b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2017年11月22日 (水)

運慶と明慶の佛様に教えられる(2/2)

「運慶様は神様です」?

 日本の佛像彫刻界には運慶をネタにしてメシを食べている人たちがいる。その人たちにとって「運慶様は神様です」である。だから、絶対に批判、悪口は言わない。その人たちが解説する運慶評には、「運慶佛は国宝の佛像だ」との色眼鏡があり、「運慶様は神様です」との固定観念があるので、それを打破して素直な目で運慶佛を見ないと、真の運慶像は見えてこない。

 佛像造りの素人の私から見て、今回の運慶展で見た運慶作の佛像の造形で、ダイヤ、衣、邪鬼、手相、足元、の造りに、違和感を覚えた。

 

ダイヤさん

 ダイヤとは台屋さんのことで、佛像を支える台の模様を彫る佛師である。当時の佛師の集団の中で、台だけを作る専門家がいたかどうかは定かでない。多分、鎌倉時代は、運慶が佛像本体から光背、台までの全てを一人で作っていたと推定される。一人で佛像の全てを彫るのは大変である。今は佛像造りの工房として、各部品が分業で、佛像造りが行われ、台屋さんという佛師が佛像を載せる台を製作している。その彫り方は精緻を極める。現代のダイヤさんの作品と比べると、運慶作の台の彫りが荒いと感じてしまう。

 私も、30年ほど前に、佛像彫刻の通信教育を申し込み、その教材を入手して取り組んだことがある。その最初の課題が、台に彫る模様彫りであった。その後、本業が忙しくなり、佛像彫刻どころではなくなってしまった。また素人が手に負えるものではないことも悟り、佛像は買うものと納得した。

 

邪鬼の意味づけ

 四天王に踏みつけられている運慶作の邪鬼の造りがあまりの貧相なのである。高野山に納佛された松本明慶大佛師作の邪気と比べると、邪気の位置づけとその解釈の差とその出来栄えが違うのである。運慶作の邪気の貧相さは、運慶の解説者は誰も口を閉ざして言わない。言えばその業界から「殺される」とのうわさもあるとか。「運慶様は神様です」が業界の掟であるそうだ。そういった事例は、世には多いもの。そういう洗脳教育を受けていては、芸術品を見る眼が養えまい。運慶展の入場者数は10月24日には20万人、11月14日に40万人を超えたそうで、それから推定すると11月26日の最終日には、50万人を超えると推定される。多くの人は、「運慶様は神様です」という洗脳教育をされて展覧会を見学していると言っても良いだろう。

 その四天王に踏む付けられている邪鬼を、松本明慶師は四天王を支える脇役に昇格させた。邪鬼は誰でもない、己の心の中に住む鬼である。劣等感、妬み心、怒りの心の象徴である。それを抑えて人生の晴れ舞台に立つのが人間である。その前に、己が脇役として主役を下から支える。立派な役である。それを松本明慶師は、高野山に納佛された四天王・広目天と増長天を支える邪鬼に表現した。岩田明彩師の描く邪鬼の眼は輝いている。運慶の時代に生まれた邪鬼の像と隔絶の差である。

 

手相

 運慶作の阿弥陀佛の手相を見て、考えてしまった。その手相に運命戦が無かったのだ。運命線がない人とは、そういう運命とか宿命に無頓着であると手相学ではいう。それに対して明慶師が制作した佛像では、運命線が真っ直ぐに伸びている手相で表現されている。手相までを研究して、佛像を作る松本明慶師のこだわりである。

私も若い頃の一時期、落ち込んで運命学、人相、手相に凝ったことがある。その時に学んだ知識である。それの知識での見解である。

 

目の視線

 運慶作の佛像で、目の視線の先が異様な作品がある。その視線では武の佛像として佛敵に対して、構えがおかしいと感じてしまった。

 

源頼朝用の佛像造りのレベル

 運慶は鎌倉武士の代表・源頼朝より佛像造りを依頼され、多くの佛像を納佛している。その佛像のレベルが、奈良のお寺から依頼された佛像のレベルと差があるのである。運慶は、所詮、戦いには長けても佛像関係には教養の薄い武士に対して、すこし低いレベルの細工で対応したようだ。それが四天王像等の戦う佛像造りに現れている。少し荒い細工の彫刻が目に付く。

 

足元の造形

 運慶の佛像の足元の表現がのっぺらぼうなのだ。運慶の子の康弁作の天燈鬼立像と龍燈鬼立像の鬼の足は、血管と筋肉の盛り上がりが生々しく表現されている。それと比較すると、どうしても運慶作の佛像の足元の造形が見すぼらしいのだ。それが時代と伝統の進化なのだろう。佛像の足元には、靴を履いている佛像もあるが、その靴の表面の彫刻が簡単なのである。

 

彩色塗装

 四天王の造形は素晴らしいが、当時の色彩をそのままにしてあるので、かえって塗装が剥げた部分が顔の造形を異様な姿に映している。全て取ってしまった方が、造形の美が映えて、見栄えはすると思う。家の障子や寺院の柱の朱でも、時代が代われば塗りなおすもの。そのままにして展示がよいのか疑問に思う。

 

佛像の衣の表現

 童子の佛像の手が衣を握りしめて、その先が絞られた状態の表現で、少し不自然で違和感のある造形を発見した。まだまだ運慶の技術が成熟途中の作品と観察をした。運慶は天才かもしれないが、全ての作品が完璧な作品ではあるまい。天才ピカソも、生涯に7万点ほどの油絵を残しているが、傑作も多いが駄作も多い。どんな天才でも、作る作品が全て傑作というわけではない。それを踏まえて観察しないと、全てに絶賛のヨイショの鑑識眼ゼロの目になってしまう。

 

情報という付加価値

 運慶の佛像は古典としての存在価値がある。あの鎌倉時代に、新しい付加価値を佛像に創造したことにある。それを今と同じ価値観で見ると違和感を覚える。あくあまでも古典としての佛像である。文明が進化するように、佛像も時代の技術進歩にあわせて、進化する。

