文書道・テクニカルライティング Feed

2021年10月26日 (火)

大垣市の恥さらし、焼香順序が無知と同然

 

 葬儀で焼香者の順序を間違えると、極道の極みのように親戚から非難される。それと同じで、大垣市庁舎の上に掲げる垂れ幕の掲示順序を間違えると、世間から笑われる。それで特定企業への忖度を疑われる。

 今日(10月26日)、大垣市役所に所用があり、その非道さを掲示垂れ幕で発見した。その垂れ幕は上から下へ次のように並んでいた。

 西濃運輸

   ↓

 衆議員議員総選挙

   ↓

 人権尊重をめざす

 明らかに異常な並べ順序である。大垣市は、「西濃運輸様様、万歳。下々よ、この垂れ幕が目に入らぬか。ついでに衆議院議員総選挙もある、見ておけ」である。なぜ総選挙公示の垂れ幕が、西濃運輸宣伝より下なのだ? 世の常識として、一番大事なことは一番上に掲示なのだ。国政を馬鹿にすな!

 どこの世界に、市役所の役人が、その市の一番高い一等場所に、一企業の名を宣伝・誇示する看板を掲げるのか。狂っている。

 付け足しのように「人権を尊重するまちづくりすすめます」と垂れ幕を掲げるとは、「現在、大垣市は人権尊重がされていません」と、告白していること。人権尊重がなされていれば、こんな掲示などするはずがない。

 さらに言えば、やることはまりづくりではなく、人づくりである。これは役人の責任転嫁の言い回しである。大垣市は、元気ハツラツ市行事で児童生徒を36度の炎天下のコンクリート上演台で強制的に踊らせていたではないか。豊田市の児童が、課外授業で熱中症のため死亡したばかりの時である。大垣市の教育委員会の怠慢である。人権無視である。

 2020年1月の大垣市主催の無料餅つき大会で、老人が誤嚥で死んでも、主催者も大垣市も、知らんふりをしたではないか。命が最大の人権である。

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大垣市役所 垂れ幕 2021年10月26日

 横に経費が高い無用な駐車場警備員が1名立っている(写真外に1名)

 駐車場はがら空きで、駐車場警備員が2名である。

 

 この掲示順序を見て思ったのは、「西濃運輸関係の宣伝が、総選挙より大事だと大垣市の役人は思っている。大垣市の役人は西濃運輸にヨイショ(忖度)をしている」だ。

 大垣市は、西濃運輸の子会社から多くの土地を借り、その金が西濃運輸に流れている。現市長は、前回の選挙で西濃運輸に世話になったようだ。その昔、大垣市の役所の制服は、西濃運輸の制服そっくりであった。大垣市は西濃運輸にべったりなのだ。

 

前市長の恥

 同じ過ちを、前市長が、天皇陛下からの叙勲者を差し置いて、堂々とまるで自分が叙勲されたが如く中央に座して、岐阜新聞紙上の写真に納まっていて、世間に恥を晒した。大垣市の役人には、焼香順序のような順序の大事さも知らないという伝統があるようだ。

 

 

説明の順序、掲示の順序

 文章の記述順序や項目の説明順序には決まりがある。どんなものにも序列があり,それを間違えると社会的に非難されるのは,文章中の記述順序にも当てはまる。マニュアル,論文等で内容,装置等を説明する場合,下記順序で説明する。

 

・重要なものから

  役所として総選挙が一番大事な事項である。西濃運輸の項ではない。

・大きな物から

・ABC順,あいうえの順

・上から下へ

・右回り

・北から南,東から西

  北が上位。平安時代の「北面の武士」の起源は、武士の雇い主の貴族が北側にいて、用心棒の武士が南より北に面して貴族に接見していることから来たのが語源である。

 神社の神様は南向き。我々は北を向いて拝む。

 東が上位(東の正横綱,西の張出横綱)

