2023年11月 2日 (木)

高齢者には「きょういく」と「きょうよう」が必要

 

 高齢者が人間として生きていくために必要なのことは、「今日行く」所がある「今日の用」があるである。それでこそ、人間として生きていける。それがないと、生きる屍として過ごすことになる。挙句に、妻から濡れ落ち葉扱いをされ、捨てられる(熟年離婚)。

 これは高齢者だけでなく、人間としても必要な素質だ。出不精者や引き籠リ、フリータの若者にも「きょういく」と「きょうよう」が必要だ。

 働き盛りの社会人でも、正規の会社業以外に、第二の人生の下準備で、やる事を作ることが必要だ。日曜日に家に籠ってテレビばかり見てゴロゴロしていては、定年後は認知症にまっしぐらである。65歳以上は15%が認知症である。入社したら、その40年後には会社生活の死が来ることは必然である。定年になってから、第2の人生の準備では、そのスタートが出遅れる。

 起きたけど、寝るまでとくに用もなし。

 生きてるけど、死ぬまでとくに用もなし。

 

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 馬場恵峰書


生きる意味

 何のために生れたのか、何のために生きるのか、やりたいことはないのか。

 なぜ死ぬのか。定年まで生きてこれたのは、社会的必要があって、定年まで社会から生かされていたからだ。生物は生殖を終わると、その生を終わる。カマキリの雄などは、生殖が終わると雌に頭から喰われてしまう。それが子供の栄養となる。サケも長い回流を終り、産卵を済ませると死ぬだけである。その肉は子供の栄養となる。雌の寿命が長いのは、子供を育てるために生きているからだ。

 男は定年後に自分で社会的な恩返しの道を探さないと、生き永らえるだけの存在になる。「生きているけど、死ぬまで特に用もなし」の存在に成り下がる。

 男が定年まで働けば、社会的な義務は果たしたことになる。子育ても終り、家のローンも終り、これからが本当の自分の人生なのだ。そのためにこそ、「今日行く」所がある、「今日の用」がある必要がある。なければ、自分で自分の用を作ることだ。それが不明なら、自分の才能や天命がどこにあるか、世間を歩いて探し回ろう。今からでも遅くない。世間を歩く距離と、出会うご縁の総量は比例する。ご縁の総量が多くないと、真の天命に出会えない。場数で勝負である。それを始めるのに、遅すぎることはない。

 

用を作る

 馬場恵峰師は中国に240回以上も旅行した。閑な隣人たちが「どげんして、そげん中国に何の用があるばってん」と噂していた。師曰く「用があるのではない。用を作りに行くのだ」と答えた。そこからご縁が生まれる。犬も歩けば棒に当る。出かけなければ、決してご縁にはぶつからない。そのご縁で、馬場恵峰師は中国浙江省に小学校を寄贈した。馬場恵峰師は「渓流希望小学校」の名誉校長先生である。その功績を含めて、馬場恵峰師は人口4230万人の浙江省で名誉市民賞を授与された。だから馬場恵峰師は94歳まで現役で活躍された。天が社会に必要と認めたのだ。

 

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「高齢者よ、大死を抱け」

 野垂れ死によりも、戦って死んだ方が死に甲斐がある。大プロジェクトを抱えて邁進し、途中で挫折してもいいではないか。そのプロジェクトの借金が返せなくても、どうせ相手も保険をかけている。高齢者の特権は「忍法踏み倒し」である。債権者もあの世までは追いかけてこない。安心して踏み倒せばよい。世のための踏み倒しなら、閻魔様も大目に見てくれよう。

 馬場恵峰師は60歳の時、社会貢献として大村市に「日中文化資料館」を建てた。家屋敷を担保に入れ、生命保険をかけ、1億円の借金を背負った。その借金を24年かけて返済した。完済時は84歳である。見習いたい行動である。その後ろ姿を見て弟子の2名は、同じく60歳以上の身で1億円以上の借金をして新事業を始めている。師の後姿の教示は素晴らしい。私も真似をする意向である。

 

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  日中文化資料館と図書館「三昧楼」  敷地350坪 大村市

  手前の松は、「迎客の松」

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2023-11-02  久志能幾研究所通信 2768号  小田泰仙

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2023年11月 1日 (水)

泣いて罵食を斬る、鳴いてプラ容器を切る、接して漏らさず害

 

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 今回、廃棄処分とした自宅内のプラスチック容器、紙製容器

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 危険なものに接すれば、その危険性が身に及ぶ。

 美味しいものには毒がある。美しいバラにはトゲがある。

 確かに、魅力的な女性は危険かも? ハニートラップにご用心。

 現代では貝原益軒の養生訓「接して漏らさず」には無理がある。便利なプラスチック容器や紙容器には危険が潜む。それで家にあるにプラ容器、紙コップを捨てることにした。便利ではあったが、知らない間に、自分の体を傷つけていた疑いがある。

 一部、小物の事務用品入れに再利用する予定。

 疑わしきは使用せず、君子危うきに近寄らず、泣いて馬謖を斬る、の心境である。

 

 私が御幼少(60年前)の頃には、癌や糖尿病、アレルギー症、認知症の人など滅多に聞かなった。当時の医療費は10兆円以下だったが、現在は43兆円を超えた。なぜ? 日本に、なぜがんがこれだけ増えたのか、なぜアレルギーが出てきたのか、認知症がなぜこんなに増えたのか。

 真の原因はわからない。凡人が出来る唯一の方法は、疑わしきものを遠ざける、である。大河の一滴かもしれないが、やらないよりはましである。私が鳴いて、一人でもそれに賛同してくれれば、少しは廃プラスチック問題が減るはずである。

 動けば、何かが変わる。私の信条である。

 

 

プラスチック製タッパー

 プラスチック製タッパーは、そのプラスチックからは有害なBPAが溶け出す恐れがある。

  ビスフェノールA(BPA)は、肥満、糖尿病、高血圧、心血管疾患など、あらゆる原因による早死のリスクの増加に関連している。

 BPAが腎臓や肝臓を傷つける。またそれががんの要因とも噂される。それが原因で、学校の給食容器からプラスチック製が排除された。

 

ペットボトル飲料

 「500mlのペットボトル1本に、平均50個程度のマイクロプラスチックが含まれている。これらは自然界にない異物なので、生物が消化できない。体内に蓄積されていけば、炎症性の腸疾患などの病気のリスクにもつながる。」(東京農工大学 高田秀重教授談)

 

紙容器のホットコーヒー

 同じように紙コップには、プラスチック皮膜が施されている。そうしないと紙材だけでは、高温の液体を保持できない。そのコップからから平均20個程度のマイクロプラスチックが含まれると推定される。特に、ホットコーヒーで飲む場合はその危険性がある。

