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2022年11月 7日 (月)

失われた30年、日本版の梨泰院圧死事件

民度の低い国会議員が原因

 日本がこの30年間も経済が停滞しているのは、民度の低い国会議員達、それを報道するゴミのようなマスコミのレベルの低さ、利権意識の高さが原因である。それにより、国民が生活苦で圧死しそうである。

 世界は激変しており、改革を強要する波が日本に押し寄せている。その波が来ているのに、その流れに抵抗勢力が頑なに抵抗して現状維持で守ろうとしている。だから外国と日本の間で矛盾という壁に押しつぶされて、日本全体が圧死寸前だ。

 

日本圧死

 日本はかって半導体王国として謳歌していたのに、いつの間にか世界一の電気メーカ群が倒産し、電機産業が消滅した。それで国民が失業、生活苦、自殺に追い込まれのだ。外国の圧力に屈した電気メーカは、技術者を冷遇、首切りをした。彼らはK国に己を身売りして技術を漏らした。それが日本メーカの没落に止めを刺した。

 左前になっていた日産は、ゴーンにリストラの名目で資産を売られ、従業員を首にされ、サプライチェーンをズタズタにされ、美味しいところをむしゃぶりつくされた。ゴーンは金がかかる研究開発費を減らした。それが原因で現在、日産はよい車を生み出せず、車は売れず、売上減にあえいでいる。ゴーンの来る前、日産は押し寄せる外資からの波に対して、労働組合の天皇が君臨し、経営に口出しし、やるべき改革を妨害したためだ。外資と古い経営者との間で、従業員はもてあそばれ圧死である。

 平成不況で国内に失業者が100万人もいるのに、一部の派遣業者の利権のため、外人労働者を優先的に移民として入国させている。その結果、日本の賃金水準を下げる政策となっている。儲かるのは派遣業者とそれを推進した大臣や諮問機関である。その代表が竹中平蔵である。それにより、国内労働者の雇用が激減し、日本全体の賃金が下がった。外資と利権屋の波が日本青年を押しつぶした。経済戦争で敗れ焦土と化した日本には、圧死した不幸な日本国民で溢れた。

 それらの圧力に輪をかけた禍が、コロナ対策での利権の横行である。政府の経済対策の無能さである。

10年前の悪夢、圧死轢死歴史

 2009年から~2012年の民主党政権時代は、狂った群衆心理に巻き込まれて、狂った政党に投票し、日本は沈没圧死寸前に追い詰められた。民主党の全員の民度の低さが、日本国民全員を谷底の地獄に突き落とそうとしたのだ。

 その悪行を忘れて蓮舫議員も辻本議員も平然としている。蓮舫議員はいまだ、二重国籍問題の正式釈明をしていない。安倍元首相の国葬への対応も人間として失格である。国会議員は、議員である前に、人間であるべきだ。政治はその政治家の人格以上のものを生み出さない。蓮舫議員も辻元議員も国会議員として存在するのは、日本の恥である。日本再建はまず、日本人の意識改革が必要だ。そうしないと日本全員が隣国の攻撃で圧死してしまう。

 

売国奴跋扈

 それら悪政を続ける大臣や議員を当選させた国民にも責任がある。なぜ隣国のスパイもどき議員が大臣をやっているのか。媚中派の奴らが国の防衛力増強を妨害している。中国は台湾、沖縄、尖閣諸島を虎視眈々と狙っている。連日領海侵犯領空侵犯を繰り返している。まるで刃物を持ったヤクザが、家の回りをうろうろしていると同じ。それなのに、その自己防御に反対するのは売国奴である。なぜそんな売国奴議員を当選させている国民にも責任がある。

 

日本民族大合唱「変わらなくちゃ」

 日本民族は、習慣ややり方をなかなか変えない。また一度新たに作った制度を変えることも難しい。だから間違った政策や習慣を変えないので、この30年間の失われた時代が生まれた。日本人は歩かず、考えず、変えない国民のようだ。

 英国は間違ったと分かったらすぐ変える。英国のEU離脱、トラス首相の僅か100日での辞任、スナク首相に劇的交代の事例でも明らかだ。英国人は歩くとすぐに考えを変えるようだ。危機の時代はそれも一つの対応策で、正解の一つのようだ。何もしないより、良い対応法だ。なにもしないのが一番悪い。

 ドイツ人はうさん臭い理想という餌を大義名分に掲げ、それに洗脳されて現状を思慮なく変え、猪突猛進する国民性である。ドイツ人は雑踏で圧死はしないが、別の落とし穴に落ちる国民性である。ドイツは脱炭素を信じ、ロシアを信じ、脱原発、脱石油政策を完璧に邁進し、原発を全廃し、ロシアのガスだけに頼る政策に舵を切った。頭は良いが賢くないメルケルさんだ。現在はウクライナ戦争の影響のため、ドイツ国民が燃料費高騰の経済状況で悲惨な目に会っている。あまり賢明な国民ではないようだ。過去にナチスを熱烈に盲信して、国を滅ぼした単純思考性の国民性は変わっていないようだ。

 日本では何事も決めらない岸田首相が1年も居座っている。彼は検討するだけで、何もしない。だから外国から押し寄せる圧力に押しつぶされて、検討死となっている。無能な政治家をのさばらせるから、日本は浮上できない。無秩序に放置された政治状況は、梨泰院雑踏圧死事件の発生状況と同じだ。有権者が目を覚まさないと駄目である。

 

失われた30年

 世界が激変しているのに、無能な首相が居座って変わらないのが日本なのだ。変えようとするのを必死で止める議員達がマイナスの雪崩現象を起こしている。本来なら、岸田氏はとうの昔に首相を辞めていなければならない。

