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2017年7月22日 (土)

桃太郎・浦島太郎の仏教説法

桃太郎物語

 川に流れてきた桃から生まれた桃太郎は、成長して犬と猿と雉をお供に鬼が島に鬼退治に行き、鬼を退治してお宝を両親のもとに持ち帰った。

浦島太郎物語

 昔むかし、浦島太郎は助けた亀に連れられて、竜宮城に来てみれば、鯛やヒラメの舞い踊りに見とれてしまい(痴呆状態)、乙姫様と楽しい3年の時を過ごした。しかし両親のことが心配になり、乙姫様に別れを告げて家に帰ってみれば、親も死に、家も絶え、誰も自分を知っている人がいない現実に直面する。すでに300年が経っていた。開けてはならぬと言われて乙姫様からもらった玉手箱を開けたら、たちまちに白髪の老人になってしまった。

地獄の研修所

 桃太郎の物語は、人生の表の世界の物語で、浦島太郎の物語は裏の世界を寓意する仏教説法である。プラスがあればマイナスもあるのが人生である。世の中は全て陰陽の世界である。

 桃太郎は、忠実で恩を忘れない犬(社是・信用)を連れ、猿(知恵)と高所から遠くを見渡す能力ある雉(ハイテクの目、ドローン)の経営の三種の神器を手にして、鬼(自分の劣等感、邪心、慢心)を退治するために地獄の研修所に行き、懺悔の涙を流して自分の内なる鬼を退治する物語である。鬼退治で、「裏鬼門」の方角も意味する十二支の申(猿)、酉(トリ=雉)、戌(犬)を率いた。そして、自分株式会社の社長としてお宝を発見して、人生経営を軌道に乗せるお話である。ハッピーエンドで人生経営のお話しは終わる。太郎とは家の長男に付ける名前である。桃には、邪気を祓い不老長寿を与える意味がある。

請求書の山

 桃太郎は昼のお話しであり、浦島太郎は夜のお話である。浦島太郎は功徳と業績のご褒美に会社の経費で夜の接待に招かれて、酒池肉林の極楽の日々を過ごし、ひと時のうたた寝をする。目が覚めれば、酒池肉林のネオンは消え、創業者は既に亡くなり、会社が倒産していた。美女からもらったお土産の玉手箱を開けたら、膨大な請求書の山が出てきて、腰を抜かし一晩で白髪になった。浦島太郎の昼の顔は履歴書で、乙姫様の夜の顔は請求書であった。これは人生の経営物語である。

夜の竜宮城での酒池肉林

 昼の鬼が島(表の世界の企業戦争)の戦いに勝った後、夜の竜宮城での酒池肉林の極楽の癒しの時間は、疲れを忘れさせるが、それが長くは続かない。いくら美女や珍味美味に囲まれてうつつを抜かしても1時間もすれば、正常な神経の人なら飽きる。そんな極楽の生活を竜宮城(裏の世界)で3年続ければ確実にボケる。竜宮城での3年の生活は、まともな生活の300年に相当するとの寓意である。子供の教育上で、接待の酒池肉林の極楽とは言えないので、童話では鯛やヒラメの舞いと山海の珍味と表現した。

人としてのやるべきこと

 どんなご褒美も娯楽も賞味すればするほど、快楽が麻痺し、それが苦痛になるのが正常な人間である。人間の神経は、快楽を長く維持できる構造とはなっていない。遊びと仕事の違いと同じで、やればやるほど虚しさが沸いてくるのが遊びで、やればやるほど面白くなり、のめり込むのが仕事である。遊びには達成感もなければ、分福の喜びもない。そんな虚しい時間を過ごしていると、親の死に目に会えないよ、と浦島太郎の童話は警告する。「人としてこの世に生を受けたのなら、もっと他にやるべきことがあるだろう」が、寓意である。

地獄への直行便

 娯楽遊行だけにうつつを抜かした罰として、認知症の老人に落ちぶれた。現代はそんな老人が周りによく見かける。白髪の老人への激変は、時間の喪失という寓意ではないか。やるべきことをやらないと、時間は超スピードで過ぎてゆく。加速度のついた娯楽人生は、地獄への直行便である。「起きたけど寝るまで特に用もなし」の引退生活では、時間の経つのは速い。人生時計を早送りモードにしてはならない。人生の残された日々で、やるべきことは何か? 明日では遅い、敵は既に出発している。

 子供には、陰陽の理論を踏まえ、この二つのお話を仏教説法を対比させてお話をされたし。夜のネオン街を徘徊する社長さんたちに聴かせるべきかも。

 

2017-07-22

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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盗んでいますか?

