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2022年2月20日 (日)

壁にぶち当たったら 小休止

自分が変わらない限り、何も変わらない。

 2006年5月28日 明徳塾で 馬場恵峰師談

 

 郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いのよ。自分が東大に行けず、郵政次官になれず、赤を変える政策を取れなかったのが、原因なのよ。上級国民になれる勉強をしなかった自分が悪いのよ。

 しかし人間界で起きた事象は、人間界で解決できる。解決でないのは、自分が変わらなかったためだ。成長しなかったためだ。その突破口を見付ける能力を付けなかっためだ。知恵を出す努力をしなかったためだ。

 この激変する社会で生き延びられるのは、最適な能力を付けた種である。けっして学校の試験で良い点数を取った人間ではない。古典的エリート種は絶滅危惧種である。上級国民でない我々は、新世界を生きるために、変わろう。

 

 問題の壁から一歩下がって、全体を見渡して、壁を通り抜ける道を見付ければよいのだ。壁を壊す必要はない。その壁を避ける道を見付ければよいだけだ。その道が利己的でなく、利他的であったら、世の人が応援してくれる。

 

 夏の日に、家の中に飛び込んできた虫が、窓ガラスに何度も突撃して、そのたびに窓から墜落する様を頻繁に見る。その窓はその横が少し開いている。そこに行けば、すぐ外に出られるのに、その虫は何回も閉じた窓ガラスに突撃である。

 我々も同じようなことをしていないか、反省しよう。自然は我々に、多くに事を教えてくれている。自然は声なき経を唱えている。それに気が付かないだけである。

 

 宇宙根源の理に従おう。素直な目で、事象を観よう。「観る」とは一段高い位置から観測することを言う。一段高い観点から観れば、地平線が見える。遠くまで見える。精進して人格を上げ、観音菩薩の眼を持とう。今見えているのは、自分の低い人格の世界での映像である。

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 馬場恵峰書

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 松本明慶大仏師作 聖観音菩薩像

2022-02-20 久志能幾研究所通信 2310号  小田泰仙

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2022年2月19日 (土)

智慧を使って青春を謳歌

 

 人生の品質向上のために必要なのは、智慧である。智慧を出さないから、ドジな人生を送るのだ。知恵でスマートな人生を謳歌するべきだ。人生では、最低一人を幸せにする義務がある。その一人とは自分である。

 

 そのためには、物事の切り替えを早くすることだ。それが人生の智慧である。いつまでも過去に囚われ、愚痴っていても人生は拓かない。それは智慧がない。愚痴とは、愚かにも「知」が病気になった状態である。

 

 そのために無理な考えを持たない事。心豊かな人は無理をしない。無理とは宇宙根源の「理」に反すること。成功者は無理をしなくても幸せになれる。人として、やるべきことをきちんとこなしていれば、愚痴になることは起こらない。当たり前を当たり前にこなす。それが人生の智慧である。やるべきことをショートカットするから問題が起こる。

 

 ジックリと余裕をもってモノを見ていく心が、「情」けである。心が若ければ、人は青年のように青いのだ。「情」とは、心と青で構成される。青年のような熱い情熱が無くなるから、心の熱さも消える。情熱を失わなければ、何時までも青年で、青春である。心の持ち方が青年か老年かをきめる。

 

 人生は、赤(赤ん坊)→青(青年)→紅(壮年)→白(老年)→黒(死)と色で表現される。

 

煩悩と経典

 心の老化を促進させるのが、108個の煩悩である。多くの煩悩を断ち切るためには宝刀が必要だ。宝刀で煩悩を断ち切れば、人間の心が豊かになる。今、悩んでいる悩みなどは、実体のない妄想である。色即是空である。その煩悩を断ち切る宝刀を右手に持ち、その知恵の集約した巻物を左手に持って、文殊菩薩は我々を見守っている。

巻物には経典やお経が書かれている。今風に言えば、万巻の内容を集約した電子辞書である。しかし、この巻物には今風の電子辞書には書かれていない人生哲学が書かれている。

経典とは、

 

 釈迦が人生の中で実践し考え抜いた末の認識を弟子たちが書物にまとめたのがお経、仏典です。その中でも法華経には実に多くの学ぶべき知恵が詰まっていると感じ、私自身の行動や思考の指針としています。

