2018年9月 4日 (火)

2600万円の医療費請求に真っ青

 先ごろ、私宛の医療費2,600万円の請求書をみて、将来が絶望的になり、病気になりそう(?)になった。この8月に、今年度の国民健康保険の金額が確定したと大垣市役所から通知が来たのだ。その金額と、月に一度、3つの病院に行く費用を合算すると年間に65万円ほどの金額になる。これが40年間続く(?)と仮定すると、合計で2,600万円となる。

 その原因を調査した。原因は、小川敏市長の経済政策の無能と食品メーカの暗躍、マスコミの忖度である。

 

対策

 医療費を安くするには、早く死ねばよい。しかしまだまだこの世に未練があり、あと40年(?)は生きたいと思う。

 国民健康保険の費用は、自分でいくら健康に気を付けて精進しても、安くならない。だから落胆したのだ。日本国全体の医療費は40年前に比べて10兆円から40兆円と4倍の増加である。その分、国民健康保険の金額も上がっている。

 せめての対策で、私のブログで本件課題の摘発と病気撲滅の啓蒙活動を行い、少しでもその費用が減るように、世に貢献したい。

 だから死んでもいいけど(?)、健康管理は死に物狂いでやらねばなるまい(?)

 

小川敏大垣市長の責任

 国民健康保険は、市町村毎に基準が決められており、その都市の財政状態でその基準が変わる。結果として市の経済が衰退しつつある大垣市の国民健康保険料はド高いのだ。全て小川敏市長の経済政策が無策であるため。大垣市長の最大の仕事は、大垣市を繁栄させること。大垣市民の国民健康保険の費用を安くする一手段は、大垣市の経済発展である。

 

大垣市の国民健康保険の税率は35%高

 市民のかかる病気は、人間だから全国で同じである。一人当たりの医療費も同じくらいである。だから市民の年収が少なければ、税率を上げて国民健康保険の税収を稼がねばならぬ。大垣市民の年収は全国平均より100万円も低いので、その分の税収を、国民健康保険の税率を上げて対処している。そうなったのは全て行政、小川敏市長の経済政策が極悪であるのが原因である。経済がうまくいっている刈谷市と比べると、衰退の大垣市のそれは税率が35%も高い。市民にはそんなことはマル秘なのだ。単独でその税率の数値を知らせるだけだから、市民はそんなものかと関心がない。私も今日になって、他市と相対的な調査をして初めて分かったことだ。普通の市民は全く知るまい。

 大垣市の国民健康保険の税率で、所得割は11.29%で、刈谷市のそれは8.8%なのだ。刈谷市の規模は大垣市と同規模である。さらに狡猾な大垣市政は、国民健康保険の税率に他市にはない「資産割」を黙って付与して課税している。刈谷市にはこの課税はない。その額、おおよそ1万6千円。日本人の平均年収420万円(2017年)とすると、大垣市民の国民健康保険金額(年間)は約53万円で、刈谷市のそれに比べると約10万円も高いのだ。

 皆さんも、自分の市の国民健康保険の税率、金額を他市と比較するべきでしょう。それで行政の姿勢がわかる。市はその金額が高いか低いかなど、口が裂けても言わない。

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食品会社の責任、テレビ広告の責任

 今の世相は、食品企業の金儲け主義で国民の健康が侵されている。私は医学には素人だが、今までの情報と自分の病状を総合すると、食の快楽を求める風潮が氾濫して、その弊害で医療費が上がっている。その結果として男性の6割、女性の4割の人がガンで死ぬ結果になっているようだ。

 食品会社は食品の味に至福のポイントを開発するために多大の開発費を使う。食品会社は消費者の健康を考えて商品開発をしていない。食品会社が求めるものは、売上・利益で、そのために健康とは無関係で売上に直結する味付けである。食べだしたら止められない味付けの開発である。それには毒(化学調味料、糖分、脂分、防腐剤)が含まれている。それが病気の主原因だと、私の体験や各種データから見て推定した。

 

マスコミの忖度

 食品会社はマスコミの主スポンサーなので、テレビを筆頭にマスコミも触れない事項である。40年前に比べて日本の医療費が4倍に高騰して、何故、国民の半分がガンで死ぬ状況に激変するのか。医学が発達して医療費が増えれば、病気は減らないとおかしい。なぜガン患者が増え、認知症患者も増え、それが話題になるのか。40年前はそんなこと話題にも上らなかった。おかしい。それの真因にはマスコミは、食品関係のスポンサーに遠慮して報道しない現実がある。我々に残された手は、自己防衛である。私は、間食なし(目標です)、禁酒、油・糖分・添加物の入った食品を避けている。

国民健康保険の税率    1-.jpgをダウンロード

2018-09-04  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月 3日 (月)

400万円をゲット

携帯電話5分間の無制限契約

 今まで携帯(ガラケー)の契約は「5分間まで無制限のかけ放題」にしていた。契約した当初は、そんなに電話もかけず、時間制限5分もあれば十分だと思っていた。実際、当初に発生していた費用も1000円余であった。

 それが、最近、ブログを立ち上げたこともあり、電話をすると20,30分も話すことが多くなった。ある日、気になって明細を見たら、長い間、1万数千円の請求額が続いていた。携帯電話の請求は、月に一度のクレジットの請求書の中で、多くの行の中に紛れて、請求が一行で記載されているだけだから、この1年ほど気がつかなかった。愚かであった。

 

24時間の無制限契約に変更

 それで「5分間までの無制限」から、今回「24時間の無制限」の契約に変えた。それで毎月の基本料金が1080円から2,128円に増えるだけである。この処置で毎月の携帯電話料金が1万円以上も激減した。年間10万円、40年間で400万円の節約である。(あと40年?を生きる予定で。その頃はテレパシー通信で無料?)

