2022年5月 5日 (木)

ガンになったことに感謝

 

 2018年12月25日に河村義子先生ががんで亡くなり、私はそれで胸騒ぎを覚え、2019年1月初にがんの検診を受けた。それで私にガンが見つかり、愛知県がんセンターで2月12日に手術を受けた。自覚症状がなかったため、発見が遅れ、手遅れ寸前であった。手遅れ前に見つかり、仏様に感謝である。

 

 宇宙根源の原則では、宇宙の中はプラス・マイナスでゼロである。マイナスが大きければ、プラスも大きい。今回、癌になって人生の大きなマイナスを受けた。しかしそれに応じた大きな恩恵を受けて、今はがんになったことを感謝である。

 

がんになって命(時間)の有限性を再認識

 がんの自覚症状がなく、発見されたときは、ステージが進んでいて、余命宣告までされた。5年後の生存率は51.3%で、同じ病状の人の半分が死ぬ状態であった。

それでいつまでもあると持っていた命の有限性を再確認させられた。時間の大切さは常々意識していたが、それが更に強固になった。

 

自分の人生を考え直す時間

 愛知がんセンターの病室で、約1か月間、静かに考える時間を持てたことは、長い人生で良いことであった。病室はテレビも完備であったが、一度も電源を入れなかった。ひたすら読書をして過ごした。娑婆に居ると、回りの雑音に迷わされて、静かに考えることが少ない。

 

 弾の飛びかう生死の境の戦地では、俗世間のスキャンダルにも関心が向かない。窓の外からの眺めで、目の前には天白区の広大な墓地が広がっている。考えてしまう。

 

 がんになったため、人生の後始末も事前に出来て良かったと思う。戒名の拝受、葬儀の段取り、葬儀のお金の支払い、戒名の墓誌への刻字も済ませた。さあ後は死ぬだけとなると、覚悟が出来る。人は生れ、成長し、老い、病気になって死んでいく。それだけである。それ以外に、自分のやってきたことを残せれば、万々歳である。

 

回りの人の人格の真贋が露見

 がんになって周りの人の対応で、その人間性が露見して、人間観察の良き経験をした。その後の付き合い方を考え直すことが出来て、今後の人生を有意義に過ごせそうだ。そのため無為な付き合いをしなくてよい。

 それで縁を切った親戚や仲間もいる。人さまざまな対応に、人間模様を見るようで、よき人間観察の勉強になった。

 

 人は何になるために生きているか。人は「人に成る」ために生きて精進をしている。成人式とは「人」に成ったお祝いである。しかしそれは単に物理的に18歳になったから、「成人」というだけで、人間として、本当の「人」に成ったのではない。それが人の生死の境目の対応でその真偽が露見する。

 

 がんになり生死をさ迷い、入院生活をがんセンターで過ごすとは、人生の戦争なのだ。戦争の時、助けてくれなかったら、敵である。それは渡部昇一先生の言葉だ。 

 

地獄はあの世ではなく此の世にあり

 私はがんになっても、「ああこの人体部分が故障してしまった」と考えて、そんなにも焦ることはなかった。しかし故障なら、その対処と、その原因と再発防止をすればよい。その過程で日本のがんの実態を調べることが出来たのは幸いだった。自分が当事者にならないと、そこまで真剣にがんの研究をしなかっただろう。

 

 ある意味、地獄を見ることになったが、冷静に周りを見て、地獄とはあの世ではなく、この世の状況にパニックになることだと再確認した。

 30年前、母が脳梗塞になり、20年前、父がガンになり、その時の対応で地獄を見た。自分が癌になり、以前に地獄をみてきたので、今回はそれを正視して冷静であった。両親がそれを教えてくれたようだ。

 

狂った食生活、狂った生活習慣

 癌になった原因を調査して、その原因が、「狂った食生活、狂った生活習慣」であることを、南雲吉則先生と船戸先生から教えてもらった。原因が分かれば、対策は容易である。がんにならなければ、心筋梗塞、脳梗塞や別の病気でもっと早く死んでいたと思う。ガンになり、がんを研究することで、健康管理を見直して、長生きをできそうだ。

 今までのがん対策が、対処療法ばかりであって、日本人のガンが増加している原因だと確信した。もっと早くわかっていれば、父をがんで無くすことはなかったのにと、後悔である。

 その対処療法で、金儲けをしている軍団を知ることができた。日本人の劣化を見た。それは日本人社会の劣化を示す指標であった。

 

病院の真偽が露見した

 がんになって、がんの標準治療しかしない病院と真因を探してその対策をする病院の差を発見した。良き知見ができてよかった。

 対処療法で、逆に命を縮める抗がん剤治療を、担当医師と喧嘩別れをしてまで拒否をした。医師からは「抗がん剤治療をしないと命の保証はしない」と言われたが、よく拒否をしたと自分を褒めてやりたい。

 唯々諾々と医師の言うままにならない自分を発見して、良かったと思う。それも父の手術で、医師の言うまま決断した失敗があってのこと。亡き父が私の命を救ってくれた。

 

Img_63871s 馬場恵峰書

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2022-05-04 久志能幾研究所通信 2378号  小田泰仙

