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2017年7月28日 (金)

インプラント 16(安全性)

3.16 安全性  欧米人と日本人の差の検証

 日本人に対するインプラントの検証はまだ終わっていない。それ故、手術は慎重にすべきだと思う。自分がモルモットになるつもりなら良いが。

日本人の体質

 日本人と欧米人では、アルコールや牛乳への消化酵素の保有量の差で違いがある。また日本人の体は欧米人のように「油もの」をたくさん消化することはできない。欧米人は6, 000年近くさかのぼりオリーブオイルを食べてきた。日本人が油ものを食べるようになったのは、この150~200年ほどのことである。揚げ物でもこの有様で、蕎麦アレルギーさえ起きる人がいるのが現実で、チタンアレルギーの安全の検証はまだ済んではいない。

日本でのインプラントの歴史

 日本に本格的導入がされたのが2000年位からで、まだ10年余くらいの実績しかない。世界一の近い平均寿命がある日本人での長期間の検証ができていないのが現実である。だから日本人より短命の欧米人では問題ないから、それが日本人にそのまま適用できるとはいえない。欧米人は問題が起きる前に死んでいるのではないか。インプラントが、いくら欧米で30年以上の実績があるといっても、日本での前提条件が違う。

 

2017-07-28

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2017年7月27日 (木)

インプラント 15(美観、価格性能比)

3.14 QCD  歯の美観性能から判断

 インプラントのもうひとつの目的は歯の美観である。特に米国では歯並びと肥満が出世の大きな要因になっている。その点ではインプラントは素晴らしい。日本の俳優でも健康な歯を抜いてインプラントにしている例は多い。

 健康を犠牲にしてまで、なぜそんなに美しくしたいの?

  金儲け?   人気取り?  化けるため?

 

3.15  QCD  価格性能比の観点

 現在のインプラントは、性能に対しての価格が異常に高すぎる。保険が適用される総入れ歯で、約1万円の自己負担、ブリッジで約1.5万円の自己負担であるのに対して、インプラントは保険適用外であり、30~50万円も費用がかかり過剰に高い。いくら性能が良くても、価格性能比が低すぎる。さらに安全に対して未知数があり、リスク上でも手術は不可と判断した。

ある歯科医院の治療費内訳  

材料費  人工歯根     199,500円

     人工歯      150,000

処置費  診療費       5,000

     検査費       10,000

     手術費        68,000

メンテナンス代         10,000

 ――――――――――――――――――――

    合計       442,500 円

 『「いい歯科インプラント治療医」を選ぶ!』p99(週刊朝日MOOK)より

 

 私は30年余の期間、工作機械、自動組立機、自動車部品の設計業務に携わってきた。今も昔も価格競争の厳しい時代、部品の原価計算を知らずして設計は出来ない。その観点で、単なる雌ねじと雄ねじのチタン材の部品費用が20万円弱とは異常である。普通の機械部品であれば数百円である。いくら材料が特殊であっても、20万円弱とは信じがたい。人工歯も同じコスト感覚である。保険がきかない「贅沢」手術扱いなので「資本の論理」が働き、こんな価格設定となる。医師とインプラント業界のための金儲け手段である「贅沢」手術とは、国の認識である

 

2017-07-27

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2017年7月26日 (水)

インプラント 14(歯の性能)

3.12 QCD  歯の性能(噛む能力)  

インプラントの性能(噛む力)は正常の歯とほとんど同じである。ただし、それがいつまで持つかは、個人差が大きく、今回の調査では把握できなかった。これは歯科医が調査する事項である。正常の歯の噛む力を100とすると、各方法の差を下記に示す。

 正常の歯   100

 インプラント  90

 ブリッジ    60

 入れ歯     10  (某歯科医院のインプラント解説書による)

 上記は某医院提供のインプラント資料内の情報である。しかし、母校の元教師からの情報では、「入れ歯も馴染めば固いものも普通に噛めて問題ない」との体験談であった。「当初はたしかに固いものは噛めなかったが、時間が立てばその不具合はなくなった」とのこと(2012/11/5)。馴染む前に入れ歯を止めてしまうから、上記の数値になるのではないかと、上記の数値に疑問を感じた。

 テニス仲間の友人は入れ歯にしたが、ピーナッツのような固い食物が食べられないと、直ぐにインプラントを入れた。入れ歯が馴染むまでの期間を待てなかったのである。自分は歯科医ではないので、再調査が必要と感じている。