 哲学とは存在と時間を考える学問です。そうした本来の意味の哲学を説いた宗教があるかというと、仏教以外にはないだろうと思います。

 たとえばキリスト教は、つまりはイエス・キリストの一代記です。人間の愛について、虐げられたユダヤの民への共感をベースに説いている教えですが、そこに哲学はありません。あとからギリシャ哲学を援用してきて、神学というものが出来上がったにすぎません。

 これに対して仏教は、たとえば時間の推移が存在の形を変えていくという認識を世界で初めて説きました。それを端的に表した言葉が「色即是空 空即是色」です。

 石原慎太郎著『老いてこそ生き甲斐』幻冬舎文庫

 

Dsc065732s 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

Img_57321s 馬場恵峰書

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2022-02-19 久志能幾研究所通信 2309号  小田泰仙

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2022年2月14日 (月)

「うまい、安い、早い」決断力を付ける

 

 人生有限会社の社長である己の決済箱に、稟議書が置かれている。稟議書の決済を早くしよう。早く回さないと、そこで人生の時計が止り、人生が回らない。

 決断をする以上、良い決断をしたい。決断をするにもコストがかかっている。決断しないと、無為な時間が流れ、余分なコストが発生する。早く決断をすれば、低コストで人生の新しい扉を開くことができる。

 

 決断力という力は、思考力とは別次元である。決断をするとは、自分の目で見極める事。自分の考えで選ぶこと。そういう目を日頃から養っておかないと、決断ができない。

 決断の良否も、決断の総量で決まる。だからよい決断をするには、決断をする機会を沢山作る事。小さな決断を沢山すれば、大きな決断は簡単に出来る。小さな決断で、多くの失敗をすれば、大きな決断力を得られる。

 

 いくら考えても、決断して前に進まないと、何事も進展しない。エリートと呼ばれる指導者たちが新しい決断ができないのは、教科書に書いてあることしかやらないからだ。減点主義の政治の政界では、失敗すると経歴に傷がつく。それをエリートたちはを恐れるから、新しいことを決断できない。変革に時代では、そんな指導者をトップに頂くと、その組織は没落する。大垣市のように。

 自分の人生がそんな減点主義社会の人生であってはならない。

 

決断力を付けるには、日頃の決断の練習

 正直になる

  自分の潜在意識の声を聞こう。

  それに沿わないと、後で必ず後悔する。

 素直になる。

  素直に現実を見る。真っ白な心で、現実をみる。

  汚れた心で見れば、ものが変に染まって見える。  

 勇気を持つ

  動機善なりや、と自問する。

  その決断に対して、何を迷っているものを見極める。

  間違ってもどうせ大した損害は出ない。

  損害が出ても、それは学びだと思えばよい。

  失敗したら、損切だと思ってやり直せばよい。

 自分を客観的に眺める

  決断とは、自分を客観的に眺める練習の機会。

  損得を捨てる。

 利己よりも利他を優先した判断をする。

  どうせ大した差ではない。

  そんな差は、考えるだけで時間損害が増える。早く決断がお得。

 決断は2時間以内

  それ以上時間をかけても意味がない。堂々巡りするだけ。

  迷った時は、何方を選んでも、大差がない。

  決断をしないのが最大の過ちである。

  即断をしても、そんなに大きな間違いはない。

  その背景には、今までの経験が裏付けにある。

  大事な決断程、簡単に短時間で決めよう。

  潜在意識のもう一人が正しい決断を教えてくれる。

  もう一人の自分を信用しよう。

 .

 決断には知恵を多く出し、それから賢く選択して、慈悲ある決断をしよう。

語源:「決」とは水編に「夬」(分ける)と書く。堤防を切り裂く水の勢いが決断である。水は大きな堤防をも破壊する。

 

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 馬場恵峰書

2022-02-04  久志能幾研究所通信 2304号  小田泰仙

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2022年2月13日 (日)

ヒートテックは危険 おぞましいユニクロ下着を廃棄

 

 ヒートテックは体に悪い影響があることが分かり、早々に11着ほどのユニクロのヒートテック下着を、今日(2月13日)、捨てた。約2万円分である。お金の問題ではない。自分の命には代えられないからだ。ユニクロ製は、おぞましいウイグル族の人権問題が取りざたされているので、躊躇なく捨てることができた。ヒートテックはジェノサイドには直接関係ないが、ユニクロを考えると、つい連想してしまうのは、致し方あるまい。それは会社の徳の問題である。