 昔の情報網から得られた知識で佛像を創造するのと、世界の彫刻美術の情報と加工技術の粋を研究した佛像彫刻品のレベルが同じであるはずがない。佛像を見る眼、作る技術は進化している。運慶作の佛像は、あくまで800年前の鎌倉時代での佛像造りの傑作である。その価値と現在の評価価値は同じではない。また佛像を作る佛師の心の問題は別問題である。

 

図1 松本明慶師作の佛台

図2 松本明慶師作の邪鬼(高野山納佛) 2014年10月8日撮影

図3 松本明慶師作の邪鬼と四天王の足元(高野山納佛)

    松本工房にて 2014年10月8日撮影

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2017-11-22

久志能幾研究所 小田泰仙  e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2017年11月15日 (水)

佛師の目指すもの(改定)

己が作る佛様(仕事)に、魂は有りや無しや

  2017年11月9日と14日、大佛師松本明慶佛像彫刻展で松本明慶師が語られた佛像造りの持論を以下に記載します。以下「私」は明慶師のことです。

 佛像はたんなる置物ではない。まして投資対象の美術品でもない。その佛像にそこに人格(佛格?)を感じて、思わず手を合わせてしまう何かが無ければ、単なる置物でしかない。

 明治時代の高名な佛師が作った布袋さんを見ても(図録で説明された)、そこに知性や品格が感じられなく、手を合わせて何か頼み事をしたくはならない。布袋さんを作るにしても、そのお顔をみれば、思わず相談をしたくなる、手を合わせたくなる、拝みたくなる何かが無ければならない。布袋さんが座って足裏を見せている足裏をコチョコチョとすれば、その布袋さんがくすぐったくて、動くかのような佛像造りを、私は目指している。(著者がその目で見れば、展示されている布袋さんのお顔は品があり賢そうなお顔である。)

 その観点でその高名な佛師が作った布袋さんを見ると、その何かがない。単に高名だからという目で、佛像を見ると、それは投資の対象の美術品を見ているに過ぎない。

 

佛格の向上

 私(明慶)は、誰が見ても人から崇めれるような人格(佛格)の佛像造りを目指してきた。それは私の師匠から教えられたこと。

 5年前に彫った佛像と今の佛像を見て、そこに佛像の人格に、成長の跡が見えなければ、己の成長が止まっているのだ。そういう目で己の作品を見ないと、人が手を合わせてくれる佛像は彫れない。そのように、日々肝に銘じて私(明慶)は佛像造りに精進しているし、弟子たちにも指導している。

 明治時代の高名な佛師が作った布袋さんを見ても、肩幅の狭さから見て頭の大きさが異様に大きくて、そのままでは頭が支えられない体の骨格のバランスで佛像が作られている。足の大きさも、体の大きさからみてアンバランスである。彫刻は絵と違い、どこから見ても破綻のない形にしないと成り立たない。そこに彫刻の難しさがある。

 布袋さんの目を見ても、瞳の部分に穴をあけて、そう見えるようにしているだけである。松本工房が作る佛様は、目の彩色だけでも専門の佛彩色師がいる。そこには写実的な表現ではなく、「写質」的な表現を目指した佛像造りがある。運慶の佛像でも水晶の瞳を入れた工夫で、リアリティを増す技法を編み出している。佛像を写実的に作っても、それには有難味がない。私は写実的ではなく、写質的に作ることを心がけている。

 観音様を見ても、額の狭い貧相な顔立ちの佛様では拝む気になれない。そこに写実的ではあるが、魂の写質感がないからだ。思わず手を合わせたくなる神々しい質感が必要である。

 

布袋

 布袋は中国唐代末に出現した四明山の僧で、名は契此。禅画によく登場する。よく太ったお体に常に杖と袋を持っている。袋の中には財宝が入っており、人々に分かち与えたという。その袋の名は「堪忍袋」である。だから、布袋はその「堪忍袋」の口元を固く握りしめている。財宝の入った堪忍袋を破らなければ、人生のお宝は散逸しない。人生の財宝とは外にあるのでなく、己の心の中に存在する。堪忍袋の口を緩めるから金が貯まらない。ご縁が来ない。その布袋の前に尺杖が置かれている。それは人間界と佛の世界を区切る結界である。俗世間の意識のままでは福はやってこない。その尺杖が、布袋さんの前にあるかないかでも、その佛像の印象ががらりと変わる。自分を戒める結界(戒め)を持つかどうかで、己の人生は劇的に変わる。布袋は弥勒菩薩が下生するまで、その分身として市井に出て放浪し、悠々自適に各地をさ迷い歩くと言われている。その布袋を、佛格の高い佛像として表現したのが図1の布袋(明慶師作)である。

 図1 布袋 『慈悲 大佛師松本明慶作品集』小学館刊より

 

カエルの人生

 私(明慶)は、カエルを彫るときはカエルの人生まで考えて、カエルを彫刻する。カエルの生態、骨格、カエルの各器官まで調べて、彫刻する。その為に、松本工房の庭には、カエルの生態が観察ように蛙を飼っている。カエルの彫刻に、持てる技の全てを投入してフラグシップの作品を修行として作る。その修練があって、本物の佛像を作る腕が磨ける。(だから小さなカエルの彫刻作品のお値段が、小型自動車一台分となる)

 

自分が作る佛様

 以上の明慶師の話は、佛師だけの話ではないと感じた。我々が仕事で作り出す製品にも魂が宿る。それは工業製品だけでなく、プロジェクトの生成物、教育での形、政治、経営、農産物、商売の形、文学、音楽での創造物の全てに当てはまると思う。トイレ掃除にも、仕上がったトイレの姿に魂が宿る。どれだけ、その佛像(仕事)つくりに、己の人格を上げて取り組むかである。人格の低い人間からは、低いレベルの仕事しか生まれない。佛像造りは、自分つくりである。そのために自分の人格を磨かねばならぬ。