 隋の陽が聖徳太子の「日出ずる国の太子,日沈むる国の王に・・・・」の手紙を読んで怒ったのも訳あり。

 

・年代順,歳の順

・既知の事実から未知の事柄へ

・確定した事例から未確定の事柄へ

 

 川端康成著『伊豆の踊り子』では,主人公の描写が上から下へ順序良く説明されている。説明が,袴から肩のカバンに飛んでいるのは、アクセントを付けたかったためと推定される。川端康成は英語に堪能であった。当時の文学者は英語が堪能であった。芥川龍之介、夏目漱石も英語が堪能であった。英語には論理性が求められる。彼らの各文学作品にも、その論理性が現れている。

 

文例)『伊豆の踊り子』       川端康成

 道がつづら折りになって,いよいよ天城峠に近づいたと思う頃,雨脚が杉の密林を白く染めながら,すさまじい速さで麓から私を追ってきた。

 私は二十歳,高等学校の制帽をかぶり,紺飛白の着物をはき,学生カバンをにかけていた。一人伊豆の旅に出てから四日目のことだった。修善寺温泉に一夜泊まり,湯ケ島温泉に二夜泊まり,そしてほお歯の高下駄で天城を登ってきたのだった。重なりあった・・・・・・・

 

2021-10-26  久志能幾研究所通信 2191   小田泰仙

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2021年6月28日 (月)

ワクチン接種報道の何故?なぜ?

 

 ワクチン接種の目的は何か。なぜ、その目的にあうアウトプットを報道しないのか。ワクチン接種率の推移は報道しても、肝心の目的であるコロナ感染率の低下の結果がなぜリンクして報道されないのか。

 

 一つのグラフには一つの伝達目的がある。その伝達目的が分かれば、ワクチン接種の意図が露見する。

 本来、ワクチン接種の推移と感染率の推移グラフを公開すべきである。それが全く報道されない。そこには隠れた意図がある。欧米から見れば、日本は非常事態を解除してもよいレベルなのだ。

 ワクチン接種の推移グラフから読み取れるのは、ワクチン接種の目的がワクチンの販売拡大であると推定される。来年度も変種のコロナ菌のため、新たにワクチンを接種せねばならぬ。その結果、ワクチンの売上高が上がり、製薬会社はウハウハである。それで欧米の開発したワクチン接種を推進したお役人の地位も安泰である。

 

ファクターX

 しかしそれは対処療法である。なぜ日本の感染率が低いのか、なぜ欧米の感染率が高いのか、その真因(ファクターX)を見つけないと、対処療法のドタバタばかりとなる。高血圧症に降圧剤を処方すると同じである。西村秀一氏(国立病院機構仙台医療センター ウイルスセンター長)は、その著書『もうだまされない 新型コロナの大誤解』(幻冬舎)で、欧米の3密の生活習慣がファクターXだと断定される。日本のコロナ感染が少ないのではなく、欧米が異常に多いのだと。

 欧米の開発したワクチン接種を推進するのは、心血を注いでイベルメクチンを開発した大村智博士の功績を踏みにじるものだ。ノーベル賞を創ったノーベルも草葉の陰で嘆いているだろう。

 

マスコミ報道

 以下の図は、中日新聞 2021年6月19日掲載のワクチン接種人数と接種率のグラフである。新聞報道が間違っているわけではない。しかし報道すべきことを報道せず、故意に読者の欲しい情報を隠しているのだ。騙されてはいけない。

 

 戦前のドイツでは天才的な洗脳演説で、ヒトラーは国民をユダヤ人が悪の根源だと信じ込ませ、ユダヤ人を迫害し、第二次世界大戦に人類を巻き込んだ。

 

 戦前の日本では満州がバラ色の天国だとの報道が広まり、それが日本の生命線だとして、大挙して中国に進出していった。そして中国との泥沼の戦争となり、太平洋戦争につながった。その景気の良い新聞報道(洗脳報道)を日本人は信じたのが間違いであった。

