c-馬場恵峰師の書・言葉 Feed

2022年10月26日 (水)

本物の金銀、空手来空手去

 

金銀は、慈悲と情け、義理と礼、身の一代に使うためなり

        馬場恵峰師 知己塾 2013年5月9日

 

 カネはあの世には持って行けない。カネとは、人生劇場で与えられた役を演じるための準備費用である。その費用は自分で払う。より多く払えば、より良い役が与えられ、良い演技ができる。カネは、運命の方向を左右する「お足」である。その使い方で、方向が変わる。カネを貯めるものと勘違いして、それをケチるから、悪縁の事件で足止めされ、幸福になれない。

 グローバル経済主義者のカネの亡者は1%しかいないのに、使い切れないほどの金を取り込み、99%の人を貧困に陥れ、貧富の差を拡大させた。カネが何のために有るか、理解していないのだ。だからカネの亡者が戦争を招くマネーゲームに「狂じて」いる。それが原因で戦争が起きる。それがウクライナ戦争である。

 

空手来、空手去 

 意味:人は裸でこの世に来て、裸であの世に去る

  李秉喆(リヘイテツ)の座右銘

  李秉喆はサムスングループを創業した企業家。

 

 李秉喆は、稼いだカネを社会と国家の繁栄のために役立てたいとの思いでサムソンを育てた。

 その子息の李健熙(イ・ゴンヒ)が、その志を継いでサムスンを世界的企業に発展させた。しかし後継者の教育には失敗したようだ。李秉喆の孫たちが財産争いで裁判まで起して醜態を晒している。総帥となった孫の李在鎔は収賄で逮捕され収監された。恩赦で出所したが、その後は振るわない。子供や孫たちは李秉喆の座右銘を理解していないようだ。先代の苦労を忘れた後継者がかじ取りを始めて、サムソンは没落を始めた。

 サムスンの前身は、1938年、日本統治時代の朝鮮大邱市で、李秉喆が株式会社三星商会として設立された。蘇洞(現在の允恭洞)において40人の従業員を抱える小さな貿易会社としてスタートした。そのサムソンも世界的企業に成長したが、創立84年を迎え、100年を前に挫折しそうである。サムソンからは悪い噂しか流れてこない。

 

 トヨタ自動車は1933年に創業された。その後の展開でサムソンと比較すると、両社の行動に、仁義礼智信で差を感じてしまう。サムソンからは仁義礼智信が感じられない。サムソンはグローバル経済主義に徹した会社である。隙があれば他国から技術を盗んでも平気のようだ。人は使い捨ての社風のようだ。

 それが今後起こると予想される経済危機で、その差が明確になるだろう。

 

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  仁義礼智信 馬場恵峰書

 

Dsc01221s 馬場恵峰師 知己塾  2013年10月10日

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2022-10-25  久志能幾研究所通信 2524  小田泰仙

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2022年10月21日 (金)

108歳を目標(1/12) 総括

 

 先日、中学校卒業後46年目の「最後の同窓会案内」をもらった。「最後の同窓会」の言葉に反発を覚えた私は、108歳まで現役を目指すとのと決意を新たにした。いくら長生きしても寝たきり状態では意味がない。現役で社会に貢献してこそ長生きだ。

 生物学の理論的には、人間の寿命は120歳が限界のようだ。だから少し控えて108歳を目標とした。

 

 松下幸之助翁は120歳まで生きるのだと公言し、結果94歳で亡くなられた。松下幸之助翁は、若い頃は病弱で24歳まで生きられないだろうと医師から言われていた。それが94歳まで活躍されたのは、長く生きようと決意されたからだ。何事も決意をしないと実現しない。

 馬場恵峰先生は94歳直前まで、現役を続けられた。書家の藤田桃紅氏は107歳直前まで現役であった。

 私が108歳まで現役を続けられるかは、神仏やご先祖のご加護にもかかっている。何事も願わないと実現しない。棒ほど願って針ほどかなう。それでよい。強く願い、限りなくそれに近づくように精進を続ける。