 

3.13 QCD  歯の性能(インプラントの寿命)

 インプラントは10年以上、人間の寿命まで持つとも言われるが、個人差が大きいのが現実のようである。インプラントが10年の寿命があっても、それを支える骨格は、年々変化していく。それの対応が必要である。肝心なのは、きちんと歯科医の定期的な点検が欠かせないこと。往々に6年くらいからインプラント周囲病になり、インプラントを外さねばならない事例が多くなるという。これは、インプラント学会でも、直せないというのが通説である。受診した歯科医からの説明書には、さらりと書いてあるだけで、どれだけ深刻な問題なのかの説明はない。

 

2017-07-26

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2017年7月25日 (火)

インプラント 13(動機、衆知)

3.10 動機善なりや? 

JALを再建させた京セラの稲盛和夫会長が、新事業やプロジェクトを始めるときに自分に問う言葉が「動機善なりや 私心なかりせか」である。世のため人のために行う事業であれば、絶対に成功する。稲盛氏はそうやって新事業に進出し、成功させてきた。

 インプラントの最初はスウェーデンのブローネマルク教授の善意により開発され、教授は本件に関する特許も取らなかった。しかし、現在のインプランとは、医師にとっては、利益率の高い商売として「資本の論理」に支配されている。それ故、供給側は過剰な利益を上げている。現在の歯科医にとっても、「動機が善」とはとてもいえない。動機が善でもない医療行為が、何らかの悪影響を患者に及ぼしていると考えると、手術は避けるべきと私は判断した。そもそもインプラントは医療行為ではない

 

3.11 衆知を集めて決断

 今回の調査で北は北海道から南は宮崎まで、私から見て、歯の悪くなる年代の人であって、見識ある全国の知人(多くは中小企業の社長)に問い合わせをして情報を収集した。これは松下幸之助翁がいう「衆知を集める」経営手法である。

 この聞き込みの結果は、63人中、25人がインプラントに反対である。人間の体に関する問題であるから、多数決で決める問題ではなく、危険性が少しでもあれば、止めるか、当面様子を見るのが妥当な判断であると結論を出した。それも少しではなく、全国の見識ある人たちの4割が反対である。

 

聞き込みデータのまとめ

  インプラントに対して

否定派    25人

肯定派    19人

無関係派   19人

―――――――――――

合計     63人

  

2017-07-25

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2017年7月24日 (月)

インプラント 12(時間価値)

3.9 時間価値からの判断

 インプラントを入れると、定期点検を一生続けなければならない。医者の言う半年後とか、聞き込みでの回答の1~2ヶ月の頻度、1ヶ月に2度とか、多々の情報が錯綜して明確ではない。仮定して、2ヶ月に一度でその費用を試算すると、莫大な費用が計上される。それよりも、命の価値と同じ時間がもったいない。これはインプラントの奴隷となることである。またインプラントを入れて健康を損なうとは、命を失うこと。

 医院に通うと、どうしても精神的な影響を強く受けるのも、問題である。その分、その人が生み出す付加価値の生産性が下がる。それは計り知れない。

 

費用試算

2時間×6回(年間)×30年×1万円/時間 = 360万円

・歯科医医院に通院すると、往復の時間、診療待ち時間、治療時間等で1回当たり2時間くらいは時間を要する。  

・企業経営では人件費として1時間1万円で計算しないと経営が成り立たない。まして手術を受ける人が社長ではなおさらのこと。

・この他に手術代として平均70万円が必要。

これに定期点検の診療費が上乗せとなる。

 

2017-07-24

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2017年7月23日 (日)

インプラント 11(安全運転)

3.8 人生の安全運転   

何が人生で最重要かで判断

 人生の街道を「自分の体」という乗り物で疾走するには、安全が最優先である。それは、自分の体に対する手術にも当てはまる。それは自動車の運転で問われる課題と同じである。その中でも、普通の運転者より高い技量が求められるテストドライバー資格での最優先事項は安全である。自動車メーカのテストドライバーに問われるのは、3Sの能力である。3Sとは、安全 (Safety)に、素早く(speedy)、滑らかに(smooth)である。これを分かりやすく言いなおすと、次になる。これは全ての仕事のやり方を象徴している。