 戦後の朝日新聞は北朝鮮が天国だと報道して、多くの日本人が騙されて北朝鮮に渡った。朝日新聞には虚偽のDNAがあるから慰安婦誤報事件を起こしたのだ。

 戦後の日本も、中国が大消費地を宣伝されて、多くの日本企業が中国に進出していった。日本のマスコミは中国の悪口は決して報道しなかった。今でもウイグル族虐殺問題では、日本のマスコミは報道をしない場合が多い。欧米の報道が盛んになり、いやいや報道しているようだ。

 この世に真実はない。あるのは各人の価値観に基づいた解釈の違いだけである。だから日本のマスコミは自分の利益に反することは報道しない。

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2021-06-27   久志能幾研究所通信 2072  小田泰仙

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2021年6月 3日 (木)

良く死ぬために、やらないこと(4/6)情報管理

 

LINE、フェイスブックをやらない。

 LINEよりも毛筆の手紙を、せめて直筆の手紙を書く。

 フェイスブックより、フェイス・ツウ・フェイスを

 ネットの情報はゴミ。もっと本を読め。

 情報を取集するより、情報を発信せよ。

 

You Tubeを見ない

 短時間で見せるため断片的に扇情的に編集してある。

 大事な情報が抜けている。

 そればかり見ていると洗脳される。

 

雑誌・週刊誌の全てを読まない

 わずか500円の雑誌なのだ、読むべきは数ページしかない。

 自分のアワーレートは一分100円である。

 無駄なページを読むにも一分100円のコストがかかる。

 時間(命)は有限。

 

テレビは無駄

 1時間の番組内容は、10分間の読書量でかたが付く。

 食い物の宣伝で洗脳されてはならない。

 せめてテレビの音を消して、映像だけを見よう。それで7割の情報は得られる。

 

休まない

 仕事の疲れは仕事で取る。脳は新しいことに興味を抱く。

 

情報は分類しない。

 整理すれば、自動的に分類される。

 情報の5S(整理整頓清潔清掃躾)を

 

読みにくい本は読まない

 その著者に分かりやすく書く能力がない。

 そんなレベルの著者の本は読むだけ無駄。

 本は1冊1時間で読む。それで読めない本は、著者の出来が悪い。

 (小説、哲学書は除く)

英会話教室に行かない

 英会話などすぐできる。愛があれば言葉は不要。

 英会話教室は時間の無駄である。

 それより論理的に書く勉強が大事。

 コミュニケーションとは何かを考える。

 

人を説得しない

 人は説得するのは大好きだが、人から説得されるのは死ぬほど嫌い。

 だから説得よりも納得させる手段を考える。

 理が合っていても、信が無ければ説得できない。

 信があれば説得は不要。

 「あんたの言う事はさっぱり分からん。でも貴方が好きだから、命を預けよう」で多くの義士が西郷隆盛に命を捧げた。

 

図書館で本を借りない

 身銭を切って本を買うべし

 

新情報なき人と会わない

 縁ある人が情報を運んでくれる。

 情報を持ってくる人に倍返しのお礼をしよう。

 織田信長は桶狭間の戦いで、今川義元の居場所を知らせた間者に、最大の褒美を与えた。最大の武勲を挙げた者からは不平が出たが、信長は意に介していなかった。

 

イヤホンで音楽を聴かない

 イヤホンはどうしても大音量となる。それが難聴の原因となり、最終的に認知症になる。

 そんな時間があれば、静かに考える時間を作ること。

 

朝日、毎日、東京、中日新聞、岐阜新聞を読まない

 読めば洗脳される

 

 

2021-06-03   久志能幾研究所通信 2047 小田泰仙

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2021年4月27日 (火)

古新聞ガミをお宝に変える

 