 

私の佛像作り

 私は技術者として長年、工作機械の研究開発に携わってきたが、次の製品は、今の製品よりもより高い性能、付加価値を与えるべく心血を注いできたと自負できる。また技術管理部で担当した技術者教育の仕事も、形は見えないがそのカリキュラムや教材、教え方に、去年よりも今年はどんな付加価値を与えて、若い技術者に、先人が残した技を伝えられかに心魂を注いできたと自負できる。教育のその形は見えないが、その教育としてのソフトを作成して、それを磨き上げるのが私の佛像作りであった。その出来上がった佛像が、教育に関心のない金儲け至上主義の上司に破壊されたのは悲しい過去である。経営者は、教育は大事だと口では言うが、実行をする経営者は稀であるのが、現代経営の悲劇である。

 現代の工業製品の最先端を行くソフト制作でも、例えば会計ソフトでも、いくらソフト作成技量が優れていても、会計学が分からなければ、使い物になるソフトは作れない。その仕事の基本がない職人や事務職員、お役人が世の中の仕事に質を落としている。

 今は、自分が作った佛像を、誰にも壊されないように、己が己の戒めを守り、自分を教育するシステムを構築して、自分が佛像となるように精進をしている。

 

行政の佛づくり

 最高学府を出た行政の長が取り仕切る、中央政界、地方都市行政で、住民無視、放漫経営、利己主義経営、お役人根性の仕事が最近目につくのが嘆かわしい。日本の政治でも野党が批判だけで提案が無く、己が醜態を見せる野党野合、その党首のスキャンダルだらけでは日本が良くなるはずがない。政治が作る社会は、佛像造りと同じである。そこにどれだけの魂を込めて政治をするか。どこから見ても破綻のない治世に仕上げるかが問われる。大垣市のように国として治めるべき治水を放置して、市の経済の血路である道を頻繁に水没さえる愚政を62年間も続けるのは、罪悪である。市民の命の軽視イベントをいくら開催して盛況でも、死傷事故が起こる危険性が高いし、実際にドローン墜落人身事故が起きている。

 いくら東大を出た長を頂いても、市の行政として、やるべきことを実行しないのは、形を作って魂入れずの仏像造りと同じである。ご先祖の霊前での神事で、居眠りのような姿をみせるのは、不敬も甚だしい。頭はいいが、知恵と徳がない長を頂くと、市民が不幸になり、市が寂れていく。現実に寂れてしまった。それでいて市庁舎だけは立派になっていく。世も末である。

 

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2017-11-15

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図1の布袋様の写真掲載は、松本明慶師の許可を得ています。

2017年11月14日 (火)

運慶と明慶の佛様に教えられる(1/2)

 2017年11月14日、上野の国立博物館で開催中の「運慶展」(11月26日迄)と東武百貨店池袋店で開催中の「大仏師松本明慶仏像彫刻展」(本日が最終日)に、出かけて、運慶と明慶の両方の仏様に再会して、多くの教えを頂いた。

 

準備万端で出発

 先日の11月12日(日)は、入場2時間待ちとの情報があり、累積入場者数が30万人を超えたとのニュースで、しっかりと構えて出向いた。前回の見学で長蛇の行列に懲りたので、チケットは前日に大垣のコンビニで入手して、現地に8時40分に着く段取りで、朝5時50分に自宅を出て東京に向かった。恥ずかしながら、お上りさんの為、今回は上野駅構内で迷ってしまい、少し時間を無駄にした。上野駅公園口改札に着くと、改札横の構内チケット売り場は、9時前のせいか数人しかお客がいなかった。何も前日に焦って買わなくても、良かったと思ったが、博物館に到着して、前日に入手で正解であったことが判明する。

 博物館の入場券売り場は30~50名ほどの長蛇の列で、その切符を入手しないと、入場待ちの列の最後に並べないのだ。開場45分前に約150人の行列である。その最後尾に並んだあと、どんどんと列が長くなっていった。アホほどの人出である。そのアホの一人が私である。

 

見学の結論

 結局、開場の9時30分まで約45分間を待つことになったが、第一陣で入館できたので、前回と違い、かなりゆっくりと見学ができて良かった。前回、一度は見て回っているので、今回は約1時間余で、余裕を持って見ることができた。2回目で詳細の鑑賞ができて良かった。

 行列で待っている間に、回りの人と雑談をしていて、以前に興福寺の阿修羅像がこの博物館に来たときは、今回と同じように一体の阿修羅像の周囲から見ることが出来たそうだが、それを一周するのに1時間もかかったという。今回の行列をみて、なるほどと感心した。行列時に仲良くなった周囲の4名の人に、「大仏師松本明慶仏像彫刻展」の無料招待券を進呈して、喜ばれた。ついでに私のブログの宣伝もさせて頂いた。(笑)

 今回は、公式「運慶展図録」を明慶美術館館長から勧められて入手した。3千円の図書であるが、それだけの価値がある図録であった。皆さんも購入をお勧めします。

 

松本明慶仏像彫刻展

 「運慶展」を約1時間10分ほどで見学して、その後、池袋に向かい、「大仏師松本明慶仏像彫刻展」を2時間程見学して帰宅した。運慶の佛像と、それから繋がる慶派の仏師として800年後の伝承者松本明慶大仏師の作品を、まだ記憶の新しい状態で比較すると、興味深い差異が見られる。会場で明慶先生とツーショットで収まり、明慶先生から運慶の仏像について解説を拝聴した。その内容は次回(2/2)で報告します。

 こちらも2回目なので、余裕を持って見学をして会場を後にした。松本華明さん(奥様)から、京都国立博物館で開催中の展覧会に行くことを勧められた。なんでも日本には国宝の美術品が600程あるそうだが、今回は、その内200品ほどが展示されているそうで、「運慶展」以上に大人気で長蛇の行列とのこと。早朝か、金土曜日(20時まで開館)の遅い時間帯がよいと教えて頂いた。

