b-佛像彫刻・大佛師松本明慶 Feed

2017年8月 5日 (土)

増長天の教え

 静の広目天に対して、増長天は動の佛として造られている。増長天は、四天王の一体で、南方を護る守護神として造像される場合が多い。仏堂ではご本尊に向かって左手前に安置するのが原則である。その姿には様々な表現があり、日本では一般に、革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。

 佛の世界も、この世の中が全て善人であるとは定めていない。襲ってくる邪悪の存在も認め、それからご本尊の佛を守る四天王が考えられた。非武装中立などこの世にはありえない。あの世では存在するかもしれないが、此岸では自分の身は自分で守らねば、生きていけない。「自分の城は自分で守れ(石田退三)」。一番恐ろしい敵は、己の怠慢心、傲慢心である。己を滅ぼすのは己である。

 

 170年ぶりの中門の再興というご縁、高野山開山1200年という節目、佛師の技が最高に上り詰めたときに四天王造佛を依頼されたというご縁、年齢的なご縁(10年早くても、遅くても縁が結ばない)、全ての条件が整って松本明慶先生が造佛できるご縁となった。私もその縁の一端に接するご縁を頂いたことに感謝している。この世は全て縁起で回っていることを確認した四天王にまつわるご縁である。

 2015年10月8日、三度目の撮影でベストの写真ができた。何事も三度くらいの試行は必要である。

 

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久志能幾研究所 小田泰仙  HP: https://yukioodaii.wixsite.com/mysite

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

仏像の著作権は松本明慶師にあります。

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2017年8月 4日 (金)

書天王の教え

 高野山中門に立つ四天王像は、邪悪が聖地へ侵入するのを防ぐ守り佛である。その門をくぐると、上から睨む四天王の目に己の邪心を見透かされそうである。霊界入山前に、身体検査として睨んでもらうのも一修行である。自分の魂という聖地に入り込もうとする邪鬼を、四天王の目で精査しよう。

 四方向の一角を守る広目天は筆と巻物を持ち、入門するものを睨む。私は広目天を「書天王」と勝手に呼んでいる。人は書くことで、刀以上の武器を手に入れる。書かなければ身に付かない、覚えられない、人に伝えられない。筆で一文字一文字を写経として書いていくことで、般若心経が皮膚を通して体に沁み込んでいくのを感じる。腕力なき人でも、文書は自分を守り攻める武器となる。広い目で古今東西の世界を見て、人心物事の本質を見極める。その力が生きていく能力となる。

 動の姿で槍を持ち南方を護る増長天の守護神に対して、広目天は巻物(書類)で西方を護る守護神として造像されることが多い。仏堂内では、ご本尊に向かって左後方に安置するのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。筆と巻物を持った姿で作られる。

 

図1 松本明慶先生作  広目天  高野山  2015年10月8日撮影

 

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2017年8月 3日 (木)

開眼後の四天王像を拝観

 松下幸之助経営塾のOB会が、高野山開創1200年祭の期間中に高野山で開催されるご縁があり、2015年4月24日、開眼後の四天王像を撮影する目的も兼ねて泊り込みで高野山にでかけた。

 高野山では松下幸之助翁が定宿にしていた西禅院に宿泊した。住職さんのご挨拶後、「今なら、時間的に御本蔵の薬師如来様が拝めるので是非ご参拝と」との話しがあり、急遽予定を変更して、金堂の薬師如来座像(高村光雲作)を拝観した。80年前に建立されたが、秘仏として今まで誰も見たことがないとのこと。今回、高野山開創1200年を記念して、初めてご開帳となった。次のご開帳は何時になるか未定で、多分、50年後だろうという。現高野山管主でさえも見たことのない秘仏である。今回の拝観で、僧侶の皆様も涙を流して喜ばれたという。今回よきご縁に出会えて幸いであった。当然、写真撮影は禁止です。

 翌日、6時半からの朝の勤行にも参加をしてすがすがしい気持ちとなった。その前に、早朝の人気のない再建された中門で、開眼後の四天王像を拝観した。前回、納佛前に松本工房で見た四天王であるが、晴れ舞台の威容という感じで、素晴らしい迫力の四天王である。惜しむらくは、足下の邪鬼が、柵が邪魔してよく拝観できない。松本工房での撮影はよきご縁であった。