 同じように経済界でも古い経営者が誤った経営をしているから、失われた30年が生まれた。未だに日産はごたごたしている。それは日産が生れた時からの体質なのだ。その体質を日本人は変えられない。

 後ろから「変えろ、変えろ」と群衆が押しても、それを踏み留まり混乱するから圧死する。これが日本での逆の梨泰院雑踏圧死事件である。だからこの30年間、日本人の賃金が上がらず、生活苦で圧死である。

 なぜ変わらないのか。変わらなくちゃ、と言いながら、変わらないのは、対処療法に終始してその真の原因を追究しないからだ。

 なぜ何故を5回繰り返して、真因を探そう。媚中派のマスコミに騙されてはならない。国民が目を拭い、耳を洗って真実を直視しないと、日本国民は圧死である。

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反省

 この30年間を振り返り、また今回の梨泰院雑踏圧死事件(イテウォン)を検証して、自分達の行動を反省すべきだと思う。韓国の梨泰院雑踏圧死事件は、他人を慮らず、他人を押しのけ、自分の欲望を満たすための行動が、惨劇を招いた。それこそグローバル経済主義の本質である。経済が拡大して、そんな事例が最近は頻発している。これは商業主義が行き過ぎ、グローバル経済主義の暴走が原因だ。今回の梨泰院雑踏圧死事件もハロウィンという金儲け行事の過剰さが原因である。

 我々はもっと人間の原点に立ち返って、人としてあるべき姿を見直す必要があるだろう。理性と人間性を忘れて、拝金主義で暴走するから、貧富の差が拡大し、更に人が欲望を拡大する。カネに飢えた議員を中国が付け込んでくるので、今の政治の退廃が起きている。それが亡国の道である。

 グローバル経済主義も、脱炭素政策も、政治に無関心になった世相が起こした現象だ。金儲けだけにうつつを抜かすから、邪鬼に付け込まれるのだ。政治とは人間社会を運営するための頭脳である。

 多くの衆知を集め、正しい知識から智慧を得て、それを賢く選択・決断をする。私はそういう行動がとれる人間になりたいと、文殊菩薩、普賢菩薩、虚空蔵菩薩に毎日手を合わせて祈っている。動物として生まれた人の生きる目的は、人間になることだ。私は人間になってから、佛を目指して旅立ちたい。

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 馬場恵峰書

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 松本明慶大仏師作 文殊菩薩

  衆知を集め、文殊の知恵を出せと教える佛様。

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 松本明慶大仏師作 普賢菩薩

  多くの選択肢から正しく選択し、賢く決断せよと教える佛様。

4k8a04291s 松本明慶大仏師作 虚空蔵菩薩

  宇宙根源の理に目を向けよと教える仏様

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2022-11-07  久志能幾研究所通信 2534  小田泰仙

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2022年11月 4日 (金)

墓誌と院号、佛の世界の裏道

 

 昔は一人一墓であったが、お墓の土地供給の問題もあり、一家で一つのお墓となってきた世である。いわば一戸建てから集合住宅になったようなものと解釈している。それで問題になるのは、誰がそのお墓に入っているかである。前のお墓はそれが曖昧であったので、今回、新しいお墓を建立するので、墓誌も併設することになった。

 

墓誌

 墓誌で色んな書き方があり、戒名、命日、俗名、享年に更に叙勲の有無まで書くような例も見受けられる。当初、父の弟で五男の方が勲八等を叙勲されており、それを記入する方向で話が進んでいた。

 しかし、死ねば沸の前では全て平等であり、俗世間の位など何の意味もないのではないかと思い直して、記入は取り止めとした。

 また命日もそれを見て喜ぶ人がいるかどうかであり、両親の命日は子供が一番知っている事項である。あえて墓誌に書く必要もなく、個人情報の類であるので、止めることにした。

 

墓誌での命日

 弥勒菩薩は現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなると約束された菩薩(修行者)である。弥勒菩薩はゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済するとされる。弥勒菩薩が来訪するという56億7千万年の尺度からいえば、40年や80年の享年に差があるわけもなく、誤差範囲である。この世に生を受け、しかるべきこの世のお勤めをして旅立った人に、寿命の多少で偉さに差がないと思い、命日を記すのを止めた。結局、戒名と俗名だけを記した墓誌とすることになり、簡潔な美しい墓誌となる。

 石田家の墓誌は、石田退三氏の戒名だけで、俗名さえ記されていない。石田退三氏は旧勲一等瑞宝章(瑞宝大綬章)を授与されている。ご遺族が故人の意思を継いで、戒名だけの墓誌を作られた。倒産寸前のトヨタを立て直した大番頭に相応しい墓誌である。

 

院号

 現在、父の五男に当たる小田五郎氏に戒名に院号が付いていないので、今回の墓誌を新設するにあたり、英霊への後供養として院号を付けて頂いた。夫を亡くし二人の子供が戦死をした当時、祖母は院号を付ける経済的余裕がなかったと思わる。当初、祖父小田成健の戒名にも院号がなく、叔父が祖母の亡くなった時に、祖母と一緒に院号を付けてもらった。

 

 戒名とは引導をされる僧侶が弟子にするために授ける名前である。院号とは贈り名とも言われ人の死後にその徳を称えて贈る称号である。業績のある方のためにお寺を建てると同じように、亡くなられた方の心の中にお寺を建て、来世の名前を戒名として授け、佛として修行をしてくださいと供養する意味である。

 

 院号はお金を出せば付けてもらえるものでもなく、相応の功徳ことがないと付けてもらえない。お寺によっては、いくらお金を積んでも付けてもらえない場合がある。

 

