2019年1月27日 (日)

人生経営での利益(りやく)

 お宝(体、時間、命、ご縁、お金)は、神仏・ご先祖からの一時的な預かりもの。その資源を使って人生経営をどうするかが問われている。それを有効に使うのも、無為にするのも、酷使してしっぺ返しを受けるのも全て己の人格のなせること。どのお宝も、あの世に持って行けない。その資源の効力が有効なのは、この娑婆中だけである。人は裸で生まれて、裸で死んでいく。いつかは寂滅の世界に行く。その前提で生きるべし。

 

経営とは

 人生経営とは、人としてご先祖から与えられた資源を最大限に活用する行いである。会社経営とは、人の能力を最大限に活かすことである。人生経営では、己の持てる資源を使って、人生の利益(りやく)を出すことである。それが使命であり、天命である。

 

利益(りやく)

 仏教でいう利益は、俗世間の「利益(りえき)」ではなく、「利益(りやく)」と呼び、現実の生活苦からの離脱を求めて祈りつづけ、その恵みとして与えられた恩恵を、ご利益(りやく)という。その利益には、自分が利益を得るだけでなく、他の人を益すること、恵みを与えることである。仏教では、仏の教えに生きて得られた恩恵を、自利・利他の益(やく)としている。

 自ら利益を得るだけでなく、他の人びとを利益することが菩薩の精神である。仏の教えによって得られる利益(りやく)は、金銭上や物質上の利益ではなく、自らの生存在に自覚的に醒めて生きる、自覚者の誕生のことである。我々は、自らの命の尊さに目覚めて生きねばならぬ。

 

諸悪の根源

 命の尊さに目覚めれば、運が悪いとか、頭が悪いとか、肝臓が悪いとかは言えないはずある。すべて己の体を経営する自覚が足りなかったのだ。

 運が悪いのではない。運を悪くするような人生経営をしてきたのだ。

 体が弱いのではない。ご先祖から貸与された体を、怠けて安易な生活に溺れ鍛えなかっただけだ。体の適切な保全の経営をしてこなかったのだ。

 頭が悪いのではない。頭を鍛える経営をしなかっただけだ。

 肝臓が悪いのではない。肝臓さんを傷めつけるような経営をしてきたのだ。つまり酒を飲み過ぎたのだ。肝臓が悪いといったら、肝臓さんに悪い。肝臓さんは悪くない。肝臓さんを傷めつける経営をした己が悪いのだ。世は最高の事しか起こらない。酒を飲み過ぎれば、肝臓が悪くなるのが、生理学的に最高の結果なのだ。

 お金がないのではない。お金を大事に扱う習慣がなかったのだ。だからお金さんが、愛想をつかして逃げていったのだ。お金さんを大事に扱えば、お金さんが友達を連れて帰ってきてくれる。お金を儲けたければ、経営での顧客(お金さん)の満足度を上げればよいのだ。

 

己の後ろ姿を見つめる者

 自分の後姿を神仏に代わって子供、部下、世間が見つめる。世間の眼は、神の如きである。それでその家、組織の興亡が決まる。三田圭子の息子、みのもんたの息子、不祥事企業の社長の無様な姿がそれを示している。

 

積善の家に余慶あり

 今の己の姿が、ご先祖からの功徳の積分値である。己は、何代も続くご先祖の代表選手なのだ。ご先祖に恥ずかしくない行動を取りたいもの。自分の役割は、連綿と続くご先祖からの駅伝走者の位置付けである。己の使命は、何を受け取り、何を後世に伝えるのか。それを自問したい。

 ご縁に出会ったら、自分の為、家族の為、国のためにそのご縁を一期一会で受け止めて活かせ。それが命を授けてくださったご先祖様への御恩返しである。

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     馬場恵峰書

 

2019-01-27 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月26日 (土)

義子先生の懐に抱かれて雨やどり

自然の中で、雨が降るように

人生の中でも雨が降る

その時に、君を頼ってきた人に

雨やどりをさせてあげられる

強さを育てていってほしい

   外松太恵子詩  (義子書)

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  河村義子先生の自宅玄関に掲示されている

 