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2022年5月 4日 (水)

「嫁いびり」をマスコミは正しく伝えない

 

 知人が新車を注文した。しかしその新車の納入は、9か月後とのこと。車種によっては1年以上の納車待ちという。何でも部品の納入が間に合わないので、車が生産できないとのこと。納期遅れは、電子部品の不足だけではない。海外からの部品が全般的に手に入らないようだ。

 

経済破綻

 C国では新型コロナ対策のための都市閉鎖で経済・生産活動が止っている。新聞では電子部品の不足だけを報じているが、実際はその他の企業の生産も止っている。

 C国に進出している企業への影響を考えて、悪い情報は流さないという媚中派マスコミの仕業である。

 真実を伝えると、C国への投資にも、株価への影響もあるから故意に情報操作をしている。C国の悪い情報だけは、オブラートに包んでしか流さないマスコミを信じてならない。日本経済新聞でさえ、オブラートに包んで報道している。それだけを信じては、身の破滅である。

 

嫁姑問題

 常識として、例えば嫁姑問題でさんざん「嫁いびり」をしてきた姑に、なんで媚びを売らねばならぬのか。それと同じことをしてきたC国に、媚びを売るマスコミのオツムが分からない。C国が広大な市場と思っているのは、オツムがお花畑状態なのだ。C国は、オリジナルを輸入して、後はコピーを大量生産するので、その時は日本の出番はない。姑(C国)は常識がないのだ。姑には、知的財産権を守るモラルはない。

 C国は、日本に数多くの核ミサイルを向けている現実を知ろう。要は、姑は実家の両親の心臓を一突きできる匕首を懐に忍ばせているのだ。

 

嫁いびり

 折角、嫁入り先(C国)に嫁いだのに、日本企業は「嫁いびり」を受けているようものだ。稼いで実家に金を送りたくても、送金禁止で、その国に再投資で使うしかない。

 嫁が現地でいくら稼いでも、小姑(共産党幹部)が裏でカネを胡麻化して、会社を食い物にしてしまう。嫁の立場は弱いのだ。

 実家がC国に反発すると、嫁が強烈な「嫁いびり」を受け、工場やお店の焼き討ちなどをされる。過去の恩義など知ったことではない。レアメタルの輸出禁止で、攻めてくる。不審な行動を取れば、言いがかりをつけスパイ容疑で逮捕である。日本の外務省など無責任で知らんぷりである。外務省は強烈な姑が怖いのだ。

 

スパイ容疑で逮捕

 毎日、無実の罪で日本人商社員がスパイ容疑で逮捕されている。日本がC国のスパイをする必然性がない。その逆はあっても、だ。その異常さにもマスコミはダンマリである。まるで嘘を夫に言う根性の腐った姑である。外務省も弱腰で何も動かない。マスコミがそれを報道すれば、そのマスコミが姑(C国)から追放されるので、怖いのだ。C国から追放されたマスコミがまともなのだ。

 

嫁いびり

 毎日、姑が夫に告げ口をして嫁のダメさ加減を言っている(学生に反日教育をして洗脳教育)。何かあると、C国進出の企業や日本店を焼き討ちする共産国家と仲良くしよとするのは、毎日刃物をもって家の回りをうろうろするヤクザと仲良くするようなもの。C国を厚顔無恥に賞賛する報道陣に冷静な目を向けよう。

 

ウクライナ侵攻

 ウクライナとロシアの関係は、日本とC国の関係と同じなのだ。明日は日本がウクライナと同じ運命かもしれない。尖閣諸島も沖縄も危ない。ロシアさえ、日本に核ミサイルを数多く向けている。ロシアは北海道を狙っている。刃物(核)をもった狂人は何をするか分からない。

  正しい情報を得て、自分の頭で考えることが、日本を守る。ウクライナが侵攻されたのは、憲法9条がなかったためではない。ロシアを防ぐ核兵器を放棄したためだ。ウクライナを4か国が守ってくれるとういう協定を信じた愚かさが侵攻された原因である。その中のアメリカは、武器輸出の暴利でウハウハである。

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2022-05-03 久志能幾研究所通信 2377号  小田泰仙

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2022年5月 2日 (月)

良く死ぬために、毎日を立食パーティで

 

 一日中、座りぱなしは、煙草を毎日数本吸うと同じくらい健康に悪い。それを知って、毎日、立って食べることにした。普通の立食パーティなら1~2時間は立ちずめである。それを思えば、食事の20分ほどを立って食べても苦にならない。

 

 立っていると頭の活性化になるようで、色んな事やアディアが湧いてくる。その思い出に家族やご先祖や恩師との会話がある。座って黙々と食べるより、頭が活性化するようだ。この数日、試しに立って食べても問題がなかったので、立食用のテーブルをやまじ工房の山路先生に製作してもらうことにした。

 

 体をよく使わないと、病気で苦しんで死ぬことになる。よく働き、体を使って生きれば、長生きすれば、枯れるように、苦しまずに死ねる。

 しかし若くして死ぬと、生木を割くように苦しむのだ。

 良く死ぬために、毎日を立食パーティをして、立って仕事をばりばりこなして、足腰を鍛えよう。

 そうしないと足腰が弱り、挙句に寝たきりになり、体中にチューブを入れられ、病院の金ヅルになってしまう。その結果が年間の医療費が40年前の4倍の42兆円越えである。

 