 

京都国立博物館 開館120周年記念「日本国宝展」

 2017年は、法令上で「国宝」の制定が始まって120年にあたる。昭和51年(1976)に京都国立博物館で「日本国宝展」が開催されて以来、41年ぶりの「国宝展」が開催されている。

本展覧会で、絵画・書跡・彫刻・工芸・考古の各分野から、歴史と美を兼ね備えた国宝約200件が4期に分けて展示され、わが国の悠久の歴史と美の精華が顕彰されている。

 Ⅰ期 10月3日(火)~10月15日(日)

 Ⅱ期 10月17日(火)~10月29日(日)

 Ⅲ期 10月31日(火)~11月12日(日)

 Ⅳ期 11月14日(火)~11月26日(日)

 

反省

 本来は、火曜日は私の断食日であるが、「運慶展」の見学であまりに疲れてしまって、つい昼飯の誘惑に負けて東武百貨店のレストランで食事をして、禁断のご飯と味噌汁のお代わり(無料)までしてしまった。私も無料には弱いのです。きっと仏様は許していただけると思う。合掌

 

図1 8時43分の上野駅構内チケット売り場

図2 8時52分の行列状況 約150名

図3 9時16分の入門前の状況

図4 9時18分の当日券チケット売り場

図5 9時27分 私の後に続く行列状況

図6 9時33分 入館直前の行列状況

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2017-11-14

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2017年10月26日 (木)

連絡 カテゴリー「s-佛像彫刻」を追加

カテゴリー「s-佛像彫刻・大佛師松本明慶」を追加します。

sは彫刻(Sculpture)の略です。

2017-10-26 小田 泰仙

上野で運慶の佛に出会う

 今日、2017年10月26日、上野の東京国立博物館で開催中の「運慶展」に行ってきた。現存する運慶作と伝わる31体の佛像の内、22体を展示するという史上最大規模の運慶展である。現地に12時30分に着いて、18時に大垣の自宅に帰着した。それからひと休みをしてこの原稿を書いている。

 

入場前の行列

 「運慶展」では、土日は混むとの予想であったので、平日の今日、余裕を持って出かけたが、上野駅に着いてその予想が裏切られた。上野駅構内にチケット売り場があり、会場の待ち時間が40分との掲示があった。そのチケット売り場でも、約70名の行列である。現地のチケット売り場で買うと大変だと思い、列に並んで入場券を入手した。窓口で切符を入手するまでに、20分を要した。東京国立博物館の現地に着くと現地のチケット売り場は、30名ほどの行列で、上野駅とどちらで買った方が良かったのか、疑問を感じた。それでも東京国立博物館のゲートを通り、行列の最後尾に並ぶと、30分待ちとの看板表示であった。やはり行くなら、朝一番で行った方が良いようだ。朝一番でも30分待ちの行列との情報である。

 

鑑賞の渋滞

 上野駅に到着して小一時間ほどしてやっと入館できたが、それからがまた大変であった。どこにこんな暇人やアホが大勢いたかと(私もその一人)、老いも若きも老若男女が大混雑である。第一会場で17体ほどの運慶作の佛像が展示されていた。その佛像の前から、人が動かない。皆さんは佛像にくぎ付けのように立ち止まって凝視している。後で計算したら、1体の佛像に3~5分間ほどの時間をかけて、そろそろとすり足で歩いて佛像を一周して鑑賞している。見ては、立ち止まり、そろそろと凝視しながら移動している。それほどに素晴らしい作品ばかりであった。よく飽きもせず凝視し続けていると呆れた(私も人のことは言えない)。今回の展示方法が素晴らしいのは、佛像が全方向から鑑賞できるように後ろ側にも回れるように展示されている。また展示ケースのない仏像は至近距離1メータから拝顔できる。ケースに入った仏像は至近距離50センチから鑑賞できる。いままでこんなに近くで鑑賞できる展示会はなかった。それは素晴らしい展示方法であった。

 第一会場と第二会場で運慶作22体、その父、子孫の作品等で約70体の仏像をしっかり鑑賞して、所要時間は1時間40分ほど。40分ほどで鑑賞できると思っていたが、すっかり予想が外れてしまった。疲れはしたが、心地よい疲労感のある鑑賞であった。

 

運慶願経

 想定外の展示は、展示の最初に国宝「運慶願経(法華経巻第八)」の巻物が展示されていたこと。巻物に書かれた写経で、とても美しい書体である。運慶がこんな素晴らしい書を揮毫するとは知らなかった。治承4年(1180)、平重衡の軍勢が放った火により東大寺、興福寺の主要伽藍が焼失した。運慶は幼少から両寺院の仏像、伽藍に親しんでいたはずで、当時の信仰心厚い運慶の胸を引き裂いた事件だったはず。運慶は焼け残った東大寺大仏殿の木を軸にして法華経八巻の書写をして仏像造りの成就を発願した。紙は工人に沐浴精進させて作らせ、水は比叡山横川、園城寺、清水寺から霊水を取り寄せて墨をすった。巻第八の奥書に快慶をはじめ結縁した同僚の仏師の名前がある。写経を1行書くごとに三拝三礼して、仏像造りの成就祈願の写経である。平安時代・寿永2年(1183)、運慶がまだ20歳代の時の写経である。字体を見て馬場恵峰師の書体を思い浮かべた。それほどの達筆の写経である。よきものを見せて頂いた。

 