 2018年12月27日、河村義子先生の告別式の最後の挨拶で、ご主人がこの書の話をされた。この書は、5年前から、ずっと義子先生の自宅の玄関に掲示されていた。義子先生を訪ねてくる人の全ての人に、人生の雨宿りさせてあげたいという義子先生の優しい心の表れなのだ。それは義子先生が不治の病に侵されて、人の痛みが分かったからだと思われる。私は、それを告別式で説明されるまで気が付かなかった。その書が玄関に掲示されていても、あれども見えず、であった。つくづくと己の愚かさを痛感した。

 人は棺を覆って初めてその人生の偉大さが分かる。この書は、義子先生が5年前にがん告知されて、手術をせず最期までピアニストとして生きようと決心した時、思いを込めて、この書を書かれたようだ。そして子供から大人まで、人生の雨やどりをさせてあげようと、命ある限り、全力を注いで音楽活動をされた。それと同じ時期に、私がグランドピアノを買い、個人レッスンで義子先生に師事し、写真撮影のお手伝い始めたのもご縁である。

 義子先生は10年前から大垣市民病院で「院内ふれあいコンサート」をされていたが、私は知り合ったときと同じころ、余命5年を宣告されていた。

 義子先生は内臓の病気の為、その当時から下向くと辛いようで、風呂掃除等には家政婦さんをお願いしたという。それ以外はけなげに家事をされていたという。2018年11月、最後の最期になって、食事の家事ができなくなり、家族に迷惑をかけてはならぬと、緩和病院に入院されたという。死の一か月前である。

 

院内ふれあいコンサート

 義子先生は、そんな状況で慈善の大垣市民病院の「院内ふれあいコンサート」に精力的に取り組まれていた。その姿をみて、病気を知っている大垣市民病院医師はその精神力の強さに驚嘆していた。私はそんな状況とは露知らず、撮影を頼まれ、そのお役に没頭していて、先生の病状には気が付かなかった。これも人生のお役目であったと思う。見事に義子先生に騙されていた。結果として義子先生の慈愛の懐に抱かれていた。命を門下生や皆さんのために捧げた義子先生の行動は美しい。だから「聖観院教音義愛大姉」の戒名を授かった。

 義子先生は、生前にお寺で慈善コンサートをされたり、お寺にピアノを寄付されたりと多くの貢献をされている。だからお寺さんが、この立派な戒名を無償で授与された。普通はお金を出してももらえない価値ある戒名である。

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   河村義子先生と天野千恵先生

  2017年6月5日 院内ふれあいコンサート(大垣市民病院)

 人がその慈愛に満ちた行動に気が付くとき、往々にしてその観音様は世を去っている。それは無償の母の愛に似ている。母は無償の愛を子供に授けるが、子供は往々にしてそれを干渉しすぎだとうるさがるもの。その愛に気が付いた時は、母はこの世にいない。私の場合もそうだった。

 私は義子先生の門下生として、その後ろ姿から多くを学ばせていただいた。その志を受け継ぎ、私も皆さんが人生の雨やどりできるような貢献をしたいと頑張っている。

 

2019-01-26 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月25日 (金)

大餓鬼紙の小欲

 大垣市では家業が紙屋の小川敏市長が、爬虫類の小欲に取りつかれて、それが原因で大垣市が衰退の危機に瀕している。市長や取り巻きはいい思いをしているようだが、市民は悲惨である。

 

長期政権の弊害

 小川敏市長は、血迷って5期も市長の座にしがみ付いている。それも姑息な方法で、大垣財界への根回しをして対抗馬が出馬できないようにしての無投票当選である。常識的に2期が行政の長の任期である。任期中に後進を育て、後は後任に託すのが世のためである。それが大欲である。

 長期政権は腐敗するのが世の常識である。日産ゴーン体制を見ても明らかだ。小川敏市政は長期的な視点に欠け、小欲の餓鬼道に迷い込んでいる。自分の名誉欲だけ市長の座に居座ると、市の行政の空気が澱む。だから大垣市庁舎にはヒラメが跋扈して、澱み切っている。左遷を恐れて誰も諫言をしない。

 

大垣市の失策

 大垣市長は目先の線香花火ごとき行事ばかりに熱を上げ、市の経済は衰退の一途である。それは市制100周年記念行事を見ても明らかだ。大垣市にはケバイ目先の計画ばかりで未来を展望した計画がない。