 

ヒートテックは温かいが、下記の問題点を包含している。

 1 体温調整機能の劣化、脳機能の低下

 2 静電気により体温の低下

 3 乾燥肌、アトピー性皮膚炎等の肌への悪影響

 4 電磁波の悪影響

 

 

ヒートテックとは

 ヒートテックとは、ユニクロが繊維メーカーの東レと共同開発した商品で、中空の特殊繊維から構成される。その特殊繊維が、人間の身体から出る水分が水蒸気に変化するエネルギーを熱エネルギーに変換し、素材そのものが熱を持つ。また繊維間の空気の層が断熱効果を発揮し、熱が外へ逃げるのを防ぐ。

 

 欠点として、その優れた機能が体の体温調節機能を低下させて、脳の働きにまで低下させる。(最近、頭の回転が悪くなったのは、ヒートテックのせいだった?)

 

人体の体温調整機能

 皮膚は体全身を覆っており、血液の10~15%が皮膚の血管を循環している。暑い時は血流を少し弱くして暑さに対抗する。寒い時は血流を活発にして寒さに対応する。気温や湿度などの変化を肌が感じ取って脳に伝える。気温や湿度などによって血流を変化させて対応する。しかし、ヒートテックはこの機能を低下させる。怖ろしいことは、使わない機能は退化する、である。

 

 ヒートテック下着で、体は常に静電気で酸化してしまう。この静電気の酸化によって体温が低下して血行が悪くなる。血行が悪い低体温の女性の共通点は、免疫機能が低下していて、生理痛がひどくなる。免疫機能が低下すると、がんにも罹りやすくなる。最近は、若い女性の癌が激増している。これも影響したかもしれない。

 

肌への影響

 ヒートテックを着用すると、乾燥肌の人やアトピーの人は湿疹がひどくなったり出やすくなったりするようだ。

 薄手で温かく、更には低価格と人気が高いヒートテックだが、静電気により血行不良を引き起こす。ヒートテックを着用していると血行が悪いのに、体温は保持されている。それは人体にとっては不自然な状態といえる。そのツケは病気という形で払う。

 

電磁波の危険性

 体温調節機能の低下の他に、電磁波の問題が懸念される。ヒートテックを着用してMRIを受けると、発せられた電磁波をヒートテックが吸収し、ヤケドの恐れがある。だから、MRI検査では、ヒートテックは着用禁止である。

 日常生活でMRIを意識することはないが、電磁波を発する機器は生活圏内にも多数存在する。冬場は電気毛布、電気コタツ等がある。知らず知らず体にダメージが受けている恐れが付きまとう。

 

人間の自律神経

 人は寒い時は、寒がるがよい。寒い時は自律神経が働いて、それに対応した機能を発揮する。いままで数十年間、ヒートテックなどなくても、普通に生活で来た。それが宇宙根源の理にあった生活である。

 それを過保護にすると、体が変調をきたす。過剰に甘やかすから、病気が蔓延するのだ。

 やんごとなき方の婿も過剰な忖度で、裏口専門で編入させられるから、正常な生活を送る能力が育たないのだ。人は入学試験を合格するための猛勉強の試練を経て成長する。kkは政府仕様の分厚いヒートテックを羽織っている。それでは面の皮だけが熱くなる。それでは病気になる。まともな神経ではなくなり、ああいう恥ずかしい行動を取るようになる。世も末である。

 

Img_63941s 馬場恵峰書

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2022-02-03  久志能幾研究所通信 2303号  小田泰仙

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2022年2月 9日 (水)

般若心経を讃訳  英文・和文で読経して理解

 

 般若心経の原文(スンクリット語)を漢文に翻訳したのが、現在の般若心経である。それよりも、サンスクリット語から英文に翻訳し、それを日本語に翻訳した方が、原文に近い意味が伝わる。それで読経すると、般若心経が体に染み込んでくるようだ。

 最近、私は写経として、般若心経を音読し、英文で音読し、和文を音読し、それから写経をしている。今までちんぷんかんぷんであった般若心経がおぼろげながら分かってきた。写経するのは、一日2行である。馬場恵峰先生が、写経は一日2行で良い。それを続けることが大事だと言われた。毎日1枚の般若心経を写経すれば、1時間はかかる。それでは続かない。

