桃太郎・浦島太郎の仏教説法
桃太郎物語
川に流れてきた桃から生まれた桃太郎は、成長して犬と猿と雉をお供に鬼が島に鬼退治に行き、鬼を退治してお宝を両親のもとに持ち帰った。
浦島太郎物語
昔むかし、浦島太郎は助けた亀に連れられて、竜宮城に来てみれば、鯛やヒラメの舞い踊りに見とれてしまい(痴呆状態)、乙姫様と楽しい3年の時を過ごした。しかし両親のことが心配になり、乙姫様に別れを告げて家に帰ってみれば、親も死に、家も絶え、誰も自分を知っている人がいない現実に直面する。すでに300年が経っていた。開けてはならぬと言われて乙姫様からもらった玉手箱を開けたら、たちまちに白髪の老人になってしまった。
地獄の研修所
桃太郎の物語は、人生の表の世界の物語で、浦島太郎の物語は裏の世界を寓意する仏教説法である。プラスがあればマイナスもあるのが人生である。世の中は全て陰陽の世界である。
桃太郎は、忠実で恩を忘れない犬(社是・信用)を連れ、猿(知恵)と高所から遠くを見渡す能力ある雉(ハイテクの目、ドローン)の経営の三種の神器を手にして、鬼(自分の劣等感、邪心、慢心)を退治するために地獄の研修所に行き、懺悔の涙を流して自分の内なる鬼を退治する物語である。鬼退治で、「裏鬼門」の方角も意味する十二支の申(猿)、酉(トリ=雉)、戌(犬)を率いた。そして、自分株式会社の社長としてお宝を発見して、人生経営を軌道に乗せるお話である。ハッピーエンドで人生経営のお話しは終わる。太郎とは家の長男に付ける名前である。桃には、邪気を祓い不老長寿を与える意味がある。
請求書の山
桃太郎は昼のお話しであり、浦島太郎は夜のお話である。浦島太郎は功徳と業績のご褒美に会社の経費で夜の接待に招かれて、酒池肉林の極楽の日々を過ごし、ひと時のうたた寝をする。目が覚めれば、酒池肉林のネオンは消え、創業者は既に亡くなり、会社が倒産していた。美女からもらったお土産の玉手箱を開けたら、膨大な請求書の山が出てきて、腰を抜かし一晩で白髪になった。浦島太郎の昼の顔は履歴書で、乙姫様の夜の顔は請求書であった。これは人生の経営物語である。
夜の竜宮城での酒池肉林
昼の鬼が島(表の世界の企業戦争)の戦いに勝った後、夜の竜宮城での酒池肉林の極楽の癒しの時間は、疲れを忘れさせるが、それが長くは続かない。いくら美女や珍味美味に囲まれてうつつを抜かしても1時間もすれば、正常な神経の人なら飽きる。そんな極楽の生活を竜宮城(裏の世界)で3年続ければ確実にボケる。竜宮城での3年の生活は、まともな生活の300年に相当するとの寓意である。子供の教育上で、接待の酒池肉林の極楽とは言えないので、童話では鯛やヒラメの舞いと山海の珍味と表現した。
人としてのやるべきこと
どんなご褒美も娯楽も賞味すればするほど、快楽が麻痺し、それが苦痛になるのが正常な人間である。人間の神経は、快楽を長く維持できる構造とはなっていない。遊びと仕事の違いと同じで、やればやるほど虚しさが沸いてくるのが遊びで、やればやるほど面白くなり、のめり込むのが仕事である。遊びには達成感もなければ、分福の喜びもない。そんな虚しい時間を過ごしていると、親の死に目に会えないよ、と浦島太郎の童話は警告する。「人としてこの世に生を受けたのなら、もっと他にやるべきことがあるだろう」が、寓意である。
地獄への直行便
娯楽遊行だけにうつつを抜かした罰として、認知症の老人に落ちぶれた。現代はそんな老人が周りによく見かける。白髪の老人への激変は、時間の喪失という寓意ではないか。やるべきことをやらないと、時間は超スピードで過ぎてゆく。加速度のついた娯楽人生は、地獄への直行便である。「起きたけど寝るまで特に用もなし」の引退生活では、時間の経つのは速い。人生時計を早送りモードにしてはならない。人生の残された日々で、やるべきことは何か? 明日では遅い、敵は既に出発している。
子供には、陰陽の理論を踏まえ、この二つのお話を仏教説法を対比させてお話をされたし。夜のネオン街を徘徊する社長さんたちに聴かせるべきかも。
2017-07-22
久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite
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