 人の物を盗めば犯罪だが、親・師のもの(生きざま、考え方)を盗むのは親孝行・師孝行である。何時までもあると思うな、親とカネ。死人に口なし。あの時、親に聞いておけばよかったと思ってもその時は遅い。今のうち、日の暮れぬうち、生きているうちである。いいか悪いかではなく、自分の都合で考えるから、親・師の真意が学べない。親の悪いところは、やっていけない欠点を親が見せてくれたと解釈せよ。それで己はどうするかが問われているのだ。聴く人、観る人の教養が、その解釈を決めるのだ。親が悪いのではない、己の頭が悪いのだと思うべし。

孝行とは

親から子への伝承が「孝」である。「孝」の漢字は、「老(大人)」と「子」から構成される。子が親を背負っている姿を現す象形文字である。親が苦労したことを子が受け継いでこそ、その家系が繁栄する。師の教えを部下に伝承してこそ、その組織が栄える。親の言うことを自分のものにする人が最高の親孝行である。親のものを泥棒せよ。師の技を盗め。親を超えること、師を負かすこと、それが最高の親孝行、恩返し、社会への恩返しである。

 日本の敗戦で、占領軍が日本の家制度を破壊した。核家族化が、炉裏場での親から子への教えの伝統を無くした。これが現代日本の精神の荒廃のつながっているようだ。今の子の問題は、気ままに育った若い親が悪い。

教えとは

「教」とは、親(老)が子供(子)に鞭(攵)打っている様を現す象形文字である。親は子に見えない鞭で、これでも分からないかと、子の心に鞭を打っている。親の心、子知らず、である。自分が部下を持って、どれだけこんな思いを持ったか数知れず。同じように、親も師も、己の情けない振舞い対して言い知れぬ思いを抱いたのだろうと慙愧の思いに駆られる。

下手様に感謝

 私(恵峰)は、自分のためだけの書道をやっていたら、ここまで長生きはできなかっただろう。皆さんに己のものを伝えたい、残したいという思いが、長生きをさせてくれた。皆さんが(書道で)下手だからこそ、私が頑張れた。下手様に手を合わせる日々である。すぐに上手くなられては、商売あがったりである(笑)。皆さんが今から書道をやっても上手くなるわけがない。書道は、字を上手く書くのが目的ではなく、教養を高め、自分を見つめて自分が自分になる為に行うのである。初心忘るべからずである。上手くなくても丁寧に書けば、心が相手に伝わる。それを続ければ自ずと上手くなる。それが書道の神髄である。書道をやれば、そうでない人と必ず、何かが違ってくる。目に見えないものが、最後に人生の勝敗を分ける。

なしてそげん元気ばってん?

 今の惠峰師の元気さと、書の大量生産ぶりを見ていると、私の方が先のくたばりそうと思えてくる。なしてそげん元気ばってん? 惠峰師と身近に接せて分かった健康の秘密は、小食、ゆっくりと咀嚼をして感謝しながら食べる、間食なし、お酒は紹興酒を盃で1杯だけを3倍のお湯で薄めて飲む。350坪の庭を毎日朝晩30分の掃除・草取りで体を動かす、毎日深夜までの書の仕事、社会への奉仕活動に尽きる。

 2017年7月20日、恵峰書「源氏物語」の写真撮影のおり、お茶の時の惠峰師のお話を聞いて、私の解釈を入れてまとめました。師の一言ひとことが心に沁みいる。感謝。

 

図1,2 馬場恵峰師 2017年7月20日 日中文化資料館

 

2017-07-22

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2017年7月21日 (金)

上達の秘訣は、耳4、目3、手3分

 2017年7月19日、馬場恵峰師のかな書道の「いろは教室」の聴講をした。そこで書道の上手になる秘訣を教わった。良く考えると、これは書道だけでなく、芸事を始め仕事や人生での全てに当てはまることに気が付いた。

耳4分

 書道上達の秘訣は「耳4、目3、手3分」であるという。目でお手本をみて、実際の手を動かして練習をする。しかしそれだけでは上達しない。耳の4分が大事である。耳とは師の教え、人の批判である。それがあって自分が成長できる。いくらお手本をみて人以上に練習をしても、師の教えがないと我流になり成長が止まってしまう。

 並みの学者は、耳3、目3、手3分である。学者は最後の一分の詰めが足りない。学者は自己独善で人の言葉に耳を貸さない。だから理論倒れの経営をする。学者が大成功して大金持ちになったという話を聞いたことがない。自分のやったことを師が、他人が、第三者の目で批判してくれて、初めて己の問題点に気が付く。自分では自分の背中は見えない。自分の最大に理解者は、批評家である。

目3分

 考えて書かないから、いつまでたっても上達しない。お手本ばかり見て練習しても上達しない。実践では時代も世相も変わりそれに合った自分の字を考えて書かないと、お手本以上にはならない。頭で覚えて書かないと、自分の字にならない。いくら経営の教科書通り、先代の経営の通り、師匠の経営通りにやっても、時代も世相も変わっているので、それに合った経営をしないと、うまくいくはずがない。

手3分

 いくら練習を積んでも、間違った方法で練習をしても間違ったままのレベルにしか達しない。やればやるほど、そのやり方が固定されてしまう。やればやるほど唯我独尊に陥る。

時間を盗め

 時間を盗み惜しみて手本の字を自分のものにせよ。経営の教科書の内容を自分のものとせよ。

継続が力

 続けていれば、いつかは好きになり、自然と時間も生まれて来る。

逃げの心

 私は字が苦手、練習する気になれない、は逃げの人生である。跡取りで親から二代目の社長として経営を任されても、経営は苦手、経営の勉強をする気になれないのでは、逃げの経営で倒産間違いなし。