 

 

 

2023-11-01  久志能幾研究所通信 2767号  小田泰仙

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2023年10月30日 (月)

祖母の50回忌、盲亀浮木の如し

 

 先日の10月28日、祖母の50回忌を執り行った。2年前に祖父の100回忌を執り行った。そのご縁に出会えるだけ幸せであると感じた。本来、出席する予定だった従弟は、昨年末、コロナで亡くなってしまった。健康でその歳まで生きていないと50回忌は執り行えない。祖母がいて、両親がいて、自分の生がある。

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歴史のIF、人生のIF

 もし東条英機が日米大戦を決意しなければ、もしルーズベルトが日本から戦争を仕掛けるように追い込む陰謀を画策しなければ、日米戦争は起きなかった。当時の米国は厭戦世論が蔓延し、ルーズベルトは戦争をしたいが、できず困っていた。

 日米戦争が無ければ、両親は出会うこともなく、私も別の家に生まれたかもしれず、祖母とのご縁もなかったろう。もし父がシベリア抑留でシベリアの土になっていたら、私の生は無かった。従弟の父はシベリアの土になった。

 一つに生が生まれる確率は、一億円の宝くじが連続で100万回連続で当たると同じである(筑波大学村上和雄名誉教授談)。

 私は、太平洋戦争が終わった後の日本に、犬畜生でなく五体満足の人間として生れられたのだ。まるで「盲亀浮木のたとえ」と同じである。それこそが、いずこから来たご縁の恵みで、それが人の道のお宝である。その恵みに感謝するのが、人の道である。

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50回忌の意味

 そう思うと、自分が元気で、祖母の50回忌を執り行えるというのは稀有のご縁で、感謝である。今まで70年間も生きてきて、50回忌に参列したのは、今回を含めてたった2回である。

 祖母は5人の男子と1人の女子を生んだ。その内、2名が戦死である。その孫で50回忌に参列出来たのは、私だけである。他の孫(従弟)達は、既に死亡した者、昨年コロナで死亡した従弟、認知症になった人、入院中の人、老齢で動けない状態の人もあり、50回忌に参列が難しいのが現実である。それに思いを馳せると、盲亀浮木のたとえは、現実味を帯びてくる。最近の法事は3回忌で終りと言う家庭も多い。それを今回、50回忌を執り行えたのは幸せであると感じた。まさに一期一会である。これからも出会うご縁を大事にしていきたい。

 

盲亀浮木のたとえ

 盲亀浮木とは、大海中に棲む目の見えなくなった老海亀が百年に一度水面に浮き上がってきた時に、大海に漂っている穴の空いた流木に偶然首を突っ込むという喩え話である。

 出会ったり、物事が実現したりすることがきわめて難しいことの喩えで、この出会いとは、人として命をいただく事の困難さ、更にその人がお釈迦様の尊い教えに出会う事の困難さ、人と人の出会いが非常に難しい事の喩えである。

 お釈迦様は、「こんなたとえ話は誰もが、あり得ないと思うだろう。しかし、全くないとは言い切れない。人間に生まれるということは、この例えよりも更にあり得ない。とても有難いことなのだ」 と仰られた。

このお話は『雑阿含経』に説かれている。

盲亀浮木のたとえ - 奈良薬師寺 公式サイト|Yakushiji Temple Official Web Site

https://yakushiji.or.jp/column/20201102/

 

 

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 いづくかの来たりし去り行く人の道 縁の恵みは生の寶なり

 (色紙に鉋の削りくずを貼って作成)

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 馬場恵峰書 (額の大きさ 126×46㎝)

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2023-10-30  久志能幾研究所通信 2766号  小田泰仙

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2023年10月28日 (土)

巡礼 渡辺陽子人形展 目は語る  in Sagan

人は目で語り、魔女は鼻で根性を見せる

 

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 渡辺陽子さんの人形の眼は、遠くを見つめて、何かを訴えている。そこに何か惹かれるものがある。その一人の少女に魅せられて、我家にきてもらうことになった。ご縁である。魔女?の渡辺さんが生み出す少女の人形は魅力的だ。

 私が人物像の絵画や人形等を見る時は、必ずその目を見る。それがその作品の命だからだ。

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仏師が創る眼 

 仏師の彩色師が佛様の目を描くときは、彫られた目の頂点を探し、佛師が意図して彫った目の位置を探し出して目の位置決めをする。「どんぴしゃに目の位置が決まると、佛様がニコッとするのが分かる」と岩田明彩師はいう。それが目のスイートスポットである。目の位置が決まればあとは佛様と対話をしながら、佛様の表情にあう最適な目に仕上げていく。それが彩色師の仕事である。仏像の眼は、仏師と彩色師の共同の作品である。

 

目にもスイートスポットがある - 久志能幾研究所通信

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決めどころ

 テニスのラケットでボールを打つときも、ボールがテニスラケットのスウィートスポットに当たると、極めて気持ちがよい打撃感が手に伝わる。どんな仕事でも決め所がある。それがうまく決まると、仕事の醍醐味を味わえる。仕事が楽しくなる。仕事の魂と己の魂の邂逅である。そんな出逢いを得るには魂の修行が必要だ。真摯な仕事への取り組みがないと出逢えないご縁である。そんなときは、自分が仕事の鬼となっている。己が鬼にならなければ、仕事の新しい目は探せない。鬼とは己の魂の叫びである。

 

黒目のない眼

 私が高塚省吾画伯の裸婦画に魅了されるのは、その目の清々しさである。きりっとした目は、裸体を晒す羞恥心を微塵とも見せない。

 私が高塚省吾画伯に「清涼」を画いてもらった時、出来た絵に目が無かった。いつものきりっとした黒目が画いてなかった。それで高名な画伯に不躾なお願いで、目を修正してもらった。それで高塚省吾流の眼となり、納得した。

 しかし画廊の店主から、白目の意味を教えてもらった。黒目は外を、白目は自分の内面を見つめているころ表しているという。モジリアーニの描く長く引き伸ばされた顔の目は白目である。自分自身の内面を見つめている目である。そうなると別次元の絵に変貌する。

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    高塚省吾画「清涼」

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 私は、高塚省吾画伯の裸婦画のこういうキリッとした目に惹かれる。

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慈愛の眼

 ミケランジェロのピエタは、マリアをキリスト抱いている姿が真髄である。そのキリストを見つめる眼が慈愛の眼である。「ピエタ」は「慈愛」の意味である。

 不動明王が衆生を見る眼は、怒りと慈しみが籠っている。その眼で迷える衆生を救う。その眼を表現するのが彩色仏師である。

 観音菩薩の見る目も慈愛の目である。衆生の悲しみの声を観て、やさしく慈しみの目で見守る。

 