英霊の院号

 父の弟の小田五郎氏はビルマで昭和19年に戦死された英霊であり、「戰勲至誠居士」と立派な戒名が付けられている。至誠とは吉田松陰が好んで説いた『孟子』離婁上の言葉である。今回、お寺さんのご意向で、「護國院戰勲至誠居士」との立派な院号を付けていただくご縁を頂いた。

 院号についても今ままではあやふやな知識で、今回初めて詳細な知識を得ることが出来た。人生知らないことばかりである。

 

院号の裏道

 格式あるお寺では、その人に徳がないと、カネを積んでも院号は付けてもらないようだ。しかしあるお寺のお墓を拝見した時、殆どの墓に院号が付けられいたのを見て驚いた。要はそのお寺ではカネさえ出せば院号がもらえるお寺であるようだ。

 格式あるお寺でも、院号を付けられた人に人徳があったとは思えないのに、院号が付けられている例は多くある。私の推察では、故人の徳ではなく、その故人の葬儀を司った人の徳が高い場合に、院号が付けられるようだ。まあそういう後継者を育てた個人の徳と言ってもよいようだ。徳が高いとは、お寺に貢献した人(寄進を多くした人?)であるようだ。信仰深くなく、お寺にお参りにもあまり来ない人は、親の死後に院号を頼んでも院号は授けてもらえないようだ。お寺さんも良く見ている。お寺さんは仏様の代理人なのだ。

 

生前に戒名授与

 懸念があるなら、自分でお寺さんに御願いして生前戒名を授かることだ。私はがんを患い、退院して落ち着いた後、住職から戒名を授けてもらった。そして墓誌にも戒名を彫った。その彫った字に朱をいれた。まだ私が生きているからだ。

 戒名は生前に授かるのが、正式の手順である。亡くなってから葬儀の際に戒名を授かるのは、緊急応急処置である。その場合は、住職さんが家族からその人のことを聞き込んで、名前を付ける。だから生前に本人が住職と打ち合わせをして、最適の名前(戒名)を付けてもらうのが理想である。それで安心して死ねる(?)。

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 馬場恵峰書

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2022-11-04  久志能幾研究所通信 2532 小田泰仙

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2022年11月 2日 (水)

お墓に蓮華の模様  泥沼の蓮華の教え

 

 お墓つくりで最後まで悩んだ案件が、蓮華の模様の有無である。「簡素に華美に走らず」の基本方針で、お墓つくりを進めたが、蓮華の模様をつけるかどうかで最後まで悩んでしまった。最初は蓮華の模様無しで進めたが、親戚の助言や蓮華の意味を考えて、伏せ蓮華の模様を付ける事に変更した。受け蓮華だと結構目立つのだが、伏せ蓮華ならそんなにも華美とは見えないことを確認して決断した。ご先祖供養としての気持ちとして伏せ蓮華の模様も許されると判断した。

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 泥中之蓮 六根清浄

 蓮華とは蓮の花のことで、蓮は仏教の世界で最高の花である。蓮の花は泥の沼の中に美しく咲く。それに対してワサビは清純な山の中の清流の中に咲く。人間社会の中で正義を貫きすぎると自身はワサビの存在となってしまう。正義とは狭義な存在である。神仏の身でない人間は、清濁併せ呑む大きな度量が必要である。清らかな環境で育って清純な心を持っても、人としてワサビの存在になっては佛になれまい。それを仏教は蓮華の花で教えている。

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六根清浄

 六根清浄とは、人間に具わった六根を清らかにする修行である。六根とは、五感(眼根(視覚)、耳根(聴覚)、鼻根(嗅覚)、舌根(味覚)、身根(触覚)、意根(意識))と、それに加え第六感とも言える意識の根幹である。

 六根は人間の認識の根幹である。それが我欲などの執着にまみれていては、正しい道(八正道)を往けない。そのため執着を断ち、心を清らかな状態にする修行が六根清浄である。そのため不浄なものを見ない、聞かない、嗅がない、味わわない、触れない、感じないために俗世との接触を絶つ修行が行なわれた(山ごもりなど)。

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 馬場恵峰書『百m巻物』  日中文化資料館蔵 

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自然に学ぶ

 四季の自然のつるといの中様々に学び気付く事多し、ふと見ればはきだめに南瓜の芽がいくつも出て、せい髙あわだち草が菜の花畑のおうに泥沼から蓮の花咲き可憐さ華麗言葉を失う。それらの自然存在に気付く時、自然はこの事以外においても野采果実等々物を造り育てる名人でその物を最大限に活かすのが人間である。

 人間皆それぞれすばらしい種子であり、明日、否、今どんな何とした花が咲くのか貴重な宝を人間持っている。何事も縁を活かし勇気出して新しい自分の道を進もう。

 「そのうちって‥‥」「いや今のうち、今でしょう」そのうちのいいわけはいいわけに結ばらぬ。 人生チャンス二度なしの受けとめ、今そこからです。耳で見て、目で聴く心眼を開いて行きましょう。 智学び仁もって人の道守り勇気出して大切なあなたの人生、私の生涯明日を念じ今大切にと。

        文:馬場恵峰

 

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 馬場恵峰書『百m巻物』  日中文化資料館蔵 

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 人は泥沼の人間社会の中で、いかに美しい人生の華を咲かせるかが問われる。人は汚れた世界で生きていく。しかし汚れたままではいけない。自分を美しくする環境や人との出会いを求めなさい、が仏教の教えである。

     