 人は108の煩悩を持つ。その煩悩を年に一つずつ無くしていき、108歳で大往生したい。

 しかし人間社会は年功序列、先入れ先出しがトヨタ生産方式の原則で、長すぎる寿命は、社会に迷惑をかける。動けなくなったら静かにこの世を去ればよい。

その私の現在の取り組みを記す。

 

科学的な裏付けのある健康管理をする。

食事に最大限の注意を払う。

 良食生活(ジャンクフードを食べない)

 禁酒禁煙禁油禁揚禁糖禁リン禁粗禁座禁慢、ノーパン生活

運動を欠かさない。筋力を維持する。

睡眠を十分に。

健康とは体と心の健やかさ。心の栄養にも最大限の配慮する。

 ストレスを過度に受けない。

温かい部屋で過ごす。

体を冷やさない。

孤独は精神活動に良いが、孤立は精神的に危険

病気は神仏からの啓示。病気の真因を探してそれを潰す。

それより大事なことは、病気にならない生活をする。

対処療法の治療を受けない。

危機管理を重視。体の異変を早く検知。早めに手を打つ。

医師を盲信しない。医師以上の知識を持つ。

 現代の医者は部分最適、対処療法の治療しかしない。

 全体最適の治療、真因を無くす治療のを選択するのは自分の責任。

いつ死んでもいいように準備をしておく。

 何時か、その準備ができなくなる時が来る。だから早く準備をする。

 私は墓も作り、戒名も決め、墓誌に刻んだ。

一生かかっても叶わぬ大きな夢を持ち続ける。

断捨離をしない。

好奇心を無くさない。

体が動く限り現役を続ける。

社会に貢献できる活動をする。

アウトプットを継続する。

見送られるより、最後まで踏ん張って皆を見送ろう。この気概を持つ。

神仏ご先祖を崇拝し感謝する。

 

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 馬場恵峰書

2022-10-20  久志能幾研究所通信 2520  小田泰仙

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2022年10月19日 (水)

死亡予告通知、赤紙(招集令状)?

 

 先日、中学校を卒業後56年が経過したと、中学校同窓会の案内ハガキが届いた。そこに「同窓会は今回で最後の予定で……」とあり、愕然とした。要はこれから卒業生の皆さんも後期高齢者となり、死亡者が増加するので、今回が最後だという意味のようだ。

 今回の通知には、何か己の死亡を予告されたようで、嫌な気分となった。当然、私も相応の歳になったし、4年前にがんを患ったので、当然死は意識をしている。しかし、文書でそれを明言されるとイヤなものだ。

 何も今回が最後の同窓会だと言わなければよい。仲間が沢山生きていれば、同窓会を継続してやればよい。同窓会の案内なら、もっと長生きして、またやろうというメッセージを発信して欲しいものだ。

 

 5年前の同窓会では、私のクラスの仲間の2割が亡くなっていた。その五年後の同窓会では、どうなっているか、気がかりである。仲間の誰かに起こる「死」は、人ごとではない。

 

「誰かに起こることは、誰にでも起こるのだ」

       (セネカ著『マルキアへの慰め』)

 仲間の2割が既に亡くなったことは、明日は自分の番なのだ。

 

「若さによらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり」(徒然草)

 だからこそ、今ここ、日々を充実して、日々全力で生きていくしかない。後期高齢者になれば、いやどんな歳でも、人間である以上、いつ死んでもおかしくない。毎日がそれで人生が完結した日になる覚悟で生きていきたい。

 

天才でない凡人は長生きすることだ。 坂村真民

 自分は37兆個の細胞を経営する社長なのだ。各細胞、各組織の持てる能力を最大限に発揮させて、使命を全うして、来世に旅立ちたい。己の命の長さは、全ては己の経営手腕かかっている。 

 

よく働いた一日が安らかな眠りを誘うように、よく働いた人生には安らかな死が訪れる。   ゲーテ

 不節制(体の経営の失敗)をして早死にするから、生木を裂かれるような苦しみを味わう。使命を全うし、老いて枯れるように倒れれば、苦しまずに逝ける。それが理想である。私はその理想を思い描きながら仕事をして生きている。

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 馬場恵峰書

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2022-10-19  久志能幾研究所通信 2519  小田泰仙

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2022年10月18日 (火)