 

結論

 般若心経の結論、平家物語の結論、敦盛、アラブの真言は全て同じである。

 

般若心経の結論 「物質や精神は皆、実態がなく、空の状態である」

 

平家物語 敦盛の最期

「おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者もついには滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」

 

織田信長の「敦盛の舞」

 「人間五十年 化天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり 一度生をうけ 滅せぬもののあるべきか~」

 

千夜一夜物語の言葉

 ある博士が、王様から万巻の書を調べて、人生とは何かを明らかにせよと命じられた。博士が30年かけて出した結論は、「人は生れ、老い、死んでいく」である。その言葉は、王様の死の床に届けられた。今でも50年前に読んだ「千夜一夜物語」で、強烈に記憶に残っている言葉である。

 

自分の解釈

 人生は夢のような儚いもの。だからこそ一生懸命に夢を現実のものにしよう、である。

 

4k8a93811s 馬場恵峰書

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般若心経の要約

 下記の3言語の「般若心経」の訳は、次の書を総括して作成した。まだ一部ぎこちない訳の箇所があり、日々更新している。

 

竹村日出夫著『般若心経は英語で読むとよくわかる』みやび出版、

山田無文老大師「しあわせへの道 羯諦写経」の和文、

菅原研州師の訳文 (https://sousei.gr.jp/8619/)、

馬場恵峰師書「般若心経和文書」

 

 

摩訶般若波羅蜜多心経

偉大なる智慧の完成についての心髄の経

 

 

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 

When Avalokitesvara, the Bodhisattva of Compassion, was practiding the deep Prajanaparamita.

ずっと昔、観音様が深い叡智を完成するという「深般若波羅蜜多」を修行していた時、「物質や精神は皆、実態がなく、空の状態だ」ということを悟り、すべての苦しみから抜け出されました。

 

 

舍利子

Yo, Sariputra, Listen up!

舎利子よ、

 

 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色

Form is nothing more than emptiness.

Emptiness is nothing more than form.

Form is exactly emptiness.

And emptiness is exactly form.

この世における物質は、実態のないもの(空)であり、空ということは、物質(色)以外にはあり得ない。すなわち物質は実態のないものであり、実体のないものが物質なのです。

 

 

受想行識亦復如是

The same is true of feeling, thought, will, and consciousness.

そして感受作用・表象作用・形成作用・識別作用といった精神もまた同じことである。

 

 

舍利子

Yo, Sariputra, Listen up!

舎利子よ、

 

 

是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減

All things are empty.

Nothing is born, nothing dies.

Nothing is pure, nothing is inpure.

Nothing grows and nothing shrinks.

あらゆる存在は空を特質としているから、生じることも滅することもなく、汚れることも清まることもなく、増えることも減ることもない。

 

 

是故空中 無色 無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法 

So, in emptiness, there is no form. No feeling.  No thought.

No will. No consciousness. No eyes, ears, nose, tongue, body, or mind.

No sights, sounds, smells, tastes, object of touch, or dharma.

是の故に、空の中には色も無なく、受も想も行も識も無く、眼、耳、鼻、舌、身、意もなく、色、声、香、味、触、法も無い。

 

 

無眼界 乃至無意識界 

No realm of the eyes. Untill we come to no realm of consciousness.

眼界もなく、乃至、意識界も無い。

 

 

無無明 亦無無明尽

There is no ignorance. No extinction of ignorance.

無明も無く、亦無明の尽くることも無い。

 

 

乃至無老死 亦無老死尽 

There is no aging and death. There is no suffering, no cause of suffering.

また老も死も無く、また老死の尽くることも無い。

 

 

無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 

No end to suffering, no path to the end of suffering,

There no wisdom, and attainment.

There is nothing to be attained.

苦も集も滅も道も無く、智も無く、亦得も無し、得る所無きを以ての故に。

これらの感覚器官の対象である形・音・香り・味・触れられるもの・心の対象の法も存在しない。

 

 

菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙

The Bodhisattvas rely on the Perfection of Wisdom.

And so with no delusions.

They feel no fear.

He leaves distorted dream-thinking far behind.

Ultimately Nirvarnal!

All the Buddhas, Past, present, future, attain anuttara-samyak-sambodhi, relying on prajnaparamita.

