2017年8月25日 (金)

インプラント 35(名刺)

3.35 テクニカルライティングから見た名刺判断

 院長名刺の異様さ

 かかった歯科医院の院長の名刺は、一見、異様なデザインである。名刺の上下に赤レンガのイメージの太幅ラインを配したデザインである。会社生活38年で交換した5,000枚の名刺から見て、こんな異様なデザインに出会ったのは初めてである。その5,000枚の名刺の大部分を保管している。現在、名刺のテクニカルライティング上での伝達効率の研究中で、名刺占いの本を出版する予定をしている。テクニカルライティングの専門家として、名刺と会社案内書を見れば、「会社と社長の人格が分かる」が私の主張である。なにせ社長の名刺はその会社の顔である。そこにトップの人格が凝縮されている。名刺を作る本人が、どれだけ対外的な顔に気を使っているかである。この医院の建屋や往診車、名刺から見て対外的な見栄えにかなり気を使っていることが分かるが、そこにその人の人格が透けて見える。

 

 愛知県K駅の近くに、患者の血を吸って儲けたと噂される赤レンガの病院がある。実際にそこで診察を受けて、金儲けとしか思えない過剰治療を体験した。悪い噂に納得し、すぐに別の病院に転院した。移った公的な病院と比較して、前の病院の過剰治療を思い知った。

 このレンガ色の名刺を見て、それを思い出した。医師には医師としてのイメージがある。ラテン語のペルソナとは仮面のことで、社会では全員が仮面を被って人生劇場を演じている。そこからパーソナリティという言葉が生まれた。人はその仮面のもつ意味を信じて人間関係を築いている。医師の仮面のイメージカラーは白衣の白である。そのイメージに合っていない名刺デザインである。

 

2017-08-25

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「桜田門外ノ変」の検証 (16/28)

(8)代役の指導者を育成  

 彦根藩では藩主の子供は、世継ぎを除いて、養子に出るか、中級武士待遇以下の捨扶持300石で、一生、嫁も貰えぬ部屋住の身でしか生きる道が無い。これは2代目の井伊直孝の遺制である。井伊直孝は庶子であったが、嫡出の兄が病弱であったため、初代の井伊直政の遺領を受け継いだ。2代目の井伊直孝は井伊家の基礎を固めた名君であった。直孝がこのような制度を定めたのは、自分の経歴から、藩主に万一のことがあった場合、彦根藩を背負っていける能力の人材に後を継がせたい。そのために部屋住みの公子として厳しい環境に耐えて、藩を率いて行ける人材に育つことを期待したためである。人間は厳しい試練を受けないと育たないことを直孝は実体験で感じていたのであろう。

 

埋木舎(うもれぎのや) 

 直弼公が直孝の意図をどれだけ理解して生きたかは不明である。直弼公の言動からは、はっきりと認識はしていないようである。同じ肉親ながら、兄は藩主として、目の前の城の中にいる。京都御所の代行も可能な巨大な威厳に満ちた城砦の彦根城が目の前に在る。それに比較して自分は城堀を挟んで、数人の家臣と共に彦根城に比較すると米粒のような小さな屋敷の中で、幽閉のごとく悶々と日々を過ごさなければならない。井伊直弼公はこの部屋住の身を嘆いて、自分の住居を「埋木舎」と名付けた。大名の子でありながら、その持て余る才能を活用できないもどかしさが、ここで土に埋もれてしまった木のようだとの意味で「埋木舎」の命名になった。これは潜在意識に悪い影響を与えたようだ。その今までの鬱積した気持ちが、最高権力者となった時、純粋で過激な業務改革に向かわせたのかもしれない。やり過ぎは、やり足らないより悪い。小さな組織ならそれでもよかったが、日本という組織は大きすぎた。その思いを井伊直弼公は『埋木舎の記』に記す。

 

「これ世を厭うにもあらず。はた世を貪るごききかよわき心しおかざせれば、望み願うこともあらず。ただ埋もれ木の籠もり居て、なすべき業をなさましとおもいて設けしを、名こそといらへしままを埋木舎のこと葉とぞ」(『埋木舎の記』

 