パニックブレーキのお稽古、忘備ラベル

 

 パニックブレーキを実施する頻度を守るため、実施の忘備ラベルを応急的に付箋紙で作成して、運転パネルに貼った。これで前回は何時にパニックブレーキ訓練をしたかが一目瞭然である。

 その付箋の色も、白、黄、赤と1年毎に変える。他の資料も、その年は同じ色を使っているので、経過時間がすぐわかる。2022年は赤付箋である。来年になれば白付箋を使うので、その色だけを見るだけで、何時パニックブレーキ訓練をしたかが分かる。それで訓練の見落としが無くなる。

 車検の時期等は、ディーラから知らせが来るので、忘れることはないが、パニックブレーキ訓練をいつやるかは、忘れがちとなる。その忘備の方策である。

 

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 応急的に付箋紙で作成。後日、もう少しカッコよくする予定。

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測定器点検

 これは前職の会社の精密測定室で実施していた方法である。測定器の点検年を簡単に視える化するため、測定機に①、②、③等のラベルが貼ってある。例えば、①とは2001年、②とは2002年に定期点検をしたという表示である。何時点検するかが一目瞭然である。

 

資料整備への応用

 今、スクラップ資料の整理にもこの手法を応用している。いつその資料を見直したか、その日付を白黄赤の付箋紙に書いて貼っておく。それでその資料を見直した履歴が分かる。

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命の定期点検

 定年を迎え、自由人になると定期人間ドックが受けづらくなる。会社時代は会社の健康保険を使い3,300円で受けられた。しかし退職して会社健康保険から外れると、人間ドック費用が数万円の費用となる。それでつい先延ばしして、いつ健康診断をしたかを忘れがちだ。私はそれが原因でがんの早期発見が出来なかった。

 私にがんが見つかり、パニックブレーキとして緊急手術で処置をした。とにかく、がんの進行を止めねばならぬ。後は医師任せればよい。

 体という人生道を走る乗り物には、パニックブレーキを踏まないような、日頃の健康管理が最優先だ。

 

詐欺の定期便

 人生道の運転で、パニックブレーキ訓練を忘れないようにしたい。危険を感じたら、躊躇なくブレーキを踏むべきだ。2011年頃、怪しい新興宗教団体からお誘いがあり、その過程で危険を察知して急ブレーキを踏んだ。

 知人との交友関係で、危ない匂いを嗅いで、急ブレーキでそのプロジェクトへの参加を断ったこともある。義理に縛られて、ずるずるといくよりは、良き判断であったと思う。その後、その人と縁が切れて運勢が好転した。

 この種の詐欺まがいの付き合いのご縁は、長い人生では定期的に襲ってくるようだ。危ないと思ったら、早めにブレーキを踏もう。それだけは、年の功で危険予知の知恵かになった。人生では知識ではなく、智慧が大事である。人生では本で読んだことは役立たないが、実際に経験したことが智慧となる。

 

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 馬場恵峰書

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2022-10-17  久志能幾研究所通信 2517  小田泰仙

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2022年10月16日 (日)

パニックブレーキ稽古のご作法

 

 車の衝突事故とは、突然の爆発火災と同じである。その火事を消すには消火器が必要である。消火器の使い方にも訓練が必要なように、交通事故を防ぐためパニックブレーキ使用にも、その訓練が必要である。咄嗟には体が動かない。事前訓練が必要である。

 

 日本では年間約43万件(2018年)の事故が起きている。どんなに注意をしても、車を動かせば、何時かは必ず事故となる。また貰い事故もある。日本では平均で13年に一度、交通事故は起きる。そうやって保険金は決められている。その時のために定期的な事故防止訓練(パニックブレーキ訓練)が必要である。芸事の習得には訓練が必要である。極楽運転道という芸事のご作法として、パニックブレーキ訓練をしよう。

 極楽運転道とは人生経営である。持てる資源を最大限に使い、最大の利益(りやく・安全)を確保しよう。利益とは仏語で、仏の力によって授かる恵みである。自分を益するのを功徳、他を益するのを利益とよんで、自利と利他を分けることもある。

 