 やっと時間の余裕ができてきたので、10年前に溜まっていたゴミ扱いの新聞ガミを整理して、「お宝」に変えた。

 新聞ガミとは、2006年~2014年の英字新聞(”International Herald Tribune” (週刊版), ”New York Times”(週刊版)である。読売新聞社や朝日新聞社発行の英字新聞でないところがミソである。

 英語を学ぶのに英字新聞を読めとよく言われるが、日本語を英訳した新聞ではダメである。日本の新聞社が発行する英字新聞は、日本人が書いた原稿を英訳した版で、日本語臭さがプンプンで、表現が英語らしくない。考え方も日本人の論点で記載されている。おかしな英語(日本語の候文のような)もよく使われている。

 だから私の英語の師である後藤悦夫先生からは、欧米で発行された英字新聞を読めと指導されてきた。その中でも、”International Herald Tribune” (週刊版), ”New York Times”(週刊版)がよいと推奨されていた。両紙は、印刷は両紙と提携している朝日新聞社が、日本で印刷するが、原稿はフランス、ニューヨークで書かれている。

 

英字新聞の利点

 後藤悦夫先生がこの新聞を推奨するワケは、英語の文体がテクニカルライティングの手法に則って書かれていて、英語の論理的な表現の勉強になるからだ。

 

 また欧米の新聞は、日本の新聞とは視点が全く違って、同じ事件でも記事内容が全く異なる。欧米社会の観点を学ぶだけで価値がある。欧米人は何方かというと、大局観から記事を書いている。日本の新聞は視野が狭い感じがする。

 日本の記事と比較すると、いかに日本のマスコミが偏向しているかが分かる。

 15年前の事件を今の眼で、当時の記事の論旨を俯瞰することは、ものの見方の勉強にもなる。

 

 また発行も1週間に1度なので、継続がしやすい、と当時は思った。しかし1週間に1度のことなのに、すぐ読んでない新聞が溜まってしまったことが度々であった。当時の己の仕事の進め方の不手際が、情けない有様であった。読んでない新聞が山積みに溜まっても、購読を中止せず8年間も続けたのは、我ながらエライ、と褒めてやりたい。当時、奈良のK市(人口12万人)に居住したが、その都市で、”International Herald Tribune”を購読していたのは、新聞販売店の話では、私だけだったという。

 

認知症防止

 今は時間がある。タイムカプセルのような記事が満載された昔の紙面は刺激的である。当時の新聞紙面には、オバマ大統領、湾岸戦争、シリア問題等が掲載されている。まさにタイムカプセルである。

 己のボケ防止に、英語の再勉強は良いと思う。バイリンガルは認知症になりにくいというデータもある近い将来、英語の本を出すのが私の夢である。そのための第一歩でもある。「千里の道も一歩から」を実行する。

 

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2021-04-27 久志能幾研究所通信 2001 小田泰仙

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2021年4月11日 (日)

キレよう (磨墨知132)

 

 正しい方向にキレるなら、物凄いエネルギーが発揮される。それで目標を短時間に達成できる。

 

 安易な妥協の人生を変えよう。ぬるま湯の人生を送る中で、たまには切れて、過度な反応をするのも良いものだ。きっと世界が変わる。自分の人生が変わる。そうすれば相手の人生も変わる。

 切れた民衆の怒りが社会を変えてきた。そうやって歴史は作られてきた。

 

 ただしキレて刃物を振り回してはいけません。私が切れると、テクニカルライティング手法を応用した切れる文書で、冷静に不届きものを切ります。論理的な推敲を重ねて文書を書いていくと、その過程で、その問題点が浮かび上がり、何が正しいかが見えてくる。

 

2021-04-11  久志能幾研究所通信 1984  小田泰仙

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2020年12月 4日 (金)

散弾活用「~したいと思います」と言わない  磨墨知111

 