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 ミケランジェロ ピエタ(レプリカ) バチカン博物館にて

   2010年11月13日   著者撮影

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 大仏師松本明慶作 不動明王

 見る角度によって、怒りの目ともなり、慈愛の目ともなる。

 遠くから見ると、怒りの目と見える。近寄って見上げると慈しみの目となる。それを計算して創られた眼である。

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大仏師松本明慶作 聖観音菩薩像

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2023-10-27  久志能幾研究所通信 2765号  小田泰仙

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巡礼 渡辺陽子人形展 魔女の鼻  in Sagan

 

 目は口ほどものを言い、鼻は心の根性を表す。西洋の魔女はひん曲がった長い鼻で、いままでの生きざまを表している。それだけ多くの苦労をしたのだろう。その魔女が新天地アメリカに渡ると、今までの束縛が無くなり、陽気になり、その鼻も可愛くなり、鼻をピクピクさせて魔法をかけるようになった。それが「奥様は魔女」のサマンサである。日本人はサマンサの魔法を愛した。私もそのドラマに魅了された。そこに人種差別のない慈しみの目と鼻があったからだ。サマンサは鼻をピクピクはさせて魔法を駆使するが、魔法を鼻にかけないのだ。

 そんな陽気なアメリカの魔女に出会って、魅了されたことが渡辺陽子さんを魔女の人形創りに駆り出した経緯である。

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お鼻が高い

 鼻柱が立派だと、その根性は強健だ。鼻で象徴した格言も多い。鼻にかける、鼻持ちならぬ、お鼻が高いのね、等である。目と鼻を観相することは、観相学の基本である。

 西洋の魔女の鼻は必ずひん曲がっている。それで魔女の黒歴史を表しているのだろう。まるで旧家の意地悪い姑のようだ。しかしそのイメージは教会が一方的に黒い印象を付けただけである。市民が思う魔女像とは大きく異なる。そのヨーロッパに対して、新しい家(アメリカ大陸)に嫁いだ新妻の魔女は、可愛い。それが新天地のアメリカの魔女サマンサであると解釈できる。

 

「奥様は魔女」のDVDセット

 魔女ファンの私は、「奥様は魔女」のDVDセット(全256話)を揃えた。(98,000円)

 2018年、大垣で開催されたサラ・デイビス演奏会の後の雑談の場で、私が自宅の書庫の写真をサラ・デイビスに見せびらかしたら、彼女はその書棚にある「奥様は魔女」のDVDセットを目ざとく見つけて、「オー、ウィッチー!」と言って、鼻をつまんでぴくぴくさせて、ニコリとした。それから推察すると米国では。テレビドラマ「奥様は魔女」は大人気だったようだ。

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   自宅の書庫

 (2013年当時は蔵書の総重量が4トン、

  2023年現在は本箱が12個増えて、総重量が5トンになっている)

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 2018年9月17日、河村義子先生が大垣でのサラ・デイビスピアノコンサートを企画し、「彼女」(魔女?)を「世界で一流の音楽を楽しむ会」に招聘した。子供達130名を無料招待した。サラ・デイビスは米国の世界的ピアニストである。私はその時、その演奏会運営のお手伝いをした。「彼女」はとても気さくで、子供好きな人であった。彼女は演奏会後、子供たちが大勢いることに気が付いて、急遽、子供達の為にサイン会を設定した。予定外で事務局は大慌てである。子供たちも大喜びでサイン会の行列にならんだ。下の写真はその時の風景である。

 私は、9月22日の京都アルティでのサラ・デイビス演奏会にも出かけ、ツーショトの写真にもちゃっかり納まった。魔女との出会いも一期一会である。私にピアノの魔法をかけた河村義子先生は、その年の12月25日、天国に飛んで行ってしまった。

 

久志能幾研究所通信: サラ・ビュックナー ピアノの調べ (enjoy.jp)

久志能幾研究所通信: あしながチケット募集「サラ ピアノコンサート」 (enjoy.jp)

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 大垣スイトピアセンタにて   2018年9月17日

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京都アルティでの公演会 サラデイビスさんとツーショト

   2018年9月22日の京都アルティで

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2023-10-28  久志能幾研究所通信 2764号  小田泰仙

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2023年10月26日 (木)

私の極楽運転術、事故の再発防止

試験車運転資格

 私の運転技術レベルは、B級レベルだが、正式のテストドライバーの資格を持っている。私の資格は初級で、加齢で運動神経は鈍ってきたが、それでも安全意識は、今でも誰にも負けないと自負している。トヨタの豊田章男会長は、A級のレーサーの資格を持っている。だからトヨタは良い車を作っている。

 

 車や自動車部品を開発する技術者は、自分でその性能を確認せねばならぬ。テストドライバー資格とは正確には「試験車運転資格」である。トヨタが社内資格で、試験車の運転をするために必要と定めた資格である。この資格がないとトヨタの運転試験場(テストコース)で運転ができない。おかげで、私はトヨタ本社のテストコースとトヨタ東富士テストコースで走る経験を持てた。トヨタ本社のテストコースでは時速200キロで走行した。なおその時、私は教官の横に訓練として乗っていただけ….。トヨタカリブの車格では、時速200キロは少しビビる。迫力はあった。

 しかしその資格を持っていても、私も人間だからミスもする。当然、交通事故も起こす。だが安全運転が最優先の資格で、運転の基本を守るから大きな事故は起こさない。またもし事故を起こしたら、私は必ず再発防止をしている。その例を記載する。他人の事故も、他山の石として、自分に当てはめて再発防止をしている。

 

なるべく運転しない

 車を走らせれば、一定の比率で必ず事故は起きる。その比率で保険会社は保険料を設定している。

 脱炭素社会を生きるために、なるべく公共機関を使う。私は、市内以外への移動は、電車を使っている。その方が安いし、時間的に早い。

 私が岐阜(距離21㎞)に行くときも車では所用時間が50分、電車でも50分で、ほぼ同じである。費用は電車が660円、私有車なら2700円程の費用がかかる。車では、さらに駐車場料金も必要だ。事故の危険もあり、電車のほうが安く、電車内で仕事も出来る。だから私は電車使用優先である。

 車の使用料は、1㎞で130円余の費用が発生している。それには、税金、保険費用、車検等の点検費用、車庫代、車の更新費用、事故費用、それと少々のガソリン代である。車は持っているだけで費用が掛かる。車は二号さんと同じで、乗る時は楽しいが、乗らない時の費用が高いのだ。二号さんのトラブルにはお金がかかるのだ。

 