 

図1 西禅寺  

図2 再建された中門  高野山  2015年4月25日06:05 

図3 開眼した増長天(大佛師松本明慶作) 2015年4月25日

図3 開眼した広目天(大佛師松本明慶作) 2015年4月25日

 

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2017年8月 2日 (水)

平成の四天王像を彫る(2/2)

平成の増長天、広目天の創造

 明慶師は四方を守護する四天王像のそれぞれの役割に思いをめぐらせた。増長天が槍を持っているのは、邪悪なものから守るためだ。その象徴として胸の甲冑にトンボをあしらった。トンボは前にしか飛ばない。決して退却しないぞ、という強い意思を示した。広目天の胸にはセミをとまらせた。悪鬼や怨霊を排除する気迫の象徴として、お寺の鐘が遠くまで鳴り響くように、佛法の教えが響き渡るように、との象徴である。広目天は、広く見渡すのが役目だ。どこまでも声が届くセミによって存在感を示し、「全てを見ている」ことを表現した。いずれも、伝統的な四天王像にはなかった形態である。

 「強さを表す四天王の顔は、怒るだけではだめ。見つめられたら嘘をつけない。そう思わせる表情にしなければ」と。師は木の中にいる仏をいかに引き出すかに、心を砕いた。「開創1200年の節目に遭遇し、佛師として最も充実しているときに携わることができた。ご縁以外のなにものでもない」と師はその喜びを語る。

 完成した二体は精緻を極め、膨れ上がった腕の血管や鎧の形状などがリアルに表現された。「私としては最高の出来栄えになりました。今後千年以上、中門で耐えてくれるでしょう。高野山を守り続けてほしい」。明慶師は「平成の四天王像」を見上げながら願われた。 

己の邪鬼

 邪鬼とは己の醜い心の象徴である。邪鬼とは脇役で、主人公の天を見栄えよくするお役目がある。歌舞伎でも脇役がいて初めて主役が映える。人生舞台は主役ばかりでは、幕が上がらない。己が一人多役で処々の役割を演じて、人生劇場が移り行く。己が邪鬼のときもあれば、佛のときもある。人の心は諸行無常で流転する。己の醜い心があるからこそ、同居する美しい心が映える。人の心に陰影があってこそ、人格に深みが滲み出る。

 人生の四方の守りを固め、その姿を四天王の姿で象徴する。己の世界(国)を支えるため(持国天)、大きく成長し(増長天)、種々の眼を世界に向けて(広目天)、法を日に何回も聞き(多聞天)、佛の王国を護るため己の欲望という敵と闘う。時として頭をもたげる我儘な心(邪鬼)を己が足で踏みつけ、法と筆で己という佛を守る。その邪鬼も菩薩行として背中を差し出し、足場を供する佛に変身する。邪鬼としての邪心があるから、心の菩薩行が修行となる。邪心がなければ、最初から佛様であり、修行をする必要はない。欲望があるから人間なのだ。谷に落とされても欠けないものが「欲」である。欲を無くしては、生きる甲斐がない。人は生を受ければ、成長しようという欲を持つことだ。その欲を夢に昇華してこそ現世の佛である。

平成の邪鬼の創造

 その邪鬼を能舞台で主役を支える脇役として、明慶師は平成の邪鬼として「創造」した。その解釈の差は、江戸時代作の持国天と多聞天に踏んづけられた邪鬼の姿と対照すると興味深い(図6,7)。明慶師のアドバイスで、絶妙のポイントから邪鬼を撮影することができた。現在は高野山中門の柵の中に安置されているため、柵が邪魔してこのような写真は撮れない。良きご縁でした。(図4,5)

天は目で語る

 今回、松本明慶先生が製作された広目天、増長天は、目が素晴らしい。天の前に立つと、己を睨みつける目が飛び込んでくる。己の邪気に満ちた心を見透かすような恐ろしい目である。その目の中に佛の心を観る。江戸時代に製作された大佛は、目の視線が6m上で、真っ直ぐ正面を見ている目なので、その大佛の心が伝わりにくい。それが江戸の大佛と平成の大佛の大きな差である。拝観者を睨みつける目の姿勢に、明慶先生が創造した平成の大佛の付加価値がある。目の彩色は仏像彩色師の岩田明彩先生がされた。