 

座らない

 長時間座り続けると知らぬ間に健康を損ないます。いわば「座り病」で、座った途端、足の筋肉で電気的活動がストップします。消費カロリーは1分当り1キロカロリーに低下し、脂肪燃焼を促す酵素の生産は90%減少します。

 2時間座ると、善玉コレステロールが20%減ります。

 デスクワーク中心の人は、心臓病を患いやすい。立ち仕事の人に比べて、心血管疾患の発生リスクは2倍になります。

         トム・ラス著『座らない』 新潮社  より

 

「座りっぱなし」3時間で余命が1時間縮む

 オーストラリアで25歳以上の男女8800人を対象にテレビの視聴時間とその後の死亡リスクを6.6年にわたり追跡調査した研究(*1)では、テレビを1日4時間以上見ている人は、1日2時間未満の人よりも総死亡リスク(あらゆる原因による死亡のリスク)が1.46倍高かった(図1)。心血管疾患(心筋梗塞や脳卒中)による死亡リスクに限ると、1.8倍にも増加していた。

 

 1日に4時間以上テレビを見ている人は、2時間未満の人に比べて死亡リスクが46%上昇していた。(出典:Circulation. 2010 Jan 26;121(3):384-91.)

 

 「このデータを基にした別の分析からは、『座りっぱなし』でテレビを1時間視聴するごとに平均余命が22分短くなるという結果(*2)も出ています。単純に計算すると、1日3時間テレビを見ていれば、1日1時間ずつ余命が短くなるということです」。岡さんはそう警告する。

*1 Dunstan DW, et al. Circulation. 2010 Jan 26;121(3):384-91.

*2 Veerman JL, et al. Br J Sports Med. 2012 Oct;46(13):927-30.

 日経Gooday より

https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/20/051100014/051400002/

 

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馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

  

2022-05-02 久志能幾研究所通信 2376号  小田泰仙

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2022年5月 1日 (日)

後悔 父を死刑台のエスカレータに乗せた

 

 2001年、大垣のM病院から電話がかかってきて、父の病気の件で来て来院してほしいという。慌てて病院に行くと、父に胃癌が見つかって、その治療についての説明であった。

 M院長は、「貴方のお父さんは85歳だがまだ体力もあるから、切れば治る」と保証した。M院長がそういうならと大垣市民病院で手術をすることが決まった。

 当時の私は、それを信じるしか知識も判断力も無かった。親戚からの懇願で、父にがんを告知できなかった。告知は可哀そうだ、という。

 今にして、告知しなかったのは間違いであったと後悔している。

 

 手術は成功したが、手術後、トレイに乗せられた全適の血まみれの胃を見せられて、すぐ手術に同意したことに後悔した。それが間違った判断であったことを瞬時に悟った。それでも何とか退院できて、半年ほど、父は平常な生活に戻れた。

 

 手術から半年後、定期検診で父に肝臓への転移が見つかった。肝臓のレントゲン写真を見せられて、素人でも手の施しようがないと判断できた。それで今後の手術や抗がん剤治療を拒否した。

 そうしたら病院側はやることがないので、「じゃあご勝手に。治療をしないなら、病院を出て行け」を宣告された。健康保険上の制度で、治療を行わないなら、病院に長期の滞在は、法律で出来ないとのこと。家族には冷酷な扱いである。病身の父を抱えて路頭に迷ってしまった。

 

 それから緩和治療をしてくれる病院を大騒ぎで探して、なんとか入院先を見付けた。

 父はそれから半年後に亡くなった。もし胃がんの手術で全摘をしなければ、手術で苦しめることもなく、もっと長生きできたはずと後悔であるが、後の祭りである。

 

 浴風会病院の剖検では、85歳を過ぎた人は、全員ガンがあるという(和田秀樹院長)。80歳を過ぎたら、手術をしない方が、長生きできると和田先生は言う。(和田秀樹著『80歳の壁』幻冬舎)

 

 現代医学は、対処療法の治療しかしない。癌が見つかれば、摘出、その後に抗がん剤治療である。それが工場ラインのように、それが標準治療工程として決まっている。大病院の医師もその標準工程から外れることが許されないようだ。

 

 それは死刑台のエスカレータである。それをすれば、ガンの再発は必至で、死への直行エスカレータである。抗がん剤治療では、ガン部だけでなく、正常な部位も痛めるので、免疫力が低下して、肺炎等で早く死ぬ。癌患者はガンでは死なない。免疫力が低下して、肺炎等の炎症を抑えられないのが死因である。

 

 ガンになった真因を見付けず、対処療法で幹部だけ取り除くだけだから、ガンも生きるために他の部分に転移をする。その再発防止の対策を医師は指導してくれない。手術後は、「今まで通りの生活で良い」としか言わない。それは20年前の父の手術の後の時も、今の私が2019年にがんの手術をした後の時でも同じであった。

 