 

固定電話の請求書

 固定電話の請求書は、別料金で毎月、紙の請求書と明細が来るから、注意はしていた。しかし携帯電話の請求金額がいつしかネット掲載になり、手元に紙の請求書が届かなくなった。そのため、使った金額がノーマークとなっていたわけである。固定電話の請求書もネットでの明細にすれば、毎月の100円の経費は不要となる。私は今でも、それをあえて100円を払って紙の請求書の郵送にしている。費用の「視える化」である。

 固定電話も携帯電話も同じ会社にして、まとめ請求とすべきであろう。現在は固定電話と携帯電話の会社が違う。近い将来、その変更をしようと思う。

 

スマホはやらない

 私は頑迷にガラケー派である。何もあんなに小さいスマホ画面を睨んでまでしてネットをやりたくない。所用は携帯電話で充分である。ネットは自宅の大画面(27インチ)でやれば済む話。今の私には、そんなに1分、1時間を急がねばならぬ用もない。急用は携帯電話で事足りる。スマホがあれば便利かもしれないが、お金がかかる。月に数回の便利さだけで、スマホの通信費用約5000円を払う価値があるか、冷静に考えた方がよいと思う。新幹線の予約など事前にPCですればよいこと。 

  5000円があれば、私はその分を本代に使う。現在の私の毎月の書籍代は4万6千円。それがこの40年間、積もり積もって、自宅の蔵書の総重量は4トンである。その値は数年前のリフォーム工事で、本を引っ越し時に測定して判明した。我ながら呆れもした。段ボールで150箱あった。

皆さん、スマホをいじる暇があったら、本を読みましょう。

 

スマホのゲームの罠

 電車でスマホに取り組んでいる人を見ると、ほとんどがゲームである。日本人として情けない話である。私はゲームはやらない。陰の黒幕が日本人を堕落させるための陰謀だと思う。

 友人が、妻が月に3万円程、スマホのゲームに金を使うと嘆いていた。スマホのゲームは麻薬のようで、やめられないようだ。妻にいくら言っても聞かないようで、お手上げとか。これはWHO(世界保健機関)が認定している「ゲーム依存症」という病気なのだ。「誰がゲームで儲けているのだ!」と考えないと生活が知らず知らずのうちに破壊される。

 

2018-09-03  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月 2日 (日)

「生老病死」で人生賛歌

 「生老病死」は四苦といわれるが、見方を変えればそれは人生の喜びである。それを四苦と見ると、生命の存在を侮辱することになる。生あるものは、必ず死がある。死を考えるより、生まれたことを喜ぼう。

 

 生とは、何ものに代えがたい喜びである。筑波大学の村上名誉教授の説では、人間として生まれる確率は、1億円の宝くじが1億回連続で当たると同じくらいの幸運である。己が牛、豚に生まれなかったことを喜ぼう。

 

 老とは、大成する意味で、人間としての到達点である。大老、長老、と大事な名前である。それは精神の熟成である。最近は、年をとっても精神が痴態化する人が増えた。それは老成とは言わない。退化である。老になれば、尻の赤い若造ではないのだ。

 

 病とは、命を長らえさせる役目があるから、長生きできる。病を得ても、直ぐ死ぬわけではない。病は神仏からの警告である。そのままの生活態度なら、死は早いよと、優しく教えてくれている。その悪い生活習慣を直せばよいのだ。そんな親切な声に喜ぶべきだ。

 病とは、人生道を制限速度以上で突っ走ってきて、神様からスピード違反の切符を切られただけである。師も見込みのない弟子には、何も言わない。言っても無駄だから。言ってももらえただけ幸せである。少し人生の疾走速度を落とせばよいだけだ。自分の体が悲鳴を上げているのに、それを無視するなど鬼である。そのまま走れば突然死である。突然死は、何物にも代えがたい悲劇である。病とは、人生道スピード違反の取り締まりレーダなのだ。それを無視すれば御用で、あの世生きである。

 

手塚治虫さんの死

 手塚治虫さんはスキルス性胃癌におかされた。当時の習慣として本人には病名は告げられなかった。100歳まで描き続けたいと言っていた手塚さんは、病院のベッドでも医者や妻の制止を振り切り漫画の連載を続けていた。最後は昏睡状態に陥るが意識が回復すると「鉛筆をくれ」と言って、死に際の状態でも「頼むから仕事をさせてくれ」と仕事への執着心を無くさなかった。それが手塚さんの最後の言葉であったという。

 

人生の「水木サンルール」

 天才と呼ばれた手塚治虫さんは、仕事に超多忙で、いわば暴走して60歳で亡くなられた。命を削って仕事をされたのだ。まるで突然死である。例えれば神様から超高性能ベンツを与えられて、命の意味を勘違いして飛ばし過ぎたのだ。

 水木しげるさんは、途中でそれの誤りに気が付いて暴走スピードを抑えて、仕事量を減らし、人生の「水木サンルール(幸福の7か条)」を取り戻し93歳の人生を全うされた。長生きしたから、紫綬褒章、文化勲章を授与された。水木しげるさんは血のにじむ努力をされた方で、手塚さんのような天才ではないと思う。その生き方には、妖怪の導きと援助があったように見える。妖怪の霊が、いつも水木さんを見守っていたようだ。

 凡人の私には、天才肌の手塚治虫さんより、水木さんの生き方が参考になる。我々に与えられた人生の乗り物は、良くて日本車の2500ccクラスの能力なのだ。水木さんは、その車を大事に乗って、境港市に水木ロードを作った。

 

 死とは、生を生むために前工程である。死があるから、生がある。死なくして生はあり得ない。生まれるてくる胎児も、手の指の間の細胞が死ぬことで、指が形成される。今あるモノが死ぬことで、新しいものが創られる。

 徳川家康や菅直人やヒットラーが、現代でも生きていれば困る。菅首相が今も首相の生命を保っていたら、日本は破滅である。徳川家康がまだ生きていたら、安倍さんも政治がやりづらかろう。TTPどころか、鎖国である。徳川幕府が死んで、明治政府が生まれて日本は発展した。死は現状に新しい息を吹き込むのだ。死があるから緊張感がある。任期もその職の死である。死があるから、任期を意識して仕事ができる。