後方ドライブレコーダー

 最近のあおり運転の事故例の多さを見聞して、最近、前方だけでなく後方も記録できるドライブレコーダーに更新した。価格約6万円。

 

前方ドライブレコーダーを2丁拳銃

 前方のドライブレコーダーは当然だが、ナビにもドライブレコーダー機能があって、私の車は2丁拳銃タイプとなっている。往々にして肝心な時にドライブレコーダーが機能しない時があるし、実際にそういう事例があって痛い思いをした。あるヒヤリ事例の記録を見ようとしたら、録画されていなかった。それでバックアップとして2丁拳銃タイプとした。

 

自宅前を自主的な一方通行規制

 最近、小さな物損事故を起こした。それで自主的に、自宅前を一方通行とした。もともと、町内を朝に通過する車で、横着な車の通行が多いので、一方通行にして欲しいと自治会として、警察に嘆願書を出そうとしていた矢先である。この機会に自分だけでもと走行方向を変更した。

 

893ディーラーを避ける

 過去に命を狙われそうになった怖しいディーラーとも遭遇した。私は、そこの創業者から子会社のHディーラーの財務診断を頼まれて、調査した。ところがある幹部から脅迫を受けた。その幹部は元警察官である。異常を感じて、知人の元銀行支店長に相談した。彼曰く、彼は闇の世界に通じているとかで、関与を避けるようにと助言を受けた。私は元銀行支店長の助言に従い、「逃げた」。君子危うきに近寄らず、である。

 その後、その親会社が左前になり、人員整理もしたが、最後は経営権が他社に渡った。その後のHディーラーの内部がどうなったかは不明である。知りたいとも思わない。おそろしや、である。

 

悪徳ディーラーを避ける

 詐欺同然の車検を行う町工場も経験した。G経営研究会の仲間の会社に車検をお願いした。ところが、その社長は、私の車を営業車代わりに乗り回されて、ガソリンを空にして返してきた。おかしいと思い調査した。その悪行は、ドライブレコーダーにシッカリと記録されていた。 

 ディーラー選びは大切である。最近のビッグモーター事件を見て、再確認した。

 

脱出ハンマー

 自分が事故をしたわけではないが、30年前、車を購入する時、トヨタの販売店の店長さんから悲惨な事故例を聞いて、脱出ハンマーを取り付けた。トヨタ純正部品で約3000円である。取り付けて、もう30年が経つが、一生もので使っている。危機管理部品は、危機管理上で、それを使わずに、一生を終えるのが最高の幸せである。

 最近の車は電気を大量に使うため、衝突事故時に火災になる場合が多い。年間、1000台程が燃えているという。車が横からぶつけられて横転すれば、体にシートベルトが食い込んできて、車からの脱出は難しい。焼け死ぬことを思えば、3000円の脱出ハンマーは安いものである。本来、車メーカが標準装備として付けるべき装備部品である。

 

引き上げられた死体には手がなかった - 久志能幾研究所通信

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小さな傷でも修理

 小さな傷をそのままにすると、車を大事に扱わなくなる。だからきちんと直すべきだ。破れ窓の理論である。

 

車両保険を止め

 安全運転を最優先して、その分のお金を貯めて、事故の備えた方がお得である。

 

対物対人保険は無制限

 保険を使うと、翌年から数年間、保険料が高くなり、結局、同じだけの金を払うことになる。それに気が付いて、小さな物損事故では保険を使わないことにした。

 

安い保険会社を使わない

 事故になった際の対応が違うので、価格は高いが大手の信用できる保険会社を使うべき。最近のビッグモーターの不祥事を見ると、それが正しいことが証明された。

 

最低2000㏄の車を選ぶ

 軽自動車は走る棺桶である。自分の身を守るため、最低でも2000㏄の車を選択すべきである。

 

燃費の良い車に乗ってはならない

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セダンを選ぶ

 事故を考えると、安全上でセダンがお勧め。ワンボックスカーが事故に遭うと、その被害状況が大きくなる。セダンはバンパが守ってくれる。

 

曲がらず真っすぐの道を選ぶ

 距離が短いからと曲がりくねった道を選ぶのは危険である。事故は変化した時(例えば曲がった時)に起こりやすい。私は曲がったことが嫌いです。

 

危険個所を通らない、定石を守る

 過去にヒヤッとして事故寸前までいった交差点や危険個所は、なるべく避ける道を選ぶ。

 事故を起きる場所には定石がある。過去に危険な状態の陥った場所を覚えて置き、なるべくその箇所を避ける道を選ぶ。

 

夜は運転しない

 夜は景色が一変して、闇に覆われる。白バイの警察官も夜は恐ろしいと言う。私が人身事故を起こしたのも、夕闇の時だった。それ以来、極力、夜は運転しない。

 

運転中は音楽を聴かない

 運転に集中すべきである。以前にレクサスLSを買って乗り回した時も、一度も(高額の)オーディオのスイッチを入れなった。もったいないと思われるが、運転中は周りの音を聞く事に集中すべきである。命がかかているのだ。

 もちろん、運転中の飲食は厳禁である。

 

パニックブレーキ訓練

 また咄嗟の事故に備えて、パニックブレーキを踏む訓練を1年に一度はしておく。いざという場合、パニックブレーキを踏むのは難しいもの。

 試験車運転資格の取得訓練でも、そのパニックブレーキを踏む訓練が設定されている。

 

改善提案 事故多発交差点の危険性を無くす

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助手席に人を乗せない

 助手席はアメリカではデッドシートと呼ばれている。事故の際、一番死亡率が高い席である。だから私がお客さんを自車に乗せる場合は、必ず後部座席である。

 奥さんに多額の保険金をかけて、乗せる場合はその限りではない?

 

2023-10-26  久志能幾研究所通信 2763号  小田泰仙

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巡礼 渡辺陽子人形展 魔女伝説  in Sagan

 

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 本来の魔女は、古代ゲルマン文明で、土着の宗教として畏敬をもって見られた存在である。それも国ごとに特色ある魔女たちである。例えば、アメリカの魔女は陽気である。日本で言えば、仏教伝来以前の神話の世界やナマハゲ、妖怪たちの世界である。

 古代は、人は目に見えないものに畏敬を抱いていた時代である。当時、魔女は人に危害を与えると考えた存在ではない。祈りの対象でさえある。

 西洋では、良い魔女と悪い魔女が存在する。白雪姫やシンデレラ物語で東条する悪い魔女は、古いキリスト教の影響を受けた文学上のお話しである。文学上の魔女と民衆が抱いていた魔女は同一ではない。

