地蔵菩薩尊の慈愛
地蔵菩薩尊は男性の仏様だと思われがちだが、本来「仏さま」に性別はない。お釈迦様の入滅後、弟子達が表した教典の教え(仏性)を、概念として表現したものが「仏」であり、それを具体的に形に表したものが「仏像」である。
「菩薩」とは、悟りを開くべく修行の道を歩いている仏の姿で、お釈迦様の若い頃の修行の姿を現している。「菩薩」とは、母性の悲愛、慈愛、母の優しさを現している。観世音菩薩や地蔵菩薩は、「母性」を現す佛様なので女性として扱われる。子安観音菩薩や子安地蔵菩薩のように幼子を抱いた仏像として表現される例が多い。
それに対して「如来」はお釈迦様が悟りを開いた後の姿で、慈愛、父親の厳しさを表している。奈良の大仏は毘盧遮那仏=大日如来、鎌倉の大仏は阿弥陀如来で、共に性別はないが、上記のように如来は「父性」を表しているため、男性的な表現が一般的である。
インド仏教から組み込まれた「天」には性別があり、帝釈天、梵天、四天王、十二神将、金剛力士などは男神。吉祥天、弁財天、技芸天、鬼子母神などは女神。
慈愛
慈愛とはラテン語でpietaである。ピエタはミケランジェロが終生、追い求めたテーマでもある。世界で一番有名なピエタ像が、バチカン市国のサン・ピエトロ大聖堂に飾られている。宗教上での慈愛は、宗教派を問わず、普遍的な人間性のテーマでもある。理不尽な理由で我が子キリストを殺されたマリアができることは、黙って慈愛の目を差し向けることだけである。
それは昭和20年7月29日夜、目の前で米軍B29の90機の大編隊での無差別爆撃から逃げまどい、焼死する庶民を見つめた室村町4丁目地蔵菩薩尊(先代)と同じである。この慈愛は無償の無限の愛である。先代の地蔵菩薩尊は105年に及ぶ室村4丁目の町内への慈愛の見守りのお役目を終え、2016年に新しい地蔵菩薩尊にお役目を渡された。
「慈」の象形文字
「慈」とは「心」と「茲」から成る。「茲」は、「増える(子を増やして育てる)」=「愛」と「心」で「母」の意味を持つ。「慈」の反対語は「厳」である。旧字体は「嚴」で、冠の「□□」と「嚴」の下部(音)から構成される。「□□」は、「厳しく辻褄を合わせる」の意味で、「父」の意味を持つ。自然界は陰陽で出来ている。優しい母がいて、その背後に厳しい父がいて子供は育つ。
ミケランジェロのピエタ像
サン・ピエトロ大聖堂のミケランジェロ作のピエタ像には、私が定年退職記念でローマ旅行した時(2010年11月10日)に出会い、衝撃を受けた彫刻であった。次元の違う彫刻に遭遇したような思いである。10日間のローマ滞在中、3回もこのピエタ像を見るためバチカンを訪れるほど引きつけられるものがあった。1972年、トルコ人の精神病者がピエタ像をハンマーで打ち付ける事件が起き、それ以来防弾ガラスが据えられ、本物は10m先の防弾ガラス越しでしか鑑賞できない。しかし、宗派を超越して、キリスト教徒も仏教徒もイスラム教徒も世界各地から訪れた老若男女が長時間、ピエタ像を見つめていた。宗派を超越した慈愛の姿であった。
運慶の流れをくむ松本明慶大仏師は、この像を見るのを自分の技量がそれに見合ったものになるまで、50年間も待ったという。2013年、念願が叶い、ピエタ像の前で30分間も凝視をされた。その経過はBSプレミアム・旅のチカラ「ミケランジェロの街で仏を刻む~松本明慶・イタリア~」に詳しい。これはオンデマンドでも視聴ができます。
レプリカ
後で隣接したバチカン美術館に、この精巧なレプリカが展示してあるのを発見して、至近距離1mから長時間、お顔を拝ませて頂いたのは幸いであった。
最近、岐阜県美術館のロビーに、これと同じ精巧なレプリカが展示されているのを発見して、拝ませて頂いた。しかし、設置場所が明るすぎで、なにか荘厳さが伝わらず拍子抜けをした。
ピエタ像(サン・ピエトロ大聖堂) 2010年11月10日撮影
見学者用柵から10m先に防弾ガラスで覆われて安置
岐阜県美術館で
2018-09-01 久志能幾研究所 小田泰仙
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