を上げる。それが高血圧症である。

 

 高血圧症になると血液成分の白血球が閉塞分に滞り、滞った白血球同士の反応で、炎症を引き起こすサイトカインが大量に発生する。その炎症は全身の各臓器に運ばれて、その部分で炎症を発生する。それが脂質異常症、糖尿病、肥満の症状で、それが「前ガン症状」でもある。肥満では、頭の中も異常状態である。そんな状態で勝負勘が働くわけがない。

 高血圧症も肥満状態も前がん状態である。そんな不健康な状態で、株式相場、人生相場、勝負の世界で勝てるわけがない。

 

 健康は、正しい食生活、正しい生活習慣から生まれる。添加物まみれの食品を取れば、その毒物の処理で腸内の免疫酵素がフル活動である。それでは頭にまでは血液が回らない。当然、正しい判断に影響が出来る。

 例えば加工食品に多く入っている調味料(グルタミン酸ナトリウム)は、神経興奮剤であり、依存性がある。欧米では禁止である。そんな毒物を常用すれば、判断が狂ってしまうのは、宇宙根源の理である。

 

 自分の過去を振り返り相場の成績を俯瞰すると、体が不健康な時の株式相場や人生相場での成績は悪かったことが分かる。それは会社の出世にも影響した。健康状態と会社内の昇格と儲けは比例する。だからこそ、人生相場で儲けたかったら、死んでもいいから、健康管理最優先である。

 

餌に釣られた生贄

 先日、YouTubeで野良猫の捕獲映像を見た。腹の空いた野良猫が撒き餌に釣られて、捕獲檻に誘導されて捕獲される映像である。その映像を見て、欲に釣られてくず株を買い、自分で檻に入り、美味しい餌を食べているさ中、檻の蓋が突然に閉まり、捕獲される。つまり株にのめり込んで、破産する人の姿とそっくりなのだ。

 当時のホリエモンのライフドア事件(2004年)を思い出した。欲に釣られた投資家の多くが被害に遭い、自殺者まで出た事件である。自分の健康管理ができていないから、正常な判断が出来なかったのだろう。この魑魅魍魎が住む株式相場の世界で一攫千金などできるわけがない。

 

敵を知り己を知らば百戦危うからず  孫子

 自分の頭で考えて、未来を予測する。それは地道な情報収集と自分の頭の訓練である。自分への投資が一番の戦力になる。

 自分の性格を分析して、どんな決断をする傾向があるか。第三者の目で自分を分析する。そのための研修を受けた。その中で、臨死体験までさせられた。費用総額は約150万円。それで自分の性格分析が出来て、自分の醜い性も見せつけられた。良い勉強となった。それで経営の勉強と人生相場の戦いの訓練ができた。

 投資候補相手会社の財務状態の調査をして、投資先を探す、それが人生相場、株式相場での戦い方である。そのため国家資格に挑戦もした。経済学と財務学の科目は合格にこぎつけた。株式相場では、バランスシートの読み方が分からなければ、勝負はできない。

 

生老病死

 いくら多く稼いでも、命は生老病死である。かのアップルのジョブズでさえ、世界一の大金持ちになり、そのお陰で40億円を自分のガン治療に使えた。それでもがんに勝てず、彼は56歳で旅立った。世界一稼いでも、そのカネで自分が幸せになれなければ意味がない。

 株式相場、人生相場、勝負の世界での最終目的は、他より少しだけ多く稼いで、使命を尽くして自他を幸せにすることだ。

 

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2023-08-31  久志能幾研究所通信 2734号  小田泰仙

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2023年8月29日 (火)

マスゴミ認知症死、新聞購読中止、1か月後の俯瞰

 

購読中止で正解

 私は50年間購読した日本経済新聞を7月末に止めた。その1か月後の8月28日、市の図書館で1ヶ月分のバックナンバーを流し読みした。その所要時間約40分であった。バックナンバーを俯瞰した感想として、日本経済新聞の購読を止めて良かった、である。下記は、この一か月の記事を俯瞰した感想である。

 

購読を止めて良かったこと

 マスゴミからの洗脳から逃れられた。今、マスゴミを読まなくても、何ら問題が無いことがわかった。まるで、私が仙台へ行くための情報を探していたが、日経が北京行きの情報を何度ともなく耳元で囁くように伝えてきたのだ。それは洗脳である。それは記事の中の言葉の語感から受けた。記事の言葉づかいで日経新聞社の潜在意識が透けて見える。

 