 現在、大垣市の経済は年率1%で減少の一途である。「大垣市中心街活性化計画」にその現状の惨状が明記されている。それなのに、その真因を追及せず、市外の業者が儲かる間違った政策ばかりを施行している。やましいことがあるようで、その会計報告は条例でマル秘である。間違った政策を続けるから大垣市の衰退が止らない。仏様はよく見ている。結果として、2017年9月2日(金)現在、大垣駅前商店街は、61%の店がシャッターを下ろしていた。

(久志能幾研究所通信「大垣駅前フェリー 61%沈没(改定)」2017-09-20 を参照。カテゴリー「大垣を良くする階」に収録)

 

他市の景気は良い、それなのに

 近隣他市が、リニア景気で沸いて地価が上昇しているのに、大垣市は取り残されている。市場は正直だ。全ての原因は、小川敏市長が小欲に基づいて行政を行っているためである。だから大垣市制100周年記念行事を「100個行うのだ」と小川敏市長は意固地になっている。それをやっただけ、大垣の未来は遠のいていく。それが小欲の末路である。ゴーン被告がその典型を示してくれた。その点で、ゴーンは逆縁の仏様である。手を合わせたい気持である。良き悪例を世のために演じてくれた。ゴーン被告の任期と小川敏氏の任期が同じなのは、何の啓示なのか。

2019-01-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

爬虫類の氾濫(小欲)

 現代社会の問題は、全て小欲に犯された輩が大手を振って歩いていること。それを認める社会の矩が問題である。人としての基礎が出来ていない。なぜか? そういう躾、教育を放棄しているためである。師天王は、己の心に問いかける。

 

・形式主義――法律さえ犯さなければ何をやってもよいのか?

・効率主義――小さな努力で大きな成果を、が立派なのか?

・利己主義――自分さえ、今さえよければ良いのか?

         自分の回りに壁を造り、部分最適を目指すのか?

・拝金主義――お金が全てを超越するのか?

         犯罪を犯しても、お金で解決すればよいのか?

 

強欲主義の果て

 ホリエモンに代表される拝金主義の横行。グローバル経済主義(成果主義)の今さえ成績が上がればよいと、将来の飯の種蒔きを放棄し、人材育成を軽視している現代経営の横行がある。その代表的な事例が、日産のゴーンCEOの10億円の年収である。本人はまだ不足と思っている強欲さがある。日産の資産を切り売りして見かけの利益を上げ、魅力ある商品開発を怠り、10年後の今日、他社が増益増収となる中、日産だけの一人負けである。その原因は、まだ先の車である電気自動車に力を入れすぎて、目標未達になったためである。ゴーンCEO自身の経営判断のミスであるが、その責任を部下に押し付け、ナンバーツウのクビを切って、ゴーンCEOは責任を取らない。成果主義の反面教師である。

 ルノーの拝金主義経営に染まった日産からは、情熱は消え、魅力的な車が生まれなくなった。それでいて日産のゴーンCEOの年俸は10億円に迫り、平均役員報酬は1億円を超え、トヨタのそれの数倍もある。それに対して一般社員の平均給与は、トヨタよりも低い。ゴーンCEOはそれを「恥じることはない」と恥さらしな言葉を豪語する。何かおかしい。(2015年記)

 

2019年の現実

 以上を2015年初稿の『吾が人生の師天王』の一節に書いて、2018年末にゴーンの不正が発覚した。誰が見てもおかしいことが、18年間も横行したことが、日本社会の情けなさを象徴している。日本の精神文化の衰退である。

 一部の人だけが富を独占して幸せになり(本当に幸せかどうかは別にして)、99%の人が不幸になる社会を、我々は本当に目指してきたのだろうか。この構図は共産中国の党幹部だけが、富を独占している姿に似ている。グローバル経済主義=拝金主義社会である。

 

福沢諭吉の醒眼

 文明開化(グローバル化)で西洋の本質に気がついた福沢諭吉翁は、「学問のすすめ」で「数百年の久しき、おのおのその国土に行われたる習慣は、仮令い利害の明らかなるものと雖も、頓にこれを彼に取りてこれに移すべからず・・・・これを採用せんとするには千思万慮歳月を積み、漸くその性質を明かにして取捨を判断せざるべからず」と記述する。諭吉翁は狩猟民族の持つ動物的本能に疑惑の眼を向けている。

 