後日談

 父の葬儀が終わり、父が療養中にお世話になった病院の先生方にお礼の挨拶に行った。ところが、その医師の中で、M病院のM院長だけからは、その面会を拒否された。推察するに、死亡した患者の遺族が来ることは、苦情を言われるのを恐れて拒否したとしか思えない。そういう事例が多いと推察した。M院長は85歳のがん患者を手術すれば、どうなるかを経験的に分かっていたはずである。そんなやましい気持ちがあるから、遺族のお礼の挨拶を拒否したのだ。

 

 このM病院は両親が50年間も家庭医としていた病院である。私も通院したことのある病院である。その病院に裏切られた思いである。その10年後、定年退職で大垣に帰郷したが、その病院には二度と行かないと決意した。

 

死刑台の結論

 父のガンでの死が、私に考える知恵を与えてくれた。それでガンを研究して今の私の生がある。無知は人生の壁をつくる。無知の壁は、80歳の壁より、大きな壁である。「医師を盲信してはならない。盲信すれば、死刑台のエスカレータに乗せられる」が私の得た智慧である。知識だけなく、その知識を賢さで判断せねば生きていけない。

 がんに関する結論は、「がんは生活習慣病である。今までの生活習慣を正さない限り、再発する。」である。

 

164k8a10951s

馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊

 

Dsc065661s 松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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2022-05-01 久志能幾研究所通信 2375号  小田泰仙

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2022年4月29日 (金)

「大垣市×岐阜市」は「A宮家×天皇家」と同じ関係

 

大垣市の子供と岐阜市の子供

 行政の子供とは、その政策である。大垣市行政は市民に寄り添わない、役人ファーストで政治をしている。最近の典型的事例がゴミ袋有料化である。これで大垣市民は一家庭当たり5千円の増税となる。ゴミ袋有料化でゴミを2割削減ができ、約2,000万円の節約となると大垣市は豪語する。しかしゴミ袋有料化で大垣市は、大垣市民から今後、毎年3億5千万円(増税)を巻きあげるのだ。それは超豪華な大垣新市庁舎を建てたので、その保守費が増え、その補填に回されるようだ。しかし大垣市は、そんなことは口が裂けても言わない。

 石田市長のモットーは「継承と挑戦」で、前市長の市民ラスト、市役所役人ファーストの継承のようだ。どこまで市民を騙せるかの挑戦である。

 

 大垣市の子供とは、大垣市が育成した大垣駅前商店街である。その子供が活躍して大垣にお金を落してくれる。それで大垣が発展する。それで親の子供に対する育成の姿勢が分かる。しかし、この20年間、大垣市はその育成を放棄したので、大垣市の駅前通りは衰退の一途である。百貨店ヤナゲンも閉店してしまった。その前に、ヤナゲン社長がその周りの再開発を前市長に提案したが、前市長がすげなく拒絶した。それで跡地がマンション用に売却された。

 その再開発の提案が採用されておれば、ヤナゲンの廃業も無く、駅前の再開発で活気が回復し、大垣駅前商店街もここまで寂れることはなかったのに、と残念に思う。ヤナゲンが閉店して、近所の買い物難民が増え、一気に大垣駅前は寂れた。前市長は大垣を潰したかったのだろう。

 その跡地に高層マンションが建ったが、住居専用で、階下には商業施設はない。周りは寂れる一方である。あまつさえ、このマンションには自治会組織もない。大垣市民としての自覚もない住民達ばかりである。それを大垣市は容認している。そんな利己的な住民ばかり増えたら、ますます大垣が崩壊する。

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県下一豪華な新市庁舎 

 大垣市の新市庁舎は超豪華である。市民一人当たりの負担額は、岐阜市のそれより2割も大きい。大垣市の新市庁舎の建設費の市民一人当あたりに負担額は県下一の高さである。また内装も県下一の豪華さである。それにIT化と称して、無駄な無能案内ロボット、駐車するのに邪魔な駐車場案内員までも置いている。それだけでも年間3千万円程の無駄遣いである。多分、業者との癒着があるのだろう。

 大垣市はこの20年間で、人口は実質減少である。衰退である。一見、人口が増えているように見えるが、上石津町を合併したから増加であるが、超過疎地の上石津町を合併しため、実質は人口減少である。そのためこの20年間で、大垣市の人口密度は半減した。その分、市民の負担も増えた。

 大垣市が作成し、金科玉条の如く崇める『大垣未来ビジョン』にも、大垣市の将来の人口減少を予想している。何のための大垣未来ビジョンでの将来予想なのだ。そんななか、予想に逆行した豪華絢爛たる新市庁舎の強引建設である。岐阜市のように分相応の市庁舎ならともかく、大垣市新市庁舎は無駄に大きく、豪華すぎる。

 

Photo

    『大垣未来ビジョン』より
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児童虐待も同然

 大垣市の児童生徒一人当たりの教育費が県下最低である。それこそ大垣市の子供の扱いの象徴である。大垣市が子育て日本一を目指すなど、詐欺公約である。それなら何故、2018年に大垣市の小中学校のエアコン整備率が2.1%で県下最低であったのだ。他市はほとんど100%であった。