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 蓮の花  Wikipedia 「ハス」より引用 
                                                                                                       

 蓮(LOTUS)は、古代エジプト、インド、ギリシア、ローマの神殿にもさりげなく彫刻されている。西洋でも高貴な花として認められている。ギリシア神話では、その実を食べると現世の苦悩を忘れるとされた。ギリシア神話の世界では、神の世界にも現世のギリシアとされ、生々しい神の恋愛話や武勇伝が神話を彩っている。

 私も2010年、2011年とローマやシシリア島に20日間の旅行をしたが、当時はそんな意識が無いので、目に入らなかったが、写真で神殿等を見ると確かにLOTUSの模様がある建築物が多くある。

 その後、2017年に戸田極子公爵夫人の足跡をたどるためウィーンへの旅した。そこの楽友協会の「黄金の間」でそのロータスの飾りを発見した。

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2022-11-02  久志能幾研究所通信 2531  小田泰仙

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2022年10月31日 (月)

人生は食べ放題の旅 バイキング店で体重を減らす

 

 この宇宙は全てバイキング料理店で構成されている。何をどれだけ食べようが、やろうが、集めようが自分のやりたい放題である。対価は全て自分の行動と言う貨幣で支払えばよい。

 そこで注意すべきは、己の「分」の問題である。人は往々にして自分の器(分)以上に集め、食べ、やりすぎるので、人生の破綻(地獄)を見る。人には肉体的制限と、時間的制限の限界がある。人には、最大で100年と言う時間制限がある。時間は貧富には関係のない佛様からの貸与品である。お金はいくら集めても、死ぬときに手放さねばならない。徳がないのに、不相応な財産を残すと子孫の財産争いで家が不幸になる。金にあかして美食に溺れる天国を味わっても、肥満からくる高血圧、心筋梗塞、脳梗塞、ガンに襲われて地獄を見る。病気とは、自制心に負けた己の食べ放題への対価である。

 

ダイエットは食べ放題のお店で

 私はダイエットのために、食べ放題のお店に通ったことある。昨年10月(2014年)から始めて、ほぼ毎日行って、2015年7月現在、半年間で約5kgの体重減となり、その結果として高血圧であった状態がかなり正常化した。

 毎日食べ放題に行くのは地獄である。それは、お代わり自由で食べられるのに、それを0.8食分で抑える自制心との戦いが地獄である。食欲があり、時間もあり、目の前に美味しいものが並んでいる。体力的に3食分でも楽に食べられるが、それを我慢する試練である。そのご褒美が体重減である。目の前に食べ物があっても、必要以上には食べないようになった。間食も減った。

 バイキング料理店のよい点は、自分の意思が強固なら、スイーツを控え、良質のたんぱく質、炭水化物、野菜等をバランスよく摂取できる。お代わりさえしなければ、食べ過ぎの危険性は少ない。

 この修行ができていない5年ほど前は、バイキング料理店でつい3食分を食べ、喜んでいた自分がいた。肥満が原因の病気と言う天罰を受け、目が覚めた。天罰を受けても目の覚めない人が多いのが哀しい。

 

棚ぼたの罠

 家系図に登場する家の親戚で、己の器以上に親からの財産贈与を得て、家が傾いた事例が多々ある。その人の器(分)以上の量を入れたがための咎である。人は立って半畳、寝て1畳、食べて飲んで1升である。それ以上に体に入れるから不幸の原因になる。「棚からぼた餅という遺産」の罠に嵌ったのある。最期になって、「金はいくらでも出すから助けてくれ」と医師に言っても手遅れである。その前に、沸様が体の不調でその前兆を知らしていたはず。その類の愚か者が家系図に死屍累々である。器が小さいのに、それ以上に入れれば溢れるのは自然の理である。お金は貯めるのは簡単だが、使い方が難しい。

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 馬場恵峰先生書『人生訓八十恵峰』より

 

2022-10-31  久志能幾研究所通信 2529  小田泰仙

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2022年10月29日 (土)

「いのち」とは「胃脳血」、霊止、自衛力

 

胃  食材

脳  考え

血  全身を巡る

 

霊止

 先祖、親、師、友のご恩があって今の自分がある。夢ゆめ「自分が」ではないと思うべし。自分の人生を謳歌するのが人間の生き方ではない。人として後に続く子孫のために生きるのが人の道。「ひと」とは「霊」が「止」まると書く。縁あって人間に生まれたのだ。豚に生まれなかった幸せを考えよう。

 

 自分がいま何故、この世に存在するか。ご先祖の中には、水子や夭逝した人たちが沢山いる。その人たちは、悪縁、悪病、を他の子孫のために一身に背負い亡くなってくれた。そのお陰で今の自分がいる。

 先の戦争で戦死された方や、特攻で命を国に捧げた英霊がいるから、今の日本がある。国のために命を投げ出す勇気を持っている自衛官がいるから、中国やロシアは攻めるのに躊躇している。だから今でも英霊は国を守っている。

 

命の自己防衛力

 人の体は、ガンを一箇所に悪腫を集めることで、全身に病巣が散るのを防いでいる。これは生物が持つ最高の防御システムである。その癌の病巣を取り除けば、癌は他に転移せざるを得ない。癌になった真因を取り除かないから、また癌になりやすい。元を断たなきゃダメなのよ。

 体の免疫細胞は、体に入ってきた細菌と戦って熱を出し、死んで膿として体外に出ていく。自分のために戦って死んでくれた免疫細胞に感謝をしよう。それを対処療法の解熱剤で発熱を止めるから、免疫力が弱くなる。ワクチンも良いが、それよりもまず、自分の免疫力を上げる取り組みをすべきである。