事故の確率

 宝くじの1等の本数は、1000万本に4本と言われており、その確率は1,000万回に4回。これに対して人身事故、物損事故を起こす確率は、1万回に一度(万が一)と推定される。一日15 kmの距離を2回乗るとすると、13年に1度の確率となる。つまり、13年に一度の間隔で43万円の出費を強いられるとの確率・統計上の試算である。だからその確率を減らす対策が、事故を減らすことにんる。

 下記は1990年のデータで、少し古いが、現在でも430,601件(2018年)の交通事故が起きている。

 

             事故別保険金支払い額 

   事故内容       保険金支払い概算(1990年度)

 

 死亡事故(   11,000件)約3,500 億円( 3,180万円/件)

 人身事故(   890,000件)約8,500 億円(  96万円/件)

 物損事故(約2,000,000件)約8,600 億円(  43万円/件)

 

 

パニックブレーキ訓練

 合掌して感謝する。

  この車に乗れること、訓練できるご縁を神仏・ご先祖に感謝。

  健康でなければ訓練もできない。 

 回りを整理整頓する。

  急ブレーキで、椅子上に置いた品物がすっ飛んで行かないように。

 シートに正しく座る

 シートベルトをかける

 ハンドルを10時、14時の位置に持つ

 見通しの良い道で、交通量が途絶えた時を選ぶ

 走り始めてどこでブレーキをかけるか決めておく。

 ハザードランプを付ける。

 走り始めて一定速になったら、思いっきりブレーキペダルを踏む。

  タイヤがロックするまでブレーキペダルを踏む。

  床が抜ける勢いでブレーキペダルを踏む。

  いつも優しくブレーキをかけていると、これが出来ない。

  タイヤが鳴かなければ、不十分な踏み方である。

 ブレーキを踏んで、何処までで止ったかを記憶しておく

 これを年に1,2回実施する。

 生きて訓練できたことに感謝して合掌。

  タイヤ君もタイヤロックによる高温摩擦で、0.1mmも体を焼いて、命を守るための働いてくれた。タイヤ君には、そのタイヤを開発した技術者の魂が籠っている。無機物のタイヤだって、命があるのだ。

 

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 馬場恵峰書

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2022-10-16  久志能幾研究所通信 2516  小田泰仙

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2022年10月13日 (木)

コロナ禍後の伊勢神宮参拝

 

 2022年10月11日、3年ぶりに伊勢神宮に参拝をしてきた。概ね人出の状況も例年に戻ったようだ。たまたま当日から「全国旅行支援」も始まり、11:10発の名古屋発近鉄特急も、ほぼ普通の混雑状況となっていた。現地でも例年並みの人出である。幸せなことに、静寂な雰囲気を壊す騒がしい中国の団体客もいない。おかげ横丁も結構な人込みである。

 伊勢神宮には年間1000万人ほどの人が訪れる。日本にこういう聖地があり、毎年日本人の10人に一人が参拝する。こういう精神的拠り所がある日本は幸せである。これは日本の宝である。

 

 

一人で参拝

 今回は正宮の垂れ幕の内側で、一人だけで参拝できた。幸せである。例年だと順番に数人ずつで参拝であるが、今年は前後に待っている参拝者がおらず、私一人で参拝ができた。神様に今までの平穏無事な生活を送れたことにお礼を述べた。

 

 正宮の垂れ幕の内側での参拝は、特別参宮章があれば可能である。神宮事務所に式年遷宮の造営資金として寄進をすれば、特別参宮章が発行される。私は毎年、参拝する度に寄進をしている。この特別会員券は2年間有効である。なお参拝には正装が必要で、男性は背広・ネクタイ着用が必要である。女性も相応の正装が必要である。

 

 4年前の2018年、馬場恵峰先生ご夫妻を伊勢神宮にご案内して、一緒に参拝ができたことを思い出し、いい時に参拝できたと邂逅した。2年前に二人とも旅立たれてしまわれた。

 時は人を待たず。時ともご縁である。一期一会である。

 今日無事に参拝できたことを神さまに感謝である。

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タクシー値上げで狂乱物価を実感

 なお五十鈴川駅から内宮までは、いつもはタクシーを使うが、今年はタクシーがちっとも来ず、バスが丁度来たのでバスで内宮に行った。それだけ参拝客が少なくなって、タクシーの台数を減らしているようだ。