「自分の子供が急病になって、車で病院に連れて行かなければならない。焦って安全運転を怠れば、事故で病院にたどり着けず、子供が死んでしまう。ゆっくり走れば、時間がかかり子供が死んでしまう。早く病院に行かねばならないが、スピードを出して乱暴に運転すれば、振動や衝撃で子供の容態に悪影響を及ぼし、死ぬかもしれない。安全に、素早く、滑らかに運転して、我が子を病院に送り届ける。これがテストドライバーに課せられた使命である」

 この資格の実技試験で、急ブレーキを踏むと一発で不合格である。なぜなら危険の確認・予想ができていないとの判定である。事前に危険を予測できるのに、それを怠った結果が急ブレーキであるからだ。要するに安全確認の心構えができていない。

 一番大事な自分の体に、安全性でまだまだ未知な要因がある異物を自分の体に入れる手術は、慎重な判断が必要である。それが手術を躊躇させた。手術直前に急ブレーキを踏んで、今回の手術を回避したのはよいが、人生の経営運転試験では、もっと早く気づくべきで、「まだまだ人生運転の技量が未熟で、合格点に達していないよ」との経営の神様からの声として反省している。

テストドライバー資格試験

 43歳のとき、異動があり新職場でテストドライバー運転資格を取得した。当時、上級資格を持った部下の指導下で訓練をした。実技訓練で部下が助手席に座り、運転訓練を受け、部下の教官から「課長は学習能力がないですね」と嫌味を言われながらの運転訓練であったのが懐かしい。たとえ部下でも、車上では教官である。何を言われてもいたし方ない。その後の運転では、安全を最優先に心がけているので、良い訓練を受けることが出来たと感謝している。その後、小さい事故はあったが、大きな事故には遭わずに無事過ごせた。取得した資格は初級の資格であったが、それでも助手席に指導教官が同乗すれば、富士山の近くにあるカーメーカのテストコースで、当時担当部署で開発中の部品を搭載した試験車の運転が出来た。今にして思えば良い経験をさせていただいた。

インプラント年鑑のテーマ

 クインッテセンス出版より毎年、インプラント年鑑が出版されている。2010年から2012年までの年鑑(各冊6,000円)を入手した(医学書の高価さに閉口)。2012年の年鑑のテーマは「世界におけるインプラント医療安全を考える」(図1)である。医師の宣伝のように安全であれば、年鑑がこのテーマは取り上げないはず。年鑑のタイトルが、インプラントに安全で問題があることを警告している。

関連エピソード

 インプラント手術は無事キャンセルできたが、その時、次の来院予約を入れざるを得なくなり、仮の予約を入れた。しかし、別の病院で2次再検査(心臓のCT)と日程がダブってしまったので、それを言い訳にキャンセルをした。その話を後藤先生(私の英語の師匠)と電話で話をしていたら、「CTはレントゲンの600倍の放射能を放射して、10万人に104人の割合でガン患者を発生させる」とのニューヨークタイムズ記事を教えられた。早々に自宅の新聞の山から引っ張り出して確認した(図2)。また造影剤は腎臓を傷めるから注意との先生の話があり、明日のCT検査をキャンセルした。これもインプラントでのご縁から生じた仏さまからのご配慮のようだ。ありがたいことです。

 先生は一度、心臓が停止したが、緊急対応の手際よさと、担ぎ込まれた医療機関が心臓病で有名な病院で、その場に名医も待機していたという偶然にも恵まれて一命を取り留めた。つくづくと運のよさ、とりもなおさず人徳の高さを感じた。どれかひとつでも欠けていたら、もうこの世ではお会いできかった先生とのご縁である。その時、心臓CT撮影で多量の造影剤が使われ、腎臓を傷められた。

 医院は治療や検査はするが、病気を治しはしない。病気を治すのは自分の体の治癒力である。過剰な検査や薬は、助けもするが、妨害する場合もある。過度な検査は新たな病気を生み出す。その治療でまた医者にかからねばならない。医師と製薬メーカ、医療機器メーカとの関係で、現在の病院は金儲けコンベアラインとなっているケースが多い。医者通いは自分の体への設備保全である。その選択は、心して構えるべき。

医学雑誌のデータ

 人の年間の許容X線量は、1ミリシーベルトである胃透視でのX線量は、3ミリシーベルトである。CT撮影でのX線量は、10ミリシーベルトである。年間3回以上CTを受けると、ガンが発生する確率が顕著になる。