 KK息子もKM子も甘やかして育てられたから、精神的に成熟せず、我儘だけが強くなり、KK問題が起きた。ノブレスオブリージュを忘れて、国民を敵視する行動に走り、国体を危機に陥れたのだ。これをC国に付け込まれたら、国体という命が危い。国民の皇室への敬愛が無くなれば、国体を束ねる絆が崩壊して、日本国という命が死ぬ。皇室は、日本国民を束ね、一丸とする絆なのだ。それこそが日本の自衛力である。

 三田圭子は次男を甘やかして、毎月50万円もの小遣いを与えれば、良い子に育つと考えて、人間形成の教育を放棄した。その結果が、次男の麻薬所持容疑で5度目の逮捕となるのだ(2020年10月21日)。三田佳子は次男が逮捕された時、「息子には毎月50万円もお遣いを与えているから、不良などになるわけがない」と警察に怒鳴り込んだ。その子にしてその親ありである。

 彼女の良妻賢母の姿は、女優の演技だけの虚像の世界である。彼は正常な人格が育っていないので、自分で自分を制御できなくなっていた。自省力こそ、社会で生きていくための力である。社会のルールを守る。それが社会で生きていくための最低の自己防衛力である。自省力がないと命が危ないのだ。彼の社会的生命は終わったようだ。

 トヨタ経営の鉄則は、「自分の城は自分で守れ」である。私の前職の会社が左前寸前になった時、幹部が親会社に資金援助で泣きついた。そうしたら親会社からこの「自分の城は自分で守れ」の言葉だけをありがたく援助された(笑)。まあ厳しい言葉で、会社は持ち直したが........。

 コロナ対策でワクチンだけに頼るから、感染拡散がとまらない。それに付け込んで、コロナ対策で不正な金儲けをする輩が跋扈するのだ。必要なのは各人の自己免疫力の強化である。正しい経済政策である。それを間違えているから、経済が瀕死の状態である。岸田首相は、まさに決断なき検討死である。

 国の防衛を米国だけに頼ろうとするから、自立が出来ない。サヨクに付け込まれる。サヨクという獅子身中の虫こそが、がんである。サヨクは隣国の赤い手先である。日本の自衛力が弱まれば、隣国が大喜びである。尖閣諸島と沖縄への攻撃への邪魔がなくなるからだ。サヨクは売国奴である。

 

我とは何か、自分とは何か

 「我」とは稲(禾)を刃先がぎざぎざしたほこ(戈)で刈って、自分のものにしている様を表わす。「私」とは稲(禾)を腕(ム)で自分のものとして抱える姿を表している。「自分」とは、生かされている全体の中で、「自ら」の「分」である。己は世の中の一部として考える姿である。その反対が「利己」である。己のことだけしか考えないから、囚われの闇の世界に落ちていく。自分の一族の中での位置づけを考えよう。

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 「修身」の講義資料

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 馬場恵峰書

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2022-10-29  久志能幾研究所通信 2527  小田泰仙

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2022年10月27日 (木)

祈りは生命、宿命、運命、使命を霊的に結ぶ

 人の生命とは、一億円の宝くじが連続で百万回当たったと同じ確率で生まれる命である(筑波大学 村上和雄教授)。今、自分がこの世に生命を与えられて、存在していること自体が、奇跡なのだ。

 命には宿命があり、運命があり、生まれる命がある。その命には見えざる使命が与えられている。その使命に気づき、それを祈りで成就させるのが人間である。

 宿命とは、変えることが出来ない定めである。男性に生れた、日本に生れた、平成の時代に生れたという事象を言い、それはどんなに努力をしても変えられない。

 ウクライナ、中共、北朝鮮の土地に、生れなくかった宿命を喜ぼう。戦争の時代に生れなかった宿命を喜ぼう。それを思えば、現在の不幸など風邪のようなものだ。

 運命の「運」とは、十字路(しんにゅう)のど真ん中で、行く方向を見定め、力の限り自分の車を押していく様を表した象形文字である。宿命は変えられないが、運命は自分の力と意思で変えられる。

 奇跡で生まれた命をこの世で何のために使うかを問うのが使命である。人の生き方として、今の時代に生れた自分の命をどう使うかを問われる。それを考えないで生きている人は動物と同じである。それは、生きているのではなく、生き永らえているだけだ。

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家族の宿命と運命

 私の叔父(父の弟達)は2人とも、昭和19年、昭和20年にビルマとシベリアの土になった。死のインパール作戦と地獄のシベリア抑留での戦死である。二人ともまだ20過ぎの若さである。父も戦後にソ連の国際法違反の捕虜としてシベリアに送られたが、地獄のシベリア抑留から生還できた。その運命で、今の私の命がある。従弟は彼の父が結婚後出兵して戦死したので、父の顔を知らない。父や叔父たちが戦争の時代に生まれたこと、そういう親から生まれたのは、宿命なのだ。

 今の自分が置かれた幸せな宿命の位置で、どう生きるかは自分が定める運命である。幸せのおすそ分けで、後世の為に最大の貢献しよう。それが自分に与えられた使命である。

 先の戦争では、軍部やマスコミの嘘に押し流されてしまって戦争に追いやられた。政府やマスコミは愚民化政策で、国民を洗脳してやりたい放題である。我々はもっと現代の世相を勉強して、そんなことが二度と起きないように見識を高めねば、子供や孫たちをまた不幸にしてしまう。運命の十字路で、正しい判断をして、日本の運の行く方向を決めたい。その微力な決断が選挙での投票である。微力な市民の声を集めれば、大きな力となる。棄権だけは避けねば、後世に対して責任放棄である。

 