 内宮からの帰りは、バスの待ち時間が長くなったので、タクシーを使った。その時、値段が1,230円である。以前は1,050円であった。狂乱物価の影響が、ここにも及んでいることを実感した。

 

P1150555s 五十鈴川駅前のタクシー乗り場 2022‎年‎10‎月‎11‎日、‏‎12:54

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‎  伊勢神宮 宇治橋 2022‎年‎10‎月‎11‎日、‏‎13:19

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  手洗い場

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 正宮本殿前

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  伊勢神宮 宇治橋

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  おかげ横丁  ‎2022‎年‎10‎月‎11‎日、‏‎14:21

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2022-10-13  久志能幾研究所通信 2514  小田泰仙

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2022年10月10日 (月)

窓際のトットちゃん、神の領域に近づく

 

 1976年2月2日から『徹子の部屋』が始った。現在で46年間の長寿番組となっている。黒柳徹子さんが『徹子の部屋』を病欠ゼロで46年間続けられた秘訣には、ジャイアント馬場さんからの助言があった。

 ジャイアント馬場さんは、黒柳徹子さんが100歳まで仕事をしたがっていると聞き、それならスクワットをやりなさいと指導をされた。

 

 『徹子の部屋』が長寿番組として続けられた要因は、黒柳徹子さんに「体は資本である」との考えがあるからだ。ジャイアント馬場さんから教わったスクワットを毎日欠かさず一日50回やっている。また軽い体操を毎日1時間している。エアロバイクも室内に設置している。

 黒柳徹子さんは23時には寝て、10時までしっかり寝る。5時間ほどで一度目が覚めるが、白湯を飲んでまた寝るという。

 また窓際のトットちゃんは好奇心が全開である。それが知力の維持に貢献した。体が元気でも、ボケては何事も継続できない。黒柳徹子さんは御年88歳で元気溌剌である。

 

10年は偉大なり

20年は畏るべし

30年は歴史なり

50年は神の如し

 

 人生は窓際でよい。人生は細く長く生きた方が勝ちである。天才でない凡人は長く生きることが、凡人の生き様である。人生でスポットライトばかり当る場所にいると、あらぬ誹謗中傷を受け、病気や突然死などに襲われる。

 せめて第二の人生は、窓際で静かに長く生きよう。窓の外(あの世)に出されるまでは、好奇心満杯の「窓際のトットちゃん」の生き方をしよう。私も『オダブツ教の部屋』である『久志能幾研究所通信』を続けたい。

 

P10409731s 馬場恵峰書

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2022-10-10  久志能幾研究所通信 2511  小田泰仙

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2022年10月 5日 (水)

よき色は 死にゆく匂い 明日は散る

いろはにほへとちりぬるを

 

 この世の色(体、時間、命、ご縁、地位)は、神仏からの一時的な預かりもの。この世のものは、何時かは死が訪れる。

 人生は夢のような儚いもの。その夢も何時かは終わる。だからこそ一生懸命に夢を現実のものにするため動いて、この世を去ろう。現実にならなくてもよい。その過程が人生なのだ。

 その夢を後進が受け継いでくれたら、最高の人生だ。

 

 どんなに華やかに咲き誇っても、どんなに独裁政治を続けて謳歌しても、それは20年も続かない。どんな独裁者も人である限り、何時かは老い、病み、死ぬ。人は生老病死である。毛沢東もスターリンも独裁者として君臨できたのは精々25年間である。非力な民衆は、嵐が来たら、じっと耐え忍ぶしかない。

 国がどんなに栄えても、それが100年続けば、衰退がはじまる。スペイン、オランダ、大英帝国の繁栄がそうだった。1000年続いたローマも何時かは衰退し、滅んだ。

 米国も繁栄が100年になり、これから衰退が始るだろう。

 1921年に生誕した中国共産党も2022年に100年を迎えた。独裁恐怖政治を続けた組織にもいつかは終りが来る。あのソ連も崩壊した。

 あんなに人気絶頂であった三遊亭円楽さんも先日、亡くなられた。

 この世の出来事(色)は空なのだ。その色がどんなに華やかでも、何時かは空になる。

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夏草や 強ものどもが 夢の跡  (芭蕉)