電気事業連合会のPR資料(図3)

 ところが、電気事業連合会が出しているパンフレット資料では、「100ミリシーベルト以下の放射線量では臨床症状が確認されていません」と説明がある。これはあくまで原子量発電を積極的に推進している団体の資料である。「臨床症状が確認されていない」とは一時的な臨床症状であって、長期間にわたる検証ではない。“The New York Times”の記事内容と異なる。電気事業連合会は原発に対して都合の悪いことは言えない団体であるし、放射能の危険を少しでもオブラートの包んで過小に説明したい団体である。同じデータでも、立場や見方が変わるとこうも解釈が変わる。

「放射線Q&A」 電気事業連合会 2011.4 刊

  電気事業連合会とは、電力会社9社と日本原子力発電、日本原燃、電源開発からなる組合である。発行は、福島第一原発事故の直後である。このパンフレットは、自分の価値観で公表されたデータを解釈することの重要性を、皮肉にも教えてくれた。

 

図1 インプラント年鑑

図2 “The New York Times” SEPTEMBER 9,2012

図3 電気事業連合会のPR資料

 

2017-07-23

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2017年7月22日 (土)

インプラント 10(クライテリア) 

3.7 歯科医院のクライテリアは何か?

  金儲け? モルモットでの実験? 患者のための治療?

社会奉仕? 医学の向上?

 

 インプラントを勧める歯科医のクライテリアは何かを考えると、状況証拠からみて、現在は極めてグレーに近い無罪ではある。しかし近い将来に、黒になる可能性が高いと思う。これを「金儲け」と考えると、下記の全ての事象が素直に納得できる。それ故、インプラント手術は、現状では避けるべきと結論した。

インプラント手術の観察事項

・立派な手術室を前面に出しての宣伝(高い設備費)

・ホテル並みのリラックスできる待合室(高い設備費)

・法外な手術費。保険がきかず(国が認定していない)

・傲慢な治療の横行(儲かるから経営が安易になる)

・良心的な歯科医はインプラントに反対

・「成功報酬」としてインプラントメーカーからのキャシュバックがある(推定)

・インプラントの手術数の誇示(リスクが多いことを暗黙に示す)

・インプラント専門医は海外の大学でのインプラント講習受講を誇示

・インプラント専門医は選択枝として、インプラントを先に推薦

・インプラントの都合の悪い情報は開示しない。

クライテリア  CRITERlA

 クライテリアとは、私が1994年にミシガン大学テクニカル・ライティング夏季セミナーに参加して、学んだ概念である。クライテリアは医院の方針と理解すればよい。またオーディエンスは、患者に置きなおしてインプラントを考えると、歯科医師の患者に対する情報伝達の拙さは、訴訟に発展する恐れを秘めている。

 このセミナーで、何回も出で来るキーワードが「クライテリア」である。また一番感銘を受けた言葉でもある。先ず方針ありきで、その基本方針・考えがないと書類作成も仕事でも何事も進まない。この事を繰り返し指導された。米国ビジネス社会では「読みにくく、内容不明瞭な文書を、受取手(上司、同僚)が読まなくてもなんら責任がない」とのスチーブンソン教授の見解は、論理構成の重要性を再認識させられた。なにせ米国ビジネス社会では管理職が、受け取った書類を扱う平均時間は、30秒であるそうだ。日本ビジネス社会では、書類を出したら受け取ったことで、読まなかったら、その読まなかったことが責任とされる社会との峻別が面白い。そういう点で、日本のビジネス文書は緊張感がない。この理由で米国ビジネス社会では読んでもらうために、真剣に書類の「クライテリア」を明確にして「デザイン」しなくてはならない。

手術のデザイン

 「技術文書のデザイン」という概念は新鮮な響きがある。論理構成のない、なぐり書きされた書類には、不似合いの言葉であるが、ビジネス社会で情報を伝えるのツールとしての書類にはその概念の重要さを認識させられる言葉ある。如何に書類を「設計」するかは、その基本概念の明確化(クライテリア)、書類の概略構想、スケッチ、詳細記述と製品を作るための図面デザインと同じプロセスが要求される。