祈り

 祈りとは、宿命と運命を内面的につなぐ霊魂のシャトルである。「祈」りという漢字は、旁の「示」と偏の「斧」から構成される。「示」は生贄を捧げる台の象形文字である。神社関係の文字である。「斧」(きん)は獲物を取る道具である。つまり「祈り」の行動で、その実現が「近」いとも解釈される。

 祈りは運命に力を与え、新しい運命を生む。祈っても、行動無き祈りは戯言である。また感謝なき祈りは、神様に対して無礼で恩知らずである。神様はお賽銭を入れれば、祈りの成果が出てくるATMではないのだ。

 祈りとは、神様に実現ための行動を約束することだ。祈りは自分の潜在意識に問いかけて、その実現の為の行動を誓うことだ。神様の前で誓ったことが守れなくては、神様もその実現に手助けをしない。

 神様は祈りに対して、黙って見守ってくれるだけである。しかしあらぬ方向から、稀有なご縁を授けてくれる。そのご縁に実を結ばせるのは、自分の行動が必要である。

 

独白

 私は神様の前ではお願い事をしない。感謝を述べるだけだ。お願い事をするなら、それに相応する誓いを述べねばならぬ。その誓いが守れなければ、神様の信用を無くす。私はその自信がないから、感謝だけにしている。だって神様は何でも知っている。一回でもサボったことを黙っていても、天から見ていて騙せないのだ。

 Who knows である。誰が知ろうか、誰も知らない。自分がサボったことは誰も知らないが、神様と自分だけは知っている。神様も自分も騙せない。だから私は神様の前では感謝の言葉だけである。

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お賽銭、寄進

 世には100円のお賽銭で、10件ものお願いをする厚かましい人がいる。神様だって厚かましいケチには壁壁だろう。お賽銭額がその人の心の値段なのだ。神社の管理者も神社の社屋の維持管理、減価償却で大変である。お賽銭をケチるのは止めよう。神社の維持管理のために寄進をしよう。神さまも喜ばれる。私が伊勢神宮に参拝する時は、いつも式年遷宮の造営資金を寄進している。

 神宮司庁は、2013年までの各行事を含む第62回式年遷宮全体の費用は、建築、衣服、宝物の製作を含め約550億円と公表した。 このうち、330億円が伊勢神宮の自己資金で、220億円が寄付で賄われた。赤ん坊も含めて日本人一人が、平均183円を寄進した。式年遷宮を行うのは、萱葺屋根の掘立柱建物で 正殿等が造られる。

 

縁ありて花開き、恩あって実を結ぶ

 

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 馬場恵峰書

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2022-10-27  久志能幾研究所通信 2526  小田泰仙

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2022年10月26日 (水)

108歳を目標(4/12) 良食生活、ノーパン生活

禁酒禁煙禁油禁揚禁糖禁燐禁粗禁座禁慢

 

禁酒

 禁酒禁煙は長寿の絶対条件である。私は酒飲みやタバコを吸う輩に、「それしか楽しみはないのか?」と言いたい。

 「酒は百薬の長」は平均寿命50歳の時代の昔話だ。

 「酒は百厄の兆」が人生100年時代の新格言である。酒は少量でも発がん物質となる。先に英国の学会でその研究論文が発表された。

 食品は胃の中で栄養として消化されるが、アルコールは薬物と同じプロセスで肝臓で分解されないと、体外に排出されない。要は毒である。その分、肝臓に負担をかける。WHОの見解では、酒は麻薬と同じ薬物に分類される。毎晩、薬物パーティーとして酒を飲んでいては、長生きなどできない。

 酒を飲んでグダグダと何回も同じ愚痴を言うのは、時間(命)の最大の無駄遣いである。酩酊した頭で何を広言しても、無為である。その愚痴を聞かされる方も、殺時間事件に巻き込まれ、大事な人生時間が失われていく。

 私は5年前から完全禁酒である。

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禁煙 

 喫煙は、本人よりも副流煙で奥さんの乳がんの確率を倍増させる。妻を亡くした夫は早死にである。タバコを吸う本人は、タバコのフィルターで毒素を少なくしているが、高温で熱せられて出てきた副縁流に含まれる発がん物質が奥さんを襲う。夫も息子も喫煙者なら、奥さんには地獄の環境である。肉親の命を脅かしては、己も長生きなどできない。

 

 岐阜大学の和田恵子氏らは、1992年9月から2008年3月まで、35歳以上の女性1万5,719人を追跡した。乳がん発症率は、主に地域の集団ベースのがん登録で確認した。喫煙状況などのライフスタイルは自記式質問票で、またアルコール消費量は食物摂取頻度調査票(FFQ)で評価した。

 非喫煙者の女性については、夫も非喫煙者である女性に比べ、1日21本以上喫煙している夫を持つ女性の乳がんリスクは1.98倍(95%CI:1.03?3.84)であった。(Cancer science誌オンライン版2015年1月23日号)

 

禁油

 現代の病気の多くが油や揚げ物の取り過ぎが原因で、血管内部にプラークが溜まり、それが高血圧、糖尿病、眼の病気、認知症、そして癌の発生要因となる。

 血管内部にプラークが溜まると、血流がスムースに流れず、血液中の免疫酵素も末端の毛細血管まで行かなくなる。そのため体の自律神経の作用で高血圧になるが、それを降圧剤で下げるから病気が起きる。医師は対処療法で降圧剤を処方するが、それで病気が増加する。降圧剤は、医師にとって処方が簡単で、かつ儲かるのでやめられない、止まらない。だから税収は60兆円しかないのに、日本の医療費総額が43兆円を超える状況となる。医は銭術である