 最後は、大垣市が国に泣きついて金を出してもらい、エアコンを整備した。情けない話だ。この件は議会でも取り上げられ、岡田議員の陳情もあり、大垣市全体で大騒ぎをした。それなのに、エアコン整備が完了しても、その報告は市民には全くなかった。いつもなら前市長が自慢げに広報するのに、前市長も恥ずかしかったのだろう。完全なる職務放棄である。

 

 元気ハツラツ市では、毎月、大垣市長命令で、児童生徒が休日の早朝に駆り出され、元気ハツラツ市のステージ上で踊らされる。2018年の36度の炎天下の日、大垣市は野外のコンクリートのステージで園児を躍らせたのだ。極悪非道の行為である。未必の殺人行為と言ってもよい。教育委員会は、児童達に気温36度以上の日の課外活動を禁止している。しかし市長に忖度した取り巻きは、その愚行を取りやめなかった。子供たちは顔の頬が火傷状態であった。

 その直前の2018年7月17日に、豊田市の課外学習で児童が熱中症で死亡した事件があった。大垣教育委員会が気温36度以上の日の課外活動を禁止通達を出したが、この有様であった。

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 他市なら無料の学習ドリルの用紙代も、大垣市では父兄に請求される。なにが子育て日本一なのだ。

 2017年11月4日のドローン墜落事件で、大垣市が世界で初めて人身事故を起こして子供が怪我をしても、その責任を取らず、全て業者に責任を押し付けたのも、大垣市行政である。その企画、事前テスト飛行まで大垣市が指導しているのに! まるで自分の子供の不祥事を人ごとのように扱うA宮家のようだ。

 

岐阜の子供

 それに対して岐阜市は繁栄している。人口も増加である。駅前にはタワービルの建設も続々と計画されている。そのタワービルの階下は商業施設である。ますます繁盛していくだろう。

 岐阜市の新市庁舎は、案内ロボット、駐車場案内員もいない。岐阜市の新市庁舎は、大垣市のそれより市民一人当たりの負担金は2割も安い。ゴミ回収も無料である。つい最近まで、大垣市の役人の給与は、岐阜市より高かく、県下一であった。狂っている。

 

宮家のお住い

 A宮家は昨年度、お住まいの改築費として43億円を計上する。その内訳は明らかではない。それに対して天皇家はお住いの修繕費として8.7億円を使っただけだ。

 

大垣の子供

 行政の子供とは、市井の姿である。行政の思いがそのまま表れる。その神如き評価指数が市の公示地価である。市が繁栄すれば、付加価値が上がり、公示地価も上昇する。大垣市前市長が無為無策で20年間も君臨した間、大垣市の公示地価は下がり続け、一度も上を向かなかった。その結果、20年で半額以下に暴落した。市民の不動産財産が奪われた。他市では、リニア景気で逆に公示地価が上がり、市民の不動産財産額が上がった。

 

 そもそも大垣駅前商店街の営業妨害をする政策を続け、結果として20年前は20%ほどであったシャッターを下ろした店数の割合が、20年後、80%までに拡大して、完全な幽霊通りになった。その市長命令の大垣駅前商店街没落作戦の実行を助けたのが、大垣市商店街組合の小倉利之理事長である。その小倉理事長に、前市長は「大垣功労賞」を贈った。まるで汚職まがいの振る舞いをしている。これで大垣が没落しなければ、奇跡である。その前市長も、大垣をこれだけ没落させているのに、「大垣功労賞」を破廉恥にも授与されている。石田市長のヨイショである。ブラックジョークである。この市長では、大垣の再建など無理である。

 

 大垣観光課は、駅前商店街に他市の有名店の誘致活動など全くしない。それどころか、観光課の管理職が「そんな大変なことは部下に可哀そうでやらせない」とほざく。だから大垣市の駅前商店街は幽霊通りになった。

 大垣市職員は使命感など全くない。職務怠慢である。市民に対する犯罪である。職員の給与は市民税から出ているだ。

 

岐阜市の子供

 岐阜市は駅前商店街に全国の有名店を誘致して、その駅前商店街の活性化に成功している。誘致のために全国を走り回るのは、市を活性化するために行政の義務なのだ。

                                                 

A宮家の子供

 子供を見れば親の教育が分かる。子供はその家の集大成の結果なのだ。M子さんの言動を見れば、言うまでもない。国民を敵視して国外に逃亡し、NYで国民の税金を使ってやりたい放題である。今は一般市民と同じなのに、外交機密費を年間8億円も警備費に使ってNYでの生活を満喫している。聞けば夜は夫とゲーム三昧で、昼は爆睡して昼夜逆転生活をしているという週刊誌情報さえある。真偽は分からないが、火のない所に煙は立たぬ。その結果がKK息子の司法試験2回目の不合格であるようだ。

 

天皇家の…..