己という敵

 高野山という一つの国の中門で、四天王が四方を護りで固めている。それを個人に当てはめる象徴として四天王がある。我を滅ぼすのは我である。己の退廃が、人生を台無しにし、自分の所属する国を滅亡に導く。己を護るのは己である。

 持国天とは国を支える、労働の姿の佛である。汗水たらして働いて税金を納めることで国を支える。それを親の脛をかじって遊びほうけたり、働けるのに生活保護を受けたりして、税金を納めないのは無賃乗車である。血の税金で建設したインフラ(道路、橋、空港、電気ガス水道、国の体制等)を無賃で使うというキセル行為である。年金生活者でも、働くことはボランティアでも道の掃除でも多くの方法がある。働かない後姿を子孫に見せるから、子供が堕落する。

 増長天とは成長する自分である。大きくならないと見えない世界がある。小さな世界に考えがとどまっていると、自己中心的な動物界の存在に陥る。目の前に見えている壁の向こう側を、成長して観えるようにしなければならない。体だけ大きくなっても、見識が高くないと、見えるものも見えない。小人(ことな)から大人(おとな)になる修行をつむことである。

 広目天とは、種々の眼を世界に向けて観る佛性である。佛性は己の中にある。その佛性でものを見るとは、目先に囚われず時間軸の長い目で観ることだ。一面だけで見ず多面的、全面的、広角的に見ることである。枝葉末節の囚われず、根本の本質を見ることだ。今のマスコミは、あまりに枝葉末節の事象を、針小棒大に書き立てる。日本のマスコミは増長天のようには成長していない。その広目天は筆と巻物をもって、人生の邪悪から自分を護っている。その武器は剣ではない。筆で書いたものが自分を守り、他の不正を明らかにする。筆で書いたものこそが、自分の生きた証である。それが最大の自己防御となり、自己実現の一つとなる。

 多聞天とは、世の中の法を何回も聞く仏のことだ。世の真理は法に書いてある。何時でも何処でも誰にでも通用することが「法」である。それを無視して行動するから、世の中で失敗する。人は忘却の天才である。だからこそ、大事な人生の「法」は耳にタコが出来るくらい何回も聞くことだ。多聞天は佛でありながら、何回も「法」を聞く姿を表している。佛でない人間なら、多聞天のその数十倍は聞かねばなるまい。四天王は護るための剣は持っていない。己を護るのは剣ではない。筆であり、法であり、成長であり、目である。

 

図1:広目天  松本明慶先生作。目は岩田明彩師の彩色

図2:増長天  松本明慶先生作。目は岩田明彩師の彩色。

        ピンポイントの拝観位置にて

図3、4:足元の邪鬼は脇役である。踏みつけられているのではない。

   脇役がしっかり主役を支えている。邪鬼はお役目に生き、目が活きている。

図5、6:修復された持国天と多聞天  江戸時代の作

図7:見る視点の差

 

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2017年8月 1日 (火)

平成の四天王像を彫る(1/2)

 松本明慶先生が作られた四天王が、来週にも高野山に納佛されるので、間近で拝観できるのは今しかないとのお話しが、三好輝行先生(福山市)からあり、松本工房(京都市大原野)に出かけた(2014年10月8日)。

 広目天と増長天が今回、新たに造佛された。広目天と増長天は江戸時代に焼失した大佛であるが、今回、高野山の中門が再興されるのを機に、明慶先生に造佛が依頼された。残存していた持国天と多聞天は江戸時代に製作された大佛であるが、傷みが激しいので松本工房で大修復の作業が行われて、仁王立ちの威容の姿が復活した。

 四天王とは、欲界の六欲天の中、初天をいい、この天に住む仏教における四尊の守護神をいう。この四天王が住む天を四王天ともいう。この天に住む者の身長は半由旬、寿命は500歳で、その一昼夜は人間界の50年に相当する。