 現代の和食店に行くと、天ぷらや揚げ物が必ずついてくる。そば屋でも同じだ。それだけ油が安易に使われている。揚げれば、食中毒を防げて、また味を胡麻化せるからだ。

 高血圧治療中の私は、脂分はドクターストップである。食事療法の甲斐があり、約2年で高血圧症が治った。

 

禁糖

 糖分は人間に禁断の麻薬である。糖の依存症は麻薬より強い。それが肥満につながり、早死コースである。肥満こそ万病の元である。

 私は清涼飲料水を絶対に飲まない。清涼飲料水は砂糖の塊である。清涼飲料水一本で、角砂糖10~16個分相当の糖分が入っている。炭酸は苦みを感じるため、それを補う形で多くの砂糖が使われている。それが肥満と糖尿病の遠因となる。

 

禁燐

 成分の取り過ぎは、腎臓を傷めて、寿命を短くする。腎臓の働きが寿命を決める。には有機と無機がある。

  無機は、ハムやベーコン、練り物、プロセスチーズ、インスタント麺、缶詰、ファストフードなどの加工食品に食品添加物として使われている。無機は有機に比べて、腸から吸収されやすく、血液中のの濃度(血清濃度)を上昇させやすい。そのため、無機が多く入っている怖れのある食品添加物入り加工食品は避けた方がよい。

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禁粗

 栄養素がないジャンクフード(粗末な食事)を取れば、長生きはできまい。ジャンクフードは工業製品で命がない食材だ。命がない食材を食べても、命は永らえない。私はポテトチップス、コーラ、ハンバーガー等は食べない。

 私はカップラーメンも絶対に食べない。若いころ胆石の手術をしてから、カップラーメンを食べると必ず下痢をする。カップラーメンには人間の消化に悪い油が使われているようだ。

 

禁座

 座り過ぎはタバコを吸うと同じくらい体に悪い。1日に座っている時間が4時間未満の成人と比べ、1日に11時間以上座っている人は、死亡リスクが40%も高まると言われる。「座り過ぎは世界で年間200万人の死因になる」という発表(2011年、WHO)もある。喫煙は世界で500万人以上、飲酒は300万人以上の死因である(WHO)。“座りすぎ”も喫煙や飲酒と同じように健康リスクを脅かす。

 

禁慢

 人間の体は繊細な精密機械である。慢心して食べたいものを無防備に食べれば、「毒」に当たる。それでは短命である。慢心こそ長寿の敵である。

 

ノーパン生活

 小麦に含まれるグルテンが細胞を攻撃する。世の中にはグルテンが合わない人が多数いる。だからグルテンフリーの食材が販売されている。

 私もパンを食べるとなにかお腹が張ったようになることが多かった。この事実を知ってから、パンを食べるのを控えている。ノーパン生活である。

 私もパンは好きである。しかし美味しいものには毒があるのだ。

 

狂った食生活を避ける

 これを食べれば長寿になると言う魔法の食材はない。危機管理として出来ることは、寿命を短くする危険性のある食材を出来るだけ摂らないようにするしかない。

 

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 馬場恵峰書

 

2022-10-26  久志能幾研究所通信 2525  小田泰仙

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本物の金銀、空手来空手去

 

金銀は、慈悲と情け、義理と礼、身の一代に使うためなり

        馬場恵峰師 知己塾 2013年5月9日

 

 カネはあの世には持って行けない。カネとは、人生劇場で与えられた役を演じるための準備費用である。その費用は自分で払う。より多く払えば、より良い役が与えられ、良い演技ができる。カネは、運命の方向を左右する「お足」である。その使い方で、方向が変わる。カネを貯めるものと勘違いして、それをケチるから、悪縁の事件で足止めされ、幸福になれない。

 グローバル経済主義者のカネの亡者は1%しかいないのに、使い切れないほどの金を取り込み、99%の人を貧困に陥れ、貧富の差を拡大させた。カネが何のために有るか、理解していないのだ。だからカネの亡者が戦争を招くマネーゲームに「狂じて」いる。それが原因で戦争が起きる。それがウクライナ戦争である。

 

空手来、空手去 

 意味:人は裸でこの世に来て、裸であの世に去る

  李秉喆(リヘイテツ)の座右銘

  李秉喆はサムスングループを創業した企業家。

 

 李秉喆は、稼いだカネを社会と国家の繁栄のために役立てたいとの思いでサムソンを育てた。

 その子息の李健熙(イ・ゴンヒ)が、その志を継いでサムスンを世界的企業に発展させた。しかし後継者の教育には失敗したようだ。李秉喆の孫たちが財産争いで裁判まで起して醜態を晒している。総帥となった孫の李在鎔は収賄で逮捕され収監された。恩赦で出所したが、その後は振るわない。子供や孫たちは李秉喆の座右銘を理解していないようだ。先代の苦労を忘れた後継者がかじ取りを始めて、サムソンは没落を始めた。

 サムスンの前身は、1938年、日本統治時代の朝鮮大邱市で、李秉喆が株式会社三星商会として設立された。蘇洞(現在の允恭洞)において40人の従業員を抱える小さな貿易会社としてスタートした。そのサムソンも世界的企業に成長したが、創立84年を迎え、100年を前に挫折しそうである。サムソンからは悪い噂しか流れてこない。

 

 トヨタ自動車は1933年に創業された。その後の展開でサムソンと比較すると、両社の行動に、仁義礼智信で差を感じてしまう。サムソンからは仁義礼智信が感じられない。サムソンはグローバル経済主義に徹した会社である。隙があれば他国から技術を盗んでも平気のようだ。人は使い捨ての社風のようだ。

 それが今後起こると予想される経済危機で、その差が明確になるだろう。

 