 愛子内親王は成年の記者会見で「国民に寄り添って義務を果たして行きたい」と決意を述べられた。そのメモなしの会見での言葉からは教養がにじみ出ていた。それが天皇家の教育の集大成であった。A宮家の子供との差に愕然とするばかりである。

 

やるべきこと

 子供は親の言う通りにはならない。親の背中を見て、親のやっているようにやる。出来の悪い大垣市を親に持った大垣市民は不幸である。市民はもっと声を上げよう。声を上げなければ、この20年間の大垣市政のように、大垣行政は遣りたい放題である。まるでA宮家を真似しているかのようだ。

 

2022-04-29 久志能幾研究所通信 2374号  小田泰仙

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2022年4月28日 (木)

老化とは病気。70歳の貴方の余命は2年。

 

 日本人の平均寿命は80歳だが、健康寿命は72歳である。健康体でまともに活動できるのは、72歳まである。それ以降は突然死や寝たきりや、病院通い、認知症の発病でまともな活動に制限がかかる。

 だから70歳なら、余命2年である。もう時間がないのだ。その余命を伸ばす手段が老化の進展の遅延化である。そもそも老化とは悪性の病気なのだ。

 

老化という病気

 つまり、人は老化という不治の病に侵されて、60歳を超えると健康体でいられる人の数が激減する。10年後の70歳でも、その老化の程度は人により大きな格差がある。要は老化という病気の程度が違うのだ。それは老化を防ぐ生活を送ったか、老化を促進させる生活を送ったかの差である。

 

老化の原因

 要は、自分の細胞を添加物の処理、アルコールの分解処理、煙草の毒消し処理、運動不足で骨のカルシウムが脱走するのを支援した結果が、細胞が過労死となり、普通以上に骨がもろくなり、老化が進んでのだ。

 アルコールは肝臓で薬物と同じプロセスを経ないと、無毒化されない。その過程で、肝臓の細胞が酷使される。酷使とは、細胞が死んでアルコールを無毒化する。しかし肝臓の細胞の再生回数は限度がある。それを超えると肝硬変、肝臓がんに発展する。他の臓器も同じである。アル中の人の顔はどす黒い。それが全身で老化が進んでいる証拠である。

 酒は薬物である。タバコは毒である。暴飲暴食、等の狂った食生活や狂った生活は緩慢なる自殺である。老化を加速させる習慣である。

 

老化が加速する原因

 添加物の取り過ぎ

 酒の飲みすぎ

 タバコの吸い過ぎ

 運動の少なさ

 ストレス過多の生活

 暴飲暴食

 

散歩とは治療である

 散歩をすると体の活性化になる。じっとしていると、体は筋肉や骨のカルシウムが不要だと認識して、組織の再生成を止めてしまう。だから私は散歩は老化防止の治療だと認識して、体を動かしている。

 

脳活よりもボランティア活

 同じように脳も使わないと、不要として脳のネットワークが寸断されてしまい、認知症にまっしぐらである。脳活としてゲームやパズルをするより、社会奉仕でボランティアをして多くの人と交流したほうが、脳にためにはより。ボランティア活動を治療と考えて行うと良い。

 

食事を作る楽しみ

 料理を作るのも、脳活になるし、加工食品を食べる機会を減らすので、治療として行うと苦痛でなくなる。

 

リストラで廃線

 なんでもそうであるが、使わない器官は退化する。これが人間の体の原則だ。老化とは使うべき器官を適正に使わなかったので、体の自律神経が、不要な器官のリストラを断行しただけだ。言わば収益の上がらない鉄道線を廃線にしたと同じなのだ。

  

 

2022-04-28 久志能幾研究所通信 2373号  小田泰仙

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2022年4月27日 (水)

佛像のお顔に、佛師の心が映し出される

 

 佛師は佛像造りに命を賭ける。その命を賭けた佛像の顔にも、松本明慶師の歳により歴史が刻まれる。明慶師が彫った20年前の佛様のお顔は、端正で勢いがある。それが今は、その佛様のお顔に艶がでている。松本明慶師の人格が上がったのだ。

 

仕事は人格の現れ

 仕事とはその人の心の現れである。勢いがあれば生命感あふれる仕事が完成する。人格が向上すれば、相応の心配りが感じられる仕事となる。仕事とは要求さえたことだけをこなせばよいわけではない。目に見えない箇所にまで心を込めてなんぼである。それでこそ、仕事に「艶がある」と言える。

 40歳の時の仕事と、60歳の時の仕事の艶が同じでは哀しい。仕事に艶がでるように精進をしたい。

 仕事は正直だ。その人の人格以上のものは出ない。仕事をする前に人間を作れ。

 

顔を大事にしよう

人間の人格の顔は、「顔」である。都市の顔は駅前商店街である。そこに行政の通信簿が見える。駅前商店街で大垣市の公示地価が決まる。前市長が愚腕を振るった20年間で、大垣に公示地価は半分以下に暴落した。現在、大垣駅前商店街はシャッター通りである。前善市長が心を込めて大垣を作らなかったためだ。現市長は、その政策を継承するという。狂気である。

 

リンカーンの言葉

 人間の顔も同じだ。リンカーンは「男は40になったら顔に責任を持て」と言った。それを理由に知人から推薦された人の入閣を拒絶した。その人の顔が気に食わなかったからだ。人生での仕事ぶりが顔に刻まれる。顔を見れば、その人の人格が分かる。

 自分の仕事に自信がないと、自衛策で渋い顔をして胡麻化そうとする。それはまるで玄関に髑髏をぶら下げるようなものだ(福沢諭吉著「学問のすすめ」)。

もっと自信をもって笑顔で社会に向き合おう。顔は社会の窓である。

 