持国天 - 東勝神洲を守護する。乾闥婆、毘舎遮を眷属とする。

増長天 - 南瞻部洲を守護する。鳩槃荼、薜茘多を眷属とする。

広目天 - 西牛貨洲を守護する。龍神、毘舎闍を眷属とする。

多聞天 - 北倶廬洲を守護する。毘沙門天とも呼ぶ。

中門再興のご縁

 高野山は、816年に空海が開いた真言密教の聖地である。壇上伽藍を中心とする宗教都市はユネスコ世界遺産でもあり、2015年4月には開創1200年を迎えた。その記念事業として計画されたのが、172年前に焼失した「中門」の再興である。「中門」は密教の聖域である「曼荼羅世界」への正門にあたる。その「中門」に四天王像を安置すべく制作者として松本明慶師に白羽の矢が立った。明慶師は「慶派」と称される平安時代から続く一派の継承者である。運慶や快慶などの流れを汲む、現代の仏像彫刻の第一人者である。

 今回の四天王像の修復・新進に際して、平成24年夏、高野山の高僧たちが松本明慶師宅を訪ね、両像の造立を依頼した。「先生しかしおりません。ぜひともお受けいただきたい」。修復・新造には、二年半あまりの歳月が費やされた。修復した二体は、持国天像と多聞天像で、中門が焼失した172年前の火災から奇跡的に救い出された。二体の修復に師は、「江戸時代の手法に従い、忠実に修復することを心がけました。作業中は常に、先達の仏師たちと語り合うような気持ちでいました」と語る。

天の創造の模索

 一方、増長天像と広目天像の二体は、明慶師が一から彫りあげた。「鎌倉時総の仏師・運慶の仏をどうやったら超えられるのか。依頼を受けてから悩み抜きました」。伝統の呪縛を打ち破るべく、明慶師はイタリアへ向かった。目的は、ミケランジェロの代表作「ピエタ」に向き合うこと。明慶師は、ミケランジェロが何を求め、何故、死の間際まで「ピエタ」を彫り続けたのかを探りたかった。明慶師は「ピエタ」を長年見たいと思っていたが、己の腕がミケランジェロのレベルに達するまでは、と我慢をして修行に励んでこられた。師はその「ピエタ」に対面して衝撃を受け1時間も身じろぎせずに双眼鏡で凝視を続けた。そして、自分は一何を目指して仏を彫るのか。イタリアでの自問自答を経て、ようやく二天像の構想が固まり、制作ヘ向かった。その経過はNHKBSプレミアム『旅のチカラ---ミケランジェロの街で佛を刻む松本明慶イタリア』に詳しい。四天王の復元、製作の過程を松本明華さんが会報『苦楽吉祥』に執筆されている。ご縁があり、私は松本明慶師と2010年に大垣の「ヤナゲン創業百年記念 松本明慶仏像彫刻展」で出会い、その9日後、定年退職記念旅行でローマに飛び、「ピエタ」に出会い衝撃を受けた。明慶師がローマに飛ぶ5年前である。

カエルの人生

 どんな四天王を作るべきなのか、「口は出さない。思う存分造ってほしい」が高野山側の答えだった。明慶師は、「飛鳥・天平以来、千数百年の伝統をもつ仏像製作の世界にあって、文化は進化していく」という持論を持たれる。「自らも現代の文化を担う一人」という気構えで製作にあたった。

 「カエルを彫るときはカエルの人生まで考えて彫る」というのが明慶師の心構えである。実際、松本工房でカエルを飼ってその生態を観察してまでして、カエルの彫刻をされる。竹の上で雄雌のカエルの求愛の姿を、もてる術を全て投入されて彫られた。右下の雄カエルが、左上の雌カエルを見つめる目が愛おしい。作品は一見、竹に見えるが、櫻の木の一木彫りである。お値段は小型乗用車一台分と同じである。(図5)

 

図2:バチカン サン・ピエトロ大聖堂  2010年11月10日

図3:ピエタ像  2010年11月10日 (撮影著者)

図4:高野山中門 開眼法要後  2015年4月25日_

図5:青竹に蛙  (櫻/薄彩色/総丈23cm)2015年5月11日

   宇都宮東武「大佛師松本明慶佛像彫刻展」パンフレットより 

 

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著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 仏像の著作権は松本明慶師にあります。

 

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2017年7月26日 (水)