目にみえないものに籠る魂

 目に見えないもの目を向ける人が成功する。だから目の付け所という。馬場恵峰師は身銭をきって原田観峰師の書を多く購入した。これほど多く原田観峰師の書を所蔵しておられる方はいない。観峰師の書を見ていると、観峰師の魂が自分に乗り移ってくるのを感じるという。その霊魂が恵峰師を指導されたという。

天国暮らしの大学教授

 その昔、年間12回、年間50万円の講習料で経営セミナーに参加したことがある。その経営セミナーは講師が2名であった。一人は大学教授である。知人の社長の数名は、その大学教授の欠点をすぐ見抜き、その講義時間の時は研修会場を抜け出しタクシーで昼間から飲み屋に行って飲んでウダを巻いていた。その講義が終わり夜の懇親会の時間になると帰ってきた。思えば、その大学教授の講義内容は、簡単な話を難しく表現していて、私もよくわからなかった。ある社長が「先生が称賛されるその偉人のお話はよくわかるのですが、それでそれを我々の経営のどう役立てればよいのでしょうか?」と質問をしたが、その教授は答えられなかった。その講師は講義時間の終了時間を「必ず」守らなった。経営者にとって時間は命である。たった2時間の自分の講義時間の経営もできずに、中小企業の社長たちに講義をするのがおこがましい。企業存亡の修羅場で生きている社長たちと違って、大学は腑抜けの天国である。この種の大学教授とは唯我独尊で、耳を持たない仏さまである。逆縁の佛様で、反面教師の役を務める。

 

2017-07-21

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2017年7月19日 (水)

馬場恵峰師の生前葬に参列 

 2016年12月8日、長崎県波佐見町で開催された馬場恵峰卒寿記念写経展を撮影するため、セントレアから福岡空港へ飛び、そこから高速バスで波佐見町を訪問した。この写経展は、大正・昭和・平成と、今まで誰も成し遂げていない。馬場恵峰師の九十歳という年齢から考えると、この写経展を今回開催された師の尊い想いが会場から伝わってくる。馬場恵峰師の人間としての歩みの証がこの写経展である。師はこの写経展を「己の生前葬として、自分の想い、書を通じて仏との語らい、宗派を超えての写経で歩みし生きざまを、参列の皆さんの人生への餞として開催した」と語られた。

 人間は、父母、所、時を選ばずして、この世に生を受け、避けられない生老病死を経て、浄土に旅立つ。恵峰師は、生きている間に、どれだけ多くのお世話とご縁を頂いたか、その報恩感謝の気持ちをこの写経書展で示された。恵峰師は、それができるもの「今のうち、生きているうち、日の暮れぬうちで、感謝の表現をするなら、生きているうちにすべき」として卒寿記念の開催の決意をされた。

 恵峰師は、生まれ故郷で写経展を開催できる仏縁、それに足を運んでくれる人との仏縁は、天の計らいであるという。生涯の旅をする皆様方が、写経展で仏法の花の一端に触れていただき、現実の歩みの半生と先祖供養の一端として受け止めて頂けたら、恵峰師として本望だという。

天之機緘不測

 天が人間に与える運命のからくりは、人知では到底はかり知ることはできまい。「だからこそ心機一転、日々大切に、年々歳々、生き活かされる人生を大切に、余生を正しく生きよ」と恵峰師は力説される。

 人間の持つ生活模様の多様性が限度を超え、人生・生命観の実相、人間と動物を分ける生命の実相が、時代の喧騒の中で忘れられようとしている。恵峰師は、テレビ・スマホに代表される虚鏡の上に踊る虚花に惑わされて、人間として大切なことを忘れているのではと危惧される。「時代の風潮に惑わされず、人間としての歩みを、一歩一歩しっかりと踏みしめて欲しい」と恵峰師は訴える。

「競争」と「共生」のすれ違い

 時代の流れで、世の書展は競書が多い。それは他人相手の闘いである。それに反して、写経展は全くその対極にあり、自分との闘いの所業の展示である。それは仏道修行の一環であろう。「競争」という言葉は、明治以前には日本に存在しない。日本が開国して西洋の思想が入ってきて、福沢諭吉翁が翻訳時に創作した言葉である。西洋での弱肉強食の競争には必ず、勝者と敗者が生まれる。仏教にはその思想が薄い。東洋思想は共生である。日本で別の形で花開いたの形が「道」の思想である。武士道、書道、華道、等の芸事には勝者も敗者もない。日本の哲学は共生、利他、切磋琢磨、自己精進という言葉で象徴される。日本では、他人を蹴落として勝者になるのは美学とされない。それに写経はよく似合っている。西洋で、修行として聖書を写経するとも聞いたことがない。是非ではなく、そういう世界が存在するのを我々は認めるだけでよかろう。

写経展を回顧

 恵峰師は、この写経展を総括して「老人の身は従容として、時を刻む流れに任せる人生なれば、諸冊に学び、残れし人生、その所、時を大切に、余生を楽しむ歩みこそ大切なり」と写経展を回顧して漢詩を揮毫された。