 いつまでも己がその座を死守して居座っていては、後進が育たない。新しい目が出ない。後進に道を譲るのがそのポストの死である。そうやって組織は成長していく。新陳代謝のない組織は、永遠の死があるだけ。

 

 余生とは、生への冒涜である。人生で余った生などあり得ない。余命を楽しむ人は認知症の人である。すでに死んだ状態である。毎日が、新しい命の生まれであり、寝る時がその日の死なのだ。翌朝、まだ息をしていれば、まだこの世でやることがあるとの神仏の声なのだ。「起きたけど 寝るまで 特に用もなし」では、業病に悩む人は、その命をくださいと懇願するだろう。

 

水木サン 幸福の7か条

 1.成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。

 2.しないではいられないことをし続けなさい。

 3.他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。

 4.好きの力を信じる。

 5.才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。

 6.なまけ者になりなさい。

 7.目に見えない世界を信じる。

 

お見舞い品

 以上は平澤興著『平澤興語録 生きよう今日も喜んで』(致知出版社 1000円)にある「四苦即四喜」の章の内容にヒントを得て記述した。著者は元京都大学総長で、ノーベル賞候補にもなった業績を上げられた。この本は、小冊子で全152頁、大きな活字で少ない文字なのですぐ読める。これは病気見舞いに最適の本である。私は今までに病気になった方に累計で30冊ほどを贈っている。皆さん、この本を読んで、生きる力をもらったと大変喜ばれる。病気でなくても、生きる力をもらうために、お勧めの本である。

 

2018-09-02  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年9月 1日 (土)

地蔵菩薩尊の慈愛

 地蔵菩薩尊は男性の仏様だと思われがちだが、本来「仏さま」に性別はない。お釈迦様の入滅後、弟子達が表した教典の教え(仏性)を、概念として表現したものが「仏」であり、それを具体的に形に表したものが「仏像」である。

 「菩薩」とは、悟りを開くべく修行の道を歩いている仏の姿で、お釈迦様の若い頃の修行の姿を現している。「菩薩」とは、母性の悲愛、慈愛、母の優しさを現している。観世音菩薩や地蔵菩薩は、「母性」を現す佛様なので女性として扱われる。子安観音菩薩や子安地蔵菩薩のように幼子を抱いた仏像として表現される例が多い。

 それに対して「如来」はお釈迦様が悟りを開いた後の姿で、慈愛、父親の厳しさを表している。奈良の大仏は毘盧遮那仏=大日如来、鎌倉の大仏は阿弥陀如来で、共に性別はないが、上記のように如来は「父性」を表しているため、男性的な表現が一般的である。

 インド仏教から組み込まれた「天」には性別があり、帝釈天、梵天、四天王、十二神将、金剛力士などは男神。吉祥天、弁財天、技芸天、鬼子母神などは女神。

 

慈愛

 慈愛とはラテン語でpietaである。ピエタはミケランジェロが終生、追い求めたテーマでもある。世界で一番有名なピエタ像が、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に飾られている。宗教上での慈愛は、宗教派を問わず、普遍的な人間性のテーマでもある。理不尽な理由で我が子キリストを殺されたマリアができることは、黙って慈愛の目を差し向けることだけである。

 それは昭和20年7月29日夜、目の前で米軍B29の90機の大編隊での無差別爆撃から逃げまどい、焼死する庶民を見つめた室村町4丁目地蔵菩薩尊(先代)と同じである。この慈愛は無償の無限の愛である。先代の地蔵菩薩尊は105年に及ぶ室村4丁目の町内への慈愛の見守りのお役目を終え、2016年に新しい地蔵菩薩尊にお役目を渡された。

 

「慈」の象形文字

 「慈」とは「心」と「茲」から成る。「茲」は、「増える(子を増やして育てる)」=「愛」と「心」で「母」の意味を持つ。「慈」の反対語は「厳」である。旧字体は「嚴」で、冠の「□□」と「嚴」の下部(音)から構成される。「□□」は、「厳しく辻褄を合わせる」の意味で、「父」の意味を持つ。自然界は陰陽で出来ている。優しい母がいて、その背後に厳しい父がいて子供は育つ。

 

ミケランジェロのピエタ像

 サン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ作のピエタ像には、私が定年退職記念でローマ旅行した時(2010年11月10日)に出会い、衝撃を受けた彫刻であった。次元の違う彫刻に遭遇したような思いである。10日間のローマ滞在中、3回もこのピエタ像を見るためバチカンを訪れるほど引きつけられるものがあった。1972年、トルコ人の精神病者がピエタ像をハンマーで打ち付ける事件が起き、それ以来防弾ガラスが据えられ、本物は10m先の防弾ガラス越しでしか鑑賞できない。しかし、宗派を超越して、キリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も世界各地から訪れた老若男女が長時間、ピエタ像を見つめていた。宗派を超越した慈愛の姿であった。

 運慶の流れをくむ松本明慶大仏師は、この像を見るのを自分の技量がそれに見合ったものになるまで、50年間も待ったという。2013年、念願が叶い、ピエタ像の前で30分間も凝視をされた。その経過はBSプレミアム・旅のチカラ「ミケランジェロの街で仏を刻む~松本明慶・イタリア~」に詳しい。これはオンデマンドでも視聴ができます。

 

レプリカ

 後で隣接したバチカン美術館に、この精巧なレプリカが展示してあるのを発見して、至近距離1mから長時間、お顔を拝ませて頂いたのは幸いであった。

 最近、岐阜県美術館のロビーに、これと同じ精巧なレプリカが展示されているのを発見して、拝ませて頂いた。しかし、設置場所が明るすぎで、なにか荘厳さが伝わらず拍子抜けをした。

1img_1008  サン・ピエトロ大聖堂

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 ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 20101110日撮影 

 見学者用柵から10m先に防弾ガラスで覆われて安置

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 岐阜県美術館で

 

2018-09-01  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。             

2018年8月31日 (金)