虚空蔵菩薩と高野山四天王のご縁

 2014年9月21日、1年弱待った虚空蔵菩薩座像(桧、5寸)が自宅に納佛された。松本明慶先生に製作をお願いした時、「いま大事な仕事にかかっているので、彼岸過ぎまで待って欲しい」と言われた。虚空蔵菩薩は寅年生まれの守り佛である。今まで無事に生きてこられたのを感謝するのと、今後の守り佛として見守ってもらうため、明慶先生に製作をお願いした。

 明慶先生の大事な仕事とは、てっきり運慶の菩提寺、六波羅蜜寺に納める阿弥陀仏だと思っていたが、そうではなく高野山1200年開創記念事業で納める四天王の製作であった。自宅に納佛された日、三好眼科(福山市)の三好輝行先生ご家族が、大原野の松本工房で納仏前の四天王を拝観された。高野山の中門再興で、その中に安置されてしまうとじっくり見るのが難しいため松本工房に来られて拝観された。その拝観日が虚空蔵菩薩像の自宅納佛日と同じであったのも、ご縁でした。三好輝行先生からの連絡で、私も松本工房へ出かけるご縁を頂いた。

虚空蔵菩薩とは、

広大な宇宙の無限の智慧と慈悲を持った菩薩である。そのため智慧や知識、記憶といった面でのご利益をもたらす菩薩として信仰されている。「虚空蔵求聞持法」は、一定の作法に則って、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行を修した行者は、あらゆる経典を記憶し理解して忘れることが無いという。もともとは地蔵菩薩と虚空蔵菩薩が対になっていたと思われる。空海が室戸岬の洞窟御厨人窟に籠もって虚空蔵求聞持法を修したという伝説はよく知られている。日蓮もまた12歳の時、仏道を志すにあたって虚空蔵菩薩に21日間の祈願を行った。また、京都嵐山の法輪寺では、13歳になった少年少女が虚空蔵菩薩に智恵を授かりに行く十三詣りという行事が行われている。

忘れることは人間の徳性

 忘れない人とは、神であり、「人でなし」。1979年頃、私も仕事で悩みを持ち、人生に迷っていた。ある新興宗教の教祖著の『密教入門(求聞持聡明法)』(角川選書、絶版)を読み、それに嵌りかけたことがある。しかし物理的に凡人が、真言を百日間かけて百万回唱えるという修行が出来るわけがない。冷静に考えると、記憶を絶対に忘れないとは、人間でなくなることである。過去の嫌な失敗談を何時までも覚えていては、地獄である。今まで何回、嫌なことで死にたいと思ったことか。それが人間の特性として、忘れるから良いのであって、何時までも覚えていることは決して善ではない。

60にして、59の非を知る

 当時は天中殺も流行した時代である。この新興宗教の手法を盗用して、オウム真理教が勢力を拡大して、地下鉄サリン事件(1995年3月20日)を起こした。有名大学出の若者が堕ちていった。頭が良い人は、楽をして成功を手に入れたがる。人とは愚かな存在で、歳を取らないと己の愚かさに気がつかない。人は愚かな事をしてみて、初めて愚かな事をしてはダメと気づく。人は毎日が新しい過ちを犯す。だから毎日が新しい自分の発見の日である。人は60歳にして、59歳の非を知る、である。だから人は一生修行である。

日野原重明先生の佛性

 日野原重明先生(1911年10月4日生)が、2017年7月18日、延命治療も拒否され、105歳で現役のまま亡くなられた。ご冥福をお祈り申し上げます。氏は地下鉄サリン事件のとき聖路加国際病院でサリンに曝された患者の治療に奮闘された。氏は東京大空襲の際に満足な医療が出来なかった苦い経験から、過剰投資ではとの批判の嵐の中、大災害時など大量被災者発生時にも対応できる病棟として、広大なロビーや礼拝堂施設を備えた聖路加国際病院の新病棟を断固として建設した(1992年)。この備えは地下鉄サリン事件(1995年)の際に遺憾なく発揮され、通常の機能として広大すぎると非難されたロビー・礼拝堂施設は、緊急応急処置場として機能した。日野原院長の判断により、事件後直ちに当日の全外来受診を休診にして被害者を無制限に受け入れた。同病院は被害者治療の拠点となり、朝のラッシュ時に起きたテロ事件であったが、治療現場の混乱が最少に抑えられた。この時の顛末はNHKドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』に詳しい。