 思うだけでは時間は創れないし、実行も出来ない。「~する」と決意を述べよう。

 「したい」と「思う」と動詞が二つもあると、テクニカルライティング上では冗長な表現とされ禁止表現である。だから、そういう言葉を発する人は、発言内容を実行しない。

 

大垣市長の散弾

 不誠実な政治家の常套文句は、「前向きに、できるだけ早く善処したいと思います」である。「前向く」「したい」「思う」の散弾活用で、言うことが、聴衆を惑わすように発散している。こんな言葉を言う政治家は信用できない。だからこの発言を常用した市長の小川敏は、大垣市を没落せた。

 2017年の台風による大垣市内大浸水で、大垣市連合自治会から排水機場の整備を求められた小川敏は、「県にも要望するなど、できるだけ浸水が起きないように対処したい。」と応じた。

 なぜ「すぐ整備します」「全力で整備します」と言えないのか。「できるだけ」とはそこそこにお茶を濁すということだ。「できるだけ」とは「できないことはやらない」と宣言したのだ。皆ができないと思っていることを実現するのが大政治家だ。

 

本物の政治家

 1960年代に活躍した松野幸泰知事は、伊勢湾台風で被害の出た岐阜県の治水事業で、国を動かし、堤防整備をして、治水を完備させた。それでこそ政治家である。

 

 松野幸泰氏は、穂積村議会議員、岐阜県議会議員、岐阜県議会議長を経て、1958年10月、岐阜県知事選に出馬し初当選。1966年まで2期8年務め、伊勢湾台風を教訓とした治山・治水等の安全な県土づくりに尽力した。

そのほか、“道路知事”とも呼ばれるほど道路整備等の産業・生活基盤の整備に重点を置いた県政発展の基盤づくりを進めて「町も村も豊かな岐阜県」を目指した長期ビジョンを策定した。その他、岐阜県庁舎の移転等を実現した。

 この項、Wikipediaより

 

大垣ルネッサンスの時代

 あと5か月で、小川敏の任期が終わり、新しい市長が選出される。それに期待したい。来年は大垣ルネッサンスの時代が到来する。

 出来ないと思われていることを実現することこそ、時間創造である。

 生活基盤の安全、治水は時間創造の基本である。

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 中日新聞 2017年11月9日

 

2020-12-04 久志能幾研究所通信 1850  小田泰仙

累積閲覧総数 229,421

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2020年11月10日 (火)

見学記 ハーバード大学付属美術館(FOG MUSEUN)

 

 ミシガン大学の美術館を見てさすがアメリカは遣ることが違うと感心していたが、ここの美術館を見て、さらにその驚きを驚愕に変更せざるを得なかった。

 ハーバード大学の敷地内にあるこのイタリア建築風の美術館は、日本の大きな美術館顔負けの内容と広さを持つ。またこの美術館は大学の芸術学部の建物でもあるので、ミージアムショップはおろか、図書館、教授室、研究室等も同居している。

 この美術館の圧巻である印象派の集めた部屋には、モネ、ピカソ、ゴッホ,ルノアール、マチス、セザンヌ、スラー等の絵画、彫刻が展示してあり壮観である。これと比べると、日本の大学はなんと貧乏なことか。経済大国と言いながらも、富の蓄積の差はこういった所で顕著に出るものだ。

 この美術品の多くは、この国のトップを形成するハーバード大学のOBによって寄付、産業界からの援助等で収集されたのであろう。その豊かな力を羨ましく思う。日本のエリートもこんな面にも力を注いでくれると、日本の面目が立つと思う。こう言った面の教養のないエリート集団は世界の恥である。またこの面での力を発揮できない内は、米国を追い抜いて名実共に世界一にはなれまい。

 歩き疲れた私は、この部屋の椅子で思わずうたた寝をしてしまった。イヤー贅沢。私は名画に出会うと眠たくなる。

 初稿 1994年8月7日

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ハーバード大学付属美術館

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500050020s  印象派の部屋

 