大垣市が奏でる妖怪経営

人生経営でのデュエット 

 カナデノワコンクールで、ピアノのデュエット演奏だからと言って、二人が同格はなく、どちらかがリードを取らないと、メリハリがなくなる。それは演奏する二人の姿に現れる。組織とは2人いれば、成立する集合体である。組織である以上、どちらかが決定権を持たねばならぬ。

 家庭という組織なら、お母ちゃんが社長である(笑)。なにせその組織に一番多くの時間を費やして、家庭に一番目を光らせているのは母親だからだ。お父ちゃんは、外の組織で社長として稼ぐのに忙しい。定年後、ふと家庭を顧みると、お父ちゃんの居場所はない。それで定年離婚が成立する。父親は、家庭に目を向ける時間があまりに少なかった咎である。

 分野別の事業部で、責任を分担したほうが、家庭がうまくいく。それでも、常時、互いに目を向けないと協奏が成り立たない。このカナデノワコンクールは、お互いの協調によって、曲を奏でることが評価される。二人で作り出す演奏である。出しゃばらず、引きすぎず、二人で最高の音を創造する技量が問われる。そのためには、リーダーの役割が大きい。

 あなた(夫)は家庭の責任者として、奥さんのリードに従っていますか? 家庭では「稼いでの輪」の演奏を「奏での和」にして、夫婦で頑張らなくてはならぬ。

 

未来食い妖怪

 大垣の未来を創るという仕事は、行政と実務者の市民とのデュエトなのだ。勝手に行政が、金を使いたいだけの行事のやりたいことばかりするから、不協和音を発して大垣市は衰退していく。

 現在、大垣市制100周年記念行事として、水まんじゅうギネス挑戦、大相撲大垣場所、お宝探偵団、NHKのど自慢大会、大垣さん大集合、ディズニーパレード、等が実施、計画されている。これらを実施しても、大垣の未来のためには、何の種まきにもならない。業者だけが潤い、税金の無駄遣いである。

 なぜか大垣市はこういう音楽活動の文化行事にお金を出さない。大垣市長が芸術に無理解であるためである。ノーベル賞受賞者の大村智先生はカナデノワコンクールの前日の大垣市の講演会で、哲史と山本周五郎の言葉を引用された。

「芸術を楽しむことによって、情緒が高められたり、品性が陶治される(哲史)」

「すべて芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもの(山本周五郎)」

 大村智先生は、北里研究所病院での芸術作品の活用で、教育にフル活用されている事例を紹介された。

 この場に小川敏市長も同席して、挨拶で大村先生の講演に感銘を受けたと吹聴していたが、実際の行動が大村智先生とは逆で呆れる。小川敏市長がその座にあるのが大垣の不幸である。

 

マル秘口無し妖怪が跋扈

 カナデノワコンクールは、ボランティア活動で、子供達の未来のための投資である。こういう文化の行事に、大垣市はビタ一文金を出さない。大垣市制100周年記念事業の愚劣な行事には3億円余もバラマキである。なおかつそのお金には腐臭が感じられる。なにせ使用用途と会計報告はマル秘なのだ。哲史が言うように、それから見ると確かに大垣市長の品性は高くない。

 今年のカナデノワコンクルールの参加者がかなり減った。日程が悪かった点もあるが、基本的に市の援助がなく、ボランティア活動として運営している点が最大のネックであろう。なんで「水まんじゅうギネス挑戦」が市の全面資金投入で、未来の子供たちの情操教育のイベントが市民だけの寄付に依存した活動なのか。

 

計値ケチ妖怪の尻尾

 小川敏大垣市長は、派手なことには顔を出し、出しゃばるが、地道な保守、教育、文化、環境整備には「節約」とかで金をケチる(計値)。1000人収容能力のソフトピアジャパン大ホールの貴賓席の椅子がハゲハゲなのだ。たまたま目にした大垣市長の貴賓席の背もたれが、ぼろぼろ。まるで大垣市長がしっぽを出したのを象徴するようだ。一事が万事である。人の育成や建屋の保守とは地道な仕事である。それには小川市長はまるで関心がない。己の自己満足と大垣の子供の教育を値踏みの天秤にかけ、教育を捨てたのだ。それをケチという。

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 大村博士の講演会 大垣ソフトピアジャパンの大ホール

 左は小川敏大垣市長、右は伊藤秀光県会議員

 貴賓席なのにボロボロの椅子  2018年8月7日

 

園児を食い物にするムシムシ妖怪

 5月15日と7月18日に文科省から生徒の熱中症対策の注意喚起があるにも関わらず、大垣市長命令で、8月4日の芭蕉楽市で、炎天下36度の高温のなか、「みつづかこども園」の園児を無帽で踊らせて肌に火傷を負わせる冷酷さである。9月1日にも芭蕉楽市で「木の花保育園」の園児が、踊らされる予定である。たまたま台風の影響で気温が下がる予想(8月31日現在)で、雨の予想でもあるが、本来なら8月4日と同じ灼熱の36度の炎天下である。小川敏市長には、文部科学省の通達など知ったことではないのだ。小川敏市長は、文科省との協奏も無視無視妖怪なのだ。小川市長よ、お願いだから、園児を食い物にしないくれ!