 氏はクリスチャンであるが、生年と生月から、氏の守り本尊は阿弥陀如来である。阿弥陀如来は一切の衆生を救うため48の誓いを立てた仏様である。氏の一生を見ると、まるで阿弥陀如来が乗り移ったような経歴である。宗教の本質と教えはどの宗教も同じで、生まれた国とその表現が違うだけである。製造物が消費者に一番近い場所で、現地生産されるのと同じことである。合掌。

 

十二支と生誕月による御守本尊

千手観音菩薩

 子年と12月生まれ。一切衆生を救うため、千の手と千の目を具足し、目と手はその慈悲と救済のはたらきの無量無辺なことを表す。一つの手で二十五有を救うとされる。観音様の中でも功徳が大きく、「蓮華王」と呼ばれることもあります。どんな美人も生まれて人生を謳歌しても、不美人に生まれて悲嘆に暮れても、死んでしまえば髑髏である。皮一枚の出来不出来が美人、不美人を分けるが、死んでしまえば同じ髑髏である。それを千手観音菩薩は髑髏を手で持って教えている。千手観音菩薩の下のほうにある手に持つものは、現実社会での道具を表し、上側にある手に持つものほど、佛に近い世界で使う道具を表している。莫大な財産を集めても死ぬときは裸で旅立つ。

虚空蔵菩薩

 丑・寅と1・2月生まれ。虚空蔵菩薩は計り知れない智慧と福徳を具え、衆生の諸願を成就させてくれる菩薩で、頭に寶冠、手に福徳の如意宝珠、智慧の宝剣を持つ。胎蔵界曼陀羅虚空蔵院の主尊である。

文殊菩薩

 卯年と3月生まれ。「文殊の知恵」と言われ、諸仏の智慧を司る菩薩。釈迦如来の左側に侍し、右手に知剣、左手に青蓮花を持つ。普遍の悟りと智慧をもたらす。獅子に乗っている。

普賢菩薩

 辰・巳年と4月生まれ。釈迦如来の右の脇侍。白像に乗り、理知、功徳、教化、衆生を生死の苦海から救い、悟りの境地(彼岸)に導くとされる。普賢とは「全てにわたって賢い者」という意味。「布施・特戒・忍辱・精進・禅定・智慧」の6つの力で迷える衆生を救うとされる。信仰する人を叱咤激励し、正しい道へと導いてくださる。尚、この菩薩の立てた十大願は一切の菩薩の行願の旗幟とされる。

勢至菩薩

 午年と6月生まれ。阿弥陀如来の脇侍。智力を象徴し、智慧の光をもって万物を照らし衆生の迷いを除き、無上力を得させ、苦を取り除く偉大な力を持つ菩薩で、悟りの境地に導いてくれる仏様です。

大日如来

 未・申年と7・8月生まれ。摩訶毘盧遮那仏。真言密教の教主で、宇宙の万物の智慧と慈悲の表徴。内は真如法界を照らし、外は一切衆生を照らす。一切の徳の総摂とされる。金剛を智法身、胎蔵を理法身とした二身を畢竟不離一体とする。

不動明王

 酉年と9月生まれ。五大明王、八大明王の一で、その主尊。種々の煩悩、障害を焼き払い、悪魔を降伏して行者を擁護し、菩提を成就させ長寿を得させるとされる。大火炎を背負い、右手に剣、左手に索を持つ。剣で衆生の煩悩を断ち切り、羂索で人を救い上げる。その目には怒りと慈しみがこもる。

阿弥陀如来

 亥・戌年と10月生まれ。一切の衆生を救うため48の誓いを立てた仏様。浄土宗、真宗の本尊で、無限の慈悲と永遠の存在と徳を与えられる。この仏を信じ、その名を唱えれば死後ただちに極楽浄土に生まれると言われる。

 

図1 松本明慶先生と三好輝行先生ご家族。 (写真は三好輝行先生提供)

   後は高野山に納佛予定の広目天・増長天像。松本工房にて(2014年9月21日)

図2 虚空蔵菩薩座像(桧、5寸) 松本明慶先生作

 

2017-07-25

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