西洋思想と東洋思想の差

 西洋の思想は論理的、比較的、現実的、刹那的である。それに対して東洋思想は内面的、感性的、永世的である。西洋の思想は、現世の利益追求で小欲の権化である。一生の間に使え切りもしない金を集めてもまだ足りないと守銭奴のごとき行動を取る。それはゴーン被告の罪状を見ると明らかだ。それは他人と比較するから、まだ足りない、まだ足りないと餓鬼の世界に堕ちていく。

 それに対して東洋思想は、少欲、利他、足るを知る、という大欲のレベルの行動を目指す。東洋の目指すところは宇宙である。即ち自分の心である。人間としての尊厳として大欲で生きるのが本筋である。

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   馬場恵峰書「佐藤一斎「言志四録」五十一選訓集」久志能幾研究所刊より

2019-01-25 久志能幾研究所 小田泰仙

著作権の関係で、無断引用を禁止します。

2019年1月24日 (木)

「小欲・中欲・大欲」の選択

 欲があるから人間なのだ。欲が無くなったときは人間を止める時である。「谷」に蹴落とされても「欠」けないものが「欲」である。四天王や天女が住む世界が欲界六天である。だから佛である四天王や天女にも欲がある。迷える人間を救いたいという欲である。大日如来を支えたいという欲である。無機質な物質には欲は無いが、生命には生き延びたいという本性の欲がある。だからそれを殺めるのは罪である。

 己を形作る37兆個の細胞は、己を生き延びさせたいと必死に働いている。それが佛性である。産業革命が起きて200年以上が経つが、いまだ人類は細胞一つ作れない。それは生き物が佛性を持つが故のことと思う。

 人として欲を持つ以上、できるなら大きな欲を持ちたいもの。飲む打つ買うは、動物界で爬虫類の持つ小欲である。人間なら自分を高めたいという中欲や、他人の魂を歓ばせる佛性ある大欲を持ちたいもの。

 

下記は「大楽金剛不空真実三摩経」末尾の恵峰先生の言葉

 大楽金剛不空真実三摩耶経般若波羅密多理趣品が、正式名称で般若心経とも云い真言密教の根本経典である。元は金剛頂経の中の第六会でその中の教と功徳を説いている部分を一つの品にまとめたものである。理趣は条理という意味で般若という真実の智恵をたよりにして解脱に到着すること意味しています。人間を含めてすべての自然は、その本性において清浄であるから、人間も修法によってはその本性が清浄になり、宇宙の原理と合一して佛になることが出来ると説いている。理趣経は欲の聖典とも云われる即ち我々人間の生命そのものが欲で、その欲に対してどのように生きていくかを解いたものであるから也。大楽は食べ遊び飲むの小楽に満足するのではなく、真の楽しみ人間の生命を支配している宇宙と一緒になり、永恒の生命を生きる楽しみであり、仏の境地に立って大意欲を持って生きよと説く。空海は三密動作、言葉思惟を表し、実際に宇宙の篤息の中に自分を同一化して身口意修行強調せり。百字の偈の読誦が一般的である。(南無大師遍照金剛 齋沐敬書二千字 霜月21日 恵峰馬場英男)

 

 本写経は絹本の軸に揮毫されているので、ゆっくり書くと滲んでしまう。早く書くと掠れてしまう。一定の速度で精神を統一して書かないと、常人には書けない代物である。本写経は原紙に直接揮毫されている。書いてから表装したのではない。

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 馬場恵峰書『報恩道書写行集』(久志能幾研究所刊)より

   「吾が人生の師天王」p114

2019-01-24 久志能幾研究所 小田泰仙

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胃カメラの拷問

提案:大垣市民病院で、麻酔での胃カメラ検診を導入すべき 

  多くの人が、抵抗なく胃カメラ検診を受けれるように推進すべきである。現状は、その環境作りに大垣市は怠慢である。

 定期健診で胃カメラを飲む計画をしたら、大垣市民病院は麻酔をしての胃カメラ検査はしていないという。それで掛かり付けの医師に相談して、麻酔で胃カメラ検診を行う市内の胃腸科病院を紹介してもらい、そこで胃カメラでの検査を受けた。意識のない状態で検診を受けられて、苦痛もなく済んで幸いであった。