 

ブログ「36度の灼熱地獄で園児を踊らせる「鬼の小川市長」」(2018-08-24) 

添付資料 文科省通達(2018年5月15日)11__1.jpgをダウンロード 12__2.jpgをダウンロード

 

妖怪の世界へようこそ

 大垣市駅前商店街の中央のモニュメントも錆びさび、街路灯も錆びさび、芭蕉の案内看板もハゲハゲ、大垣駅前商店街はシャッター通り化して、人通りのない幽霊通りのテーマパークになるばかり。保守保全に金をケチる市長が君臨すると、大垣市は幽霊都市の墓場のようになるばかり。行政とは、お祭りやイベントの派手なことばかりでなく、日頃の当たり前のことを、市民の目の届かない身だしなみ(保守保全)をする総合演奏が政治なのだ。イベントで甘い汁を吸っている妖怪が跋扈という霊気を大垣市役所に感じる。

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3p1050019  大垣駅前商店街の中央のモニュメント サビサビ 2018‎年‎5‎月‎3‎日、‏‎13:35

   これは一つ目一本足妖怪のモニュメント?    回りが無人で不気味

   街並みの紫の垂れ幕が、暗い雰囲気を醸し出し不気味(センスが悪い)

4p1040093  大垣駅前商店街の中央の街路灯 サビサビ

 街路灯サビサビ妖怪

5p1040085  剥げて読めない芭蕉の句の看板    のっぺらぼう幽霊看板

6p1040075  死期の道の看板 鳥の糞だらけ

7p1040997 人影のない無い大垣駅前商店街中心地  幽霊通り

  右は大垣市商店街組合の事務所   2018‎年‎5‎月‎3‎日(祝日)‏‎12:41

社会との協奏でなく、妖怪との狂演

 墓場から生まれたという設定の墓場鬼太郎は、登場当初、性格が暗くて、さっぱり売れず、水木しげるさんは餓死寸前まで追い込まれていた。それでも好きな絵を描いているので苦にならなかったようだ。それを『週刊少年漫画マガジン』で、鬼太郎の性格を明るく愉快な妖怪漫画の主人公に変えたら、人気を呼んで、今度は締め切り妖怪、注文妖怪に攻めまくられ、寝る時間もない売れっ子漫画家になってしまった。漫画の世界でも、読者の心と協奏できる作品でないと、自己満足だけの漫画になってしまう。それを鬼太郎は教えてくれた。

 大垣行政は、ギネス毒水まんじゅう、大垣さん大集合、と小川敏氏だけが自己満足で、市民がそっぽを向いている金食い妖怪の行事ばかりに熱を上げている。小川敏市長は、業者の方にばかり目を向けて、市民には背を向けているから、大垣市は墓場として衰退していく。小川敏市長は、大垣市の死神である。

 不幸中の幸いで子供の死亡事故にはならなかったが、2017年の大垣ドローン墜落人身事故も大垣行政の責任である。大垣市の責任者は責任を業者に押し付けて、厚顔無比妖怪はドローんとトンずらした。その総責任者は小川敏市長である。

 市民との協奏がなければ、いくら大垣市制100周年記念行事に金を使っても金切り音の狂奏となる。

 

大垣の未来協奏

 大垣市の未来のために、行政と市民が奏でる活動が、大垣の未来を創る。悲しいことだが、行政の指揮者・小川敏市長が市民とは遊離して、行政だけが勝手に自己満足の毒奏を強行して、暴走している。あぶく銭の金切り音がやかましい行政毒奏である。

 

2018-08-31  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月30日 (木)

音楽♪協奏 ~カナデノワコンクール

活力エネルギーを頂く

 2018年8月8日、第4回カナデノワコンクールが、大垣市の音楽堂で開催された。当日の朝は、朝食を2015年生理部門ノーベル賞受賞の大村智先生とご一緒できて、人生のエネルギーを一杯いただき、演奏会会場に向かった。会場でそれを関係者に自慢したが、分野が違うせいか、話がかみ合わず、(へーそうなの、で終わり)少々落胆でした。音楽コンクールの場所では、世界的ピアニストと会食したという話題でないと(?)、自慢できないようだ。皆さん、目をもっと世界に向けよう。

 

カナデノワでの協奏

 カナデノワの演奏コンクールでは、ペアで音楽を協奏する技が問われる。小さい子供から、高校生、大学生まで協演を聴いて撮影した。歌の部門では、二人で踊りながら歌ったり、先生の伴奏に合わせて歌うなど、そのハーモニーの表現はさまざまである。

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子供とのデュエットを眼で奏でる

 ピアノの先生がリードをして、小さい子とデュエットをする姿は微笑ましい。子供と先生のデュエット演奏では、やさしく子供を見守りながら演奏する先生の姿に安心して、二人の演奏を観ていられる。先生は、子供の音量、ペースに合わせて弾かないと破綻する。子供の弾く音量・音質に合わせて叩く鍵盤も加減をして音も出さねば、デュエットの意味がなくなる。主役は子供なのだ。先生が子供を見つめる目が美しい。

 同世代の仲間とピアノを弾くよりも難しかろう。子供も先生を全面的に信頼しての演奏であるが、そんなことを考えている余裕はないかもしれない。それが人生だ。師は黙って見守ってくれている。

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写真から音が観える

 世の物事は陰陽、プラスマイナス、白黒である。デュエットの演奏でも、一人が高音部をもう一人が低音部の鍵盤を担当する。当然、弾き方も違う。それが横から見ていて、400mmの望遠レンズ越しに写る二人の姿のハーモニーが美しい。それから演奏の実力がわかる。写真に撮られる二人の姿の美しいペアが入賞していた。新しい発見である。

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ピアノの相性

 ピアノデュエットでは、一台のピアノの低音部、高音部を二人で担当して弾く場合と、2台のピアノで協奏する方式がある。今回、最後の二組が2台のピアノで協奏をした。それで驚いたのが、スタインウェイとベーゼンドルファーのピアノの協奏となったこと。設備的にスタインウェイのピアノを2台も持っているホールは皆無に近い。必然的に今あるピアノで協奏しようとすると、音楽堂のようにスタインウェイとベーゼンドルファーのメーカの異なる2台となる。しかし音色の違うピアノであるが、違和感なくその協奏が聞けて拍子抜けをした。

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ベーゼンドルファーの憧れ?