己の写経修行

 ご縁があり、平成二十七年末に当家のお墓を三基改建した。その時、お墓の納めるため、毎日一枚のペースで、お墓の開眼法要前の四ケ月間で、為写経を百十枚ほど書き上げた。毎日、斎戒沐浴してからの為写経である。その後、三か月ほど中断したが、思いついて写経を再開して、今は7日に一枚のペースで為写経を継続している。写経をして体得したことは、写経は誰のためでもない、己の仏道修行なのだ、である。修行とは自分を見つめることである。謙虚になると自分の至らなさが見えてくる。ご先祖のご恩が見えてくる。恵峰師もそれを目指して写経をされてきたのだと思う。師は今までに2万字余を写経された。それも半紙ではなく、軸や巻物に直接、である。半端な所業ではない。

写経展撮影の仏縁

 今回、自分として写経展を撮影する佛縁を頂いたことに感謝である。恵峰師との出会いの縁、書の撮影のため現代最高の撮影機材を買えたご縁、ここ数年間、恵峰師の書の撮影をしてきてベストの撮影技術を習得できたご縁、撮影のお手伝いの書友の皆さんの協力があってこの写経展の写真集が完成した。どれが欠けてもこの写真集は生まれなかった。まさに佛縁である。

生前葬での喜び

 生前葬では語感がよくないが、生前葬は良いものである。故渡部昇一師もそれに類したことをして、良かったと感想を述べておられる。生前に親しい人たちと顔を合わせ、会食で今まで生きてきたご恩に報いる。生前葬をした後、恩師や友人の訃報に接せると、あのとき生前葬でお互い元気な姿で、昔を懐かしあえたのが何よりの供養だったという。死んでから葬式に参列してもその喜びはない。写経展という生前葬で、多くの先生の知人が訪れてくれた。何よりの喜びであると思う。

 

2017-07-19

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2017年7月16日 (日)

一人では成佛できない

仲間との切磋琢磨

 2011年4月6日に第50回京都佛像彫刻展に出かけたら、偶然、松本明慶先生にお会いできた。展示されている佛像を説明して頂いた。そこには若い佛師の作品が多く展示されていた。中には松本工房から独立して、佛像を作っている佛師の作品も展示されていた。素人目から見て、その作品が、松本工房の佛師の作品に比べて、レベルが落ちるのがわかる。明慶先生によると、独立したくらいだから腕はいいのだが、独立当時から作品のレベルが変わっていないという。つまり時間が止まっている。これは自分の世界に閉じこもってしまい、松本工房で大勢の仲間(40人)との切磋琢磨が無くなったので、成長が出来なくなったとのことである。自分の世界と比較して、身につまされるお話である。人は、批判、指導、人との切磋琢磨により人間として成長し、その作品の出来に影響するのだと。作品が、その人自身の成長の度合いを冷酷に表す。作品とは、仕事や芸術作品(音楽、絵画、書、彫刻、写真、教育での人財等)が、己自身の反映なのだ。己の生きざまを仕事に昇華させて、どんなレベルの仕事を残して逝くかである。人生は集めたものではなく、昇華させた仕事だけが、後世に残る。

菩薩と成仏

 菩薩とは如来になるべく修行中の佛様をいう。菩薩様は修行をしながら衆生を救う佛様として拝まれている。一人では成仏できない。回りの仲間がいてこそ、自分が成仏への修行ができるのだ。仲間に手を合わせて感謝しよう。

 

 

図1 松本明慶先生と    2011年4月6日

   第50回京都佛像彫刻展(京都伝統産業ふれあい館)

   後ろは千手観音菩薩(松本明慶先生作)京都市長賞受賞

図2 学ぶとは

 

2017-07-16

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2017年7月15日 (土)

一本道を歩く

 人生とは、バイキング料理店と同じ形式である。多くの料理の皿を目の前にして、何を食べようが食べまいが、どれだけ取ろうが自分の自由である。その代金は、自分の「果断から始める行動」という対価で支払えばよい。人生とは、ごまんとある人生道(仕事、諸芸、宗教等)の中から一つの道だけを選んで歩むこと。どれだけ道が沢山あっても、選べるのはせいぜい2つである。その一つを選んで歩み始めても、横道に美味しそうな道が誘惑するが如くに現れては消えていく。それに足を踏み出しそうになるのを我慢して、脇目も振らず歩むのが正しい人生である。その誘惑に負けると、人生をさ迷う徘徊者に落ちぶれてしまう。隣の芝生が青く見えてしまうのは、自分の目が欲目症候群に罹っているからだ。

ただひたすら一本道

 この道より外に我を生かす道なし。この道を歩く。私は、ただひたすら一本道を心に刻んで、心眼をもって行く末を見つめ歩みたい。道を選ぶ前の前提として、バイキング料理店に入るなら、せめて上流のお店に入れるように精進をしたいもの。下流バイキング料理店では、人生の腹下しを起こす。少にして学び、良い学校に入ることは、人生成功の保証にはならないが、壮での活躍の場に恵まれるご縁がある。壮にして学べば、老いて衰えず。下流の徘徊老人に落ちぶれることもない。老いて学べば、死して朽ちず。そうすれば後進を導く学びの舗装道路を建設できる。

東山魁夷画伯の選択

 人生では、時を選び、場所を選び、何を捨てるか、何を残すかが問われる。何を取り込むかではない。人生では多くのものを捨てなければ、取り込んだもの重みと雑多さで迷いの世界に没入してしまう。捨てるにはかなりの痛みを伴う。捨てる決断、それが人生経営だ。自分人生の経営者は決断が仕事である。