なぜ、人は仏像を眺めるのか

 現代は宗教離れがいわれて、無宗教者が横行しているようだが、この会場では、そんな話が嘘のようである。皆さんがじっと佛様の顔を凝視している。その佛像の顔も、端正な阿弥陀仏のお顔もあれば、荒々し不動明王、四天王、邪鬼の顔もある。端正な静かな姿の観音様もあれば、躍動感あふれる四天王の姿もある。童子の仏の生き生きとした表情の佛様も見える。多様な表情の僧侶の姿もある。その多くの佛像の中に、己の姿を見る。己の中には佛も住めば、鬼も住む。時には憤怒の怒りも覚えて社会を睨むこともある己である。その姿を見ると鏡を見るようで安らぐのかもしれない。自分でも何故、仏像を見るのか、まだ答えが見いだせていない。

 

図1 上野駅構内のチケット売り場の行列 12時09分

図2 東京国立博物館で行列最後尾    12時39分

図3 入門直前の列           12時43分

 

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2017年10月16日 (月)

中門とは曼荼羅への入口

 弘法大師が高野山の立体曼荼羅が広がる根本大塔の前に中門を設置して、門の四隅に四天王を配した意味は深い。その先に人間の歩く道がある。まずその門を通らないと始まらない。人生の目的地までは、千里の道のりである。

 曼荼羅とは、サンスクリット語のnandalaの音写した言葉で、本来の意味は“本質、中心、真髄などのもつもの“を表し、仏教では仏の悟りとその世界を意味する。

  

人生の狭き門

 『新約聖書』マタイ伝第七章に「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその路は広く、これより入る者多し。いのちに至る門は狭く、その路は細く、これを見出す者なし」という。「狭き門」は、キリスト教で天国に至ることが困難であることを例えた言葉である。転じて、入学試験や就職試験など、競争相手が多くて突破するのが難しいことの例えである。

 仏教でも同じことを教えている。人は狭い門の母の経道を通り、母親を苦しめて人間界に生まれてきた。決して大門を楽に通ってきたわけではない。大門は人も動物も生き物が通ってくる。その中で魂を持って生まれてくるのは人間だけである。魂を持った人のみが、その次の中門に入れることができる。人は自分の使命に向って進む。動物は欲望のまま生きる。高野山の大門には仁王様が立ち、中門に「入界審査官」の四天王(持国天、増長天、広目天、多聞天)が立ち、通る人の心に問うている。自分はその四天王の目を直視できるのか。その先には、大宇宙を表す立体曼荼羅が広がっている。自分の目的地はどこか。

 

人生の門の下に何を置くか?

 人として生まれたのなら、構えた門の下に何を置くかである。門の下に「人」を置けば「閃き」である。門の中に人がチラッといるのを見るという意味である。閃きは生きている人間にだけに与えられている。閃きは仕事、修行において求めるものを探求し艱難辛苦の果てに天与されるもの。贅沢三昧の極楽温泉に浸かり心が緩んだ人には授からない。

 「間」とは門を閉じても日光、月光がもれるさまから、隙間を意味する。月の光は日に照らされて放つ光である。だから「閒」とも書く。言動から佛性の光が漏れ出るのが人間である。己は縁ある人に何を照らし与えているのか。功徳ある照らしでありたい。光を吸い込むブラックホールの存在では哀しい。

 「開く」は「門」+「幵」で、「幵」は、両手の象形である。門に両手をかけて開くの意味を表す。己の人生の新しい門は、己の両手で渾身の力で押さないと開けられない。開けられないのは門が重いからではなく、力の出し方が足りないのだ。

 「才」を置けば「閉じる」である。「閂」も同じである。門を木のかんぬきでとじた様を表す。己という人生の門にかんぬきをしては、人生は始まらない。

 門の下に「口」を置けば「問う」耳」を置けば「聞く」。人生を生きていくために、己の門の下に何を置くかが問われている。かんぬきだけは置くのを避けたい。見ざる聞かざる言わざる、ではサルの畜生である。

 門の下に心を置けば、「悶える(もだえる)」。口には出さずに、心を門の下に置いて公衆に晒す状態である。智者の行為では、ない。

 

図1 大門 高野山

図2 中門 高野山 2015年再建

図3 四天王 持国天 大併師塩釜浄而作 松本工房修復

図4 四天王 増長天 松本明慶先生作 2015年

図5 四天王 広目天 松本明慶先生作 2015年

図6 四天王 多聞天 大併師塩釜浄而作 松本工房修復

図7 「道」 馬場恵峰書

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2017年9月27日 (水)

白檀の佛像とのご縁

 松本明慶先生は高さ5mの木造大佛を総白檀で製作された。この大きさの大佛を総白檀で造佛するのは1,400年の大佛造り歴史の中で初めてである。白檀は佛の宿る木とも言われ、鋼鉄のように硬い香木である。それ故、細かい細工をする彫刻には最高の木である。佛像という伝統工芸の制限多き世界での新技法の開発は、創造性そのものである。その過程で多くの工夫が盛り込まれ、汗と涙の苦労が窺える。その製作過程の記録はNHK「仏心大器」にある。オンデマンドでご覧ください。

 

白檀の入手

 総白檀の大佛製作には大量の白檀の材木が必要である。白檀は輸出制限のある木で、大量の白檀の木の入手にはインド政府の許可が必要だが、それがなかなか許可されなかった。担当部署にいくら説明してもその利用法が理解されないため、許可が下りない。インド政府曰く、「ラジブ・ガンジー首相を荼毘に附すために使った白檀の総量が4トンである。それなのに23トンもの白檀をよこせとは何事か」である。松本明慶先生は、その必要性を説明するため、白檀で製作する大佛と同じ構成で、紅松(ロシア産)で実物大の雛形大佛を作成して、白檀の木を無駄には使わないことをインド政府に実物で説明して、理解を得た。

ラジブ・ガンジー首相は1991年、スリランカの紛争介入を巡るテロで、遊説中に暗殺された。ラジブ・ガンジー首相はインディラ・ガンジー首相の長男で、初代首相ネール氏の孫にあたる。

 

