« 「宇宙根源能理経」に学ぶ(3) 幾に慎む | メイン | 「宇宙根源能理経」に学ぶ(5) 易、占い、運命 »

2022年4月25日 (月)

「宇宙根源能理経」に学ぶ(4) KK息子は分不相応

 

 万物は常に変化する。その変化は分に応じて起きる。その変化を良きものにするために、その分の格を上げるべきだ。上がった格に応じて、変化は起きる。分を上げるとは、人格の向上、教養の向上、つまり学んで人間性を上げる、である。

 自然界でも、ライオンならライオンとして生態系の中で生きて、蟻は蟻として生きている。人間だけが生態系や秩序を過剰に侵略して生きている。秩序を無視して分不相応に振舞うから、地球温暖化、戦争、人間関係の軋轢が起きるのだ。

 

 実力がないと、分不相応で、その変化は逆に身を傷める害となる。人生の三大不幸の一つは、「若くして高台に上る」である。

 スペースシャトルを打ち上げるロケットだって、3段式ロケットで、順番に機体の速度を上げて、地球の引力を脱して宇宙空間に突入する。一段目のロケットだけでその任務が全うされるわけではない。

.

下駄ばき人生 

 エリートとして人生経験がないのに、ゲタを履かせてもらって、チヤホヤされて高台に上っても、その土台は砂上の楼閣である。裏口入学で、その地位を確保しても、何時かは化けの皮が剥がれる。KK息子でも、その化けの皮が剥がれかかっている。

真の成果

 成功が成果ではない。成功にたどり着くまでの経験が真の成果なのだ。涙と血の汗が宝なのだ。だから失敗も経験として大きな成果である。その失敗の過程で多くの智慧を得たのだ。

 私を踏み台にして高台に上った前職の時の若造でも、KK息子の例でもそれを見れば、それはよくわかる。彼らには、実践の宝の蓄積がない。

 

 成果がなかったということは、無意味だったということではない。例えば恋愛に成功しなかったということが、無駄だったとか、心を痛めただけだったいうことの意味しているのではない。なぜならば、その苦悩の中で人はたくさんのものを得るからだ。苦悩があるから成熟する。苦悩したからこそ、新たに成長できる。喪失、艱難、苦悩は、人に豊かなものを与えてくれるのだ。

   フランクル『死と愛』

P10600161s

 馬場恵峰書

.

2022-04-25 久志能幾研究所通信 2370号  小田泰仙

「久志能」 で検索

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

コメント

コメントを投稿