佛様の責任

 佛様でも、顔に責任を持って衆生と向き合っている。慈悲深い仏様なら、慈悲溢れる顔立ちをされている。怒りで衆生を導く不動明王なら、その怒りの形相が凄まじい。その怒りの形相を、佛師は丹精込めて彫り上げる。だから単なる怒りの表情ではない。怒りの中に艶がある。

 そのお顔を彫るのが、松本明慶師である。松本明慶師の人格がそのまま佛様の顔に出る。

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聖観音菩薩像 松本明慶大仏師作 2000年頃

 『大仏師松本明慶 作品集』小学館 

 松本明慶仏像彫刻美術館の掲載許可を得ています

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 聖観音菩薩像 松本明慶大仏師作 2010年製作

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 虚空蔵菩薩像 松本明慶大仏師作 2014年製作

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 普賢菩薩像  松本明慶大仏師作 2019年製作

 

2022-04-27 久志能幾研究所通信 2372号  小田泰仙

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2022年4月26日 (火)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(5) 易、占い、運命

 

占い

 決断に迷った時、占や、易、教祖のご神託とかに決断を託すことがある。一国の指導者さえ自分で決断をできないこともある。それを無責任にも神に託すのだ。

 一国の王の元には必ず占い師や神事を行う神官がいた。その神官に軍事を占わせて、兵卒を率いて戦いに挑んだのは常識である。一番、それを信じていないのは、一国の将軍である。そんなことを信じるほど、ふやけた頭では、数多く歴戦を戦って将軍になどなれない。占いは部下を信じさせるために使う方便なのだ。

 古代中国の有名な名君は、高給で占い師を雇って身辺に置いておいたが、生涯一度もその占い師を使ったことがなかったという。国は名君に平穏に統治された。それが正しい占いの使いかたである。

 

 占いは「売れない新興宗教団体」の販売促進ツールなのだ。それに騙されてはならない。お釈迦様は占いで教えを広めようとしたことはない。またあの世があるとも、ないとも言われず、ただ「精進せよ」とだけ言われて寂滅された。

易経 

 『易経』は、古代中国の書物。著者は伏羲とされている。商の時代から蓄積された卜辞を集大成したものとして易経は成立した。 『卜』が動物である亀の甲羅や牛や鹿の肩甲骨に入ったヒビの形から占うものであるのに対して、『筮』(めどき/めどぎ)は植物である『蓍』の茎の本数を用いた占いである。 現代では、哲学書としての易経と占術のテキストとしての易経が、一部重なりながらも別のものとなっている。中心思想は、陰陽二つの元素の対立と統合により、森羅万象の変化法則を説く。

 

 なぜ『易』という名なのか、古来から様々な説が唱えられてきた。ただし、「易」という語がもっぱら「変化」を意味し、また占いというもの自体が過去・現在・未来へと変化流転していくものを捉えようとするものであることから、何らかの点で “変化” と関連すると考える人が多い。

 

 有名なものに「易」という字が蜥蜴に由来するという “蜥蜴説” があり、蜥蜴が肌の色を変化させることに由来するという。

 

 また、「易」の字が「日」と「月」から構成されるとする “日月説” があり、太陽と太陰(月)で陰陽を代表させているとする説もあり、太陽や月、星の運行から運命を読みとる占星術に由来すると考える人もいる。

 この項、wikipediaより(2022/4/26)

 

 

人間の進化

 人は過ちをしながら、学んで成長する。人は60にして59の過ちを知り、善に向かい進む。人は還暦にならなければ分からないことがある。古希にならねば分からぬことがある。それまでの過ちを知れば、それを正して進めばよい。その間違いを犯さないと分からない。決して無駄な過ちではない。

 それが過ちであったと気が付かず、そのまま無為に過ごし、死を迎えるよりは、はるかによい。死の直前でもその過ちが正せたのだ。

 

 科学技術は発達したが、人間の精神レベルは2000年前とあまり変わらない。むしろ科学技術に頼り過ぎて劣った面さえある。昔は筮竹で占ったが、現代は科学技術の先端技術で、AIで占う。AIと言ってもその中身は、統計と回帰分析の応用である。しかしそれでも当たらない。その確率は昔と変わらない。

 

 所詮、人間様の行動など当てにならない。一人に狂人が動けば、戦争などあっという間に起きる。ウクライナ侵攻をAIが予想したとは聞いていない。

 

選択・決断

 人生でぶつかる案件は、A案とB案が49対51の稟議案件なのだ。その選択と決断をするのが、社長、国王、指導者である。どちらがいいかなど、神様でも分からない。だから腹をくくって取り組むしかない。

 気力が運命を上回れば、鬼神さえも退く。物事に断固たる決意で取り組めば、49対51の差はどうにでもなる。人間界で起きる事象の成否は、全て心の強さが決める。世の中を良くしようとするエネルギーがあれば、ものごとは進化する。物事は良く成るように進化発展している。それをそっと後ろから押すだけである。

 しかし、その逆も真なりで、その気が無ければ、選択に誤り、運命に逆行して衰退するしかない。

 