 演奏が終わって、審査時間の合間に、舞台上のベーゼドルファーのピアノを触れる時間を事務局が作ってくれた。驚いたのは、小さい子供たちがベーゼンドルファーのピアノにワーッと群がったこと。ピアノを習っていると、ベーゼンドルファーのピアノはよく知っているようだ。今回、残念だが2台あるピアノで、ベーゼンドルファーのピアノを選択した参加者はゼロであった。全員、スタインウェイのピアノを選択した。ベーゼンドルファーのピアノは、鍵盤が97鍵あるモデル290インぺリアで、横幅が普通の88鍵のピアノとは微妙に違うため、コンクールではミスタッチが怖ろしいらしく、選択が敬遠される。また音の出方が微妙に遅れるので、弾き方に習熟が求められる。

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表彰式

124k8a0426   笑顔がステキ

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ハードワーク

 朝10時から撮影を始めて、終わったのが17時である。途中の休憩はあるが、撮影に7時間を拘束され、カメラ4台を使い、約530枚の写真を撮影した。チカれた、が実感である。

 普通の演奏会では、リハーサルだけの撮影が多く、その時間は約2時間である。しかしこのコンクールでは、延べ54人の参加者がデュエットで順次登場するので、その撮影で全員の演奏姿をファインダー越しに捉え、デュエットの二人の息の合った瞬間を、画像として切り取る。その瞬間を待つのが大変だ。全てのコンクールが終わった後、疲労困憊であった。肉体的にはシャッターボタンを押すだけなのだが、終わって家に帰り少し横になったら、そのまま寝てしまった。

 

お詫び

 肖像権の関係で諸般の事情が発生して、今回は一部の写真にマスクをいたしました。後日、マスクの無い写真を掲載予定です。

 

2018-08-30  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

 

2018年8月29日 (水)

「ぬり壁妖怪」との遭遇

 2018年8月24日、ヤナゲン大垣本店での水木しげる版画展で「ぬり壁と狩人」を「幽霊電車」と同時に購入した。

 8月26日、友人が突然訪ねてきたとき、縁を感じて一緒にこの「水木しげる版画展」を再度見に行って、気になっていたもう一枚を購入した。どうも「買え買え」という妖怪の声に取りつかれたようだ。

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「ぬり壁」とのご縁

 その絵の説明に「夜の海岸やひとけのない道、森の中などで突然現れて人を驚かせる。押しても引いてもびくともしない。大きさを自由に変える。」、効能として、「意思が強くなる」とある。とある。これは水木しげるさんの反戦思想の代表作で、意志の固さの象徴の絵だと聞いて、購入を決めた。

 水木しげるさんは第二次世界大戦のラバウルでの戦闘で、左手を失う大けがをする。その時、上官はなぜ死ななかったのだと罵倒したという。それで水木さんの反戦思想が芽生えたのだろう。

 この絵は、どんなことあっても、自分を守るために立ち塞ぐ大きく防御壁を表している。理不尽なものへの抵抗でもある。それに立ち向かう水木さん自身を象徴している。そんな「ぬり壁」の妖怪に守られて、水木さんは戦後を生きた。

 人は壁に守られて生活している。他の理不尽な攻撃に対して、守ってくれるのは自分の内なる「壁」である。壁は黙って敵の攻撃を防いでくれる。そこに水木さんは妖怪の霊気を感じた。その壁はシャイで無口である。しかし意思は固く己を守ってくれる。たまにいたずらで人を驚かせるのは愛嬌である。

 

水木さんが「ぬり壁」と遭遇

 「ぬり壁」は福岡県の海沿いに出没すると言われる。壁の姿をした妖怪である。夜道を歩く者の前に突然立ちはだかり、行く手を遮る悪戯をする。

 第二次世界大戦で、戦場に駆り出された若い水木さんは、「ぬり壁」に出会って命拾いをした。当時、水木さんの部隊はラバウルにて敵軍に襲われ、水木さんは仲間とはぐれて、一人森の中を逃げ回っていた。すると目の前に突然巨大な壁が立ち塞がった。それはコールタールで塗られたような平らの壁で、触ると指が入る柔らかさであった。ハッと気付けば四方がその壁に囲まれており、身動きができなかった。水木さんは、なす術もなく、いつしか疲労困憊で眠ってしまった。明るくなり目覚めた時には、その壁は消えていた。しかも、水木さんが寝りこんだ場所の目前は断崖絶壁で、そのまま進めば命がなかった。水木さんは見えない妖怪に見守られて救われたのだと感じた。帰国後、文献を読んで、あの時に遭遇したのは「ぬり壁」だったと確信した。

 

自分の「ぬり壁」経験

 自分の人生で、何か形のない壁にさえぎられて、前に進めず忸怩たる思いで退散したことは多い。後日、それを振り返ると、そのまま進むと悲惨な状況になることが予想され、そのまま進まなくてよかったと思うことが度々ある。それはご先祖様が形なき「ぬり壁」となって守ってくれたのだと今にして思う。

 大自然の中でごく一部として生かされている自分は、見えないものへの畏敬を疎かにしない生き方をしたい。それを水木さんの「ぬり壁と狩人」が教えてくれた。感謝。

 

2018-08-29  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月28日 (火)

「神佛無限会社」の経営診断

 会社とは、有志が集まって世のために働く組織である。有限会社、合名会社、合資会社、株式会社等とあるが、皆さんに幸せを与える神佛が集まった会社は無限会社である。その会社の製品(幸せ)を手に入れるには、正しい対応が必要である。

 

「祈り」を経営分析

 無心の利他の祈りには、冷静に回りが見える力を与える。単なる自分のための祈りには、お賽銭に託した押しつけがまさがある。わずか100円で、あれもこれもは、低価格競争防止法違反である。神様だって、神社の建屋の維持管理、減価償却でお金が必要なのだ。その神社仏閣からご利益があるか無いかは、全て己が作り出す業である。それを神仏に責任を押し付けてはクレーマとなる。

 祈りは運命と願いをつなぐ架け橋である。その架け橋とは自己犠牲の行動である。行動なき祈りは戯言である。行動なき人に幸運が訪れることはない。

 

女神様は丸禿

 幸運の女神には前髪はあるが、後ろ髪はないとされる。だから女神が来たら前髪を掴まないとダメである。しかしそれは俗説である。神様とは人間よりも進化した存在である。禿とは人間が動物的に進化した証である。だから本当の幸運の女神様は丸禿げである。それではかっこ悪いのでかつらをかぶっているに過ぎない(オダ仏教の仮説?)。