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 大学構内の白バイ

 

2020-11-10 久志能幾研究所通信 1819  小田泰仙

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2020年11月 4日 (水)

見学記 ボストン美術館

 

 

第4章 ボストン

                                   1994.08.07

 米国の京都といった趣のこの街は、各地に建国当時の歴史的建物が残る博物館みたいな古都である。また、ハーバード大学とMITがあるためか学生が多く、知的で落ちついたな雰囲気の都市でもある。かつお上りさんの観光客も多いので、安全でもある。ただし、ハーバード大学のあるケンブリッジは、若者の街らしく少々活気があり過ぎる。

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  ボストンの住宅街  1994年8月7日

 

⒋1 ボストン美術館

 

 米国の京都と言えるボストンにあるこの美術館は、この都市の雰囲気を反映して知的で上品な美術館である。内部で、写真を撮る人もほとんどいない珍しい美術館で、客層がお上りさんの少ない、通向けの美術館と言える。東洋美術、特に日本美術の収集で有名なためか日本の若いギャルが集団で見にきていて、日本も豊かになったものだと、変なところで実感させられる。美術館の外側に京都の中根金作氏の設計による日本庭園・天心園まで作ってあり、日本美術、東洋美術への思い入れは世界一だ。ただし日本庭園の背景風景が米国風(米国の風景なので当たり前)なのは少々違和感がないではない。

00050012s    図⒋1  美術館入口

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     日本庭園

 

中近東美術の部屋

 また中近東美術の部屋では、部屋の温度と湿度が特別に設定されており、ドアを開けて足を踏み入れるとムットする。こんな配慮をしてある美術館は今まで見たことがなく、そこまで気配りすることに感心した。私にとって、この暑さはノーサンキュウです。

 

エジプト文明の展示室

 エジプト文明の展示室では、展示の定石とおりミイラや柩の数体が展示してある。これは大英博物館で一室に100体近いミイラを棚に入れて展示するのに比べれば、常識的な配慮である。大英博物館のミイラ、柩の展示方法はクレージで死者への冒涜であり、白人の有色人種への蔑視でもある。

 

学芸員

 各部屋の警備員は学芸員といった雰囲気で、何か絵について質問すれば、たちどころに滔々とした説明をしてくれそうである。ワシントンの国立美術館のガードマンに徹している黒人の職員に比べると対照的である。

 ここのカフェテリァは新しく増築された入り口部の吹き抜け部にあり、2階の球面の天窓から差し込む明かりのため明るく、モダンな感じは最高。

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  図⒋2  中央部の吹き抜け

 

売国奴

 ここの日本美術のコレクションは素晴らしい。この美術館は、美術品を欧米の美術館に略奪されたエジプト、ギリシア、イラン等の国の心情を理解するのに役立つ点で高く評価されるべきだ。

 だれだ! こんな国宝級の絵画を毛唐に売り渡した没落大名は!

 英国の貴族が落ちぶれても尊敬されているのは、国の存亡に係わるいざという時には、先頭に立って戦う義務と責務を負っていているからだ。過去の戦争ではそうであった。事実として貴族の戦死率は平均より遙に高い。それくらい国に対するロイヤリティは高い。だから、そういう人種が国の利益に反することをするのは売国奴である。

 日本の貴族に相当する旧大名、華族がボストン美術館にある美術品を売り渡したので腹が立つ。しかるべき立場になると、それに比例した責任が発生するのは世の常識。こんな大名がいるようでは徳川幕府が潰れたのも無理がない。我々は後世の人から後ろ指を指されない生きざまをしたいものだ。

 

総括

 とはいえ、ここに展示されている日本美術を選別したアーネスト・フェノロサの眼識の高さには、舌を巻かざるをえない。この国宝級の美術品がここでしか観れないとは情けないことだ。最近(1994年当時)の名古屋ボストン美術館誘致問題で、余計この件がしゃくにさわるこの頃である。しかし人類の遺産保護のためには、かえって良かったのではという気にもさせられる複雑な心境である。