 本来の魔女は、「奥さまは魔女」のサマンサのようにかわいいのだ(と私は信じている)。それを人形として再現したのは、人形作家の渡辺陽子さんである。彼女は40年ほど前、シカゴを訪れた折に出会ったハロウィンで、アメリカ特有の陽気な魔女に魅了され、カルチャーショックといえる感動を受けたと言う。それで魔女を人形作りの技で再現するようになった。その技は人形作家の武藤華世先生(故人)に師事して得た。

 その作品の展示会が岐阜川原町Gallery Sagannで開催されている。魔女にあこがれを持つ私には見ごたえのある作品群である。現代人が思い描く可愛い魔女を、渡辺さんは人形として再現してくれた。

 渡辺さんは神出鬼没で、可愛い魔女のような雰囲気がある。私は彼女にインタビューしようと、何度も試みた。しかし、彼女は訪ねてきた知人と話が盛り上がり、いつも彼女は知人とほうきに乗って何処かに飛んで行ってしまう。魔女を捕まえるのは大変だった(笑)。

 

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魔女伝説

 本来の魔女伝説は、キリスト教が普及する紀元前からあり、古代ゲルマン民族の信仰の対象であったようだ。きっと祈祷で病気を治療したり、霊力ある巫女のような存在を魔女として崇めていたようだ。

 旧東ドイツのハルル地方には、今でも魔女伝説が残っており、魔女祭りも行われている。それは陽気なお祭りであり、中世の魔女裁判とは別世界である。観光シーズンには市の観光課の職員が魔女に扮して、観光客を歓待してくれる。居酒屋では現代の美人魔女が歌を歌い、市民を楽しませてくれる。市民が酒場で酒を飲んで、歌を聞き楽しんでいる。彼女は市民から愛される魔女である。

 ハルル地方の「魔女の集会場」と呼ばれた広場からは、生贄(動物)の血を貯める石の祭壇も出土している。そこは古代ゲルマン民族の大切な儀式の場であったようだ。ゲーテの『ファウスト』に出てくる「ワルプルギスの夜の火祭り」も古代のゲルマン民族の大切な儀式であったようだ。「ワルプルギスの夜の火祭り」は4月30日の日没から5月1日未明にかけての夜を指し、伝えられるところによれば、魔女たちがブロッケン山で大規模な祭りを催して、春の到来を待つという。

 ヒトラーが、そういう言い伝えを信じていたのか不明だが、ヒトラーとその側近は、この祭りの期間中に自殺した。そしてドイツが連合軍に降伏し、欧州に春が来た。

 

中世の魔女伝説

 中世の魔女観は、キリスト教が古代ゲルマン民族の信仰を異端視して、魔女を悪魔の一族として作り上げた虚像である。

 当時のキリスト教世界では、魔女は「悪魔と契約を結んで得た力をもって災いをなす存在」という概念が作られた。15世紀から16世紀の近世ヨーロッパ社会において識字層を中心にこの魔女観が広まって行った。

 その結果、魔女裁判が盛んに行われ、約11万人が裁判かけられ、4万から7万人が処刑されたと推定される。

 15~16世紀に行われた魔女狩りは、キリスト教会の宗教での締め付けと、金稼ぎの術でもあった。無実の女性が火あぶりにされ、その家の財産は教会に没収された。それの恐怖施策で、教会は権力を確固にして、更に暴利を得て堕落して行った。西洋の特権階級は宗教で農奴を縛り、奴隷として、年貢を貢がせ、さらに魔女狩りで無実の人を処刑して巨万の富を得た。

 当時のキリスト教の教義では、異教徒は人間ではないとの考えである。相手が人間ではないので、どんなことをしても構わない。遠征した十字軍も非道の限りを現地で繰り返している。「異教徒は人間ではない」と、ローマ法王からお墨付きをもらっているので、残虐行為のやりたい放題である。それが十字軍遠征の闇の話である。

 その思想の延長線上に、白人の有色人種への人種差別がある。そうでないとあんな残酷なことはできまい。彼らは神から免罪符を得て、残虐の限りをした。そのツケを、現在、欧州は移民問題の騒動で払わされている。

 

現代の魔女狩り

 これが一神教を信じ、独裁政治を信じている人達の末路だ。同じことが、現代でもC国内で行われている。火あぶりどころか生きたまま臓器を摘出して、それで金儲けをしている国があることだ。火あぶりよりも怖しい。それをS学会の御用聞きのK党は、そのC国を援護してウイグル族からの臓器摘出の非難決議を妨害した。そんなK党を支持する人の気が知れない。党員は洗脳されているからだろう。そんな党と連立を組む自民党には愛想が尽きた。

 

2023-10-25  久志能幾研究所通信 2762号  小田泰仙

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2023年10月19日 (木)

「接して漏らさず」害。ジャニーズ危険容器、洗脳で癌になる、嘘報道で日本滅亡

 

 危険なものに接すれば、その危険が身に及ぶ。漏れなくとも、見えない毒が体を蝕む。確かに魅惑的な女性は危険である?  C国のハニートラップは有名だ。それは日本滅亡の危機さえ潜む。

 霧の中を歩めば、自ずと衣が濡れる。(道元禅師)

 それと同じで、良い師匠に師事すれば、その後ろ姿や息遣いから影響を受け、自身の成長ができる。それを薫習と言う。その良き例が、住み込みの内弟子の修行である。囲碁将棋の世界では、名人は内弟子経験者から多く出ている。

 しかし、毒教祖に仕えれば、その毒を浴び、洗脳され、人生が破壊される。そう考えれば、オウム真理教に入信するのも、ジャニーズ事務所に入所するのも同じである。それを支えるジャニーズファンクラブに入会するのも同じく洗脳された状態である。そして日本全体が洗脳されていった。

 ジャニーズタレントがテレビ上で加工食品やファストフードを宣伝した。そのファンがその食品を大量に食べ、多くの日本人ががんになった。それが洗脳による害毒だ。

 現在は日本人の2人に一人ががんになる。それも年々、増加傾向だ。この40年間でガンの罹患者数は4倍になった。60年前は、私の身の回りにがん患者などほとんど見なかった。

 ジャニーズ事務所は、60年前の1962年6月に創業された。ジャニーズ事務所の売り上げ増に合わせて、癌患者が増えていったのは偶然ではないだろう。

 ジャニタレにうつつを抜かす若者が増え、若者が政治に無関心になり、投票率の下がり、利権まみれの政治屋が当選する世相となった。これでは日本滅亡は近い。それがジャニー鬼多川の本来の目的であったので、彼は本望だろう。

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終身刑相当の犯罪

 ジャニ―喜多川の史上まれ見る犯罪が、2023年3月、英BBB放送で報道され、日本の恥が全世界に広がった。この犯罪が米国で起訴されれば、終身刑相当の犯罪である。それまで日本のマスゴミはその事実を知りながら、報道しなかった。BBB放送の放送は、マスゴミの闇を暴く報道でもあった。日本のテレビや報道機関は、終身刑相当の犯罪を忖度で見逃がしていた。