 彼はここで32歳迄、15年間の青春を送った。しかし、直弼公が凡人ではない証に、「なすべき業をなさましとおもいて設けしを」と記述しているように、いまなすべきことを全力で修行として、自己に対し一日4時間の睡眠で足るとして、厳しい自己鍛練を続けた。そして武芸の居合術「新心新流」を創設した。その流義は、「勝ちを保つためには滅多に刀を抜いてはならぬ」といった「保刀」を基本とした。また槍術、柔術、馬術、弓術にも長けていた。禅の道でも、清涼寺へも参禅し、仙英禅師に帰依した袈裟血脈さえも授与された。茶道、和歌、能の世界では達人の域で、国学、書、湖東焼なども修行で身につけた。

 

文化人としての指導者

 井伊直弼公は一見、文武兼備の超人ではあったが、人間的には「茶・歌・ポン」とあだ名があったごとく文化人であり、苦労人で人情に厚い人であった。この文武兼備の能力を得るための人格形成の鍛練が、国難の時の国の舵取りという大役を全うさせたといえる。私の好きな言葉に「なにも咲かない冬の日は、下へ下へと根を伸ばせ」があり、まさに井伊直弼公は、約束もされない明日のために大木を支える根を下へ下へと伸ばして、大きな大木に成長したと言える。

 近年の指導者達を俯瞰すると、私利私欲に走るトップには、自然を愛でたり、精神文化に親しんだ形跡が少ない。指導者には人間としての素養を養う期間が必要である。

 

世の中をよそに見つつも埋木の

    埋もれておらむ心なき身は

                             直弼

 

図1 彦根城に渡る橋より見た埋木舎

図2 埋木舎の門より彦根城の城壁を見る

井伊直弼公は32歳までの15年間、毎日この景色を見ていた。どんな思いで兄の城を見ていたのだろう

 

2017-08-24

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2017年8月24日 (木)

人生の貸借対照表

 自分の人生の貸借対照表を確認したい。残縁高はいくらになっているか、人生の決算書で、どれだけの付加価値を生み出してきたのか、己の損益分岐点年齢はいくらであるのか、還暦を迎え人生決算書を確認してたい。金銭面の決算書では見えない自分の人生が見えてくる。見えないご縁の蓄積こそが、人生の宝である。明徳、感恩、報恩で人生を振り返ることが、PDCAを回す人生経営である。

 

集めたものと返すもの

 知識やお金をいくら貯めても、それは死蔵である。知識だけではどうにもならない。お金も知識も死蔵すると腐ってくる。経験を踏まえて世に問うてこそ、磨かれ洗練されて、それが見識になって自分に帰ってくる。それを回してこそ智慧が出る。使う過程での利子が智慧である。受けたご恩も、世に回してこそ生きてくる。ご恩を受けたら、少しプラスをしてお返しすると、倍返しのご恩が帰ってくるのが佛界に近い人間界である。多くお返しが出来るとは、それだけ儲かったからである。儲からなくても、後から佛様が利子をつけて返してくれる。税金はたくさん納めたほうが良い。それは収入が多いという成功の証しである。脱税や節税対策など、縁罪人のすることである。

 

不良債権者

 今まで、成人までの教育費とその後の自己啓発費の出費の累計額と、日々の出力のための必要経費(変動費)の累計額の合計が、社会へ生み出す付加価値額を比較して、何時になったら収支がバランスするのは何歳かであるか。その歳を損益分岐年という。通常は還暦の歳である。最低でもその歳までは世に貢献する働きをしたいもの。その前に、亡くなるか、隠居の身になるのは、ご先祖、両親、社会への恩返しが出来ない負の遺産となる。社会の足を引っ張ることになる。借金を背負ってのあの世への旅立ちは不良債権者である。

自分の付加価値生産額=(月当たりの社会への貢献価値)×(働く年月)

 

自分の付加価値

 自分が社会に与える付加価値とは何か。橋を架けるのも、モノを生産するのも、後進の指導も、ボランティアをするのも全て付加価値を生む仕事である。遊びほうけていなければ、全て付加価値生産者である。学んで能力を上げ、高付加価値生産者としてありたい。

 

図1 人生のバランスシート

    持てる資産を回さないと死蔵である。

    持って次界には行けない。

図2 ご縁の賃借対照表

図3 人生の損益分岐点

 

2017-08-24

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磨墨智 410.ムッとした言葉を書き取ろう

それがあなたの成長課題としての学び。

それを克服せずして時間は創れない。

ムッとしたのには、訳がある。

そのワケを解明せずして、己の成長はない。

それが己の弱点である。

立場を代えて、自分の言葉が、どれだけ相手を傷つけるか考えよう。

言葉は武器にも凶器にもなる。己を守る楯にもなる。

言葉には魂が宿る。言霊である。

 