 かつらの毛を掴んでも、すぐかつらが取れて幸運の女神様は逃げていく。幸運の女神様を髪だけで掴もうとするから無理が出る。また捉まえられてもいつかは去っていく。それよりも幸運の神様に惚れられるような行動と人格を身につけるべきである。そうすれば、神様からすり寄ってくる。幸運の神様が近寄らないのは、あなたがケチだから。人間はいつもカラ手形、不渡り手形を発行するから、神様もゲンキンなもので、神佛無限会社はゲンキン取引である。

 

約束履行練習

 幸運の神様は信用金庫の頭取が大好きである。神前で「○○しますから〇〇をお願いします」と百万遍誓うことは、自分に対して、小さな約束事を守る練習である。自分に対して約束したことが守れない契約不履行者に、幸運の女神は微笑まない。自分への約束事を愚直に守る人に幸運は訪れる。

 

桐壺天皇の愛

 女性(女神様)は、自分を裏切らない人が好きである。自分へのひたむきな愛情であるからだ。それは願い事そのものである。地上120メートル(地上47階)の天上界から更衣の下界を見ると、それが納得させられる。天皇は更衣の身分の女性を愛してはならない掟がある。更衣とは、天皇の身のお世話はできる身分であるが、寝室には絶対に入れない。寝室に入れるのは女御という身分の女性だけである。それは摂政、関白、大臣、大納言、中納言の三位以上の身分の親の娘だけなのだ。だから更衣の身分で天皇に愛されるのは、まるで地上47階から地上を歩く女性を探して愛するごとき状況である。そういう掟を破る意思がないと、女神との愛は成り立たない。そこに人間ドラマがある。

 世界に冠たる小説『源氏物語』があったから、三島由紀夫は、小説家の筆を折って「盾の会」を作り、肉体を鍛え、自衛隊に突撃して割腹自殺を遂げたとも言われる。三島由紀夫は『源氏物語』を凌駕する作品を創れなかったのが、この事件の原因ではないかと、境野先生は言う。それほどの作品である。そんな素晴らしい作品が1000年も前に日本女性が書いた。日本の誇りである。日本の女性は女神だと境野先生はいう。

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境野勝吾先生の「源氏物語に学ぶ人間学」(全5回)講座が行われている京王プラザホテル47階。そのロビーからの展望。回りは新宿高層ビル群。2018年8月17日

 

報恩感謝

 50歳60歳までは社会や回りの人に支援され、生かしてもらい活動し、生活の糧を得てきた。ここまで来られたのも、皆さんの御恩のお陰である。60歳になれば、今度は回りの人に恩返しをする時である。それが今、不幸であるなら、今まで精進してこなかった証である。常に現実は正しい。全て神様仏様が示す因果応報である。初老を迎えた身で、神社仏閣で自分のためだけに必死にお祈りをする姿は滑稽である。それだけ真剣にお祈りするなら、なぜ今まで必死に生きてこなかったのか。

 神社仏閣は、感謝申告所である。お願い受付場所ではない。そんな不届き者が多いから、初詣で神社が大混雑する。神様がいくら24時間365日体制と言っても、神様だって忙しいのだ。たまには神様の身になって考えよう。それが考えられないようでは、幸せにはなれない。正月のそんな忙しい時に行かなくてもよい体制を作ろう。それが幸せの第一歩。

 

無財の七施

社会からご恩を受けて60歳を迎えたのなら、自分のことでなく、皆さんのことのためにこそ祈るべきだ。それが自分の分際を考えた祈りである。

 ベートーベン曰く「神に頼るとはなんたることか。自分で自分を助けよ。」と。

 60歳過ぎになったら、奪う人から与える人になれ。金が無くとも七施をせよ「無財の七施」(『雑宝蔵経』巻6)とは

 ・ 眼施    目による施し

 ・ 和顔悦色  笑顔による施し

 ・ 言辞施   言葉による施し

 ・ 心施    まごころによる施し

 ・ 身施    体=労働による施し

 ・ 床座施   席を人に譲ることによる施し

 ・ 房舎施   住まいによる施し

 

目の付け所

 目に見えないものに、目を向けないと幸せにはなれない。それが目の付け所。水木しげるさんは、それに目を向けて、妖怪作品を描きつづけて、文化勲章を授与された。水木さんは文化勲章を願って、作品を作ってきたわけではない。妖怪が水木さんを助けたのだ。妖怪も神仏の親戚である。

 

2018-08-28  久志能幾研究所 小田泰仙  

著作権の関係で無断引用、無断転載を禁止します。

2018年8月27日 (月)

心に刃を向けよ

 人生とは、我儘な己の「心」に「刃」を向けて、「これでいいか、これでいいか」と問いかけ続ける己との戦いである。人生の最大の敵は己なのだ。それが自忍である。「忍」の字から「認」の字が生まれた。人生の最大の敵は、怠惰な己である。自認とは、己の怠惰な心を認めること。自忍がなければ、単なるケダモノ、良くて極楽とんぼである。

 

他人に刃を向けて

 今は、その刃を放り投げ、目先の餌につられて自堕落に過ごす政治家が多いから、世が悪くなる。その刃を他人に向ける輩が多いから、殺伐たる世相になる。フェイクニュースという武器を使って、人を傷つける輩も増えた。アメリカでは銃の乱射事件の頻発である。それでは世界は幸せになれない。

 その根本原因は、心の教育が疎かになっているからだ。自制心、自律心、自尊心、自励心、利他の心の育成が疎かになっている証である。2018年8月7日の大垣で、大村智博士は、講演会「私の半生記」で、その危惧を話された

 

心にグサッと

 要は、心にグサッと来ないと目が覚めない。それが人間の愚かさである。ケダモノが心にグサッと来て目が覚めたという話は聞いたことがない。グサッときたら、人間である証である。芸術の美に接してハッとすることも自認である。

 だから師も言っても仕方のない弟子には、グサッと刺す言葉を投げない。私も部下を持っていた時代、見込みのある部下しか叱らなかった。それが社会なのだ。

 