 2020年、現在でも、日本の文化芸術活動に対する政府が出す予算は低い。それも先進国中で最下位に近く、私は情けない思いを感じている。

 その縮図の大垣市も文化芸術活動に対する予算が極端に低く、大垣没落の一因となっている。小川敏のように文化芸術の理解のない市長が居座ると、その都市は没落する。

 

美的感覚

 企業活動においても、デザイン力、芸術力の有無が企業の成長に影響すると、アメリカの経営で注目されている。直接に金儲けばかり追求しても、限度があるようだ。私が企業や経営者、知人で注目するのは、その企業や人の行動が美しいかどうかである。それが私の評価基準のひとつである。私のモノをみる選眼の指標は間違っていなかったようだ。

 

2020-11-04 久志能幾研究所通信 1813  小田泰仙

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2020年9月29日 (火)

相手がどう思うか  磨墨知257-1

 

 自分の時間は何物にも代えがたいお宝だが、相手の時間の同じようにお宝である。だから何か行動をする場合、相手がどう思うかを第一に考えよう。相手の時間を大事にするから、自分の時間の価値が分かる。人は一人では生きていない。人と人の間で、コミュニケーションを取って生きるのが人間だ。そのコミュニケーション如何で、自分の人生を豊かにも貧しくもなる。

 

孤独と孤立

 その大事なコミュニケーションが取れない人は、人であっても人間でない。そういう人とは距離を置いて付き合わざるを得ない。そういう人との付き合いは、己が組織の長なら、然るべき対応をして規範を示さないと、組織が壊れてしまう。

 人間はコミュニケーションを取りたくないなら、孤独で過ごせばよい。しかし人間なら、孤独でも孤立してはならない。しかしコミュニケーションが取れない人は孤立する。最近はそういう人が増えて閉口である。

 

「相手がどう思うか」以前の問題

 わが町内でも、町内の共通の利益のために行う工事(用水路の清掃)に、自分のエゴを出して、協力を拒否する偏屈者が跋扈している。話しても問答無用では、コミュニケーションが取れない。「相手がどう思うか」とはそれ以前の問題である。理論と現実は乖離である。

 

正義の味方

 客観的に正しいこととされることと、人がどう受け止めるかは別問題である。正義に囚われると、人は悪魔になる。その正義が正しいかどうかは、神でも分からない。時代が変われば価値観も変わる。宗教が変われば、全く別世界になる。他人には他人の価値観がある。それに思い至らないのは、思慮が足りない未熟者である。ましてや、海外で仕事をしようとするなら尚更である。

 価値観が違っても、「人間」ならコミュニケーションは取れる。それが取れない「人」は、エイリアンであるので、付き合う必要は無かろう。そっと己が身を引けばよいのだ。君子危うきに近寄らず。

 

プロジェクトは時間の塊

 小さい時間は自分だけの世界で作れるが、大きな時間を造るには他人の協力なしには、大きな時間は作れない。あるプロジェクトを推進するとは、大きな時間を造るのだ。

 例えば、日本の新幹線プロジェクトでは、日本列島を小さくして、日本国内の移動時間を削減して、我々に大きな時間を与えた。しかしそのプロジェクトの推進でも、相手がどう受け止めるかを考えてコミュニケーションを取らないと、大きなしっぺ返しを受ける。

 

業務改革

 私も前職の会社で、業務改革の推進リーダとして苦労をした。ある業務改革案で、各部の部長から、総論賛成、各論反対に遭遇して、苦渋を味わった。それは大きな時間ロスを生む。だから正論ばかりでは、埒が明かない。業務改革は正論と権力で押し通すしかない。