白檀の原産地はインド。インドでは古くはサンスクリットでチャンダナとよばれ佛典『観佛三昧海経』では牛頭山に生える牛頭栴檀として有名であった。栽培もされ、紀元前5世紀頃にはすでに高貴な香木として使われていた。産出国はインド、インドネシア、オーストラリアなど。太平洋諸島に広く分布するが、ニュージーランド、ハワイ、フィジーなどの白檀は香りが少なく、香木としての利用は少ない。特にインドのマイソール地方で産する白檀が最も高品質とされ、老山白檀という別称で呼ばれる。

初めは独立して生育するが、後に吸盤で寄主の根に寄生する半寄生植物。幼樹の頃はイネ科やアオイ科、成長するにつれて寄生性も高まり、タケ類やヤシ類などへと移り、宿主となる植物は140種以上数えられる。雌雄異株で周りに植物がないと生育しないことから栽培は大変困難で、年々入手が難しくなっており、インド政府によって伐採制限・輸出規制が掛けられている。(Wikipedia 2014/7/17より)

 

見守り

 教育者の最大の務めは、生徒を黙って見守ること。ご本尊が家を見守ってくれる。みほとけの使者「魂」が、自分を見てくれていると思い日々、精進できる。みほとけはどんなメッセージを使者に託したのか、ご本尊に見守られ、「魂」に睨まれて考える日々である。松本明慶先生作「魂(オニ)」(白檀)は2014年3月18日納佛、仏壇に納める御本尊の釈迦如来座像(白檀)は2015年2月23日納佛、3月3日開眼法要を執り行った。3月3日は桜田門外の変の日である。それを意識せずに執り行ったが、後からそれを石屋さんに指摘され驚嘆した。ご縁である。

 

図1 松本明慶先生作 「魂(オニ)」(白檀)2014年3月18日納佛

   軸は馬場恵峰先生書  伊勢神宮御神水で磨墨

  

2017-09-27

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年9月26日 (火)

引き出物 白檀のお線香

 お墓の開眼法要の宴席の引き出物として、松本明慶佛像彫刻美術館館長の小久保さんと相談をして、白檀のお線香を選定して皆さんにお贈りした。松本明慶工房で佛像を彫った時に出る削り屑で作られたお線香である。

 今まででも、知人の訃報で香典を出せなかった時、このお線香を後供養として贈るときが多い。皆さんから喜ばれている。

 

佛が宿る木

 お釈迦様は35歳で悟りを開かれた。お釈迦様が歩いてこられると、1里先からよい匂いがしてきてお釈迦様が来られるのが分かったという。インドでは白檀は佛が宿る木として尊重されており、最高の香木とされている。白檀はお釈迦様の香木とされている。

 

人の香り

 私は、文書、声、姿、人相から伝わる香り、匂い、腐臭からその人物の評価をしている。直接、本人に会わなくても、その言動をみれば、おおよそ分かるものだ。目指す生き方として、己の言動から白檀のような良い香りを発散する人間になりたいと思っている。

 

図1 白檀のお線香 松本明慶工房製

 

2017-09-26

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Photo

2017年9月21日 (木)

法界定印と佛の心

 この世の所業を色づけして見るのは、自分の欲である。「欲」とは「谷」に落ちても「欠」けないものと書いて「欲」である。「慾」は、死ぬまで消えない人間の業である。慾は大事である。生きる慾まで無くしたら、生きる屍である。生きる為、魂の浄化を忘れて、刹那的に欲望のまま60年も娑婆で生きてこれば、人間は、餓鬼にも幽霊にもゾンビにも認知症にも落ちぶれる。

 

法界定印

 法界定印とは、座禅を組むとき、右手を下にして左手を上にして組む印相である。印を組むとは、心の状態を印のごとくにして、魂の姿を象徴する形である。法とはサンズイの水が去ると書く。何時でもどこでも誰にでも通用する世界で、心の平安、悟りを得たことを示す印相である。

 法界定印とは、右手(right、正しい、浄、陽)で、我儘な左手(left、誤、不浄、陰)を支え包み込んで現す座禅の印である。仏教発祥の地インドでは、左手は不浄の手であるが、左右の手に善も悪もない。己の持つ善悪の心がそれを勝手に決める。それを全て包含した形が法界定印である。なぜ右手が下か、それは開祖様がそう決めたに過ぎない。

 

真面目に殺し合いを防ぐ

 いくら佛に帰依しても、矛盾に満ちた世の中は正しいことばかりでは、生きて行けない。世には強欲に他国を侵略しようと企んでいる国がある。平和の時は友好でよいが、戦争の時は真面目に敵と殺し合いをしないと銃後の肉親が皆殺しになる。時代と状況と価値観の差で善悪の評価が180度変わる。平和時に1人を殺せば極悪非道の殺人者だが、戦争時に原爆で10万人を殺せば英雄である。1945年3月10日の米軍による東京大空襲で、10万人の女、子供の非戦闘員が米軍に焼き殺された。アウシュビッツのホロコースト以上の犯罪である。この無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイに対し勲一等旭日章の叙勲がされた。スミソニアン博物館でエノラ・ゲイ展を企画した館長は、在米軍人会から袋叩きの目に遇って博物館を去った(1997年)。火事場泥棒のロシアは、シベリア抑留で日本人を10万人殺した。私の父が極寒の地に抑留された。私の叔父が殺された。これが矛盾に満ちた人間社会である。

 やるべきことは、そうならない状況に陥らないように対処すること。非道の国に、聖人の論理は通用しない。ウィーン国際条約を破ったり、不可侵条約さえ破棄して攻めてくる国が近隣周辺に存在する。それをご先祖やチベットの僧侶が命を犠牲にして教えてくれた。チベットに平和憲法がなかったから侵略されたのではない。自国を守る軍隊がなかったのだ。プロレスラーに喧嘩を売るバカはいない。守るべき武力を持っていれば、強盗もおいそれとは侵略してこない。非武装中立とは、自宅の戸締りをせず、就寝したり外出するのと同じである。鍵を掛けないのはバカである。サヨクが外出時に施錠しないとは聞いたことがない。狩猟民族の欧米がアジア諸国を植民地にしたのは、江戸時代から昭和の時代である。アジア諸国に列強欧米の侵略を防ぐ戦力がなかったためである。アジアで日本とタイ以外は、欧米の植民地にされた。その歴史を学ばない民族は亡ぶ。