 洗脳状態からの脱却で精神的に心の安定感を増せた。今までは人の心を煽る記事が多かった。購読を止めて、その結果、身が閑(のどか)で、夢が安らかになり、養心ができた。

 

 特に中国経済のヨイショ記事を読まなくてもよい。日経新聞は、中国の悪い話はほとんどない紙面構成である。それで多くの投資家が騙された。それから逃れられた。

 また政府べったりの御用記事が多く、騙されることが多かった。

 

 その他の利点として、あまりに分量が多い広告紙の処理に悩まされなくなったのも大きい。広告もパチンコや、ゲーム、不動産、車の宣伝ばかりである。その紙くず処理に時間とお金がかかる。それが無くなった。

 

 毎朝、新聞が来ると読まねばという強迫観念に責められることが無くなった。ネットで見れば済む話である。年金生活者の身で、一刻を争そって見なければならぬニュースなどありはしない。ネットで十分で、一か月後、図書館で見れば済む話である。

 

 日経に頻繁に登場する池上彰の記事を読まなくても済む利点も大きい。池上彰の考えは偏向し過ぎである。私は池上彰の顔を見るだけで寒気がする。

 

 スポーツ記事、グルメ記事、テレビ欄も読まなくて済む。私には全く興味のない記事である。経済新聞を標語するなら、記事を経済に特化すればよい。それでいて経済を支える国家体制、法治国家の危機問題には完全スルーである。国家体制、法治国家の体制があってこそ、経済活動が成り立つ。日経は、それを揺るがす問題をスルーである。

 

 太鼓持ち新聞として、体に悪い商品の宣伝や記事を読まなくてすむようになった。日経記事で発癌性物質だと報道しながら、その会社の宣伝が多い。要は洗脳記事である。

 

 日経新聞を止めて、月に5千円の購読費用がなくなった。年間6万円、10年間で60万円の節約である。

 

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正師

 「正師を得ざれば学ばざるにしかず」道元禅師(『学道用心集』)

 「正しい師に会えないなら、むしろ学ばない方がよい」とまで道元禅師は言う。正しい師とは、現代で言えば、マスコミからの情報での方向決定の情報である。しかしそのマスコミが、自分が仙台に行きたいのに、その方向の情報は流さず、逆方向の北京への道を教えるようなものだ。だから、その発信者は不要だと言うのだ。マスゴミは正しい情報を流さず、それを補うため無駄な情報(雑音)しか流さなければ、それは洗脳報道で、害毒である。

 

いつか来た道

 日本の拝金主義の企業人は、14億人の中国の市場に垂涎のまなざしを向けていたようだ。日経は、それの太鼓持ちの記事を書くのに余念がなかった。

 マスゴミは戦前の報道で、「満州は日本の生命線、バラ色の土地だ」と報道していたのとまるで同じである。愚者は同じ過ちを繰り返す。マスゴミは敗戦時、反省をしなかった。いまだそのツケをはらっていない。

 

報道の使命

 今の大手マスゴミは日本国民に目隠しをして、国を滅亡への道に導いている。国民に悪い洗脳を施している。まるで戦前の新聞が景気の良い話で、国民を煽って日本を戦争に導いたかのようだ。

 

 報道などは静かに真相を伝えれば十分だ。太鼓を叩いて浮き立たせる必要はない。広報や報道は絶対に嘘を言ってはならぬ。そうなったら戦争は必ず負ける。(連合司令長官 山本五十六)

 

 

マスゴミが認知症に

 日本では国家の根底を揺るがす法治国家としての問題が噴出している。大手マスゴミは、認知症症状で死の寸前で、その報道をスルーである。

 大手マスゴミは、政府の記者クラブから排除されることを恐れて、木原誠二問題を完全にスルーである。記者クラブの控室に、木原誠二が週刊文春を告訴したとの張り紙があるという。それを報道すれば、お前たちも告訴するぞとの暗黙の脅しである。だから大手マスゴミは木原問題をスルーしている。これは報道機関の自殺である。ネット上では、この問題で大炎上しているのに。

 大手マスゴミは、松川るい事件の国家外交問題を揺るがす問題を見過ごし、くだらないニュースで紙面を埋めている。最近、天気予報のニュース番組の時間が異常に長くなったとの噂もある。

 大手マスゴミは、法治国家として違法移民を特別扱いして、残留を認めることを黙認する記事で埋めている。移民問題が、先月のフランス暴動の引き金であったのにも関わらず、政府の移民政策を後押しの記事である。移民を受け入れて成功した国はない。少子化対策で、移民は対処療法である。フランス、ドイツ、スウェーデンでの惨状に目を背けてはならない。育ちが違うと、同国民間でも、嫁姑問題、離婚問題が噴出するのに、ましてや価値観が違う民族が日本国内でうまくいくわけがない。川口市のクルド人騒動問題を、大手マスゴミはスルーである。