 2016年5月15日16:00、新戸部八州男社長の案内で、東山魁夷画伯が「道」をスケッチした現地の八戸市種差海岸に辿り着いた。海岸沿い道路の横に広がる風光明媚な風景に感動した。太平洋の荒波が打ち寄せる海岸は絶景である。東山魁夷画伯は、その絶景の風景の中から右手に見える海岸風景を削除した。灯台を消し去り、道の周りの柵や樹木を消し、情景を単純化した。時を選び、朝もやに包まれた道だけを幻想的に浮かび上がらせた。下町の銭湯に描かれるような壁絵まがいのモチーフを、東山魁夷画伯は精神的な絵として昇華させ、魂の絵に創り上げた。まるで誰もいないフルオーケストラ用の大ホールで、柔らかな薄明りの照明下、静かなソロピアノの曲を弾くがごとくの演出である。東山魁夷画伯は風景を見ず、求道者として風景の中に己の魂を観つめる。東山魁夷画伯は近くの牧場に泊めてもらい、日の出前の朝もやの煙る時刻(朝4時前?)にこの構図をスケッチした。この土地は本土で最東端に位置するので日の出時刻が本土では一番早い。昭和24年(1949年)ごろの終戦直後でモノも食料も交通機関も貧困であった当時に、この東京から遠いこの場所に4度目にこの地を訪れて、この絵を描いた。画伯が1941年にこの地を最初に訪れたとき、頭の隅にこの構想が生まれていたようだ。10年の歳月の間、その温めた構想を具現化した。その間に徴兵があり、両親の死があり、敗戦があった。その背景でこの絵は生まれた。画伯の魂の遍歴が透けて見える。来てよかったと感動した。次回は、東山魁夷画伯が描いた朝4時前に、この地に立ちたいと思った。

 

図1 八戸市種差海岸沿いの道路  2016年5月14日撮影

   東山魁夷画伯は赤枠部を切り取り下図の「道」を描いた。

図2 東山魁夷画伯作「道」 ed:587/1000

 

2017-07-15

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2017年7月14日 (金)

正しい道を考えながら歩く

「スラスラ書いても、正しく書く。漫然と習うより、考えて書く」(馬場恵峰師)。正しい道で考えることが大事である。書道もピアノ道も人生道も同じである。

「漫然とピアノのキーを叩くのではなく、指の先の動きに神経を集中させて、考えながら指を動かしなさい」と河村義子先生からも教えられた。正しくない道で、頭を真っ白にして修行しても無駄である。宗教狂団に入って最大の努力をしても、行き先は絞首台である。

 人と会うにしても、漫然と会うのではなく、相手の行動と姿を見て考え、相手が佛として演技をしていると考え、裏に潜む考えや意図を考えたい。相手が漫然と振舞っていれば、その本心は赤裸々になっている。相手の潜在意識まで見抜かないと、己が地獄に引きずりこまれる。時として相手は獲物を狙っている逆縁の菩薩である場合もある。その出会いは一期一会。どんな出逢いにも学びがある。学ぶ気がないから騙される。相手は言葉以外に93%の情報を表情、身振り、服装から本心を伝えている。口で誤魔化しても外見や素振りを見れば、その本心は明らかである。それが人を観る目である。

エピソード

 仕事、芸道、人生道では、正しい道を正しい歩き方で、正しい姿勢で考えながら進まないと、誤った固定観念に囚われて迷いの道に迷い込む。良き師の指導こそが人生の宝である。人生曼荼羅では、出あう人皆我師である。

 この頁のピアノを弾いている写真を、当初、あるピアノの先生のHPから引用した。それは中学生の生徒が、ピアノを弾いている写真であった。それを河村先生が見て、手の甲の位置が低く正しい弾き方ではない指摘された。正しい弾き方の写真でないと、間違った道を教えることになるところであった。ネットには玉石混合の情報が溢れている。世間も同じである。正しい師について学ばないと、間違った道に迷い込む。心して道に励みたい。

 

図1 恵峰先生は考えながら三好輝行先生のお祝い色紙の末尾から筆を運ぶ。

  2014年11月13日

図2 どの指を何処まで飛ばすのか考えながら弾く河村義子先生の指運び

  2015年1月23日

 

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2017年7月13日 (木)

宝塚歌劇団 伝説の「ブスの25箇条」(改定)

 大志塾(大島修治塾長)が開催さ、宝塚歌劇団の元トップスター穂高ゆうさんが講話「宝塚で学んだこと」の中で、「ブスの25箇条」に感銘を受けた(2014年10月5日)。この紙が稽古場に貼ってあり、彼女は自戒をこめて毎日眺めていたという。これは「耳なし方一」(後日掲載予定)が見た幽霊と同じであると感じた。正に足を地につけず、人のことを「うらめしや」とぼやく幽霊がいる。幽霊とはブスであった。管理職・経営者・社長として、他社をうらやみ、成果が上がらないことを社員や社会のせいにする責任者がブスなのだ。