 インプラント手術では「人体の設計」が必要とされる以上、検討項目を上げて設計審査が必要となる。それも命に係わる手術である。正しい情報開示がないと、設計審査が片手落ちとなる。なぜインプラントが推奨されるのか、その問題点がオーディエンス(この場合、患者)に明示されていることが必須である。しかし、今回はそうではなかった。他に医院でも同じであると推定される。その手術の必然性の根拠も曖昧である。インプラント手術の説明資料が、読みにくく曖昧な文書なら、PL法(インプラントは製造物ではないので、別の法律が適用される)に準じた法律での対応が求められる。

米国スリーマイルス島の原発事故

 米国スリーマイルス島の原発事故(1979年3月28日)、のドキュメントの事例では、米国における文書・報告書・提案書の記述方法が、人類の危機に発展するシリアスな事例として紹介された。米スリーマイルス島の原発事故では、事故の数力月前にその前兆の報告書を技術者が上司に提出している。しかしその報告書が読みにくく、かつ論文調に書いてあったため、責任者はその報告書を無視した。その結果がスリーマイルス島の原発事故につながったのだが、それが裁判になって、然るべきスタイルで提案書を書かなかった技術者の過失が問われ、その上司の管理責任者は無罪になっている。ある意味で米国の自分の管理分野の責任に対する無責任さをスリーマイルス島事件は示していると思う。プロならもっと自分の仕事に責任を持てと言いたいものだと感じた。しかしここには米国社会の個人主義、その結果としての個室を中心とした会社運営形態がある。そこには書類だけで情報交換をされる仕事ぶりがあり、その書類の記述方法が大きな意味付けを持つことになる。だからこそ論理的に記述する重要性が出てくるのである。

PL問題

 PL法は米国の製造業を衰退させた悪法であるとさえ言われる。訴訟社会の米国にあってPL問題は製造業の携わる者にとって大きな問題である。しかし悪法でも、米国を相手に商売をする以上は避けては通れない問題である。米国社会では自分の書いた書類(マニュアル・注意書き等)が、自分を傷つける凶器に変身するから恐ろしい。しかし、我が身を傷つけるのも書類だが、自分を守ってくれるのも書類である。そのためにこそ、テクニカル・ライティングの必要性が重要視され、米国で推進されている大きな要因である。いくら歯の治療で短期的によい効果を上げても、長期的に問題がある手術は、PL法に相当する法律で訴えられてしまう恐れがある。

 

2017-07-22

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2017年7月21日 (金)

インプラント 9(火葬場)

3.6 火葬場での美学

 人は裸で生まれて、裸で死んでいく。生まれるときは無垢の姿で、皆さんに祝福されて生まれてくる。死ぬときは、同じ裸でも、ある人は惜しまれて、ある人は無視されて死んでいく。葬式とは、人生の最終劇場である。人間は垢と汚れをいっぱい身につけて死んでいくが、その汚れの量の過多が人の人生を象徴している。火葬場で焼いても、その汚れが白い灰にならずに、灰葬で骨を拾う親族の目に止まる。死んだ己には手が出せない、隠しようのない裸の姿である。   

 遺骨の灰の中に、歯の金属の詰め物が残る。金ならまだしも、安い金属が残っていると恥さらしである。ましてインプラントのボルトが残っていると、整形手術と同じ扱いの審美手術であるインプラントの跡が、その人の体に対する考え方を曝け出す。死後の恥さらしでもある。

 人間が死ぬとき、あとに残るのは得たものや集めたものではない。人に与えたものや、人を育成に貢献した価値である。高い金を使って身に埋め込んだチタンのねじは、火葬場での灰葬のあとは、ゴミとして処理される。インプラントとは、日本人の死の美学に反した手術ではないだろうか。

 

2017-07-21

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2017年7月19日 (水)

インプラント 8(健康)

3.5 判断の基本原則は「健康」

網膜はく離で失明状態に

 加齢の影響で白内障を患い、国家資格取得の受験勉強にも差支えが出てきて、いままで躊躇していた手術をする一大決心をした。なにせ眼の手術には大きな恐怖心がある。手術は普通の人の3倍を要したが、なんとか無事に完了した。しかし、白内障手術の1ヵ月後、網膜はく離を患い、2週間ほどの失明状態となってしまった。あって当たり前のこと、見えて当たり前のことがいかに幸せかと、人生観が変わった。眼で見える大事さ、失って初めて分かる健康の有難さある。