 

佛の教え

 禅では人間が持つこだわりを捨てよと諭す。捨てたらそのこだわりを捨てたことも忘れろという。こだわるとは、己の心に壁を作ること。心を閉ざし、色眼鏡でモノを見ることである。

 佛像を真摯に見つめていると、自分が悲しいときは、佛像も一緒に悲しんでくれ、嬉しいときは共に喜んでくれるのを感じる。落ち込んでいると叱ってくれる。佛像に語りかけると、応えてくれる。佛像は自分の心を写す鏡である。佛像は自分の心に相応して表情を変える。自分の心の格が上がれば、佛像の心の声が聴こえる。

 釈迦如来の佛像が示す法界定印の形は、左手が下で右手が上であり、人間が座禅でする法界定印とは、鏡で写すが如く左右逆である。佛像は人間の心を鏡として表す姿の象徴として作られた。そのため、鏡に映るがごとくに左右逆に彫られたようだ。法界定印を調べたがよく分からず、本稿は私の解釈です。

 

運転における法界定印

 座禅と佛像の法界定印を調べていて、車の運転姿勢に考えが及び、ハンドルの握る形が車界定印であると思い至った。自動車メーカのテストドライバー資格の訓練では、ハンドルの操作方法が厳しく指導される。娑婆の自動車学校で指導する方法とは違うことを、この運転資格を取得するため訓練を受けたとき教えられた。

 この訓練では、ハンドルは2時と10時の位置に手を置き、ハンドルを軽く押さえつけるだけで、握り締めてはダメと教えられる。握り締めると、それに拘束されてスムースなハンドルさばきがしづらくなり、試験車評価試験で必要なスピーディなハンドル操作が出来ないからである。曲がる時は、ハンドルを送る感覚で、ハンドルに手を添えて曲がる操作をする。真っ直ぐな道では、ハンドルをそっと押さえて振れないようにするだけである。実に理にかなった説明である。

 

人生運転の操舵

 人生で、緊急事態の遭遇したとき、あるべきものを握り締めて放さないと、適切な行動が取れない。くだらないしがらみに囚われて、多大な損失を蒙ることもある。人生の曲がり角で、前の履歴を握り締めて、滑らかな方向転換に失敗した人は多い。人生の曲がり角を曲がり、新しい世界に方向展開する場合は、前の世界は捨てなければならない。それをきつく握り締めているから禍となる。ものに執着して手に入れても手放すことをしない人生とは、餓鬼道の人生。食べても食べても満足感がない。それでは人生を快走できない。

 座禅で印を崩すと痛い警策が肩に飛んでくる。車の運転で横着をすると痛い目の交通事故に遇う。人生道の王道は、法界定印を行じて走れ。平常心で人生道を歩め。法界定印を行じると、人生という自分の乗り物のコンプライアンス値が高まる。

 

図1 座禅の法界定印

図2 仏像の法界定印

図3 正しいハンドルの抑え方

図4 ハンドルを握り締めてはダメ

図5 間違ったハンドルの握り方

図5 恵峰先生の揮毫

 恵峰先生が岐阜で講演をされた時200名の聴衆の前で揮毫をされた。正に平常心での揮毫である。この書を翌日、贈って頂いた。感謝。岐阜にて。2013年3月27日

図6 恵峰先生書

 

2017-09-21

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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2017年8月 9日 (水)

1. 仏心大器に命を懸ける

 先日、松本明慶先生が総白檀の不動明王坐像(八丈大仏・約5m)を制作する過程を記録した『仏心大器』(NHK 2013年再放送)を見て感銘を受けた。その記録は、仕事とは何か、人生とは何か、を考えさせられた内容であった。明慶先生の手による目の彫りの工程で、図面も下書きもなしに、眼をノミで彫りにいく様は神業としか思えない。神業でも人間としての迷いを持ちながらの彫りの工程である。またそこにもドラマがあった「今日の自分は最高の自分ではないかもしれない」と、自分を超える自分に遭うため、日を改め、時を待つ姿がそこにあった。彩色師の長谷川智彩師が、不動明王座像の目に瞳を描き入れる時、不動明王座像を見つめる彼女の眼には凄みがあった。

 今まで不動明王像には、なにか近寄りがたいものを感じていた。しかしその眼差しは、怒りで慈悲を表していることを教えられた。その静かな怒りは上品なのである。その両方を表現するために、全神経を集中させている明慶師と長谷川智彩師の姿に感動である。

『仏心大器』(NHKオンデマンドでご覧ください。著作権の関係で画像が掲載できません。「不動明王座像 広島厳島 大願寺」で画像検索ください。

  大佛の寿命は千年、人の寿命はせいぜい百年である。それゆえ千年の間、人の評価に耐える大佛を作るために、佛師は命をかけて刀を入れる。松本明慶先生は、(技のレベルを上げるため、ミケランジェロが第二の師匠になるかもしれないが「それを学べるなら命に代えてもいい。(今回のピエタ見学を)絶対に無駄にはしません」とまで言いきる(NHKBSプレミアム 松本明慶ミケランジェロの街で仏を刻む『旅のチカラ』2013年)。人生の中で、一番多くの時間を費やすのが仕事である。人生において、命を賭けられる仕事に出逢えるのは、人生冥利に尽きる。それも生涯現役で働けられれば最高である。仕事は生活の糧を得る手段だけではない。

 