人間の正しい生き方

 人間として正しい生き方とは、生きる道標の経典、戒め、経営理念を前の車に乗せて、後ろの台車にやり遂げるべき仕事、経営を乗せて走る。後の台車に金、女、博打、酒、強欲、利権を乗せてはならぬ。3番目の車の荷台を見れば、その人の人生がわかる。3番目の荷台を見なくても、1番目の車の上を見れば、その人が分かる。

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 やりたいことだけをやるなら、ケダモノである。意に添わなくても、やるべきことをやるのが人間である。人間の「間」の字は、門の真ん中に太陽が顔を出すような人を象徴する。太陽のような行動をとるのが人間である。食べ物にしか興味がなければ、ケダモノである。

 

㊙慢体

 裏金、酒、たばこ、ギャンブル、女に溺れるのは、自分で自分を制御できないからだ。だからケダモノである。我々は豚や牛ではないのだ。人間として生きるべきだ。でもそれは個人だけの問題で、些細な事象である。

 政治家が、名誉欲、権力欲、覇権欲、利権等に取りつかれるのは、心が㊙慢体になるからのだ。それによる民衆への被害は甚大である。これは昔から政治家が取りつかれる病気で、世界中を地獄に落として来た。それは、今も続いている。己の傲慢さ、欲望、我儘を美しいスローガンで隠して民衆を騙している。その本心はマル秘なのだ。

 

大垣市の㊙慢体

 大垣市長としてやるべきことは何か、何をやってはいけないのか。大垣市という三貨車を運転するのに、何を一番目の車に乗せるか。小川敏大垣市長は、その選択を間違っているから、大垣市が衰退していく。その間違った「大垣中心市街地活性化政策」を掲げて失敗して、さらにそのPDCAを回さないまま、性懲りもなく間違った「大垣未来ビジョン」を一番目の車に掲げるから、大垣市は衰退に向かって一直線である。岐阜県の他市は、リニア景気で成長しているのだ。それは駅前の地価の推移を見入れば一目瞭然である。

 東大を出たという驕りがあるから、目の前の失敗に目を背け、誰の意見も聞かない。老いの醜態である。65歳以上の人は15%が認知症であるとの統計データがある。68歳の小川敏市長は、日ごろの姿から見ると認知症ではないかと疑わざるを得ない行動が目につく。高学歴者だから、認知症にならないわけではない。警察署長や校長先生は、気を使うが頭をあまり使わないので、退官後、認知症になりやすいという。

 行政には、市長を神輿に担ぎ上げ、うまい汁を吸っている人が、いるのかもしれない。市長が神輿に祭り上げられると、あまり頭を使わなくなるようだ。操る方には、市長は認知症のほうが都合良いようだ。

 

大垣市の三貨車

 小川市長は7月1日の炎天下にしゃしゃり出て、スーツ姿での「社会を明るくする運動」の大垣駅前通りのパレード行進や、8月7日のわずか1分24秒の大村博士紹介の自慢演説は、認知症ごとき症状である。大垣市長が出る必然性もないし、誰も喜ばない。それで何の付加価値も生まれない。かえって市民には迷惑である。それよりも、その時間を実の市政に専念して欲しいが市民の願いである。それがわからないようでは、認知症の初期症状である。大垣市長は三貨車の1番目の指南車に、間違った指針を乗せているので暴走している。

 小川敏市長は大垣市政100年目の節目1年間で、記念行事の名目で、3億円余の娯楽遊行費を使う迷走である。それが未来の大垣のために何の意味があるのか。ギネス毒饅頭食い合い900万円、大垣さん大集合で1000万円、TDL パレード600万円等のどんちゃん騒ぎをして何が残るのか、そのお金があれば100年後の大垣のために種を植えてほしい。

 

2018-08-27  久志能幾研究所 小田泰仙  

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2018年8月26日 (日)

霊柩車を購入

 2018年8月24日、ヤナゲン大垣本店で開催されている水木しげる氏の版画展(22日~27日)に出かけた。そこで、何か惹かれるものがあり、霊柩車の絵を購入した。 

 妖怪も神様・佛様の親戚である。人生の最期を飾る車には、相応の車にしたい。そんな夢をかなえてくれる(?)水木しげる画の霊柩車「幽霊電車」である。なぜか引かれて買ってしまった。この絵の謳い文句が「ご先祖様が守ってくれる、鬼太郎は生者を地獄に送ることができる」とある。今日の24日は町内地蔵盆祭りであるが、台風20号の影響で明日25日に順延、3日後の27日には自宅で棚経を住職さんにあげてもらう。そんなお地蔵様とご先祖様のご縁を感じた日でもあった。

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越前和紙のリトグラフ

 この絵の原画は、緻密な点描画で、緻密なスキャンをしてデジタルの加工をして、越前和紙にエプソンの超精密プリンタで再現した880部限定のリトグラフである。越前和紙は硬く精密プリントに適している。それに対して美濃和紙は掛け軸の絵に適している。普通の版画では再現できない緻密さに感心した。数万円と安かった。水木さんは本の印税で稼いでいるので、この種の絵は原価に近いとか。この大きさだと、普通なら10万円はする。これが水木さんの版画展の最後だと、そそのかされてつい財布の紐が緩んでしまった。絵との出会いもご縁である。デザインが気に入ったし、キャッチコピーも納得である。額もイタリア製でお洒落である。

 

大人の夢

 乗るならこういう夢ある立派な(?)霊柩車に乗って逝きたいもの。大人にも変な夢がある。死にざまにこだわりがあるとは、生きざまにもこだわりがある。

 この絵を持って帰ろうとしたら、この納期は1か月後だという。この絵は売れているので、この実物の絵は次の会場に持っていくのだと。私はこれを「暫らく霊柩車とは縁がないよ」とのご先祖のメッセージとして受け止めた。それでご先祖様の為にも、一日でも長くこの世で貢献したいという気になった。感謝。

 

2018-08-26  久志能幾研究所 小田泰仙  

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