 その昔、三河の病院で胃カメラを飲んだことがあるが、まるで拷問であった。もう二度と検査をしたくないと思った。

 他の知人に聞いても、今時、大きな病院で麻酔をせず胃カメラを喉の押し込む残酷な拷問をしている病院は稀である。大垣市民病院は、麻酔をすると検査時間がかかるので、効率が悪く、病院経営上で経費がかかるのでやらないようだと推定した。要は、効率最優先で、病人の市民が被る苦しみなど知ったことではないのだ。つくづくと、大垣市民病院はド田舎の病院だと思った。

 その大垣市民病院の納入通知書兼領収証には、「大垣市民病院 大垣市長 小川敏」の名と印鑑が押してある。大垣市民病院の総責任者は小川敏大垣市長である。こんな市長がいては、市民は幸せになれない。

 

2019-01-24 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月23日 (水)

寄贈者募集 言志四録の板書

 下記で、板書に揮毫予定です。先に下記の文言を恵峰先生に揮毫をしてもらい、後日、寄贈者名を決めて署名予定です。これ以外に好きな言葉を選んで寄贈されても結構です。言葉がダブっても構いません。現在でも、人気ある言葉は複数枚、岩村の軒下に掲げられています。今回は栗の木で10枚です。次期のロットでは欅を選定しました。2つを比較して、その後の使用する木を決定します。

 

会社の宣伝に

 岩村には昨年、朝ドラ「半分、青い。」の効果で年間40万人の観光客が訪れました。この地に板書を会社名で寄贈すれば、その板書が会社の宣伝になります。会社の信用と格が上がります。個人で寄贈して、将来、孫たちが「これはお爺ちゃんが寄贈したのだ。立派な信条を持ったお爺さんだった」と人に自慢できるでしょう。

 

日本を再興したい

 この板書は100年間以上も後世に残るのです。自分も知人を岩村に案内して自慢できるでしょう。自分の名が残るのです。恵峰先生の書が残ります。それが日本の精神文化の高揚の一助になります。言志四録の文言を一つでも覚えれば、人生が変わります。皆さんの言動が日本の未来を変えます。皆さんの志の一燈が日本を変えるのです。今のままでは、日本の精神文化は欧米の拝金主義に侵されて沈没です。私はそれを防ぎたい。

 

下記を揮毫する計画 (紫字は寄贈者決定スミ)

1.少にして学べば即ち壮にして為すことあり 壮にして学べば即ち老いて衰えず 老いて学べば即ち死して朽ちず

 言志晩録60  寄贈 久志能幾研究所 小田泰仙

2.一燈を掲げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只一燈を頼め

 言志晩録13  寄贈 弘前市 新戸部八州男

3.人は当に自ら己が才性に短長有るを知るべし。

 言志後録13  寄贈 京都市 小久保健司

 4.太上は天を師とし その次は人を師とし 其の次は経を師とす

  言志志録2  寄贈 波佐見町 福田琢磨

 5.人は当に自ら吾が心を礼拝し 自ら安否を問うべし 

  言志晩録177  寄贈 大垣市 小田

 

6.宇は是対待の易にして 宙は是れ流行の易なり 宇宙は我が心に外ならず (後録20)

 7.春風を以て人に接し 秋霜を以て自ら粛す  (後録33)

8.我は当に人の長処を視るべし 人の短処を視る勿れ (晩録70)

9.凡そ事を作すには、須らく天に事ふるの心有るを要すべし。人に示すの念有るを要せず(言志四録3)

10.晦に処る者は能く顕を見 顕に拠る者は晦を見ず(後録64)

11.己むを得ざるに薄りて而る後に諸を外に発する者は花なり(志録92)

  準備万端整えれば、自分のために花は咲かざるを得ない。人も成長すれば、天から与えられた使命を果たす義務がある。人が一生懸命に使命に励むとき、人は美しい花を咲かせる。

12.閑想客感は志の立たざるに由る。一志既に立ちなば百邪退聴せん。(後録18)

  つまらぬ事に心が騒ぐのは、人生の目標が立っていないからだ。目標を経てたら、一心不乱にたゆまぬ努力をするべきだ。

 

以下順次、言葉を選定予定

寄贈を希望される方は小田まで連絡下さい。

 2019-01-23 久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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2019年1月22日 (火)

岩村小学校を訪問

 2019年1月21日、鈴木隆一会長に佐藤一斎の板書を贈呈して、その後、車で恵那駅まで送ってもらう途中で、「岩村の小学校を見学しませんか」という話になり、お言葉に甘えて小学校に向かった。なんでも岩村の藩校の趣を再現した門があるので,ぜひ見て欲しいとのことであった。