佛像彫刻の基本

「佛像彫刻をすると、皆さんはすぐお顔を彫りたがる。たとえば佛像彫刻で佛様の鼻を彫ろうと思ったら、まず回りを彫らないといけない。直接鼻を彫って高くしようと思ってもうまくいかない。周りを彫ると自然と、鼻が浮かび上がってくる。耳を彫る場合でも、周りを彫れば耳ができてくる。彫りたい箇所を直接攻めるのではなく、周りから彫っていく。口元を掘る場合も同じだ。これは根回し、段取りの仕事である。

松本工房の佛像は、概略のデザインを師匠が行い、細部は弟子が彫っていく。基本のお顔は師匠がすべて仕上げる。木の材料には、節や傷が必ずあるのでそれを避けて、材料取りのデザインを師匠が行う。これが難しい」(小久保館長)

  仕事でも避けなければならない難所、ポイントがある。それを見極めて、弟子に細部を任せていく。人生も仕事も同じだと納得した。佛様のお計らいで、いい話を聞かせてもらった。求めるモノを直接攻めても相手は逃げていく。周りから、そして自分の内面を充実させて取り組むのが人生の正道である。これからの人生の旅を歩くヒントを得た。

 

芸術に必要な総合力 ―― 仕事も同じ

 「佛像を彫るには彫刻の技量だけでは不十分で、仏教の知識、人体の知識等の総合知識力もないと、人に感動を与える本物は彫れない。なぜなら、佛様や布袋様などは架空の存在である。それを形にするには仏教の知識、人体の知識等の総合力が必要であるからである。時には密教の経典の知識も必要となる。

 高名な某彫刻家がいて、実在する(モデルのある)動物や人物では優れた作品を残している。しかし、架空の存在である大黒天や七福人の彫刻は形がなっていない。それは彼の彫刻の技術は卓越していても、基盤となる総合知識がないからだ。たとえば、彼の作った布袋さんの顔には品と知性がない。これではこの布袋さんに相談しに行く気が起こらない。また座っているこの像は、もし立ったらこの足の太さでは、体を支えきれない不自然な構成となっている」(松本明慶師)

 

 2つの写真集で作品を見比べると、その高名な彫刻家の布袋さんのお顔と松本明慶師の彫ったお顔には大きな差がある。その昔、人相学をかじったことがあり、その知識からみれば、その違いはすぐ理解できた。その昔、私はCNC研削盤の開発でNCソフト開発に携わった。その経験から、会計学のソフト開発でも、単にプログラミングの技量だけがあっても、使い物になるソフトはできない。会計学のソフト開発には会計学の知識と実務での総合知識が求めらる。それと同じことが、佛像彫刻の世界を始め、全ての仕事でこの基本は当てはまると、松本明慶師のお話を聞いて再確認した。

 

佛像の知識

・観音様の左手に持った蓮華の花の蕾が一枚だけ開きかかっている。これは悟りを開くこを象徴している。

・台座の上部にある葉形状のお皿は回転方向に波をうち、半径方向でも波を打たせて彫ってある。これには高度な彫刻技量が必要である。

・首の飾り、御頭から腕にふり下がる布を含め本体は一本彫りでできている。

首の飾りを彫るだけでも1週間はかかる。

・胸の飾りは、観音様の胸の上の空間を一本彫りで形作る。

・観音様の手は普通の人間より長い。人を救い包み込みために長いのです。

・西洋の彫刻は8頭身だが、佛像は10頭身である。

・佛像の身丈は白毫から足までの高さをいう。

 

日本の佛像彫刻伝統

 最近は安い労働力を武器に中国、東南アジア製の佛像が出回ってきていて、日本佛像彫刻界の脅威となっている。その大半は部品を別体で作っている。それに対して日本の本物は、本尊一本彫りである。各部の継ぎ足し修正は、佛師の恥である。これは西洋の大理石の彫刻でも言える。全て一体の大理石から彫られている。西洋でも修正のため部分の継ぎ足しをすると軽蔑される。

 観音様の見えない後ろ側の御頭の髪も、一本ずつ髪があるがごとく克明に彫刻してあった。松本明慶師は「松本工房の技術は世界一だ」と自負されていた。実物の技量と仏教の知識に裏づけられた彫像のありかたに納得させられ、心が洗われ、眼の保養になった。800年前の運慶・快慶の技術が、口伝により脈々と伝承されている。欧州の彫刻文化とは、一味もふた味も違う日本の佛像彫刻伝統に誇りを感じた。

 

人間技の素晴らしさ

 私は、前職の近直では情報システム関係、IT関係、三次元CAD関係、NC金型加工関係の開発業務を担当した。その前の工作機械関係のときは通産省の外部団体超先端加工システムプロジェクトの委託研究に従事して、エキシマレーザ用のセラミックミラーを研磨する5次元研削加工機を設計した。それですぐに悟ったのは、5次元加工機でこの佛像をNC加工することは不可能だ、である。展示してある佛像には、手の細かい細工をしても加工が困難な部位が無数にあり、物理的に5次元加工機の刃具を干渉させずに加工はできない。しかし、人の神業にして初めて可能なのだ。英語と日本語を少し学んだ経験から、自動翻訳がコンピュータでは無理(大雑把な訳は可能)なのと合い通じるものを感じた。人間の技と頭脳は、いくらコンピュータや機械が進化しても、次元の違う神秘的な素晴らしさがある。

 

明慶先生の言葉

私は歳のせいで視力が落ちて細かいところはよく見えない。

しかし、彫刻の時は、彫る場所の1点に集中させてそこを見るから見える。

周りまで全て見ようとするから見えないのだ

佛像は人の喜怒哀楽の心を受け止めてくれる器である。

大仏は人の心を受け止めてくれる大きな器である

佛師は美しい佛像を作る責務がある

人の寿命は80年、佛像(大佛)の寿命は1000年

時間に追われて焦るのは、自分が弱いからだ

 「佛像とは何か」を40年間余考えながら彫り続け、千年後まで残る作品を手がけている松本明慶先生の言葉には重みと凄みがある。

 

2017-08-09

久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

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