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  仁義礼智信 馬場恵峰書

 

Dsc01221s 馬場恵峰師 知己塾  2013年10月10日

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2022-10-25  久志能幾研究所通信 2524  小田泰仙

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2022年10月21日 (金)

108歳を目標(1/12) 総括

 

 先日、中学校卒業後46年目の「最後の同窓会案内」をもらった。「最後の同窓会」の言葉に反発を覚えた私は、108歳まで現役を目指すとのと決意を新たにした。いくら長生きしても寝たきり状態では意味がない。現役で社会に貢献してこそ長生きだ。

 生物学の理論的には、人間の寿命は120歳が限界のようだ。だから少し控えて108歳を目標とした。

 

 松下幸之助翁は120歳まで生きるのだと公言し、結果94歳で亡くなられた。松下幸之助翁は、若い頃は病弱で24歳まで生きられないだろうと医師から言われていた。それが94歳まで活躍されたのは、長く生きようと決意されたからだ。何事も決意をしないと実現しない。

 馬場恵峰先生は94歳直前まで、現役を続けられた。書家の藤田桃紅氏は107歳直前まで現役であった。

 私が108歳まで現役を続けられるかは、神仏やご先祖のご加護にもかかっている。何事も願わないと実現しない。棒ほど願って針ほどかなう。それでよい。強く願い、限りなくそれに近づくように精進を続ける。

 人は108の煩悩を持つ。その煩悩を年に一つずつ無くしていき、108歳で大往生したい。

 しかし人間社会は年功序列、先入れ先出しがトヨタ生産方式の原則で、長すぎる寿命は、社会に迷惑をかける。動けなくなったら静かにこの世を去ればよい。

その私の現在の取り組みを記す。

 

科学的な裏付けのある健康管理をする。

食事に最大限の注意を払う。

 良食生活(ジャンクフードを食べない)

 禁酒禁煙禁油禁揚禁糖禁リン禁粗禁座禁慢、ノーパン生活

運動を欠かさない。筋力を維持する。

睡眠を十分に。

健康とは体と心の健やかさ。心の栄養にも最大限の配慮する。

 ストレスを過度に受けない。

温かい部屋で過ごす。

体を冷やさない。

孤独は精神活動に良いが、孤立は精神的に危険

病気は神仏からの啓示。病気の真因を探してそれを潰す。

それより大事なことは、病気にならない生活をする。

対処療法の治療を受けない。

危機管理を重視。体の異変を早く検知。早めに手を打つ。

医師を盲信しない。医師以上の知識を持つ。

 現代の医者は部分最適、対処療法の治療しかしない。

 全体最適の治療、真因を無くす治療のを選択するのは自分の責任。

いつ死んでもいいように準備をしておく。

 何時か、その準備ができなくなる時が来る。だから早く準備をする。

 私は墓も作り、戒名も決め、墓誌に刻んだ。

一生かかっても叶わぬ大きな夢を持ち続ける。

断捨離をしない。

好奇心を無くさない。

体が動く限り現役を続ける。

社会に貢献できる活動をする。

アウトプットを継続する。

見送られるより、最後まで踏ん張って皆を見送ろう。この気概を持つ。

神仏ご先祖を崇拝し感謝する。

 

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 馬場恵峰書

2022-10-20  久志能幾研究所通信 2520  小田泰仙

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2022年10月19日 (水)

死亡予告通知、赤紙(招集令状)?

 

 先日、中学校を卒業後56年が経過したと、中学校同窓会の案内ハガキが届いた。そこに「同窓会は今回で最後の予定で……」とあり、愕然とした。要はこれから卒業生の皆さんも後期高齢者となり、死亡者が増加するので、今回が最後だという意味のようだ。

 今回の通知には、何か己の死亡を予告されたようで、嫌な気分となった。当然、私も相応の歳になったし、4年前にがんを患ったので、当然死は意識をしている。しかし、文書でそれを明言されるとイヤなものだ。

 何も今回が最後の同窓会だと言わなければよい。仲間が沢山生きていれば、同窓会を継続してやればよい。同窓会の案内なら、もっと長生きして、またやろうというメッセージを発信して欲しいものだ。

 

 5年前の同窓会では、私のクラスの仲間の2割が亡くなっていた。その五年後の同窓会では、どうなっているか、気がかりである。仲間の誰かに起こる「死」は、人ごとではない。

 

「誰かに起こることは、誰にでも起こるのだ」

       (セネカ著『マルキアへの慰め』)

 仲間の2割が既に亡くなったことは、明日は自分の番なのだ。

 

「若さによらず、強きにもよらず、思ひかけぬは死期なり」(徒然草)

 だからこそ、今ここ、日々を充実して、日々全力で生きていくしかない。後期高齢者になれば、いやどんな歳でも、人間である以上、いつ死んでもおかしくない。毎日がそれで人生が完結した日になる覚悟で生きていきたい。

 

天才でない凡人は長生きすることだ。 坂村真民

 自分は37兆個の細胞を経営する社長なのだ。各細胞、各組織の持てる能力を最大限に発揮させて、使命を全うして、来世に旅立ちたい。己の命の長さは、全ては己の経営手腕かかっている。 

 

よく働いた一日が安らかな眠りを誘うように、よく働いた人生には安らかな死が訪れる。   ゲーテ

 不節制(体の経営の失敗)をして早死にするから、生木を裂かれるような苦しみを味わう。使命を全うし、老いて枯れるように倒れれば、苦しまずに逝ける。それが理想である。私はその理想を思い描きながら仕事をして生きている。

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 馬場恵峰書

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2022-10-19  久志能幾研究所通信 2519  小田泰仙

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