 たったの一言が人の心を暖めるもの。

 タッタのひとことが人の心を傷つけたりする。ご用心ご用心。(馬場恵峰)

 

『時間創出1001の磨墨智』より

2017-08-24

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言葉は人を活かし、人を殺しもする

 人を活かす言葉を使うこと。愚痴を言わないこと。自分の職場を超えて、良き友を持つこと。自分の人生のゆとりと豊かさを育てることを忘れない。健康に気をつけて、無理をしない、無駄をしない。

 「あなたがいなくては困る」と言われないように、後継者を作りながら、新しい人生ではなく、今まで築いた人生に新たに油を注いでいく。新しいものを持って来るのではない、今ある自分を磨き上げるのだ。

 自力他力と祈ってみても、所詮旅路は自力なり

 

男の人生

 20代  ハンサムにする。身だしなみをきちんとする

 30代  強く生きていく心を教える

 40代  財力に心を砕く

 50代  賢く物事の判断をきちっと行う

 60代  聖人の道を歩く。何事もこだわらないように

 70代  色んなことに精通する。学んだことを人に捧げる

 80代  静かに自分の人生を静観する人間になる

 90代  指南役になる。「あなたがいなくては困る」という人間になること

 

女の人生

 女に生まれたのではないのだ。女になるために生まれたのだ。

 20代  美しくありたい

 30代  たくましく成長する

 40代  明朗に過ごす

 50代  辛いけど辛抱強く生きる

 60代  人のことを素直に聞く

 70代  人の噂をしない   一談一笑

 80代  九施を行う

 90代  憧れを持つ。人間は憧れを持たなければ廃人も同じ

 

以上は、太志塾秋季大会(大島修冶塾長 2014年10月5日)での馬場恵峰先生の「自分を知る事の大切さ」のお話をまとめた。

 

図1 講演される恵峰師 2014年10月5日

 

2017-08-24

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「桜田門外ノ変」の検証 (15/28) 主

組織と人生の危機管理

 ある日突然、脳梗塞、心筋梗塞に襲われ、後始末の言付けさえ言えず、旅立たねばならないことを、家系図を作ってみて身近に多く見た。いくら自分の健康に自信があり、身内に名医を抱えていても、心筋梗塞という閻魔様の一撃(ぎっくり腰は魔女の一撃という)には、全く手の施しようがない。井伊直弼公もなまじっか北辰一刀流免許皆伝の腕があったため、襲撃の予告があったが、そのまま江戸城に行列を進めた。井伊直弼大老は、組織として動いているので、護衛は部下に任せるのが上に立つ人の務めである。襲撃側の最初の一撃である短筒の一発が直弼公の腰を貫き、籠の中で身動きができなくなった。いくら腕があっても、後はなす術がない。時代の最先端の武器が、旧態依然たる防衛側の隙をついた。いくら内部を整えても、環境、外部の変化が現状維持を許さない。

 日頃から高血圧という佛様からのメッセージを無視すると、脳梗塞、心筋梗塞に襲われる。高血圧という体の警告が出ているのに、生活習慣を正さない愚かな人間が悲惨な結末を迎える。井伊直弼大老暗殺は、300年続いた泰平に世の歪が噴出して結末である。泰平の歪を直そうとして直弼公は荒療治をしたが、世の末の本質を理解しない暴走徒が、桜田門外の変を起こした。その対処療法として、急激な治療が人間の体を痛めると同じで、江戸幕府の体制も瓦解に進んでいった。

 

己はブラック企業の社長?

 ブラック企業の経営者は従業員の健康を無視して過重な労働を強いる金儲け亡者である。それが原因で過労死になる従業員も多い。その家族が企業を訴える時代となり、問題が顕在化してきた。

 同じ理屈で、体に必要以上の食べ物やアルコールを摂取すれば、胃も腸も肝臓も大忙しで、己の細胞に深夜勤務の過度の労働を強いて食べたものの消化・分解の仕事をしなければならない。体の臓器が超過勤務をしても処理しきれない残物が、体のあちこちに脂肪として堆積される。それが体の閻魔帳である。だからその人の体を見れば食生活の全てが自明である。神佛は食べ物が体に入ってこれば、えり好みせず消化をするするという体のしくみを造られた。そんな大事な体に、ブラック企業のような仕打ちをすれば、病気という罰があたるのも自然界の「理」である。それが最高の結果なのだ。それを「なんで私だけが」というのは不遜である。

