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2022年12月 2日 (金)

108歳を目標(12/14) ながらメシ 佛の怒り 死の海へ

 

 人が食品を食べるとは、他の命を自分が生きるために頂くこと。そんな厳かな所行中に、テレビを見ながら食べるとは、命を自分のために捧げてくれた生物、またその命を恵んでくれた神仏に対して冒涜である。神仏を冒涜しては、長生きはできない。

 そのテレビも食え喰えと洗脳説法のCMばかりなのだ。

 食品とは、自分が活動するエネルギーを得るためでもあるが、その食品の半分は、自分の体を作る素材となっている。その大事な体の建設作業中に、お笑いのテレビ番組で気を逸らしてはならない。その命の栄養素を全て吸収するつもりで食べるべきだ。

 ながら食事では、しっかりと噛むことなく食物を胃の中に流し込むことになる。咀嚼での信号が脳に行かず、満腹感が脳に伝わるのが遅れる。それでつい食べ過ぎてしまう。肥満こそ、病気に第一原因である。気の入らない食事行では、栄養も中途半端にしか、体に回らない。それでは長生きはできない。

 

 その食事が本当に正しい食事なのか?毒ではないのか? テレビに洗脳されながら食べていては、正しい答えに到達できない。

ながら人生での行きつく先は、病死、ガン死、認知症等の死の海である。

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正しい食事

 食べることは生きることだ。その姿勢で人生が変わる。その食を与えてくれた神仏に感謝をして、一口一口味わって食べる。食べ物に佛性がある。その佛性が己を育ててくれる。

 人生で出会うご縁も同じだ。出会ったご縁を大事にする。一期一会。最近では、料理を一杯並べ、食べ散らかすのがかっこいいと思っている人もいるようだ。そういう人が成功したことを聞いたことがない。

 

一杯のラーメン

 私が小学生の頃、母がインスタントラーメンをよく良く作ってくれた。母はそのラーメンを野菜等で増量し、2つに分けて出してくれた。一つは母が食べるためだ。食欲のある私は、母をけちだと思い、1食分全部食わせろと心の中で思っていた。母はそうやって節約していた。50年前は日本全体が貧しかったのだ。幼い私はそこまで頭が回らなかった。

 いまはその事を忘れて、日本全体が飽食に溺れている。テレビでは食べ物のCMばかりである。しかし日本の食料自給率が40%を切って、非常時は大変なことになるのに、日本人はノー天気である。その神仏からの警告が病気の増加であると思う。50年前は日本の総医療費が10兆円だったが、現在は43兆円を超えた。それでいて病気は減らず、がんは激増である。なにかおかしい。それを考えて、日本の事を考えながら、食べる時は食べることに集中しよう。何かが見えてくる。

一事一心一念道、一食一心一念道

 

東印請祖

 我々が呼吸をしていること自体、食べることが出来ること自体、お喋りが出来ること自体、一大経巻を説き続けることなのだ。(お釈迦様の霊鷲山会上の説法で)

 我々が一大経巻を説く行いとして食事をする時、よそ事をしてはならない。108歳を目指すために、心して食事をしよう。

 

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2022-12-02  久志能幾研究所通信 2557  小田泰仙

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コメント

はじめまして大垣出身で大阪在住の岡村と申します。大垣商業を卒業以来、大垣からは30年ほど離れていますが、また活気のある大垣駅前に戻って欲しいとよく思います。頑張って下さい!

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