 その小学校は町から4,5キロ離れた山の中にあり、生徒のほとんどは徒歩で通学しているという。冬は通学の山道に雪も積もり通学が大変そうである。しかし若い時に体を鍛えるためには絶好の場所だという。

 その学校の門は、昔の藩校の門を再現したデザインになっていて、風格があった。その門の中に、孔子の書画と佐藤一斎の言志四録の一節の板書が掲示されていて、感心した。生徒は毎日この書を見て学校に登校するのだ。また玄関を上がると、正面に額入りの大きな書で三学戒「少にして学べば壮にして成すことあり…….」(神渡良平書)が掲示してあった。学校が言志四録モード全開である。

1p1060718   正門

2p1060721   正門の裏側

3p1060723  小学校の玄関

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5p1060715  正門の中

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7p1060731  三学戒 神渡良平書

小学校での言志四録の勉強

 鈴木隆一会長は、岩村小学校で、6年生の50数名に対して、佐藤一斎の教えの講義を年間6時間(2時間を3回)担当されている。素直な年代の小学校生は、水が砂に沁み込むようにその教えを吸収するという。小学校生は、卒業までに、言志四録の名句を30句、暗記するのを努力目標に頑張っている。日本の未来に少し希望が持てて嬉しかった。鈴木隆一先生は、前職は高校の校長先生である。退官後の時間を佐藤一斎顕彰会の会長として、また言志四録を子供の未来のために教える仕事に携わってみえる。素晴らしいことだ。

 

お嫁入り先が急遽決定

 この訪問時に、鈴木先生が思いついて校長先生に、贈呈した板書を見せることを思いつき、また岩村に寄贈予定の板書の一部を、小学校学校、中学校にも掲示するのも一案だと提案された。確かに、岩村に来る観光客より未来を背負う地元の子供たちの眼に毎日触れさせるほうが、日本のためにはなると合点した。

 それで校長先生に面会を求め、この板書の経緯を説明したら、一目で気に入ってもらい、ぜひ一枚を学校にと、この板書のお嫁入り先が決まってしまった。それは三学戒「少にして学べば壮にして成すことあり…….」でした。子供たちにもこの句は、人気ベスト5に入る句とか。この句は私の選定の寄贈板であるので、名誉なことだと嬉しくなった。吉村校長も言志四録の話しになると熱が籠って、他の小学校校長とは一線を引く存在感があった。子供たちには頼もしい先生である。

 この板書の寄贈を希望される方も、学校にも贈る前提で句を選定されると良い。先生の話を聞くと、巷の大人より、ここの小学校の生徒の方が、言志四録に関する知識がありそうだ。

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  鈴木隆一会長と吉村良校長  校長室で

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 たまたま、校長先生にお会いできたのは、奇跡である。当日、私は、近年まれにみるトラブルに遭遇して、その対応で奔走した。それで当初の午前中の鈴木さんとの面会が、午後にずれてしまった。そのお陰で出会ったご縁である。面会が午前中なら、当日は多忙であった校長先生と都合が合わず面会は叶わなかった。これは仏様が仕組んだトラブルのようで、結果オーライのご縁となった。私も危機管理として学びがあり、再発防止が出来た。

 

2019-01-22 久志能幾研究所 小田泰仙

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2019年1月21日 (月)

協賛募集 言志四録の板書寄贈

日本の精神文化を再興 

 私は、日本の精神文化のゆかりの地である岩村に、佐藤一斎の言志四録の文言の板書を恵峰書で岩村の町並みに掲げることを計画しています。現在、岩村の町並みの軒下には、約200枚の言志四録の文言の板書がかかっている。残念なことにそれは機械の字で、なおかつ風雪に侵されて風化寸前の板書が多い。

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 岩村にて 2018年3月4日

 

 今回、それを馬場恵峰書で、言志四録の名言を再現します。10年計画で100枚の板書を入れ替える計画です。馬場恵峰先生は、日本の近代書道の父と呼ばれ明治の3大名筆といわれた日下部明鶴の伝承者です。その板書の木も100年は持つ木を選定しています。今回は栗の木を選定しました。サイズは18×78×3cmです。