 「朗らかに、清く正しく美しく」は、穂高ゆうさんが宝塚ジェンヌの守るべき規範の言葉として解説された。枕詞「朗らかに」が大事な言葉である。どれだけ清く正しく美しくても、しかめっ面では幸運の女神は微笑まない。

 

「ブスの25箇条」

1.笑顔がない

2.お礼を言わない

3.おいしいと言わない

4.目が輝いていない

5.精気がない

6.いつも口がへの字の形をしている

7.自信がない

8.希望がない

9.自分がブスであることを知らない

  1. 声が小さくイジケている
  2. 自分が最も正しいと信じ込んでいる
  3. グチをこぼす
  4. 人をうらむ
  5. 責任転嫁がうまい
  6. いつも周囲が悪いと思っている
  7. 他人にシットする
  8. 他人につくさない
  9. 他人を信じない
  10. 謙虚さが無くゴウマンである
  11. 人のアドバイスや忠告を受け入れない
  12. なんでもないことにキズつく
  13. 悲観的に物事を考える
  14. 問題意識をもてない
  15. 存在自体が周囲を暗くする
  16. 人生において仕事において意欲がない

足が夢を語る

 宝塚歌劇団トップスターとして華やかな姿の裏には、血みどろの稽古、練習、訓練がある。それが6年間も宝塚歌劇団に在籍を維持した彼女の足の指先に閻魔帳として現れていた。私は彼女の話を最前列で拝聴したので、彼女の足元に目が行った。その足の指は曲がっていた。バレエの過酷な練習で、外反母趾になっていた。その足の指は、その戦いの勲章である。外反母趾とは、バレエの演じる人が罹る嗣母趾が付け根で、くの字状に外側に曲がってしまう疾患である。

 水鳥は水面下で必死に足を動かしているが、水面上は平静な姿である。塾生90名余を前にして、穏やかな微笑みを浮かべて講演をされる穂高さんの舞台人生の裏には、凄まじい戦いがあった。それを表に出さずに「朗らかに、清く正しく美しく」舞い、歌う人生には、厳しい修行があった。その歩んだ人生が足先に現れる。夢に向って戦う人生には、手や足のその戦いの跡が刻まれる。安穏な仕事からは、夢は実現しない。

 練習の「習」とは、白鳥の雛が羽根を広げて、親鳥の姿を見て羽ばたくまねをすることである。稽古には形がある。「稽」とは、「いきつく」の意味で、「尤」は手の一端をおさえとどめた形をかたどり、とがめるの意味である。禾偏は穀物を意味し、穀物の成長が行き着くところまで行って止まるから、とどまるの意味を表す。稽古とは古(いにいえ)の考えがとどまった究極の形を現す。

 その時、我説にこだわり、「なぜこの形の稽古をしなければならないか」と文句をいうのでは、成長できない。まず頭を真っ白にして、練習でその芸の形を体得し、それから理屈を考えればよい。「守破離」もその真髄の言葉である。

体で体得

 宝塚歌劇団の新人は、「廊下を歩くときは壁に手を添えるように歩け」と躾けられる。曲がる時も壁に沿って直角に曲がる。当初はその理由が教えてももらえず、ひたすら躾として守らされたという。かなり時間が経ってから、廊下の中央は、先輩やお客様が歩く場所であり、それを避けて歩くのが礼儀であると体得したという。「芸はまず体で覚えよ」との典型的な教えであった。

宝塚歌劇団は夢の伝教師

 宝塚歌劇団は5つの組からなり、総勢450名の会社組織である。各組が80名で構成され、その組は中小企業の組織と同じである。各組の異動は基本的に無く、その仲間の中から配役が決まり、トップスターや名脇役が生まれる。毎年新人が入ってきて、新陳代謝がある苛烈な競争社会である。上下の関係、先輩後輩同期と鉄の規律が守られ、夢の世界が創造されている。それが100年間も継続して、日本人に夢を与えてきた。宝塚歌劇団のスターは、その夢の伝教師なのだ。

後日談

 宝塚歌劇団のスター達やその卵は、いわば女の東大生で美女揃いである。その中で、ブスというのは可愛げがあり通用するが、ブスという言葉は差別用語ではないかと、知人からコメントを受けた。

「ぶす」とは不美人を軽蔑して言う時の、俗語に近い口頭語。「おかちめんこ」や「すべた」などと違い、差別的な意識を伴って現在でも比較的よく使われている。(『日本語語感の辞典』中村明著)

 たった一言で、人は舞い上がり、落ち込みもする。言葉を使うのは難しい。この場合の「ブス」は己への戒めの言葉として考えたい。

2017-07-13

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2017年7月10日 (月)

己を第三者の眼で観る

曼荼羅を俯瞰する

 己を客観的に見つめることは難しい。どうしても「私が」が出てしまう。冷静に第三者の眼で、過去の自分、今の自分を凝視し、己の課題と未来のあるべき姿を見つめたい。曼荼羅には過去の自分、今の自分、あるべき姿の佛としての自分が描かれている。自分が四天王の立場になったらと仮定して、己を睨みつけ一喝して考えることである。第三者の眼で上から己を観ると己の弱さが見える。