運命とは

 心に弱きが出た時、占いや人に頼ろうとする。その時は、そんなものに頼らず、籠ることだ。心を落ち着けてから決断すればよい。心が正しくなれば、正しい決断ができる。心がこの世で一番大きな宇宙である。それが宇宙根源の理である。

 運命とは大河の流れのようなものだ。大筋の流れは見えるが、それが占いの全てである。それは占わなくても、常識で見える。運命の定めで、全てで決まっているなら、努力も人為的工作もいらない。その流れを変えるのが、人の意思である。その意思は心が作る。

 「運」とは、長い坂道を車に荷物を乗せて押して上る様を表した象形文字である。その車には自分の命を乗せているのだ。

 何事にも一生挑戦し続ければ、心も強くなる。それが運命を拓く力となる。

 

 

2022-04-26 久志能幾研究所通信 2371号  小田泰仙

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2022年4月25日 (月)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(4) KK息子は分不相応

 

 万物は常に変化する。その変化は分に応じて起きる。その変化を良きものにするために、その分の格を上げるべきだ。上がった格に応じて、変化は起きる。分を上げるとは、人格の向上、教養の向上、つまり学んで人間性を上げる、である。

 自然界でも、ライオンならライオンとして生態系の中で生きて、蟻は蟻として生きている。人間だけが生態系や秩序を過剰に侵略して生きている。秩序を無視して分不相応に振舞うから、地球温暖化、戦争、人間関係の軋轢が起きるのだ。

 

 実力がないと、分不相応で、その変化は逆に身を傷める害となる。人生の三大不幸の一つは、「若くして高台に上る」である。

 スペースシャトルを打ち上げるロケットだって、3段式ロケットで、順番に機体の速度を上げて、地球の引力を脱して宇宙空間に突入する。一段目のロケットだけでその任務が全うされるわけではない。

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下駄ばき人生 

 エリートとして人生経験がないのに、ゲタを履かせてもらって、チヤホヤされて高台に上っても、その土台は砂上の楼閣である。裏口入学で、その地位を確保しても、何時かは化けの皮が剥がれる。KK息子でも、その化けの皮が剥がれかかっている。

真の成果

 成功が成果ではない。成功にたどり着くまでの経験が真の成果なのだ。涙と血の汗が宝なのだ。だから失敗も経験として大きな成果である。その失敗の過程で多くの智慧を得たのだ。

 私を踏み台にして高台に上った前職の時の若造でも、KK息子の例でもそれを見れば、それはよくわかる。彼らには、実践の宝の蓄積がない。

 

 成果がなかったということは、無意味だったということではない。例えば恋愛に成功しなかったということが、無駄だったとか、心を痛めただけだったいうことの意味しているのではない。なぜならば、その苦悩の中で人はたくさんのものを得るからだ。苦悩があるから成熟する。苦悩したからこそ、新たに成長できる。喪失、艱難、苦悩は、人に豊かなものを与えてくれるのだ。

   フランクル『死と愛』

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 馬場恵峰書

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2022-04-25 久志能幾研究所通信 2370号  小田泰仙

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2022年4月24日 (日)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(3) 幾に慎む

 

 事物も言行も必ず「きっかけ」がある。この幾(機会、前兆、きざし)の啓示に触れたら、状況の変化を嗅ぎ分け行動を慎むがよい。物事は微から顕にいたるきっかけを大切にすれば、大事には至らない。

 

穢れのきざし

 MM息子、MM子問題でも、その騒動のきざしを察知していて、事前に行動を慎んでいれば、こんな大騒ぎにはならなかっただろう。それを予見できなかった管理監督者の責任だ。立場を忘れて、自由教育の名で放置した因果である。きざしを分かっていて、それを止められなかった971庁の職務怠慢である。職を賭けて日本を守る気概ある官僚が日本に居なくなったのも原因だ。日本人の精神が劣化した兆しである。

 その決断ができなかった為、NYでの警備費で年間8億も血税を秘密裏に投入する羽目になり、恥を世界にさらした。公金への穢れである。

 

 先日、さるお方が伊勢神宮に行かれ、神聖な鳥居をくぐられた。しかし、まだご尊父の喪中である。穢れを伊勢神宮に持ち込んではならないのに、それが断行された。今後の日本で起きる象徴の大波乱の幾だと観察した。

 

冬のきざし

 私の母からは、「自分の親の死は、人生での最大の不幸。その時期は身を慎め」と教えられた。その母が亡くなった直後、私は突然、職場を異動させられた。私が仕事で失敗をしたわけではない。エリートと称される新入社員の厚遇のための工作のようだ。不本意な異動であったが、何も言わず受け入れた。一サラリーマンでは、人事異動に抵抗などできない。その年は、身を慎んで行動を制限した。それが喪に服することのようだ。それで災難から逃れられる。

 

 その結果、逆にサイコパスな上司の元から逃れられて、その後の運が開けていった。塞翁が馬である。人生は春夏秋冬で、冬の時もある。その時は、身を慎めばよい。天が傘をさせと言っている。雨が降れば傘をさせばよい。濡れて、黙って涙を拭えばよい。

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 馬場恵峰書

 

2022-04-24 久志能幾研究所通信 2369号  小田泰仙

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