  夏くさや 強わものどもが ゆ免の阿杼  (万葉かな)

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 奥の細道 全集  馬場恵峰書

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 私も会社時代に、飛ぶ鳥を落とす勢いの上司に説教をされたことがある。その上司の時代も長くは続かなかった。私は当時、達観してその上司を見ていたが、保身のため外見は素直に聞いている振りはした。その上司が原因で多くの部下が辞めた。宮仕えとは忍耐することが智慧なのだ。

 一年上の先輩も私と同じ考えであったが、その上司に叱られている間、達観して平然としていたため、「君はオレがこんなに怒っているのに、どうしてそんな平気な顔をするのだ!」とまた怒られていた。当時は大変であったが、今思うとお笑いである。その上司も、後年、会社で女に手を出し、失脚した。

 

色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 (般若心経)

Form is nothing more than emptiness.Emptiness is nothing more than form.Form is exactly emptiness.And emptiness is exactly form.

この世における物質は、実態のないもの(空)であり、空ということは、物質(色)以外にはあり得ない。すなわち物質は実態のないものであり、実体のないものが物質である。

 

 空の中に生れた色を有効に使うのも、無為に使うのも全て己の人格レベルがなせること。国にも、組織にも人格がある。そのレベルで色のレベルが変わる。

 

神の目

 自分の後姿を神仏に変わり、子供、部下、市民、国民が見つめる。その家、組織、国、自治体の運命が変わる。私も「世間は、神の如くの評価をする」(松下幸之助翁)との言葉を実感する歳となった。

 

経済での己の役目

 自分の役割は、連綿と続くご先祖からのお宝を後世のつなぐ駅伝走者である。その走る区間が現代という時代である。全力でその区間を走り抜けよう。

 経済の「経」とは、連綿と続く縦糸と横に走る横糸を表した言葉である。縦糸はご先祖からの流れ、横糸は現代社会での己の経済活躍である。

 

頼まれ事というご縁

 色(ご縁)が付いたら、自分のため、家族の為、国の為、そのご縁を生かせ。そこに自分の人格が表れる。他人から何か頼まれるとは、神仏からの贈り物である。それは運勢が良くなってきた兆しなので、私は頼まれれば、笑顔で引き受けることにしている。

 頼んでもやってくれそうにない人には、誰も頼まない。信頼できない人にも頼まない。相手は己を信じてやってきた。それを断ったら、期待を「裏切る」ことになり、裏切り者になってしまう。裏切り者に幸運はやって来ない。人は誰でも一度でも断られれば、二度と頼みに行かない。

 そこには色もなく、匂いもなく、散った死の世界がある。

 

船の墓場

 運勢とは、気の流れである。その気の流れを遮れば、運勢は勢いをなくす。つまり風が無くなれば、運命の船は風を受けれず立ち往生である。風を受けられない帆船は、バルミューダ海域の船の墓場に海流で追いやられる。それは人生航路での孤独死の世界だ。

 運勢の実態は空であるが、その中を気の風が舞っている。

 

4k8a93811s 馬場恵峰書

 

2022-10-05  久志能幾研究所通信 2508  小田泰仙

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2022年9月30日 (金)

四住期を生きて、仙人期に生きる

 

時間の付加価値を上げる

 以下のことをやる時間は無駄な時間だ。人生は春夏秋冬、その季節にその時にあった時間を送ろう。そうでない時間は付加価値を生んでいない。無駄な作業を捨てることで、人生の付加価値を上げられる。

 人生の各時期で、有益な時間を過ごそう。人間は動物ではないのだ。成り行きで生きてはならない。

 