外国からの視点

 外国に住んで外から見ると、日本がよく分かる。そんな発想があったのかと驚くことが多々ある。いかに狭い視野でモノ見ていたのかと反省させられる。己が広目天・増長天になった思いである。日本語も外国語を学び、外国語の観点で日本語を見直すと、英語がよく理解できる。私もテクニカルライティングの勉強のため、検定試験の受験勉強をし、ミシガン大学の夏季セミナーでも英語を学んだが、そこで学んだのは、日本語には無い論理構成であり、欧米の考え方であった。英語で日本語を考えると、日本語が良く見える。

 天界の四天王なら俯瞰するだけでよい。しかし人間界の我々は、見るだけでは頭で理解できても体得できない。手を動かし足を動かし体で覚える必要がある。私は科学工業英語検定1級(TEP)取得のため、裏紙に模範解答をひたすら模写した。写経と同じである。これで英語のパターンを体で覚え、3度目の挑戦で47歳にして1級に合格できた。

宗教とは茶ずつの如し

 宗教もキリスト教、イスラム教、仏教を比較し、さらに仏教でも真言宗、法華教、禅宗等を網羅的に学び、俯瞰的に見ると本質が見えてくる。宗教の本質は同じである。茶筒を宗教に例えると、縦に切ると長方形でキリスト教、横に切れば円形で仏教、斜めだと楕円形でイスラム教となると思うと合点がいく。教祖様の見方が違うだけである。人間が勝手に切り口と見方を変えている。

 地球を宇宙から見た宇宙飛行士の多くが神を信ずるようになるという。真っ黒な宇宙にポッカリと浮かぶ青い地球を見て、地球の美しさと尊厳さを感じ、その存在の神秘さに感じいるという。それは宗教に近い心境である。地球の外から眺めて、初めて出てくる発想である。自分も小宇宙という存在である。60兆個の細胞を持ち、魂が支配する己はその魂も変幻無限である。その細胞一つの存在が奇跡である。それが60兆個も存在して、人であること事態が神秘である。その神秘の塊が己の回りを取り囲み人間界を形成している。それを思うと頂いた命の有難さを感じ、その命を全うすべきとの念を強くする。

 

図1 私がTEP受験の為に模範解答を手で写した裏紙の山、約1,500枚余 (1997年)

図2  宇宙に浮かぶ地球  www.jaxa.jp-

 

2017-07-10

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2017年7月 7日 (金)

娘に残す智慧の舌、息子に与える勤労の香

 

娘に残す味覚

 姫路のある眼科医から聞いた娘に残す遺産の話である。彼は、娘の舌を正しく育てることで遺産としたという。変なものは食べさせず、良い物だけを食べさせているという。良いものを食べさせるのはお金がかかる。その真意は、娘の舌の味覚の育成である。舌の記憶は、万巻の書を読んでも身に付かない。ただ体験あるのみである。それは智慧の世界である。

娘は将来他家にお嫁に行く。嫁いだ先の家の姑の料理を作るとき、変な味覚に染まった舌だと、姑さんに好かれる料理が作れない。結果として姑に嫌われて、不幸な嫁生活となる。良いものを食べさせるのは、それを防ぐためで、それが娘の幸せにつながる。いくら財産を持って嫁に行っても、相手の家風の料理に合わず、姑に嫌われれば不幸である。だから正しい味覚の舌を娘に残すのが最大に遺産である。それは健全な料理を生み、結果として長寿となる。化学調味料や砂糖漬けで味付けされた食品、ファーストフード、フミレス、スナック菓子等の味に馴染んだ舌では、姑さんの気に入られるはずがない。

その反対の極致は、隣国財閥の娘、ナッツリターン姫である。その姫は舌どころか腐臭も感知しない鼻を親から遺産として受け継いだ。

息子に与える人徳

 同じことが息子にも言える。大抵の場合、息子は将来、宮仕えする身である。美しく正しく躾をされた子供は、素直な性格に育ち、嫌われるような性格にはならない。その素直な性格が最大の遺産である。将来の上司に嫌われては、出世もおぼつかない。自分も部下を持って感じたことは、煮ても焼いても、箸に棒もかからない性格の部下など、面倒を見たくもない、である。部下の親の顔を見てみたいと何度思ったことか。当然、本人の査定も辛くなる。こんなテイラクでは親から多大な遺産をもらっても、人生の幸福はありえない。

 朱に交われば赤くなる。自分の性格を形作るのは師、友人の交友関係である。その交友関係の人間で、変な匂いのある人と付き合うと、変な臭いが染み付く。そんな危険な臭いが付くのを防ぐのが必要だ。そんな人たちとの付き合いを避ける方法は、親が背中で模範を示すべきだ。

 佳き香を焚くとなんともいえぬ佳き匂いが漂う。その人がそこに存在するとその場が和む。息子はそんな存在の人になって欲しいと親が思い、そのように育てるのが無形に財産である。

 香木の白檀の香りはお釈迦様の香りとされ、お釈迦様が歩いてみえると、その香りで1里先からでも分かると言われる。そんな高尚な香りまでは望まないが、せめて人様にさわやかな雰囲気を放つ人に育てたい。回りの人へ悪臭を撒き散らすような存在では、息子の将来の出世は夢の夢。佳き香りを染み込ませた性格が、子供への価値ある遺産となる。

