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2017年7月22日 (土)

インプラント 10(クライテリア) 

3.7 歯科医院のクライテリアは何か?

  金儲け? モルモットでの実験? 患者のための治療?

社会奉仕? 医学の向上?

 

 インプラントを勧める歯科医のクライテリアは何かを考えると、状況証拠からみて、現在は極めてグレーに近い無罪ではある。しかし近い将来に、黒になる可能性が高いと思う。これを「金儲け」と考えると、下記の全ての事象が素直に納得できる。それ故、インプラント手術は、現状では避けるべきと結論した。

インプラント手術の観察事項

・立派な手術室を前面に出しての宣伝(高い設備費)

・ホテル並みのリラックスできる待合室(高い設備費)

・法外な手術費。保険がきかず(国が認定していない)

・傲慢な治療の横行(儲かるから経営が安易になる)

・良心的な歯科医はインプラントに反対

・「成功報酬」としてインプラントメーカーからのキャシュバックがある(推定)

・インプラントの手術数の誇示(リスクが多いことを暗黙に示す)

・インプラント専門医は海外の大学でのインプラント講習受講を誇示

・インプラント専門医は選択枝として、インプラントを先に推薦

・インプラントの都合の悪い情報は開示しない。

クライテリア  CRITERlA

 クライテリアとは、私が1994年にミシガン大学テクニカル・ライティング夏季セミナーに参加して、学んだ概念である。クライテリアは医院の方針と理解すればよい。またオーディエンスは、患者に置きなおしてインプラントを考えると、歯科医師の患者に対する情報伝達の拙さは、訴訟に発展する恐れを秘めている。

 このセミナーで、何回も出で来るキーワードが「クライテリア」である。また一番感銘を受けた言葉でもある。先ず方針ありきで、その基本方針・考えがないと書類作成も仕事でも何事も進まない。この事を繰り返し指導された。米国ビジネス社会では「読みにくく、内容不明瞭な文書を、受取手(上司、同僚)が読まなくてもなんら責任がない」とのスチーブンソン教授の見解は、論理構成の重要性を再認識させられた。なにせ米国ビジネス社会では管理職が、受け取った書類を扱う平均時間は、30秒であるそうだ。日本ビジネス社会では、書類を出したら受け取ったことで、読まなかったら、その読まなかったことが責任とされる社会との峻別が面白い。そういう点で、日本のビジネス文書は緊張感がない。この理由で米国ビジネス社会では読んでもらうために、真剣に書類の「クライテリア」を明確にして「デザイン」しなくてはならない。

手術のデザイン

 「技術文書のデザイン」という概念は新鮮な響きがある。論理構成のない、なぐり書きされた書類には、不似合いの言葉であるが、ビジネス社会で情報を伝えるのツールとしての書類にはその概念の重要さを認識させられる言葉ある。如何に書類を「設計」するかは、その基本概念の明確化(クライテリア)、書類の概略構想、スケッチ、詳細記述と製品を作るための図面デザインと同じプロセスが要求される。

 インプラント手術では「人体の設計」が必要とされる以上、検討項目を上げて設計審査が必要となる。それも命に係わる手術である。正しい情報開示がないと、設計審査が片手落ちとなる。なぜインプラントが推奨されるのか、その問題点がオーディエンス(この場合、患者)に明示されていることが必須である。しかし、今回はそうではなかった。他に医院でも同じであると推定される。その手術の必然性の根拠も曖昧である。インプラント手術の説明資料が、読みにくく曖昧な文書なら、PL法(インプラントは製造物ではないので、別の法律が適用される)に準じた法律での対応が求められる。

米国スリーマイルス島の原発事故

 米国スリーマイルス島の原発事故(1979年3月28日)、のドキュメントの事例では、米国における文書・報告書・提案書の記述方法が、人類の危機に発展するシリアスな事例として紹介された。米スリーマイルス島の原発事故では、事故の数力月前にその前兆の報告書を技術者が上司に提出している。しかしその報告書が読みにくく、かつ論文調に書いてあったため、責任者はその報告書を無視した。その結果がスリーマイルス島の原発事故につながったのだが、それが裁判になって、然るべきスタイルで提案書を書かなかった技術者の過失が問われ、その上司の管理責任者は無罪になっている。ある意味で米国の自分の管理分野の責任に対する無責任さをスリーマイルス島事件は示していると思う。プロならもっと自分の仕事に責任を持てと言いたいものだと感じた。しかしここには米国社会の個人主義、その結果としての個室を中心とした会社運営形態がある。そこには書類だけで情報交換をされる仕事ぶりがあり、その書類の記述方法が大きな意味付けを持つことになる。だからこそ論理的に記述する重要性が出てくるのである。

PL問題

 PL法は米国の製造業を衰退させた悪法であるとさえ言われる。訴訟社会の米国にあってPL問題は製造業の携わる者にとって大きな問題である。しかし悪法でも、米国を相手に商売をする以上は避けては通れない問題である。米国社会では自分の書いた書類(マニュアル・注意書き等)が、自分を傷つける凶器に変身するから恐ろしい。しかし、我が身を傷つけるのも書類だが、自分を守ってくれるのも書類である。そのためにこそ、テクニカル・ライティングの必要性が重要視され、米国で推進されている大きな要因である。いくら歯の治療で短期的によい効果を上げても、長期的に問題がある手術は、PL法に相当する法律で訴えられてしまう恐れがある。

 

2017-07-22

久志能幾研究所 小田泰仙 HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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