 インドの哲学では「四住期」という道標がある。「四住期」とは、人生を4つの舞台に分けて生きるという考え方である。第一期は「学生期」で、禁欲の学びの時期である。

 第二期は「家住期」で家庭を持ってバリバリと仕事をする時期である。

 第三期は「林住期」で、定年退職で仕事を離れて、今までやりたくてもできなかったことを自由にする時期である。多くの人はこれをやって人生を終わる。

 第4期は「遊行期」で、一切の欲望を捨てて、人の魂を救う聖人の道に入っていく人の時期である。それが仏陀であり、芭蕉や良寛さんであった。現代で言えばマザー・テレサである。

 

学生期

 学んでいない時間

 志を立てるために使っていない時間 

 知識が増えていない時間

 私は学ぶことを稼ぐことと割り切って、真面目に勉強して、特待生を獲得して、授業料を只にした。それがその後の人生を変えたと思う。多くの人を見ていると、やはり何事も最初が大事だと痛感する。

 

家住期 

 お金を直接稼いでいない時間

 組織(家庭が最小単位織)のために、意思決定に使ってない時間

 経験という財産が増えていない時間

 

 私はこの時期、仕事人間、ワークホリックで過ごした。

 しかしこの時期から日本の労働組合は、遊ぶ権利、休む権利を強要するようになった。しかし休む権利があるなら、働く権利もある。遊びたい人は遊べばよい、働きた人は働けばよい。それがある時期、強制的に休まされ、残業を制限された。働くのは、悪い考えだと非難された。別にカネのために働いているのではない。やりがいで仕事をしているのだ。おかしな時代になったと思っていたら、高度成長期から、大失速である。日本に人が働かないのだから、宇宙根源の理に照らして当然だ。反日勢力の陰謀である。

 

林住期 

 自分が楽しめない時間

  なんの為に今まで必死に働いてきたのか。

  今まで稼いだお金を使って、世に還元する。

  お金が回れば、社会が潤う。

  多くの老人が、大金を抱え込んだままなので、景気が回復しない。

  老人があと5%余分に消費をすれば、景気は回復する。

  それは世のために恩返しをしていない時間である。

  人生の借金は社会に返して来世に逝こう。

  死んだ後に床下から数千万円の札束が出てくるのは恥である。

  その人は金を稼ぐ能力はあっても、使う能力がなかったのだ。

  カネを稼ぐより、使うのが難しいのだ。

  大金を残せば、子孫が堕落する。それは道徳を破壊する犯罪だ。

 

遊行期(仙人期)

 それは全てのしがらみから抜け出し、仙人のような生活を送る時期 

 魂の向上のために費やしていない時間

  動物の境界を人間界に、そして佛さまの境地に高めよう。

 今まで培った智慧を世のために使っていない時間

  知識レベルを智慧レベルに上げないと記憶の機械と同じ

 お荷物を整理整頓せず、抱え込む時間

  断捨離は、やってはならない。それは自分の歴史を捨てる事。

  捨てるべきはシガラミである。

  しがらみはお荷物で、それを整理整頓すべき。

  この世に残せば遺族が迷惑する。

  人生の半分は整理整頓の時間に費やすべき。

  日頃から整理整頓清潔清掃である。

  それはどの期でも必須の仕事である。

  整理整頓清潔は仕事ではないが、義務である。

  遊行期こそ、人生最期の整理整頓をする時間。

 

  私は持てる108の煩悩を整理整頓してから逝こうと思う。だから今1年に1煩悩の整理廃却をしているため、108歳まで生きねばならぬ(笑)。健康に気を使っていない時間こそ、最大の無駄時間である。人生の元手は自分の体である。体がダメになれば、全てが終わる。

 

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 馬場恵峰書

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2022-09-29  久志能幾研究所通信 2504  小田泰仙

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2022年9月22日 (木)

人生の五大テーマ

 

 人生を作り上げるうえで、大きなテーマが5つある。それを意識して生きるか否かで、人生が変わる。

 人生の五つの幸福を五福と呼ぶ。長寿・富裕・健康と徳を好むこと,天命を全うすることだ。それを達成するために課題が五大テーマである。

 課題とは、あるべき姿と現実の乖離をいう。その乖離をなくすために何を為すかが、人生の要訣だ。

 

1 運を良くする

 学校の成績が良くても、有名大学の学歴も、それで成功するとは限らない。松下幸之助翁は、小学校も出ていない。それで成功した。田中角栄は、高等小学校卒である。それで有能な総理大臣になった。学歴が、運を良くするために有るわけではない。