 仕事をするにせよ、受験勉強をするにせよ、生きていくためには健康が何よりも大事である。健康でなければ何もできない。それを眼の患いで痛感した。人生観が変わり、時間の有限性を格物致知した。体験がなければ、本当の知識・知恵とはならない。そして、今が大切、生きているうち、日の暮れぬうち、眼の見えるうちに、人生でやるべきことを、実行しなければならないと悟った。まだ道半ばであることを痛感した。日暮れて道遠し。

幸福の前提条件

 歯を失ったのは、自身の健康管理の不行き届きで、大きな後悔である。その対応と再発防止が問われる。「下の歯が無くなると、他の歯に負荷がかかるため全体の歯が悪くなる恐れがある。上の歯がないと、上の歯も痛めるのでインプラントか入れ歯を入れたほうがよい」と半脅しみたいな説明があった。歯科医の言葉を信じて、インプラントを入れる話が進んだ。歯も内臓の一部である。異物を体に入れるリスクを十分に検討すべきである。また常識的に、歯の一本欠損したくらいの障害は、体は自己保全力で対応するはずである。そのその点でインプラントを安易に勧める医師には要注意である。まずその内容を自分で検討すべきである。幸福はまずなによりも健康の中にある。

 

2017-07-19

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2017年7月18日 (火)

インプラント 5 3.2 法に準拠(改定)

法に準拠しているか

 「法」とは「三水」の「水」が「去る」と書く。水が上から下に流れるのは、何時でも何処でも誰にでも当てはまる法則である。対象の事象がその自然界の法則に合っているか、それを自問すれば、答えは自ずと見える。インプラントには自然界の法則に反している面がある。

多聞天と邪鬼の役割

 毘沙門天とは、別名「多聞天」とも呼ばれる。多聞天の名前の由来は、日に何度も法を聞くことから名付けられている。足元にいる邪鬼界の阿恵と吽形は、悪さの限りをしていたのだが、「そんな悪さをしていて、お前の3000万年後の人生(鬼生?)はどうなるのか。上の界(人間界)に生まれ変わりたくはないのか。今のままでは畜生界か地獄界へ落ちるしかないではないか」と仏のお諭しとお導きで改心して仏心を得た姿を象徴している。その姿の現れとして、毘沙門天の足元で、阿恵と吽形が足場として支えている。

 毘沙門天は本来、岩に上に鎮座されているものだが、阿恵と吽形が自分の背中を差し出して、毘沙門天に足場を提供している。まるで秀吉が、織田信長の草履を懐で温めた姿を彷彿させる。今までは、踏んづけられて卑しい姿の邪鬼を、松本明慶先生は主役を支える人生舞台の役者に格上げした。これも松本明慶先生の新しい解釈である。こういう解釈も創造の仕事である。

 己は何を支えて社会に貢献しているのか、自問したい。橋を造るのも社会に対する奉仕である。どんな仕事でも、全てが社会の役に立っている。しかし遊びは、そうではない。

六界に通じる法則

 六界とは、天上界、人間界、修羅界、畜生界、餓鬼界、畜生界、地獄界である。群青と赤の阿恵と吽形は陰陽の世界も象徴している。どんなものでも裏と表、プラス・マイナス、良い点、悪い点があることの象徴でもある。インプラントもいい面も悪い面もあり、それを総合判断して法により判断しろとのメッセージでもある。経営者にはそれを見極める能力が求められる。トップに上がってくる稟議書は、50.5対49.5のグレーな案件ばかりである。どちらが良いかの経営判断は、法によってきめるのも手である。そのためには、法を説く前に、法を学ばねばならない。その上で判断をするべきである。

医学書で理論を調査

 インプラント医療の法則を調べるにあたり、医学書でその理論と実態を調べた。一般解説書とは、全くレベルの違う内容で、歯科医が患者には絶対話さない内容に接することが出来た。結論は、インプラント手術は不可である。医学書が高価な点が閉口ではあったが、知らずにインプラント手術を受けることを思えば安いもの。

 

『エッセンシャル 口腔インプラント学』医歯出版 2009年 7,980円

『インプラント年鑑 2010年』クインテセンス出版 2010年 6,300円

『インプラント年鑑 2011年』クインテセンス出版 2011年 6,300円

『インプラント年鑑 2012年』クインテセンス出版 2012年 6,300円

 

図1 大佛師松本明慶先生作 多聞天  三好眼科(福山市) 三好輝行先生蔵

 

2017-07-18

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佛像の著作権は大仏師松本明慶先生にあります。

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