 「主」とは「王」座に立つ自分の姿「、」である。それは蝋燭台の炎を象徴している。どんな蝋燭も何時かは燃料が切れて消える。燃えて燈をともしている間に、何を照らすかが人生で問われる。己の体、37兆個の細胞の王として体を支配して、何を食べようと飲もうと夜更かしをしても自由であるが、その横暴な行いは全て自分に返って来る。

 井伊直弼公は主座に座って、決めるべきこと決め、為すべきことを為した。その後に燃え尽きた。それも人生である。

 

2017-08-24

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2017年8月23日 (水)

自分が自分でなくなっていく「死」の恐怖

 この数年間、国家資格の受験勉強をしてきたが、この受験戦争では挫折の繰り返しであったが、その過程で試験合格以上の大切なことを得た。それは体の劣化、特に血管の劣化の発見で、それの根本対策への目覚めであった。そのまま放置すると、あと10年もしないうちに、脳梗塞か脳内出血、心筋梗塞、失明等で成仏するか、認知症になるところであった。

 

 この数年間、かなり精力的に受験勉強をしてきたが、少しも成果が上がらない。それどころか試験の成績が下がり気味であった。冷静に分析をしたところ、己のエンジン(心臓)、CPUと配線(脳内血管)の劣化であることに思い至った。この数年の眼の病気も含めて推察すると、全身の10万kmにも及ぶ血管の内部にコレステロールのカスがこびり付き、それが高血圧の原因となっていた。血管の内径が細くなってきたので、血流を保つため、血圧を上げる自己調整機能が働いて高血圧になっていた。当然、脳内や眼底の血管も同じ状況である。それが一番弱い箇所である眼や脳内の血管に来て記憶力の低下に至っていた。それを対処療法で降圧剤を飲むから、頭や眼の血のめぐりが更に悪くなり、眼の病気や記憶力の低下となる。これでは受験戦争や人生の戦いに勝てるはずがない。

 

 受験勉強での記憶力の低下は、認知症や死の病に至る前兆である。この状況を放置すると、本物の認知症になる。認知症とは、記憶が段々と薄れてゆく病気である。過去の様々な経験や対人関係の葛藤を記憶していてこそ、その人の人格の形成がある。しかし人間からその苦労の記憶が無くなれば、人間の仮面を被った中身のない人(生物)に成り下がってしまう。妻や親との苦楽を共にした記憶があってこそ、肉親である。それが子や妻を認識できなければ、肉親とは言いがたい。必死に介護をして親から「お前は誰だ?」では残酷である。親の徘徊を防ぐためベッドに縛り付ければ、「お前は鬼か」と罵られて家庭生活は地獄に変わる。

 

 国家試験に受からない真因が分かったので、対処療法ではなく根本療法として、運動の改善(チンタらした散歩を中強度に変更)、食事の改善(添加物まみれの食物を断ち、血管内部のコレステロールを下げる食事療法等)、嗜好品の改善(断酒、甘いものを断ち、油っこいものを断ち)、減量の取り組み(週一で断食)をした。

 その成果として体重が5キロ減り、血圧も下がり、体調も劇的に良くなった。この取り組みを継続中である。これで自分が自分でなくなってしまう「死」を少しでも先延ばしできたと思う。朝起きてまだ息をしていることは、まだこの世でやることが沢山あるとの佛様からのメッセージである。

 

 ネットで真島消化器クリニック(久留米市 tel:0942-33-5006)の情報にたどり着き、診察を受けて対処療法ではなく、真因を無くす治療を始めた。真剣に病気の原因を探すという行動が、ご縁にたどり着いた。

http://majimaclinic22.webmedipr.jp/

 

2017-08-23

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「桜田門外ノ変」の検証 (14/25)

井伊家の存在と彦根藩の位置

 同じ徳川家の四天王と称された4人の大名の中でも、井伊家は特別扱いである。京都の喉ぼとけに突き刺すように位置した彦根藩は、35万石を有し京都の朝廷に睨みを効かせている。当時、琵琶湖に面した彦根は東海道、北陸道につながる要所であった。他の四天王の大名の所領が、10万石程度なのに、彦根藩の35万石とは特別である。そんな深慮遠謀の布石を家康は、天下太平のために徳川創成期に布石をデザインして、結果として260年間の太平の世を創出したのだから、立派な危機管理体制のプランニングである。

 江戸幕府最後の将軍徳川慶喜は、京都が攘夷対開国派との争いで危機状態になったとき、彦根城を仮の御所にして天皇を移って頂こうと画策した。そんな位置づけの彦根城と彦根藩である。