 日経の記事は反グローバル経済主義者のトランプ元大統領を忌避し、彼を叩く傾向が、顕著である。日経はグローバル経済主義万歳の方針である。

 日本経済新聞は、レジ袋有料化の問題を、話題を変えて都合のよいニュースとして記事にしている。事件の本質をすり替えている。洗脳である。

 

洗脳記事の実例は別記事で報告する。

 

2023-08-29  久志能幾研究所通信 2733号  小田泰仙

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2023年8月12日 (土)

岸田の冥途カーテン撤去、寝室窓をバリケード封鎖

 

 私は寝室にある外窓をベニヤ板でバリケード封鎖をしていた。今回、ベニヤ版の遮光を改良して、そのカーテン(私は「冥途カーテン」と命名)も撤去した。この数年、窓を開けたことがないので、カーテンも不要と判断した。窓を封鎖した目的は、寝室の環境改善、睡眠の質の向上である。その真意は良く死ぬため、良く生きるためである。

 カーテンを撤去したので、そのクリーニング代も不要となった。経費削減である。オーダーメイドのカーテンのクリーニング代はド高い。その金額は、軽く1万円は超える。クリーニング店で確認したら、まず見積もりが必要との事。それでクリーニングを諦めた。

 

寝室の改良

 一日一生である。一日の行動は一生を象徴している。朝は新生の時である。そして一日しっかりと働けば、夜は疲れ果てて、「死の床」の寝室で、心地よい疲れの中、「死んだように」眠る。熟睡した後は、さわやかな目覚めで起床できる。環境の悪い中で睡眠して、質の悪い睡眠を取るから、起床時に目覚めが悪く、疲れ感も残る。

 寝室での仕事は寝ることだ。だから寝室から外の景色を眺める必要はない。寝室で仕事をすることも無い。だから良質な睡眠を得るためには、外窓を封鎖して、部屋を真っ暗にして眠るのだ。良質な睡眠こそ、健康の第一歩である。有意義な人生は健康からである。

 

補完工事

 熟睡するために遮光カーテンを付けるだけでは、強烈な朝日を完全に防ぐことはできない。普通の環境では、夏の朝4時の朝日の光で眠りの浅い老人は目が覚めてしまう。まだまだ眠りたいのに、目が覚めてしまっては、もう眠られない。そのため、窓をベニヤ版で封鎖して、補完的にカーテンで遮光をした。今回、遮光を改良したので、カーテンを撤去した。

 

 目を閉じていても、網膜は小さな光にも反応する。その防止のため、時計も液晶の光らないタイプに変えた。エアコンのパイロットランプもガムテープでふさいだ。

 

 寝室では、スマホやテレビはご法度である。ラジオも撤去した。過去に深夜番組を聞いていた時期もあったが、今反省すると睡眠の質は良くなかっただろうと思う。固定電話の子機も、手元から3m離れた場所に移動させた。

 

冥途カーテン

 カーテンとは、遮光、防音、間仕切り、覗き見防止などを目的として、窓や部屋の出入り口などに吊り下げて使用する家具である。外部と内部を分ける機能がある。寝室内部は将来の冥途の世界である。寝室外は現世の娑婆の世界である。

 その区切りが、普通のカーテンでは不十分で、完全なる安眠が難しい。だから私は窓をベニヤ板でバリケード封鎖をした。それで良く寝られる。

 

 外部から中を見通しにくい国家・組織の比喩としてカーテンが使われることがある。冷戦時代の「鉄のカーテン」「竹のカーテン」である。だから私は今までのカーテンを「冥途カーテン」と名づけた。

 

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 窓をベニヤ版で封鎖、軸は馬場恵峰書

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岸田の冥途カーテン

 今の岸田政権は、身内の不祥事(木原誠二事件、秋本真利事件、フランス松川ルイ事件、LGBT法案問題、増税案件、移民推進方針等)を隠蔽することに全精力を傾けている。国民の為の政策は皆無である。マスコミも口裏を合わせて、その上級国民の天国やりたい放題状態と庶民の下々生活の格差を冥途カーテンで隠蔽している。

 

