「宇宙根源能理経」に学ぶ(3) 幾に慎む
事物も言行も必ず「きっかけ」がある。この幾(機会、前兆、きざし)の啓示に触れたら、状況の変化を嗅ぎ分け行動を慎むがよい。物事は微から顕にいたるきっかけを大切にすれば、大事には至らない。
穢れのきざし
MM息子、MM子問題でも、その騒動のきざしを察知していて、事前に行動を慎んでいれば、こんな大騒ぎにはならなかっただろう。それを予見できなかった管理監督者の責任だ。立場を忘れて、自由教育の名で放置した因果である。きざしを分かっていて、それを止められなかった971庁の職務怠慢である。職を賭けて日本を守る気概ある官僚が日本に居なくなったのも原因だ。日本人の精神が劣化した兆しである。
その決断ができなかった為、NYでの警備費で年間8億も血税を秘密裏に投入する羽目になり、恥を世界にさらした。公金への穢れである。
先日、さるお方が伊勢神宮に行かれ、神聖な鳥居をくぐられた。しかし、まだご尊父の喪中である。穢れを伊勢神宮に持ち込んではならないのに、それが断行された。今後の日本で起きる象徴の大波乱の幾だと観察した。
冬のきざし
私の母からは、「自分の親の死は、人生での最大の不幸。その時期は身を慎め」と教えられた。その母が亡くなった直後、私は突然、職場を異動させられた。私が仕事で失敗をしたわけではない。エリートと称される新入社員の厚遇のための工作のようだ。不本意な異動であったが、何も言わず受け入れた。一サラリーマンでは、人事異動に抵抗などできない。その年は、身を慎んで行動を制限した。それが喪に服することのようだ。それで災難から逃れられる。
その結果、逆にサイコパスな上司の元から逃れられて、その後の運が開けていった。塞翁が馬である。人生は春夏秋冬で、冬の時もある。その時は、身を慎めばよい。天が傘をさせと言っている。雨が降れば傘をさせばよい。濡れて、黙って涙を拭えばよい。
馬場恵峰書
2022-04-24 久志能幾研究所通信 2369号 小田泰仙
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