 報道機関が真実を報道しなくなったら、国家存亡の危機である。先の太平洋大戦では、日本大本営が嘘を言って国民を騙し、日本は滅亡した。

 報道などは静かに真相を伝えれば十分だ。太鼓を叩いて浮き立たせる必要はない。広報や報道は絶対に嘘を言ってはならぬ。そうなったら戦争は必ず負ける。

                       (連合司令長官 山本五十六)

結論

 結論:ジャニーズ事務所は日本のがん細胞であった。真実を報道しないマスゴミもがん細胞と同じである。登山で方向を誤った方向を示せば、遭難(死)する危険性がある。それと同じでマスゴミは真実の情報を隠していた。日本を誤った方向に導いた罪は大きい。

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ジャニーズ性加害事件

 美味しい美少年は、ジャニーズ事務所という容器に入れられ、蛇似鬼多川に捕食された。ジャニーズ事務所の合宿所では美少年が食べられ、洗脳教育をされ、その美貌を維持するためホルモン剤まで注射されていた。

 タレント契約書では、契約終了日を明記しない条文である。専門家に言わせると、それはタレントを永遠に奴隷扱いとするの契約書である。この世界では、テレビ局等からの出演料等の情報は、そのタレントに伝えることはご法度であるそうだ。タレント達は知らない間にむしり取られていた。ジャニーズ事務所は暴利を得ていた。

 テレビ局も蛇似鬼多川の性加害を知っていても、彼に忖度して、知らぬ存ぜぬ扱いを長年してきた。テレビ局やマスゴミも同罪で、児童福祉法違反のほう助罪に当たる。

洗脳されていた社長

 その蛇似鬼多川に溺愛された美少年が成人して社長になった。彼は世間の常識から逸脱した価値観で、危機管理意識なき記者会見をして、大炎上を巻き起こした。彼はなぜ炎上したのかの理由が理解できない。その社長は長年洗脳されてきたからだ。

 その社長が38歳の時の2002年5月年、最高裁で喜多川の犯罪が確定した。彼は当時、38歳の立派な分別ある大人であるはずなのに、洗脳されていたので、自身の異常さに自覚が無い。彼は児童福祉法違反のほう助罪に当たるようだ。

 そしてジャニーズ事務所は10月17日に消滅した。その鬼多川が流したた毒は遅延性で、20年後に症状を現す。まるで発がん性物質が、10年後に人を癌にすると同じである。

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ジャニーズファンを洗脳

 その洗脳の魔手は、ジャニーズファンにも及んでいる。ファン達は自分達が、洗脳されていることの自覚がなく、ジャニーズの名前が消えることに大反対である。世紀の大犯罪を犯した犯人の名を冠した事務所名に未練を残すのは、洗脳された証しである。

 ファン達は年間5千円程の会費(5,140円 、入会金1,000円、年会費4,000円、事務手数料140円)を貢ぎ物として差し出している。その総額は年間553億円にも上る。

 ジャニーズ事務所の年間売上額は1,000億円に上る。(2016年ニュース記事から)40年間で4兆円にも上る。日本の防衛費が賄えてしまう。

 2023年10月12日現在、ジャニーズクラブの会員数は13,826,000人である。彼らは、ジャニタレの美少年の演技に洗脳された。あの熱狂的な声援の様は正気の沙汰ではない。ジャニタレ達はCMに出て、添加物満載の食品やファストフードの拡販の一翼を担っていた。それで日本人にガンが増えていった。

 女性ホルモン剤で中性化された華奢な美形男性タレントが、理想の男性像だと言う考えを日本人に植え付けて(洗脳)していった。そうして日本男子が虚弱化していった。まさにジャニーズ事務所はがん細胞である。

 統一教会の会員数が約60万人、年会費だけでも6万円と言われるから、その年間総額が約360億円である。ジャニーズファンクラブは、旧統一教会をも上回る新興宗教団体相当である。

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養生訓「接して漏らさず」

 現代では貝原益軒の養生訓「接して漏らさず」には無理がある。現代は魅力的過ぎるものが溢れているので、毒と分かっていても逆に溺愛してしまう。意思の弱い人間は、その誘惑に克てない。私も知らない間に美味しいものを沢山食べ、その結果、多くの発癌性物質を食べさせられていたようだ。その因果応報として私は4年前にがんになった。

 魅力的なものには罠がある。美しいバラにはとげがある。美味しいものには毒がある。

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対策

 それ以外に、プラスチック容器やペットボトルに入った飲料水、紙コップのホットコーヒー等は毒で危険であると判断したので、私は外出時にはそれらの飲料水は飲まないようにした。

 我家では半年かけて、ほぼ全てのプラスチック容器やペットボトル容器をガラス製に替えた。ペットボトルや紙容器の飲料は飲まないようにした。

 

プラスチック製タッパー

 プラスチック製タッパーは、そのプラスチックからは有害なBPAが溶け出す恐れがある。それでガラス製のタッパーに買い替えた。

 

 ビスフェノールA(BPA)は1891年に発見された歴史の長い化学物質で、ポリカーボネート製のプラスチックを製造する際や、樹脂の原料として採用され、ポリ塩化ビニール(塩ビ)の添加物として利用される。

 ビスフェノールA(BPA)は、肥満、糖尿病、高血圧、心血管疾患など、あらゆる原因による早死のリスクの増加に関連している。 簡単な予防策には、プラスチック容器への依存を減らすこと。

 BPAが腎臓や肝臓を傷つけると言われる。またそれががんの要因とも噂される。それが原因で、学校の給食容器からプラスチック製が排除されたという。

対策

 最近のプラスチックはBPAが溶け出すことはないと言われるが、何か不安なので、自宅のプラスチック製タッパーを全てガラス製に切り替えた。君子危きに近寄らず、である。

 

ペットボトル飲料

 「500mlのペットボトル1本に、平均50個程度のマイクロプラスチックが含まれている。これらは自然界にない異物なので、生物が消化できない。体内に蓄積されていけば、炎症性の腸疾患などの病気のリスクにもつながる。」(東京農工大学 高田秀重教授談)

 マイクロプラスチックの問題としても、プラスチックは傷つきやすく、溶けやすい。それが長年使われると、その危険性が増すはずである。

 ペットボトルのふたには、劣化を防ぐため「紫外線吸収剤」などの薬剤が練り込まれている。こうした添加剤の中には、「環境ホルモン」と呼ばれる毒性物質が含まれていることもある。

 

ペットボトル飲料の危険リスク 雑菌繁殖に大量の添加物「買わないほうがいい」専門家も警鐘!