 学歴だけでは運は良くならない。だから運を良くする術を一生かけて自得するのだ。運が良くなければ、長寿も富裕も健康も手に入らない。

 

 しかしその秘訣は分からない。運の良い人の後姿から手探りで学ぶしかない。それも百人百様の秘訣があるようだ。その中で松下幸之助翁は間違いなく運の良い人であった。私は彼の発言や伝記を読めば、運が良くなる機鋒を学べると判断した。

 私は松下幸之助翁の発言集(全45巻)や「経営百話」のテープを聞いて、それから薫習として得ようとしている。松下幸之助翁の著書や録音は100冊ほど集めた。田中角栄に関する著書も集めている。

 またPHP主催の松下幸之助経営塾(ひと月に一泊2日の研修を5か月間、費用100万円)にも、参加して、松下幸之助翁の生き方の一端を学んだ。

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   松下幸之助経営塾  2012年9月15日 京都PHP本社にて

 

 松下幸之助も、今の時代に生れれば、成功は無かった。田中角栄も、高度経済成長期が終わった後に生れたら、総理大臣にはなれなかった。その時代に生れたのも運の良さである。

 自分が現代の日本に生れ、今生活している幸運を喜ぼう。それを最大限に活用しよう。自分が日本の80年前の太平洋戦争中に生きていれば、地獄である。私は赤紙でビルマの最前線に送られて餓死して、名誉の戦死である。またロシアや中共や北朝鮮で生活していれば地獄である。私の反政府的な批判言動では、すぐ反政府転覆活動家、スパイ扱いで逮捕され死刑である。

 そこで分かったことは、運が良いも悪いも、一生懸命にやらないと運は良くならない。

 また自分は運が良いと信じて行動しているか、である。松下幸之助翁は周辺に、運が良いと信じている人しか集めなかった。これはナポレオンも同じ行動を取っていた。運が良いと信じている人は、行動が大胆である。大胆は幸運を呼ぶ。

 また運を良くするには、感謝こそ大きな要素の一つであることは間違いない。松下幸之助翁は人生は運が90%を支配するという。松下幸之助翁は迎賓館に宇宙根源の社を建てて、いつも祈っていた。

 だから神仏から加護を受けられるような行動が必要だ。ただし、祈りさえすれば運が良くなるわけではない。神仏を敬い、感謝して祈る姿勢が、己の生き方を謙虚にして、自分自身の行動を見直すことになり、運が良くなるのだろう。

 

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2 人生を豊かにする

 五福の一つが禄である。そこそこに裕福でないと、人生を豊かに送れない。それは単純に勤勉であるのが必須である。その前に、両親が勤勉であることが必要条件だ。

 最近、町内のまだ60代の方が孤独死をされた。彼はまだ50代で早期に退職して働いていなかった。生きている限り、労働することは何らかの社会奉仕である。まずそこから始まる。社会に何かの奉仕すれば、必ず何らかの恩恵が還ってくる。情けは人の為ならず、である。

 

3 魂を浄化する

 人間は、動物として生まれ、人間になるために修行をしていると言える。醜い動物の精神状態のままで死ぬのは、情けない話だ。野獣の精神のままでは、五福はあり得ない。

 

4 天寿を全うする

 命とは、自分がこの世で使える時間の総量である。命を全うするとは、ご先祖様、仏様より貸して頂いたリース物件の体を大事に使い、そのリース物件を寿命まで使うこと。往々に体を酷使したり、食べ過ぎたりして、寿命を短くする人が多い。

 健康管理こそ、運を良くする大事な要素だ。健康でなければ天寿を全うはできない。

 

5 天命(使命)に早く気付き、それを成就する

 自分が何のために生れたか、その使命は何なのかを、速く気が付くのが大事だ。それを意識しないから、単に生き永らえる生活に堕落する。

 仕事こそ、生き甲斐であり、社会に対する恩返しである。仕事をすることが自分の遺作である。生涯現役こそ、天命を全うすること。

 

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2022-09-22  久志能幾研究所通信 2498  小田泰仙

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