永眠と目覚め

 完全な静かな環境にして、私は毎晩、永眠の練習に入る。8時間後には目が覚めるが、何時か、目が覚めない時が一度だけ訪れる(約2万回に1回)。人は生老病死である。

 私が朝、目覚めた時、最初に目に飛び込むのは、馬場恵峰先生の「人生、今日が始まり」「道」の書である。その書は、「目が覚めてまだ息をしていれば、この世で、まだまだやることがあるよ。生涯現役」との馬場恵峰先生の叱咤激励の言葉である。

 そして「道」で人生の歩き方を示唆してくれている。千里の道も一歩からである。焦ってはいけない。私は「あせっては」の字体に惚れて、この軸を手に入れた。今までの人生の焦り過ぎを反省した。

 

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  理念と経営 名言カレンダー コスモス出版 

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2023-08-12  久志能幾研究所通信 2727号  小田泰仙

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2023年7月30日 (日)

死望の道、命を全うさせる

 

 死とは、生を全うした最終の姿である。与えられた生を全うせず、途中で終わるのは、死とは言えない。それは中断、途中挫折である。人間の場合、それは殺人ともいえる。自分で、自分の命を粗末にして、あるべき生を全うできなかったのだ。稀有な命を早死にさせたのだ。

 人間が生まれるという生は、1億円の宝くじが連続で百万回あたるのと同じくらいの確率である(村上和雄筑波大学名誉教授談)。そんな稀有な「生」だから、それを途中放棄せず、全うすべきである。その最終の姿が「死」である。生を全うすれば、その死は美しい。

 

「自分の命を使い切って死にたい」(樹木希林)

 樹木希林さんは全身がんに侵されながら、女優活動を最期まで全うされた。最後の1か月程は寝込まれたようだが、それでも最後まで全力で生きた。見習いたい生き方だ。

 

 どんなものでも生老病死である。死とは、生と言うプロジェクトの完成であり、与えられた使命の完遂の姿である。それは天寿といって、その死は喜ばしいことだ。

 

「四時の序、功を為したものは去る」(『十八史略』)

 四時とは春夏秋冬のこと。自然の営みでは、春が終われば、夏がやってくる。その逆は絶対にない。人生も同じで、生を受け、青春を全うし、盛夏でがむしゃらに働き、秋になり現役を引退し、老いて死ぬ。それが宇宙根源の法則である。時がくれば死の道に入っていく。それが正道である。

 

 しかし、死にたいのに死ねないのは、地獄である。それが非道である。手足を縛られてベッドに固定され、胃瘻で生き永らえさせせられるのは、地獄である。尊厳死とは程遠い姿である。それは敗北の死である。そんな病人が日本には26万人もいるという。私が患者なら病院での延命治療を拒否して、自宅で家族や看取り士に看取られて、安らかに死にたい。それが死望の道である。

 胃瘻は、家族の間違った死生観である。家族は世間体を気にして胃瘻をして植物人間をつくりだす。現代医学を悪用した偽善である。人は食べられなくなったら、死ぬ。それが宇宙根源の法則である。それに逆らうのは、非道である。

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 死望を持って、焦ってはいけない。

  死望とは、与えられた生を全うすること。

  四時の序を守ること。

 進むには目標を立てよ。

  何のための生なのか、自問せよ。

  この世で使える総時間が「生」である。

  その時間を全うせよ。

 そして順序を誤るな。

  四時の序を守って、生を全うせよ。

  その目標達成のためには、順序がある

 

 仙里の道も1歩から

  古代中国では、老年期の理想は、仙人になることという

  それは使命を果して、世を去ること

 

 

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  馬場恵峰書

 

2023-07-30  久志能幾研究所通信 2723号  小田泰仙

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2023年7月 4日 (火)

電話は人生プレゼン、死を目前に「かけ放題」の宴? irumoに乗り換え

 

 5分間の電話をするとは、相手の人生時間から5分間を一方的に強奪している。自分の人生時間からも無駄に浪費している。時は金なり、でなく、時は命なり。命とはこの世で使える時間の総量である。

 人の命でも明日は分からない。そんな危うい人生劇場で、「かけ放題」の電話料金プランで、とりとめもない話で電話をかけ続けるのは、死を目前に狂乱の宴を続けるようなものだ。人生では、もっと大事なことがある。そのため悪魔の饗宴から身を遠ざけた。

 

時間単価

 人生最期の日に、あと一日間、命を伸ばせるなら、いくら払うか、その金額を24時間で割れば、自分の時間当たりの単価が分かる。もっと具体的に時間単価は、余命から計算できる。もし、自分ががんになり、医師から、余命1年と宣告されたら、

