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2022年12月 1日 (木)

燃費の良い車に乗ってはならない

 

 重量ある人間が、一定の距離を移動するためにかかるエネルギーは、どんな車でもあまり変わりがない。自然界の物理の原則だ。

 燃費を気にするなら、車を使うより、歩くか電車を使うのが良い。燃費が良いとして、頻繁に長時間車を運転することになると、運動不足で早く極楽浄土にいくことになる。それこそ極楽運転道に反する行為である。 

 だから燃費の良いと謳う車には、裏がある。ハイブリッド車は、その燃費の良さ分だけ、価格が高くなっている。構造が複雑でバッテリー代等で、ガソリン車より高くなる。車費用の生涯総金額では、ガソリン車と同じである。ハイブリッド車は燃費の良さを先払いしているにすぎない。

 軽自動車は確かに燃費が普通車より良いが、その分、事故の際に人間を守る構造が弱くなっている。事故になった場合の損害額を、日本の全体で計算すれば、燃費の良さはチャラになる。軽自動車は事故時の損失が莫大である。軽自動車と普通車が正面衝突すれば、軽自動車の致死率は、普通車のそれの7倍である。

 電気自動車は、車生涯のトータルで、ガソリン車よりもエネルギーを消費し、CО2を余計に排出する。このまま電気自動車化を進めると、電気が足りなくなる。その場合、燃費(電気代?)は暴騰する。

 

命の浪費

 一番大きな問題は、命を無駄にすることだ。燃費が良いと勘違いをして、つい遠出をしてしまう。気が大きくなるのだろう。近場で食事をすればよいものを、燃費がよいと30分もかけて遠くの安い食堂の出かけてしまう。燃料代よりも安い昼食代よりも、その往復の時間が無駄である。時間は命なのだ。無為な時間を移動に使われる。知人がよく遠くの安いメシ屋の連れて行ってくれたが、その分の時間(命)が無駄になった。同乗中は何もできない死んだ時間である。

 また事故は走行距離に比例して、一定比率で発生する。燃費を気にせず多くの距離を走れば、その分、事故が増えるのだ。車は走る凶器である。意識せず、油断して走った時、事故は起こる。事故を起こせば、燃費のメリットなどすぐ吹っ飛んでしまう。

 私は市内以外の移動は、電車である。電車の中なら仕事が出来る。考えることも寝ることもできる。車ではそういうわけにはいかない。

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2022-12-01  久志能幾研究所通信 2556  小田泰仙

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