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2022年1月29日 (土)

大垣市配給のお花を辞退 土下座申請

 

 当町内には、毎年2回、大垣市公園課から公園の花壇用に、花苗が配給される。長年、町内は大垣市の慣例の押し付けを黙って受け入れていた。

 今回、住民の嘆きの声が上がってきたので、その花苗の配給を辞退(拒否)することにした。

 

背景

 町内の公園の花壇用に花苗が、大垣市から一方的に町内に送られてくる。「下々よ、殿様からのお花だ。有難く受け取れ。大事にせよ。世話にかかる費用はお前らの金でやれ」である。

 花苗がお上から送りつけられれば、当番が花苗を公園に植え、肥料をやり、毎日、水やりのお世話をせねばならぬ。強風が吹く日も、酷暑の日でも、その必要がある。町内には高齢者が多く、80歳以上の方も多い。その人が当番で毎日となると大変な肉体的負担である。近所の手前、さぼるわけにはいかない。昔の人は義理堅く、手を抜くこともない。

 だから、高齢化社会になると、お上から一方的に、各町内への花苗の「御下賜」はありがた迷惑である。花苗を手配するなら、その人工の手配かお手当を支給しないと片手落ちである。役人根性の行政にはそういう気配りはない。

 

土下座申請

 その花苗の配給停止も、お上のお城(市庁舎)に自費のガソリンを使って出向き、お上に「公共花壇の花苗配給停止届書」を出して停止をお願いしなければ、止まらない。

 曰く「大垣市長 様   公共花壇に植栽する花苗の配給を停止くださるよう、届出します」(規定文で事前印刷)とお伺いを立てるのだ。申請の規定文書には「大垣市長」に、更に「様」が付けてあり、二重の敬語表現である。これは滑稽である。この表現を使うのは市民として卑屈である。公僕であるはずの「お上」は偉いのだ。市民が下人扱いである。そうやって停止をお上に懇願しないと止まらない。大垣市の役人の潜在意識には士農工商の世界があるのだ。

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時代の変化

 昔と違い、各住宅地は高齢化が進んでいる。役人が頭だけで考えて、昔のままのやり方をしてよい状況ではない。しかし役人は何も分かっていない。そんな政治が20年も続き、結果として大垣市は没落した。市の興亡は、公示地価を見れば一目瞭然である。

 それでいて、市民に負担となる「緑の募金」を平然と要求してくる。なぜその募金額を税金の中からやりくりしないのか。住民はそれを含めて税金を払っているのだ。それでいて、大垣市の役人は金の無駄遣いばかりである。なぜ不要なことを節約する努力をしないのか。

 役人は予算を消化することが、最優先なのだ。予算は余らせてはならないのだ。大垣市の無駄遣い体質の露見である。この件を見れば、一事が万事である。

 その各町内に配布するお花も、大垣市内の全自治体500団体に配布しようとすると、膨大な数で、その経費も膨大である。一町内で仮に1万円のお花代としても、年間2万円、全市で1000万円の費用である。全て税金である。業者はウハウハのはず。一度得た利権は失うわけにはいかないと、長年、その慣習が続いているのだろう。だれが利権でうまい汁を吸っているのだ? との疑問を感じた。

 お役人は、問題点があっても、前例踏襲、問題が起こらないように、起こらないようにと無難に進めるから、少しも社会が良くならない。それが現在の日本の停滞の真因である。変革には、市民が声をあげないと何も変わらない。

 

エピソード

 現在、別の場所にある公園の花壇では、花好きの有志が好きなお花を公園に植えて楽しんでいる。それは住民の自由である。来年度から、お花が支給されていた公園もそのようになる。自治は住民に任せればよい。役人は有名大学を出ている意識があるためか、頭が高いのだ。その分、市民が苦しむのだ。

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 馬場恵峰書

 

2022-01-29  久志能幾研究所通信 2288号  小田泰仙

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