https://www.jprime.jp/articles/-/24317?page=3

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  一般的には、PETでできたボトルの飲料に、細胞毒性、遺伝毒性、また内分泌攪乱性をもたらす物質が漏れ出すことはないと言われている(Bach et al. 2013)。

 しかしPETを製造する際に触媒として使われアンチモンが、ペットボトルから微量に浸出する (Greifenstein et al. 2013, Westerhoff et al. 2008)。

 アンチモンはヒトに対して発癌(はつがん)性がある(Sundar & Chakravarty 2010)。

 ペットボトル内にはいっている液体が、容器に入っている時間が長ければ長いほど、そして周囲の温度が高いほど、液体へ浸出するアンチモンの量は増えていきく(Greifenstein et al. 2013)。

 ただ、ペットボトル飲料に浸出する少量のアンチモンの摂取が、ヒトの健康に影響を及ぼす証拠はまだないようだ。

 フタル酸エステルがペットボトルから浸出したという報告もあります(Montuori et al. 2008)。米国環境保護庁の定める勧告値よりずっと低いものの、ペットボトル内の飲料水はガラスに保存された飲料水よりも20倍高いフタル酸エステルを含有していました(Montuori et al. 2008)。

【ペットボトルは危険?】微量に溶け出す有害物質

 https://lessplasticlife.com/plastics/health_impact/pet/

 

紙容器のホットコーヒー

 同じように紙コップには、プラスチック皮膜が施されている。そうしないと紙製だけでは、高温の液体を保持できない。そのコップからから平均20個程度のマイクロプラスチックが含まれると推定される。特に、ホットコーヒーで飲む場合はその危険性がある。

対策

 私はそれを知ってから、新幹線内や屋外の自販機でのホットコーヒーを止めた。外出時にコーヒーを我慢するのは、そんなに大変ではない。飲みたければ、きちんとしたお店で、陶器の容器で正規のコーヒーを飲めばよい。

 50年前はプラスチックの容器など殆どなかった。ましてやペットボトル飲料などなくても問題はなかった。拝金主義の売らんかな精神に、日本人は洗脳されたのだ。原点に立ちかえろう。

 自分の身は自分で守ろう。

 トヨタ生産方式では「自分の城は自分で守れ」である。

 

2023-10-18  久志能幾研究所通信 2761号  小田泰仙

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2023年10月17日 (火)

武蔵の『五輪書』に学ぶ、ジャニーズ事件、木原事件

 

 『五輪書』は勝つための兵法書であるが、人生を戦う上でも参考になる。人生上の戦いを考える際、世間で起きる事件の本質は何か、を考えることは人生で戦うための勉強である。それは生きていく上で、敵の考えを見抜くための訓練である。事件は、自分が当事者なら、と考えよう。

 私の母は、常々「男は外に出れば、7人の敵がいる」と私に教えた。何度も言われるので、頭の隅にその言葉がこびりついた。

 その武蔵の『五輪書』を見直して、その項目に啓示を受けた。

 

6 あらゆることについて、本質を見抜く目を養うこと

7 目に見えないものであっても、直感によって悟りを得ようとすること

8 どんな些細なことも真剣に、しかも慎重に注意すること

 

ジャニーズ性加害事件

 ジャニーズ性加害事件の本質は史上まれにみる人権侵害で、マスゴミがその使命を放棄して事実を黙殺し、情報統制で日本人を支配してきた体制が露見したことだ。性被害を告発した人を非難したジャーナリストもある。もし被害者が少年でなく、少女だったら大騒動である。マスゴミや一部のジャーナリストはそれを責任転嫁している。その本質を見誤ってはならない。

 単純な疑問として、単なるテレビ歌謡ショーで、なぜあんなにド派手な演出をする必要があるのか。それは洗脳だからだ。その費用はスポンサーの商品の価格に上乗せされている。それを視聴者は洗脳により、気が付かないようにさせられている。マスゴミは最大の受益者である。だから真実を報道するはずがない。

 

木原誠二事件

 木原誠二事件は、マスゴミの支配体制の露見、マスゴミの政府への忖度、日本人を痴呆化するプログラムの実態である。もっと深刻な本質は、これを見逃がすと、日本の統治機能の崩壊となる。三権分立の崩壊、警察機能の崩壊、政権による情報統制、越権行為で、結果として日本の民主国家体制の崩壊なのだ。

 

『五輪書』

 本書を、宮本武蔵は正保2年(1645年)5月、死の間際まで筆を取り続けた。これは武蔵の生き方を集約してまとめた「勝つための実践兵法書」である。

 

兵法行道九箇条

1 邪心を持ってはならないこと

2 二天一流の兵法の道を実践的に鍛錬すること

3 剣だけでなく、多くのほかの芸術、文化にふれること

4 自分の道だけでなく、ほかの仕事や職業の道をしること

5 合理的に物事の利害得失を判断すること

6 あらゆることについて、本質を見抜く目を養うこと

7 目に見えないものであっても、直感によって悟りを得ようとすること

8 どんな些細なことも真剣に、しかも慎重に注意すること

9 兵法の道において役に立たない無駄なことはしない

 

  私はこの9月末で、日経新聞の購読を止め、先年に日経ビジネス誌の購読を止めた。地上波のテレビなどは全く見ない。ネットとYouTubeで情報は十分に得られる。今は、偏向報道から身を置き、気持ちよく生活している。洗脳から、自分の身は自分で守らないとダメである。

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2023-10-16  久志能幾研究所通信 2760号  小田泰仙

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2023年10月15日 (日)

私の蓄財術、7つの財産

 

 お金は財産ではない。お金は銀行のコンピューター上に記録された数字の羅列でしかない。お金は人生劇場への入場料として必要である。そのためにお金を使わなければ、良い舞台に立てず、よい経験が得られず、良い人生を送れない。お金はチャンスを掴むための経費である。場末の安い劇場では、そこから得られる「利」は少ない。だから高くても良質な舞台を選ぼう。「利」とは仏様が与える恩恵である。

 現金だけ集めても、それを使わなければ、心の貧乏人である。お金は使ってなんぼである。必要な入場料を払わず、現金を掴んで離さなければ、良い舞台に立てない。真の財産は、新たな舞台に挑戦する勇気、それに躊躇しない逞しさと心の豊かさである。それを徳という。

 

1 人生経験という財産

 財産とは成功体験だけでなく、失敗経験もより大きな財産である。多くの失敗を犯し、流した涙と汗の分だけ、多くの智慧と徳が付き、結果として後年の成功を得られる。エリート呼ばれる上級国民が、人生後半でドジをやるのは、若い時に大事に保護されて、その失敗を経験していないからだ。自転車の訓練でも、最初に沢山転ぶと乗る技術が上手くなると同じだ。だから上級国民の末路は悲惨である。人生三大不幸の一つが、「若くして高台に登る」である。

