見学記 ボストン美術館
第4章 ボストン
1994.08.07 記
米国の京都といった趣のこの街は、各地に建国当時の歴史的建物が残る博物館みたいな古都である。また、ハーバード大学とMITがあるためか学生が多く、知的で落ちついたな雰囲気の都市でもある。かつお上りさんの観光客も多いので、安全でもある。ただし、ハーバード大学のあるケンブリッジは、若者の街らしく少々活気があり過ぎる。
ボストンの住宅街 1994年8月7日
⒋1 ボストン美術館
米国の京都と言えるボストンにあるこの美術館は、この都市の雰囲気を反映して知的で上品な美術館である。内部で、写真を撮る人もほとんどいない珍しい美術館で、客層がお上りさんの少ない、通向けの美術館と言える。東洋美術、特に日本美術の収集で有名なためか日本の若いギャルが集団で見にきていて、日本も豊かになったものだと、変なところで実感させられる。美術館の外側に京都の中根金作氏の設計による日本庭園・天心園まで作ってあり、日本美術、東洋美術への思い入れは世界一だ。ただし日本庭園の背景風景が米国風(米国の風景なので当たり前)なのは少々違和感がないではない。
日本庭園
中近東美術の部屋
また中近東美術の部屋では、部屋の温度と湿度が特別に設定されており、ドアを開けて足を踏み入れるとムットする。こんな配慮をしてある美術館は今まで見たことがなく、そこまで気配りすることに感心した。私にとって、この暑さはノーサンキュウです。
エジプト文明の展示室
エジプト文明の展示室では、展示の定石とおりミイラや柩の数体が展示してある。これは大英博物館で一室に100体近いミイラを棚に入れて展示するのに比べれば、常識的な配慮である。大英博物館のミイラ、柩の展示方法はクレージで死者への冒涜であり、白人の有色人種への蔑視でもある。
学芸員
各部屋の警備員は学芸員といった雰囲気で、何か絵について質問すれば、たちどころに滔々とした説明をしてくれそうである。ワシントンの国立美術館のガードマンに徹している黒人の職員に比べると対照的である。
ここのカフェテリァは新しく増築された入り口部の吹き抜け部にあり、2階の球面の天窓から差し込む明かりのため明るく、モダンな感じは最高。
図⒋2 中央部の吹き抜け
売国奴
ここの日本美術のコレクションは素晴らしい。この美術館は、美術品を欧米の美術館に略奪されたエジプト、ギリシア、イラン等の国の心情を理解するのに役立つ点で高く評価されるべきだ。
だれだ! こんな国宝級の絵画を毛唐に売り渡した没落大名は!
英国の貴族が落ちぶれても尊敬されているのは、国の存亡に係わるいざという時には、先頭に立って戦う義務と責務を負っていているからだ。過去の戦争ではそうであった。事実として貴族の戦死率は平均より遙に高い。それくらい国に対するロイヤリティは高い。だから、そういう人種が国の利益に反することをするのは売国奴である。
日本の貴族に相当する旧大名、華族がボストン美術館にある美術品を売り渡したので腹が立つ。しかるべき立場になると、それに比例した責任が発生するのは世の常識。こんな大名がいるようでは徳川幕府が潰れたのも無理がない。我々は後世の人から後ろ指を指されない生きざまをしたいものだ。
総括
とはいえ、ここに展示されている日本美術を選別したアーネスト・フェノロサの眼識の高さには、舌を巻かざるをえない。この国宝級の美術品がここでしか観れないとは情けないことだ。最近(1994年当時)の名古屋ボストン美術館誘致問題で、余計この件がしゃくにさわるこの頃である。しかし人類の遺産保護のためには、かえって良かったのではという気にもさせられる複雑な心境である。
2020年、現在でも、日本の文化芸術活動に対する政府が出す予算は低い。それも先進国中で最下位に近く、私は情けない思いを感じている。
その縮図の大垣市も文化芸術活動に対する予算が極端に低く、大垣没落の一因となっている。小川敏のように文化芸術の理解のない市長が居座ると、その都市は没落する。
美的感覚
企業活動においても、デザイン力、芸術力の有無が企業の成長に影響すると、アメリカの経営で注目されている。直接に金儲けばかり追求しても、限度があるようだ。私が企業や経営者、知人で注目するのは、その企業や人の行動が美しいかどうかである。それが私の評価基準のひとつである。私のモノをみる選眼の指標は間違っていなかったようだ。
2020-11-04 久志能幾研究所通信 1813 小田泰仙
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