 その状態で相手の状態を考えては、業務改革は進まない。考えるべき相手は、市場の動向である。業務改革で、その権力がないと惨めである。救いは正義の御旗でしかない。そのジレンマで私は悩んだ。改革は相手がどう思うかではなく、天がどう思うかである。天とは市場である。改革は、自分と天を信じて進めるしかない。改革をしないと、属する組織(会社)が、他社との競争に負けて、倒産してしまう。己も失業してしまう。その改革が遅れて、私の属する会社は市場から消えた。

 

振り返り

 それから20年経って当時を振り返ると、成果はともかく、自分を信じて邁進した当時の自分を褒めてあげたい。今も私はそのエネルギーを温存している。身の回りで問題があり、それを解決しようという気力が無くなれば、生きている価値がない。その気力を持ち続けることが、青春である。

 

社会の敵

 人生は綺麗ごとばかりではない。聖人の人生論でも、戦う時は闘わねばならぬ。平和時は正義を貫けばよい。しかし戦争になれば、聖人でさえも、真面目に人殺しをせねばならぬ。国を守らねばならぬ。そうしないと銃後の老いた親、妻子が敵に殺され、国が亡ぶ。

 お釈迦様は押し寄せる敵に3度素手で説いて追い返したが、4度目に敵はお釈迦様の部族を滅ぼした。それでお釈迦様は出家された。

 その相手が社会的なオイタをしたのなら、正しい糾弾をすべきである。手心を加える必要はない。その場合は「相手が思う」以上の非難をすること。相手は社会的に非常識で、厚顔無比の行いをしたのだから、罰を受けるのだ。そうしないと社会が迷惑を受ける。そうしないと社会の秩序がなくなり道徳が崩壊する。現代日本はその崩壊の兆しがあり、私はその警鐘を鳴らしている。

 

2020-09-29 久志能幾研究所通信 1765  小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2020年9月10日 (木)

磨墨知331 ドラエモンを演じよう

 ドラエモンのように、どこでもドアの精神で人生を突撃しよう。運命のドアのカギは相手ではなく、自分が持っている。それに気が付くのが、悟りである。迷って百年、悟って一日である。迷い人との「差」を取るから、サトリである。人の付加価値とは平均からの差である。

 貯めこむ役者でなく、与える役者を演じよう。そこから縁が生まれる。縁には時間という利子がついてくる。

 私はドラエモン精神で、オダエモン(ODAエモン?)を演じている。ODAとは政府開発援助機構の頭文字である。だから名前のように援助しなくてはならぬ。

 

テクニカルライティングとのご縁

 私はテクニカルライティングを篠田義明教授から学んでいるうち、本場のミシガン大学のテクニカルライティングセミナーに行きたくなった。しかし行けるのは科学工業英語検定試験1級合格者だけだと思い込んでいた。知り合った後藤悦夫先生から、行く意思と金さえあれば(費用100万円)、誰でも受講可能であると分かりその気になった。残った問題は、会社で1週間の休暇の許可を得ることだけであった。それは簡単に解決した。それで私はこのプロジェクトのドアを開けて、科学工業英語のドラエモンになった。

 そのご縁で科学工業英語検定試験1級も獲得できた。当時、この検定試験制度が始まって17年目で、通算389番目であった。この試験は全国で年に5人くらいしか合格しない難問であった。43年たった現在でも、累計合格者は600人くらいしかいない。いくらTOEIC900点の英語達人でも、論理性がないと合格しない。

 私は3年の苦節でやっと合格できた。時に47歳である。当時、もう歳で記憶力が低下だなんて言っていられなかった。一回目は自費だが、2回目のミシガン大学セミナー参加は、会社からのご褒美として出張として行けた。それもその3年前にドラエモン精神でドアをこじ開けた結果である。

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 ミシガン大学ケンブリッジハウス(寄宿舎)。

一週間宿泊した。 1994年7月30日撮影

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 馬場恵峰書

 

2020-09-08 久志能幾研究所通信 1742  小田泰仙

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