 

 約40年まえ、私が前職で主任として働いていた職場に、エリート扱いを受けた若手2人が異動してきた。二人ともエリート意識丸出しの鼻持ちならないやつであった。そして古参の非エリートの私を追い抜き、超厚遇をされるようになった。二人は会社から大学院に派遣され、博士号まで取らせてもらい、海外出張さえ最優先であった。同じ職場で、私は貧乏くじを引かされた。その10年後、贔屓していた上司はいなくなり、任されたプロジェクトが中止となり、その一人は会社を後ろ足で泥を掛けるように退社し、もう一人は会社に残ったが、後年、閑職で定年を迎えた。それが自分はエリートと自認もし、周りからもそう呼ばれた若者の末路であった。天網恢恢疎にして漏らさず、を実感した。

 

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2 師の教え、思い出

 人生の道を歩くうえで、師の教えがお宝であることに思い至る。それは人生道を歩く上の地図であり、コンパスである。それが無ければ人生道で迷う。16年間、人生道を教えて頂いた馬場恵峰先生には感謝しかない。

 それで私は約1000万円の金を使ったが、相応の学習財産ができた。約1000万円は16年間での九州までの交通費、宿泊費、師の書画購入代等である。馬場恵峰先生は中国に240回以上も行き、その旅費で約8,000万円が消えたという(一回の旅行で約30万円余である)。恵峰先生は「それで手元に何も残っていないが、経験・信用・人脈と言う財産が残った」という。私は師の後ろ姿から多くを学んだ。

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3 健康力

 健康でなければ、美味しいものも食べられないし、旅行もできない。毎日が憂鬱である。健康でないと、お金も使えない。お金を使うには、体力がいる。

 私ががんを罹患して、体力がなくなった。それを失って初めて、健康の重要さを痛感した。体力が無ければ、お金も使えない。健康でなければ、決して幸福になれない。死んでもいいから健康最優先である。

 

 

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 上図は病気見舞いのお礼として皆さんに配った色紙。

 馬場恵峰先生に、約20枚を揮毫していただいた。

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4 少しの友

 社長業をやっている知人から、年賀状が500通だ、知り合いが数百人いるとかの自慢話をよく聞く。そんな「友人」が500人いても、その「友人」と1時間話しあっても、合計で500時間が必要だ。その友好関係を維持するには膨大な時間とお金がかかる。そんな中途半端な名目だけの「友人」と付き合うことに時間を使っていたら、人生が終わってしまう。心を許した徳のある友人は数人で十分である。

 

5 少しのお金

 日本でお金と言われる代物は、日本銀行券である。それはあくまで、日本銀行が保証した、兌換券でしかない。日本銀行が保証しなければ、紙くずである。

 1947年、日本政府は新円を発行し、今まで持っていた円を使用不能にした。ほんの76年前のことだ。それで母の父(私の祖父)の退職金が紙くずとなった。だから母は、私に「政府を信用するな」と口を酸っぱくして教えた。

 国体が変われば、お金は紙くずとなる。その時に必要な財産とは、どんな時代、どんな社会でも生きていける才覚を養うことである。その時に、稼ぐことができる能力が、真の財産力だ。両親は、戦後の激動の時代を裸一貫からがむしゃらに働き、一財産を作り、私に残してくれた。

 お金は、当面の生活が出来る少々を持っていればよい。チャップリンは「人生で必要なものは、勇気と想像力と少しのお金」と言った。あの世にはお金を持って行けない。稼いだ「お金」は、自分の人生体験と能力向上に振り向ける。今は、明日を知れぬ激動の時代である。隣国からの日本侵攻、南海トラフ大地震が起きるやも知れぬ。その時にその持てる生きる力がものを言う。

 

 

6 社会貢献という財産

 社会に貢献したということは、天に貯金をしたことだ。それで将来、自分だけでなく、子孫にも利子(社会からの恩恵)が支払われる。

 先の大戦では、私の家系で叔父が2名、お国に命を捧げた。一人は極寒のシベリア、もう一人は灼熱のインパール作戦の地で亡くなった。父はシベリア抑留に人生の一時期を捧げた。それで今の日本がある。父がシベリアで死んでいたら、私の生はない。私はその恩恵を私は受けて生きている。毎日、感謝で仏壇に手を合わせている。

 馬場恵峰先生は、60歳の時、社会貢献として、家屋敷を担保に入れ、生命保険に入り、1億円の借金をして、日中文化資料館を建てた。その借金は24年かけて84歳の時、完済した。だから天は師を94歳まで現役で活躍させる恩恵を与えた。

 

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 350坪の敷地に建つ日中文化資料館  大村市

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5 賢さという財産

 いくら知識・智慧・財産があっても賢くないと、それを使いこなせない。賢くないと、頭の良さは悪知恵となり、周りに害毒をまき散らす。木原誠二、ジャニーズ喜多川のように。

 日本のエリートと呼ばれる類は、知識はあっても智慧と徳が無い。ましてや賢さもない。更に公僕と言う意識は皆無である。記憶テストで高得点だけを取った東大出のエリートが日本滅亡の政策をごり押ししている。今の日本の停滞の原因は、トップの堕落が原因である。己の蓄財に熱心で、日本を泥船化して、一緒に沈んでいくことに気が付かない。その結果、増税邁進、中韓迎合、保身の無為無策、世論無視である。木原誠二問題、統一教会問題、ジャニーズ性加害事件、谷町の闇、宝塚歌劇団問題、等はエリート政治家の利権が関係している。

 

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  松本明慶大仏師作 普賢菩薩像

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6 素直さという財産

 いくら幸運に恵まれても、驕ってしまえば、衰退である。素直に置かれた状況を受け入れる素直さ、回りの人の意見を聞ける素直な能力も大事な財産である。どんな状況でも、生きていることに感謝である。

 

7 宗教力

 宗教の「宗」とは家の「ウ冠」と神への捧げものを表す「示」からなる象形文字である。つまり宗教とはその家の教えである。仏教やキリスト教は、大量生産に相当する大手企業と同じである。家の家訓は家庭料理と同じである。それはご先祖が何代にも亘って作り上げてきた教えである。2000年前は、それらの大規模宗教団体が成立していないので、各家の教えが宗教であった。要は家庭料理である。毒のある外食(新興宗教団体)よりも、家庭料理(家の家訓)を大事にしよう。それは財産である。母や父の教えを守る。それも宗教力である。

 

 

2023-10-15  久志能幾研究所通信 2759号  小田泰仙

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