範疇としての眼から、意識にいたるまでの十八界もない。智慧が無い状態もなければ、智慧が無い状態も尽きることもない。

罣礙無きが故に恐怖有ること無く、一切の顛倒せる夢想を遠離して涅槃を究竟す。

 

 

三世諸仏 依般若波羅蜜多故 得阿耨多羅三藐三菩提 

Therefore know that the Perfection of Wisdom is;

A great Pritual mantra.

A great bright mantra.

A great supreme mantra.

An unequalled mantra.

It can remove all suffering.

三世の諸仏も般若波羅蜜多に依が故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。

 

 

故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 

得るところのものが何もないからこそ、菩薩は智慧の完成に依るのであり、心には妨げるものがなく、心に妨げるものがないからこそ、恐怖があることもない。

誤った考えや夢想を超越して、涅槃を究めるのである。また、過去・現在・未来の諸仏も、智慧の完成に依るからこそ、無上なる完全なさとりを得るのである。

 

 

究竟涅槃 

It is genuine, no false.

だからこそ知るべきである。

 

 

故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰

This is why the Mantra of Prajanaparamita was spoken.

Say it like this:

般若波羅蜜多とは、大いなる真言であり、大いなる悟りの智慧の真言であり、この上ない真言であり、比べるものがないほど素晴らしい真言である。よく一切の苦悩を除き、それは実在であり、虚ろなものではない。

だからこそ、般若波羅蜜多を讃える真言を、ここで説こう。

 

 

羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶

般若心経

Gone! Gone! Gone beyond! Gone completely beyond!

Awake! So it be it!

(Gate! Gate! Parasamagate! Bodhi! Svahal!)

End of The Heart Parajnaparamita Sutral!

往ける者よ、往ける者よ、彼岸に共に往ける者よ、悟りよ、幸いあれ。

ここに完全なる偉大なる智慧の心が完成する。

心髄の経

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 馬場恵峰書

2022-02-09  久志能幾研究所通信 2299号  小田泰仙

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2022年2月 5日 (土)

人生で最大の金儲け 無病息災、一病息災

 

 人生での最大の金儲けの手段は、「無病息災」である。しかし長い人生では、無病は理想であるが少し無理がある。しかし、一病息災であれば何とかできそうだ。病気もなく健康な人よりも、一つぐらい持病があるほうが健康に気を配り、かえって長生きする。

 

 病気をすれば直ぐ数百万円の金など飛んで無くなってしまう。大事な仕事をする時間が奪われる。がんを患えば、百万円単位の金が無くなる。私もガンを患い500万円程金を使った。ガンになれば、金の多寡は言ってはいられない。

 交通事故を起こせば100万円くらいの金は直ぐ無くなる。後始末の時間ロスも膨大である。保険会社の統計によると、日本人は平均13年に一度交通事故を起こし、43万円を失う。人身事故なら一件で96万円を失う。

 データは少し古いが、年間の物損事故が約 2,000,000件で、保険金支払い概算が約8,600 億円(43万円/件)である。(1990年度)

 人身事故は 890,000件で、保険金支払いが約8,500 億円(96万円/件)である。

 だから人生で最大の仕事は健康管理、危機管理である。死のうと思っても、おいそれとは死ねないが、病気は不摂生で簡単に病気になる。少し油断すると事故にあう。人生での最大の親孝行は、健康管理である。親から頂いた自分という乗り物(体)を大事にしよう。

 

人生の価値

 病気に罹り、事故に遭えば時間ごとにお金が消えていく。時間コストを1時間1万円で計算すると下記である。トヨタでは、1分100円でコスト計算をする。

 一分=167円

 一秒=2.8円

 一時間=1万円

 一生の価値=10000円/H×12H×365日×(95-22)年

      =3,197,4000,000円

              ≒32億円

 

 自分の価値を再認識して、日々を大事にしよう。それを認識すれば、遊び惚けてなどいられない。生涯現役である。

 