 

彦根城の歴史

 天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は犬山城、松本城、姫路城、松江城)。1992年に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたが、近年の世界遺産登録の厳格化の下、20年以上推薦は見送られている。現在、彦根市は世界遺産登録課を新設して、登録に向けて力を入れている。

 徳川四天王の一人・井伊直政公は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。その佐和山城を、直政は、中世的な古い縄張りや石田三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画した。直政は関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去した。直政公の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して彼の遺志を継ぎ、1603年(慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に彦根城の築城を開始した。計3期にわたる工事を経て1622年(元和8年)すべての工事が完了し、彦根城が完成した。その建設には長浜城や佐和山城を壊して出た材料が使われた。現在、佐和山城は影も形もない。その後、井伊氏は加増を重ね、1633年(寛永10年)には徳川幕府下の譜代大名の中では最高となる35万石を得るに至った。

 

 私も多くの城を見学しているが、こんなに階段が急なお城は経験がない。当時のままの階段形状である。彦根は第二次世界大戦で空襲に遭わなかったので、彦根城は残った。大垣城も国宝であったが、空襲で焼失した。残念なこと。

図1 彦根城 

図2 彦根城看板 松居石材商店作  文は彦根市市史編纂室作成

図3 城内の階段

 

2017-08-23

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人生を支える心の杖

 1.人の親切にする杖

 2.無理をしない無駄をしない、不精をしない杖

 3.自分に辛切な杖

 4.神仏の教えの深説の杖

 

 「年老いて金を持っているから手が震える。私は何も持っていないので(1億円も使ってしまったので)、軽々と筆を動かせる。遠き道を自分の業を背負って歩くこと。そうすれば新しい自分というものを掴むことができる。」と。

 お金という杖は腐らないが、己はいつしか老い、腐っていく。老いて若さと情熱を失うと、お金という杖も使えない。その前に己が朽ち果ててしまう。お金は使ってなんぼである。使うことでご縁を得て、知恵がつく。人生を支える大事な杖の存在に気づけ、である。

 

 恵峰師は60歳のとき、実家の土地家屋を抵当に入れ、1億円の借金をして社会奉仕のため日中文化資料館を建設された。返済に24年の年月を要したが、84歳の時に完済された。

 

縁ありて花開き、恩あって実を結ぶ

 「縁あって人間に生まれたからには、ご恩に報いないと申し訳ない。書くことの大切さを知り、自分の子孫に自分の書いたものを残せ。自分を磨くのは、自分の手で書いたものだけである。」

 「10回読むより一回書け」が恵峰師の言葉である。同じことが仕事でも言える。10回、口で理屈を述べるより、汗をかいて涙を流して一回実行した事が血にも肉にもなる。

 

 以上は、太志塾秋季大会(大島修冶塾長 2014年10月5日)での馬場恵峰先生の「自分を知る事の大切さ」のお話をまとめた。

 

図1 日中文化資料館 敷地350坪 大村市 

図2 日中文化資料館内部を案内される恵峰師

 

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大村藩熟女隊アッパレ賞

 クリスマスも近い2016年12月15日、宅急便でビックリプレゼントが届いた。包装の表の文面を読んで、九州女性のやさしさに感激でした。開封するのが畏れ多く、またもったいなくもあり、中身が食べ物ではないと推定して、暫く開封せず、応接机の上に飾って、しばらくそのままにしておいた。なかなかに泣かせる文面で、「熟女隊」、「アッパレ賞」とデザインも含めキャッチコピーとしても秀逸でした。デパート経由の単なる贈答品とは違い、格別の嬉しさが込み上げてきた。長い人生で、女性軍団からこんな素晴らしい贈り物をもらったのは初めてでした。またこの歳になるまで「アッパレ」とほめられるなど経験がなく、なにかくすぐったく、嬉しくもあった。

 もったいなく開封が遅れたことで、後で「苦労して商品を選定したとのに」と、泣き言を言われてしまったのには、閉口でした。大事なお宝の写真撮影は大変で、構えてしまうのですよ。きっと下図のような雰囲気で、このプレゼントのアイディアを考えてくれたのだろうと推察した。「大村藩熟女隊」に感謝。

 「あっぱれ!アッパレ!!」とお殿様から褒められたようで、大村藩おんな浄主「直寅?」に敬意を表して、「熟女隊」を「大村藩熟女隊」に昇格させました。

 

2017-08-23

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