開眼法要の引き出物、白檀のお線香

 私の自家のお墓の開眼法要での引き出物に、松本明慶工房の白檀のお線香を選定した。松本明慶工房で佛像を彫った時に出る削り屑で作られたお線香である。お釈迦様は35歳で悟りを開かれた。お釈迦様が歩いてこられると、1里先からよい匂いがしてきてお釈迦様が来られるのが分かったという。インドでは白檀は佛が宿る木として尊重されており、最高の香木とされている。白檀はお釈迦様の香木とされている。

総白檀の佛像とのご縁

 松本明慶師は高さ5mの木造大佛・不動明王を総白檀で製作され、厳島大願寺に納佛された。その製作過程は、NHKドキュメント「仏心大器(平成の仏師・大仏に挑む」(2006年)をオンデマンドで閲覧ください。私はこのドキュメントに魅せられて、何度もこのビデオを見て松本明慶大佛師のファンになった。この大きさの大佛を総白檀で造佛するのは1,400年の大佛造り歴史の中で初めてである。白檀は佛の宿る木とも言われ、鋼鉄のように硬い香木である。それ故彫刻には最高の木である。佛像という伝統工芸の制限多き世界での新技法の開発は、創造性そのものである。その過程で多くの工夫が盛り込まれ、汗と涙の苦労が窺える。

 総白檀の大佛製作には大量の白檀の材木が必要である。白檀は輸出制限のある木で、大量の白檀の木の入手にはインド政府の許可が必要だが、それがなかなか許可されなかった。担当部署にいくら説明してもその利用法が理解されないため、許可が下りない。インド政府曰く、「ラジブ・ガンジー首相を荼毘に附すために使った白檀の総量が4トンである。それなのに23トンもの白檀をよこせとは何事か」である。松本明慶先生は、その必要性を説明するため、白檀で製作する大佛と同じ構成で、紅松(ロシア産)で実物大の雛形大佛を作成して、白檀の木を無駄には使わないことをインド政府に実物で説明して理解を得た。

 

 白檀の産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。太平洋諸島に広く分布するが、ニュージーランド、ハワイ、フィジーなどの白檀は香りが少なく、香木としての利用は少ない。インドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ、老山白檀という別称で呼ばれる。雌雄異株で周りに植物がないと生育しないので栽培は大変困難で、年々入手が難しくなっている。インド政府により伐採制限・輸出規制が掛けられている。

 

私が両親からもらった遺産

 母からは生きていく智慧と人の道であった。母は戦後、裸一貫で、父と共に働き、私に物心両面で多くのものを残してくれた。それは表面的なもので、その背景にある智慧と法要や付き合いでの人の道が最大の遺産であった。今は、母よりも私の人を見る眼が厳しすぎて困っているが、それでもそれが己の戒めとなって、まっすぐな道を歩む道標となっている。

 父からの遺産は、母と同じであるが、勤勉さであった。父は正月三が日に家にいたためしがない。仕事である。父は普通の休みの日も洋裁の内職をしていた。父はオーミケンシの警務係で、会社の門を守っていた。正月三が日でも、会社として誰かは門にいなくてはならない。同僚は三が日に出るのを嫌がっているため、父がいつも引き受けていた。なにせ残業手当が100%増しである。いつもそのため、父の残業手当が多すぎると人事部から睨まれていたほど。私は両親から、一度も勉強をせよとは言われなかったが、両親が、本職、内職で私のために働いている後ろ姿をみると、遊び惚けているわけにはいかない。父は小さい頃、あまり勉強をせず、遊んでばかりいたので、小学校尋常科を出てすぐ、口減らしの意味も含めて洋裁店に丁稚に出された。祖父が事故で若くして亡くなったので、家族は生活が大変だった。小さい頃に他人の飯を食って育ったので、苦労をしている。それがシベリア抑留されたとき、職人としての腕があったのと、苦労をしているので人から恨まれるような振舞いはしないという智慧がある為、結果として屋内工場でミシンの仕事に回されて命が助かった。他の人は零下20度の極寒の中の厳しい屋外労働で、多くの仲間が倒れていった。何が幸いするか、佛の采配は不思議である。

 今、振り返ると、大した贅沢もせず、息子のために働いてくれた両親の後ろ姿が、最大の遺産である。それがあるから、今の私がある。

 

後進に残す誇りと香り

 2015年、お墓の改建のおり、1734年没のご先祖にたどり着き、それを振り返って考えると、現在、自分が貰いたい遺産、後進に残したい遺産が何であるかが明白になった。ご先祖探しの調査の結果、ご先祖は「黄鶴 北尾道仙」という敬称が付けられていた。詳細は不明であるが、生前に芸の面か社会への貢献が偉大であったようだ。そんなご先祖を持って感じるのは、自分がその子孫であるという誇りである。その誇りがあると、生きていく力と、これから自分が何を社会に貢献できるかが刃として己に突き刺さる。その誇りを生む最大の要素は勤勉と人の道である。自分が世を去るとき、後進が誇りをもって自分の後継者であったと思ってくれることほど嬉しいことはない。それが佛の香りと誇りとして後進に伝われば最高である。

 

図1 白檀線香の説明書

 

2017-07-07

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