息災とは

 「息災」とは、もとは仏の力によって災害・病気など災いを除く意味である。「息」はやめる、防ぐ意味で、転じて健康で元気なさまをいう。

 佛力は理性では獲得できない。見えないものを信じて精進するしか手に入らない力である。その仏力を人生に活かせてこそ、人間の人生だ。

 理性は目に見えるものしか信じられない。しかし目に見えない何物かがある。村上和雄先生は、それをサムシンググレートと呼ばれている。その目に見えない何物かの存在を無視して、自然界を破壊して金儲けに驀進するから、大宇宙からしっぺ返しを受ける。新型コロナウイルス騒動もその一つだと思う。人間は自然界の小さな存在なのだ。それを何を偉そうに、である。西洋の考えは、自然界の征服である。その方向が間違っていると佛さまが啓示している。東洋思想は自然界と共生である。

 

佛力

 佛力は、ご先祖や守佛のご加護である。日頃、感謝と精進と陰徳を積むことで、授けられる力である。

 だから自分が佛となって、世の災難を取り除く仕事が息災である。自分教を信じて、精進するのが人生だ。私はオダ仏教の教祖。そう思えば、世の中に付加価値を生み出すことに精進できる。

 宗教とは「宗(ご先祖)」の「教え」と書く。ご先祖の教えで、世に付加価値を与えなければならぬ。黙々と真っ黒になって働き、時期がくれば黙って去っていく。そういう仕事をして世の一隅を照らせば、それは国の宝である。

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  松本明慶大仏師作 釈迦如来

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 馬場恵峰書

2022-02-05  久志能幾研究所通信 2295号  小田泰仙

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2022年2月 2日 (水)

田中角栄の言霊、30年間の航跡

 

1 人間は努力することが大切であり、努力すれば必ず成果が上がる。

2 成果が上がった分だけ、他人は羨む、妬むことに気づかなければならない。

3 他人の嫉妬心に気づいたら、それに対して配慮しなければならない。

4 人間は、いかなる場合でも、嫉妬する側でなく、される側に立たなくてはならない。 

   田中角栄

    

  この言葉に出会ったのは、米長邦雄著『人生一手違い』(祥伝社 1989)を読んだときの30年も前のことである。それ以降、これを書き留めたカードを何度も読み返している。

 

 角栄の言葉は、「名門・ジョージタウン大学 世界のエリートが学ぶ”至高のリーダー論”」で指導される世界とは別次元である。「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」では出てこない考え方である。

 西洋の価値観との違いに、田中角栄の言葉には考えさせられる。この言葉を聞いて、日本人に生まれて良かったと思う。

 西洋版のリーダーが育つから、グローバル経済主義が蔓延し、貧富の格差の拡大、力による覇権、利己主義の拡大で世界経済が混乱している。田中角栄が世界政府の大統領になったとしたら、多少は世界が変わるのではないか。田中角栄の集金方法は決して誉められはしないが、政治家としての考え方は共感できる。

 上に立つ人は、競争に負けた人にも目をやらねばならない。しかし現在は、格差100倍の黄金の椅子に座ったエリートが、貧困層を無視して世界を支配している。

 

 残念ながら、田中角栄の手腕に嫉妬心をいだいた米国に、田中角栄ははめられた。あの政策を続ければ、今頃、日本は米国を凌駕した国になっていたと残念に思う。

 どんなに栄華を誇っても、人がほめたたえても、そんなことは虚の世界である。それを角栄は身をもって示してくれた。平家物語は何時の時代にもある。

 

 その後の後始末の不手際で、日本は失われた30年になってしまった。保身の官僚に支配されて、日本の未来に投資もせず、緊縮財政だけに終始したので、日本の未来は失われた。

 

 田中角栄が小学校の教師の給与を上げる法律を作った。それに反した政策を実行したのが大垣市の小川敏である。子供に投資をしないことが、政治家として全てをあらわしている。だから大垣市は彼の20年間の政治で没落した。

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 馬場恵峰書
 

2022-02-01  久志能幾研究所通信 2291号  小田泰仙

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2022年1月31日 (月)

「リーダー候補の8つの目標」に違和感あり

 

 『Newsweek 2018.6.18号』での特集で「名門・ジョージタウン大学 世界のエリートが学ぶ”至高のリーダー論”」に目が引かれこの週刊誌を購入した。サブタイトルは「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」である。その表紙デザインに引かれて、つい衝動買いをしてしまった。 

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 しかし、内容を読んで落胆して書庫にしまい込んだ。先日、それを再度読み直して、改めて呆れた。これは西洋のリーダー養成論であるようだ。私が求めていた内容ではない。

 