 つきましては、その協賛者を募集します。文言の選択は自由です。現在、7名の方がこのプロジェクトに賛同されています。寄贈希望者は、メールにて私に問い合わせをしてください。

 

効果

 この書を寄贈することで、岩村の町おこしにもなり、日本の精神文化の再興にもなります。寄贈者も皆さんに、寄贈したことに併せて、自分が選定した文言を信条としているとの宣伝になります。寄贈は個人でも、企業でも構いません。

 ゲゲゲの鬼太郎で有名な境港市の水木しげるロードには、妖怪のモニュメントが177体あり、その多くが寄贈です。それが境港市の町おこしになっています。人口3万3千人の町で、年間200万人の観光客が訪れます。この妖怪モニュメントが大きな貢献をしていると思います。

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 宮川大助氏の寄贈 境港市 水木しげるロード 2018年11月27日

 

3枚を寄贈

 現在、雛形として3枚の板書が完成しました。2019年1月17日に馬場恵峰先生宅を訪問して板を受け取りました。今日の2019年1月21日、岩村を訪問して佐藤一斎顕彰会の鈴木隆一会長さんに3枚の板書を贈呈してきました。詳細は明日か明後日に報告します。

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2019-01-21  久志能幾研究所 小田泰仙

 e-mail :  yukio.oda.ii@go4.enjoy.ne.jp

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お宝探偵団は客寄せパンダ

美術品を投資目的に買うのは不遜

 いくら投資として絵画を集めても、売るときは2030%の価格である。値上がりの金儲けを目的に絵を買うのは不遜である。絵を所有してその間、楽しめたと思うのが芸術作品との接し方である。

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 お宝探偵団での鑑定結果は、あくまでお店の販売価格で、それを売るときは3分の一の価格である。そうでないと鑑定士、古美術商、デパートがやっていけない。彼らも生活がかかっている。お宝探偵団で出す価格は、客寄せパンダの値段である。一品物の販売は経費が掛かるのです。それが工業製品の価格とは違うところ。

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絵画を金儲け目的で買うなら、最低1億円以上のヨーロッパの昔の絵画「マスターピース」と呼ばれる絵画に投資すべきである。それなら価値がある。しかしそういうヨーロッパの昔の絵画は、日本人の感性に合わず、飾っても見ていても楽しくはないだろう。

絵画業界では、投資目的で買った数千万円の絵でも、買い手がつかないかもしれない。100万円単位の絵は、画商が売れないとみると、買取りを拒否することもある。それは市場で値が付かないのだ。100万円以下の絵は、売るときはポスター扱いである。

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絵の価格は、画家年鑑で、厳密に決められている。画家によって、一号いくらと業界で決まっている。業界はそれによって価格を決める。それも生きている画家が対象であって、物故作家では価格が下がる。その理由は、もう新作の作品がでてこないから、キャンペーンで人気を持ち上げる手段が取れないからである。

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画家も大変である。展覧会に出す絵は、30号、40号と大きな絵でないといけない。そんな絵は簡単には売れない。だから画家はその絵の保管に場所をとられる。多くは別にマンションの一室を借りて保管する。その経費も大変だ。

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 人気画家の絵でも、画家が受け取るのは販売価格の20%ほどの金額である。残りは画商、デパートが取ってしまう。画商、デパートにしろ、建屋の減価償却、人件費、場所代、売れ残りのリスクを見ると、販売価格の2030%の価格で扱わないと採算が取れない。だから絵画で財テクをするのは、間違いである。芸術は楽しむものであって、金儲けで付き合っては、裏切られる。絵にも命がある。その命に失礼である。美術品で儲かるのは、業者だけである。画家も絵を買う人も、儲からない。それは芸術関係の全てに当てはまる。

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私の使命

芸術関係で華やかな活動をする人は、ごく限られた人だけである。芸術家の生活は、堅気の生活ではない。特別の才能のない私は定年まで、サラリーマンの堅気の生活をしてきて、良かったと思う。その良きサラリーマンの生活も、グローバル経済主義の浸食で、日本の良き精神文化が衰退し、拝金主義、利己主義が氾濫して、そうでもなくなってきたのが哀しい現実である。私は心豊かな生活を追及したいと思い日々工夫をしている。このブログで、その一助となる情報を提供していきます。

 

2019-01-21      久志能幾研究所 小田泰仙

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