余命の時間コストは、所有する金融財産÷(10時間×365日)である。

財産はあの世に持って行けない。不動産もすぐにはカネに変えられない。使えるのは、持てる可処分な金融財産が全てである。

 1日に24時間もあっても、睡眠を除けば、使える時間は16時間で、そこから食事、風呂、身だしなみ等の時間を引けば、実質一日10時間もない。余命宣告された病身なら、体がまともに動かせない。病院通いであれば、時間が更に取られる。

 健康でないと、そのお金も使いきれない。お金を使うにも体力がいるのだ。

 1000万円の金融資産があるとすると、一時間当たり、2,740円である。一分当たり46円である。

 もし自分に金が無尽蔵にあれば、もっとカネを出すだろう。アップルのジョブズは、自身のがん治療に40億円を使ったと言われる。彼は世界一のお金持ちであったが、それでも56歳で人生を終えた。世界一の財産家でも、命はお金で買えない。時間とは命なのだ。命とは、この世で使える時間の総量である。そのうちの電話の5分の価値は大きい。

 10,000,000÷(365×10時間)=2,740円/時間

 70歳の日本人男性の死亡率は、1000人当たり18人(平成21年)である。つまり1年後、100人に2人は死ぬ。昔の中学校の50人クラスで言えば、毎年、そのうち1名が死ぬ。加齢により、その死亡率は急上昇する。宝くじに当たるより高確率である。その1年の利用可能時間中、5分の時間は貴重である。その5分で何を相手にプレゼンテーションをするのか、が問われる。

 

1 男性の死亡率

年齢別の死亡率 | 保険相談・保険の見直しは保険マンモス【公式】 (hoken-mammoth.com)

年齢
死亡率 平均余命 死亡率 平均余命
(年) (年)
55歳 5.11 27.09 2.33 33.04
60歳 8.25 22.87 3.43 28.46
65歳 12.28 18.88 4.86 23.97
70歳 18.36 15.1 7.8 19.61
75歳 31.49 11.63 13.79 15.46
80歳 55.25 8.66 26.1 11.68
85歳 93.41 6.27 51.34 8.41
90歳 151.78 4.48 98.68 5.86
95歳 225.23 3.24 168.41 4.13
100歳 313 2.36 246.18 3.01
105歳 1000 1.73 1000 2.25
     

      <厚生労働省「平成21年簡易生命表」>

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irumo

 今まで、時間など無限にあると思って、電話でもかけ放題で、無意識にだらだらと電話で話しをしていた。その時間分は、命の無駄遣いであった。それは自分にも相手にも大迷惑である。

 電話相手が団塊の世代なら、余命は10年程である。1年後には100人中の3名は死ぬのだ。自分も団塊の世代である。1年後にその3人の一人になるやも知れぬ。

 今回、ドコモの新料金プランのirumoに変えて、従来の「かけ放題」プラン(月2430円)から「5分のかけ放題」プラン(料金月880円)に変更した。それで時間意識が明確になってよかった。

 またスマホでネット情報検索をほとんど使わない前提なので、新プランのirumoにして、時間節約をした。スマホの小さな画面で、ネット検索をしていれば、時間の無駄遣いである。ネット検索はPCの大きな画面でやると決めれば解決である。

 その結果、従来は月に6000円程であった携帯料金が、月1430円に激減した。

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5分で人生をプレゼンテーション

 その時間を明確にするため、新たに5分の専用ボタンのあるキッチンタイマーを購入した(7月3日)。価格1331円である。人に電話する時は、5分で自分の人生をプレゼンテーションすると意識して、話すべきである。3分の講演は400字詰め原稿用紙2枚で表される。5分なら1330語、約3枚である。それで自分の言いたいことを話せないとは、人生劇場でのプレゼンテーション能力が無いと言える。それでは自分人生有限会社の社長として、失格である。だからこそ、5分以内で話しを終わらせるべきと認識しよう。

 

 

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   「 5分」専用ボタンのあるキッチンタイマー

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時間の浪費   p 35

 その原因はどこにあるのか? 君たちはあたかも自分は永久に生きられるかのように今を生きていて、自分のいのちの脆さに思い致すことは決してない。いかに多くの時間がすでに過ぎ去ったかを意識しない。時間なぞ無尽蔵にあるもののように君たちは時間を浪費している。そうやって君たちがどこの誰かに、あるいは何らかの事に与えているその日が、実は君たちの最後の日であるかもしれないのに。死すべき者のように君たちは全てを怖れ、不死の者であるかのようにすべてを得ようとしているのだ。

                 セネカ「人生の短さについて」3-4(中野孝次訳)

 

 

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2023-07-03  久志能幾研究所通信 2714号  小田泰仙

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