 私は、世界のリーダーとはどういう教育をされるかと、この記事に飛びついたのだが、得るものがなかった。名門・ジョージタウン大学の名前と『Newsweek』の表紙デザインとキャッチコピーに騙されたわけだ。

 西洋の価値観では、この説は間違いではないが、最高のリーダー論ではないと思う。こういうリーダーが育つから、グローバル経済主義が蔓延し、貧富の格差の拡大、力による覇権、利己主義の拡大で世界経済が混乱しているとしか思えない。ここには、徳や人格などの話はない。指導力の話もない。

 世界のリーダー論などは百家争論で、多くの説があるだろうが、この「リーダー候補の8つの目標」が、その中で上位に来るとは思えない。これは下っ端のマネージャーの目標値である。これでは、世界は平和にならないと思う。リーダーとして、もっと大事なことがあるはずだと思う。

 

 

リーダー候補の8つの目標(サム・ポトリッキオ)

1 毎週、最低3冊の本を読む努力をすること。一冊は伝記もの。1冊は小説や詩など。

2 できるだけネットではなく紙に書かれた情報源を使う事。

3 スマホの使用時間を1日20分以下にする。。

4 旅行先として躊躇しがちな場所を1年に2か所訪問すること。

5 仕事上の人的ネットワークは150人規模を維持してみよう。

6 最低30人の知人を新しく出会った人に紹介し、知人たちの仕事が向上するアドバイスを与えてもらう。

7 6人のメンター(頼れる助言者)を持つこと。

8 起きている時間の10%を、苦手に感じる分野での知的活動に充てること。

               『Newsweek 2018.6.18号』より

 

  

問題点

 私はこの「リーダー候補の8つの目標」を見て、がっかりした。

 

 違和感を覚えたのは、サブタイトルの「サム・ポトリッキオが説く勝ち残る指導者の条件」である。勝ち残るとは、弱肉強食の世界の戦術である。まさに西洋式生存競争の世界である。結果として、1%のリーダーが幸せになり、99%の人が不幸になる社会のリーダの姿ではないのか。

 リーダーに必要とする心構えや志については記述がない。何のためにリーダになるのだ?、もない。りーダーとして何をやるのだ?、もない。小手先の手段だけの記述では納得出来ない。これは課長クラス、係長クラスの指導者養成のレベルである。西洋のエリートとして、金儲けに邁進するマネージャーの養成コースである。なんのためにリーダーとして働くかの?である。

 

私の指導者論

 私が、馬場恵峰師から明徳塾と松下幸之助経営塾で学んだ指導者論とは、世界が違うようだ。

 今回の記事で、東洋の指導者と西洋の指導者の違いが分かり、多少は勉強になった。

 

 リーダーが必要とされるのは、リーダーが世のためにチームをまとめて、大きな役立つ仕事をする。それが結果として自分にも良い結果となる。ジョージア大学のリーダー論は、自己だけの話に終わっているようだ。だから小手先の技術論で、そのため違和感を覚えたのだ。

 自分の中には108人の煩悩人が蠢いている。そのリーダーとして、その煩悩を抑えないと、価値観の違う組織の仲間など引っ張れないだろう。西洋のリーダー論には、そういう観点が欠如している。

   

2022-01-31  久志能幾研究所通信 2290号  小田泰仙

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2022年1月30日 (日)

暴走運転手と未知なる自分の対話

 

どんな車よりも構造が複雑で、運転が難しい車とは、「自分」という名の車である。一生の運転者は自分である。

   2006年5月28日 明徳塾で 馬場恵峰師談

 

 最近、私は自分の内面との会話を毎日、1時間以上かけている。未知なる自分との対話である。過去の資料を見直し、当時の自分と対話している。それは内観である。

 「で、今のあんたならどうするのか? 今は何をしたいのか? 本当に欲しいものは何か?」と毎日自分という運転手を問い詰める。そこに未知なる自分が出現する。

 

未知学び

 一日の運転をする前に、朝は志を確認するため仏前でお勤めである。昼に写経をして生きかたを確認する。夜は無事に生きられた一日を感謝して眠りにつく。現役時代は、そんな時間的な余裕もなく、暴走運転の日々であったと反省する今日である。

 

 実際に車を運転する場合は、「三貨車」で運転するごとくに慎重に、である。少し油断をすると自分という車は暴走する。暴走を防ぐため先頭車にナビの経典(戒め)を乗せ、自分は中央車に乗り、欲望という貨車を引っ張って走る。ナビ経典の指示通りに運転すれば、暴走はしない。油断すると欲望という貨車が先頭に出て暴走する。シェイクスピア製のムスタング(じゃじゃ馬ならし)は、運転が難しい車である。

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 馬場恵峰書

2022-01-30  久志能幾研究所通信 2289号  小田泰仙

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2022年1月29日 (土)

大垣市配給のお花を辞退 土下座申請

 

 当町内には、毎年2回、大垣市公園課から公園の花壇用に、花苗が配給される。長年、町内は大垣市の慣例の押し付けを黙って受け入れていた。

 今回、住民の嘆きの声が上がってきたので、その花苗の配給を辞退(拒否)することにした。

 

背景

 町内の公園の花壇用に花苗が、大垣市から一方的に町内に送られてくる。「下々よ、殿様からのお花だ。有難く受け取れ。大事にせよ。世話にかかる費用はお前らの金でやれ」である。

 花苗がお上から送りつけられれば、当番が花苗を公園に植え、肥料をやり、毎日、水やりのお世話をせねばならぬ。強風が吹く日も、酷暑の日でも、その必要がある。町内には高齢者が多く、80歳以上の方も多い。その人が当番で毎日となると大変な肉体的負担である。近所の手前、さぼるわけにはいかない。昔の人は義理堅く、手を抜くこともない。

 だから、高齢化社会になると、お上から一方的に、各町内への花苗の「御下賜」はありがた迷惑である。花苗を手配するなら、その人工の手配かお手当を支給しないと片手落ちである。役人根性の行政にはそういう気配りはない。

 

土下座申請

 その花苗の配給停止も、お上のお城(市庁舎)に自費のガソリンを使って出向き、お上に「公共花壇の花苗配給停止届書」を出して停止をお願いしなければ、止まらない。

 曰く「大垣市長 様   公共花壇に植栽する花苗の配給を停止くださるよう、届出します」(規定文で事前印刷)とお伺いを立てるのだ。申請の規定文書には「大垣市長」に、更に「様」が付けてあり、二重の敬語表現である。これは滑稽である。この表現を使うのは市民として卑屈である。公僕であるはずの「お上」は偉いのだ。市民が下人扱いである。そうやって停止をお上に懇願しないと止まらない。大垣市の役人の潜在意識には士農工商の世界があるのだ。

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時代の変化

 昔と違い、各住宅地は高齢化が進んでいる。役人が頭だけで考えて、昔のままのやり方をしてよい状況ではない。しかし役人は何も分かっていない。そんな政治が20年も続き、結果として大垣市は没落した。市の興亡は、公示地価を見れば一目瞭然である。

 それでいて、市民に負担となる「緑の募金」を平然と要求してくる。なぜその募金額を税金の中からやりくりしないのか。住民はそれを含めて税金を払っているのだ。それでいて、大垣市の役人は金の無駄遣いばかりである。なぜ不要なことを節約する努力をしないのか。

 役人は予算を消化することが、最優先なのだ。予算は余らせてはならないのだ。大垣市の無駄遣い体質の露見である。この件を見れば、一事が万事である。

 その各町内に配布するお花も、大垣市内の全自治体500団体に配布しようとすると、膨大な数で、その経費も膨大である。一町内で仮に1万円のお花代としても、年間2万円、全市で1000万円の費用である。全て税金である。業者はウハウハのはず。一度得た利権は失うわけにはいかないと、長年、その慣習が続いているのだろう。だれが利権でうまい汁を吸っているのだ? との疑問を感じた。

 お役人は、問題点があっても、前例踏襲、問題が起こらないように、起こらないようにと無難に進めるから、少しも社会が良くならない。それが現在の日本の停滞の真因である。変革には、市民が声をあげないと何も変わらない。

 

エピソード

 現在、別の場所にある公園の花壇では、花好きの有志が好きなお花を公園に植えて楽しんでいる。それは住民の自由である。来年度から、お花が支給されていた公園もそのようになる。自治は住民に任せればよい。役人は有名大学を出ている意識があるためか、頭が高いのだ。その分、市民が苦しむのだ。

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 馬場恵峰書

 

2022-01-29  久志能幾研究所通信 2288号  小田泰仙

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